真実は人を幸福にするか?

桑田義雄が、うかんだり、もぐったりするブログ


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前回の記事だが、実は、本当に言いたい事を言うのを忘れたのである。

そこで、今回は本当に言いたい事を書く。


ポジティブ理論は「あきらめるな」に尽きる、と前回では言いました。
そこに“最後まで”をつけたところで、要は「あきらめない」事が重要です。
ここが肝心ですが、あきらめないためには、強いメンタルが必要なのです。

そうなのです。
何かを成そうとする時、重要なのは強いメンタルです。
メンタルが追い付かないと、まったくダメなのです。

何かを実現しようと、人は頑張るわけですが、そこにはメンタルが必要です。
ところが、あまりにもしんどい状況だと、メンタルが追い付かないのです。
多くのポジティブ理論を書いた本は、この「メンタル的にきつい場合」が書かれていない。

今の時代って、万事にわたって、「きつめ」です。
だから、メンタルがきつくて当たり前。
なのに、「あきらめるな」と言われても、無理です。
そういう場合は、あきらめなさい、という事。
あきらめないと壊れるから。

「いや、あきらめたくない。どうしても実現したいのだ!」

というのならば、頑張ってみなさい。
ただし、希死念慮とか、そこまで行ってる人は、あきらめないで、メンタルの手入れをしたほうがいいです。
あきらめない人が偉いわけではありません。
あきらめても、他人に迷惑をかけない人が偉いんです。
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ポッドキャストを聴いていただいている方はご存知だろうが、俺は基本的にネガティブである。
正確には現実的である。
現実的になればなるほど、ネガティブになる、と俺は思っている。
釈迦は言った。

「一切皆苦」(人生のすべては苦悩である)

しかしながら、ネガティブな言葉は嫌われる。
本当は自分だってネガティブのくせに、ネガティブな主張を嫌うのだ。
よって、ネット上でも、ネガティブな俺は避けられる。
非常に面白くない。

ジョセフ・マーフィーの頃から、本屋に行くと、ポジティブ本にあふれている。
そんなに、この系統の本って売れるのか?
売れるのかもね、俺もさんざん買ってたし。

しかし、家の床が抜けるほど、ポジティブ本を買いあさった俺に言わせると、その手の主張って、単純だ。
ウヨク(あえてカタカナ)の主張が「愛国心」の一語に尽きるように、ポジティブ本の主張も、一語で終わるのだ。
それは、

「あきらめるな」

である。
その他の事はすべて、蛇足であり、ポジティブ理論はこの一言に尽きる。

ここで、ネガティブ派らしい突っ込みを入れるならば、「あきらめなければ叶うとは限らない」である。
お釈迦さんの「無常」「無我」の思想も、そういう趣旨だ。
だが、俺はネガティブ派だけど、ひねくれているわけではない。
希望を持つ事を否定しているわけではない。
希望を持つ事は大切だ。
そのために努力する事も大切。
その上で、頭の中で「努力しても叶わないかも知れない」という認識は持っていないと、失敗した時に辛いよ、と言っているだけだ。

叶わないかも知れないけど、希望を持ちましょう。
そして、「あきらめるな」というのは無理なので、ちょっと書き換えましょう。

「最後まであきらめるな」

“最後”の二文字をつける。
いつが最後なのかは、自分で現実的に判断する。

ポジティブ理論の本なんて、読まなくていいし、セミナーなんか行かなくてもいいざんす。
がんばっている人にとって、必要な言葉は、これに尽きる。

「最後まであきらめるな」である。

そして、最後が来たら、あきらめよう。


さて、話が変わる。
先日、YouTubeに動画をアップした。
非常に面白いと自負する内容である。
前半と後半を合わせて90分。
ぜひ、御覧下さい。


これだけ仏教【前半】

これだけ仏教【後半】



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久しぶりにこのブログを更新します。

今回は、憎しみの感情をテーマにします。
憎しみは悪い事でしょうか?
私はそうは思いません。
許しがたいヒドイ事をされたら、憎むのが当然です。
自然の心理です。
この心理を否定し、抑圧してしまう事は、自分の精神に悪影響をもたらすものと考えます。

キリスト教では、「右の頬を打たれたら、左の頬を差し出せ」と言いますが、現在のクリスチャンで、これを文字通りに解釈する人はいないでしょう。

原始仏教では、憎しみは煩悩ですから、これから解放されるべく修行します。
ある意味、抑圧的な宗教とも言えます。
これについては、原始仏教なりの特殊な修行方法があり、上手にやれば実現できるのかも知れません。
しかし、現在の我々に、このような修行方法を教えてくれる人はいません。

私は凡人です。
極めて凡人です。
仏教的修行は試みますが、なかなか上手には行きません。

ですから、許し難い人物に関しては憎みます。
それ以外の方法が見つからないからです。

戦争で銃弾が女房子供に当たって死んでしまった。
この時、その銃弾を放った者を憎まない夫はいないでしょう。
また、人として、憎むべきでしょう。

私は毎日、以下のような祈りをします。

「善人は幸福であれ。悪人は不幸であれ」

これを自宅の祭壇に向かって毎日、祈るのです。
この悪人の中に、自分も含まれるかも知れません。
ですが、それで構いません。
私が悪を成したならば、不幸になるべきなのです。

悪人であっても幸福になるような祈りは、間違いであろうと思います。
悪人はきちんと不幸になってこそ、天の正常な法則であろうと思うのです。


では、憎むべき人物が現れた時にどう対処するか?
これはおよそ、私刑と公的刑罰の二つに分けられます。
私刑は個人的復讐です。
これについては、法律では禁止になっています。
下手をすれば、自分が捕まります。

公的刑罰には民事罰と刑事罰があります。
いずれも裁判所によって、刑の内容が決定されます。
残念ながら、日本の公的刑罰は、被害者の思いを、あまり、くんでおりません。
被害者が歯がゆい思いをする事が多いのです。
日本の司法制度は、まだまだ未熟です。
長く長く裁判を継続して行けば、被害者は精神的にも時間的にも、場合によっては金銭的にも失われて行きます。
それでいて、満足する裁判結果が出るとは限らないのです。


ならばどのように対処すれば良いのでしょうか?
以下に言う私の結論には、不服な人も多いと思います。
ですが、現状で私が考えられる結論は、これしかありません。

中国の老子という古典に「天網(てんもう)恢恢(かいかい)疎(そ)にして漏(も)らさず」という言葉があります。
これは、天の張る網は、広くて一見目が粗いようであるが、悪人を網の目から漏らすことはない。悪事を行えば、天罰をこうむるという意味です。

また、観音経というお経があります。
その中に、「呪詛諸毒薬 所欲害身者 念彼観音力 還著於本人」(しゅそしょどくやく しょよくがいしんじゃ ねんぴかんのんりき げんちゃくおほんにん)という文句があります。
これは、「呪詛(じゅそ)諸の毒薬、身を害せんと欲する所の者、彼の観音の力を念ずれば、還って本人に著かん」という意味です。
もっと平たい言い回しをしますと、呪いや毒薬をもって、迫害して来た者がある場合、あの観音様の力を念ずるならば、その害はかえって本人につく。という意味になります。
私は、日頃、何か憎しみの心にかられた場合、「念彼観音力 還著於本人」(ねんぴかんのんりき げんちゃくおほんにん)という部分だけを、繰り返し唱えます。
悪い事をした者は、当人に報いがありますように、という祈りです。

実際は、「憎まれっ子世にはばかる」とも言いますし、悪い人物こそ、社会的に出世していたりします。
ですが、私は信じます。
悪人が最後、笑って死ねる事など、決して無いと。


公的刑罰には限界があります。
私刑は自分へのリスクが高過ぎます。

また、いつまでも憎悪にとらわれてしまいますと、自分の人生の足かせになるという事も起るのです。
ですから、私はいつも、「天網(てんもう)恢恢(かいかい)疎(そ)にして漏(も)らさず」「念彼観音力 還著於本人」と念じ、悪人には天罰が下るように祈ります。
現状では、それ以外に方法などありません。

ですが、上手な方法を考えれば、私刑も可能です。
たとえば、自分をいじめ抜いた者を復讐する際、彼が就職試験を受けるたびに、彼がどんなに卑劣ないじめを行っていたかを、手紙に書いて就職先に送る、などです。
これで彼は永遠に就職が不可能になるでしょう。
また、奴が結婚しそうになったら、結婚相手に手紙を送る、等です。
手紙の力を使えば、社会的抹殺は簡単です。
ただし、やり過ぎれば報いは自分にも来ます。


仏教は善悪を二分して考えません。
「善の中に悪があり、悪の中に善がある」という考え方をします。
一方、古代ペルシャのゾロアスター教では、明確な善悪二元論を説きます。
私は以前は、この善悪二元論を、極端だと思い、共感できませんでした。
しかし、だんだんと、この善悪二元論が理解できるようになったのです。
それは、世の中には、明確に、悪人が存在するという事です。
一方的な被害者が存在するという事です。

例えば、秋葉原の無差別殺人事件を思い出して欲しいです。
犯人は車で、秋葉原の歩行者天国に突っ込み、ナイフを持って、通行人を無差別に刺して歩きました。
これは同情の余地の無い、一方的な悪です。
そして、被害者はそれに対すれば善です。
被害者には、何の過失も存在しないのです。

世の中には、何の過失もないのに、被害に遭うという事が横行しています。
いじめなどが、その代表です。
なんの過失もないのに、いじめられるのです。
ですが、いじめられたほうは「私に何か問題があるのかも知れない」と思い込んでしまうのです。
そして、その人は病んで行きます。
問題など存在しないのです。
いじめを受けている自分に、微塵も非はないのです。
連中は、ただ気に入らなくて、また、ただ面白くていじめているだけなのです。
なのに、いじめられている側は、自分の中に原因を探す。
無いはずの原因を探す。
これで病んで行ってしまうのです。

明確な善悪二元論は、世の中に存在します。
この事は、世間の人々はハッキリと理解すべきでしょう。

そして、悪人は裁かれるべきです。
法が満足に裁けないならば、天によって裁かれるべきなのです。

悪人を許す必要など無いのです。
それほどまでにひどい仕打ちをされたのであれば、一生、憎めば良いのです。
ですが、自分には自分の人生があります。
いつまでも、そんな悪人に、付き合ってなどやれません。
ですから、司法に任せ、それで不十分ならば天に任す。
これしかなかろうと思うのです。


そして肝心な事は、この世から悪を廃する事です。
多くの人は、自分の事ばかり考えて生きています。
ですが、それでは世の中は良くなりません。
善人が報われ、悪人がキチンと裁かれるような、そんな社会になるように、自分の出来る範囲で良いので、努力して行くべきではなかろうかと思うのです。


現在の日本では、なぜか被害者が多く苦しみ、絶望し、死にたいほどの苦悩にさいなまれる。
一方、加害者はのうのうと生きて、それなりに楽しい一生を送ってしまう。
こんな事は絶対に許してはなりません。

何度もいいます。
悪人こそ苦しむべきであります。
善人は救われるべきなのです。

私も、本当に微力ながら、そういう社会になるように活動して行きたいと思います。

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ゴールデンウィークも終了し、皆さま、いかが苦難の日々をお過ごしでしょうか?

本日、原始仏典を抜粋したPDFファイルを作成いたしました。
ご関心ある方は、下記URLより、ダウンロードして下さい。


原始仏典を読む
http://firestorage.com/download/4bc55241286991ef1b8d68434bda914f2848ac1f


前回の記事でもご紹介しましたが、私が原始仏教について解説したものもあります。


現代に生かす原始仏教の思想.mp3
http://firestorage.com/download/58da30a194cb32dbca019e357748db1a3b224254

現代に生かす原始仏教の思想.pdf
http://firestorage.jp/download/521f58c1943c1e52f150300abb1eee69190d1c8a


今まで、色々、お釈迦さんについて語って来たのですが、その中で出て来ていないマメ知識です。

お釈迦さんは出家者であり、政治とは関わらなかったと思われるのですが、ひたすら宗教活動するだけでは限界があると感じ、国家を指導するような行動も行っていたそうです。
お釈迦さんの理想としていたのは共和制です。
共和制とは、王様が独裁する政治システムではなく、国民みんなでルールを決めて、国家を運営しようというやり方です。
(現在の日本も、共和制なのです。天皇がいるから君主制だ、という人もいますが、天皇は権力が無いので、やっぱり共和制です)
この辺は、中村元先生の文献によって知りました。

お釈迦さまは分かち合う事を教えています。
ですから、もう少し、お釈迦さんが政治に踏み込んでいたならば、社会主義に近い考え方になっていたのではなかろうかと思います。


それでは、シンドイ毎日ですが、なんとかギリギリ生き抜いてまいりましょう。
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本日は、風邪をひいている中、凄まじい荒行を敢行した。
原始仏教の解説音声ファイルの収録である。
原始仏典の、本当の要所については語った事もあったが、
それらが入門編とするならば、今回は実践編。
当然、内容も長くなる。
長くて、恐らく最後まで眠らずに聞き通せる者は皆無であろうと思うが、
まあ、一往、UPしてみた。

ダウンロードは、音声ファイルであるmp3と、印刷できるpdfがあるので、二つともダウンロードして欲しい。
金は一切、かからない。
かけるほどの作りでもない。
だが、内容は色んな意味でインパクトあると思うので、聞いてみて!



ダウンロード↓

現代に生かす原始仏教の思想.mp3
http://firestorage.com/download/58da30a194cb32dbca019e357748db1a3b224254

現代に生かす原始仏教の思想.pdf
http://firestorage.jp/download/521f58c1943c1e52f150300abb1eee69190d1c8a



「宝彩有菜のスッタニパータ」より
http://homepage3.nifty.com/hosai/dammapada-01/suttanipata-all-text.htm


59 世の中の遊戯や娯楽に、満足を感ずることなく、心ひかれることなく、身の装飾を離れて、真実を語り、犀(さい)の角(つの)のようにただ独り歩め。
(※サイは鼻に一本、長い角があり、ジャングルではサイの姿は草に隠れて見えず、角だけが一本、移動して見える)

78 身をつつしみ、ことばをつつしみ、食物を節して過食しない。

102 「おびただしい富あり、黄金あり、食物ある人が、ひとりおいしい物を食べるならば、これは破滅への門である。」

184 「ひとは信仰によって激流を渡り、精励によって海を渡る。勤勉によって苦しみをを超え、知慧によって全く清らかとなる。」
(※1146に「信仰を捨て去れ」とあるのは、邪教への信仰である)

204 この世において愛欲を離れ、知慧ある修行者は、不死・平安・不滅なるニルヴァーナの境地に達した。
(※ニルヴァーナとは、悟りの世界の事)

267 修養と、清らかな行いと、聖なる真理を見ること、安らぎを体得すること、──これがこよなき幸せである。

275 もしもかれが荒々しいことばを語り、他人を苦しめ悩ますことを好み、獣(のごとく)であるならば、その人の生活はさらに悪いものとなり、自分の塵汚れを増す。

276 争論を楽しみ、迷妄の性質に蔽われている修行僧は、目ざめた人(ブッダ)の説きたもうた理法を、説明されても理解しない。

311 昔は、欲と飢えと老いという三つの病いがあっただけであった。ところが諸々の家畜を祀りのために殺したので、九十八種の病いが起った。

331 起てよ、座れ。眠って汝らに何の益があろう。矢に射られて苦しみ悩んでいる者どもは、どうして眠られようか。

397 会堂にいても、団体のうちにいても、
何人も他人に向かって偽りを言ってはならぬ。
また他人をして偽りを言わせてもならぬ。
また他人が偽りを語るのを容認してはならぬ。
すべて虚偽を語ることを避けよ。

400 (1)生きものを害してはならぬ。(2)与えられないものを取ってはならぬ。(3)嘘をついてはならぬ。(4)酒を飲んではならぬ。(5)婬事たる不浄の行いをやめよ。(6)夜に時ならぬ食事をしてはならぬ。

630 敵意ある者どもの間にあって敵意なく、暴力を用いる者どもの間にあって心おだやかに、執著する者どもの間にあって執著しない人、──かれをわたくしは<バラモン>と呼ぶ。
(※バラモンとは、当時のインドにおける僧侶階級。釈迦は世襲による階級を否定した)

657 人が生まれたときには、実に口の中には斧が生じている。愚者は悪口を言って、その斧によって自分を斬り割くのである。

663 種々なる貪欲(どんよく)にふける(むさぼる)者は、ことばで他人をそしる。──かれ自身は、信仰心なく、ものおしみして、不親切で、けちで、やたらにかげ口を言うのだが。

704 婬欲(いんよく)のことがらを離れ、さまざまの愛欲をすてて、弱いものでも、強いものでも、諸々の生きものに対して敵対することなく、愛著(あいちゃく)することもない。

705 『かれもわたしと同様であり、わたしもかれと同様である』と思って、わがみに引きくらべて、(生きるものを)殺してはならなぬ。また他人をして殺させてはならない。

707 腹をへらして、食物を節し、小欲であって、貪(むさぼ)ることなかれ。かれは貪り食う欲望に厭(あ)きて、無欲であり、安らぎに帰している。

742 執著(しゅうちゃく)によって生存が起る。生存せる者は苦しみを受ける。生れた者は死ぬ。これが苦しみの起る原因である。

762 他の人々が「安楽」であると称するものを、諸々の聖者は「苦しみ」であると言う。他の人々が「苦しみ」であると称するものを、諸々の聖者は「安楽」であると知る。解(げ)し難き真理を見よ。無知なる人々はここに迷っている。

825 かれらは論議を欲し、集会に突入し、相互に他人を<愚者である>と烙印し、他人(師など)をかさに着て、論争を交わす。──みずから真理に達したものであると称しながら、自分が称賛されるようにと望んでいる。

968 怒りと高慢とに支配されるな。それらの根を掘りつくしておれ。また快いものも不快なものも、両者にしっかりと、うち克つべきである。

972 眼を下に向けて、うろつき廻ることなく、瞑想に専念して、大いにめざめておれ。心を平静にして、精神の安定をたもち、思いわずらいと欲のねがいと悔恨(かいこん)とを断ち切れ。

1123 師は答えた、
「ビンギヤよ。ひとびとは妄執(もうしゅう)におちいって苦悩を生じ、老いに襲われているのを、そなたは見ているのだから、それゆえに、ビンギヤよ、そなたはおこたることなく励み、妄執を捨てて、再び迷いの生存にもどらないようにせよ。」
(※仏教では、輪廻転生から解き放たれる事を目的としている。“生存にもどらないようにせよ”というのはスッタニパータでは度々出る文言であり、二度と生まれ変わるな、という意味である)
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≪以下、桑田が2ちゃんねるで見つけた印象的な言葉です≫



履歴書作ってると、毎回、死にたくなる。
愚かな過去を思い出さなきゃいけなくなるから。


      ◇ ◇ ◇


アルバイト採用されなかったら...考える、考えざるをえない
金がない、書類すらほとんど通らんし大体スーツもかえない
ここ2週間ハロワの人としか他人と話してない
いいオッサンだが多分支援してもらっても無理だろう
ほんと親に申し訳ない


      ◇ ◇ ◇


先月初めて10万借りてみた。でも、最初の支払い日守れなかった。この先大丈夫なのだろうか・・・


      ◇ ◇ ◇ 


生ポより貧しいバイト生活続けて
貯金どころか食うのも精一杯。
10年後にはおそらくそのバイトも
できないようになる。
もちろん体壊せばそこでおしまい。

俺の一番嫌いな言葉は希望だよ。


      ◇ ◇ ◇ 


履歴書に創価大学卒業なんて書きたくない


      ◇ ◇ ◇ 


派遣で創価大卒の女性が応募してきたが、不採用になったよ
理由は、社内への影響だけでなく、社外へのイメージも人事は考えたそうだ


      ◇ ◇ ◇ 


今から勉強する
これが一番いい勉強法だ


      ◇ ◇ ◇ 


わしが考える幸せとは、家族で公園にいってゴザひろげてみんなで「おいしいね 、おいしいね」と笑顔で弁当を食べることだ。


      ◇ ◇ ◇ 


春日武彦っていう精神科医が、強迫は「怒りや攻撃性が形を変えたもの」だって言ってる。


      ◇ ◇ ◇ 


要するに大きな問題点は
勉強よりも大事なことをスタート前に教えてもらえないこと
しかしより厄介なことは それにも関わらず
一度でもコースオフすればまっとうな道には戻れないこと


      ◇ ◇ ◇ 


言葉は八分でとどめて、
後の二分は、むこうで考えさせるがよい。
わかる者には言わずともわかるが、
わからぬ者には、いくら言ってもわからぬ

by伊庭貞剛(第二代住友総理事)


      ◇ ◇ ◇ 


ググって自己解決で済ませたらこのスレの意味が無いだろうが

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資本主義は、大量消費社会である。
大量に消費されない限り、モノは売れず、企業は潰れる。
だから、次々に新しいモノを生み出し、古いモノを意図的に通用しなくさせて行く。

大量消費社会を支えるのは、人々の無制限な欲望である。
決して満足する事なく、もっと、もっとと欲望を増大させて行く。
常に欲望にかきたてられている人間に、幸福など存在しない。
ただ、食ったり、やったりした瞬間に得られる一時の快楽しかない。
一時の快楽の為に、人は走り回る。

人をそのようにしてしまったのは資本主義である。
資本主義は害悪である。


世界規模で考えた場合、資源は限られている。
食料も限られている。
にも関わらず、世界中の人々は、豊かさを求める。

残酷な事に、情報化社会は、先進国の豊かな姿を、貧しい国にまで伝えてしまう。
貧しい国の人々は、自分たちも、ああなりたいと思う。
だが、世界中の人々を豊かにさせるほどの資源や食料はない。


今、我々が考えるべきは、資本主義による大量消費社会からの脱出である。
そして、一部の国や人物に集中している過剰な富の分配である。

だが、最も肝心なのは、個々人が、暴走する欲望をストップする事だ。
欲望充足以外の、幸福を見つけ出す事である。
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私が初めて西遊記を読んだのは、小学校6年生の夏休みだ。
ブ厚い本だったが、とても面白く、一気に読んだ。
小説を通読したのは、これが最初である。

最初は娯楽小説としてしか読んでいなかったが、大人になるに従い、西遊記に宗教書としての側面を見るようになった。
その奥深さを、ここで紹介する事は不可能だが、陳腐になる事を覚悟で、若干、私の西遊記の見方を紹介したい。


まず、猪八戒であるが、これはもともと天の川の水軍の隊長であったのだが、天女に手を出し、天上界から追放された。
八戒の魂は、人間の胎に宿るはずだったのだが、間違って、豚の胎に宿ってしまった。
以後、妖術を習得し、悪さをするようになる。

沙悟浄は、天帝に仕える役目であったが、孫悟空との戦いの最中、西王母(天帝の母)の大切な壺を壊してしまい、それがとがめられて下界に追放された。
悟浄は川の妖怪(日本では河童と表現される)に生まれ変わり、旅人の肉を食らって生きるようになる。

孫悟空は、猿のボスに上り詰めたが、飽き足らず、スッタモンダのすえに、天上界の役人になった。
だが、自分の管理する不老長寿の桃を片っ端から食ってしまい、釈迦如来の手によって下界に追放され、五行山という山に、封じ込められた。

観音菩薩は、荒れた中国に平和を取り戻す為に、三蔵法師を、天竺への大乗経典取経の旅に行かせる。
妖魔のはびこる旅の道であるので、観音菩薩は、悟空、八戒、悟浄を三蔵の弟子として待機させる。

これは、西遊記をお読みになった事ならわかる、ご存知のストーリーである。

話の中で、悟空はこう言う。
「俺は誰にも頭を下げないが、ただ二人だけは別である。一人は師匠の三蔵法師。一人は観音さまだ。」

悟空は釈迦には頭を下げないが、観音には頭を下げるのである。
その理由は、釈迦は悟空を、長い間、五行山という山に、下敷きにさせたからである。
それを救い出してくれたのが観音菩薩と三蔵法師だった。

また、悟空は、旅の過程で、さまざまな妖魔と戦うのであるが、どうにもならぬ絶対絶命という時が、何度かある。
その時に、悟空は観音さまに助けを求めに行くのである。

三蔵法師もまた、自分を天竺に行かせたのは観音であるし、弟子、三名を付けてくださったのも観音である。
さらに、般若心経という妖魔退散の呪文も、観音菩薩から伝授されている。


天竺とはインドであるが、私はこれを「平和と平等の理想社会」と解釈している。
そして、三蔵法師は、弱く善良な民衆である。
八戒は欲にまみれた男。
悟浄は保身的で器量の小さな男。
悟空は傲慢な男。
いわゆる、この三人の弟子は、だめ人間である。

だめ人間であっても、弱く善良な民衆を護り、「平和と平等の理想社会」を目指して戦う。
西遊記のストーリーの中では、天竺に到達した後、悟空は戦闘の仏。悟浄は羅漢。八戒は仏陀の祭壇を護る者となる。
だめ人間の私もまた、天竺に到達した後は、何かを得られるのではないかと思う。
天竺に到着すれば、の話だが。


このように、私は独特の思いを持って、西遊記を読んでいる。
カギとなるのは観音信仰である。
三蔵も、三人の弟子も、観音を信仰していたのである。
それによって、天竺にたどりつく事が出来た。
西遊記は一種の観音経である。


私の読んだ西遊記をご紹介する。
もし、時間があれば読んでみていただきたい。
間違いなく、面白い本である。



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