真実は人を幸福にするか?

桑田義雄が、うかんだり、もぐったりするブログ


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去年の今頃から10ヵ月かけて俺は40キロダイエットを達成した。

秘訣はとにかく食わない事。
炭水化物は食わない。
こんにゃくと豆腐が主食。
焼きそばよりは焼きビーフン。
豚肉、とり肉、玉子は意外に太りにくい。
炭水化物よりはマシ。
酒と甘いものは大敵。
カカオ80%チョコレートとかはいいみたい。
生野菜最強。
ドレッシングは、おろし正油ってのがいい。

餓死するつもりで行く。

ただ、鉄分が不足するとマジに倒れるから、青粒を飲む。

コントレックスという水がよし。

女性のカロリーは1日2000とか言うけど、1500でも肥る人は肥る。

パンはダメ。カロリー爆弾だ。

小腹にはイカが良い。

特別な運動よりは、よく歩け。

こんな感じだが、俺の担当してたグラビアアイドルだが、主食抜きダイエットで短期間で痩せた。
アイドルはある程度の肉付きが必要。
ガリガリ女には性的魅力が無い。
だから、大手雑誌の表紙撮りで、俺は編集に怒られた。

急なダイエットはかえって魅力を失う。
本当は、バランス良く食べて、運動で痩せるのが理想。
俺式のダイエットは、確かに一番、体重が落ちるが、げっそりした感じになるぞ。
あくまでも、ヒントって事で。
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真実は人を幸福にするか?



お釈迦さんは、無常観っていうのを説いたわけです。
これは、物事は変化して止まないって意味です。
変化しっぱなしって事。
この前、エレベーターをつってる鉄のロープが三本とも、ぶちっと切れて落下したでしょう?
鉄であっても、時間がたてば腐食してくる。
そして、壊れてしまう。

健康な人が病気になる。
ガンになると、悪性腫瘍(要するに、驚異的なスピードで生じるデキモノ)が全身に生じる。
最後は、脳にまで、それが回る。
初期なら手術で取り除けるというが、ガン細胞が血管を流れて、どこかに避難している可能性もある。
体質の問題もあるから、一生、気が許せない。
いやな話ですが、三人に一人くらいの確率で、このガンになっちゃうんで、目をそむけているわけには行かない。

今年は自然災害が多い。
自分が被災する確率も高いでしょう。
他人ごとではない。

人間関係も無常。
今まで自分を愛してくえていたと思っていた人が、急に心が他に移って、去って行ってしまう。
そういうこともあります。

仕事も、今の仕事がいつ無くなってしまうかわからない。
安定しない。
そうなれば、別の仕事を探すことになる。
せめて、職場の人間関係に恵まれれば良いですが、いやな人って、けっこう、多いんですよね。
まあ、もし、マトモな人間のほうが多ければ、こんな生きづらい世の中にはなってないのですが。

物事は恒久不変なものなど、何ひとつ無いのだ。
移り変わって行くものなのだ。
そう考えると、怖いですよね。
恐怖ですよね。
繊細な人は、いろんなことを考えてしまい、悪夢でうなされると思います。
釈迦のもとにも、そういう恐怖を抱えた人が集まり、弟子になっています。
男も女も。
「人生が怖いんです!不安なんです!助けてください!」と。

お釈迦さんはこう答える。
「事実をあるがままに受け容れなさい」と。

受け容れられます?

受け容れる強さを持つ人と、持たぬ人が当然、いるわけです。
ある意味、釈迦なんて、もともと王子さまで、結婚し、子供までいるから、人生やり尽くしてるわけです。
それで、趣味で出家したようなものです。
女房、子供を捨てて。
だから、腹が決まるかも知れない。
けれども、愛する人に捨てられた女とかね、そういう女が釈迦のところに行って、事実を受け容れよ、とか言われても、受け容れる気分になれないでしょう。

それで、観音信仰とかね、もともと仏教以外の別の宗教の中にあったものを、仏教の中に持ち込むようになって来るわけですよ。
お釈迦さん死後、数百年の間にね。
そして、それを拝む。

般若心経ってお経がありますけど、どういう意味か一言で述べよといわれたら、あれは「人生とは幻である」ってことなんです。
荘子という中国の古典があるんですけど、その中で、もしかしたら、この世の中は、蝶(チョウ)の見ている夢なのかも知れないという記述があります。
織田信長も、人生夢の如し、と言っている。
般若心経はもっと明確に、人生は幻であると。
もともと存在しないものを、幻覚で見ているのにすぎないのだと。

西遊記で有名な三蔵法師が、砂漠を一人、旅している時、水筒を落とした。当時の水筒は皮製なので、落としたらもう、おしまい。
日本の面積の何倍もあるような、大きな砂漠です。
そこで水を失った。
落胆した三蔵法師。
西遊記とは違い、現実の三蔵法師は一人旅で、悟空も八戒も悟浄もいない。
そこに座り込んでしまった。
自然に口から出たのが般若心経。
これを読んでいると、落ち着いて来た。
そうだ。
人生は、幻なのだ。
死は、夢からさめて、現実に帰って行くことに過ぎない。
そう思うと安心した。
そうすると、不思議なことに救いがあって、結局、生き延びます。

幻って言われても、たとえば、末期のガン患者の苦しみなど、それで抑えられるほど、生半可なものじゃない。
それはそうかも知れないですね。
でも、精神的な恐怖は、幾分、何とかなるかも知れない。

三蔵法師も死に直面したわけですが、この三蔵法師の精神の奥底にある思想は、大乗仏教です。
般若心経も大乗仏教の経典ですけど、この大乗仏教というのは、お釈迦さんという小さな存在を超えた、もっともっと大きな仏さんを信仰する。
時代や場所というものを超越した、もっともっと大きな、大きな仏さんというものを信仰する。
奈良東大寺の大仏が象徴するような。

考えられないくらいに遠い昔、ビックバンが生じて、宇宙が誕生した。
そして、今も、宇宙は広がり続けています。
無数の星が誕生し続けている。
まるで、宇宙は生きているようです。
宇宙をひとつの生き物だとしたら、そこには魂があるだろう。
その魂こそが、根本的な如来なのではないか。
それを法身仏、という専門用語で言います。

こういう考え方って、もともとヒンドゥー教のもので、こういう宇宙根本のいのち、みたいのを「ブラフマン」って言うんです。

「母なる宇宙」みたいなイメージでしょうか。
死んでも、そのふところの中に帰って行けるのだと。
そこで、先に亡くなってしまった人と、再会できるのだと。
そういう信仰が大乗仏教。
三蔵法師の中には、この信仰があったわけです。

命尽きんとしているガン患者が、「本来のところに帰って行くだけだから、無理な延命などしないでくれ」と言って、堂々と死んでいくケースがたくさんあります。
まあ、俺なんて、泣き叫んで死ぬのが人として自然だと思いますし、そうあるべきだとも考えますが、こういう立派な態度で死ぬ人も、少なからずおります。


若いときは、毎日、遊ぶことしか考えていない。
中には繊細で、こういうことを考える人もいるけど、ほとんどの人は考えない。
でも、年をとると、だんだん、考えるようになって、中にはいろいろ勉強する人も出てくる。
だから、大乗仏教とかヒンドゥー教とか勉強した人は、今、俺が言ったようなことは理解している。
小説家とか、そういう人は時間もたっぷりあるし、多読家ですから、当然、知っている。
そうなると、怖いのは、積極的に「母なる宇宙」に帰ろうとする人が出てくる。
自分の意思でね。
ですから、小説家には、自ら命を絶った人が多い。
知識人ゆえの自殺です。
坊さんは死なないでしょ?
半端な知識を持ってると死ぬんです。


般若心経の人生は幻であるという思想は、だから楽しめ、という思想なんですよ。
どうせ死ぬ。
もしかしたら、災害で明日にでも死ぬかも知れない。
だから、積極的に行こうとしなくても、すぐに行ける。
いつまでも若いと思うのは思い違いである。
光陰矢のごとし。
花はすぐに枯れ落ちる。
安心しろ。何もしなくてもすぐに死ねるぞ。
この幻は終わる。
どうせ、この世は夢の中なのだ。
夢ならば楽しめ。
夢の内容を変えてみせろ。
無常というのは、楽しいことが悲しいことに変わるという意味ばかりではない。
悲しいことが、楽しいことに変わるのも無常だ。
死ぬのばかりが無常ではない。
生まれて来るのもまた無常だ。
壊れるばかりが無常ではない。
創造するのもまた無常だ。
この夢の世界を駆け巡れと。


確かに、若いうちは、そういうプラス面の無常が日々、やってくるから楽しい。
でも、老いてくると、マイナス面の無常ばかりが目についてくる。
それもまた現実です。
でも、老いてくるということは、母なる宇宙に出会える日が近づいて来ているということなんだ。

精神科医の岩井寛は、ガンで死ぬとき、

「これで生きるという苦しみから解放される。こんなに楽しいことはない。」

と言ったそうです。
老いるということは、刑務所からの出獄の時期が近づいて来ているということ。

繊細な若い子は、これから、あと何十年も生きて行くことに耐え切れず、死んでしまう人もいる。
アイドルの上原美優ちゃんなど、こういうケースだったのでしょう。
お母さんに会いに行ったのでしょう。

一見幸福そうで、なんで?と思うような人が自ら死ぬことがあります。
それは、「無常」という法則の生み出す、マイナスの可能性に対し、恐怖が沸いて、耐え切れなくなったのです。

哲学者キルケゴールは「死にいたる病とは絶望のことである」と言いました。
無常にはプラスの可能性もあるのに、マイナスの可能性ばかりに目を向け、結果、絶望してしまい、死ぬ。

では、死ねばいいのか?
死ねば解放なのか?
いや、きっと、あの世で後悔するはずです。
なぜならば、せっかく与えられた、一度限りの夢を、放棄してしまったのだ。
せっかくの夢なのだから、なぜ、その夢を楽しまなかったのか。
そういう後悔です。

東日本大震災にボランティアに行く人がおります。
純然たる、人を助けたいという思いで行く人もいるでしょうが、多くの人は、自分が生きるために行く。
被災地域に行けば、自分の存在を感じられるのではないか?
生きる意味を見出せるのではないか?
そんな気持ちで、ボランティアに行く人が多いのではないかと思います。
そして、それで良し。
無問題。
人生とは、そうやって、遊ぶものなのです。

「遊ぶ」というところに、人生の究極の目的があります。
荘子はこれを「逍遥遊」と言いました。
逍遥とは、散歩することです。
散歩するような気持ちで遊ぶ。
これが生きる目的であると。

夜の飲み屋で、見知らぬ男と語り合うのが遊びではありません。
そんなことをすれば、ツイッターで実況中継されてしまいます。
気をつけましょう。

遊びとは、自分の可能性を発揮しきることです。
多くの人は、自分の可能性を発揮しないまま死んでしまうのです。
このことに、どれだけ早く気がつくか。

ひきこもりという行為は、どれだけもったいことなのか。
ましてや、自ら命を絶つなど。

かく言いながらも、この俺も、夜中、恐怖で目を覚ますこともある。
寝ている間は理性が眠ってしまうから。
感情だけが暴走するから。
昼間ならば理性が働き、上記のような考えをすれば落ち着くが、眠っているうちはそうも行かない。
したがって、悪夢を見る。
この続きは、俺のやっているポッドキャスト↓で。
http://poyoyoken.seesaa.net/
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共産主義ってのは、いったい、何なんだって疑問を持った人が多いでしょう。
今や、過去の遺物として、話題に上ることすらなくなった共産主義というシロモノ。
大人の人の大半は、この共産主義を「机上の空論」と言って否定しています。
実現不可能なものであると。

今から二千年くらい前、キリスト教が誕生しました。
イエス・キリストさん、というのは、歴史的実在性が疑われているわけですが、それでも、キリスト教という宗教は、間違いなく誕生した。
発祥当時のキリスト教の信者たちは、貧しい人々が多かった。
キリスト教の生まれたのはイスラエルという中東にある地域ですが、イスラエルでは十分の一税と言って、収入の十分の一を税金として納めていました。
これに対し、キリスト教はイスラエルの中にあっても、独立的な集団を形成しました。
キリスト教では、収入の十分の一ではなく、十分の十を持ち寄った。
つまり、全財産をキリスト教団に捧げた。
そして、キリスト教団で、平等に信者に分かち与えたわけです。

たとえば、月、百万円稼いだ人も、月、十万円稼いだ人も、まったく稼げなかった人も、平等にキリスト教団から分かち与えられる。
全員、5万円ずつ、というふうに。
これが共産主義です。
初期のキリスト教団は共産主義だったわけです。

新約聖書の中で、イエスがパンや魚を民衆に平等に分かち与えた、という記述がありますが、それはこのキリスト教的共産主義を象徴しているわけです。


じゃあ、社会主義って何なの?
似たようなもの?

ええ。
経済面においては、まったく同じようなものだと考えて良いでしょう。
ただ、社会主義は経済面に限定せず、ジェンダー(性別)であるとか、年齢であるとか、出身地であるとか、あらゆる面で平等であろうという主張です。


日本共産党って、やっぱり、こういう共産主義を実現しようとしているわけ?
ええ。おそらく、そうだろうと思います。

じゃあ、中国共産党は?
中国共産党は、今、経済政策を共産主義から資本主義に移行しています。
つまり、「共産党」というのは有名無実です。
中国には、中国共産党以外の政党は存在しませんので、一党独裁です。
だからと言って、共産主義は一党独裁的だというのは誤解です。
一党独裁と、共産主義は何の関係もありません。

信教の自由とか、表現の自由とか、中国共産党ではかなりの制約がありますが、これも中国共産党の特徴なだけであって、共産主義の特徴ではありません。

旧ソ連(現ロシア)で共産主義が失敗したとか、東欧で共産主義が失敗したとか言われていますが、これもは官僚が腐敗しただけであり、共産主義のせいではありません。

これまで誕生した共産主義国家は、みな、暴力的に誕生し、しかも一党独裁でした。
だから、幹部が権力を握り、共産主義の美名のもとに民衆から搾取し、結果的に腐敗したのです。
やはり、暴力ではなく、世論によって共産主義は実現せねば、本物にはならないと思います。


共産主義がダメだといわれる、もうひとつの理由は、みんな収入が同じだと、労働意欲が無くなる、というものです。
一生懸命にがんばったら収入として報われるのが資本主義というシステムである。
どんなにがんばっても収入が他の人と同じでは報われないではないか、と。

一理あります。
それは認めます。
でも、「一理」しか認めません。

だって、ここは大事な話ですが、今の日本社会は、どんなに一生懸命に働いても、報われない人がたくさんいます。
正社員と同じか、それ以上に働いても、「アルバイト」であるというだけで、賃金がめちゃめちゃ低い。
一方、一日中、涼しいエアコンの下で、パソコンばかり叩いている、お役人(公務員)さまが、ベラボーに給料が高い。


こういう面白い実験があります。
アリを観察していますと、アリ全体の三分の一は、実に、一生懸命に働く。
残りの三分の二は、適当にさぼっているそうです。
そこで、一生懸命に働いている三分の一を取り除いたら、そのアリの集団はどうなってしまうか?
やってみますと、なんと、残り三分の二のオサボリさんたちのうち、三分の一は、一生懸命に働くようになったそうです。
これって、みなさんの職場でも、思い当たりませんか?
つまり、集団の三分の一は、自動的に働くようになるのです。
みんなが、全員がさぼる、ということはない。
そういう本能があるんです。


仕事というのは、お金だけで働くわけではありません。
他者に役に立つことがうれしいから働くのです。
誰かに喜んでもらえるから働くのです。
安月給でも、その仕事に感謝してくれる人がいる限り、人は働こうとするのです。
アリの三分の二が、おさぼりさんだったのは、それでも集団が存続できるからです。
やがて、自分の番が来るまで、おさぼりさんは休んでいたのです。
だから、一生懸命に働くアリも、おさぼりアリを責めることはしなかった。
長期的に見たら、お互いさまだからです。


新約聖書には、こういう例えが書かれています。
ある農場に人を雇った。
朝から働いた人にも、夕方から働いた人にも、一時間しか働かなかった人にも、同じ賃金を払ったと。

キリスト教は共産主義を主張する宗教なのです。
今のクリスチャンに、そこに気づいている人は少ないですけれども。
朝から働く人も、一時間しか働かない人も、同じ賃金というのは、通常の感覚ではおかしいのです。
でも、朝から働ける場合もあれば、一時間しか働けない場合もあるでしょう。
たとえば、病気で具合の悪い人は、一時間しか働けないわけです。
でも、だからと言って、一時間分の給料しか出さないと、生活が成り立ちません。

日本には社会福祉というものがあります。
その、代表的なものが生活保護です。
病気や障害で、働くにも、働けない状況が生じた。
すると、生活保護を受けられます。
こうした考え方の源流にあるのが、この新約聖書の思想なのです。
日本は西洋をマネして、社会福祉を導入しました。
西洋人は、キリスト教の考えを政治に反映して、社会福祉制度を作ったのです。


今、一生懸命に働ける人も、いつか、うつ病になって、休職するかも知れない。
だって、人は誰でも、そうなる可能性があるでしょう?
今、さぼりがちな人は、何か、とても悩みを抱えているからかも知れない。
病気とか、失恋中とか・・・

だったら、お互いさま、と考えるのが共産主義です。
精神的に、とても成熟した思想と俺は感じるのですが、いかがでしょうか?


タレントも、固定給のほうが俺は良いと考えています。
マネージャーは、稼ぎのある時も、稼ぎの無い時も、毎月、同じ額の給料が貰えます。
食えなくなることはありません。
でも、歩合制のタレントは、稼ぎの無い時は、食えなくなります。
アルバイトするしか無くなります。
しかも、突然にスケジュールが入ることがあるので、アルバイトの種類も限られます。
知人の経営するスナックを手伝うとか。

俺は、タレントを事務所に所属させる時は、最低限、食えるだけの固定給で契約すべきだと思っています。
その代わり、どんなに稼げるようになったとしても、歩合給にはしない。
固定給のままです。
一本のCM出演料が数億円になったとしても、固定給のまま。
ボーナスでのある程度のキックバックはあるとしても。

和田アキ子さん(ホリプロ)は、固定給でずっとやっているそうです。
人に言うと、ビックリされるような額だそうです。
と言っても、ふつうのサラリーマンよりは高いと思いますが、ともかく、さほど高くない固定給でやっている。
それは、上記のような考え方だと思います。
たまたま、今、稼げるだけで、稼げなくなる時期もあります。
病気で仕事を休まねばならぬ時もある(実際、和田アキ子さんはそういう時期があった)。
単純に、売れなくなる時もある。
だから、歩合よりも、固定給のほうがずっと良いのです。

それに、プロダクションは共存体制です。
売れるタレントが、売れないタレントを支えているのです。
売れないタレントは、事務所で電話番をすれば良いのです。


タレントの話から戻しますが、ともかく、今の日本の資本主義体制は、果たして平等か?という事なのです。
努力が報われる社会になっているのか?という事なのです。

今、列車の車両や航空機の整備不良による事故が起こっていますが、ここの背景にも、おそらく、格差という問題が横たわっていると思います。
ある民間の鉄道会社では、車両の整備を下請け会社に発注しています。
その会社で雇われた整備士は、朝から晩まで働いても、年収二百万円です。

どんなにがんばっても報われないとするならば、仕事をするのが嫌になるでしょう。
すると、本当は点検すべきところを、点検しなかったりというのは、当然、起こって来るでしょう。
つまり、それが事故に結びついている。

仕事のある人はまだ良いですが、無職の人は大変です。
健康で家族がいる人は、生活保護の対象にもなりません。
毎日、ニュースでさまざまな事件が報道されますが、犯罪者の大半が無職の人です。
もちろん、低所得者による犯罪も多いです。

単純に、お金が無いから犯罪をするのだ、とは俺は考えません。
みんな平等にお金が無いのならば、こんなことにはなりません。
自分はお金が無いのに、あふれるほどお金のある人がいる。
だから、憎悪の念が湧き上がって来るのです。

今、子ども年金について、手取り860万円以上の世帯には所得制限をかけるという調整がされていますが、手取り860万円ということは、額面(課税前の金額)で1500万円以上です。
これって、月額で100万円以上ですから、大金持ちでしょう。
所得制限のラインが高すぎるでしょう。
いかに政治家が自分たちの収入を基準に考えているかが、よくわかるでしょう。

こういう格差です。
この格差によって、低所得者はやり切れなくなり、中には犯罪に走る人もいるのです。

年収二百万円の列車整備士も、年収二百万円だから腹が立つのでは無いのです。
自分の会社の幹部や、鉄道会社本体の社員の所得が、自分の何倍もあるから腹が立つのです。
それって、自分の仕事をあなどられていると感じるからです。
プライドを踏みにじられている感じがするのです。


先に述べたように、共産党だと、労働意欲が感じられなくなり、生産性が落ちるという批判があります。
では、今の日本のこの経済システムは、果たして労働意欲を感じられるのでしょうか?

今年3月に起こった東日本大震災ですが、これに伴い、たくさんのボランティアが現地に向かいました。
今もまだ、ボランティア活動が進んでおります。
ボランティアですから、当然、無給です。
でも、彼らにはきわめて労働意欲があります。

人に役に立つ、ということが、労働意欲に結びつくのです。
自分の尊厳が高められるということが、労働意欲に結びつくのです。

年収二百万円以下のワープアだから、やる気が無いのではありません。
年収二百万円以下でも、そこに尊厳があればやる気が出ます。
アイドルなんて、年収二百万円以下が大半ですが、そこに尊厳が感じられるから、やり甲斐がある。
(それでも事務所は生活を保障すべきだと思いますが)

自分が年収二百万で汗水たらしながら3K労働しているのに、机に座ってエアコンの下でパソコンの画面を見ている人たちが、正社員というだけで、自分の2倍も3倍も給料を貰っている。
それってつまり、馬鹿にされているって事でしょう?
自分の3K労働の上に、彼らの生活は成り立っているのに、彼らは決して、それに報いようとはしない。
これって、格差って言うよりも、ほとんど、差別でしょう?
職業差別でしょう?

北朝鮮は、共産主義国家を目指している社会ですが、まあ、金一族による独裁国家なのでうまく行ってませんけど、一応、共産主義がタテマエですから、労働者をたたえるわけです。
金正日が炭鉱の現場などに行って、一労働者を励ますわけです。
まあ、形、だけなんですけど。

そういうタテマエだって、無いよりはマシです。
タテマエも何千年も言い続ければ、本物になる事もあるんです。

キリスト教は、隣人愛を主張した。
パンや魚を平等に分かち与えるという事が、聖書の中に書かれています。
こういう一見、実現不可能な事も、今、「社会福祉制度」という形で、徐々に実現しつつある。
きれい事だって、ずっと言い続ければ本当になっちゃうんです。


政治家も、タクシードライバーも、野球選手も、清掃員も、平等です。
みな、尊い存在です。
そのようなタテマエすら、もう、今の日本では言わなくなってるでしょう?

共産主義というのは、そのタテマエを言い続けているわけです。
そして、どんな職業の人も、収入を同じくせよ、と主張しているのです。

年収百億もある人が、東日本大震災に1億円、義援金を出して話題になりましたが、そもそも、日本にホームレスやワープアがうようよいる中で、年収百億もあるという事が犯罪です。
新約聖書には、イエスの言葉を通じ、金持ちが天国に入るのは、ラクダが針の穴に入るよりも難しいと書いています。


俺は何百年先でも、共産主義が実現してほしいと思います。
でも、日本共産党員ではありません。
俺は憲法改正派ですし。

また、キリスト教礼賛みたいな感じになってしまいましたが、キリスト教には暗黒の歴史があります。
今のプロテスタント教会もまた、色んな問題を抱えています。
ですから、俺はキリスト教から学ぶべきものはあると思っていますけど、キリスト教だけを信条にする気はありません。
むしろ、ベースになっているのは仏教です。
これはもともと、俺の中では仏教のほうの歴史が長いからです。
それだけの事です。
どの宗教が優れている、ということは無いと思います。
どの宗教からも、どの思想からも、学ぶべきところは学ぶ、と言うスタンスです。


というわけで、ものすごく長~い記事になってしまいました。

今日はこれまで。
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昔「サトラレ」って映画があった(原作は漫画)。
自分の考えを、言葉に出さなくても、周囲にさとられてしまう病気を持つ、主人公の話。
なかなか面白かったので、DVDで借りて観てください。

俺は、「サトリ」って病気の人もいるのかも知れないと思う。
なんでも、その人の事を見抜いてしまう。
なんちゅうか、凄腕の占い師とか、坊さんのように。
そういう人って、あまり接したくないよな。
特に、その、さとった内容を、口に出す人には。

霊能者の江原啓之が、

「今、ちょっとあなたの部屋をのぞきに行かせていただきました。ずいぶん、散らかしてますねえ。」

なんて言うの、テレビであった。
その能力が本当なのか、どうなのかわからないけど、嫌だよね。
自分の部屋を霊視されるのなんて。
見えたとしても、見えないフリをして欲しい。

これって、一般常識でもそうで、女の子の肩に、フケが乗っていたとしても、男は注意しちゃ、ダメなんだ。
見ないフリをしないと。
それがマナーなんだ。


「サトリ」って病気の人は、なんでも、相手のことを見抜いてしまうけど、そうすると、相手はだんだん、苦痛になるんだ。
だって、いい顔したいじゃん。
誰だって。
自分の裏側なんて、みんな汚れてるじゃん。
それ、知られたくないじゃん。


男は男を見抜く能力がある。
女は、異性だから、レンズが曇って、男の本当の顔がわからない。
でも、男同士だとわかる。

だから父親は娘に対し、

「あの男とは付き合うな。アイツはロクなもんじゃない。」

と言ったりする。
すると、娘は反発する。

「あの人は本当にいい人です!」と。

でも、やがて別れる。
そういうものなんだ。

父親は、自分で感じたものを娘に伝えず、放っておいたほうが、娘との関係は保てたかも知れない。
けれども、その事を言ってしまったがゆえに、2年も3年も、娘が口を利いてくれなくなった。
どっちの選択が、父親にとって、良かったのだろうか?


馬鹿のほうが幸せに生きられるって言葉がある。
女のほうも、頭の切れる男よりも、多少、馬鹿な男と居たほうが安心するようだ。
隠し事がバレないから。
自分のついたウソに気づかないから。
何でも信じてくれるから。
そして、人間としてピュアーに感じる。

「見抜く目」を持った男は、一緒に居づらい。
ウソを見逃してくれない。
たとえ、その人が何も言わなくても、「俺はちゃんと見抜いてるよ」という目をしている。
そして、そういう男は、ひねくれているように感じる。


これは、男を女に置き換えても同じだ。
うまく騙されてくれる女のほうが、扱いやすい。
下手に知恵のある女はダメだ。
鼻持ちならない。
男はそう感じている。

あんなに美人で頭が良いのに、という女性が、いつまでも結婚しない場合がある。
その理由は、頭が良いからだ。
頭が良いから、ぜんぶ、見抜く。
そうすると、男はいたたまれなくなる。

たとえ、その女が、見ないフリをしてくれていたとしても、いつものように、笑って、知らない顔をして、朝ごはんを作ってくれたとしても、その女は気づいている。
彼女は心の中では泣いている。
でも、それを言葉には出さない。
利口な女だ。
だからこそ、一緒にはいられない。
彼女をもう、これ以上、傷つけたくない。

半年、一年ならば交際も続く。
しかし、そのうち、相手はぜんぶ、自分のことを知ってしまう。
なにげない会話の中から、ぜんぶ、探られてしまう。
裏も表も、隠したいことまで、知られてしまう。
するともう、一緒にはいられない。
人は誰だって、自分を良く思われたい。
だから仮面をつけて生きている。
恋人にも、見られたくない素顔がある。
それを全部、見られてしまったら、もう、一緒にはいられない。
親しくなり過ぎた。
だから別れようと。


俺は「サトリ」という病気もあると思う。
その人の心の中がすけて見えてしまう。
これは悲しい病気だと思う。
なぜならば、人に警戒されてしまうから。


mixiの日記にも載せたのですが、これはいい歌ですよ。聴いてみてください。
この人、天才だ。
もう、活動してないみたいですが。
http://youtu.be/w6b9FWKZwQg


それから、ついに、俺もツイッターをはじめました。
http://twitter.com/kuwatayoshio

生きて行く上で、日々、感じたことを書いて行くようにします。


みなさま、ペタくださった方、ありがとうございます。
忙しくて、まとまった時間のある時しかチェックも出来てませんが、感謝いたします。


ちなみに、俺はプロフ写真にキツネの画像を使っていますが、これはフェネックという種類のキツネです。
このキツネは「星の王子さま」という物語に出てくる、ひとりぼっちのキツネです。

(ネットでフェネックの赤ちゃん画像を二枚見つけました)

真実は人を幸福にするか?
真実は人を幸福にするか?


「星の王子さま」に出てくるこのキツネは、王子さまに友情とは何かを伝えます。
そして、王子さまとの友好関係が築けた時、王子さまは、別の友人を見つけるために去って行きます。
王子さまは、人間の友人が欲しかったからです。
その去り際に、キツネはお土産に、この言葉を王子さまに伝えます。


「本当に大切なものはね。目には見えないんだよ。」
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真実は人を幸福にするか?



このブログにはペタを一つも貰った事ことが無いと、前回、書いてしまったのですが、ペタ、けっこう、貰ってました。
ペタくれた人、すみません。
マイミクとかも、お断りできるほど上等な人物ではありませんので、気軽に申請してやってください。
コメント欄にも「アホ」とか一言書いていただければ、仕事の疲れが癒されます。

どうも、このブログですが、俺が元芸能マネージャーであることを書いたためか、タレントさんやモデルさん、芸能関係者さんのご訪問が多いようです。
せっかくですので、少しばかり、その辺の話をさせていただきます。
かなりの疲労のため、誤字脱字があればお許しください。


俺の学生時代はバブル期でありました。
ちょうど大学4年の頃「就職戦線異常なし」という映画をやっていたり、仙道敦子ではないかと思いますが、女性用転職雑誌のCMで「職業選択の自由、ははーん」という歌をうたっておりました。
4年生の夏になりますと、みんな、仲間はいっせいに就職活動です。
俺は、ちょいアスペが入っているのか、とにかく自由人の気質ですので、そういうのに、ついて行けませんでした。
大学院(仏教学)への進学も考えたくらいです。

結局、年明けまで何もせず、映画製作に興味があり、某映画を製作した会社に面接に行きました。
ある小説を手渡され、「これを読んで二時間ドラマの企画書を書いて来い」と言われました。
それが入社試験です。
ホリプロとかに比べたら、大した倍率じゃないです。
30倍程度です。

なんとか、当時の粗末なワープロで、企画書を素人なりに作り、持って行ったら、「自動車免許を取って来なさい。そして、4月になったら来なさい」と言われました。
だから合宿でギリギリ免許をとって、その会社に行くと、机が用意され、みんなに紹介されました。
芸能マネージャーとしての採用でした。
大手の老舗芸能プロダクションで、映画製作部門は微々たるもの(まずい、これだけで業界人には一発でわかる)だったので、そういう事になりました。
半年、演歌のマネージャーをやりました(今度は俺が特定されるな)。
あまり、その、なんちゅうか、体質について行けず、別の事務所に行きました。
当時、飛ぶ鳥落とす勢いのアイドルを抱えている事務所でした。
そのアイドルのマネージャーになりました。
当時、俺、パンチパーマでした。
ミュージックステーションでネタにされました。
(これで関係者がみたら、一発だな。見ても俺の実名は書かないでください。)


親父が死んじゃって、そこも半年で辞めて、北海道に戻りました。
一周忌を待ち、また東京に戻りました。
元事務所の同僚が、新しいモデル事務所を立ち上げていました。
その人は、モデル業界では、もともと、相当のやり手なのですが、芸能界は未経験だったのです。
そこで、俺は芸能マネージャーとして手伝うことになりました。

最初は、ワンルームマンションから始まりました。
俺は夜警とかけもちで、しのぎました。
最初の1~2年は、そんな感じですが、モデル業務のほうの稼ぎが良かったので、ちょっと広い部屋に移りました。
それから、タレント(役者やアイドル)も徐々に輩出できるようになり、俺が入って5年くらいしたら、新しいビルのワンフロアー全部を使えるくらいになりました。
ええ、かなりの売れっ子も育ったものですから。
おかげで、業界では、新興プロダクションとして、全体に知れ渡るようになりました。
そして、俺は辞めました。

なんか、俺の役割が終わったような気がしてね。
あの、ワンルームマンション事務所で、必死に、テレビ局や映画会社に営業をかけ、どこの馬の骨を見るような怪訝な顔で対応され、それでも一生懸命にタレントを売った、その頃がなつかしかった。
俺がそこをやめる前に、俺が気にかけていたモデルやタレントが、どんどん移籍していって、そのショックもあった。
なんか、一時代、終わったような気がした。

俺もアイドル不遇と呼ばれた時代に、今のアキバ系アイドルの源流みたいな娘を売り出し、某アイドル評論家の書いた本に「アイドル不遇の時代をたった一人で支えた」とか書かれた。
その後、その娘とは違う娘が、メジャーアイドル化したけど、売れない娘と二人三脚で、必死に地方のどさ回りをしていたほうが、面白かった。
支えてくれるスタッフも業界にたくさんいて、みんな、仲間だった。
色々、苦しいこともあったけど、面白かったなあ~


社長、俺だと気づいたらごめんなさいね。
当時のモデル・タレントさん、関係者さん、ご無沙汰さんです。
俺は生きてます!


そんなわけで、帰って来ました。
おふくろが一人暮らしだったしな。
でも、北海道じゃ、仕事無いんだよな。
芸能関係ったって、北海道で成立しないしな。
大泉洋さんも、結局、本拠地を東京に移してるでしょ?
昔とったなんとやらで、北海道でも何かできないか、今でも思うけど、難しくってね。

でもね、札幌でもモデル事務所があって(俺とは関係してないけど)、いいモデルもいるんですよ。
何か、花咲かせてあげたいなあ。
俺に出来ることがあればなあ。


というわけで、やれる仕事が無いので、「ビル管理技術者」という仕事をしてます。
工具持ちながら、ビルをウロウロしてるおっさん、いるでしょう?
あれです。


最近の芸能界に、言いたい事、ひとつあります。
だれだれと付き合ってるとか、俳優とかタレントが、簡単に公表するのはやめて欲しい。
スクープされるような隙も、与えるなよ。

だって、悲恋を演じるヒーローとヒロインが、プライベートで出来ているって視聴者が知ったら、面白いですか?
裏側を知ると面白く無いから、韓流ドラマが流行ってるんじゃないですか?

俺の頃から、そういうゆる~い風潮、出来て来ちゃったけど、まだ、今よりは厳しかったですよ。
アイドルは25歳になるまで、男と付き合うな、とかいうタレント事務所も、けっこう、あったよ。
本当に事務所、厳しかったよ。
芸能界全体、厳しさがあったよ。
メール交換とか、簡単にするなよ。
値打ちの無いタレントほど、メール交換、簡単にするんだよ。

俺も、某学園ドラマの撮影の時、自分の出番じゃないからって、他の高校生役の連中が、廊下で、ウンコ座りしながら、くっちゃべっていてね。
反対側では撮影、してるわけですよ。
他の事務所のタレントだろうが関係ない。
俺、怒鳴ってやった。
みんな、立ち上がったさ。
その中には、今、売れてるやつもいるだろうに (^^)


とにかく、今、芸能界やファッション業界で戦っている人。
がんばってください。
一生の思い出を築いて下さい。
色々ある業界なので、相談相手が欲しい状態になったら、俺でよければいつでもどうぞ。
今や、空調点検の仕方とかしか、教えられないかも知れないけど。


画像は新宿河田町にあった頃のフジテレビ。
なんか、ここの食堂、まったり出来たんだよな。
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真実は人を幸福にするか?



しかし、とことんいきぐるしくなったものだ。
釈迦は生老病死の四苦を説き、その第一がまさに「生苦」(しょうく)、つまり、いきぐるしいというわけなのだが。
あの時代は、カースト制度があって、貧しく、確かにいきぐるしかっただろうが、現代、日本はもっといびつな、いきぐるしさが存在している。
その原因は、おそらく「世代間」のギャップの大きさにあるような気がするのだが。

それはともかく、本題に入る。
本題と言っても、俺が言いたいのは、いつでも、ただ一つだ。
孔子は自分の言いたい事を「忠恕」の二文字にまとめ、老子は「道」の一文字にまとめ、韓非子は「法」の一文字にまとめたわけであるが、俺の40年弱かけて学んで来た事を一語にまとめるとするならば、それは「狂愚」(きょうぐ)であろう。

別に俺の造語でも何でもなく、昔からある言葉だ。
goo辞書で検索しても、ちゃんと出て来る。
goo辞書によれば、【狂愚】とは、「道理を心得ず愚かなこと。」である。
気に入らない。
俺の狂愚とは意味が違う。
まあ、辞書にどう書いてようが、俺の知ったこっちゃない。
俺の狂愚の意味は、「狂っているが如く、愚かな如く」という意味である。
あくまでも“如く”だ。

単刀直入に言う。
世間のほうが間違っているんだ。

俺は十年前、ある小さなホテルのアルバイトの面接を受けた。
すでに30代だった。
広報担当だった。
断られた。
面接を担当した人は、俺でも良いと思ったようだが、上に「重い」と言われたそうだ。
重いというのは、30代の男をアルバイトとして使うのは重いという意味だ。

その担当者と、後日、バッタリ札幌駅の南口で会った。
その人は空を見上げながらこう言った。

「リアルのほうが間違っているってこともあるからさ」と。

リアル、つまり、現実世界のほうが間違っている場合もあると。
その人も、会社の中で、色々と感じているのだろう。


俺は資本主義は狂ったシステムだと思っている。
自由競争は人間性を喪失させると思っている。
戦争する権利の放棄など正気で無いと思っている。
原発なんて、悪魔の所業だと思っている。
格差社会など、もう人間社会では無いと思っている。
つまり、リアルのほうが完全に間違っているのだ。

世間が狂っている。
普通じゃないのは世間のほうだ。
なのに、無理に世間に合わせようとするとどうなるか?
いつか自分も狂ってしまうのだ。
風邪のウイルスの中にあれば、自分も風邪に感染するように。


室町時代の一休さんは、正月に、ドクロを竿の先にぶらさげて、「ご用心、ご用心」と言いながら歩いた。
世間の人は、それを見て「狂っている」と思った。
だが、正月というのは、みな、酒を飲んでいる。
そうすれば、当然、火の不始末が起こりやすい。
家事になればどうなるか?
自分がドクロになるのだ。
だから、「ご用心、ご用心」なのだ。
一休さんは狂っていなかった。
むしろ、極めて正常だった。

俺は一休さんのように生きたいと願っている。

江戸時代の禅僧に良寛さんという人がいた。
まりを子供とついて遊んだという、あの良寛さんである。
あばら家で寝ている時、泥棒が入って来た。
何も盗るものなどない。
良寛さんは寝ているフリをしながら、そっと、布団を泥棒のほうに押しやった。
泥棒は布団を持って帰った。

大愚良寛と、彼は自分を名乗っていた。
愚かな者こそ、自分を優秀に見せ、優秀な者こそ、自分を愚かに見せたがる。

日本が経済成長期の時、中国は完全に置いて行かれた。
馬鹿みたいに安い賃金で、日本は中国人労働者を働かせた。
中国人はハラワタが煮えくり返ったに違いない。
その時、中国政府はこう考えた。

「俺たち中国人を無能だと思わせておけ。安い賃金でもがまんして使われていよう。だが、その間に我々は先進国の技術を盗む。やがて中国の人口も増える。その時、人口の多さと技術力をもって、我が中国は世界を凌駕するだろう。」と。

俺たち日本人は、戦時中は、自分たちの軍事力を誇った。
その結果、アメリカに負けた。

そして、戦後、日本は経済力を誇った。
その結果、バブルがはじけ、今や中国に引き離されている。
(その中国も今、油断している。いずれ、インドと東南アジアが台頭するだろう)

この、自分を愚かに見せる策略というのは、老子の知恵である。
酔拳という中国の拳法がある。
これは、酔っていると見せかけて、敵を油断させる戦略である。
老子の知恵を生かした拳法だ。


日本の戦国武将、織田信長は、虎皮でこしらえた衣を着て、一見、馬鹿にしか見えなかった。
これも、己を愚かに見せる戦略である。
だから桶狭間で、大軍の今川に勝つ事が出来た。
秀吉も、自分を「猿めにございます」と、周囲に油断させた。


世間のほうが狂っているのだ。
だから、世間に「あいつは狂っている」と思われたほうが正解なのだ。

社内的に出世するほうが、本当は社会人として間違っている証拠なのかも知れぬ。
適当に上司におべっかを使い、汚い手を使うほうが出世するのかも知れぬ。
ならば、釣り馬鹿日誌の浜ちゃんのように、ずっと平社員のほうが、正当なのかも知れない。

昔のサラリーマンは、辞表をいつでも内ポケットに入れて仕事したと言う。
いつでも辞める覚悟をしなければ、本当に社会に役に立つ仕事など、出来るわけが無い。

一昨年、公務員の昼休みが、60分から45分に短縮された。
実にくだらない。
15分くらい、何だというのだ。
しっかり、休んでもらって、その分、ちゃんと仕事をしてもらったほうが、市民のためではないか。

役所は殺伐とし過ぎている。
クラシック音楽でも流して仕事をしてはどうか。
腹が減ったら、堂々とパンでもかじりなさい。
腹が減っては戦さはできない。
ちょっとくらい、うたた寝をして、何が悪い。
適当に休んでもらったほうが、ぼうっと仕事をしてミスをされるよりも、よほど良い。
それくらいのゆとりが、この国には必要なのだ。

形式ばかりのくだらない書類ばかり作るな。
肝心な書類は破棄し、使わない書類ばかりをダンボール箱に入れて倉庫に眠らせてある。
これを狂っていると言わず、何が狂っているのか。

JR北海道の車両事故も、見える部分しか点検整備しないという風潮があったから、こんなに連発したのだ。
上司の顔色ばかりうかがっている証拠ではないか。
お客を第一に考えるならば、どこをどう整備しなければならないのか、自ずとわかるはずだ。

一休さんは紫の衣を着なかった。
紫の衣は、将軍だけが与える権利があった。
紫の衣は、僧侶としては最高の名誉。
その衣を一休さんは着なかった。

江戸時代の沢庵禅は、紫衣を拒否して流罪になったくらいだ。

僧侶は万民の一番、下に立つ存在でなければならぬ。
これは釈迦の時代からの伝統だ。
紫衣など、もってのほかなのだ。
僧侶の衣は昔から便所掃除で使うような糞掃衣(ふんぞうえ)と決まっている。
だから、紫衣を拒絶することは、世間的には「狂」であっても、実は正常なのだ。


このように俺は色々、知っていることを書いて、あたかも自分の「賢」を自慢しているように見えるが、わかりやすいように、色々な実例を出しただけである。
俺は宗教のことしか知らない。
他の人が、色んなところに時間とエネルギーを費やして来たのを、俺は役に立たぬような本ばかり読んで来た。
だから、こういう知識が、一般人よりはストックされているだけである。
(時間があれば、宗教、漢学、心理学、ギャンブル、武道、漫画の本ばかり読んで来た)
それに俺は反創価として生きて来たから、必要に迫られて仏教を幅広く勉強して来た。
本当に、創価や日蓮の教えだけが、唯一最高の教えなのかを知るために。
(そうじゃなかったという結論に達したのは、俺の一連の発言でおわかりいただけると思う)


ともかく、自分は狂愚でありたいと願っている。
俺の理想は、世間の人がみな狂愚となり、ゆる~い国家を形成する事なのだ。
まあ、老子に描かれているような国家だ。
沖縄とかアイヌのように、ゆったりとした時間の流れる社会だ。
(彼らこそ縄文人の直系であり、原日本人だ)
そのために、こうして大した影響力もないブログで発言している。
したがって、知識をひけらかさざるを得ない。

文章では何とでも書ける。
だが、俺は狂愚を実生活で実践している。
その結果、仕事をクビになった事もある。
向こうのほうが本物の馬鹿なので、何の後悔も無い。
ただし、女の前ではなぜか狂愚を忘れ、自分を立派な人間に見せようとして、いつも嫌われてしまう。
まだまだ、修行が足りない。

ともかく、己を利口に見せようとしたり、世間に迎合しようとすると、かえって失敗するものだ。
上手く行くのは最初のうちで、いつかは痛い目に遭う。
原発問題など、まさに、その証明ではないか。


長くなりました。
最近の人は長文を読まなくなったので、幾人が最後まで読み通してくれたことか。
ちなみに、このブログ開設以来、コメントというものをもらった試しが一度もない。
ペタすらない (^^)

狂愚のブログらしくて、かえって良いかも知れぬ。
たわいもない話をすれば、コメントも来やすいだろうが、そんなことに無駄な時間を費やせるような年齢では、もはや無い。

もう一つ、一回の記事につき、5人くらいしか読みに来ないブログがある。
こっちはもっと、もっと、狂愚だからな。
タイトルからして実に怪しい。
http://moon.ap.teacup.com/sapporo/

ポッドキャストもやっている。
これも、登録者はそれなりにいるみたいだが、熱心に聴いているのは10人くらいではないかと思う。
http://poyoyoken.seesaa.net/

とにかく、俺は今まで、ネットではいろんなハンドルを駆使し、この十年、狂いまくって来た。
「狂っているが如く」というよりも、たぶん、本当に狂っているのではないかと思う。
自分で言うのも何だが、実に薄気味悪い人物である。

みなさま、ご用心、ご用心。
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雨にも負けて

風にも負けて

雪にも夏の暑さにも負けて

病弱なからだをもち

欲に迷い

怒ってもがまんし

たまに笑いたい時だけ笑っている

一日に三食と

おやつをたくさん食べ

あらゆることから

自分を守り

見ても聞いてもよくわからず

そして忘れ

山を切り崩した土地に

強引に建てた小さな家にいて

東に病気の子供あれば

行って看病してやるでもなく

西に疲れた母あれば

横目でその姿を見

南に死にそうな人あれば

気の毒だなと思い

北に喧嘩や訴訟があれば

関わらぬように気をつける

日照りの時は汗だくになり

寒い冬はひたすら凍え

みんなにでくのぼーと呼ばれ

ほめられもせず

それほど苦にもされず

馬鹿と呼ばれ

阿呆と呼ばれ

無能と呼ばれ

アイツは使い物にならないと陰口を言われ

アイツは常識を知らないと陰口を言われ

女には見向きもされず

メールをしても返信もされず

すれ違う女子高生には笑われる

親戚の前では奇異に見られ

近所の子供にはからかわれ

語る事のすべてに賛同を得られず

ただ、ただ、年を食い

趣味もなく

仕事から帰ったと思ったら、また仕事に行く

神に問いかけても返事もなく

神社の前でうなだれて帰る

それでもまた神社に行く

野球も嫌い

サッカーも嫌い

ドラマを観ても、現実のほうが波乱万丈なのでつまらなく

ホラー映画を観ても、現実のほうが恐ろしいのでつまらない

酒を飲んでは号泣し

布団に入れば悪夢で目が覚める

それでも、人殺しもせず

自分も殺さず

犯罪もせず

日々、不安と孤独に耐えて生きて行く

いつか死んだら、あの世で好きな人たちに会える

ただ、それだけを楽しみにして

そういうものに

わたしは

なりたい
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男のサッカーの日本代表は弱いけど、女のほうは強いんだな。
ドイツを破って、上位4チーム入りだって。

だけど、なんですか、あの「なでしこジャパン」って、吹いちゃうネーミングは。
大和撫子も武士(さむらい)も、日本にはもう、居ないのですよ。
だいたいね、国家斉唱の時に、胸に手を当てるなよ。
おまえら、韓国人か!


武士と言えばですね、「葉隠」ですよ。
江戸時代に、佐賀かどっかの武士の言行をまとめた本って言われてる。
有名なのが「武士道とは死ぬ事と見つけたり」。

俺は武士じゃないけどね、やっぱり、死ぬ事と見つけておりますよ。
生きるってのは、死の準備なんだ。

生きるのが苦しいのは、明日も、あさっても、来年も、再来年も生きると思うからなんだろうな。
死ぬんだよ。
来週か、来月か、来年かわからんけど。
そう遠くないうちに死ぬんだ。
だから、死の準備をする。
死の準備。
これが生きるって事なんですよ。


来週、死ぬと思ったら、そんな立派な家具を買う必要、ありますか?

ぜんぶ、すっきり、まとまるわけですよ。
迷いが無くなるわけですよ。
すぐに死ぬと思えば。


これ、自殺のススメじゃないですから。
放っておいても、わりとすぐ死ぬと思いますよ。
地震とかも、この所、すごいからね。


大丈夫。
心配しなくても、すぐに死ねるから。
そう考えたら、今日、どうやって生きて行けば良いのか。

「生きるとは、死の準備と見つけたり」(俺の言葉)
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真実は人を幸福にするか?



酒、止めたんです、俺。
付き合い酒も、一切、止めた。

アル中気味になっちゃって。
不安を酒で紛らわしてた。
でも、酒って、さめた後の反動が怖い。
不安が倍増するんですよ。

飲まないと不安です。
でも、飲んじゃうと、さめた後に余計に不安になる。

これ、覚醒剤やってる人、もっと深刻でしょうね。


人間ってのは、存在自体が不安なんですよね。
不安が服を着て歩いてるようなもので。
誰でもそうで、例外は無い。
だから、「自分だけ」なんて思っちゃいけない。
病院とかハローワークとか行けば、実感するでしょう。
世の中、不安な人で溢れているのだと。

じゃあ、その不安とどう向き合うのかと。
酒や覚醒剤はダメですわ。
タバコもダメですよ。
コーヒーなら過度に摂取しない限り、良いみたいだけど。

森田療法という精神療法があるんですけど、「不安常住」という言葉を使う。
「不安は絶える事なく、いつでもあると思え」という意味。
一種の開き直りです。

俺は、「不安常住」とは思いません。
人は、一日の中で、不安と安心を繰り返すものだと思っています。
不安を忘れられる瞬間もある。
だから、心配する必要はない。
けれども、避ける事のできぬ、不安の時というのも訪れる。
その時には、耐えるしかない。
これは一日に限らず、人生という単位でも同じです。


じゃあ、不安な時は、ただひたすら耐えるしか無いのか?
不安な時の対処法ってのを、学校でもNHK番組でも、教えてくれて無いと思う。
人生で、一番、重要な事なのに・・・

俺が経験的に思うのは、とにかく行動する事。
動きを止めない事。
じっと寝ていると、悪夢ばっかり見ますよ。
とにかく、動きましょう。
掃除でも、洗濯でも、仕事でも。
有益な事をみつけて、それに取り組む。

「男と遊びに行く」とかね。
少女が陥りやすいパターン。
確かに行動だけど、破滅に陥りやすい行動です。

キリスト教会に行くとかね。
俺も行ったけど、結局、最後は金要求するんだよね。

もっとも有効なのは、不安の根本原因を解決する事ですよ。
人間関係のこじれが原因ならば、手紙を書くとか。
病気ならば、良い病院を探す。

第一に、このような直接的問題解決的行動。
第二に、運動とか、家事とか、仕事とかの、間接的問題解決行動。
第三に、他人のために良い事をする。ボランティアみたいな。
第四に、相談。悩みを人に聞いてもらう。
第五に、コーヒー、チョコレート、ぶどうジュース、ハーブ、バナナ、牛乳、ひまわりの種、カルシウムなど、食品による沈静。
第六に、フロとか、音楽とか、散歩などのリラックス行為。
俺は瞑想音楽が好きです。
世代的に、松田聖子も好きです。
俺はたくさん芸能人に会ったけど、松田聖子だけは本当にビビッた。
オーラのかたまりだった。
第七に、瞑想とか、お経とか、祈り、お墓参りなどの宗教的行為。
ウチワ太鼓叩きながら「ナムミョウホーレンゲキョウ」とか法華の人がやるけど、あれはあれで沈静効果がある。
お墓参りも、窮地におちいった時にやると、なぜか運命打開のキッカケになったりする。
第八に、日記を書く。書く事で、思考が整理される。
第九に、病院で処方する抗不安薬。
これはちょっと酒に似たところがあって、効果が切れると不安が増す。
失業中の不安など、人生の一時をしのぐための薬であって、生涯、用い続けるようなものでは無いです。
中毒性があり、薬の過剰摂取で命を落とす人もいますので、服用に当たっては、主治医の指示に必ず従う事。
SSRIとかの抗うつ剤は、かえって、重症になる可能性があるので、医者にすすめられても慎重になったほうがいいと思います。俺は勧めません。これで治った人、聞いた事ない。
第十。これが最後ですが、最も大切な事。笑う事。
いつも泣いてるってのはまだマシなのですが、いつも怒ってる人いるでしょう。
こういう人は、必ず運気を落としている。
不運な生涯をたどる。

自分のほうが正しくて怒っているとしても、それでも運を落とす。

笑う門には福来るって言います。
怒る門には不幸が訪れるんですよ。

天照大神が岩戸に隠れた時、他の神々が岩戸の前で、宴会をやったでしょう。
ストリップとか。
あれは男の創った寓話なので、お色気入りなんですけど、とにかく、みんなで大笑いしているところを、「なんや、楽しそうやな」と思って、天照大神が顔を出したんですから。

笑うためには、「必ず良くなる」と信じる。
一見、絶望的に思える時でも、それは幸福に至るための過程なのだと。
不幸というのは、毒が抜けて行っている状態なのだと理解する。

嫌な人の事は考えない。
こっちが手を下さなくても、天の法則は、必ず悪いヤツには報いをもたらしますから。


長々語りました。
ともかく、じっとしていても不安は消えるどころか、ますます増大します。
だから、とにかく動き続ける。
何もしないくらいならば、念仏でも称えていたほうがマシです。

さて、また不安になって来たから、酒、がぶ飲みするか。
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$真実は人を幸福にするか?



最低限、それくらいやらないと、成功しないって条件、ありますね。

例えば、俺は宅建、持ってるわけですが、宅建の場合、過去問十年分を3回、繰り返せとか言われます。
確かに俺も、それくらいやりました。
俺が、人に宅建の勉強方法を勧めるならば、一問一答式の過去問を使えと言いますが。


16年半に渡り、日産のトップセールスマンをやった奥城良治という人がおります。
この人は、若い頃、あまりに売れなくて自殺を決意し、青梅山中を徘徊したそうです。
その時、亡き父親の「ここで死んだら犬死だ」という声が聞こえ、思い留まった。

その後、奥城は自分に課題を課しました。
一日百軒の飛びセールス。

「九十九の断りを受ければ、天は必ず一件の受注をくれる。この考え方、信念を固く固く信じるのである。」
「飛び込みでは、客の冷酷な“断り”のメッタ打ちに耐えよ!」
「トップセールスマンとは、最も多くの、侮辱と屈辱を受けた男である!」

以上、奥城の言葉。


「九十九対一」の法則。
これは、すべてにおいて当てはまると思います。
九十九回の失敗につき、神は一回の成功を与えてくれる。
まるで、どっかのスタンプカードみたいですが。

例えば、就職活動。
百回も応募すれば、一社は雇ってくれる。
そう信じる。
もちろん、無闇に履歴書を送るのではなく、送り先を厳選する。
回数をこなせば良いというものではない。
質もいい加減にしない。
そうしたら、普通は一社は雇ってくれるはずだと思います。


意外に、通常やるべき努力のラインまで到達していない。
それなのに「なんて私は不運なんだ」と嘆く。
人って、そういうものです。

例えば、ダイエットしたいのならば、最低限、痩せるために努力しなければならない条件を、リストアップする。

(1)間食は一切、しない。
(2)アルコールは一切、飲まない。
(3)ごはん、麺類は普通盛りを一杯まで。
(4)午後7時以降の食事はしない。
(5)毎日、必ず一万歩以上、歩く。

等々のリストアップをする。
必ず、それを守る。
そうすれば、痩せれるはずなんです。
俺も、体重、40キロ落とした経験があります。

たいていの場合、上手く行かないのは、やるべき努力をやっていないだけなんです。
一日百軒の飛びセールスはともかく、「やっぱ、ここまでやらないと契約は取れないだろう」という水準を自分なりに見つけて、最低限、そこまでの努力はする。
上手く行かないのは、その「水準を見つける」という作業を行っていない。


たとえば、小説家を目指すのならば、「一年で十の短編小説と、二の長編小説を投稿すれば、5年以内に何とかなるのではないか」などの水準を見つけ、実行する。
こういう作業をしないで、だらだらマイペースでやってても、成功などするはずがない。


そして、侮辱と屈辱に耐える。
身に受けた侮辱と屈辱の数だけ、成功に近くなると信じて。


最低限、行うべき努力もせず、侮辱と屈辱から身を守って日々を過ごすのであれば、成功は絶対無いでしょう。
そんな人が、宗教に頼ったって、何の意味も無いでしょう。

不安とは、努力によって鎮まるものであり、神仏への祈りによっては決して鎮まりません。


まずは、紙に、努力水準を書き出してみる。
そこから出発でしょう。


なんて事を申しておりますが、言うは易しですな。
でも、これ、真実ですよね。
厳しい、真実ですよね。

誰か、助けて~!!!


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