恋愛・結婚・未婚・DV・ネグレクトなど様々な問題が現代病かの様にあります。

そして私への相談者もそういった方々が多く、少しでもお力になれればと強く思います。
9月に入り、私が見させて頂いていた方も落ち着き多少、私の手も空く様になってきました。



私へのメッセージの中によく見るのですが、

「返信を頂けないかもしれませんが…」
「お忙しいとおもいますので返信は結構です」

など私へのお気遣いをさせてしまっている事によくよく気付きます。



メッセージを頂く方にとってそれなのですから、見ている方で中々メッセージを出来ない方もいらっしゃるのでは?と思いました。

ですので、今回、この様な記事を書かせて頂きました。



返信の速度は遅くなる事もありますが、必ずお返事いたしますので、御気兼ねなくご連絡頂ければと思います。

現代病とも言える、女性における情緒不安定・うつ病の発症率は年々高まっています。


それは人間教育がなされていない証拠です。


現に私達の世代、また私達の先輩の世代ではそういう方が多くはありません。

学校・親・友人関係など様々な部面での教育であったり、人との繋がりが希薄になっていると言う他ありません。

悩む事はいけない事ではありません。


悩みに押しつぶされて精神を侵されることがよくないのです。


では悩みに押しつぶされない自分を作るにはどうしたら?

そこが1つの答えであり、私がお手伝い出来る部面です。


今回大々的にこの様な記事を書かせて頂き、多くの方からのメッセージにお答えできればと思います。

お気軽にご連絡ください。




ご連絡に際しまして


・ 携帯からご連絡を頂ける場合は、ドメインして受信の解除をお願い致します。
・ 自己紹介・悩みなどを1通目に頂けると話がスムーズです


上記2点お願いできれば幸いです。

みなさん、こんにちは



「人間なんて、みんなウソつきだ」


「何だかんだ言ったって、みんな自分が可愛いんだろ?」


…というような、人を寄せ付けない言動をして、周りの人をイヤな気分にさせる人がいます。こういう人を好きという人はあまりいないでしょう。一方で、


「人と人とが助け合うのは当たり前のこと」


「困ったときは、お互い様だから…」


…という人もいます。こちらは、周りの人をいい気分にさせる人です。こういう人の周りには、いつも人が集まっています。


お互いの愛情が「行き来」していることこそ幸せの基本だろう、と私は考えます。だからこそ、なんともいえない豊かなものに包まれ、十分に幸せな気分を味わえるのであって、「ひとりよがりの愛情」では、なかなかこうはいきません。


このままでは、人に「自分というもの」を認めて貰うことも出来ず、不満を抱えながら生きて行くしかなくなってきます。


人の愛情を感じながら育った子供と、そうでなかった子供とでは、人を「愛する力」そのものが違ってきます。


幼児にとっての愛情というのは、主に両親から与えられるものでしょうけけど、


「この子は、かけがえのない存在」


と思われ、十分な愛を注がれて育った子は、成長してからも、人を信じ、人を愛する人になります。「人とは、そういうもの」という感覚が身になっているからでしょう。


そういう感覚のまま、世の中に出て、ときには人に裏切られることもあるでしょうが、その人の基本的な部分は、幼児期に植え付けられたものが生かされ、人に対して素直に友好関係を築こうとし、気持ちが「行き来」するところに、自分の幸せ感を持つような人になるからでしょう。


とはいえ、十分な愛を注がれなかった人の中にも、「愛する力」のある人が大勢いることも確かな事実です。


もし、あなたが冒頭のようなセリフを吐く人だったら、「もっと人を信頼してみよう」と常に心掛けて、人と接してみてはどうでしょうか。


もしあなたが人の親だったら、「かけがえのない、わが子」に十分な愛情を注いであげて下さい。それが「親の務め」だと思いませんか?

みなさん、こんにちは!


自分とうまく付き合っていくために、時には「自分に妥協する」ことが必要なように、人とうまく付き合っていくためには人と妥協することも必要です。


自分に妥協することは上手でも、他の人の言い訳は許さない人、自分のミスは許せても、他の人のミスは許せない人…など。


こんな人が上司だったら、それこそ悪夢ですよね。ただ、人間というのはどうしても「自分には甘く、人には厳しく」なってしまいがちです。相手の言い訳が許せない、という気持ちもよくわかります。相手のせいでこちらが迷惑をこうむって、ただでさえ頭にきているのに、相手が言い訳を言いだすと、「自分の非をごまかそうとしていると」とさらに怒りがこみあげてくるものですからね。


しかし、怒りにまかせて、相手の言い訳に聞く耳を持たなかったり、その言い訳を理詰めで論破するようなやり方は、賢いやり方ではないだろう。


遅刻してきた人が言い訳しようとしたときに、


「どれだけ待たせたと思ってるの!言い訳なんか聞きたくない!」


と、一蹴してしまうと、その人がこちらに対して抱いていた「遅れて申し訳ない」という気持ちまで消し飛んでしまいます。その態度ひとつのせいで、


「遅れた俺が悪いのは確かだけど、少しぐらいこっちの言い分も聞いてくれてもいいんじゃない?なんて度量の狭い人間だ」


と思われたとしたら、まったくもって割りが合いません。


私は、「どんな場合でも、とりあえず相手の言い分だけは聞いてみる」ことを信条にしています。それが、たとえどんなにこちらが怒っていたり、相手がただ言い訳をしているのにすぎないとわかっている場合でも、です。


自分のミスに対して言い訳をするのは、相手に申し開きをするためというより、自分が失敗した理由を自分に納得させるためです。


だから、まずは「何があったの?」と言い訳をさせてあげます。すると相手は「怒っているのだろうけど、とりあえず話を聞いてくれた」と安心し、素直に謝りやすくなるのです。


相手の言い訳を黙って聞いてやることで、人間関係がスムーズに運び、「この人は寛容な人だ」という印象も与えることが出来ます。これなら、こちらも割が合いますよね。

みなさん、こんにちは!



一緒に楽しく過ごそうと思えばいいのですが、悪い癖を持っている人も多く、何かと難癖をつけて、「エライ人きどり」になる人もいます。ああ、この人は、わかっていないんだなぁとガッカリすることもあります。


「ここの料理、悪くはないんだけど、ハーブの使い方がもうひとつだよな」


「そうかしら、私は嫌いじゃないけど」


「それにさぁ、皿もあまりセンスないと思わないか」


「別に普通じゃない?」


「普通ってのが、よくないんだよ。ここまで素材にこだわってるなら、皿とか照明にもちゃんと気を配らないとな」


「けっこう、悪くないと思うけどね、私は」


「まぁ、悪くはないけど、せいぜい60点だな」


一緒に食事にいくと、店の品定めをして、味や調度品の評論家になる人がいます。見解はあるでしょうが、「あなたはいつから評論家になったの?」と言いたくもなります。これでは一緒にテーブルを囲んだ人が、おちおち料理も食べられないではありませんか。


「まだ前半だけだけど、まるで面白みなかったなぁ。まぁ日本人じゃ期待薄だけどな」


「そんなものなの?私、クラシックってあまりわからないけど」


「だってさ、第二楽章の後半なんか、メチャクチャだったじゃない。なんかただ譜面通りにやってるって感じで」


「そうだったの?私はそんな感じしなかったけどなぁ」


「あの指揮者、若いからまだオケの連中にあまり認められてないんだな、きっと。だからちゃんと合わないんだよ」


「指揮者の指示通りに弾くんじゃないの?オーケストラって」


「これだから素人は困るんだよなぁ。あのなぁ…」



おめかしして出掛けたコンサート。休憩時間にワインを片手に楽しく過ごそうと思ったとき、恋人がこんな講釈を始めたら楽しい気分も半減しますよね?


小人閑居して批評をする、です。


相手に感想を聞かれたらともかく、自分からぺらぺらと批評して、「かけがえのない人」の気分を害して何のトクがあるのでしょう。身に覚えがある方は、もう一度ご自分の行動を見直してみるといいでしょう。

みなさん、こんにちは!



あなたには、「私にとっては空気のような存在」といえる人がいますか?


また、同じ言葉をいってくれる人がいるでしょうか。


目に見えないので、普段の生活の中では気になることもありませんが、ふと、空気が無くては生きてはいられないことに気が付き、改めてありがたいと思う…この空気のような人がいるかいないかで、あなたの人生はまったく違った様相になります。


十数年前、向井千明さんが、宇宙船の中で「ふわふわと泳ぎ」ながら日本の子どもたちにメッセージを送ったテレビ映像を覚えてらっしゃいますか。私ははっきりと覚えています。


「みなさーん、地球には重力があります。これまで当たり前のことと思っていましたが、今私は重力のありがたらが身にしみていまーす」


私は、ハッとしました。重力(引力)の存在については理屈ではわかりますが、普段の生活の中では、私も「ニュートン以前の人」であり、物が上から下に落ちてくるのは「当たり前」と…しかし、これは「当たり前」のことではありません。感謝しなければなりません。重力が無かったら、地に足のついた生活も出来なくなります。


「かけがえのない人」というのは、そんな人です。当たり前なのですが、良く考えると、「当たり前」とは言えない人で、特別な存在なのです。


逆に言うと、新婚の夫婦のように、普段から相手を「特別な存在」と思っているうちは、まだまだ「かけがえのない人」とは言えないのではないでしょうか。熱があるうちはまだまだだめです。熱が冷めて、静かで落ち着いた生活を繰り返す中で、ふと相手のありがたみが身にしみる…そして、しみじみと「かけがえがない」と思えてきます。


若い夫婦が危ないのは、「熱が冷めて…離婚する」という結論を出すことも多いからです。新婚時は「かけがえがない」と信じていても、熱が冷めれば、「私たち、別れた方がそれぞれ幸せなんじゃないかしら」といった、「かけがえのできる関係」になることも多いです。


ある単身赴任中の男性のご相談者は、ご自身の結婚について、


「奥さんと離れて暮らして、寂しくないですか?ってよく聞かれますが、困った質問です。寂しいのは当たり前じゃないですか。でも待っているのが好きなんです。先生にご相談して今ようやくそう思えるようになりました」


と、晴々とした表情で答えました。恐らく、お互いに「引力のような存在」なのでしょうねニコニコ