真実は人を幸福にするか?

桑田義雄が、うかんだり、もぐったりするブログ


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今日も、読み応え満載の記事をお送りしたい。

まず、この「どうしてテレビはつまらなくなったか?」というタイトルに異論を感じる人もいるだろう。
テレビというのは、昔から、つまらなかった。
いや、昔のほうが、つまらなかったかも知れない。
昔の芸人の漫才やコントをたまにプレイバック放送するが、実につまらない。
芸が無い。
それに比べ、今の芸人のほうが洗練されている。
もちろん、どうにもならないヤツのほうが多いわけだが。

ドラマも、昔のメロドラマなど、観てられんぞ、退屈で。

演歌とか、音楽として、ぜんぜん、ダメじゃん。
中には、いいのもあるけど。
(俺も演歌業界にちょっとだけ居た事あるので恐縮です)


でも、昔よりも、今のほうが、テレビがつまらなくなったのはなぜか?
それは、今は、テレビよりも面白いものが増えて来たからだ。
というより、テレビよりも関心の高いものが増えて来た。

テレビが普及したのは高度成長期だ。
娯楽の数が少ない中で、テレビは実に有効な退屈しのぎだった。
別に、番組の内容など、何でもよかった。
アフリカの大平原で、ライオンがシカを追いかけている姿を放映するだけで、人々は興奮した。
そんなの今まで、見た事ないし。

だいたい、その頃の人々は幸福だった。
裕福だったから。
正確には、みんな貧乏だった。
みんなが貧乏だったから、みんな裕福に感じた。
わかるかな?このニュアンス。

みんなで同じ給食を食べると、誰もみじめな思いをしないでしょ?
コッペパンと牛乳とおかず一品だけでも、ぜいたくに感じたでしょ?


誰もが精神的に豊かさを感じていたから、犯罪も起こらなかった。
平和な社会、まさに「三丁目の夕日」の世界だった。
古き良き昭和中期。

だから、サスペンスドラマとか、メロドラマとか、面白かった。
現実には、なかなか起こらない事をドラマの中で体験できたから。
でも、今って、バラバラ殺人とか、不倫とか、日常的に起こる。
ドラマのほうが陳腐なのよ。
現実のほうが、恐ろしいのよ。

だって、テレビではあまり言わない(言えない)けど、放射能の影響は確実にあるわけです。
放射能って、遺伝子を変化させるわけですよ。
そうなると、今の若い人が子供を生んだ時の心配もある。
自分自身だって、あと、数年後、なんらかの病気になる場合もある。
だって、「直ちに影響はない」って、政府や東電は言ってるでしょ?
それって、遠まわしに、「やがて影響が出てくる」って意味だから。


こうやって、日本中が民族的危機にさらされている中で、テレビなんて、喜んで観てられませんよ。
それどころじゃないでしょ?


テレビよりも、ネットのほうが面白いってのもありますよ。
ネットは参加できるからね。
2ちゃんねるとか、自分が発言できる。
それに対する反応も返って来る。

mixi、Twitter、アメブロなどのソーシャルネットーワークサービスだと、個人的な知り合いまで作れちゃうわけでしょ?
自分が看護師ならば、全国の看護師と知り合いになって、情報交換できる。
テレビで、つまらないコント観るよりも、時間が有効に使えます。
現に、みんな、テレビを観ないで、このブログを読んでいる。


テレビがホンネトークしなくなったってのもあります。
昔は、幾分、ホンネトークできたんですよ。
スポンサーも寛容だった。
でも、今、スポンサーや視聴者がうるさくなった。
ちょっと、突っ込んだ発言をすると、視聴者やスポンサーからのクレーム対応で大変になる。
それで、無難な番組しか作れなくなった。
突っ込んだ発言をしてる番組って、やしきたかじんの出演している、「そこまで言って委員会」(よみうりテレビ)くらいでしょ?今。
ちなみに、ラジオだとTBSが比較的、面白いかな?
まあ、TBSラジオは、創価学会が金、メチャメチャ出してるんで、創価学会批判だけはダブーなんでしょうけど。。。


今、NHKで一般人参加の討論番組やってるわけですよ。
今後の電力はどうすべきなのか?って番組。
何時間もかけて。
そんなの、目新しい意見なんて、出るわけないじゃん。
現段階で持ってる意見なんて、誰だって同じに決まってるじゃん。

こういう番組を企画するってのは、頭が悪いんですよ。
NHKだからね、公務員なわけですよ。
企画を失敗させても、給料下がったりしないもんね。
痛くも、痒くもない。

これって、民間放送局も同じなんです。
テレビ局の正社員なんて、公務員と待遇同じでしょ?
公務員みたいなもんなんですよ。
新しい放送局が参入できない仕組みを構築しているから、テレビ局なんて、潰れないわけです。
視聴率が下がると、スポンサーがつきにくくなるから、プロデューサーの成績に関わって来るけど、だからと言って、クビになるわけじゃない。
せいぜい、ゴールデン担当から深夜担当に変更されるくらい。
よっぽどでも、制作部から事業部への移動とかね。

こういう、テレビマンの公務員化も、企画を保守的にさせてしまう要因なんです。


じゃあ、どうすりゃ、もっとテレビが面白くなるかって言うと、今は、新規にテレビ局が作れない体制になっているので、規制緩和し、作れるようにする。
たとえば、「2ちゃんねるテレビ」とか「ニコニコテレビ」とか「アメーバテレビ」みたいなテレビ局を作る。

番組内容は、素人中心。
素人が集まって、討論する。
そこだけ見ると、今、NHKがやってるのと同じだけど、トークのテーマが違う。
ちょっと、思い浮かんだものを並べてみましょう。

「長期失業、もう食えない、誰か助けて!」

「なんで底辺労働者は政治家になれないの?」

「看護師、過労死寸前。患者よりも先に逝きそう!」

「職場でセクハラされてます・・・」(目隠しトークで)

「職場でパワハラされてます・・・」(同じく目隠しトークで)

「俺たち勝ち組。格差万歳!」

「カルト宗教の被害」

「精神科医は薬物マフィアか?」

「死にたい」(参加者が、それぞれ、死にたい理由を語る)

「私の嫌いな芸能人」(参加者が嫌いな芸能人とその理由を語る)

「もう、仕事やめたい」(目隠しトーク)

「生活保護受給者の現実」

「もう、家族の介護はゴメンです!」

「新卒で就職できなかった大学生。今、何やってる?」

「企業の採用担当者。ぶっちゃけ、何を基準に採用してる?」(目隠しトーク)

「世の中への不満、ぶちまけ大会」

無限に、出て来ます。
そうです。
2ちゃんねるのスレッドにあるようなものをネタにすればいいだけなのです。


堀江貴文って、こういうのやろうと思ったんだよな。
もちろん、新しいテレビ局は作れない体制だから、フジテレビを買収しようとした。

フジテレビって言うと、こんな事件が最近、あった。


  女優・宮崎あおいの夫で俳優の高岡蒼甫が自身のTwitterで堂々と
  フジテレビ批判を繰り広げ、話題を呼んでいる。

   23日、高岡は突如
  「正直、お世話になった事も多々あるけど8は今マジで見ない。
  韓国のTV局かと思う事もしばしば。しーばしーば。
  うちら日本人は日本の伝統番組求めてますけど。
  取り合えず韓国ネタ出て来たら消してます^^ ぐっばい。」
  と発言したのだ。

  (日刊サイゾーより)


高岡蒼甫は別に、ふつうの事を言っただけだと思う。
この前だって、どっかの女優がふつうの事をTwitterで発言しただけで問題になったよな。

フジテレビが番組制作する意欲を見せず、安易に韓国から番組を輸入するという姿勢に対し、素直な怒りを表現したに過ぎない。
別に、鋭い意見でも何でも無い。
誰だって、感じている事だ。
なのにタレントというだけで、なぜ、高岡蒼甫は悪者にされる?
事務所をクビになっちゃうの?

女房の宮崎あおいの事務所にまで、高岡蒼甫発言に対する抗議が来ているそうだ。
ここまで来ると、もう、異常でしょう。

「言論の自由」「思想の自由」「表現の自由」ってのは憲法で保障されていて、当然、芸能人にも適用される。
もちろん、モラルの問題もあるけど、これくらいの発言、何かモラルを逸脱してますか?

事務所としては、自分トコのタレントが、フジテレビに喧嘩売ったんだから大変でしょう。
でも、それは、そういうキャラって事にしちゃったほうがいいんじゃないの?
どうせ、この人、売れない役者でしょう。
いっそ、毒舌キャラに仕立てたほうが、いいと思うよ。

CXには「すみません。高岡は今後、こういうキャラで行く予定なんです」って言っておけばいいんだって。
それで怒るようなら、そんな尻の穴の小さいテレビ局と、付き合わなくてもいいじゃん。
たかが、Twitterの発言だぜ。

逆に、テレビ局のほうが、特定の芸能プロダクションやタレントを神のように扱うところもある。
TBSはジャニーズ事務所を重宝し過ぎている。
ジャニーズ事務所を敵に回すと、TBSに出演できなくなるくらいに。

関連する話として、芸能界にも創価学会勢力がいて、一定の力を持っている。
久本雅美のように、タレントの立場の人もいれば、番組制作者の立場の人もいる。
一定の力があるものだから、番組出演させてもらうために、創価学会に入会するタレントもいる始末だ。
最近、あまりにも、異常なものだから、テレビ業界も自粛して、テレビ界における創価勢力は相当、弱まった感じがするが。


こんなこんなで、単に、人々の関心が他に移ったという理由以外にも、実際にも、テレビ局が斬新な番組作りが出来ず、また、一般視聴者と遊離してしまって、面白くなくなった、という面があるのだ。

これ以上、ウダウダ書いても、誰も読まないだろうから、この辺にしたい。

ちなみに、俺はスポンサーもつけず、ポッドキャスト番組をたった一人でやってますが(素人なので当然ですけど)、実に面白いので、聴いてみてください。

http://poyoyoken.seesaa.net/

ポッドキャスト番組はitunesってソフトに登録しておくと便利です。
iPodとか持ってない人でも便利。複数の番組を一括、ダウンロードできるのれす!
http://www.apple.com/jp/itunes/download/
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一昔前、一世を風靡した“だめ連”という民間組織がありました。
(今は自然消滅したと思われる)
もうちょっと、ゆる~く生きたっていいんじゃないの?
的な、実にバブル世代(俺も)の発想の組織でした。

今は、各企業は人件費削減の為、従業員、一人頭の給料を削り、サービス残業等、目一杯働かせます。
自分はゆる~く生きたくても、社会がそれを許さない状況にあります。

また“だめ連”では、「あえて結婚をしない生き方もある」という、積極的独身を人生の一つの選択肢として肯定していましたが、今は、経済的、その他の状況から、「したくでも出来ない」という、結果的独身という人が多いです。

一昔前とは、ずいぶん、社会状況は変わりました。
ですが、だめ連の主張していた、あんまり根を詰めると、心に異常を来たすよ、というメッセージは、まさに正鵠を射ていると思います。

失業者と過労を減らす「ワークシェアリング」という考え方は、いつしか消え去りました。
バブル時代にはあった「フレックスタイム」すら、無くなってしまいました。
今は、ただひたすら、労働者が経営者の奴隷となって働く時代です。
だめ連の目指した社会の方向とは、明らかに反対方向に進んでいます。

「ゆる~い」社会というビジョンは、自由人である、俺たちバブル世代の持ち味だったわけですが、それを実現できず、後の世代に古い因習を引き継いでしまった事に責任を感じています。

俺がだめ連から学んだのは、「世の中のほうが間違っているかも知れない」ということです。

  赤信号 みんなが渡ると 気づかない

俺の造語ですが、難しい用語を使うと「多数派同調バイアス」です。
みんなと同じであろう。みんなが良しとする価値観に従おう。
こういう考え方が、無意識のうちに人の中に宿っています。

しかし、みんなの価値観が正しいとは限らない。
もし、みんなの価値観が間違っていたとしたら、無理にそこに自分を同調させることは、自分の価値観をも誤らせることになります。

俺がだめ連を知ってから十年になりますが、「世の中のほうが間違っているかも知れない」ではなく、「世の中のほうが間違っている」と確信するようになりました。
ですから、俺が人に「あいつは狂っている」「あいつはおかしい」と言われると、かえって自信が出るようになりました。
「こんなこと、ふつう、しないよね」という事も、出来るようになりました。

だいたい、アメブロで、こんな長文、書く人、いないと思います。

だめ連について、関連書籍が何冊か出ています。
アマゾンで中古で手に入ると思います。
ご参考に。

以下に、だめ連創始者の一人、神長恒一氏の「だめ連宣言」という言葉を載せます。
この時代に追い詰められ、壊れそうになっている方、この言葉をじっくり読んでみてください。



□□□□ だめ連宣言 神長恒一 □□□□

 ダメをこじらせてはいませんか?

 ダメと一口に言っても、その内容、程度はいろいろです。

 どうも仕事が続かない、異(同)性にもてない。これといってとりえがない。人とうまくコミュニケーションができない……。ちょっとダメ入っているなというレベルからかなり厳しい状態まで、人生さまざまのダメ模様があります。

 人は多かれ少なかれ、それぞれのダメを抱えながら暮らしているのでしょうが、このダメを恐れるあまりつい力が入りすぎてしまった、そんな場合にえてしてダメをこじらせてしまいます。

 1つには、自分のダメさ加減を過剰に意識し過ぎてしまう場合。「うー、私はダメだ、ダメだ」と思い込み、人と話しができなくなったりします。そして、ますます状況が煮詰まっていってしまうのです。

 もう1つには、自分のダメを直視できないケース。「ダメだけは避けたい」「人からナメられたくない」というプレッシャーからうだつを上げようと思い、えてして一発逆転を狙ってますますダメにはまっていってしまう。

 こんな具合にダメをこじらせてしまった人たちは大勢いると私は思うのですが、にもかかわらずダメな人というのはえてして1人で部屋に閉じ込もりがちです。

 しかし、ダメな人こそ集うことが重要なのではないでしょうか?

 いたずらにうだつを上げようとするよりも、脱力してまったりと人生についてトークする。「人生は個人の選択の問題である言われているが、過酷な状況を問題として語り合ったり、なんとか変わらないものかと試みるのは可能だ」(ペペ)というわけです。

 ダメな人同士が集まってトークすれば、自分のダメを対象化するきっかけにもなるでしょうし、現代社会の問題が浮き彫りにされ、すわ変革の糸口が見出せるということにもなりかねない。

 だめ連では、ダメな人が集まって、ダメをこじらせないようにいろいろ作戦を練ったり、ダメな人でもダメな人なりに生きていけるようなネットワーク作りを目指しています。

 新輿宗教、自己開発セミナー、蒸発、自殺……ダメをこじらせた人たちの選択肢がこれらのものばかりではキビシすぎます。はたして、ダメな私ばかりが悪いのだろうか。もう少し、他のオルタナティヴな方法を模索してみることは有効なのではないだろうか。

 正直言ってダメ連は、ダメをこじらせた人に対して「これで大方解決だ」というようなものはなにもありませんし、そのような関係を期待されても困ります。だめ連が言うことは「交流しましょう。トークしましょう」ということぐらいなのです。

 「ダメ」を手がかりにトークしていくなかで、人生や現代社会に食い込んでいく。そんなふうに人と議論を交わしながら、あれやこれやとものを考えながら生きていく姿勢こそが、「解決のない解決策」なのかもしれません。



 ところで、だめ連かいわいでは最近「だめ連ダメじゃない説」というのがあります。(笑)

 これは、「だめ連はダメな人の集まりって聞いているけど、だめ連の人たちってちっともダメじゃないわ」というようなものです。私にしても、「神長さんってダメじゃないじゃん。優秀だよ」と言われることもしばしばです(実はけっこう、これが私は嬉しいのですが)。

 実際、本当にダメだったら、だめ連とか言ってる場合じゃないのかもしれません。

 しかし、あんまりダメじゃない人にとっても「ダメ問題」というのは重要なのだと私は思います。

 ほとんど語られることがないように思うのですが、実は私たちの人生において、「ダメな奴にはなりたくない」とか「ハクをつけたい」といった判断が、最初の1歩として大きくあるのではないでしょうか?

 私はここをラジカルにとらえかえしたい。

 例えば就職です。

 どうして人は就職するのでしょうか? それはもちろん正社員になったほうが制度上いろいろ都合のよいことが多い(ナンセンス!)という問題とリンクして、「就職すると決めているから就職する」ということが大きいと思えるのです。

 就職すると決めているから就職する。つまり30すぎて仕事もせずに毎日ブラブラしているというような人生は、最初から選択肢のうちに入っていないということです。

 しかしそのことを、どうしてそうなんだろうとよくよく考えてみると、やはり「ダメな人だとの烙印を押されたくない」ということが大きいように思います。確かに就職しないで生きることと悲惨な人生がセットになって語られることがたいへん多い気がしますが、現実はそうとも限りません。

 仮に就職するとしても、就職すると決めているから就職するのではなく、就職する人生、しない人生どっちも選びうるというなかから就職を選ぶ、という方が面白い(誤解がないように言っときますが、私は就職したらダメと言っているのではありません)。

 これはもちろん、就職に限らず、他のことにもあてはまると思います。

 実は「ハク」や「うだつ」といったものが私たちの人生を大きく限定していて、私たちは想像力や実験精神というものを失いつつあるのではないでしょうか? 「他人と同じ生き方」や「人より優秀な自分」なんて人生ではあまりに寂しすぎるというものです。

 たった1回きりの人生なのですから、「身捨つるほどの祖国」もなければうだつもありません。ハクを捨てて、当たり前だと思い込んでいることを疑ってみる。そんな生き方からこそ何かが起こりうるのではないでしょうか。



 だめ連を名乗っているとたまに、「自分のことをダメなんて言う奴は本当にダメだ」などと言われることがあります。(笑)

 しかし、ここでダメ=オルタナティヴと考えてみてはどうでしょう?

 だめ連もオルタナティヴな人生を模索する人々のつながりと前向きに考えてみると(オルタナティヴ連)、多少勇ましく見えてくるではありませんか? さらにはこのようなグループがあちらこちらにできてきたらと想像すると面白いことになりそうだという気がしてくるのです。

 まあしかし、じゃあ実際にだめ連は前向きに活動しているのか? どんなことをやっているのか? ときかれると口ごもらざるをえません。たいしたことはやっていないのですから。

 だめ連のメインの活動といえば交流とトーク(笑)、それとたまのイベントぐらいです。

 その交流とトークにしてもだめ連のメンバー間で一致した明確な政治的方針があるわけでもない。ただおのおののメンバーが、それぞれの「野望」(笑)を胸にだめ連に参加しているというありさまです(もちろん、とにかく集まればなんでもいいのかという問題もあります)。

 例えばこのマニフェストにしたって、正確には私個人の「だめ連宣言」です。実際にはメンバーの数だけ「だめ連宣言」があると思いますし、その方が面白い。まあ、そもそもマニフェストなんて銘打つ必要もありません(もちろん半ばギャグでつけているのですが)。

 話が少しそれてしまったようなので戻しますが、要するにだめ連の活動といえば、交流、トークぐらいのものです。

 しかし、人に話しかけることがダサいとされている時代(?)こそ、人と積極的に関係を持とうとする愚直な姿勢が重要なのではと私は考えるのです。それも教条的な、あるいは自閉した一方通行的なトーク(直流)ではなくて、お互いが変わっていくようなトーク、そんなトークの中から想像力や批評精神が生まれてくるのではないか。ことばや思想が起こってくるのではないか。退屈な日常から人生を奪い返す手段となりうるのではないでしょうか。

 このあいだ、独り暮らしのアパートでテレビをつけていたら、

 「もうヤだ、こんな生活!」

 「じゃあ、どんな生活がいいの?」

 というコマーシャルが流れてきました。

 私なら、交流生活をおすすめしたい。

 昨日はあっちのイベント、今日はこっちのイベントと出かけていっては人に話しかけ、出会いとトークが絶えない。そんな暮らしもなかなか痛快なものではないですか。

 私は、そんな日々のトークや別れと出会いの繰り返しのなかに、人生や変革の手応えをアツく感じているのです。

 ということで要するに、私たちと交流して下さい! トークしましょう(もちろん、ダメな人でもダメじゃない人でもかまいません。そもそもダメな人、えてして交流が苦手という問題もありますが、まったりと交流できればさいわいです)。

 ヨロシク! しかし、あんまり連絡が殺到すると対応しきれないかもしれません。そのときはすいません。多分ないとは思いますが(笑)。
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島田紳助は、過去(十数年前)、自分が暴力団に助けてもらい、その縁で(メールで)交流を続け、その責任を取って芸能界を引退すると語っているわけですが、意味がわかりませんよね?

暴力団と交流があるのが悪い事だという認識があれば、今じゃなくて、もっと前に辞めているべきでしょう。
「なんで今?」という疑念が残るわけです。


暴力団との交流が悪だなんて言ったら、芸能人はみんな、辞めなきゃならなくなっちゃいますよ。
暴力団とつながりのある大手芸能プロダクションもありますし、地方のプロモーター(興行師)なんて、暴力団が多かったですよ。
今は少なくなってるでしょうけど。
吉本興業なんて、島田紳助以上にその手の人と交流があったタレント、いるんじゃないですか?


それに、島田紳助なんて、何本もレギュラー番組を抱えていますよね。
その番組は、ほとんど、売れっ子の出演者がたくさん出るでょう。
ですから、スケジュール調整、ギリギリのはずなんですよ。
一週間前収録の2本撮り、とかでやってるはずなんです。

突然、司会者が居なくなる。
くりぃむしちゅーとか爆笑問題とか、司会も務まる連中もいますけど、ギャラはともかく、スケジュール調整が間に合わないでしょう。
じゃあ、局アナに臨時でやらせるか?
レギュラーの誰かに代理でやらせるか?
とにかく現場は大混乱ですよ。
吉本興行はテレビ局にお詫び行脚ですよ。

こういう混乱を生み出したほうが、暴力団とメール交換していた、って事よりも罪重いですよね?


俺の直感ですけど、あの記者会見はカモフラージュですね。
引退理由は、他にあると思いますよ。

あくまでも想像ですけど、暴力団に助けてもらったのは昔じゃなくて、最近、とかね。


ここから以下は一般論。
あくまでも芸能界の一般論です。
島田紳助とは関係ありませんよ。

芸能事務所って、タレントを非常に大事にしています。
そりゃ、商品ですからね。

これを、傷つけられるって事が、良くあるんですよ。
自分の事務所所属のアイドルが、どっかの芸人に手をつけられてしまったとか。
噂が出たら、大問題ですよ。
アイドルとしては致命傷です。
だから、乗り込むんですよ。
アイドル側の事務所の人間が、相手側の事務所に。
「てめえ、この野郎、どうやって責任を取るつもりだ!」と。

すると、何がしかの交渉があるわけですよ。
「何がしかの」って所で、察してください。

もし、そのアイドルと芸人にちゃんとした恋愛感情があって、結婚を考えているくらいの関係ならば、比較的、穏便に話が進みます。
大問題に発展するのは、犯罪的性行為の場合ですよ。
警察沙汰にしちゃうと、アイドルの寿命も終わるでしょう。
芸人も犯罪者になる。
双方が困るわけです。
もっと困てしまうのは、この事件がマスコミ関係者に知られてしまった場合。
そうなると、活躍するのは、いったい、どういう業界の人でしょうか?
両プロダクションやマスコミの間に入って、収めるのは、どういう業界の人でしょうか?


今のは島田紳助とは関係ない話ですよ。
俺には何の情報も入って来ないですから。
これくらいのレベルの深刻な事態が生じてない限り、こんな異常な引退の仕方はしないはずだって事です。

ともかく、何か、今、突然辞めなきゃならないような、緊急事態が起こっている事は確かでしょう。
今、速攻で辞めないと、本人も吉本も、とんでもない事になるような。

数年前、自分の女性マネージャーを殴って事件になったでしょう?
その辺の問題もどうなっているのか、気になりますね。
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児童虐待する親が増えている。
最近の報道にもあったが、虐待死に至るケースも少なくない。

俺が感じているのは、虐待するのは肉親よりも、養父、養母であるケースが多い。
中でも、女性が離婚し、子供を連れて、他の男と暮らす場合。
もちろん、子供はなつかない。
当然だ。
本当の父親ではないのだから。

父親は、目の前にいる女が、他の男との行為の末に生まれた子供であるから、可愛くない。
可愛いと感じる時もあるだろうが、すぐに、「他の男との間に出来た子」という思いが込み上げて来る。
男は独占欲の強い生き物である。
「自分の女が他の男と作った子」という存在を許す事が出来ない。
これは事実であるから、世の女性は肝に銘じて欲しいと思う。

男は女を口説く時は、なんでも言う。
心にも無い事を言う。
俺は嘘がつけないので損をするが、一般的な男は平気で嘘をつく。
「この子は俺の実の子供と思って可愛がるよ」と言う。
嘘である。
あるいは、一時の気の迷いである。


子供が気の毒なのは、逆らえない事である。
家出する知恵すら無い。
ひたすら怒鳴られ、殴られ、怯える以外にはない。
子供にとって、これほどの地獄は無い。
その子が成長できたとしても、生涯、トラウマを背負う事は間違いない。

境界例(境界性人格障害)であるとか、自閉症という症状を抱えている人の中には、幼少の頃、虐待を経験している場合がある。
ちょっと前までは、総じて「アダルトチルドレン」と呼ばれていた。
心の成長が未発達なのである。

過剰に他人に対し従属的であるとか、逆に過剰に他人に対し攻撃的であるというケースが多い。
性的にも乱れる傾向がある。
これはモラル意識の問題もあるが、寂しさを埋めたい、という欲求からも来ている。
摂食障害、自傷行為等も、虐待経験者に多い。


今年初め、タイガーマスク現象が起こった。
全国の孤児院に、不特定の一般市民からランドセル等が届けられた。
問題なのは、孤児院の多さだ。
子供を育てられない親が多くなり、子供は孤児院に引き取られる。
文章にすると一行だが、実に深刻な話だ。

親になるための国家資格というものを作れば良いと思う。
そこまで考えなければならないほど、親失格の者が多い。

この社会の閉塞感、経済の低迷は親に過剰な精神的負担を与えている面もあろう。
それが児童虐待に結びついている。
政府の責任も、社会全体の責任も問われるだろう。
本気で再考が必要だ。
今もどこかで子供が虐待されているのだから。


先日の事件は、里親が子供を虐待死させたケースだが、里親はボランティアではない。
毎月72000円の里親手当てが支給される。
まともに育児すれば、余るような額では無いが、もし、子供が成長し、この手当てが支給されていた事を知ったら、どう思うだろうか?

「自分は金目的で育てられたのか?」と思うに違いない。

里親手当てなど廃止すべきだと、俺は思っている。



話はまるで変わります。
メッセージをいただくのですが、中には、「業者じゃないか?」と感じるようなものもあります。
ですから、そうでは無いとわかるようなメッセージを頂戴したいと思います。

このブログをお読みいただき、俺の考えに共感を持っていただいた方とは、コミュニケーションできるとうれしいです。
アメブロは、単なるブログではなく、ソーシャルネットワークサービスですしね。
ですが、悪質な業者が跋扈しているインターネッツの世界では、幾分、慎重でなければなりません。
以前は、2ちゃんねるにですら、平気で自分のメアド晒していたのにね。
嫌な時代になりました。

アメーバは、ブログを書かなくても、登録さえすれば、メッセージのやりとりが可能です。
それから、あまり相手を知らない段階で、俺のメールアドレスはお伝えしないようにしています。
メッセージの内容を見て、業者じゃないと確信すれば、直接、メールで返信させていただく場合もありますが。

面倒くさいですが、俺の記事に共感を持ってくださった方は、ご連絡下さい。
個人的情報は漏らさないというルールくらいは身に付けておりますので、ご安心を。
色んな方面の人からご連絡をいただきますので。
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真実は人を幸福にするか?



倉木麻衣さん国歌斉唱はすばらしかったです。
でも、国歌斉唱の際、胸に手を当る行為は間違いです。
韓国の真似です。
日本の国歌斉唱は直立不動(気をつけの姿勢)です。
直立不動は敬意の表れです。
日本人ならば天皇陛下が前に立たれると、誰でも自然と直立不動になるでしょう。
君が代が明治の作だから歴史が浅いと言って、あなどってしまえば、伝統というものは作れません。

君が代は気をつけの姿勢で歌い、歌い終わったら一礼して待つ。
そして、「どうぞ、ご着席ください」と言われてから座る。
団塊(今の60代)の世代は左翼だった人が多いので、こういう儀礼の継承も上手く行っておりません。


ちなみに君が代の意味。
君が代は古今和歌集が元になっています。


古今和歌集巻七  賀歌   読人しらず

わがきみは 千代にやちよに さざれいしの いはほとなりて こけのむすまで

現代訳:我が君は、永遠に、さざれ石が巌(いわお)となって苔(こけ)が生えるまで。


上にある画像は「さざれ石の巌」。

さざれ石という小さな石が、雨の影響か何かで固まって、大きくなる。
巌(いわお)とは岩石の事です。
そして、やがてその岩石の上に苔が生える。
そうなるまでは、何百年か何千年かわからない、長い、長い時間がかかります。

この「さざれ石」ってのは人を表し、「巌」ってのは国家を表しているのでしょう。

さて、もう一度、古今和歌集を見ます。

「我が君は、永遠に、さざれ石が巌(いわお)となって苔(こけ)が生えるまで。」

苔が生えるまで、どうして欲しいと言うのでしょうか?
それは類推するしかありませんが、常識的に考えるならば、「見守っていて欲しい」ということだと思います。
「千代に八千代に」です。
「千代に八千代に」ってのは、永遠に、って意味です。
「八千代」は「永遠」を表しますから。

こうなりますと、「我が君」とは一人の人物とは考えられません。
一人の人物は永遠には生きられません。
ですから、これは「天皇制」のことである、と解釈されて来ました。
一方、神様の事である、という説もあります。
明治政府下では、「天皇=現人神」でしたから、同じ事かも知れません。
天皇制度の永遠を願う歌であると考えて間違いないと思います。
「君が代」とは「天皇の支配する世の中」という意味です。

共産党や社民党の人は天皇制そのものに反対な人が多いわけですから、当然、君が代が嫌いです。
それは仕方ない話ですので、別に文句を言いません。

ですが、戦後の日本の天皇は、日本の象徴です。
つまり、「君」とは「日本」です。
「君=日本」これが大事なキーワードです。
「君が代」とは「日本という国」そのものになります。

そうなりますと、君が代の現代語訳は、こうなります。

  日本という国が、さざれ石が岩石となり、その上にこけが生えるほど永遠に、続いて欲しい。


ちなみに、国旗。
日本の国旗は日章旗、通称、「日の丸」。
これは太陽を表します。
太陽=天照大神です。

白地に赤丸のこの旗は、どうやら、源平の頃から使われるようになったようです。
自衛隊で赤丸から放射線が伸びているような日章旗が使われますが、あれは軍旗です。

赤丸は日本人全員の血のかたまりという解釈の仕方もあります。
あの赤丸は日本を象徴しているというわけです。

国旗をポールに掲揚する際、絶対に、国旗を地面につけてはならない。
俺が教わった事です。


君が代とか日の丸とか聞くと、何となく民族主義的な印象がありますが、もともと日本は他民族国家です。
アイヌを中心とする縄文人が原始日本人で、その後に、大陸からドシドシ、人が流れて来る。
モンゴル、中国、朝鮮あたりが、もちろん、一番近いので、多いと思います。
あと、忘れてはならないのがユダヤ。

一二三四五六七八九十は「ヒ・フ・ミ・ヨ・イツ・ム・ナナ・ヤ・ココノツ・トウ」と読みます。

ユダヤの研究者によれば、これはヘブライ語(ユダヤの言語)に置き換えると、

「ハイアファ ミヨッツァ マナーネ ヤーヘーナタウオ」と聞こえるというのです。

意味は、

「だれが女神様を出すのでしょう。誘いに、いかなる言葉をかけるのでしょう」

つまりこれは、天照大神が怒って岩戸に隠れた時、神々がどうやって引っ張り出そうか、知恵を絞った時の歌であると。
犬の発した音声が、たまたま日本語に聞こえるレベルかも知れませんが。

日本語には、ヘブライ語との類似点が多いようです。
モンゴル語との類似点が圧倒的に多いのですが、ヘブライ語も多い。

神社の神官や修験の行者の衣装に、ユダヤの神官の衣装との、特殊な部分における共通点が見られるとか。

東北とユダヤの関係も強いらしい。
http://www.ican.zaq.ne.jp/euael900/episode15.html

日本の「カゴメ紋」はイスラエル(ユダヤ人国家)の国旗に描かれているダビデの星と同じ。
このカゴメ紋は日本各地の神社に描かれている。
伊勢神宮の灯篭にも描かれている。
歴史的には必ずしも天皇家独自のものではないが、菊花紋がエルサレム神殿の門に描かれている。
http://fanblogs.jp/saiyou/archive/3/0


ともかく、日本人は単一民族ではない。
さまざまな人種が集まっているにも関わらず、それを思わせない見事な集合体を形成している。
そこを「君が代」や「日の丸」に感じとることが可能だと思います。


俺は経済思想としては共産主義なんですけど、情緒的には右に通ずるものを持っております。
ですから、この辺、ちょっとこだわっているわけです。

ともかくも、ともかくも、国家斉唱は直立不動、これは周知する必要があろうかと思います。
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今、まさにAKB現象が起きているわけですが、AKB48に至るまでのアイドル史を現場に居た者として、軽く記録しておきたいなと。

なんつってもオニャンコが原点。
俺はオニャンコと同世代です。
オニャンコを真似してTBSの昼番組でやったのは、グループ名忘れちゃったな。
あんまり流行らなかったけど、不毛じゃなかった。
ノリピーを輩出したから。
ノリピーは俺の一つ下くらいですよ。

テレビ朝日でもオニャンコを真似して、さくらっ娘クラブってのをやった。加藤紀子とか、名前出て来ないけど、チオビタのCMやっている女優を生み出した。
さくらっ娘クラブは3代続いたはず。

フジテレビはオニャンコブーム再来を狙って、同じ夕方5時枠でアイドルグループをやった。
忌々しくて、忘れたい。
とにかく制作を吉本興行に任せてしまったから、アイドルの扱いが…
深夜枠的な…
各プロダクションから粒揃いの娘を集めたのに…

吉本興行には気をつけて下さい。
浅井企画は比較的信用できるけど。

その番組が犯罪的だったのは、アイドルを色物にしたこと。

それ以前から、イエローキャブが悪のりして、変な空気作ってたんだけど…

ともかく、これ以降、かつての正統派アイドルが出なくなった。

アイドル女優は居たけど、アイドル歌手がいない。
俺たちの世代としては、それは淋しい。
俺は、松田聖子を聴きながら思春期を過ごし、新米の頃は、古き良きアイドル歌手のキャンペーンとか、国民的アイドル歌手のマネージャーやってたしな。

だから、この現状が淋しく、また、俺と同世代は同じ心境だと思った。

そこで始まったのがライブハウスでやるアイドルイベント。

名前は出さないけど、知る人ぞ知る、個性派マネージャー。
その人たちと組んで、古き良きアイドル歌手の舞台を、細々と繋いで来た。
面白かったな。

俺たちがそうやってる裏側から、とんでもないのが来た。モーニング娘だ。
確かに凄かった。
なんか、俺の高校の後輩も居たし…
ちなみにこの高校は宝塚女優も出し、何より、この桑田という偉人を出している、スイカ畑に囲まれたエリート校(偏差値は他校を圧倒して○い)。

モーニング娘は凄かった。
でも、何かが足りない。
それは、オタク心をくすぐらなかった(ミニモニまでは)。
それは、安室などのライジング系アイドルも同じ。

古き良きアイドルの匂いがしない。

俺は、このあたりで、諸事情により、芸能界を去った。

では、その後のアイドルの歴史は?

モーニング娘や安室じゃピンと来ない連中がいたんだ。
それは、俺たちがやっていたアイドルライブに来ていたファン連中だ。
彼らが存在する以上、業界側としては、彼らの納得するものを提供するしかなかった。
俺たちの繋いで来た、細々とした流れは、継承されて行った。
舞台を秋葉原に変えて。
それがアキバ系アイドルと言われるものだった。
アキバ系アイドルは、数人の客の前で歌った。
俺がやってた頃は、もう少し客もいて、たまにはホールを使った。
だが、秋葉原に舞台を移した古き良きアイドル業界は、驚くほど集客能力を失っていた。
だが、耐えた。
決して裏切らない、熱心なファンが居たから。
だから、アキバ系アイドル達は、バイトしながら頑張った。
みんな同じ状況だった。
その中で、一躍、スポットライトが当たったのが、AKB48だった。
彼女らも、最初の観客は二人だった。

秋元さんだけが功労者のように言われている。
秋元さんは確かに凄いが、アイドル不遇の時代を必死に繋いで来た業界人達が居た事を知って欲しい。

そして、メジャーになれなかったけど、一生懸命、頑張って来たアイドル達がいた事を知って欲しい。
俺は君らの事を忘れない。
特に二人三脚で頑張った君の事を忘れない。
「アイドル不遇の時代をたった一人で支えた」と某アイドル本に評された事を誇りにして欲しい。

そして、ファンの皆さん。感謝しております。
立場が違うだけで、一緒に作り上げて行ったんですよね、あの世界を。

備忘録的にだらだら書いてしまいましたが、俺と気づいた人もコメント欄には書かないで下さい。
遠回しでも、誰かに迷惑をかける可能性があるから。

ご連絡は、別の手段でお願いします。
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最近、このセミナー屋さんという職業の方が、実に増えて来たようだ。
主に、スピリチュアル系のもの、心理学系のもの、処世術系のものに分類できる。
分類の話などどうでも良いのだが、インターネットを通じ、盛んに彼らが営業している。
儲かるのか?
やって行けるのか?
それも一生、食えるものなのか?

食えるというならば興味津々というところだが、まず、食えないだろな。
一時のものに終わるだろう。
一生食える人もいるかも知れないが、全体の0.1%というところではないか?

なぜ、こういう職業の方々が増えたかと言えば、「不況」の二字に尽きる。
仕事が無いのだ。
仕事がないから、こういう職業をはじめた、というのが正直なところだろう。
そんな人の主催するセミナーに集まって来るのが、「仕事が無くて困っている」という人々なのだ。
矛盾してないか?


まあ、よし。
そういうセミナーの中にも、なかなか内容の充実したものもあるだろう。
参加者も納得して帰るような、そんなものもあるだろう。

しかし、俺がどうしても煮え切らないのは、例えば、ブログなどでセミナーの宣伝をする場合、
「さわり」の部分だけを書いて、「肝心の部分はセミナーを受けてね」あるいは「コーチングを受けてね」的な方向にアプローチしていることなんだ。
あたかも、そのセミナーやコーチングを受けることで、人生が劇的に変化するような宣伝の仕方をしているわけですよ。
当然するわな、そうせんと人は一人も集まらん。

ですがな。
20代前半までのですよ、まだ、あんまり色んなこと、知ってない人たちには目からウロコのような話でも、俺のような、ある程度、生き、勉強して来た人が聴いたら、たぶん、感動しないよ。
宗教、哲学、処世術系の本は、人一倍、読んで来てしまった俺だから、たぶん、感動しない。
それに、そういう本の中にも、すばらしいものはいくつもあるけど、パーフェクトなものって、一冊も無いのですよ。
法華経だけ読んでりゃ救われるとか、聖書だけ読んでりゃ、人生、なんとかなっちゃう、なんてことは無いのでつよ。
それは、人、それぞれ、人生が違うから。


たぶん、そのたぐいのセミナーって、色んなこれまでの思想を継ぎはぎして、いかにも、オリジナリティーのあるカモフラージュして、説いているわけでしょ?
なんか、聴く前に、わかってしまう。
そして、「隣の人と一対一で向き合って、お互いの印象のすばらしいところをほめあいましょう」とかやらせるわけでしょう。
そうやって、講義だけじゃなくて、さまざまなアクションに巻き込むことで、マインドコントロールして行くわけでしょう。
失業者向けの基金訓練でも、そういう事やってますけどね。


よく、写真集で、「アイドルの○○チャンが、ここまで脱いだ!」という売り込み方してるのありますわな。
写真集はビニールで覆われていて、とりあえず表紙だけは見れるんですけど、頭の良い人は当然、おわかりですな。
表紙の写真が一番、キワドイ。
中身は、表紙よりも露出度が低い。

セミナー屋さん、コーチング屋さんたちの宣伝方法も同じでしょう。
ブログには、セミナーに来ると真髄がわかる、的な記述があって、実際に行くと、がっかりする。
料金、前払いさせているから、セミナー屋さんとしては問題ない。
アイドルの写真集と同じ手法ですよ。


俺はたぶん、知識としては、そういう商売できるくらいのものはありますよ。
だって、セミナー屋やってる人がブログとかに書いているの読んだら、浅いもの。
その「写真集の表紙」に相当する部分ですら、俺には浅く感じるもの。

今ね、ツタヤってお店あるでしょ?
そこで、自己啓発関係のDVD、けっこう、貸してるんですよ。
何本か観てみましたよ。
低レベル過ぎて、毎回、熱が出て来ましたよ。
例えば、寝たきりの80歳の母を介護している、50代の独身男性とかが、あれ見ても、ガッカリするだけでしょう。
もちろん、そこまで人生経験の積んだ(色んなことを知ってしまっている)世代は対象にして無いでしょうけど。
あれを、もし、何万とか払って、実際のセミナー受けたとしたら、暴れたくなりますよ。

一例をあげたら、「ありがとう」という言葉を、一日中、口にしていると奇跡が起こる、とかね。
ふぁはははは・・・という力ない笑いが起こって来るでしょう。

金出して、聞かせるまでもない内容の話をしなさんな。


俺は、全部、無料でさらしてますよ。
「無料ですよ、どうですか、すごいでしょう?」なんてもちろん、思ってないよ。
無料で当然だと思ってますよ。
だって、魔法の杖を公開してるわけじゃ無いのだから。
どんな問題にも通用する、絶対的な哲理なんて話しているつもりも無いしね。

俺は「そんなことより別の事に時間を使え」と言われるくらい、色んな本を読んで来たわけです。
中国思想。仏教。キリスト教。ヒンドゥー教。心理学。社会学。精神療法。格闘技。競馬。競輪。松田聖子自叙伝。モテる本。等々・・・
だけど、今の若者は時間が無くて、そんなの読む暇無いでしょう?
それに、どれか一冊、苦労して読んだところで、人生が根底から変わるってもんじゃないし。
だったら、エキスをまとめてドバッとネット公開したろ。
そうすれば、みなさま衆生の時間節約に多いに貢献できるだろうと思ったわけですよ。
誰も読んでないけど。

「参考程度に聞いてください。でも、俺なりに色んな事を学んで来た、最高に結実した部分をお話しているつもりです」という気持ちで、いつもお話しています。

一人でも、二人でも、読んでもらって、今の苦境から脱することが出来た、って人がいたら、俺のこんな作業も少しは役に立ったかな、と思っています。
ツイッターとかでけっこう、ディープな事、言ってるのも、そういう目的です。
じゃないと、俺が勉強したことを、俺だけのものにするのがもったいない気がしてね。


あれほど人々の尊敬を受けた釈迦の言葉でさえ、後の人が「これでは人は救えない」と思って、大乗仏教が起こったわけですよ。
キリスト教だってね。
それで何もかも解決できるならば、みんな、クリスチャンになっておりますですよ、ハイ。

みんな、中途半端なのです。
完成された、哲学、思想、宗教など、この世に無いのです。
そんなものは幻想なのです。


それからですな。
もし、俺と同じような気持ちで(商業色一切なしで)やっているブログ等があったら、教えてくださいませ。
そういう人がいたら、興味あります。
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前の記事では、高齢者だけを敵(かたき)のように書いてしまった。
だが、もちろん、我々、ミドル世代にも問題のある人物は大勢いる。
なぜなら、今のミドル世代の親が、60代~70代なのだ。

親を反面教師として育った者は良いが、中には親の影響を受け過ぎた者もいる。
例えば、ヤクザの子が不良になったりする。


俺が子供時代は、貧困層と富裕層に別れていた。
高度成長期の終わりの頃で、一億総中流と言われていたが、取り残された人々もいた。
そうした貧困層の子供が不良になり、ツッパリブーム、校内暴力ブームを引き起こした。
彼らの家庭に道徳教育などという余裕はなかった。
衣食が足りて人は礼節を知るというチャイナの名言があるが、まさにそうだった。

貧困世帯の子供だけがグレるわけじゃない。
金はあっても精神の幼稚な親の子はグレた。
成金の多い時代だったから。

テレビの悪影響もあった。横浜銀蠅というウジ虫バンドが与えた悪影響は凄まじかった。
知性の極めて高かった俺はまったく影響を受けなかったが。


母原病と言うのが当時、叫ばれた。
今で言う、アダルトチルドレンだ。
さらに、このアダルトチルドレンの特徴が、境界性人格障害、自己愛性人格障害、あるいはアスペルガーである。

俺たちの世代(30~40代)は、「物質的豊かさから心の豊かさへ」の国家方針のもと、それなりの心の教育も受けた。テレビアニメもアルプスの少女ハイジのような、今に比べると極めて情操教育に富んだものが多かった。
歌も四季の歌のような平和なものが多かった。

それでも心の育たない子供もいた。
心の発達というものがいかに困難か。
ちなみに、俺にもアスペルガー的傾向があるとmixiで表明したが、歴史上、天才と呼ばれた人物の多くが、アスペルガーであった事をさりげなく付言しておきたい。


ともかくも、我々ミドル世代の中に、人格障害、発達障害と見られる者が少なくない。
そういう者が職場や家庭で問題を起こしていることもあるだろう。
最近の児童虐待など、人格障害の親としか考えられない。
松田聖子を聴きながら、健全極まりない成長過程を送って来た俺には、まったくもって考えられない。
狂気の沙汰だ。


そうそう。
さっきの野球のガキ共は、しっかり締め上げて大人の怖さを教えてやった。

ああ、静かな日曜日だ。
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これは、苦手な上司、苦手な近所の人、何でも応用がきく。

苦手な人とは事実しか話さない。
これが大原則。
意外にこれを知らぬ人が多い。

事実しか話さないと言うのは、推測を交えないと言うこと。
だから相手は否定出来ない。
相手が否定できないことしか口にしないのが苦手な人と話す鉄則。

推測を話す必要がもし生じたとしても、明確な根拠を示す。誰でもそう考えて当然と言う根拠を。

苦手な人とは必要最低限の話しかしないのが原則。
それでも、どうしても世間話になることもある。
この場合も事実主義が鉄則だが、例えば、自分のまるで関心のないジャンルの話をしてくる場合がある。
その時ははっきり、「○○についてはよく知りませんので」と言う。

それでも、関心のない話ばかりして来る馬鹿もいる。
この場合は「反復法」を用いる。
例えば、自分が関心ない野球の話を向こうがして来る。
「松井が昨日、4打席全部ヒット出したよ!」と。
この場合、
「へえ、4打席全部ヒットですか」と反復する形で相づちを打つ。
「凄いですね」とか、余計な言葉はいらない。
「凄くないよ。ホームランなかったもん」などと不愉快な否定をされる場合がある。
ひたすら反復でしのぐ。

大事なのは好かれようとしない事。
無理だから。
お世辞も言わない。
無理に笑わない。
挨拶だけは欠かさない。

この辺は俺よりも若い世代のほうが心得ているようだ。
だから、わざわざここで書くような事じゃなかったかも。

注意すべき相手は、今の60~70代。
この辺の世代が「苦手な人」になりやすい。
戦中、戦後に教育を受けており、戦争に勝つ事、そして、食う事、稼ぐ事を第一に教えられた世代だ。
仕事は出来ても、人間関係が苦手な人が多い。
上にはペコペコ、下には横柄というタイプが少なくない。
全てではなく、もちろん素晴らしい人もいるが。

危惧するのは、今、再び日本は不況になった。
不況の中ではモラルが育ちにくい。
今の子供は果たして、どういう風に育つのだろうか。

しかし、さっきから外で野球やってるガキどもがうるさい。
いじめたろ。
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「裸の王様」という物語がある。
王様は裸であるということは、誰もがわかっている。
知らぬは当人ばかりなり。
でも、誰もそのことを指摘しない。
ある子供だけが、「王様が裸で歩いている!」と指摘した。

真実を素直に表明することがいかに大切であるか。
真実を隠して生きる大人社会がいかに愚かであるかを諭(さと)した物語である。

しかし、王様が裸であるという真実を告げたのが子供であったから済んだのだ。
もし、大人がやったら、どうなったか?
たちまち、王様の側近に斬られたに違いない。


手元に『したたかに生き抜く悪の処世学』(阿部幸夫著)という本がある。
中国の歴史の中から処世術を学び取ろうという意図の本である。
帯には「敵に真意を悟られてはどんな良策も通用しない!!」とある。
http://www.amazon.co.jp/dp/4537253339

真実をまっすぐに相手に伝えれば不利益をこうむる。
ゆえに、真実をまっすぐ伝えず、別の方策を採ることで、目的を遂行するという知恵を、中国人は三千年の歴史の中で学んで来た。

俺も大学では中国学を学び、その辺もある程度は頭に入っているはずなのだが、なぜか、生来の正直者気質が正体を現す。


A子・・・C夫(キチガイ)

↑(指摘)

B子・・・D夫(異常者)

A子とB子がいた。(二人は親友)
A子はC夫に操られていた。
C夫はキチガイだ。
そのことをB子はA子に指摘した。
A子はC夫を信頼し切っていたので、A子はB子に反発した。
それで、両名は険悪になった。
そのことをB子は俺に相談して来た。
C夫はキチガイという点で、俺も同感だったので、その点では俺はB子と同じ立場に立った。

ところが、俺から見れば、B子もD夫に操られていた。
D夫はある程度の社会的権威のある組織で幹部をやっていたので、権威に弱いB子は見事に操られた。
俺は、その組織の矛盾点を指摘し、D夫が異常者であることを指摘した。
そして、D夫ともやり合った。
B子も賢いほうの女性なので、そのやりとりの中から気づいて欲しかったが、権威あるD夫から離れられなかった。
A子のほうだが、C夫がキチガイの本性を現し、A子をいじめ始めた。
A子はショックを受けた。

結局、この事件の中では、一番、損をしたのは俺かも知れないと思った。
俺は二人の異常な男とやり合い消耗し、そして、二人の女性の友人を失った。


俺は女性に真実をストレートに伝えることで、関係を遮断されたことが何回もある。
女性には真実を伝えてはならないのだろうか?
いやいや、相手が女だろうが、男だろうが、真実など、安易に伝えてはならないのだ。

自分の勤めている会社の社長が馬鹿であるとする。
だからと言って、社内で「うちの社長は馬鹿だ」と発言すれば、首が飛ぶ。
社長が馬鹿なのは、当人以外はみんな知っている。
でも、言わない。
それは大人の知恵なのだ。
真実を言わずに、社長を交代させるタイミングをはかっているのだ。
何の後の策略も無く、真実を言う者のほうが馬鹿なのだ。


昔、中国に天台大師という偉い坊さんがいた。
仏教には実にたくさんの経典がある。
それらの経典は、すべて釈迦の説法を記録したものだと当時は考えられていた。
(もちろん、そんなことはない)

そこで天台は、「五時」という発想をした。
釈迦は、五時に分けて、仏法を説いたのであると。
要するに、仏法は奥が深いので、いきなり、究極の話をしても理解されないので、ステップ1、ステップ2、ステップ3、ステップ4、ステップ5と、五段階に分けて説法したのだと。
そして、一番、最後のステップ5が「法華経」なのだと。

現代仏教学に言わせるならば、ナンセンスこの上無い発想なのだが、なかなか中国人的だなと思う。
中国人は、いきなり本当のことを言わないのだ。
今回の中国新幹線の問題でもそうではないか。
真実を小出しにするのが中国人のやり方なのだ。
だから、釈迦も、真実を小出しにしたのだろうと考えたのだ。


法華経の中にはこんなたとえ話もある。
ある長者がいた。
今で言う、大きなデパートのオーナーのようなものをイメージしてもらいたい。
長者には一人息子がいたが、幼い頃に生き別れになった。
その子は浮浪者になっていた。
長者は、ある時、浮浪者になっていた、その子を発見した。

インドは身分階級の厳しい社会である。
浮浪者は、「長者」と聞くだけで、おののいて魂が消し飛んでしまう。

そこで長者は人を介し、便所掃除人として、息子を雇った。
もちろん、息子には自分が親であることは伝えていない。
息子を序々に出世させ、店を切り盛りさせるくらいの身分に取り上げた。
やがて、「お前は私の息子であり、この店の後継者である」と告げた。

このたとえ話は何を意味しているかというと、お経の中にはたくさんあるけれども、法華経こそが最高の教えである。
でも、そのことをいきなり言うと衆生が混乱するから、序々に、低い教えから、高い教えへと導いて、最後に法華経を説くのだよ、と言う主旨なのだ。

天台の五時というのは、法華経自体に書かれている、こういう思想を踏まえての発想だったのである。
だから、単に天台が悪いのではない。

ちなみに、法華経なんてものは釈迦が説くはずがない。
たとえ創価学会員でも、今の若い人が法華経を読むなんてことは無かろうが、とにかくチンプンカンプンで一貫性が無く、わかりにくい経典だ。
でも、仏教史を考える上で、無視できない経典であり、観音経という多くの信仰を集めているものも、法華経の中に含まれている。


そんなことなどどうでも良いのだが、ともかく、真実をズバリ、伝えようとすると、嫌われたり、無視されたりする。
だから、序々に、相手の成長に応じて真実は伝えるべきなんだ、という英知が、人類の中にはあるのだ。

そこを踏み外す者は、俺のように孤独になってしまう。


「うつ病」というものが流行している。
精神科医である香山リカは『「私はうつ」と言いたがる人たち』という本を書いた。
http://www.amazon.co.jp/dp/4569699537

「私はうつ」と言えば、家事からも、労働からも逃れられるという社会風土が建設されたからだ。
そして、精神科医やらセラピストという存在が、それを助長している。

向精神薬などで心の病は治らない。
あらゆる向精神薬は、自律神経を破壊し、睡眠障害、不安、めまい、その他、諸々の症状を引き起こす。
たとえば抗不安薬で一時的に不安を抑え付けても、時間か経つと効果が切れ、不安が倍増して返って来る。
だいたい、不安の根本原因である、仕事やプライベートの問題、実存的問題を解消しない限り、不安など消えるものではない。
コアラの食べているのはユーカリというハーブだ。
この効果で、普段、沈静している。
だが、この効果が切れることがあり、そうなると、とてつもなく凶暴になるのだ。

精神科医は、患者を増やしたほうが儲かるので、「うつ病」とか何とか病名をつけ(病名など、医者にとって何だって良い)、薬を処方して依存させる。
そして、一生、むしり取るのだ。
だから、精神科医は薬物マフィアであると呼ばれる。
精神科医にうつ病が治せるならば、抗うつ剤を精神科医自身が服用している場合があるが、あれは何なのだ?
ヤクの売人が、自分でヤクを打っているのと変わらない。


話は飛躍しすぎて、ここまでつきあってくれた読者も3人くらいしか居るまい。
言いたいのは、こうした『「私はうつ」と言いたがる人たち』が自分の周囲に居たとして、「おまえはうつ病なんかじゃない。単なるナマケ病だ」という真実を指摘してしまえば、憎まれること必定なり。
人間関係は即座に遮断されるだろう。


娘が不良と付き合った場合、父親は娘に「あんなロクデモナイ男と付き合うな!」と指摘するものだが、そうした場合、100%の確率で、娘との関係が遮断される。


俺は真実を女性に伝えることで、嫌われた経験が何度もあると明かして来た。
一方、真実を女性に伝えず、「そうだよね」「大変だよね」と、表層的な言葉で女性に迎合して来た男はモテる。
これを聞くと多くの女性は、「女はそんなに馬鹿ではない」という反感を持つに違いない。
だが、あえて言いたいが(これも例のクセだが)、女性は、そういう表層的な言葉を吐く男を好みやすい。
そして、後で失望する。


この話をすると長くなり過ぎる。
たまにはブログの趣旨に沿った話をしたいと思って書いてみた。

真実を知らないよりも、知ったほうが人は幸福になると思う。
だが、真実を伝えた人は、不幸になるように、世の中は出来ているようだ。

願わくば、いつか再読し、熟考願いたし。
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