こんばんは。
今日もご訪問いただきありがとうございます。
昨年友人宅で咲き終わったカランコエの葉を貰い、さし芽が出て最近やっと咲いてくれました。
ひとつの鉢に赤・ピンク・黄色をまとめてみたらいい感じに(個人的感想ですが^^)明るい鉢植えになりました。
昨日2月4日は私の誕生日でした。
母が居なくなり二度目の誕生日でした。
昨日の東京は幾分暖かく、通院で夕方帰宅すると実家の近所のおばちゃん(長年の母の友人)から留守電が入っていました。
このおばちゃんは母が倒れる前から頻繁に電話をしてくれていて母が倒れてからも変わらず連絡をくれています。
早速電話を入れてみると開口一番、
「あんた今日が誕生日やったろ? 昔話がしとうて電話したんやわ。」
と言われ、私が3歳の誕生日の日の話をしてくれました。
その日、母は朝早くから名古屋に行き、父は仕事が忙しかった為、そのおばちゃんが私を預かってくれていたそうでした。
「おかあちゃんは? なんでおらんの?」
としつこく聞いていたそうです。
母は名古屋へ行ったとおばちゃんが私に話したそうで、昼食の支度をして私に出してくれようとした時に私が居ないことに気づいたそうです。
夜になると父の所に最寄り駅の駅長さんから電話が入り、お昼前から私が駅の待合室に居て電車が着く度に改札口まで行きキョロキョロしてまた待合室の大きなストーブの前に居たそうです。
母を待っていたのでしょうね。
声を掛けてくれていた駅長さんには子供ながら必死で嘘をついたようで、
「おかあちゃんがここで待っといでって言っとたでここにおるんやよ。」・・・と。
その頃、町では大騒ぎで探しまわっていてくれたそうです。
おぼろげに記憶にあるのですが、父に初めて(最初で最後)叩かれたのがその日でした。
私が母を失ったように、おばちゃんにとっては私よりも長い年月を共にした友を失ったのですよね。
小さな町で片寄せあった時代もあったそうです。
おばちゃんは母が旅立ってから色んな想いがゆらゆらと揺れているそうで、時々想いが定まらなく、母を想い泣けて仕方がない日があるそうです。
おばちゃんの事が心配ではあるものの、母の娘として、そうして想いを馳せてくれていること、今でも私を気遣ってくれていることに感謝でいっぱいです。
2月は私の誕生日以外にも
18日は母の誕生日
20日はyouさんの百か日
21日は父の祥月命日
今月は何かと気持ちが忙しくなりそうですが、ゆっくりと歩いて行こうと思います。
今日も最後まで読んでいただきありがとうございます。
まだまだ寒い日が続いておりますので皆さんもご自愛下さいね。