他事空論

吉祥寺、野球、読書、飲食店情報、経済TV番組、日経新聞の分析にマーケティングなどをテーマに書いています。

吉祥寺を中心に中央線沿線の街の歴史と時代の変遷をベンチマークしています。趣味はタウンウオッチング、散歩、飲食店巡り、読書、日経新聞、経済TV番組の分析。特に野球(プロ、高校、大学)が大好きです。


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タイトルは明日発売の週刊東洋経済の特集『駅・路線格差 駅の浮沈が示す経済トレンド』の広告のトップに掲載されているのが「吉祥寺駅は何位にラインクイン」です。

 

週刊東洋経済は興味のある特集のある時に購入させてもらっています。どちらかと言うとライバル誌の週刊ダイヤモンドよりも僕は好きです。

 

また今号はカシオの「Gショックが1万本突破の軌跡」の記事もあり、Gショックを発売当時から使用している僕には嬉しい企画がてんこ盛りです。

 

 

話は戻り吉祥寺ですが、住みたい街ランキングでは常に上位に登場しています。

 

昨今のブームも落ち着きつつあると思いますが、一戸建ての自宅購入は一般の会社員にとっては高根の花。分譲マンションも夫婦共働きでかなりの年収がないと手が届かないと個人的に思います。

 

吉祥寺に住むメリットは良く言われるようにコンパクトシティーで半径3~5km圏内に買い物ができるお店や大手小売業もあることです。

 

また、井の頭公園というキラーコンテンツもあり自然と緑溢れる環境の公園があるのが魅力を倍増しています。

 

 

でも吉祥寺は永遠のブランドであることは否定をしようがありません。吉がつくことが縁起が良く思えるのに加えて、寺は高円寺、国分寺の3寺と言われています。

 

少し前の世代の人には中村雅俊氏が主演のNTV「俺たちの旅」が吉祥寺が舞台でした。

 

成蹊大学(修学院大学)がモデルと言われています。若者にありがちな人生のドタバタ劇を繰り広げます。

 

当時は昭和のバブル経済に向かうまでの「坂の上の雲」があった頃です。終身雇用制が機能していて実際にこの世代はギリギリセーフの世代かもしれません。

 

そんな社会経済状況の中でも会社勤めが馴染まなかったカースケこと中村雅俊は起業して「何でもする会社」を立ち上げます。その悪戦苦闘の場面は「再放送」で見たのですが記憶に薄いです。

 

そしてカースケと共にいたオメダ(田中健)はのちに故郷に帰り首長として登場していた特番を見たのが30年以上以になります。

 

 

この番組に登場する人たちと同じことをするのは今の若い人には勧めません。また時代が違う、時代錯誤であることも事実です。

 

『人生は一度きりです』

 

親が勧めるとか、世間の常識を基準にすると向う10年は良いかも知れません。社会が激変している昨今は違った風景を見ることになるかもしれません。

 

僕は正直言って責任は持てません。

 

それでも自分が思ったこと、選んだことで頑張ることが肝心だと思います。

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過日になりますがNHKで夜のニュースのキャスターを務められた大越健介氏が吉祥寺と11月25日になじみ深い武蔵野大学に登場しました。

 

これは同大学が開催する教養講座で題名は「ニュースの現場から」です。

 

昔の人にとって武蔵野大学は馴染みのない大学ですが旧「武蔵野女子大」が共学になるため校名変更になりました。同大学は勢力拡大もあり有明にもキャンパスを作っています。

 

似たような校名では江古田の武蔵大学と埼玉にある武蔵野学院大学があります。

 

 

NHKの大越氏は東大野球部の投手で活躍されました。早大キラーとして鳴らし、それもあってか4年生時に大学日本代表に選ばれています。

 

当時の東京六大学で活躍していた選手では法大の小早川毅氏(PL学園、広島カープ)などがいました。大学日本代表で小早川氏といっしょになり氏は引退後にNHKの解説者として画面に登場していたこともあり交流が続いていたようです。

 

先日の高校野球特集番組でも対談企画に登場しています。

 

 

NHKの野球解説者はプロ野球選手を引退後に就くのはかなりのエリートコースであると言われています。

 

確かに思い浮かぶ面々を見ると納得できます。川上哲治、星野仙一、梨田、大島、原辰徳、与田剛各氏等々。後に監督を経験する人が多いですね。

 

大越氏は東大卒業後は社会人野球に進むことなくNHKに入局。ワシントン支局など海外勤務を経験後に政治部で取材を重ねて「NHKニュース9」のキャスターになります。

 

相方の井上あさひアナとのやり取りを大越氏は自分の著書で取り上げています。それを読むといわゆる「女子アナ」との対応と上司としての立場が大変だと実感しました。

 

 

大越氏の御子息は日大三高で2005年に背番号10で投手として甲子園出場しています。その時の西東京大会で2年だった斎藤佑樹投手の早実をコールドで撃破しての出場でした。

 

松坂大輔が覚醒した1997年のY校との試合と同じく、終了後は涙を流しながらクールダウンのキャッチボールをしている姿がありました。そして秋の東京大会を勝ち上がりセンバツ出場。

 

関西高校との再試合延長戦を制して注目されます。僕的にはこのセンバツで終わりだと思っていたのですが下記のように以外にも夏の大会に駒を進めます。

 

夏の西東京大会決勝戦も激戦を制して「ハンカチ王子」として東京ローカルの高校球児から全国区の選手としてブレークダウンすることになります。

 

この時のエース番号を背負っていたのが高屋敷氏です。同氏は早大でも野球部に所属して卒業後はNHKに入局します。

 

その関係もあり斎藤佑樹投手の日ハム入団後の姿を描いたドキュメンタリー番組のディレクターとして活躍されているようです。

 

大越氏も50歳の後半になりますが、定年後の活躍を期待しています。

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日ハム入団が決まった早実の清宮幸太郎選手の背番号が21番に決まりました。

 

関係ありませんが清宮選手の先輩にあたる斎藤佑樹投手とバッテリーを組んだ白川さんが現在勤務している三井物産にロッテを自由契約となった京大出身の田中投手が入社する新聞記事を見かけました。

 

記事によれば入団前に内定をもらい、今回の「戦力外」を知り物産側からアプローチがあった模様。

 

やはり「芸は身を助く」ではありませんが野球だけの選手、人間よりも学力的なバックボードのある方が第二の人生にアドバンテージがあることを再確認しました。

 

 

話は戻り清宮選手ですが育成の上手な日ハム球団に入ることで今後の活躍が期待されることは言うまでもありません。

 

高校時代のポジションである1塁は中田翔選手が控えており、外野も選手層が厚い日ハム球団は指名打者なのか、別のポジションを用意するのかは僕にはわかりません。

 

背番号21については僕的には意外でした。多くは左腕投手が背負う番号のイメージが強いからです。

 

有力なルーキーが「一桁台」の背番号を入団時に用意されるのが定番でしたが、工藤公康氏の47番、イチロー選手の51番、松井秀喜氏の55番と二桁のかなり重い番号からスタートしています。

 

その後に選手として活躍して実績を積むと野手は1ケタ、投手は18、21などの二桁番号に「昇進」することが多かったと思います。

 

その前例を覆したのが現在ホークス監督の工藤氏だと思います。氏の活躍から「私ピンクのサウスポー」は47番を希望する新入団選手が多くなりました。

 

 

21番はG球団では宮本氏、古くは高橋一三氏など投手のイメージが強いです。実際に日ハムでこの番号をつけていたのは投手でした。

 

今回想像力の疎い僕は意外に感じました。大物ルーキーなら1ケタの番号ではないか。或いは松井秀喜氏を意識した55番などなど。

 

これは日ハム球団のこれからの「戦略」で21番はスラッガーの番号を新しく定着する目論見もあるかもしれません。

 

いずれにしても清宮選手のNPBでの活躍を心から祈っています。

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