真実は人を幸福にするか?

桑田義雄が、うかんだり、もぐったりするブログ


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某女芸人と占い師の問題について、石田純一が「芸能人じゃなくても、誰でも、何かに依存したくなる時代だと思う」という内容の発言をしていた(うろ覚えですみません)。

某番組では、三十代、四十代の女性が、占い、霊能者などのオカルト、スピリチュアル系にひっかかりやすいと指摘されていた。

俺は、オカルト、スピリチュアル系を否定しない。
むしろ、俺自身がそういう思想を積極的に語っている立場である。
目に見える世界だけが、正しいわけではない。
目に見えない所に原因を探す行為が、無駄という事は決して無いと思う。


ハッキリ言えば(ハッキリ言わなくても)、すべての宗教はみな、オカルト、スピリチュアル系だ。
そこら辺にある「○○寺」「△△教会」というのは、みなオカルト、スピリチュアル系なのだ。

人が人生に煮詰まった時、そういう所に気軽に足を運び、解決できればそれが一番、良い。

だが、寺院だってお布施を要求するし、キリスト教会だって、洗礼を受けて教会員になれば、献金を要求される。

個人でやってる占い師、霊能者がいかがわしく、既成宗教はいかがわしくないという事は、決して言えない。
大宗教の信者になって、全財産を献金し、丸裸になる人物だっている。


個人の占い師、霊能者に人が足を運ぶのは、敷居が低く、親身に感じるからだ。
その行為自体が悪いとは、決して言えない。

そもそも、既成宗教がちゃんとしていれば問題は無い。
だが、既成宗教に力が無いから、個人の占い師、霊能者の需要が高まったのだ。


問題は、その占い師、霊能者を観る目である。

多額の金品を要求された時点で、「これはおかしい」と感じなければならない。

誰にでも当てはまるような事を並べ立て、「ほら、当たったでしょ?」という戦略を駆使する占い師、霊能者は詐欺だ。

最初に「大変だったわね。」「さぞ、辛かったでしょう。」「もう大丈夫ですよ。」などと言って、肩を撫でて来る。
逆に、「今まで、何をやっていたんですか!」などと威嚇して来る。
両者とも、「相手の感情に揺さぶりをかける」というマインドコントロールの手法だ。

こういう所に、気づけるようでなければならない。


また、即効性を求めようとする態度は間違っている。

例えば、恋愛に悩んでいる者が、占い師に、「この水晶の数珠を身につければ、成就します」などと言って、金を出させる。
即効性を要求するから、こういう詐欺にかかる。

簡単に解決できる問題ならば、とっくに解決できているはずだ。

根深い問題だからこそ、占い師などに頼らねばならぬハメになっているのだ。

占い師、霊能者には決して相談に行くなとは言わないが(基本的には行くな!)、最初から、出せる金の上限を自分で決めておけ。
そして、あくまでも彼らから貰えるのはアドバイスであり、結局は、自分の日々の地味な努力でしか問題は解決できないと知る事だ。


ちなみに↓は、俺のスピリチュアル系のブログである。
http://assur.sitemix.jp/

俺で良ければ、除霊、開運等、無料で、祈祷の要請を受ける。
胸を張って言えるが、まったく効果は無い。
祈祷で何とかなるなら、俺自身が何とかなっている。

誰か、俺を祈祷してくれ。

なんか悲しい気持ちになって来たので、この辺にしたい。
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リアルでも、政治を中心とする最近のニュースを話題にすると、最後には「なんか明るい話題は無いの?」という言葉が必ず付随する。
だが、今にも沈没しそうな船の上で、「なんか明るい話題は無いの?」などと口にする者がいれば、それは馬鹿だ。
沈没しそうな船の上では、不安に駆り立てられながら、必死に生き延びるためにあがくのが普通である。

気持ちは天気の如く、雨、曇り、晴れ、とあるが、人はとかく「晴れ」を求める。
そのため、娯楽を求め、お笑いを求め、人によっては宗教や自己啓発セミナーにそれを求める。

だが、気持ちが「雨」「曇り」の人は、そうなるべき環境的要因があって、そうなっているのだ。
だから、環境的要因を変えぬままに、「晴れ」を求め、仮にそれが得たれたとしても、環境は以前のままだから、またすぐに「雨」「曇り」に戻る。

非常にわかりやすい話だと思うが、いかがだろうか?


病的に気持ちが落ち込み、常に自殺願望に支配されるようならば、精神科医で抗うつ剤を処方してもらったほうが良いかも知れないが、現在の日本というドン詰まり国家では、既得権益のある身分でない限り、暗い精神状態、不安な気持ちになるほうが普通である。

暗くて不安な心理を、無理に転換させようと右往左往するよりも、暗くて不安な心理はそのままに、現実を変化させるべく努力する事なのだ。
とにかく、ひたすら、現実的努力、行動をしたほうが良い。

例えば、無職で、将来が不安ならば、就職活動するしかない。
「酒を飲んで気をまぎらわせる」などという逃避行動に出ない事だ。
音楽を聴く、というのも、基本的には逃避行動の一つである。
なぜならば、それは現実を変える努力とは異なるからだ。


では、末期のガンの苦痛のように、努力の限界に到達している場合はどうか?
それはモルヒネ等で苦痛をやわらげるしかない。
究極的には、逃避行動も許される。
俺ならば、一生懸命に観音の名を称えるだろう。


だが、救われる道がまだあるならば、それは現実的努力をしたほうが良い。
不安のままに前進せよ。
たとえ、直接的には解決しなくても、出来る事から着手する。

心は曇ったままで良し。
もちろん、雨でも嵐でも構わない。
そのまま受け容れ、その不快感にひたすら耐えつつ、出来る限りの努力をする。


政治は混迷化している。
正しいリーダーも見出せない。
若年から老年まで、モラルハザードが起きている。
明るい話題など、無くて当然。

無理に明るい話題を見つけるよりも、暗闇を見つめ、解決の糸口を探るほうが良い。
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女性単身生活者の三人に一人が貧困である、というテーマで、先日、ラジオ番組が放送されていた。
(この女性単身生活者の中には老人も含まれる)
問題提起としては良いのだが、最も肝心な点が指摘されてなかった。

統計的には良く、わからないが、確かに俺の周囲にも貧困の一人暮らしの女性は多い。
夫と死に別れた高齢者が貧困なのは当然なのだが、若い女性なのに、貧乏一人暮らしが目立つようになった、という事だ。

以前、「貧乏は正しい」という本が出版され、「若い男が貧乏なのは正しいが、若い女が貧乏なのは正しくない」という内容の記述があった。
その本の出版は、十数年前だが、豊かなその時代は、若い女性は社会的に保護され、貧乏一人暮らしというケースは少なかった。

誤解していただきたくないのは、「社会的に保護され」というのは、必ずしも、女性の労働賃金が高かった、という意味ではない。
若い女性は守らねばならぬ、という社会的気運が高かった。
従って、親が守るなり、恋人が守るなりして、若い女性が貧乏一人暮らしにおちいる事を、許さなかった。

もちろん、当時も、そういう「社会的気運」の恩恵にあずかる事の出来ない女性もいた。
だが、今よりははるかに、女性は保護されていた。
だから、「若い男が貧乏なのは正しいが、若い女が貧乏なのは正しくない」という事が述べられたのだ。


「神様、仏様、女様」という風潮は、現在でも見受けられるが、バブルの時代は極端だった。
アッシー君(車で送り迎えをする)、メッシー君(食事をおごる)の時代である。
クリスマスイブは、男たちは高級ホテルを予約し、姫をお迎えする。
悪い女は、クリスマスイブを掛け持ちする。

「レディースデー」なるものも、極めて多かった。

男女が食事すれば、男がおごるのが当然だった。

「ブルセラブーム」と言って、女子校生は下着や汚物を金に替えた。

英国の「レディーファースト」のように露骨ではなくても、日本でも、電車、エレベーターの乗り降り等の行動でも、女性は配慮されていた(なぜか当人は気づかないが)。


無論、容姿の絡みもあるが、若い女というだけで過大なる価値が付与され、さまざまな恩恵にあずかる事が出来た。

労働面でも、女性は転勤、残業、重労働を免れる事が出来た。
簿記とワープロさえ出来れば、派遣社員として登録し、時給二千円貰えた。
ただし、結婚後の復職は難しく、従って、管理職として採用される事も、あまりなかった。

現在は、「ジェンダー」なる運動のおかげで、女性も出世が可能になったが、女性であっても、残業させられ、重労働からも逃げられないようになった。


現在は、なにせ、世の中が貧乏になった。
社会全体に金が回らなくなった。
だから、女性のみならず、男性もみな、低賃金である。

低賃金なのだから、一人暮らしの女性は生活が苦しくなるし、親も恋人も援助できない。


そして、結婚率が低くなっている。
昔は、お互いに貧乏だから結婚した。
一人暮らしではやって行けなくても、二人で暮らせば、家財道具も共有でき、家賃の負担も軽減される。
食費も、二人分作ったほうが、安く済む。
何より、精神的に支えられる。
だから、結婚すれば、貧乏になる確率が低くなるのだ。

ラジオの中では、「結婚しないから貧乏なのではなく、貧乏だから結婚できないのだ」というリスナーからの指摘があった。

俺は、これは「ニワトリが先か、卵が先か」の問題だと思う。
要は悪循環だ。


ここでは、結婚率低下についての俺の考えを述べる。
俺は以前から、「日本人は、悪い意味でも素直になり過ぎた」と語って来た。

「イケメン」なる単語は、ここ数年、流行って来たが、昔の女性は、男の容姿について口にすると、品位を疑われた。
昔と言っても、俺の子供の頃の話だ。
その頃は、まだ、そんな風土があったのだ。

無論、昔から女性は美男子好きである。
それは女性マンガを見れば、よくわかる。
昔の「リボン」とか言う女性漫画でも、出てくる男は、日本人には見えない、やせた、そして白人のような顔だった。

ただ、どんなに面食いでも、女性はそれを口にしなかった。
「思っても口にしない」というのは重要で、口にしない事が、社会がそっちの方向にすべり落ちる歯止めになった。

男だって、「顔がいまいちな女ほど、心は美しいものよ」と、心にも無い言葉をしょっちゅう、発していた。
無論、嘘だが、嘘でも、そういう言葉を発し合う事で、容姿に恵まれない女性は精神的に救われた。
そればかりではなく、「顔がいまいちな女ほど、心は美しいものよ」という言葉のおかげで、どんな女性もお見合いする事が出来た。
そして、会うと、男も、顔以外の美点を女性に見出そうと努力するものだ。


悪い意味でも、正直になった現代人は、「ブスは僻みっぽく、性格がひねくれている事が多い。美人は愛されて育ったから、素直な可愛い性格の人が多い」などと、平気で口にしてしまう。
こうなれば、容姿に恵まれずに生まれた人は、窮地に立たされる。

また、昔は男が年上、女が年下のカップルが普通だったが、今は、女も「年下の彼」を狙うようになった。
そりゃ、若いほうが好きなのは、男も女も同じだから。
だが、男も女も互いに年下を狙えば、どうなっちゃうのか?

夫婦別姓問題が生まれてから、結婚し、女性が男性の姓を名乗る事に躊躇するようになったのも、結婚率低下の一つの要因であろうと思う。
女性が男性の姓を名乗る事を、「敗北」のように感じるわけだ。

また、女性が若くてキレイなうちは、チヤホヤされるが、いずれ、人気が下がるのは当然の事。
若くてキレイなうちに、結婚も忘れて遊びまくり、結婚したくなった頃には、容姿が劣って、男に相手にされなくなった、などというケースもかなり多いと思う。


以上のような事が、俺の考える結婚率低下の原因だ。
ラジオでは、「結婚しても生活の維持しにくい社会環境」という点が指摘されていたが、戦後の高度成長期以前の日本では、そういう社会環境だからこそ、結婚したのだ。
行政が頼りにならないから、結婚し、夫婦が助け合って、生き延びる事を考えたのだ。
福祉も何も無いからこそ結婚した。
子供が出来ても、何とかなったのだ。
いざとなれば、隣から米を借りてでも、生活したのだ。

アフリカ人のたくましさを見よ。
難民でも子供を生む。

上を見すぎるから、おかしくなるのではないか?
公務員などという、ブルジョア階級の生活水準を望むから、戸惑うのではないか?

俺の祖父母の時代など、子沢山なのに、夫婦、力を合わせて働き、子供を育てたし、実際に育った。
その貧困時代が、今、再来しているのだ。
そして、それが人間社会としては、ふつうなのだと思えば、考え方も変化すると思う。

現代日本人の生活水準へのイメージが、高過ぎるのである。
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真実は人を幸福にするか?



「女性芸人が自称霊能者にマインドコントロールされている」という内容のニュースが最近、連日報道されていた。

マインドコントロールというものは、我が国においては、学術的にも法的にも定義されているわけではない。
宗教と密接な政党が存在する以上、それを定義付ける事は、我が国では不可能だからだ。

カルト宗教被害者救済の団体というものも、一部、存在するが、それとて、国家の公認のものではない。
その団体をAと呼ぶと、A団体の理事には、宗教団体関係者が存在する。

その理事の所属する宗教団体がカルトではなく、オームやエホバがカルトであるという事が、果たして明確に言えるのか?
日本基督教団が正常な宗教であり、統一協会がカルトでは無いと、ハッキリと言えるのか?
日本基督教団のほとんどの教会は、十分の一献金と言って、信者の年収の十分の一を寄付させる。
「寄付しないものは泥棒である」的な指導も行っている。
年収の十分の一など、創価学会ですら要求されない。

カトリック教会では神父が信者をレイプしている。

また、日蓮宗がまともな宗教で、創価学会がカルトであると、どこで判断するのか?
日蓮宗だって、檀家になれば、なんだかんだとお金を要求する。
へたすりゃ、創価学会以上にお金がかかるのだ。
だいたい、日蓮の教義、そのものが狂気に陥っていると考える者も少なくないのだ。

A団体は、カルト宗教のパターンをいくつか容易し、そのパターンに該当したら、カルトと認定するようだ。
だが、そんなパターンなど、ほとんどの宗教に当てはまってしまうだろう。

問題なのは、A団体の会員が、「脱会カウンセリング」と称して、金を取る事である。
それは少額かも知れないが、結局、宗教を金儲けの道具に使っているという事なのだ。


俺は、カルトかどうかを見分ける明確な方法は無いと考えている。
当人や周囲の人にとって、カルトかどうか、という事がポイントだと考える。

たとえば、百万円で数珠を買ったとする。
たいていの人は、そんなものを売る宗教は、カルトだと思う。
だが、本人(父親)の子供がガンに侵されており、それを救えると信じて数珠を買ったのだとしよう。
この場合、その行為が悪いと、断言できるか?

宗教というものは、未知なのだ。
外見がどんなに珍妙であれ、正しいか、間違っているかなど、誰にもわからないのだ。
その百万円の数珠で、もしかしたら、子供が救えるかも知れないのだ。
そんな事、誰にもわからないのだ。

「俺は君が騙されてると思う」程度の事しか、言えないのだ。

人間に出来る努力には限界がある。
もし、災害で生き埋めになったら、誰だって神に祈るだろう。
人はギリギリまで追い込まれたら神に祈る。
そういう事を否定する資格のある者は、どこにもいない。

百万円の数珠を買っても、誰も迷惑しないならば、それは父親である本人の自由なのだ。
だが、父親が百万円の数珠を買う事で、周囲の誰かが迷惑するかも知れない。
例えば、妻(子供にとっては母親)だ。
その場合、妻にとって、その宗教はカルトである。

その子供は、結局、助からなかったとする。
そこで、父親は「やられた!」と思う。
その時、その父親にとって、その宗教はカルトになったのだ。


本人にも誰にも迷惑がかからず、本人も疑わない状態ならば、それはカルトであると、他人が断言できるものではない。


俺など、イスラム教など、カルトであると、言ってしまっているけど、それはあくまでも俺の主観に過ぎない。
客観的判断基準は無いのだ。


じゃあ、どうすれば、カルト被害者を救えるのか?
自称霊能者に寄生されている者を、どうやって救済できる?
本人の目が覚めるまで、放置するしかない。

だが、それまで何も出来ないわけではない。
本人は、自分が客観化出来ていないのだ。
客観化させてやればいい。
こういう言い方をする。

「ある自称霊能者がいて、神のお告げとやらで、毎晩、ホテルに一食一万円の肉料理を霊能者におごり続けている者がいたとしたら、どう思う?」

「過去に占ったという有名人、政治家の名前をずらずらと並べ立てて、近づいて来る自称霊能者がいたら、君はどう感じる?」

「自称霊能者に毎日、べったりくっついて、言う通りに行動しているのに、ちっとも人生が好転しない。それどころか、暗転している人がいたら、君はどう思う?」

これは、あきらかに、その人自身の事であり、当人もそれは気づく。
だから、強烈な反発を受ける。
憎しみを受ける。
だが、これは本人が避けて来た、自分自身の客観化なのだ。
客観化する事で、動揺する。
怒るのは、その証拠である。
このようにしておけば、マインドコントロールから解放されるのも早いのだ。

そして、最後に一言だけ、付け加えておくと良い。

「俺はいつでも相談に乗るよ。」


世の中には、「宗教そのものがカルトである。マインドコントロールである」と一刀両断にして来る者もいる。
そうならば、日々、神仏を拝み、金を取る事をしないまでも、ブログで信仰を語る者もまたカルトである。

確かに、一円も金を取らなくても、有害な宗教観というものもある。
たとえば、「今年じゅうに地球は滅ぶ。神に帰依して、自ら命を絶つしか、救いの道は無い」など。

だから、金を取るか取らないか?団体か個人か?というのは、あまり関係無いかも知れない。
問題は中身を見て、自分で判断するしかない。
結局、自身の良識を普段からいかに高めるか?
いかに冷静さを保てるかに限る。

宗教や未知の話を聞いたら、有害にならない程度に入って行って、恐怖心を微塵でも感じたら、止める事である。

宗教は恐い。
気をつけるべし。
というわけで、桑田教でも広めようっと!


↓音声で、俺がマインドコントロールについて語っています。
http://poyoyoken.seesaa.net/article/252000917.html
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真実は人を幸福にするか?真実は人を幸福にするか?




今日はバレンタインデーですね。

心浮き立つ思いの人も、いらっしゃると思いますが、あえてこの記事を書きます。

チョコレートの原料であるカカオは、アフリカの子供たちの強制労働によって作られている事を知っていますか?

子供たちは、人身売買等により、カカオ農園で働かされます。
子供はカカオの木によじ登り、顔の大きさほどもある、カカオの実をひねり落とし、別の子供が、それを拾い集めます。
もちろん、学校にも通えません。
そしてこの子たちは、チョコレートを口にした事がありません。
カカオが何になるのかを知らないのです。

参照↓
http://acejapan.org/modules/tinyd8/


バレンタインデーという、この風習は、間違いなく、チョコレートメーカーによる戦略です。
まんまと、我々は、それに乗せられているわけです。
一粒、何百円もするようなチョコレートをデパートで買い求める女性。
いったい、どんな富豪なのでしょうか?


とは言え、バレンタインデーを否定するわけではありません。
物事には、明と暗の両面があり、暗にこそ、重要な意味がある事を知っていただきたかったのです。


今回も、本田憲嵩さんの詩を掲載します。




 「復讐のバレンタイン」

                  作:本田憲嵩

湿潤のさなか
殴打されることは
もはや生活の一部で
赤道付近のプランテーションで
朝から晩まで
その小さな背中に
重いカカオの袋を担がされる
奴隷にされた、
子供たち

あるいは
高い木によじ登って
足元をぐらつかせながら
硬い実のヘタを渾身の力で
捩じ切る
黒い小さな手

ある子供は攫われて
またある子供は身売りをされて
学校にも行かせて貰えず
報酬さえほとんど出ないことも知らずに
騙された
チョコレート色の肌をした、
子供たち

「カカオの実、何になるのか知ってる?」
「知らなーい、ミルクじゃない?」

「大人になったら、白人の国にいっていっぱいおカネを稼いで、お母さんに仕送りしてあ
げるんだ」

彼らはチョコレートを知らない
自分たちの運んでいるカカオの袋が、
チョコレートの原料だという事を知らない

われわれは努めて知ろうとはしない
そして、これからも努めて
見ようとはしないだろう
自分たちの食べているチョコレートのことを
子供たちの犠牲のもとに
精製されている
という事実を

彼らの甘いチョコレートは、我々の口へと運ばれて、その甘ったるさの残る舌根からは、やがて甘ったるいラブソングや詩がいくつも生まれるだろう。それは根拠のない甘言となるだろう。やがて、それらの甘ったるい言葉たちが、嘘だったと我々が身をもって思い知らされる、そのとき、子供たちの甘い復讐はついに成し遂げられるだろう。
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YouTubeはじめたと言っても、別に面白い動画をUPするわけではありません。

これまで、ずっとポッドキャスト番組をやって来ているわけですが、ポッドキャストというメディア自体が下火となり、アクセス件数に疑念を持つようになりました。

やはり、人の集まるところに媒体を持たねば、という事で、YouTubeに音声を上げる事にしたわけです。

とは言え、あくまでも、従来通り、今後もポッドキャストがメインであり、YouTubeは気の向いた時に、アップしようかと考えています。

YouTubeにUPした音声は、必ずポッドキャストにも上がっておりますので、ポッドキャストをお聴きいただいている方は、別にYouTubeをチェックしていただく必要はありません。

俺のYouTubeのチャンネルは↓です。
http://www.youtube.com/user/kuwatayoshio?feature=mhee
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俺の所見を述べる。

区役所の保護課は、相談に来た姉に対し、「どうしますか?」と確認したと言う。
この「どうしますか?」という言葉は、区役所側は、「生活保護を受けますか?」という意味だったと説明するが、本人(姉)は、そのように受け取ったかどうかはわからない。
「どうしますか?」は極めて曖昧な言葉である。
この言葉使いに、役所の不親切性を感じる。

また、役所側は、「本人の申請が無い以上、生活保護の手続きに入れない」と弁明している。
しかし、生活保護法の第七条に、このようにある。

第7条 保護は、要保護者、その扶養義務者又はその他の同居の親族の申請に基いて開始するものとする。但し、要保護者が急迫した状況にあるときは、保護の申請がなくても、必要な保護を行うことができる

この姉妹の生活が急迫した状況に置かれていた事は明らかであり、この場合、姉側からの明確な申請が無いとしても、職員は積極的に、生活保護を受けさせるように、働きかけるべきだったのではないか?

本日、HBC(北海道放送)のニュース番組で、リポーターが白石区役所の保護課長にインタビューしていた。
若い女性のリポーターだが、その時の質問が、実に素晴らしかった。


リポーター「今度、同じような人が相談に来たら、どうしますか?今回と同じように対応しますか?」

保護課長「同じような人ですか・・・」

リポーター「来ないとは、限りませんよね?」

保護課長「・・・」



札幌市職員は、生活保護に相談に来た人に対し、税金にたかるシロアリを見るような目で見る。
だが、自分達こそが、大物のシロアリである事を認識して欲しい。
君達、公務員は、一生、生活保護を受けているようなものだ。

また、相談者のプライバシーを尊重せよ。
保護課はオープンな窓口のために、相談内容が他人に聞かれてしまう。
生活保護を受けたいと思っても、その言葉をなかなか発しにくい空間である。
わざとそうしているのだろうが、それは非人道的である。

生活保護の受給を考えている人は、まず、「もやい」のような組織に相談したほうが良い。
申請の仕方にもコツが必要である。
http://www.moyai.net/

障害者の孤立死が多い。
結婚できる確率の低い障害者は、孤立しやすい。
行政として、障害者に対し、最大限の支援が必要である。


姉も、もちろん気の毒であるが、妹が不憫でならない。
最後に打った「111」の番号が、哀れでならない。

凍死するほど寒い、というのは、想像を絶する。
姉が死に、助けを求める知恵も無く、ただベッドの上で、泣きながら寒さに震えていた妹が哀れである。

札幌市職員は、来年度のボーナスは全額返上せよ。
人の心があるならば、それくらいの事をせねば、気が済まないはずだ。
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先ほどの毎日新聞の記述では不十分なので、俺の記憶にある事を述べる。
時間の無い中での記述なので、誤解があるかも知れない。
間違いがあれば、ご指摘願いたい。


姉は妹の自立を望んでいたようだ。
それで、自分ひとり、札幌に出て来た。
滝川市に残された妹は、最初は勤勉に、クリーニングの仕事を続けていたが、一人の孤独なのか、そのうち、仕事に出てこなくなり、引きこもり状態となった。

妹は姉を頼り、札幌に出て、姉と同居生活を始めた。
姉は医療器具販売の仕事をしていたが、妹の面倒を見るため、仕事をやめた。
その後は、妹の障害年金が、二人の生活を支えた。

姉は、妹の世話と両立できるような仕事を探したが、なかなか見つからなかった。
職業訓練(生活費の出る基金訓練か?)も受けていたようだ。

姉は生活費に窮した時、区役所の保護課に相談に行った。
その回数は、合計、三回にわたる。

二回目の時は、一週間分の生活費が無いと訴えた。
その際、役所側は非常用パン14缶を渡した。
(職員は、パンだけで生活できると思ったのか?)

三回目の相談の時、「どうしますか?」と職員が保護を促すと、「書類を準備してまた来る」と姉は言って帰った。

姉は具合が悪くなり、救急車で運ばれた。
その後、回復するも、自宅でまた倒れ(脳内血腫)、そのまま絶命した。

ガス止まっていた為、妹は暖房を使えず、布団の中で凍死した。
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以下、すべて毎日新聞Web版より引用


探’12:札幌・姉妹2遺体発見、きょう1週間 悔やむ女性相談員、「あと一歩」踏み出せず /北海道

毎日新聞 1月27日(金)11時45分配信

 ◇縦割り行政弊害指摘も

 札幌市白石区の無職、佐野湖未枝(こずえ)さん(42)と知的障害のある妹恵さん(40)の遺体が自宅マンションで発見されてから27日で1週間。湖未枝さんは恵さんが入所できる施設探しに奔走しながら、自らの職も探したが、生活再建の願いは結実しないままの悲劇となった。湖未枝さんは、自立した生活を目指したいとの意思を示し、生活保護には迷いがあったようだ。妹の事情を酌みながら、行政や福祉の担当者はなぜ「あと一歩」踏み出して後押しできなかったのか。関係者の証言から経緯を振り返る。【佐藤心哉、中川紗矢子】

 ■介入できれば…

 「ただ今から着信試験を行います」。昨年12月20日午後9時過ぎ、助けを求め、携帯電話を握り締めた恵さんに聞こえたのは、回線接続試験を告げる録音の女性の声だったはずだ。2人の死後、部屋で見つかった携帯の発信履歴に「111」が残っていた。この番号を押すと流れるのが、恵さんには何の意味もない案内だ。
 電話したかったのは110番か、119番か。この時、料金滞納でガスが止まり、寝室ではフリースとジャンパーを着込んだ湖未枝さんが脳内血腫で既に死亡していたかもしれない。恵さんもやがて凍死した。姉妹の遺体が発見されたのはちょうど1カ月後だった。
 姉妹は滝川市生まれ。親族によると、両親は84年ごろ死去した。湖未枝さんの相談を受けていた札幌市の知的障害者施設の女性相談員によると、湖未枝さんは04年ごろ札幌に転居し、スーパーで働いた。恵さんは滝川に残ったが、07年に入院したのをきっかけに札幌で同居を始めた。今は故人となった伯父を保証人に、白石区で2LDKを借りた。
 姉妹は相談員に紹介され、クリーニングなどを行う障害者施設3カ所を回ったが、恵さんは「頭がフラフラする。もういいです」と拒んだ。09年秋、湖未枝さんは相談員に「頭が痛くて起き上がれない」と電話した。このころ、湖未枝さんは脳神経外科を受診。間もなく勤務先を退職。収入は恵さんの障害年金、月約7万円だけとなった。
 10年6月、区役所の生活相談窓口を訪れ、11年6月には生活保護申請の必要書類を聞いたが、申請しなかった。相談員は数カ月に1回、湖未枝さんの携帯を鳴らした。「今、職探しでバタバタしています」。4月にあわただしく言ったきり、電話に出ず、かかっても来なくなった。
 湖未枝さんは生活改善を目指しながらも、生活保護など支援を受けるのにはためらいを繰り返したようにも見える。相談員は「あと一歩」積極的に相談に乗れなかったことを悔やむ。「連絡が取れなくなり、亡くなる知的障害者は多い。当事者に断られた時、押しかけるような強制力を誰も持っていない。このままでは同じ事態が避けられない」

 ■「横の連携必要」

 行政にも「あと一歩」がなかった。湖未枝さんは区役所を3回訪れたが、区役所側は湖未枝さんに生活保護を積極的に勧めることはなかった。市保護指導課の中村武信課長は「申請の意思を固めた方を帰すことはない。申請すれば、民生委員に連絡するなどの対応ができたので我々も悔しい」と話す。
 これに対し、地域で暮らす障害者支援の先進的取り組みで知られる長崎県雲仙市の社会福祉法人「南高愛隣会」の田島良昭理事長は、生活保護だけでなく、特別な事情がある妹のケアも視野に「他の担当課と横の連携を取り、見守り体制を築くべきだった。縦割り行政でなければ防げた悲劇」と指摘する。
 市は、障害者の情報を組織を横断して共有し、連携した対応ができるような改善策を検討しており、週明けにも発表する方針だ。

………………………………………………………………………………………………………
 ■札幌市の姉妹孤立死の経緯■
04年ごろ    姉が札幌に転居。妹は滝川市で1人暮らし
07年ごろ    妹が体調を崩し、札幌で姉と同居始める
09年秋     姉が勤務先を退職
10年6月    姉が白石区役所に生活保護の相談
11年6月    姉が3回目の相談。生活保護申請の意向を示すが、その場では申請せず
  11月30日 料金滞納で自宅のガス止まる
  12月15日 滞納家賃を振り込む
  12月20日 携帯電話に「111」発信履歴。このころ、姉が脳内血腫で急死か。その後、妹が凍死
12年1月20日 2人の遺体発見

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