kyokyom
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2010-02-07 20:18:17

プールサイド小景・静物

テーマ:
プールサイド小景・静物 (新潮文庫)/庄野 潤三

¥500
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を読んだ。

わたくしの勝手な読み方だと思うけども、「プールサイド小景」なんかは今の時点では組織に所属するがゆえの個人の不安のようなものを感じてちょっと胸に迫ってきました。
そこにいることはなんとななしの束縛感を感じるものなのに、しかしその嫌なことにしがみついていないといけないそこはかとなくしかし常に感じ続ける葛藤かあるいは気持ちの矛盾。なのにそこまでして献身してしがみついている場所が実は自分を必ず守ってくれるものではないという・・・組織との付き合い方に確実な接点を見いだせないことの不安、不吉とまでいっていい不安。その不安は家族という単位にまで影響を持ちつながっていること。
たぶん自分勝手な感じ方で浅い感想だと思います。でも読むことによって感情を少しでもてたこと自体に読めたことを喜ぶ自分を感じます。
「静物」なんて解説読んでびっくりしてしまうことがあった。何か不穏な状況になっているとは読んでいて思ったもののそうだとは把握せずびっくり。しかし判らないなりに心に残る。10年前に読んだら心にかすりもしなかったと思う。


あと小島信夫のアメリカンスクールあたりを読めたら↓を読みたいと思っています。




若い読者のための短編小説案内 (文春文庫)/村上 春樹

¥500
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2010-02-07 20:08:56

晴天 風強し

テーマ:雑感
歌っているのは子門真人。
歌詞の内容や発音や・・・ともかくいい声ですな→コレ
コーナーリングの魔術師・・・カッコイイ( ´艸`)





午前中に友とぶらりと散歩。
たまにコーヒー飲みに行く?とかお誘いがありしかしわたくしの気分がノらないときには会話が弾まず沈黙の時間が長くなる。今日はぽにょの話にはじまりまたギター製作の話を聞いたり会話が流れていった。友はうちに寄ってギターの持ち方やドレミファソラシドを教えてくれて一曲弾いて帰っていきました。
元々二人ともなめらかに口がまわるほうではないけども、でもやはりわたくしの気分の関係で会話が流れていくかどうかが決まるのでなるべく元気でいたいけどもそういう気分次第の態度を許してもらえるひとなので一緒にいられる。ありがたし。








φ(.. )


2010-02-01 21:20:03

何を見ても何かを思い出す・蝶々と戦車

テーマ:
蝶々と戦車・何を見ても何かを思いだす―ヘミングウェイ全短編〈3〉 (新潮文庫)/アーネスト ヘミングウェイ

¥940
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「ある渡航」
「密輸業者の帰還」
「橋のたもとの老人」
「密告」
「蝶々と戦車」
「戦いの前夜」
「分水嶺の下で」
「だれも死にはしない」
「善良なライオン」
「一途な雄牛」
「盲導犬としてではなく」
「世慣れた男」
「サマー・ピープル」
「最後の良き故郷」
「アフリカ物語」

「汽車の旅」
「ポーター」
「十字路の憂鬱」
「死の遠景」
「何を見ても何かを思いだす」
「本土からの吉報」
「異郷」


最初正直つまんなくてなかなかページが進まなかった。少し長めの短編(短めの中編)「最後の良き故郷」の少年とその妹の逃避行でようやっと気持ちが入り込む。
そしてその時点から振り返ると、ああ、なるほど、面白いかもしれないとそれまでのろのろと読んでいた作品たちもそのように後から感じる。
そこらへんいい加減なんだけども。
しかし多少面白いと思ったもののどうもこう・・・読めている感じがしない。

なんていうのかな。
ヘミングウェイの作品をヘミングウェイの作品たらしてめているなにかというのがさっぱり判っていないくてそのことにひっかかっているような気がする。
たとえばこういうのはちょっとたわむれに考えてみただけなんだけども、書き手の名を伏せられて何か未読の作品を読んだときにそれをヘミングウェイの作品だと判るのかという。
はじめて読む未知の作品にそこにヘミングウェイの個性を認められるのかどうなのか。
そんな利き酒みたいなこと自体に意味はないけども、ただ、多少楽しめているそれ以上の判らなさっていうのは結局そこに通じるのかな~と考えてみたりしたけどもどうかなあ。
いや、そういう作家の個性どうのこうのを考えるのは自分にはまだ早すぎるか。
もっと読む経験を積まないことにはなあ。
しかし生前未発表の「異郷」だけは留保なしに楽しめた。
大人の恋愛の話とも言えるけどもなんというか会話でもって残酷なやりとりに発展しそうで、しかもそれに気づいてどちらかというと男の方が相手を傷つけることを回避しようと注意深くなっているのに・・・だったんだけどその話が行きつく前に話がひょいっと別に移ってしまって、あれれ?と思うもののしかしそれは作家にとってこれ以上の痛手がこの世にあるのかというかなり興味深い話だったのでどちらにしろ面白かった。

1/30















2010-02-01 20:45:05

フラニーとゾーイーと家族たち

テーマ:
「フラニーとゾーイー」を昨日読み終えた。
なんだかここ最近少し低調な日々が続いていて、そして先日ヘミングウェイの短編集を読みあぐねているときになんとなくサリンジャーのことを思いだしていました。低調なときにフラニーとゾーイーのふたりのことを思い浮かべたらほんの一瞬心がすうっと軽くなる。その後サリンジャー死去のニュースを知りまた読んでみたのです。しかし今回読んでみるとなんだか色々判らないところのほうが目だってしまって・・・でも最後まで読んだらいいなあと感じた。
のだけども、でも正直がっかりもした。読み終えたあとにもっとこう心につきささる何かがあるべきだったのじゃないのか?それは真剣に読まなかったからじゃないか?とか、あと自分の頭脳では理解できないところもあってそのことでもやもやもしていて、期待していたような心の高揚が感じられないがっかり感があってすっきりしなかった。それによって少しでも元気がでればいいなと期待する云々というのはちょっとさもしい気もするのだけども、だけどその後なんですっきりしなかったのかという疑問として今日も心の隅のほうに残っていた。
今日は少し元気になって、音楽を聴こうと思ってCDをかけてみると、リラックスしている自分を感じていて、あ、少し気分いいなあと思ったその時、フラニーとゾーイーの二人のことがふっと頭に浮かんだ。と思ったら次の瞬間にとても力強い感情が湧きあがって涙が流れてとまらなかった。

それで今はすっかり元気かというとそういうわけでもなくなかなかうまくいかない。ただ。
ゾーイーがフラニーにしたふとっちょのおばさまの話でフラニーが自分を取り戻しそしてやすらかな眠りにつけたことが強く心に残る。だけどもフラニーもゾーイーもある大切なことに気づいたからといってそれからはいきなり他人に寛容になれるかというとそれは違うと思う。ゾーイーは相変わらず周りの人間たちを馬鹿にしていくだろうしうんざりするしなんて下らないやつらばかりなんだという気持ちにとらわれると思う。
でももうそこで諦めたりはしない。自分が心底くだらないと思うものを否定する方に進んで孤独になっていくような真似をすることの愚かさを知ったから、どんなにくだらないと思えても、その下らないことに何度でも立ち向かうしあるいは人ならば許すし、そしてその後にまた同じことがやってきても、心底うんざりしつつそれでも向き合うことをやめない。
彼らが見つけた大切なものというのは心の原点だと思う。何度でも帰ってこれる場所。
どんなに酷い目にあってもそのせいで傷ついてもじゃあ一切合財をなしにしてしまえばいいじゃないかという気持ちにとらわれたときに、そうじゃないんだ、それは違うだろ、ということを教えてくれる、そしてそれは何度そう思っても何度駄目だと感じても、何度でも何度でもそのことを教えてくれる何かで、そしてそれは内なる他者なんだと思う。
ハハ、なんてこった・・・あいつもこいつもあんな下らないやつも、みんな、みんないるじゃねーか。どういうことだいったい、これは。なのに、なんで、あんな下らないと思っていた人間までも、なんでその存在が自分の中にいてくれるってことで、こんなにあたたかな気持ちが湧きあがってくるのだろう、そしてそれはなんて素晴らしいことだと思えるのだろう。
だからといってまた現実に生活していて誰もかれも好きになれるかというとそれは違う。やはり誰かを下らないと思うし嫌いな人間は相変わらず嫌いなままかもしれない。
それでも諦めないということがある種の予感を生む。諦めないということは自分が変化し続けることだと。

読みあぐねることを続けてなんだかもう嫌になっていても、それでも読みたいと思うのは諦めないことを教えてくれるなにかであって、それは自己の内心の声なのに教えてくれるという形になっていることの不可思議さで、だからこそそれは力強い。
けどかぼそくなるときもある゚・:,。゚・:,。★゚・:,。゚・:,。☆

今は何を書いても自分の書くことは下らないと思うしバカバカしいと感じるし今日書いたことだってそう思っている。
それでもなお何か感じたことを書いてみようと思ったその気持ちがあったことを報告してみようと思ったことと何か書いていると気がまぎれるからなのですが。。。








フラニーとゾーイー (新潮文庫)/サリンジャー

¥500
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2010-01-22 20:13:25

テーマ:

海抜千メートルの山の住民たちは、ほとんどが斜面の土地に、リンゴを植え、乳牛を飼って、中世以来の貧困の歴史を生きてきた。小麦も葡萄も実らない、痩せた土地である。男たちは一人前になるかならないかで、山を降り、国境を越えてスイスやオーストリアに出稼ぎに行った。外国慣れのせいか、孤立した山の村にしては、人々の思考に、おもいがけない柔軟性をみることがある。
「息子の入隊」



思いがけない柔軟性・・・



トリエステの坂道 (新潮文庫)/須賀 敦子

¥500
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読んでいて判らなくなるときがある。
この本を読んでいる間、著者である須賀さんの気配を感じる時もあれば感じないときもあって、それはしじゅう感じとるべきものなのかそれともそんなもん感じないいでいいものなのか、あるいはそんな気配なんてものはただの自分の勘違いなのかそれだったらその時点で・・・終了。
でもエッセイを読んでそんなこと考えたのははじめてで、他の人のエッセイを読むときとはまた違う。
他の人のエッセイを読んでいるときに感じることは、その多くはその人を前にしてその人から面と向かって話を聞いているとでもいった感じ。
須賀さんのは須賀さんの内部に入ってその目で対象を見ている感じかな。






ナタリア・ギンズブルグの自伝的な小説『ある家族の会話』をはじめて読んだのはもう三十年もまえのことで、そのころ私はミラノで暮らしていた。日本の文学作品をイタリア語に訳す仕事をはじめて間もないころだったが、まだ自分が母国の言葉でものを書くことを夢みていた。ただ、周囲がイタリア語ばかりのなかでは、自分の中の日本語が生気を失って萎れるのではないか、そればかりが気がかりだった。こんなことでは、とても自分の文体をつくることなど考えられない。かといって、イタリア語でものを書くというのも、とても越えられない大きな壁のように見えた。ちょうどそのころ、書店につとめていた夫がナタリアの小説を持って帰ってくれた。

あるとき、私は、著者(ナタリア・ギンズブルグ)が幼かったころ、プルーストに夢中になった彼女の母親が、医学者だった父親の「軟弱な」お弟子さんたちといっしょに、気に入った箇所を声を出して読んでいたという話をあたまの中で反芻していた。それまでにもその話をなんどか読んでいながら、私はプルーストに夢中になるお母さんやきょうだいがいたなんて、ずいぶんすてきな家族だぐらいにしか考えなかったことに気づいた。もしかしたら、これはただ恣意的に挿入されたエピソードなんかではなくて、彼女の文体宣言に代わるものではないか、そう思いついたとき、ながいこと、こころにわだかまっていたもやもやが、すっとほどける感じだった。好きな作家の文体を、自分にもっとも近いところに引きよせておいてから、それに守られるようにして自分の文体を練り上げる。いまこう書いてみると、ずいぶん月並みで、あたりまえなことのようなのに、そのときの私にとってはこのうえない発見だった。

しがみつくようにして私がナタリアの本を読んでいるのを見て、夫は笑った。わかってたよ。彼はいった。書店にこの本が配達されたとき、ぱらぱらとページをめくってすぐに、これはきみの本だって思った。
こうして『ある家族の会話』は、いつか自分も書けるようになる日への指標として、遠いところにかがやきつづけることになった。イタリア語で書くか、日本語で書くかは、たぶん、そのときになればわかるはずだった。
「ふるえる手」




ありのままに見る、受け取るってなんなのかな?
そんなこと出来るとか出来ないとかではなくて、
そこから導き出される言葉や感覚や思考がどんなものであるのかに興味がある。
あれ、おかしいか?出来ないんだったらそもそも導きだされるものもないんだし・・・いや、なんかそういうことではないと思うんだけども。

そういえば『ヴェネツィアの宿』は読んだっけかなあ???
思いだせない。













2010-01-15 19:26:10

ロシアのすごいアニメ

テーマ:雑感
すごいレベル高い

60年前のロシアのアニメ。ツイッターのこちらのツイートを見て知りました。
それにしてもこれって魔法使いサリーちゃんの服ですよねぇ・・・うーむどうかな。
あと呪文らしきものの詠唱も長い気がするが何言ってるんだろう?



2010-01-15 19:25:38

こんにちはー

テーマ:雑感
少し更新頻度が落ちているブログなのですが。
こちらでのお正月のあいさつもすっとばしてしまいここを覗いてくださる方々には大変失礼しました。なんか中途半端に年が明けてから一回だけ更新したりして。
ツイッターでは新年のあいさつをしたのですが、こちらを忘れてた・・・わけでもないのです。
実は更新はしていないけどブログの記事はいつもと変わらないくらいに書いていて、その後非公開で放り込んであるような感じです。
ツイッターはですね、今まさにこれから盛り上がらんとする変化の途上にある面白さもある。けどそこらへんはまだ感覚的なものでうまくつかめていなくて、わたくし自身はやはりマイクロブログ的な使い方が主になっているかなあ。もちろんそれでいいと思っているのですが、ただ同時にやはりブログとツイッターは違うなあとも感じます。
いくつかツイッター本が出ているようで自分では読む気がないけどそこで語られていることもそのうち新たな通念だかとしてそこらで目にするようになると思うのでそれで知ればいいかなと思っています。
わたくしがツイッター上で見たその性質を言い現した言葉に「ツイッターはインフラ」というものがありました。
使用している者の感覚としてなるほどなあと。なんとなくですが(こればっかり)。
まあでもツイッターなんて使わなくてもなんの支障もないしそれはそもそもネット自体覗かなくてもなんの問題もないのですが。継続している人はなんらかの楽しみを見いだせているからそうしているというだけであってようは時間の配分の話だと思いますし。

ツイッターでとりあえずさえずっていると自分がそこにいることを確認してもらえるのである種の安心感というか・・・?
ブログに書くことはなんかあとで読み返すと恥ずかしいな~と感じることが多くて、でも自分がここにいることを知ってもらいたいという欲求によって公開していたような部分があって、その欲求を別の場所で気楽な形で満たされるとわざわざ公開しなくてもいいのかなあという気持ちになります。
でもブログには特別な思い入れがあるから本当は書いたものは公開していきたいのだけどもどういう形でバランスをとっていこうかなあと思案中です。



2010-01-06 01:32:06

それなら持っていると彼は言った。

テーマ:
.



表に出ると、エイモスがキャディラックを停めて私を待っていた。そしてハリウッドまで送り届けてくれた。私は一ドルを渡そうとしたが断られた。T・S・エリオットの詩集を買ってあげようかと持ちかけてみた。それなら持っていると彼は言った。
















ロング・グッドバイ/レイモンド・チャンドラー

¥2,000
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一ドルか~。
時代を感じさせますね。

T・S・エリオットの詩集は持っていないけど自分の場合なら持っていても持っていませんとこたえてもらってしまうと思う。ほら、また別の版かもしれないし同じものだったら人にあげるか古本屋に売ることもできるし。






「書いている?」と私は用紙の山を指して尋ねた。
「ああ。カスみたいなもんだが」
「謙遜することはない。どれくらい進んだ?」
「三分の二くらいだろう。目方からすればね。価値なんてほとんどありはしない。自分が駄目になったということを、作家はどうやって知ると思う?」
「作家のことは何ひとつ知らない」私はパイプに煙草を詰めながら言った。
「インスピレーションを求めて、過去に自分が書いたものを読み返すようになったら、もうおしまいなんだ。それが絶対的基準だ。・・・」






で?

いえ、どうもしないのですが・・・ふむー

面白いですねー、チャンドラー。
村上訳ではフィリップ・マーロウのセリフがあまりかっこうよすぎない感じがいいです。
ほんのちょっとしたことで知りあったテリー・レノックスをかばうマーロウという人間の行動規範って結局どこにポイントがあったのか。。
判るような気もするんだけどもしかしここだというポイントを明確にはわたくしには言葉にはできずらいのです。
マーロウはある人物に惚れる(多分)のですが、その瞳の色をたとえてあの有名な

矢車草のブルー(村上訳)
矢車菊の青  (?訳)

村上訳はちょっとあっさりしていてすぅっと通り過ぎてしまいそうな語感なんですが下は以前NHKのミステリー作家の特集で聞いた気がしてこちらの方がなんとなく耳にしっくりきます。

マーロウは悪党や権力をカサに来た人間に反抗するけども本来物の判っているはずの人間が自己憐憫に浸ってぐじぐじ言っているときにも手厳しいんですね。

シャレたというか気の利いた言い回しを連発しますが同時に言葉で気にいらないやつをですね、カッとさせるところに心理戦の重要さを知っている人物と見た。
いや、わかりません。威張っているやつをおちょくるのが好きだけなのかあるいは数少ない楽しみなのかも。

ただ一か所だけ噴いたというかそれちょっとキメすぎだろと思ったところ↓

私はキッチンに行ってコーヒーを作った。大量のコーヒーを。深く強く、火傷しそうなくらい熱くて苦く、情けを知らず、性格のささくれだったコーヒーを。それはくたびれた男の血液となる。


この単行本は訳者村上春樹の解説がたいへん充実していてそちらもとても楽しい。
村上さんにはもっともっと文学の解説してもらいたいなあ。世界文学を語るみたいなまとまった内容の文学講義集を出してほしいなあ。



ジョイス・キャロル・オーツは、文章の精妙さにかけては定評のある、純文学畑の女流作家だが、彼女はチャンドラーの文章について、ある批評の中ではこのように述べている。
「チャンドラーの散文は、自意識を抜きにした雄弁の域に達している。そして我々は、自分が前にしているのがただのアクションものの作家ではなく、確たるヴィジョンをもったひとりの文章家であり、一人の作家なのだという事実を前にして、思わず襟を正すことになる」


レイモンド・チャンドラーの文章スタイルはヘミングウェイのそれとも違うし、ハメットのそれとも違っている。ヘミングウェイが「前提的にあるべきもの」とし、ハメットが「とくになくともかまわないもの」とした自我の存在場所に、チャンドラーは「仮説」という新たな概念を持ち込んだのだ。
それがまさにチャンドラーの創造的な部分であり、オリジナルな部分である。チャンドラーは自我なるものを、一種のブラックボックスとして設定したのだ。蓋を開けることができない堅固な、そしてあくまで記号的な箱として。自我はたしかにそこにある。そこにあり十全に機能している。しかしあるにはあるけれど、中身は「よくわからないもの」なのだ。そしてその箱は、蓋を開けられることをとくに求めてはいない。中身を確かめられることを求めているわけでもない。そこにそれがある、ということだけがひとつの共通認識としてあれば、それでいいのだ。であるから、行為が自我の性質や用法に縛られる必要はない。あるいはこうも言い換えられる。行為が自我の性質や用法に縛られていることをいちいち証明する必要はないのだ、と。それがチャンドラーの打ち立てた、物語文体におけるひとつのテーゼだ。
訳者あとがきより




純文学と大衆文学のまじりあうところというのは・・・文体か?
なんつって!
書いてみただけ。











ロング・グッドバイ (Raymond Chandler Collection)/レイモンド・チャンドラー

¥1,470
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2009-12-27 21:57:32

家の中も荒野

テーマ:
***

『猫は毎日外へ出て歩いて、濡れた体と泥だらけの足とで家中を横行した。そればかりか、この猫は或る日、蛙を咥えて家の中へ運び込んでからは、寒さで動作ののろくなって居る蛙を、毎日毎日、幾つも咥えて来た。妻はおおぎょうに叫び立てて逃げまわった。いかに叱っても、猫はそれを運ぶことをやめなかった。妻も叫び立てることをやめなかった。生白い腹を見せて、蛙は座敷のなかでよく死んでいた。猫は家の中を荒野と同じように考えている。そうして家の中は荒野と全く同じであった。』
佐藤春夫「田園の憂鬱」



ねこー!ネコ





***


『薔薇は、彼の深くも愛したものの一つであった。そうして時には「自分の花」とまで呼んだ。何故かというに、この花に就いては一つの忘れ難い、慰めに満ちた詩句を、ゲエテが彼に遺しておいてくれたではないか――「薔薇(そうび)ならば花開かん」と。
・・・
西欧の文字は古来この花の為に王冠を編んで贈った。支那の詩人も亦あの絵模様のような文字を以てその花の光輝を歌うことを見逃さなかった。彼等も亦、大食(タアジ)国の「薔薇露」(そうびろ)を珍重し、この「換骨香」を得るために「海外薔薇水中州未得方」(かいがいそうびのみずしゅうちゅういまだほうをえず)と嘆じさせた。
それ等の詩句の言葉は、この花の為めに詩の領国内に、貴金属の鉱脈のような伝統を――今ではすでに因襲になったほどまでに、強固に形造っているのである。一度詩の国に足を踏み入れるものは、誰しも至るところで薔薇の噂を聞くほど。』
「田園の憂鬱」




薔薇ー!ブーケ1


この前庭の掃除をしていてあちこち好き勝手に伸びきっていた薔薇も少し刈り込んでみたけどその始末が大変でした。軍手が見当たらかなったので素手で刺をつかまないように触っていたけどどうしたって触れてしまって痛い。薔薇ってすごい伸びますね。










※大食国―唐・宋時代にアラビアを呼んだ
※薔薇露―薔薇の花からつくった香水
※換骨香―この世ならぬものに身を変えてしまうようなすばらしい薔薇の花の香水
※海外薔薇水中州未得方―外国の薔薇からつくった香水については、中国では、まだその作り方を知らない、という意味。宋の詩人楊万里の詩の中の一句。




2009-12-24 17:22:21

うは!

テーマ:雑感
新くるくる日記

新くるくる日記

新くるくる日記



ようやっと作ったんですが、食べられればいいという思想の持ち主なのでいつも形はテキトー。
よって穴はなくなってしまってこれはドーナッツ?
その後ちょっと面白い出来事があったのですが、なんだか身内の恥ずかしい部分をさらすようなのでそのことはまた気が向いたら(*^ー^)ノともかくいまこれ書きながら笑っております。
そういえばわたくしはサクサクしたドーナッツってそれほど好きでもなかったのでした。むむ。でも柔らかいドーナッツはもっと好きじゃない。あれ?ドーナッツあまり好きじゃない?
あ、違うや。サクサクさせておいたものが時間が経って少ししけってサクサクの部分が柔らかくなっているものが好きなんだ。あとあんドーナッツ。
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