真実は人を幸福にするか?

桑田義雄が、うかんだり、もぐったりするブログ


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すべてを前向きに捉えるあり方を「ポジティブ教」とするならば、俺の思想は「ネガティブ教」である。
では、ネガティブ教とは何か?

仏教のスローガンの一つに、「一切皆苦」というものがある。
これは、人生というのは、苦しい事以外に無い、という意味である。

日蓮の言葉にも、「善からんは不思議。悪からんは一定(いちじょう)と思え」という言葉がある。

「人生というものは、辛く、苦しい事しか無いのだ。」

というところから出発するならば、不幸な事が生じても覚悟が出来るし、良い事が起これば、感謝の思いが沸く。
これが仏教思想の基本であり、そしてこれこそが「ネガティブ教」である。


大学生が卒業し、新しい会社に入る。
自分がアレほど調べて入った会社なのだから、きっと良い会社に違いないと思って入社するのだろう。

だが、そういうのは希望的観測であり、裏切られる可能性が極めて高い。

会社に入社する時は、頭から「ここはブラック企業である」と思っていたほうが、その後、さまざまな事に対応しやすい。


また、結婚相手に対しても、最初に過度な期待を相手に対し、持ってしまいがちであるが、これは大間違い。
結婚する時、「この人はきっと最低の人物に違いない」と思っていたほうが、その後の動揺は少ない。


東京は、近いうちに大地震で壊滅する。


とにかく、そのように、後ろ向きに、後ろ向きに、最悪の状態を想定していたほうが、色々と対策も出来るし、心理的にもパニックにならない。


実際、原発安全神話によって、我々(特に福島県民)はヒドイ目に遭っているではないか。
原発を稼動する以上、「これはとんでもない危険なものなのだ」という覚悟は、持っていなければならなかった。


世界的ベストセラーであるD・カーネギーの「道は開ける」の中にも、「最悪の状態を想定せよ」とある。

最悪の状態を想定していたほうが、生き延びる可能性が高いのだ。
精神的に、強く、たくましくいられるのだ。


傷つきやすい人は、人を信用しやすい人だ。
人を信用するから、裏切られ、騙される。
最初から信用しなければ、傷つかずに済む。


「信じられぬと嘆くより、人を信じて傷つくほうが良い」

という言葉があるが、傷つかないほうが良いに決まっている。
また、「信じられぬと嘆く」というのは、日本語としておかしい。
「嘆く」というのは、信じているからでしょう?
信じていなければ、嘆かないのだから。

俺流で言うならば、

「人を信じるな。傷つくな。」

が正しい処世術である。


上司は部下を信用してはならないし、部下は上司を信用してはならない。

タレントは、ファンは常に離れるものと思え。
そして、売れなくなれば、簡単に事務所から切られると思え。
それは事実でしょう?


ネガティブ教は決して極端論ではなく、事実なんだ。
むしろ、「夢は必ず現実になる」みたいな、ポジティブ教の考え方のほうが、非現実的なのです。



とは言え、俺は別に、努力するなとか、夢を追いかけるな、とか言うつもりはない。
目標を掲げ、必死に努力すれば良い。
けれども、それが叶わない可能性も、常に考えておけ、という事だ。

十年後、二十年後の事を見据え、対策を打たねばならない。


安倍内閣は今、調子良い感じだが、過度な期待をしてはならない。
むしろ、国をメチャメチャにする可能性も考えておいた方が良い。
ならばどうするか?
結局、自分を護るのは自分だけ、という話になって来る。


投資をやっている人もいると思うが、上がると思うから株を買う。
だが、下がる可能性だってある。
下がる可能性も念頭においた上で、上手に買うというのがリスク管理なのだ。


みなさんは、明日、交通事故に遭います。

そのように言われると、注意するでしょう?

いつだって、交通事故に遭う覚悟で、道を歩かねばならない。

いつだって、家が火事になる可能性を考えておかねばならない。

それは決してビクビクして生きるという事ではない。
むしろ、堂々として生きるためだ。

「人間万事塞翁が馬」ということわざもある。
どんな事があっても、心を動かさない事が、「悟り」なのだ。

日蓮も八つの風という事について語っている。

「賢人は、八風という人の心を煽り立てる八つの風におかされることがないからこそ、賢人と言われるのです。その風とは、利(リ=うるおい)・衰(スイ=おとろい)・毀(キ:やぶれ)・誉(ヨ:ほまれ)・称(ショウ:たたえ)・譏(キ:そしり)・苦(ク:くるしみ)・楽(ラク:たのしみ)の八つです。すなわち、自分が潤っている時にも喜んで有頂天にならず、逆に勢いの衰えている時にも嘆かない(同様に、誉められてものぼせず、悪口を言われても自信を失わず、称えられても浮つかず、批判されても自分を失わず、苦しい時に頑張り、楽な時に心を引き締める)ということです。この八風に心がおかされない人を仏天は必ず守って下さいます」
http://www.nichiren-aomori.net/houwa/h2105_yokoyamakoushin/index.html


どんな事があっても、泰然自若としている。
堂々として落ち着いている。
良い事があろうと、悪い事があろうと、大きく心を揺さぶられない。
それが仏教、そしてネガティブ教の目指す境地だ。



ついでに書いておく。
よく、ポジティブ教の人は「泣き言を言うな」という。
「愚痴を吐くな」と言う。

だが、泣き言を言わず、愚痴も言わずでやって行けるほど、人生は甘くない。
どんどん泣き言を言え。
愚痴を吐け。

「会社辞めたい!」

「死にたい!」

「もうおしまいだ!」

結構、結構。

どんどん口にしなさい。
死にたいと口にしながら、やっと人は道を這うように生きて行けるのだ。

空海にもこういう言葉がある。

「哀(かな)しいかな、悲しいかな、復(また)哀しいかな。悲しいかな、悲しいかな、重ねて悲しいかな。」


辛い、苦しいと口にするのは良い。
(むしろ、それを受容できない社会の窮屈さのほうに問題があると俺は考える)
だが、リストカットはやめておけ。
夜回り先生こと水谷修先生は、「生きたいからリストカットするのです」と話していたが、もし、失敗したら、取り返しがきかない。
第一、グロい。


毎日、毎日、泣き言を言う。
ため息を百万回吐く。
そうしながら、這うように生きて行けば良い。

そして最後に、自分を誉めてやればいい。

「よく生き抜いた」と。


これがネガティブ教です。
あなたもネガティブ教に入りませんか?






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大学受験を目指している高校生が、壁に「やるなら今しかない!」みたいな標語を書いていたりするよな。
あれを見て、やる気を出そうとしているようだ。

俺くらいの年齢になれば、「やるなら今しかない」などという陳腐な言葉では、もはや、なんの感動も起こらず、高校生のピュアーさがまぶしい次第である。

だが、しかし!

俺が高校生の頃、そんな標語を壁に張って、勉強している奴など、居なかったぞ。
その頃は、偏差値教育時代で、それなりにガリ勉君も多かったが、それでも、そんな事してる奴は少なかったと思う。
というのは、勉強なんて、やる気を絞り出して、するものじゃないからだ。

例えば、医者になりたいとする。
医者になるには、医学部に進学しなければならない。
もし、落ちたら、浪人する事になるから、何とかして現役合格しようとする。
すると、やる気が出ようが出まいが、勉強しなければならないわけだ。

重要な点なので、反復して言うが、「やる気が出ようが出まいが、やる以外に無いからやる」のだ。
何かの言葉を自分に言い聞かせて、やる気を絞り出そう、なんて考え方は最初から存在しないのだ。

また、勉強が好きな奴もいる。
わかって来ると、勉強というのは面白くなる。
面白くなれば、ゲームと同じで、どんどん、上のステージを目指すようになる。
それで、結果的にそれなりの大学に進学してしまう、なんて連中だっているわけだ。

俺の若い頃は、こういう感じのタイプしかいなかったぞ。
つまり、必要性に迫られて勉強するか、面白くて勉強するかだ。

残りの奴は、勉強しなかった。
勉強する必要も無かったし、また、勉強よりも他に好きな事があるから、勉強しなかったのだ。
それで、何の問題も無いわけだ。


考えるに、今の高校生が、壁に標語を貼り、必死にやる気を絞り出そうというのは、過度な競争社会が原因と思う。
俺の出たような三流大学では、今では就職先が無く、一流企業に就職するには、一流大学に行かねばならない。
だから、本来「平凡」な高校生までが、必死に勉強しようとする。
医者になろうとか、科学者になろうという明確な目標があるわけではなく、ただ単に、「少しでも良い企業」に就職するために勉強をする。
つまり、明確な目標もなく勉強しているから、「標語」が必要になるんだな。

また、今の社会は、全体的に標語社会になったよな。
「やるなら今しかない」みたいな標語が、いたる所にあふれている。
それも、ポジティブな言葉にあふれているな。
日本全体がポジティブ教になっている。
そのポジティブ教が、子供の世界にも及んでいるってわけだな。

だから、「やるなら今しかない」みたいな窮屈な言葉を、高校生は壁に貼り、モティベーションを高めようとしているわけだ。

だがな。
言っておくが、そういう生き方をしてると、いつかブチ切れるぞ。
紐を強く張り続けると、いつか切れるだろう?
紐は、少し、ゆるませておいたほうが、長持ちする。
そういう意味で、俺はポジティブ教ならず、ネガティブ教なのだ。

これは俺のオリジナルではなく、仏教も、中国の老子もネガティブ教なのだぞ。
だから、歴史が古いのだ。
ポジティブ教のほうが、歴史が新しい。

ネガティブ教で行くならば、「やるなら今しかない」ではなく、「無理に今やる必要はない」だ。
無理しちゃいかんのよ、何事も。


ともかく、俺が大きな声で言いたいのは、やる気が無いなら、やるな!
ただし、やる気があろうが、なかろうが、やらなければ仕方ない事は、やる気がないままにやれ。

もう一度言うぞ。

やらねばならない事は、やる気が無いままでやれ!


やる気が出ないと行動できないなんて言うのは、実に子供地味た事なんだぞ。
高校生は子供だから仕方ないけど。

あのな。
会社で働きに行くようになるとわかる。
たとえやる気がなくても、仕事をしなければならない。
それは、やる気と関係ないのだ。
それを学ぶのが「成長」なんだぞ。

やる気があるとか、無いというのは「心」の問題だ。
だが、この「心」に従ってはならない。
心に従い生きる事を「心本位」という。
だが、それでは人生はやって行けないのだ。

心の状態がどうであろうと、やるべき事をやる。
それを「仕事本位」という。

やる気がないとか、悲しいとか、苦しいか、そういうのは仕方ない。
心はコントロールできない。
だから、心のありように対しては手出し出来ないので、全面降伏する。
それで、今の心をあるがままにして、自分はやるべき事をやる。

悲しければ悲しいまま、落ち込んでいるなら落ち込んだままに、やるべき仕事をする。

役者は、親が死んでも、故郷に帰る事を許されず、舞台に立ち続けねばならない。
客席に笑顔をふりまかねばならない。
それが「仕事本位」だ。
それが社会人なのだよ。


もう一歩、踏み込んで話をする。
こんな話、今まで聴いた事ないはずだ。

やる気は出来るだけ、出さないほうがいい。
やる気が出ている時というのは、脳内エンドルフィンとか何とかいう、快感物質が出ている。
それはとても好いように思うかも知れないが、物質だから枯渇する。
つまり、いつだって、都合よく、この脳内エンドルフィンが出てくれるとは限らない。

脳内エンドルフィンに頼って、勉強や仕事をしていると、脳内エンドルフィンが出ないと、勉強や仕事が苦痛で仕方なくなる。
麻薬中毒と同じ症状だ。

要するに、標語を自分に言い聞かせ、脳内エンドルフィンを沸かせて勉強していると、もし、標語に飽きて、脳内エンドルフィンが出なくなったら、勉強がとても苦痛になる。

反対に、脳内エンドルフィンに頼らず勉強するようにしていると、「勉強が嫌で嫌で仕方ない」という状態が無くなる。
なぜならば、いつでも、嫌々勉強しているので、そういう状態に慣れるからだ。

修行僧が、掃除ばかりやらされるのは、この「やる気があろうと、なかろうと、やるべき事をやる」という姿勢を学ぶためなのだ。

人生が楽しくないから、もう死にたい、という人がいるが、もし、「人生なんて、つまらない。だが、つまらないままに生きる」という考え方で日々を過ごせば、だらだら、一生、生きてしまえる。
これがネガティブ教だ。

つまり、「勉強なんてつまらない。だから、やる気がなくて当然。やる気がない状態で勉強するのが普通だ」と思っていたほうが、勉強が手につきやすい。
勉強が持続しやすい。

だから、やる気を出すな。
できるだけやる気を出さず、やる気が出ない状態で勉強しなさい。


これは社会人が仕事をする時も同じだし、主婦が家事をやるのも同じだ。
炊事や洗濯なんてものは、めんどくさくて当然であり、めんどくさいままにやるものだ。
昔の主婦は、みなそうやって来た。
でも、最近の主婦は、「やる気が出ないから、しない」なのだ。

やる気が出ないからと言って、食事の支度もせず、子供を放置して餓死させてしまう。
それが現代の母親だ。


教員諸君がもし、生徒に「やる気の出し方」なんて話をしていたとしたら、それは間違った指導だからな。

やる気なんて必要ない。
やる気が無くても、やるべき事をやる。
それが大人だし、そういう生き方を教えるのが、「教育」なのだからな。


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これも大した内容ではない。


前回の記事に、初心者は、座禅するよりも、寝たほうが簡単だという話をしたが、寝てしまうと、それなりに時間を食う。

その点、座禅や瞑想は、意識が完全に飛んでしまうわけじゃないので、短時間で終わらせる事が出来る。

そこで、俺がこれまで、ほぼ独学で学んで来た、座禅、瞑想の方法についてレクチャーしてみたい。


ここで示すのは、真言宗の瞑想だ。
真言宗の瞑想と言っても、色々なのだが、ここでは、俺なりに、極力シンプル化したものをお伝えしたい。

真言宗では、大日如来との一体化というのが瞑想の目的となる。
大日如来とは、宇宙の生命そのものを擬人化したような存在である。
「宇宙の生命」がけったいな表現ならば、「宇宙のエネルギー」でも良い。

宇宙というのは、ビッグバン以降、ふくらみ続けていると言うが、その根本の力が大日如来であり、そして、この力は、我々の中にも宿っている。
それを自覚するというのが、真言宗の瞑想だ。


こういう事を言うと、このブログの読者の主流だろうと思われる「へこみタイプ」の人にとっては、ちょっと、とっつきにくいだろう。

だから、あんまり、大日如来とか、意識しなくても良い。
なんとなく、ふわふわと、宇宙空間の中に自分が漂っている感じを想像すればよろしい。

そうすると脱力するだろう。
その脱力感が、ここでは大事なのだ。

格好は、正座でも、椅子に座っていても良い。
手の形は、それっぽく組めばよろしい。


ここからが、本テーマである「絶望の瞑想」なのだが、これは真言宗で教えているわけではない。
空海もビックリの、桑田オリジナルだ。

ふわふわと、宇宙に漂う感じが少しでもつかめたら、次は自分に次の言葉を言い聞かせる。

「こんなもんさ。こんなもんさ。人生、こんなもんさ。人間なんて、こんなもんさ。」

「もういいよ。もういい。充分がんばった。もう、がんばるのよそう。」

「あきらめよう。ぜんぶ、きっぱり、あきらめよう。」


こういう超ネガティブな言葉を自分に言い聞かせると、自己催眠的に、すっと心の中に染み入って行く・・・安心感が。


ふつう、人は頑張ろうと思うだろうが、頑張ろうと思うと、かえって頑張れない。

マラソンランナーは、スタート前に、思いっきりリラックスする。
同じように、人生も、スタート前に、リラックスしないと走れない。

瞑想の中で力むと、かえって、がんばりが効かなくなる。
反対に、悪く言えば絶望、良く言えば現状肯定すると、精神的な緊張感がほぐれ、逆にがんばれるものだ。


実際、今の世の中の人は、何事においても過当競争で、疲れきっている。
この場合は、がんばるよりも、がんばらない、という考え方のほうが大切だと思うのである。
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怪しい本みたいなタイトルだが、内容はさほどでもない。

「理想の睡眠時間は7時間」などという医者がいるが、俺は賛成できない。
睡眠時間は、極力、たっぷり取ったほうが良いと考えている。


健康の回復には睡眠が一番である。
傷ついた細胞を修復し、免疫力を高める。

また、睡眠は混乱した頭を整理してくれる。

脳の疲れを癒し、集中力を高める。

恐怖や不安から解放させてくれる。

何かを買いたくて仕方なくなった時、衝動買いを我慢して、一晩、寝てしまうと、どうでもいいと気づかせてくれる。


右に進むべきか、左に進むべきか、迷う。
そんな時、とりあえず寝てしまう。
すると、迷いが払拭され、判断が出来る事がある。


この情報社会では、これでもかという具合に、膨大な情報が脳にインプットされる。
そのままでは、消化不良に陥り、具合が悪い。
だから、よく寝る。
すると、不要な情報は忘却され、必要な情報だけが記憶として残る。


禅宗では、「座禅」というものを勧める。
だが、多くの人にとっては、座禅をするよりも、横になって、寝てしまったほうがてっとり早い。


嫌な事があると、人は不安からジタバタして、ついつい余計な事をしてしまう。
それが事態をさらに悪化させる。
嫌な事があったら、寝て、時間をやり過ごしたほうが良い。
「果報は寝て待て」という言葉がある。
「不幸は寝過ごせ」という格言(今、作ったのだが)も、覚えておくべし。


まとまって寝る時間が、あまりとれないとしても、通勤中などの短い時間を利用し、睡眠を蓄積させて行く。

また、あまり長時間、横になっていても、眠れず、かえって苦痛に感じる事がある。
この場合は、無理に寝る必要はない。

嫌な夢を見る時は、好きな音楽を流しながら寝るようにすると良い。
寝過ぎると、嫌な夢を見やすいようだ。
寝過ぎが原因だと気づいたら、起きてしまう事。

不眠症の人は、医者の治療も必要であるが、できるだけ、ぼうっとするようにする。
脳をできるだけ、働かせないようにする。
そうするだけで、睡眠に近い、効果がある。

悩み事があれば、なかなか眠れないものだ。
だが、悩んで、頭を働かせれば、解決法が見つかるわけでもない。
神仏にすべてを託すつもりで、眠りにつけば良い。



世の中には、ゲームやらパズルやらに熱中している人がいる。
これはもったいない話だ。
集中力の無駄使いである。
集中力は勉強や仕事に費やしたほうが良い。
そして、集中力が出ない時は、睡眠である。

勉強や仕事をしていて、眠くなったら、逆らわずに寝てしまったほうが良い。
寝て起きて、再開したほうが効率が高い。



一日7時間なんて言ってないで、十時間でも、十二時間でも、許される限り、眠れば良い。
そういう贅沢が許されない人もいるだろうが、許される人は、ぜひとも実践してみてください。

なお、酒を飲むと睡眠が浅くなるので、寝酒はオススメしません。
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俺はモティベーションが低い。
一切においてやる気が無い。

しかし、俺はこれで良いと思っている。

よくあるタイプは、絶好調で、ノリノリで、ポジティブなんだが、何か一歩転落すると、急激に落ち込んで、どうしようもなくなる。
いわゆる双極型だ。

俺の場合は、うつ型だ。
常に、一定程度でうつだ。
基本、低いレベルに精神状態が置かれている為、それよりも下回る事が、ほとんど無い。

こういうタイプの人間は、ナイフで無差別に人を刺す、なんて事は無い。
最初から絶望してるからな。

最初から絶望している人間は、「希望が絶たれて自暴自棄になる」なんて事はないわけだ。


お釈迦さんの思想は、面白いので、機会があれば学んで欲しいが、これは絶望の思想だ。

人間は「生・老・病・死」の四つの苦しみを抱えて生きている。
その四つの苦しみから、どうやったら逃れられるかを、釈迦は考えて修業したのだが、結論としては、「逃れられない」。

逃れられないと受け入れる事で、苦しみは軽減されると考えた。


釈迦の悟りを表すものとして、

「一切皆苦」「諸法無常」「諸法無我」

というものがある。

「一切皆苦」とは、人生、すべからく苦しみである。

「諸法無常」とは、変化しないものはない。だから、健康は奪われ、若さも奪われ、やがては命も失われる。

「諸法無我」とは、あらゆるものは、自分の自由にはならない、という事だ。だから、愛する人も、いつか自分の元を去って行く。反対に、嫌いな人が、寄って来るという事だってある。

だから、あまりアグレッシブじゃなく生きなさい。
できるだけ、静かにしていなさい。
器に入った水を、こぼさずに歩くように、慎重に生きなさい。

というふうに、釈迦は説いた。


お釈迦さんが死んで、かなり経ってから、現世利益の思想が仏教の中に入り込んで来るが、お釈迦さん自身の思想は、このように、極めてネガティブなものだった。


どうだ。
だから、俺のように、毎日、憂鬱で、憂鬱でたまらない。
人生に希望など持てない。
少子高齢化で、日本の長期的な経済成長は見込めない。
個人的にも、あまり期待できない。

なんて考えて日々を送っている人は、お釈迦さんの教えに適っているのだから、自信を持つように!


だいたい俺は、自分自身がアグレッシブじゃないし、アグレッシブな人も苦手だ。
一緒にいると、疲れる。

共に酒を酌み交わすならば、

「怨みま~す♪」

みたいなBGMに耳を傾けながら、二人、無言でいるほうが好きだ。


あのな。

上がると、落ちるんよ。

この原則から目を背けている人が、多すぎる。

今、TVでチヤホヤされている人も、かなりの確率で、いずれ干されるんよ。


だから、ちょっと上手く行っても、喜んじゃ行けないし、逆に、ちょっと失敗しても、嘆いてはならない。

あまり上下変動せずに、静かに、静かに生きて行くのが良いんよ。

そう釈迦は説いたし、俺もそう思うのだ。



仏教について、もうちょっと詳しく知りたい人は下のwebページを読んで欲しい。
仏教の歴史と思想が、ツルンと頭の中に入る。
http://www4.ocn.ne.jp/~buddhism/meuro.html


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小説家はなぜ自らの命を絶つのか?

小説家は職業的に、どうしても物事を深く、深く考えてしまう。
特に、人生そのものをテーマとするような小説家は、人生そのものについて、深く、深く考えて行く。

だが、残念ながら、人生というのは、そんなに深くない。

そんなに深くないにも関わらず、深く、深く考えてしまうから、ノイローゼになって、自分の命を絶たざるを得ない状況になる。


結局、人間なんて、メシを食って、クソをして、寝るだけの生き物に過ぎない。

スカパーのアニマルプラネットのような動物番組に、数々の動物達が登場するが、そこには一定の共通性が見出される。

それは、成長し、交尾をし、子孫を残して死ぬ。
中には、成長の途上で食われたり、交尾に失敗して子孫を残せなかったりする者もある。

こういう動物の共通性に、人間だけが含まれないわけがない。
人間も、まったく同じ事をしている。

ただ、エサの獲得の仕方、オスとメスとのコミュニケーションの取り方が、知能の高い分だけ、若干、複雑になっているだけである。

しかしながら、基本的には、他の動物と何ら変わらない。

エサを獲得するために、他の者と争う。

メスを獲得するために、オス同士で戦いあう。
メスは、近づいて来るオスが、タイプならば交尾を許し、タイプでなければ逃げる。


いったい、どこに違いがあると言うのか?

かつて人類は、より人間らしい社会を目指し、競争なき共産主義社会を目指した事もあったが、結局、我々の選んでいるのは、格差のある自由競争社会である。

女性は別に、人格で男性を選んでいるわけではあるまい。
男性の人格うんぬん言う前に、まず、自分の人格はどうなのか?という大問題があるだろうし、いくら人格で選んだとしても、ホルモンが反応しなければ、いかんともしがたいのだ。


よって、人間社会もまた、他の動物とさほど変わらぬ、単純な社会なのである。

人生というのは、勝ち残り、生き残り、子孫を残し、適当に遊び、病気と闘い、そして死んで行く。

やさしさとか、思いやりとか、そういうものも、もちろんあるが、それは他の動物にだってある。

それは競争が過度にならない為の、一種の緩衝材である。
だが、本質は競争にあると言っても過言ではあるまい。

「いや、私は競争は好きではない」と応える者もあるだろうが、そういう人だって、動物を殺して、食っている。
直接、手を下さないだけで、他の動物との命のやりとりを行い、その競争に勝って、自分の命をつないでいるのだ。


だいたいだな。
「いけす」というのが料理屋にあって、そこに生きたカニが泳いでいる。
そのカニを、熱湯に放り込んで、それを食うのだぞ。
俺たちは。

カニの気持ちになってみそ。

冷たい水の中で泳いでいたのを、いきなり、熱湯にドボンだ。


人間というのは、このように他の動物の犠牲の上に、生きている。
だが、立場が変わるケースだって、もちろんある。
油断したら、食われる。



人生なんて、こんな感じで、たいして深くもないのに、小説家は、深く、深く人生を掘り下げようとして、それに失敗し、狂気に達して死ぬのである。

これを読んでいる人の中にも、考え過ぎて、おかしくなっている人がいるかも知れない。

だが、人生、そんな深くないんだぞ。

あなたは、「なぜ彼の気持ちは、私に近づかないのだろう?」と悩んでいるかも知れないが、あれやこれや推測している事は、ぜんぶ考え過ぎで、実は、あなたが彼の好みでなかったとか、飽きたとか、他にもっとタイプの相手がいるというのが本当の所なんだぞ。

その辺、現実をしっかり、受け止めるように!



とりあえず、俺はYoutubeを観るから。
YoutubeのAKBチャンネルをチェックするから。
そうっとしておくように。

それじゃあ!



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