何故、ミュージカル?!2 | That's my line !

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不肖久世恭弘が、疑問に思ったこと、感動したこと、驚愕したこと、憤慨したことなど、その未熟がゆえ、学習し向上して行く様を綴った成長記録です!

その大学時代のミュージカル公演は好評だったらしく、打ち上げに、TBSのアナウンサーの三○孝○OGも参加された。

酔った勢いもあったのだろうが、『あなた、面白いわね。○学座、受けたら?!絶対通ると思うよ。私もね、○学座にいたのよ』と言われた。

就職の内定も決まってた私が、3ヶ月後の入社を迷うはずがない。
しかも、○学座と言えば当時は50倍近い難関である。自分の大学受験より倍率は高い。
芝居を専門に学んで来た人が試す登竜門である。
通るはずがない。

といいながら、『絶対通ると思うよ』と言った、あのアナウンサーのひと言、と言うより、彼女の人間性をを試してみたくなった。彼女は日本国中で知れ渡ってる存在。そんな人の発言は信用するに足るのか?!

「失敗しても内定は決まってる!」という、リスクなしの勝負を挑む浅はかなチンピラよろしく記念受験してみた。

一次の試験会場は、奇しくも、東京で芝居の世界に引き込んだ大学のキャンパスであった。
通い慣れた場所であった為に、極度な緊張はなかった。
課題を書かれた紙を手に教室の廊下で出番を待つ。

当時、巷はバブルと言われる時代で、演劇も第三世代と言われる小劇団が盛んで、型にはまった表現ではなくエネルギーのあるパワー重視の演劇がが世の中を席巻していた。(ということを後になって、知った)。

しかし、与えられた課題は、先程から教室内で聞こえている絶叫的な表現は必要ないし、実際、自分が課題のような経験をしても、教室内で演じている役者のようにはならないなと思いながら、順番を待った。恐らく、自分はデモシカなので必死でなかったのかもしれない。

出番が来て、教室に入って、自分が演じた内容は至極淡白で、期待を膨らませたファーストキスが結果、『えっ?!』というのと似てる印象を審査員に与えたのではないだろうか。多少の緊張はあったがさらっと終えた。

それでいい!それが普通だろう!!と何の後悔も残らなかった。

と同時に、「終わった!」とも思った。
しかし、個人的には合格より、噓をつかなかった表現をしたことに媚びない潔さすら感じていた。
就職したら、ネタにでもしようと思っていた。

すると、程なく一次通過の通知が来た。
書かれている内容を見ての感想が「ヤバイ!!」である。
内定先や親への弁明を具体的に考えなければならなくなる可能性が出てきた。

しかし、「2次が通るとは限らない!落ち着け、落ち着け・・・!」と、あらゆる結果になっても問題なく対応できるように危機管理のシナリオを描きはじめた。

一次通過の人には、次の課題も一緒にアナウンスされる。
そのいくつかの中に、「音に合わせての感情表現」と「ソルフェージュ」があった。
『何だ「音に合わせての感情表現」?!』と、「ソルフェージュ?」という感じで、完全に生活圏外の代物であった。

「ソルフェージュ」という言葉は、母親が音楽をしていたから名前は知っていたが、二次受験当日まで「ハノン」と勘違いしていたくらいで、受験待ち合いでも指のストレッチとマッサージを入念にしていたほどである。

あとの課題は、「自由曲」と「作文」である。

逃げることは、潔しとしない性格なので、この二本で勝負しようと思った。いや、どうせ合格はしないが爪痕を残そうと、そこに逃げないモティベーションを集約した。

自由曲は、「My Fair Lady」の「On The Street Where You Live」を歌った。
好きだった女の子の住んでるところに立ち寄った男の歌。

その当時、好きだった女の子に、日本でもイギリスでも同じ人物からこっぴどい仕打ちを経験おり、感情移入しやすかったのかもしれません。
その当時は、そのような言葉はなかったですが、よく考えると、ストーカーの心情歌みたいなものですかね。。。

5人一緒に試験を受けるのですが、私は唯一、審査員からも、何故かライバルである4人からも拍手をいただきました。よほど気持ちがこもっていて、共感を与えたのでしょう。
今だに彼女との話をすると、もれなく共感が得られます。
その当時の私は、相当、他人を観る目がなかったのでしょう。

そして、作文は、書いてきたものを先に提出で、別室で「演出家」と言われる人たちが先読みしておいて、当人が登場したら、音読させるシステムでした。

私は、「父の威厳」という題にも関わらず、尊敬できない情けない父の話を書いた。
それを音読させられるのである。
先読みしているはずの演出家5人は、読み終えると大爆笑した。

その笑いが長くて、進行係が困惑し、加えて、イレギュラーに演出家が私に内容に付いて質問するものだから、時間が押して、後に、待機していた後の受験生(合格して同期)が「何があったのかと思ってた」と言われた。

それでも、「最後になりますが、うちの劇団の公演で君が一番印象に残った作品は何ですか?」と言われた時、自分の限界を感じた。

何ひとつ、この劇団の芝居を観たことがなかったのだ。
と言うか、学校公演の演劇くらいしか、判る演劇は観たことなかったのである。

この質問は、想定内ではあったが、その答えを準備することは前もって噓をこしらえることになるので、保留にしたままにしていて、その後は考えていなかった。(自分に甘いタイプである)
しかし、劇団側にしてみれば聞きたいのは当然である。

「女の一生」くらいは知ってる。
題名くらい叩き付けてやろうかと思ったが・・・。

観ていない。
何かの間違えで、観たと言えば、あらゆる角度で感想を聞かれる。
そこには対応できない!

しかし、演技に関しての感想を言えば、誤摩化せるか?
賢い私は、ない知恵を絞り、色々なことを瞬時に考えた。
そして、私の出した答えは・・・。

『・・・すいません。勉強不足です。○学座の芝居は一本も観てません』ときっぱり言い切ってやった!

すると、またも5人の演出家は大爆笑し、『うちの作風を知ってたら、さっきみたいな作文は書かないもんねぇ・・・!』と言う一人の演出家の発言にまたも大笑いになって、『ありがとう。楽しかったよ』の言葉で私の試験は終わった。

結果、恥辱にまみれた二次試験だった。

「もう関係ねぇし、高校時代に経験したけど、芝居ってロクなもんじゃねぇ!」と試験の帰り道、世界を股に掛けた仕事に内定したことに再度誇りに思うのだった。

この辺で、お断り。
本当にいつも申し訳なく思ってます。
これ以上の読解は無理ですよね。
残念ながら、次に持ち越しです。
しかし、ミュージカルから離れてる。戻さなきゃ・・・!



でも、今回は掲載が早かったでしょう?!
期待してると、次はいつになるかわかりませんよぉ~・・・!
こういうところからも、他人は当てにしてはいけないということを学べます。

ほんと、次、本番までに書けるかなぁ・・・。