今夜は大崎地区反核平和の火の夕べです。
昨日は美里町のリレーと、仙北(登米栗原)の夕べでした。
おとといは気仙沼と石巻のリレーと、石巻の夕べでした。

夕べは今夜もピースオン代表の相沢恭行さんの特別講演。
イラク戦争の話をされていますが、イラクの人が日本の年間自殺者3万人(当時)という話に驚いていたという。
「日本は豊かな国なのに信じられない。毎日100人近く死んでるなんて戦争しているのか」とイラク人の友人たちに言われたとか。

相沢さんは自分の行ったイラク戦争の「人間の盾」の活動を美化しない。
どちらかと言えば反省もしている。
けれど「イラクと日本」ではなく、「君と僕」の関係を作ってきたことが良かったと。
フセイン独裁下でも、戦争のなかでも、人は友人になるし、恋して愛して結婚もする。
そういう話を、ご自分のイラクでの経験をもとにお話になっています。

気仙沼出身の相沢さん。震災後の気仙沼とイラクや中東をつなげる活動もされている。
中東でも震災被害を心配する人が多く、日本人女性の震災をテーマにした芸術作品がヨルダンで売れて、そのお金を気仙沼の児童施設に寄付するといった活動をされている。

中東を象徴するナツメヤシの実は、中東ではよく食されている。実は日本の有名な某お好み焼きソースにの原料としても使われているとか。


今夜の大崎の夕べ。



きのうの仙北の夕べ。


きのうの美里町のリレー出発式。


美里町の相沢町長も出発式で激励の言葉。


美里町の我妻議員(社民党)も激励の言葉。


美里町の石碑。


美里町(旧小牛田町)の町民憲章。


イラクや中東のグッズ。


石巻の夕べ。


夕べで感想を述べる青年女性。


気仙沼のリレー出発前からぐったりしてた人。


原爆被害者の会の皆さんから託された「核兵器廃絶の署名」にも取り組んでいます。夕べ参加者を中心にたくさんの署名をいただきました。まだまだ署名をお願いしますよ。
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気仙沼反核平和の火の夕べ に参加しています。





お仕事帰りの皆さんが中心で、約30人くらいは来ているでしょうか。

「イラク戦争から13年 僕たちの未来を考える」と題して、ピースオン代表の相沢恭行さんの講演です。
気仙沼出身の相沢さん。2003年のイラク戦争を阻止したいと現地に飛んで活動してきた相沢さん。
当時の話、その後のイラクの話をされています。
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今日はあけの平1丁目町内会の救命講習がありました。

AEDの使い方や、心肺蘇生について講習を受けました。





このあと、婦人防火クラブの皆さんが作ってくれた、アルファ米のカレーライスを試食しました。
美味しかったです。

終了後、町内会本部役員で山公園に行き、夏祭りの下見に行きました。
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さあ‼ 第一弾の発送の準備が完了しました❗

そんな発送準備の最中に電話がありました。
富谷町の支持者の方からで、
前回出した桑島活動報告について「とみぱすの説明がわかりにくい部分があったから説明して」ということでした。
たしかに言葉足らずの記述がありました。
反省するととみに、次号で補強したいとおもいます。

私としてはそういう指摘の電話をいただき、すごく嬉しかったです。
塩竈地区の反核平和の火の夕べです。

宮城県原爆被害者の会(はぎの会)事務局長、木村緋紗子さんの講話です。



ヒロシマで、当時8才の木村さんは被爆で祖父と父が大ケガをし、子どもながらにケガの治療にあたって、それが正直辛く感じたことを語られました。
語るのは辛いけど、もう二度とこんな目に子どもたちに合わしてはいけないという思いで語り部をしている。

オバマ大統領のヒロシマ訪問に、涙したという。
謝罪は「いまさら。亡くなった方は戻ってこない。」「それより核兵器の廃絶しかない」。
アメリカは憎いかと聞かれれば、憎い。憎いけれど、核廃絶のために訪米してでも語り部をする。
アメリカの子どもたちも「ありがとう、木村さん」って言う。年代が上の人は「パールハーバーが」と言う。
謝罪より核廃絶。

日本が利益のために戦争を始めた。

いままた戦争法が可決された。不安だ。
戦争を止めるのは若い皆さんだ。
沖縄の人もかわいそうだ。ひめゆりの皆さんの話も聞き、考えると、沖縄には行けない。
基地が一杯、事件も多い。沖縄は戦争が終わってないと思う。

71年前は、ヒロシマは穏やかな所だった。
大本営がヒロシマにあり、B29が飛んできても何もせずスッと飛んでいく。
きっと軍隊があるからだ、と思っていた。「兵隊さんありがとう、東条さんありがとう」なんてバカな歌をうたっていた。
だから今の安倍首相は嫌いだ。顔も見たくない。

もう二度と戦争や核兵器使用はあってはならない。
7月17日に原爆被害者の追悼式があるので参列して、平和を思ってほしい。
核廃絶の署名、語り部のDVDの普及に協力してほしいです。

【参加者とのトーク】
国労のTさん。
私も謝罪はいらないと思う。1回目から反核リレーに参加してきた。原発事故を経験した。電気は足りている。女川原発もたまたま事故にならなかっただけ。再稼働を許してはいけない。核兵器廃絶は賛成しても原発には賛成する人が多かった。事故後は利府町のように、自治体の長も原発に反対する人も出てきた。原発や戦争法を欲しがるのは誰か。生命が守られなければならない。そういうことを考えながらリレーしたい。

自治労Sさん
震災の年は実施できなかった。一度止めると再開するのに大変だった。続けていくことで広がりや、つながりが出てくると思う。昔は2日かけてやったものだ。

(トメ)

木村さん
オバマ大統領はヒロシマに核兵器の発射ボタンを持ち込んだ。ビックリした。
今までも語り部を聞いてもらった。泣いてもらったこともある。
でも参加者が少し減ったような。1名でも私は語り部します。ありがとう。

【参加者とのトーク】
自治労のAさん
貴重な話だった。明日のリレーでこの思いを胸に走りたい。

(トメ)

決意表明
自治労
平和の思いを胸に走り繋ぎます。

全港湾
核兵器に絶対反対、戦争も絶対反対で全港湾は動いている。頑張って走ります。

国労
ロートルで参加します。
戦争法廃止の署名行動も大変だった。行動に移すのは難しい世の中なのかもしれない。

水道
仕事の関係で若い人が参加できず申し訳ない。明日は水道の前をリレーが通過しますので大歓迎したい。
反核平和の火リレーの、自治体要請のため大和町と富谷町に昨日行ってきました。

大和町は総務課長対応。富谷町は町長対応でした。

富谷町は、今の若生町長のお父上が町長時代に、非核都市宣言をされたときいています。



写真は関係ない。七ツ森の山々です。
昨日は、社民党の支部代表者会議があり。この夏頑張ろう!という意思統一がなされました。

私は会議を中座し、国際センターに。



国際センターで開かれた、原発で事故が起きたら逃げ切れるのか、というテーマの集会でした。スタッフとして参加しました。







結論から言えば、逃げ切るのは極めて難しい。

放射能が風にのってどう流れるのか。いまあるUPZの30キロだけではない。

富谷町で言ったら、避難してきた石巻市民らをどうやって受け入れるのか。

原発事故が起きたときに、富谷町民は避難しなくてよいのか。避難するならどうやって。

様々な課題があります。

「原発を廃炉にすれば良い」「再稼働させなければ良い」という単純なものではなく、冷温停止状態でも核燃料がそこにある以上は原発事故の可能性は残る。

富谷町も、それぞれの市町村が考える必要があるし、そもそも国や県が広域的に考えるべき課題です。



会場で、某市役所職員で図書館に詳しい人と久しぶりに再会。

多賀城のTSUTAYA図書館はどう?、と質問したら「あそこは行かない主義なんだ」とのこと。

やっぱりプロの目からすると、いろいろ問題がありそうですね。



仙台市営地下鉄東西線に乗るのは2回目だったけど、「狭い」の一言ですな。オシャレだけど。でも狭い。





(6月1日に一部訂正)
反核平和の火リレー」の道路申請のため仙台中央署に行きました。

担当の警察官S氏が私と同い年と発覚。
4日先輩だった。(どっかで聞いたような話)

同い年とは思えないほどヤングでチャラくて脱力だった。

結婚してて6才の子どもいて、若林区に7年前に家を建てて。
借金が山のようにあるとか。それでおこづかいが2万円だとか。
最近はお弁当持たしてくれなくて、今日もお昼はカップ麺だとぼやいてた。

熊本大分地震の応援派遣のフォローとか、サミット仙台(財務大臣・中央銀行総裁会合)の警備で寝ずの番とか、とにかく大変だと。

30才の時に、35年ローン組むには今が決断だ‼とローン組んだが、とっても65才まで働ける気がしない、とか言われてもねえ。

リレーの申請は滞りなく受理された。
交通安全協会あけの平支部総会が2丁目会館(公民館よこ)でありました。




若生町長も来賓挨拶。

大きな交通事故はないそうで、
支部長されている浅野町議の頑張りがあるからだなあ、と思いました。

浅野さんとは、あけの平3丁目と大清水との信号のない交差点について意見交換しました。
通学路ですから、ぜひとも信号設置を実現してほしいです。