真実は人を幸福にするか?

桑田義雄が、うかんだり、もぐったりするブログ


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私は、何年もかけて複数の国家資格を取得し、現在のインテリジェンスの高い職に就いた。

本記事では、私がこの職を通し、習得した、極めて高度なテクニックをご紹介したい。
これにより、みなさんのライフが快適なものとなる事は間違いない。


では、メモのご用意を。


トイレが詰まった時、みなさんはどのように対処するだろうか?
おそらく、一家に一台、カッポン、カッポンが用意されている事と思う。

しかし、多くの人は、このカッポン、カッポンを上手に使えていない。
これは、人類の英知を使いこなせていない、実に悲しい事である。

ここで、毎日のように、「相撲取りでも入ったのか?」という、BIGウ○コを除去している私が、プロのテクニックを披露したい。


カッポン、カッポンは真空状態にしないと使えない。
カッポン、カッポンと「ブツ」のすき間を真空にした状態で、引き上げると、除去する事が可能である。

真空とは、空気の無い状態。
空気の無い状態を、どうやって作るか?
単にカップを押し付けただけでは、真空状態にはならない。

真空にするには簡単である。
水を入れれば良い。

たいていは、詰まっている状態は、水が溜まっているので、そのままカップを押し付けても大丈夫なのだが、単に、ブツが引っかかっているだけで、水は流れてしまっているような場合は、まず、カップを押し付ける。
その状態で、水を流す。
すると、やがて便器のフチ、ギリギリまで水が上がって来る。
そして、あふれる寸前に、カップを引き抜く。

これで、たいていの詰まりは解消する。
(このカッポン、カッポンの技術は、洋式用のカップであっても、和式に適用できる)
これで解消しなければ、ブラシつきパイプクリーナーを使う。
業者を呼ぶよりも安く済む。
それでもダメならば、便座を外さねばならない。


だが、財布や携帯などが引っかかってない限り、たいていは、カッポンカッポンの技術で何とか対応可能だ。

注意しなければならないのは、カップを引き抜いた瞬間に、顔に水が跳ね返る事である。
私などはプロなので、跳ね返りの水を、汗をぬぐうように袖でふき取り、「ヨシ、一件落着!」の一言を発する。


子供たちもあこがれ、女性にもモッテモテのこの仕事だが、簡単にはつけない。
いくつかの国家資格を取得し、さらにサービス業のため、スマートな人間性を要求されるわけだ。


というわけで、読者のみなさんには、とてもためになる記事であったと思う。
本日より、安心して大物を放出していただきたい。


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人がうまれた時には、実に口の中に斧が生じている。人は悪口を語って、その斧によって自分自身を斬るのである。(ウダーナ・ヴァルガ)

「ブッダの真理のことば感興のことば」(岩波文庫訳)参照


上記は、釈迦の説いた言葉だが、日蓮は短く、こう表現した。


「災いは、口より出でて身を破る」(重須殿女房御返事)


他人を傷つける言葉は、必ず、自分自身をも傷つける結果を招く。
言葉使いは、実に慎重でなければならない、という事だ。


「好い言葉」と「悪い言葉」があるとするなら、「悪い言葉」とは、どういう言葉なのだろうか?
「悪い言葉」がどういう言葉かが分かれば、きっと「好い言葉」が見えて来るはずなのだ。

今、俺なりに、思いつく限りの「悪い言葉」を列挙してみる。


1.他人を侮蔑する言葉。

2.他人を嘲笑する言葉。

3.他人を威圧する言葉。

4.ウソ。

5.無責任な言葉。

6.相手の立場を考え無い言葉。

7.TPO(時間、場所、状況)に配慮しない言葉。

8.整理されない言葉。

9.よく考えない言葉。

10.相手の時間を奪うような長い言葉。

11.大声で話す言葉。

12.小さくて聞き取れない言葉。

13.考えを押し付ける言葉。

14.不確かな言葉。

15.自慢する言葉。

16.自分を偉く、賢くみせようとする言葉。

17.自己陶酔する言葉。

18.無闇に同調する言葉。

19.心にも無い言葉。

20.自分を棚に上げる言葉。

21.必要以上に言い訳する言葉。



いずれも、ちょっと思いついた事を列挙しただけであるが、だいたい、こんなところだろう。

吐いて来た、吐いて来た。
これらの言葉を。
俺自身が。。。

思えば釈迦というのは、こういう言葉を吐かないように、自分の心を整えなさい、と説いて来たわけで、それをもし、俺が誠実に実行できて来たならば、もっと俺の人間関係も、別のものになったかも知れない。


そろそろ忘年会のシーズンなのだが、居酒屋で忘年会をやっているグループには、かならず声のデカイ奴が一人いる。
大声で「俺がよ~」「俺がな~」とまくし立てている。

いわゆる、こういうタイプが、上記に列挙した「悪い言葉」を多用する人なのではないかと思う。

まず、声がデカくて話が長い、というのが特徴だ。

反対に、静かに語り(小声という意味ではない)、話が簡潔な人は、信頼に足る人物である事が多いように思える。

それは俺の偏見もある程度、含まれているかも知れないが、俺の通って来た道から見ると、このような実感を抱いている。

その実感を、もう少々、語らせてもらうならば、俺の思うような信頼に足る人物の話し方とは、


・よく考えて、静かに、明瞭に、そして端的に話す。

・時間や場所、状況に配慮し、それにそぐわない時は、話をやめる。

・相手の悩みや苦しみ、生き方を考慮し、不用意に言葉を用いない。

・相手に十、語らせて、一を返す。

・事実であっても言い訳をしない。時間が誤解を解く、という態度でいる。

・へりくだって話す。

・馬鹿にされても、いきどおらない。



実際、こうした人物を、何人か見ているが、いずれも人々から一目、置かれている。

釈迦も、新約聖書に登場するイエス・キリストも、上記のような人物である。

俺自身も、こうありたいという気持ちでやって来たが、実行できていないというのはなぜだろうか?
それは、俺の心の中に「言葉が立派でも、行動はどうなのか?」という思いがあるからなのだろう。

実際の俺は、立派な生き方は決して出来ていない。
立派な生き方が出来ていない自分と、「好い言葉」を吐こうとする自分に、ギャップを感じてしまうわけだ。

適当に、毒のある言葉を吐いていたほうが、実際の自分と一致して、安心する。

だが、それじゃあ、行けないんだよな。

「好い言葉」を吐くというのは、イコール、自分の行動を正す、という事なのだ。

まず、言葉を正しくし、それによって、行動を正す。

「始めに言葉ありき」なのだな。


静かに話そう。
自分を小さくして生きよう。

とりあえず、この辺から心がけたい。


「だれでも、自分を高くする者は低くされ、自分を低くする者は高くされます。」(新約聖書・マタイの福音書)
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データ通信を無視し、あくまでも携帯を「持つ」という視点で、最も安い業者はどこか、調べてみた。


auが一位。
ソフトバンクが二位。
ドコモが三位。

ウィルコムもあるが、ドコモと大差無かったように思う。


データ通信をする場合は、色々とやり方があるようだ。
俺の知る限り、最も安いのは、イオンが販売する通信カードを使用する方法。
最も遅い回線ならば、月千円弱で使い放題になる。


スマホを最も安く購入し、最も安い通信料に抑えると言うならば、街の携帯ショップで、型落ちしたスマホ本体が、0円位で売っているので、それを購入する。

その時、最低の料金プランで契約する。
そして、イオンの通信カードを突っ込めば、月々、2500円以内には抑えられるだろう。

スマホ本体を、最も安く売っているのは、量販店であり、直営店は比較的高いようだ。
ネットでも販売していて、ドコモなど、かなり割り引いて販売している機種もあるが、量販店で購入したほうが、圧倒的に安いはずだ。


かく言う俺は、相変わらずガラケー派である。
一往、タブレットPC的なものは持ってはいる。
ZENという会社で、5000円くらいで購入し、通信は、マクドナルドなどのスポットでしか繋がらない、例の380円のサービスだ。

家にネット環境があり、外出時は、たまに調べものを目的にネットをしたいだけなので、これで充分なのだ。


しかし、こうやって調べてみてわかったが、高いな。
スマホの最新機種など、パソコンよりも高いし、通信料も普通にパケ放題とか使っちゃうと、新聞購読するくらい、取られる。

電車で、スマホをいじっている人がいるが、何をしてるのかな?
ツイッターが多いんじゃないかと思う。
ツイッターも悪くないが、通信費をかけて、時間も費やして、その結果、ツイッターばかり、というのはどうなのかと思う。

どうせ、新聞購読するくらいの金をかけているのだから、新聞の代わりに使ってはどうか?
日本のネット社会は、ニュースサイトが充実しているので、ニュースを見てはどうか。


駅で、スマホ片手に歩いているねえちゃんとぶつかりそうになるたび、「大丈夫なのか?」と思ってしまうのである。
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今さらながらの事実として、周知されつつあるが、重ねて主張したい。
諦観はマイナス思考ではない。

諦観とは「あきらめる」という意味だ。
この「あきらめる」というのは、「明らかに観る」という意味で、仏教用語である。

「夢をあきらめる」という言葉があるが、あきらめた結果、夢を見る、という事もあり得るわけだ。

事実をよく観察し、世の中の動きと、自分の立ち位置を確認する。
この、事実の観察と、自分への客観性を失うと、とんでもない判断をする。


アイドルになりたいと思っても、結局、世の中がアイドルに求めるものが、自分にあるのか?という事である。

その会社に就職したいと思っても、その会社が求めるものを、自分が提供する事が出来るのか?という事である。


仏教では「観」という修業を行う。
これは「観察」の「観」である。
世の中の観察と、自分への観察がある。

何かに行き詰った時、この「観」こそが突破口を開く。


世の中を「観」じて行くと、あらゆる面で後退しゆくこの社会も、「そんなものさ」という気がして来る。

資本主義は熟すれば、その後、腐るというのは昔から社会主義者に指摘されて来た事であるし、経済が後退すれば、モラルも崩壊する。
貧困化し、モラル崩壊した社会に、子孫を残したいなどと思えるだろうか?

また、少ないパイを、みんなで奪い合っているのが現在の社会構造なので、格差は日々、拡大する。

1割の金持ちと9割の貧乏人という状況に近づいているわけで、そうなれば貧乏人が普通の生活を送る事が不可能になる。

こうなるべくしてこうなったわけで、わかっている人は「そんなものさ」としか思えないわけだ。


会社で人を採用するならば、若い方が有利になる。

同じ能力ならば、容姿で選択される。


「そんなものさ」と思えば、腹も立たない。
腹を立てたって、仕方ないのだ。

そんな世の中にしては行けないという警鐘は、過去より数々の知識者によって発されて来た。
だが、人々は無視して来た。

金を持っている人、有名な人を政治家に選び、人々はその人の力にすがろうとした。
だが、政治権力を持つ者は、まず第一に自分の立場を守ろうとする。

つまり、金を持っている人が政治家になると、金持ちに有利な社会になる。


庶民は賢い選択が出来ない。
賢人の言葉はむなしく過ぎ去る。
だから、「そんなものさ」としか思えない。

従って、開祖、釈迦の時代より、仏教徒は出家して、世の中との関わりを、極力遮断するように生きて来た。

これはマイナス思考ではない。
人間を知れば知るほど、その限界性、弱さに打ちひしがれる。
それは事実なのだ。


ほれた女が自分を振って、イケメンだが中身、空っぽの男とくっついた。
少しは利口な女だと思っていたのに・・・

だが、そんなものさ。


会社は自分の努力を認めてくれない。
どんなに働いても、新卒正社員だけが出世し、バイトは激務で最低賃金。
それでいて、社長はマスコミの前で、偉そうに「経営人の道」を説く。

そんなものさ・・・。


そんなものと思えば腹も立たない。

人間というのは、あなたが思うよりもずっと弱く、汚く、ずるく、そして悪い。

その弱さ、汚さ、ずるさを知れと説いたのが仏教である。


だが、捨てる神あれば、拾う神あり、という言葉もある。

審査員が女性だけのミスコンテストでは、ブスが優勝する。

女房がブスだと、上司に好かれる。


右の的ばかりを狙っていたのを、左に狙え変えた瞬間に当たる。
人生は、そんなものだ。

要するに、一つの的を、狙い過ぎてはいけないのだ。

だれか一人とか、自分の所属する会社に、人生をあずけるような事をしていけないのだ。

あらゆる可能性を、常に自分自身にプレゼンし続ける事が重要なのだ。


期待しては行けない。

期待というものは裏切られる。

だから、あらゆる可能性を見て行く事だ。


原発は必ず、またいつか事故を起す。

火力発電は、老朽化によって、軒並み、事故を起し、停止が相次ぐ事も予測できる。

公務員天国は、持続し続ける。

格差は拡大し続ける。


あらゆる負の未来予想図を見ていく。
そして、その予想図の中でも、生きて行けるように人生を設計して行く。

甘くない。

甘くないですよ、人生は。


そんなものさ・・・。

世の中って、そんなものさ。

だからこそ、おまえは、どういうふうに、生きて行くのか?
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「とらわれからの解脱」という、強迫性障害の名著がある。
強迫性障害というのは、何かが気になったら止まらなくなる、というものだ。
たとえば、手が何かに触れたら、汚染された気がして、手を洗いたくて、仕方なくなる。

この強迫性障害は実は、俺もそうであり、現在も、軽減されたとは言え、かなり悩まされている。

だが、「軽減している」というのが、かなりの成果だ。
人によっては、一生、苦しむのだ。

強迫性障害を克服するために、俺も色々、調べて来たが、結局、ある、平凡なキーワードを発見した事が、「小康状態」を維持する結果を招いた。

そのキーワードとは、「どうでもいいよぅ!」だ。

何か、心にこだわりが生じたら、「どうでもいいよぅ!」の一言で終わらせる。

これは、実際にやってみるとわかるが効果絶大だ。
南無阿弥陀佛に匹敵する、偉大なるつぶやき、なのではないかと思っている。


テレビで、ラーメン食べ歩きの特集を観てしまってから、ラーメンの事が頭から離れなくなる事がある。
こういう、食べ物への「執着」もまた、強迫性障害に似た心理だ。
この食べ物への執着が高まり過ぎると、摂食障害になる。

だから、もし、ラーメンが食べたくて仕方なくなったら、「どうでもいいよぅ!」とつぶやく。
ラーメンなどにとらわれている自分がバカバカしい。
そんなイメージだ。


また、他人に対し、腹が立って仕方ないという事もある。
これもまた、「どうでもいいよぅ!」の一言で、終わらせる。
くだらん人って、この世から消えて無くなる事は無いからな。
そんな人の事を考えている時間が、無駄だ。


この「どうでもいいよぅ!」を試してみても、もし、上手く行かないとしたら、その人は「諦観」が身について無いのだろう。
つまり、人生に希望を持っているのだ。

俺など、人生自体が「どうでもいいよぅ!」なので、一切、「どうでもいいよぅ!」で済ませられるのだ。

なにもかも、もう、「どうでもいいよぅ!」という気持ちになったら、何かにとらわれつづけるという事は無くなるのだ。
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今月から職場が変わった。
会社も職種も同じだが、前よりも密度がはるかに濃い。
責任も重い。

これで給料が変わらないというのは、なんとも言葉が無い。


俺が現在の職業を、今後も永続的に行う気は無い。
可能性はあるが、本来、やりたい事は他にある。

同一の職場にずっと居るよりは、いろんな職場を経験したほうが、スキルアップになる。

だから、ずっと今の仕事を続けるのならば、この職場変更は前向きに捉えるべきだが、「とりあえず食う為に」やっている自分としては、給料が変わらずに仕事が大変になるというのは、嫌だ。

嫌だなあ、と思いながら、新しい職場に通っている。


俺が将来、やりたいと思っているのは自営なので、失敗する可能性もある。
失敗した時に、戻って来る仕事は、やはり、現在の仕事だと思うので、キャリアアップはしておいたほうが良いかも知れない。

そういう意味では、俺にとって、まったくのマイナスではない。


しかしながら、腹が立つのは、「業務外」の仕事がある。
我々はサービス業なので、オーナーの要求に、ある程度、答えねばならない。
だが、同時に、俺たちはプロだ。
技術屋だ。
技術屋に、技術とはまったく関係の無い仕事を要求して来るという事に、とても許せないものがある。

業界自体の地位の低さもあるかも知れない。
軽く見られているのだろう。
だが、俺たちはプロだ。
例えば、売れていないからと言って、歌手にステージの掃除を要求するのは失礼だろう。

本来、会社が、「そういう業務はお請けしかねます」と言うべきところを、金になるからと、何でも引き受ける。
これに第一に腹が立つ。


まあ良い。
これも、今の俺が通らねばならぬ道である。
通って行くしかない。
通らなくても良くなったら、神は道を変えてくれるだろう。
それまでは、日々、やるべき事をやるしかない。
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