FUJITA'S BAR
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2016-04-24

メンタルコラム 「光と闇」

テーマ:メンタルコラム
光が当たるものは、見えやすい。

光が当たらないものは、見えにくい。



最近、色の本を読んだり、眼鏡屋の友達と飲んだりして、

視覚に興味を持って考えているせいか、

日常の中で、色んなことを考えています。


NHKの「日曜美術館」は、可能な限り見るようにしているんですが、

今日のカラヴァッジョは、すごくよかった~


光の闇の描き方は、作者によってまるで違う。

フェルメールのタッチは、やわらかく、優しい。

ゴヤは、マッチョできな臭い方向で才能を爆発させました。


カラヴァッジョについては、一種独特のものを感じます。

彼は、ルーベンスとも親交が深かったようですが、

聖書の世界を、自分の感性で面白く捉えていたように思うんですね。




先日紹介した本で、視覚について学んだんですが、

人は、色彩感覚よりも、明暗に対しての感覚が優れているそうな。


明る過ぎたり、暗過ぎたりすると、人は、色が判別しにくいんですね。

夜中に起きた交通事故の目撃者証言なんかで、

車の色を錯覚で覚えていた…なんてことは、よくあることです。

それをトリックのネタにした2時間ドラマとか、ありましたよね(笑)



人は誰でも、見たいものは、もっとよりよく見たい、と思うもの。

反対に、見たくないものは、できるだけ見たくない、と思うもの。


見れば見るほど、もっと好きになって、イメージで「加工」してしまう。

見たくないから、勝手にイメージを増大させて、「加工」しちゃう。


一目惚れとか、忌み嫌って差別とか、この辺りに原因があるような気がするんですよね。



やっぱり、人は、見たいものを見たいし、見たくないものは、見たくない。

もっと言えば、興味あるかないか、好きか嫌いかで、必要度がまるで変わってくる。

好きなものは好きだし、嫌いなものは嫌い。


そこで、考えてみて欲しいんですね。



何故、好きなのか。

何故、嫌いなのか。


それが、自分の感性を客観的に観察するチャンスなんです。



「好み」というものは、誰にでもある。

それが、「情報によって、刷り込まれたもの」であるのか、

「自分の独自の感覚によって、引き起こされたもの」であるのか。


そこが、大事。


TVで言ってたから、とか。

尊敬する人が勧めてくれたから、とか、

親友が紹介してくれたから、とか、

きっかけは、どうでもいいのです。


もちろん、相手の顔を立てるための社交辞令を言うのは、しょうがないでしょう。

しかし、表向きの言葉と、自分が感じた真意は、しっかりと使い分けた方がいい。


そうしないと、そういうことを置き去りにしていると、

自分が持っている「人よりも優れている部分」を、忘れてしまうから。




俺は、今夜の番組を見ていて、解説者が言っていることと、

まるで違う感想を持ちました。


彼の絵は、そのくらい、無限の深さがあるように思うんですね。

番組ホストの井浦新は、言葉を選んで語っていましたが、

絶対、色気のある想像をしていたと思うんですよね。


何度も言いましたが、俺は若い頃に、

あるキリスト教の団体で数年間だけお世話になったことがあります。

聖書という書物は、中身がムチャクチャで、誤解を与えやすい。

だから、解釈が複雑になって、戦争が起こるんだと思うんです。

しょうがない。だって、実際書いた人は「人間」なんだから。


イメージというのは、事実を歪めます。

本当も嘘も、ごっちゃになってしまいます。



人の話を聞く時に、注意しなければならないことは、

第1に、話の「明暗度」を、見極めること。

第2に、話の「色彩」を、見極めること。


俺はまず、この2つをしっかり把握してから、発言します。


上級者なら、「温度」「奥行き」「緊急性」「重要度」を瞬時に判断できますが、

話す側も聞く側も、生き物なので、時間の経過とともに、変化していく。


だから、長時間にわたって人の話を聞くのは、難しいのです。

恋人同士が長く一緒にいると、だんだん面倒くさくなるでしょ(笑)


「いい自分」を見せようとするのは、タイムリミットがあるんですよね。




話が逸れましたが、要は、送信側と受信側の「微調整」が大切、ということです。


人は、相手の話を、100%正確に聞き取ることは不可能だし、

自分が言いたいことを、100%正確に伝えることもも不可能。



絵画は、一瞬の情景を視覚で残す、という観点では、写真と同じですが、

時間をかけて仕上げる、という点が大きく違うと思います。


描いているうちに、時間が経っていくうちに、

「伝えたいもの」が、変わっていくように、俺は感じるんですよね。



例えば、金持ちに依頼されて、肖像画を描いたとしましょう。

モデルが必ずしも、美しい人とは限りませんよね。

しかし、お客様に喜んで欲しいから、かわいらしく描きますよね。

まあ、私ってこんなにきれいかしら、なんて喜んでくれたら、大成功。

あまりにギャップがあり過ぎると、かえって嫌味になってしまうので、

相手の内面の美しさを強調するようなタッチで描けばOK。

ルノワールは、まさに「人を喜ばせる天才」だったんじゃないかと思います。



もちろん、俺の勝手な想像です。

しかし、想像力なしには、美術は楽しめないんじゃないかな。



映画も、そういう面があります。

見た人の気分とか、経験とか、年齢とか、暮らしている環境で、

同じ映画を見ても、感じ方はそれぞれ。


全く同じ感想を持つ人は、存在しない。

もしいたとしたら、それは「誰かに操作された感動」かもしれない。




俺が、口を酸っぱくしていつも言うのは、

「自分の感じ方」を大事にすることです。


感じ方だけは、オリジナルでいい。

ただ、「出力」する時は、相手をよく見て、ものを言えばよろしい。



つまんないものを、無理に褒める必要はないし、

自分が面白いと感じたものを、無理に否定することもない。


わかる人には、少ない言葉ですぐに伝わるし、

わからない人は、いくら説明したって、理解してもらえない。



人気があるのは、魅力があるから。

カルト的な人気を誇るのは、個性にインパクトがあるから。



「みんながいいと言うから」

「TVの人がいいと言っていたから」

「雑誌でイチオシだったから」

「友達がみんな夢中になっているから」


処世術としては、仕方がないけど、

「自分の感覚としては、どうなのか」を、どこかではっきりさせておかないと、

どこかで、精神的に迷子になってしまう恐れがあるんですね。



第一印象って、人ではなく、物にもあります。

それが正しいかどうかは、問題ない。

そう感じた自分を認識することが、何よりも大事なんです。



俺は、ブログを始めてもうすぐ11年になりますが、

悪口を言われたり、否定されることがすごく多かったです。

そのおかげで、「自分は、普通の人と違う」と強く思うようになりました。


それだからこそ、「自分の感覚」としっかり向き合うようになったんですね。



年を食って、若い頃には当たり前にできたことが、だんだんできなくなったけど、

その分、若い頃には感じられなかったことを、感じ取れるようになりました。


でもそれはたぶん、「感じていたけど、あまり深く考えなかった」ことなのかも。



突っ走るだけで精一杯な年頃もあれば、

立ち止まってじっくり考える年頃もあるでしょう。




今は、「味わう」ということを大切にしたい。

感動は、一瞬。

後悔や心残りは、一生。


ためらっているうちに、時間はどんどん過ぎて行く。


思ったこと。

言いたいこと。

伝えたいこと。


せっかく感じた「自分だけのオリジナルな感覚」を、

どうか、おろそかにしないで欲しい。



正直に生きるって、難しい。

素直に言うって、勇気がいる。



でも、自分を押し込めて、閉じ込めるのは、とても苦しいこと。


自分を光らせ続けることは、しんどい。

元気がない時は、暗い自分でいてもいい。

自分にそれを許すことができれば、きっと、人にも優しくなれる。



「光」の対義語は、「闇」。(反対語対象語辞典より)

「影」は、光の当たりが少ないだけで、ちゃんと見える世界。


「影」を「闇」と一緒にしちゃうと、人の心が見えなくなる。

同時に、自分の心も感覚も、埋もれてしまう。



何故、人の視力は、明暗を感じる力の方が優れているのか。

もちろん、生物学的な理由はあるでしょう。

それも含めて、それが「重要な感覚」だからなのではないでしょうか。



生きるために、必要なこと。

生き残るために、必要なこと。

よりよく生きるために、大切なこと。

自分が自分らしく生きるために、必要なこと。



成功に酔った時期もあったし、挫折に苦しんだ時期もあった。

それはきっと、いつか出会う「誰か」に「何か」を伝えるため。


失敗したからこそ、弱い立場で苦悩するからこそ、人の気持ちがわかる。

自分の「闇」と向き合う勇気があればこそ、人の「闇」も理解できる。



見たくないものは、見ない。

聞きたくないものは、聞かない。

考えたくないものは、考えない。

好きなものは好き。

嫌いなものは嫌い。



そういう生き方は、楽かもしれない。

でも、俺は、それだと寂しい。




「理由なんていらない」と言う人は、

「理由なんて、どうでもいい」のかもしれない。


理由は、ちゃんとあるんです。

考えたくない人には、絶対に見えてこない世界なんだろうけど。



俺は、命ある限り、考え続けたいと思います。

結論は、無理に出さなくていい。


今現在において、掴めるだけのものを、

感覚が新鮮なうちに、はっきりさせておきたい。



そのために、このブログは存在します。

それを書き残すために、このブログは続くのです。



…俺の五感が、生きている限り。











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2016-04-21

メンタルコラム 「騒音」

テーマ:メンタルコラム
今日、NHKのニュースを見ていて、悲しくなりました。


被災地を転々としている、ある親子の話。

「子供の声がうるさい」と文句を言われて、いたたまれなくなって移動…

中には理解のある人もいるそうなんですが、

「周囲に迷惑をかけている」と思うと、たまらなくなっちゃうんでしょうね。



俺は、避難所生活をしたことがないからわからないけど、

危険な状況にあればあるほど、幼い者を守ろうとするんじゃないのかな。


よっぽど、憎たらしいガキだったんでしょうか。



最近は、保育園を建設するのにも、周囲の住民から反対が出るらしい。

今どきは、「子供の騒ぐ声」が騒音なんだそうな。





俺が今の住居に引っ越して来た時、道路の向かい側に保育園がありました。

ひとり暮らしだったけど、子供たちの声がうるさいと感じたことはなかったと思う。

むしろ、元気があっていいなあ、と微笑ましい音だったと記憶しています。


お隣に若いご夫婦が引っ越して来て、まもなく出産。

長男の子は、毎晩のように、夜泣きをしていました。

お隣の奥さんとすれ違ってたまたま挨拶をすると、

『…いつもうるさくしてすみません。』と言われますが、俺は、

『…いえいえ、全然気にならないですよ。がんばって泣いてますねえ(笑)』

という感じで答えていたものです。


俺は、家族が言い争う声をさんざん聞かされて育ったので、

罵倒したり、虐待したりする声は嫌いですが、

楽しそうな声や、はしゃぐ声や、子供が騒ぐ声は、むしろ心地いいんです。


保育園の先生の声が、スピーカーから流れます。

『…は~い、みなさん、手を洗ってお部屋に入って下さい。』

ああ、たぶんそろそろ、おやつの時間かな~なんて思って、

よし、俺もおやつにしようか、なんて言ってコーヒーを淹れたり(笑)


夜勤明けで寝ていても、子供たちの声がうるさいとは感じなかったです。

がんばって、のびのび遊んじゃえ~って微笑んだものです。



やがて、俺も結婚して娘が生まれると、お隣には3人の子供がいました。

さらに、もうひとつ隣に新しい家族も引っ越して来て、にぎやかになりました。

娘はひとりっ子だったけど、回りにお兄さんやお姉さんがいたのです。

小学校に一緒に通ってくれて、我が家は大助かりでした。


子供が楽しそうにはしゃぐ声は、俺にとって、癒やしの音です。

迷惑なんて、感じたことない。むしろ、恩恵の方がずっと大きい。



小さい子供を持つお母さんが孤独になってしまうのは、よくない。

ただでさえ子育ては大変なのに、周囲から煙たがられるなんて、


悲しい。

切ない。

かわいそう。


小さい子供を持つお母さんが安心できる「避難所」が必要ですね。

そこへ、スキルを持ったボランティアの人が派遣されれば、最高ですね。



多くの人が集まる場所なら、色んな人がいるはず。

普段、家の中で威張り散らしている輩ほど、機嫌が悪くなっちゃうのかも。


そういう、わがままなクソ野郎どもは、無人島に捨ててしまえ!

静かな場所で、思う存分、ひとりでサバイバルしてみやがれってんだ。



「子供の声がうるさい」なんて言う奴ばっかりになったら、

日本では、子供が育てられなくなっちゃうぞ。



サイレントベイビーになるより、ずっといいじゃん。

ちゃんと会話ができて、遊ぶことができるって、素晴らしいことじゃん。

障害があってじっとしていられない子供もいるし、

声を出さずにいられない子供だっているじゃん。


そうやって、「色んなタイプの人」を身近に感じることによって、

人間としての大事な感性が、純粋に育っていくのだから。



俺が、避難所の責任者だったら、

同じような事情を抱えている人たちをグループ化し、

そこでしかできないコミュニティを作れるように、工夫したいな。


そして、「話を聞いてもらえる場所」を設置します。

大学卒とか、プロの資格なんて、いらない。

今、現場で役に立つ人材を、現地調達すればよろしい。


何か問題が起きた時に、誰が責任を取るのかって?

その時は、俺が辞めればいいだけのことだろ?

馬鹿野郎!今が「問題」なんだよっ!



こういう非常時にこそ、「現場のプロ」が育つのだ。

具合が悪い人は、休んでればいいけど、

少しでも動ける人は、可能な限り、誰かに何かをしてあげて欲しい。


1日に、3人以上、人の話を聞く。とか。

物資の運搬を手伝う。とか。

子育てで大変な親たちのお手伝いをする。とか。



俺だったら、絵のかける人を探して、「紙芝居」とか作って、

子供たちを集めて、俺のオリジナルな物語でも語ってみたい。

(その間、1時間くらいは、親たちが休めるでしょ)


中学生くらいまでの勉強なら見て上げられるから、プチ家庭教師とか。

思春期の奴らを集めて、演劇をやるとか、創作ダンスやるとか。

ただ、じーっとしているよりは、いいじゃん。



子供を持つお母さんには、癒やしと楽しみが必要です。

人は、そんなに強い生き物ではないので、

パワーを出し続けると、疲れてしまいます。


だから、チャージが必要なんですね。


非常事態においては、できる者が、できることをやればいいと思う。

自分より大変な思いをしている人に、ほんの少しだけ、優しくして欲しい。


みんな、疲れているからこそ、

みんな、いっぱいいっぱいだからこそ、


勇気ある「一言」が欲しい。

勇気ある「行動」が欲しい。



俺みたいなアウトサイダーには、何の発言権もありませんが、

もし、その場にいたら、自分のできることを探そうとすると思います。




以上、オヤジの愚痴でした。

いつものように、聞き流して下さい。
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2016-04-11

メンタルコラム 「夢中になる、ということ」

テーマ:メンタルコラム
昨日の記事で、「ハマる」という言葉を使いましたが、

もうこれって、死語に近いかもしれませんね。


言葉というものは「生き物」なので、時と場合によって、千変万化。

誰かに言ってウケた言葉が、他の誰かに言ったらシラケた、なんてことはよくある。

(う~ん、「シラケる」なんていう言葉も、死語だったりして)



昔の言い方だと、「流行に乗る」になるのかな。

「今、静かなブーム」とか、「マイブーム」とか、「巷で話題の…」とか。

最近だと、「今、これが旬です」「これが最先端」「○○女子が急増」とか。

娘に聞いたら、腐女子の間だと、「沼」という表現があるそうな。


まあ、「今、これにハマっています」という言い方が、自然な言い回しかも。

(これを書いている2016年4月11日の時点において)



どんぐりころころ、どんぐりこ。お池にはまって、さあ大変。

どんぐり君が、キャバクラの一番人気のお池さんにハマって、さあ大変!

金をむしり取られ、デートはすっぽかされ、いつのまにかお店から姿を消した。

そこへ、お嬢(どじょう)が出てきて、こんにちは。

今夜から入りました~新人で~す。坊ちゃん、一緒に遊びましょ☆


これは、飲み屋トークのネタの1つですが、

あんまりハマリ過ぎると暴走しちゃうから気をつけてね、という例え話。




「何かに夢中になれる」って、すごく素敵なことだと思います。

あまりに楽しいから、時間を忘れて熱中してしまう。


俺は、精神病を抱えているので、「楽しみ過ぎない」ように注意しています。

でも、何かに「ハマって」いる間は、嫌な現実を一時、忘れられるから。

それがないと、俺の精神はたちまち崩壊してしまうでしょう。


今日まで生きて来られたのは、感受性の強さがあったからだと思います。



人間は、同じものを見ても、「見え方」が違う。

人間は、同じ音を聞いても、「聞こえ方」が違う。

人間は、同じものを食べても、「おいしさ」が違う。

人間は、同じ人を好きになっても、「愛し方」が違う。

人間は、同じ金額のお金を手にしても、「使い方」が違う。



だから、同じ映画を見ても、感想が違うのは当たり前だし、

同じ景色を見ても、感動する人がいれば、何も感じない人もいる。


それが、当たり前だから。



お金を払ったんだから、楽しまなきゃ損。

せっかく遠くまで来たんだから、もとを取って帰りたい。

ここまでがんばったんだから、最後までやり抜きたい。



趣味とか、特技とか、習い事とかって、「興味を持つ」ことから始まります。

やってみて面白ければ続くし、面白くなければ、やめてしまう。


「ハマる」→「飽きる」

ざっくり言えば、人生は、この繰り返しかもしれない。



「ハマる」ことは、誰にでもできる。

しかし、「ハマり続ける」ことは、ある程度の「努力」や「工夫」が必要。

俺的には、「能動的」か「受動的」かの違いが大きいんじゃないかと思うんですね。



俺の趣味は、映画と音楽と読書です。

中でも映画は、5歳の頃から見続けているので、もう40年以上になります。

映画で使われる音楽で、最近の歌を聞いたり歌ったりしてるわけだし、

映画が面白かったので、原作や関連本を読んで勉強したりするのです。


つまり、自分の好きな世界を広げていくための「努力」と「工夫」なんですね。

映画をより楽しく味わうために、興味を持った情報を積極的に取り入れる。

映画の面白さを言葉で表現し、飲み屋で語ったり、ブログを書いたりする。



映画ブログを始めたのも、自分の世界を広げたかったからだし、

自分の内面を掘り下げて考えることによって、奥行きのある言葉を発掘したかった。

ブログを続けてきたおかげで、自分の好みや個性も明確になってきて、

飲み屋でのトークも、磨きがかかりました☆



人は、いつも、「夢中になれるもの」を探しています。

それは、誰かに強制されたりする類のものではないし、

「そうしなくちゃ」と思ってすることじゃない。


そうしたい。

そうせずには、いられない。

それをやらなくては、自分が先に進めない。


気がつくと、そのことばかり考えている…


その領域。

そこまで行けたら、もう「ハマっている」というレベルではない。


もう、その時点で、「筋に入っている」と言えるでしょう。


興味が湧く限り、続けてみて下さい。

「やんなきゃ」なんて、思わなくていい。

「やりたい」と思う時に、「やりたい度」に応じて、

思う存分、楽しんでみたらいい。



気がつくと、「達人」になっていたりして(笑)






「夢中になること」は、「夢の中」で生き続けること。

今宵、あなたの心が一番欲している方向へ、思いをめぐらせてみましょう。



…生きている限り、そのチャンスは無限にありますから。





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2016-02-18

メンタルコラム 「友達の定義」

テーマ:メンタルコラム
これは、年末に8割方書き上げたところで消えてしまった記事の復刻版です。


あの時と今とでは、思考も感覚も違うと思うので、

あくまでも、“今の時点”で考えていることを、書き出してみます。





俺が30代の頃、スナックのカウンターで、年上のお姉さんに絡まれたことがありました。

『…桑畑くんさあ、友達って何だと思う~?』

『…はあ、友達の定義ですか。これは、なかなかの難問ですなあ。』



細かいことは忘れましたが、俺の持論としては、


①友達は、片想いでいい。無理矢理両想いにならなくていい。

②力関係は、対等であるべき。同じレベルで自由に会話ができること。

③あくまでも、期間限定の関係で充分。ずっと続ける必要はない。

④頻繁に会わなくていい。数年に一度でも、会えば楽しい関係。


そんな感じのことを話したように記憶しています。





まずは、広辞苑で調べてみましょう。


「友達」は、「親しく交わっている人。」

「親友」は、「信頼できる親しい友。仲のいい友。」

「仲間」は、「同じ仕事をする人。その集まり。」


う~ん、どれもイマイチだなあ。何だよ、これ。

広辞苑の編集者って、友達いないのかな(笑)



まあ、そのくらい、曖昧な表現しかできない言葉なんでしょうな。




俺の考えとしては、「友達」というのは、年を重ねる毎に、意味が変わっていく関係。



例えば、「同級生」だから、イコール「友達」ってわけじゃない。

数年間一緒に勉強する仲間だから、敵対しない程度に付き合う、という感じ。

いつまでも仲がいい関係もあれば、卒業してプッツリ関係が途切れる、なんてことも。


そのくらい、曖昧なものなんです。「同級生」なんてのは。



じゃあ、「幼馴染」はどうでしょう。


子供の頃からの付き合いなら、長所も短所も知り尽くしているかもしれない。

ただ、時間が経っても昔の話しかできない関係は、ちょっと寂しい。

「今の自分たち」ではなく、「過去の自分たち」しか見ていないのは、疲れる。

「昔はよかった」ばかり連発する人との会話は、未来がちっとも見えて来ない。

自分だって、「今の世の中」を構成している一人なんだから。


人は、時間とともに「変化していく」生き物。

昨日の自分と、今日の自分は、確実に違っている。

だから、久しぶりに会う親友と、話が弾むんですね。



単なる「同級生」というのは、ちと面倒くさい。


俺は、中学の同級会に、5年に一度くらい呼ばれることがあります。

でもそれは、あれからあいつがどうなったか見てみたい、というのが実情。

呼ばれれば行きますが、基本、あいつらは「友達」なんかじゃない。


心の闇を抱えて思春期を必死で過ごした俺を「根暗」だと馬鹿にして、

もっと明るく生きろと説教をするくらいしか能のない連中。


俺は、「みんな」の中に入っていない男だったんです。

(入りたくもなかったし、俺の友達は違うクラスにいたし)



しかし、高校生の時は、いい同級生に恵まれました。

今でも付き合いのある男は、何人かいます。


もっとさかのぼると、小学生の頃からの親友も、ひとりだけいます。

彼とは、剣道で一緒に竹刀を交えた仲。

奴は、二段。俺は、初段。

でも、真剣で斬り合ったら、俺が絶対勝ちます。


先月も一緒に飲んで、盛り上がりました♪

(奴の話は、また改めて語ろうかと思っていますのでよろしく)



他にも、数年に一度しか会わない親友が、あと4人ほどいます。

そのうちの一人は、もう20年以上会ってませんが(笑)


でも、俺にとっては、みんな「友達」なんです。

人に聞かれたら、あいつは「親友」だと答えます。

たとえ相手が「お前なんか友達じゃねえ」と言っても、俺は「友達」だって言います。


俺にそう思わせるくらいのことを、たくさんしてくれたから。

俺のくだらない話を、楽しそうにいっぱい聞いてくれたから。


話しやすい人がいる。

話しにくい人がいる。


会うと、安心できる人がいる。

会うと、不安になる人がいる。


その違いって、どこにあるんでしょうね。


友達じゃないけど、楽しい「飲み仲間」というのもいる。

ある意味友達なんですが、ちょっとカラーが違うんですよね。


会いたい時に会えないからこそ、いい関係が続く場合もある。

約束しなくても、連絡先を知らなくても、縁があれば、また会えるから。



ネットの友達だって、一時的に仲良くなれても、離れる時は、あっという間。

相手にとって、俺が少しでも気に食わないことを言うと、あっさり嫌われる。

俺、別に「いい人間」じゃねえから、そんな奴にはさっさと嫌われた方が楽です。

中途半端に好かれると、相手の要求に応えないといけない「プレッシャー」が発生する。

相手は楽しいかもしれないけど、俺はヘトヘトになっちゃう。


やっぱり、相性とか、心の波長とか、バイオリズムとか、関係あるのかも。

飲み屋でよく会う仲間は、常連ということもあるけど、

「ここで飲みたい」というタイミングが合うんだと思う。

俺も一人。相手も一人。こういう相手が一番気楽に話せるんですね。




対等な立場で、自由に会話できる相手が、俺の考える「友達の定義」とします。

これは、あくまでも、今現在の思考から導き出される結論です。


明日になれば、変わるかもしれない。

一年後には、全く違うことを言っているかもしれない。



感動は、一度しか体験できないもの。

誰かと楽しく過ごした時間も、その時だけの、貴重な体験。


喜びは、一瞬。

苦しみは、永遠。

その一瞬で得たエネルギーを、生きる力に変えていくのだ。



友達は、「契約」じゃない。

「ずっと友達だよね」と念を押す人は、きっと不安なんだと思う。

「もちろん友達だよ」といくら言っても、また何度でも聞いてくるでしょ。


でも、そういう人も、いていい。

「面倒くさい友達」っていうポジションで(笑)



相手の悪いところしか見えない人は、なかなか友達ができない。

自分自身の悪いところを棚に上げて、人を非難しても、説得力がない。


相手を褒めることの方が、会話が楽しくなるし、自分も気持ちがいい。

会話は、「楽しい方向」へ行くからこそ、盛り上がるのだ。



愚痴や昔話、人の悪口や自分の自慢話ばかりでは、会話が暗くなるし、

聞かされる方は、たまったもんじゃない。




映画から、学ぶこと。

音楽から、学ぶこと。

読書から、学ぶこと。

仕事から、学ぶこと。

飲み屋のカウンターで、学ぶこと。



学び取る力があれば、会話力がアップしていく。

読み取る力があれば、文章力がアップしていく。

聞き取る力があれば、人の気持ちがわかるようになっていく。

本気で伝えたい気持ちがあれば、最終的には、ちゃんと伝わっていく。




そういう体験から生まれるのが、「友達」なんです。




お金をかけても、時間を費やしても、手に入らないものは、たくさんある。

数は、問題じゃない。

相手がイケメンか美人かどうかも、関係ない。


一緒にいて、気持ちよく過ごせる相手は、簡単には見つからない。

出会いがあって、話をしてみて、初めて見えるものがある。

その人との関係でしか、理解し合えない話題というものもある。



時間は、どんどん過ぎていく。

みんな、忙しい。

誰も、ヒマなんかない。



でも俺は、映画に行く。

本を読み、音楽を聴き、飲み屋に行って、仲間たちと語り合う。


それが、楽しい時間だから。

俺にとって、大切なひとときだから。



どんなにひどい目に遭っても、どんなに人格を否定されても、

つらいことがたくさんあっても、まだこうして生きていられるのは、


きっと、友達がいるからだと思います。




人によって、「友達の定義」は違っていい。

自分だけの、「友達の定義」を、ぜひ考えてみて下さい。














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2015-09-02

メンタルコラム 「カッコ悪い男」

テーマ:メンタルコラム
こんばんは。桑畑です。

ちゃんとここに来ましたよ。

俺は、約束をちゃんと守る男なので。


ここ最近は、ダークネスな記事が多かったので、

今夜は、軽いお話をしましょう。




実は、つい1時間半ほど前の出来事でした。


今日も激務で、ヘトヘトに疲れてしまったので、

コンビニで休憩してから帰ることにしました。


駐車場に車を停めて、さっそうと入り口に向かいました。

…おやっ?

何と、足元にお金が落ちている。

千円札が数枚、畳んだ状態で散らばっているんです。


俺はとっさに、すぐに拾いました。

で、そのまま店内に入り、レジに直行。

お金を渡して、すぐに買い物しようと思ったんですが、

レジには、新人と思われる女の子が、あたふたしながら悪戦苦闘中。



仕方がないので、もう1人店員を呼んでもらいました。

出て来たのは、ひょろっとした兄ちゃん。


『…あのう、お店の前にお金が落ちていたんですけど…』

『…あ、はい。』

兄ちゃんは俺から札を受け取って、しばし沈黙。

『…じゃあ、落とし主が現れたら、返してあげて下さい。』

『…あ、はい。』


以上、会話終了(笑)


おいおい、そういう時は、

『…そうですか、わざわざご親切にありがとうございます。

 大切に保管しておきますね。』くらいのこと、言わないかなあ…


まあ、俺も別にお礼を言って欲しかったわけじゃないし、

誰かが見ていたかもしれないから、ネコババする気にもならなかったし、

まあ、いいんだけどね。



それはそれでいいとして、俺は頭を切り替えて、菓子パンを選んでレジへ。

いつものタバコと、ブレンドコーヒーSサイズを頼んだ。

支払いを済ませ、コーヒー受け取りカウンターに移動。


『…お待たせしました。アイスコーヒーSサイズでございます。』


…んんん~?


俺が頼んだのは、ホットコーヒーなのに。

メニューに書いてある通りの名称でオーダーしたのに。


そのコンビニは、自分でマシンを機動するシステムではなく、

店員が淹れて持って来てくれるスタイルになっているのだ。


俺は、しばし迷った。


おいおい、俺が頼んだのはホットだよ。

悪いけど、淹れなおして下さいな。


そういうのは簡単だけど、何だか、言いづらかった。


不慣れな仕事を一生懸命やっている彼女の姿を見ていると、何だかね…



結局、『…あ、はい、どうも。』と受け取ってしまいました(涙)


あ~ちくしょう、俺はやっぱりヘタレだ~


ちゃんと言ってあげないと、彼女はまた同じ間違いをするかもしれない。

指摘だけしてあげて、商品を受け取れば、クールだったかも…

いやいや、やっぱり、それなら言わない方がクールじゃねえの?


う~ん…

まあいいや、これはきっと、アイスコーヒーを飲めという神のお告げ、ということで。



俺は、真夏でも、コンビニでコーヒー買う時は、ホットなんです。

あはは、生まれて初めて、コンビニでアイスコーヒーを買っちゃいました☆




いやはや、俺って、何だか、カッコ悪い。


3000円(たぶん)をネコババして、高級スイーツを買うこともできたけど、

何だか、そういうのって、気持ち悪いんです。


もらっとけばよかったかな…なんて思いますが、

そっちの方がきっと、後味が悪いような気がします。


家に帰って妻に話したら、笑い飛ばしてくれました。

『…じゃあ、今から行って、落としました~って言ったら、もらえるかも?』

『…うん、そうだね。じゃあ、もらってくれば?』

『…行かねえよ(笑)』



俺としては、いたいけな女子小学生が、半泣きでコンビニに訪れて、

『…お母さんから預かった大切なお金を落としちゃった~ え~ん(涙)』

『…あ、それならちゃんと届いていますよ』

『…ホントですか~? 親切な人、どうもありがとう!』

なんていう展開が望ましい。



お金って、大事だし、誰もが欲しいものだと思う。

でも俺、自分のものにしなかったんです。



よろしければ、誰か、褒めて下さい(笑)












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2015-08-21

メンタルコラム 「土台」

テーマ:メンタルコラム
建物を建てる時は、しっかりとした土台が必要です。

基礎工事がちゃんとしていないと、崩れてしまう危険性があります。


豚を育成するのにも、骨が作られる時期があり、

筋肉が作られる時期があり、脂肪をつけて仕上げる時期があります。

それは、それが形成されるべき時期に、健全に育てることが重要になります。

大事な時期に、病気や環境トラブルがあると、育成に影響するのです。


人間にも、体の基礎ができあがる時期があるんだと思います。

いわゆる「育ち盛り」というものですね。

俺は、生まれた時の体重が3900グラムあり、

物心つくまで、食欲旺盛な男の子でした。


しかし、小学校高学年の頃から、食欲がなくなり、

中学生になる頃には、ガリガリにやせていました。


その理由は、「食卓が地獄」だったからです。

一家団欒という言葉を、どれほど恨めしく思ったことか。

我が家は、食事の時間は、争い事が日常茶飯事でした。


祖父が、祖母を罵倒する。

祖父が、父を罵倒する。

父が、反撃する。

食器が投げつけられ、破壊音とともに、取っ組み合いの醜い情景が展開する。

子供の意見なんて、絶対に聞いてもらえない。

お前に言われるようじゃおしまいだ!

火に油を注ぐ。焼け石に水。傍若無人。我田引水。

床に落ちたごはんを泣きながら拾って、嵐が過ぎ去るのを待つ。


食事なんか、できる環境じゃない。

食卓というものは、そういうものだと思ってきた。

だけど、よその家は、そうじゃなかった。


友達の家の食卓は、まるで違っていた。

先生の家の食卓は、まるで違っていた。

きっと、「よそいきモード」なんだろうと思っていたけど、そうじゃないらしい。


ご飯って、緊張して食べるものだと思っていた。

食卓って、争い事の温床だと思っていた。

父親は、独裁者であり、

母親は、奴隷であり、

子供は、囚人であった。

生まれた時に、すでに、身分が固定されていたのである。


身分が下の者は、上に立てつくことが許されない。

意見を言おうものなら、烈火のごとく怒る。

二度とものが言えないように、烙印を押されるのだ。

泣きながら向かっていけば、大人の力でねじ伏せられる。


少年はいつしか、ものが言えない子供になってしまった。


初対面の人に、うまく挨拶ができない。

質問をされても、うまく自分の意見が言えない。

正直に言うと、ひどい目に合わされる…

だから、相手の望む「正解」を探してしまう。

結果、心にもない「社交辞令」を言ってしまう。


そんなんだから、よく誤解されたし、勘違いで怒られもした。


怒るのが好きな人は、何を言っても、結局、怒るのだ。

いじめるのが好きな人は、相手の態度に関係なく、いじめるのだ。


俺はいつしか、ひとりを好む人間になっていった。

誰かと一緒にいると、その人を怒らせるのが嫌なので、距離を取った。

人と一緒にいる煩わしさに比べれば、ひとりぼっちの方が耐えられる。


中学3年まで、そういう思考だった。


高校に入ってからは、気さくな友達が増えて、

俺の「人間不信」は、ほんの少しだけ、緩んだ。

家庭内では、阿鼻叫喚の地獄絵図が展開されていたけど…



俺は、未だに、祖父を憎んでいる。

祖父を憎む父の姿を見て、親は憎しみの対象であるということを学んだ。

祖母は、奴隷のように、人間性を否定されていた。

母は、父の奴隷であり、家庭は、祖父と父の憎しみ合いの舞台だった。


父の口癖は、『…早く死ね!クソジジイ!』だった。

親に愛されなかった男は、親を憎むようになるのだろうか。

そのフラストレーションを、弱い者いじめで解消するのだろうか。


親の因果が子に報い…

俺は、家庭を持つのが、怖くなった。

俺の遺伝子を受け継ぐ子供は、確実に不幸になってしまう気がした。



しかしながら、俺は、いわゆる「デキ婚」で家庭を持った。

未だに、それがよかったのか悪かったのか、わからない。


だけど、これだけは、強く思う。


悲しい連鎖は、俺で終わりにしたい。

娘には、のびのびと、自分の人生を楽しんでもらいたい。

俺の暗い精神世界は、俺の中に封印して、祖父と父の怨霊とともに心中する。

兄はすでに精神が崩壊しているので、俺が父と刺し違えることになると思う。

お袋の命が、残り少なくなっていくにつれて、破滅のカウントダウンが始まっている。

父は、未だに母と兄をいじめ続けている。

俺は、実家にいると気が狂ってしまうので、18歳で家を出た。

逃げ続けて、30年。


最悪は、親父を殺して、刑務所行き。

そういう夢を、幾度となく見た。

祖父をバットで殴り殺す夢を、中学生の頃によく見た。

祖父が病死した後は、怨霊は父に宿った。

あんなに嫌っていた祖父に、今の父はそっくりである。


子供は、親の言うことは聞かないが、親の真似はする。

だから、俺は、娘の将来を考えて、服役するわけにはいかない。

人を殺すくらいなら、自殺した方がましだと考えてしまうのである。


殺意があっても、実際に殺さなければ、刑罰には問われない。

そういうギリギリのところで、今まで踏ん張ってきた。

でも、近い将来、その均衡が破れる時が来ると思う。


その時、俺は、どういう行動を取るのか。

それは、その時になってみないとわからない。




『…親子なんだから、納得いくまでちゃんと話し合えばいい。』


1万人に相談したら、たぶん9999人が同じことを言う。

それは、夢物語であり、幻想なのだから。


幼い頃に、話を聞いてもらった「土台」がある人は、そう言うと思う。

話をすれば、何とか解決できる。

ちゃんと話せば、何とかなる。

そういう思考ができる人は、心の中に、そういう「土台」があるから、そう言える。


信頼関係を築いてきたという「土台」があるからこそ、

人を信じることができ、自分を信じることができるのかもしれない。



でもね、それは単なる「前提」に過ぎないんです。

こう話せば大抵の人はわかってくれる、という幻想…


世の中には、自分が当たり前だと思っていることが通用しない人間がいる。

そういう想像力がない輩は、思い通りにいかないと、すぐに相手を否定する。


「常識」を振りかざす人ほど、「非常識」だったりするから。

思考力が乏しい人ほど、TVやネットの情報を、すぐ鵜呑みにしたりするから。



人は、自分のイメージだけで、何となく生きているもの。

俺は、そういう生き方をすると、心が窒息してしまうようで、気持ち悪くなっちゃう。





俺はよく、「お人よし」と言われる。

俺はよく、「癒やし系」と言われる。

俺はよく、「気配りのできる繊細な男」と呼ばれる。


そうなったのには、ちゃんと理由がある。

好きで、こんな性格になったんじゃない。


だから、その褒め言葉は、俺にとっては「虚構」である。

俺は、みんなが思うほど、いい人間じゃないし、そんなに優しくない。

勝手に勘違いされても困るのである。


むしろ、「あいつは嫌な奴だ」と言われた方が、よほど楽である。

それは、本当だから。




俺は、48年も生きてきたので、多少それなりの「スキル」はある。

だけどそれは、ちょっとしたことで崩れてしまう、脆いガラス細工に過ぎない。

経験上、あらゆることを想定した思考や行動はできる。

しかし、予想外の角度から攻撃を受けると、あっさり崩壊してしまう。

そういう危険性と隣り合わせで、いつも生きている。



「うまく立ち回れている」自分がいる。

その一方で、「次の瞬間には崩壊してしまう」自分がいる。


挫折は、今に始まったことじゃない。

昨日までの栄光は、今日であっさり崩壊してしまう。

そういう「危険性」を常にはらんでいるのが、俺という人間なのである。


俺が幸せになると、怒る人たちがいる。

俺が不幸になると、喜ぶ人たちがいる。


だから、俺が破滅することは、誰かを確実に幸せにすることでもある。

そう思ったら、不幸な人生もある意味、悪いことではないのかもしれない。



生きていることは、疲れることばかりである。

疲弊して、傷だらけになって、怒られてばかりの人生なんて、

早く終わってしまえばいいのに、と思う。


明日で寿命が来るなら、大歓迎である。

この世に、未練なんか、もともとない。

ただ、自殺はあとあと面倒になるので、仕方なく生きているだけである。

まだ、自殺するには、条件が揃っていないから。


とりあえずは、娘が成人するまでは、生きなくちゃ。

病気で療養した時に作った借金を完済するまでは、がんばって働かなくちゃ。



仕事なんて、いくらでも代わりがいる。

会社に骨を埋めるとか、忠誠を尽くすとか、

かつて俺が一生懸命にやっていたことは、死語になってしまった。

がんばってもがんばっても、いつかは不要な存在になるのである。



同じ仕事を続けていられる人は、幸いである。

彼は、その道のプロとして、歴史に名を刻むであろう。

信頼できる家族を得た人は、幸いである。

彼は、子々孫々まで、優れた人物として騙りつがれるであろう。

話を聞いてくれる相手を得た人は、幸いである。

彼は、そこで得た喜びを、他者に伝える使者となるであろう。


心にしっかりとした土台を築いた人は、幸いである。

彼は、優れた思考をもって、世の中に平和をもたらし、

自身が得た幸福を語り継ぐ、聖者となるであろう。




心の土台を築けなかった者は、一生をかけて、築いていくしかない。

挫折する度に、奈落の底に落ちる度に、何かを学んでいく。


それでも、何度でも、最初から、やり直していく。

作って、壊して、また作って、また壊して…



やられっ放しでは、殺されてしまう。

殺されるのは構わない。早く死ねるなら、それもいい。

だけど、我慢できないことは我慢できない。



俺だって、怒る時はある。

いつもいい顔ばかりしてはいられない時だってあるのだから。

それが、わからない人がいる。

俺が怒ると、『…いつものあんたらしくない。』と言って、

したり顔で責めてくるウスラバカどもがいる。


相手は、自分に優しくしてくれて、当たり前。

相手は、自分を理解してくれて、当たり前。

相手は、自分の話を親身に聞いてくれて、当たり前。

そんな幻想を信じているから、変な病名がついてしまうのだ。



人は、理由もなく、人に優しくしたりなんかしない。

人は、そう簡単に理解できるような、単純な生き物じゃない。

人は、相手の話を聞くふりをして、自分の話をしたいだけである。


優しくされた時は、見返りを求められている場合が多い。

俺は、幾度となく騙されて、そういうことを学んだ。



俺が怒ると、『…そんな奴だと思わなかった。』と捨て台詞を残して、いなくなる。

俺は、いつもニコニコして黙って、人の話を聞く男じゃないといけないらしい。

そんでもない誤解である。

そいつは、とんでもない馬鹿野郎である。


そんな、人の気持ちを考えない奴とは、早めに絶交することにしている。

そんな奴と無理して付き合うほど、俺は友達には不自由していない。

そんな奴に優しくできるほど、俺は人格者じゃない。


俺だって、生身なんだよ。

そういつもいつも、貴様の思い通りに行動してなんてやるものか。



人の気持ちがわからない奴ほど、無意識のうちに、相手に無理をさせる。

自分のことしか考えていない奴ほど、相手を逆撫ですることを言う。

「相手がどう感じるか」よりも、「自分が満足する」ことが優先だからである。


自分中心にしか会話できない人は、そういう「心の土台」を築いてしまった人である。

すでに固まった思考になっているから、柔軟性に乏しい。

会話が空回りする人は、相手のせいにばかりしないで、

一度くらい、自分の視点や思考パターンを疑ってみたらいい。

考えてもわからんという人は、思考する土台を築いていないんだと思う。


人と話せば話すほど、脳は活性化する。

年齢や立場や地位に関係なく話せる人は、脳も心も柔軟である。

俺の経験上、これは確かである。

飲み屋のカウンターで20年以上、人間ウォッチングをした俺のスキルだから。



俺は、自分が自信を持って言えることは、はっきり言う。

自信がないこと、はっきりしないことは、曖昧だから、うまく言えない。

考えてみれば、当たり前のことである。


俺は、知ったかぶりが苦手。

そんなことをしても、すぐにボロが出るから。

わからないことは、わからない。

それでいい、と思っている。



否定されるのには、慣れているし、

知らないことが、恥ずかしいことだとは思っていないから。




地に足の着いた会話は、大人の会話である。

それは、しっかりとした土台の上に、成り立っているから。

カッコつけている人と、真にカッコいい人は、雲泥の差。

それがはっきりするのが、大人の会話の特徴。



だけど、俺は思うんです。

相手をやっつけるのは、会話の質としてはまだ子供のレベル。


オレ、こんなこと知ってるよ~

オレなんか、もっとすごいこと知ってるぜ~


相手を否定して自分を高めようとする手法は、卑怯。

相手の個性を認めて、お互いにいい部分を褒め合うのが、成熟した大人の会話。



俺は、基本、穏やかに会話したい男。

だから、俺が怒る時は、よほどの時だと思ってもらいたい。

逆恨みされようが、罵倒されようが、構わない。

そうしないと、自分が崩壊してしまうから。

その言動を許すと、相手は味をしめて、他の誰かに同じことをする危険性があるから。

そんな奴になんか、憎まれてもいい。

気に食わなかったら、俺を刺し殺せばいい。



怯えてばかりいたら、何にもできない。

やられっぱなしで、人生が終わってしまう。


俺は、15年間築いた土台を、一瞬にして失った男です。

今の職場で、やっと勤続2年を過ぎたばかり。

いつまた、暗闇に放り出されるかもしれない身の上ですから。

まあ、体が動くうちは、がんばって社会に貢献しようと思いますが。





土台を築いて、

土台を壊されて、

反省して、また新しく土台を築いて、

また、あっという間に壊されて…


俺の人生は、その繰り返しです。

まるで、賽の河原ですね(笑)


きっと俺は、もともと罪深い魂なんでしょう。

償っても償い切れない、極悪非道の魂なんでしょう。



わからない人には、わかってもらえなくていい。

わかるという人がいたら、ほんの一部だけ理解してもらえるだけで充分。


人は、他者のことを100%は理解できませんから。

俺の感覚でいうと、理解できるのは、せいぜい2%くらいだと思う。

ちなみに、自分のことは、10%くらいだと思っています。


自分がわからない自分のことは、人に言われて初めてわかる。

でもそれは、あくまでも「部分的なこと」なんだから、

それが全てみたいに仰々しく言われると、ムカッとくるんですよね。



言う側は、愛情を込めて、しっかりと伝える。

聞く側は、愛情を込めて、しっかりと受け取る。


そういう「生きた会話」を経験すると、会話する「土台」ができていく。

「死んだ会話」ばかりでは、土台が骨粗しょう症になってしまう。


「奪う」ことが多い人は、いずれ、全てを奪われていく。

「与える」ことが多い人は、さあ、どうなっていくんでしょうね。




立派な土台は、一生かけても築けないけど、

今日壊れた土台は、残骸をきれいに掃除した後で、

明日から、また丁寧にゆっくりと、作り直していけばいい。


もちろん、「使える素材」は、しっかりとリサイクルしましょうね。



失敗は、成功のもと。

再利用できる素材は、自分が生み出した、「オリジナルな逸品」なのだから。
















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2015-07-25

メンタルコラム 「感覚というものさし」

テーマ:メンタルコラム
こんばんは。桑畑です。

何とか、生きております。


今週も、嵐のような出来事満載の日々でした。

その1つ1つを全部お話しすると、膨大な時間と労力を消費してしまうし、

そんな記事を書いたところで、オヤジの愚痴ブログかよと非難されてしまうから、

タイトルにある、「感覚」というキーワードでお話ししましょう。


映画は、明日行けたら行きますので、もうしばらくお待ちを。



さて、我々は、見たり聞いたり触ったりしたものを、「感覚」で判断します。

それは、全てにおいての「ものさし」になります。


人は、機嫌がいい時は、心が広い。

反対に、機嫌が悪い時は、許容範囲が極端に狭くなる。


これは、ホントなんです。




例えば、知らない人である「他人」の笑顔を、たまたま見たとしましょう。


「微笑ましい」と思いますか?

「わざとらしい」と思いますか?

「いかにも」と思いますか?

「腹立だしい」と思いますか?


「何も感じない」というのは、嘘です。

「どうでもいい」というのも、微妙に嘘なんです。


人の「感情」に関する情報に対しては、何らかの「心の反応」があるはずだから。


それを否定すればするほど、かえって怪しくなってしまうんですね。




何で、こんな話をしたのかと言いますと、

人は、言葉という「表面」では、絶えず「嘘」をついているからなんです。


「正しく伝えようとする気持ち」が、裏目に出てしまう。

そういうことって、ありませんか。


それには、ちゃんとした理由があるんですね。


ただ、それを、その人にわかるように説明するのは、難しいんです。



ストレートに言えば、角が立つ。

遠回しに言えば、相手がイラついてしまう。


無理をさせて怒らせるよりは、ある程度のレベルで、とりあえず納得してもらう。

そうやって、上からのプレッシャーに耐えている人、多いと思います。



今日のお話は、そういう「言い知れない苦しみ」に耐えている人たちへの、

レクイエム。




よかれと思ってしたことが、かえって事態を悪化させてしまう。

それは、自分と相手の「感覚」と「ものさし」が違うから。


それを考慮しきれなかった自分にも責任があるし、

それを感じ取れなかった相手の鈍さにも、責任の一端がある。


俺は、どちらかが100%がんばらなければならない関係は、

すでに破綻しているという考えです。


理解し合うということは、双方が歩み寄って、妥協点を探すことで、

一番心地いい「ラグランジェ・ポイント」が見つかると思うんですね。

ただ、そこからの求心力や、物理学的重力を考慮する計算能力こそが、

「風上に立つ者」の使命ではないかと思うんです。


有利な立場にいる者は、どうしても「驕り」がありますから。




俺は、色んなところで、「権力を握った者」と対話をします。

そういう人と「円滑」に話すのには、工夫と努力が必要なんですね。


普通に話していても、うまくいかない。

へり下り過ぎても、卑屈になってしまって、かえって逆効果になっちゃう。


こういうことで苦悩している若者は、多いんでしょうね。

おっさんになった俺でも、同じように悩んでいるんだから、

むしろ、若者の皆さんの方が、ずっとえらいですよ☆





俺は、リアルでも、ネットでも、友達がいます。

多いか少ないかはわかりませんが、身分相応の仲間たちが、支えてくれています。


だからこそ、俺って、倒れそうで倒れないんですね(笑)


普段は仲良しなんだけど、ここぞという時に、俺を追いつめる人がいる。

普段は辛口なんだけど、ここぞという時に、的確な助言をしてくれる人がいる。


俺には、変化球でも受け止める「技術」があるので、大抵の言葉は大丈夫。

でも、時たま、ひどいことを平気でぶつけてくる人がいる。

その人にとっては、それが「普通」なんだと思う。

そういうレベルの言葉で、今まで、うまく行っていたんだと思う。

これを言えば誰でも自分にひれ伏すような、キメ言葉なんでしょうな。


だれど、「誰にでも通用する便利な魔法の言葉」なんて、存在しない。

もし、存在すると信じているなら、はっきり言ってバカである。


言葉というのは、相手の数だけ千変万化であり、1つとして同じものなんかない。

そこは、「映画熱」の桑畑四十郎として、強く力説したい。





人は、自分なりの「感覚」を持っている。

それは、絶えず変化している、実に「不安定」なシロモノなのである。


人との交流は、ほんの「一瞬」である。

出会いと縁とタイミングが揃うのは、「奇跡」なのである。

その「一瞬」を的確に捉えることができるのは、「感覚」のおかげなのだ。




誰かと話した時、何かを見た時、聞いた時、触れた時、

「心地いい」と感じるか。

「気色悪い」と感じるか。

「どうでもいい」と感じるか。

「嫌だけど、すごく気になる」と感じるか。


ネットの流行語で言うと、「人それぞれ」。

これって、便利な言葉ですよね。

「ただし、イケメンに限る」とか、

「それって、釣りですか?」とか、

今どきは、絵文字とか、ラインのスタンプとか、色々あるんだろうけど、

そこに込められた「思い」は、ダイレクトに伝わるんですよね。


「悪気のない言葉」が、「悪意」と解釈され、

「心のこもった言葉」が、「誤解」される。


それは、双方の持つ「感性の違い」がもたらされる悲劇と言えましょう。


友達でも、恋人でも、家族でも、本質はおんなじ。



「感性が鈍い」のは、発信者と受信者のどちらなんでしょうね…?







会話というのは、無条件で伝わるほど、甘いもんじゃない。


それは、俺が48年間生きてきた「経験上」、断言できます。


創意工夫。

取捨選択。

切磋琢磨。

そして、一期一会。


どんなひどい人からも、必ず、学ぶべきものがある。

だから俺は、どんな人からも、何かを学び取る根性があります。


その結論が出ないうちは、その人との関係は終わっていないから。



俺に、つっかかってくる人。

俺を、罵倒する人。

俺を、やり込めようとする人。

俺を、踏み台にして、大きくジャンプする人。



同じことを言われても、聞く人によって、感じ方は違う。

同じことを言っても、誰が言ったかによって、印象はまるで違う。



有名人が言った言葉には、説得力がある。

だからこそ、言葉を放つ者には、責任がある。


一般人だからこそ、無責任に、何でも言える。

しかしながら、何らかの影響は受けるようになっている。

それがきっと、宇宙の法則なのかも。

感じない人のには、無縁の世界である。



感性の鈍い人の方が、得なんじゃないかって思う時がある。

俺は、ある方向には敏感だけど、別のある方向には鈍感だと思う。

それは、B型のせいかもしれないし、暗い性格のせいかもしれない。


基本、「人と違って当たり前」という考えの男である。

俺と全く同じ感覚の人がいたら、ウソつけって思うもん。


自分と他者が違うことを楽しむために、感性という機能があるんだから。





人は、対象を判断するのに、各々の「ものさし」を使う。

しかし、その「ものさし」は、時々「狂う」のである。


例えば、金属製の定規があったりします。

その定規は、真夏と真冬とでは、測定値が微妙に違うと思いませんか…?


俺は、前の仕事で、1000分の1ミリという単位で戦っていました。

測定器の状態、気温、湿度、計測者の心理状態も考慮して、

精密機械部品を15年間作り続けてきた人間が言う言葉です。




人によって、時と場合によって、「正解」は違う!




「正解」「真実」「真意」「本音」「誠意」…


「伝え方」「伝わり方」「伝える技術」「受け止める技術」


相手に伝わりやすいように、ボールを投げていますか。

相手が取りやすくなるように、ボールを投げていますか。

相手が思わず「取りたい!」と思えるような、魅力的なボールを投げていますか。



逆の立場で、もう一度。


相手の真意を捉えようとして、ボールを受けていますか。

相手が投げやすいように、フォームを研究していますか。

相手が「もっと投げたい!」と思えるような、魅力的な自分になれていますか。



何度も言っていることですが、

一方通行の関係は、長続きしないんです。



『…彼は、私のこと何でもわかってくれるし、

 ありのままの私を無条件で受け入れてくれる、素敵な人なの。』


そういう「自慢話」を聞かされる度に、深いため息をついてしまう自分がいます。


でも、彼女に何を言ったとしても、俺の言葉なんか、ただの「雑音」だから、

相手の機嫌を損ねないようにしながら、適当に付き合うしかない。



飲み屋のカウンターで、「大人の男」を演じるのも、疲れる時があるんですよね。





話が長くなってしまったので、そろそろ終わります。



感覚というのは、生き物なので、その時によって、違って当たり前なんです。

それがわかっている人と、わかっていない人とでは、

同じ結果が出ても、受け止め方がまるで違う。




自分は今、こういう状態だから、こういう思考になっているかもしれない。


そう思えた瞬間に、「会話のプロ」としての自分が育っていきます。



少ない情報で、瞬時に察知できる人もいれば、

情報が多いのに、さっぱりわからない人もいます。


多くを伝えているのに、全然伝わらない人もいれば、

数個のキーワードで、理解してもらえる人もいます。



話をする人。

話を聞く人。


基本、どちらかがしっかりしていれば、会話は成立します。


会話力の差はあっても、ゼロやマイナスでない限り、一方が補えます。


相手が、協力する姿勢ゼロなら、もう放っておけばいい。

いたずらに会話しても、パワーを吸い取られるだけだから。


でも、相手が少しでも「歩み寄りの姿勢」を見せるなら、

力を奪われない程度に、付き合ってあげてもいい。



感覚の鋭い人には、それなりの表現で。

感覚の鈍い人には、かなり強めの言葉で。


俺は、鈍い人たちが、羨ましい。

こんなに敏感でなかったら、こんなに苦悩な人生も送っていなかっただろうから。


伝わらない、苦しさ。

理解できない、もどかしさ。


さあ、どっちがつらいんでしょうね。




人間関係って、面倒くさい。

年を取る毎に、強く感じます。



簡単に伝わる人とだけ付き合っていると、確かに、楽。

でも、その状態では、脳は退化していく。


思考が凝り固まった人との会話は、ただひたすら、疲れるだけ。

その本人も、心の底では、面白くないはずなんだよね…


会話って、刺激があるからこそ、盛り上がるものなんだから。




思ったことを、すぐに口にする人は、甘やかされて育ったのかもしれない。

みんなが言いたいことをそのまま発言したら、この世は破綻してしまうから。


感じたことを、相手が理解しやすいようにアレンジして伝えるのが、大人の会話である。



ストレートな言葉でラリーしてケンカできるのは、30代まで。

大人になればなるほど、グレードの高い領域で楽しみたい。



年齢的にはかなり先輩でも、幼稚な飲み方をしているおっさんがいる。

若いのに、すごくしっかりした会話ができる、頼もしい飲み仲間がいる。


彼らの違いは、何だろうか。


知識だろうか。

経験だろうか。

金銭的に恵まれているからだろうか。

権力を持っているからだろうか。


それは、少し話せば、すぐに見えてくる。

苦労した人、苦悩した人は、乗り越え方によって、言葉の重みが違うのだ。



俺は、人と話すことを仕事にしていた時期もあったから、

色んな年齢の人と話す感覚が、それなりに備わっています。


それが、プラスに作用することもあるし、マイナスに働くこともある。


きっと、いつまで経っても、悩みは尽きないんだろうな。



伝えるのって、難しいし大変だけど、

手強い相手に、ちゃんとしっかりと伝わった時の喜びは大きい。



俺はきっと、豚に笑われていることでしょうな。



感覚が狂うと、ものさしも狂う。

そこに、いち早く気づくことができれば、まだ救いがある。

困るのは、狂った基準をスタンダードにしてしまうこと。

それは、恐ろしこと。


色んな職場で、傍若無人な輩をたくさん見てきました。

中には、やり合った人もいました。

その人が「権力者」だったせいで、風当たりが強くなり、

辞めざるを得なくなったこともしばしばありました。


ボロボロになっても、ボロ雑巾のように廃棄されても、

精神を病んでも、世捨て人になっても、

俺は、自分を見失いませんでした。


意外と、頑固なのかも。




冗談が、通じない人。

リップサービスや社交辞令を、まともに受ける人。

好意を、仇で返す人。

自分の中に渦巻いている悪意に、全く気づいていない人。

自己反省せず、悪いことを全部人のせいにする人。




脳が、止まっている人。

脳が、動いている人。


感性が、死んでいる人。

感性が、生きようとしている人。


数分間話すと、すぐにわかります。

わかりたくなくても、感じ取ってしまうんです。



この能力、早く退化しないかな。

そうすれば、生きるのが少しだけ、楽になるような気がします。



早くボケて、人生をさっさと終わらせてしまいたいなあ。








今週はずっと、そんなことを考えていました。


すいません、ダラダラと長くなってしまって。


明日は、休みなので、行けたら映画に行って来ようと思います。




最後まで読んで下さった「心の広い読者様」に感謝です。


いつ死んでもおかしくない桑畑ですが、しぶとくまだ生きております。


命ある限り、言葉を発信して参ります。



皆様、今週もおつかれさまでした。

ここまで生き抜いて下さって、感謝です。



生き残れるって、奇跡なんですよ。




見えないエールを送って下さる方々に、ありがとう。


このスコッチを飲み干したら、布団に入ります。




おやすみなさい。







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2015-07-15

メンタルコラム 「イライラは伝染する」

テーマ:メンタルコラム
暑い日が続くせいか、イライラする人が増えているような気がします。



愚痴を言うって、よくあること。

八つ当たりって、よくあること。

嫌味を言うのも、よくあること。


サラッとしているのは、まだいいんですが、

どうも、粘着性のある言葉や、尖った言葉を浴びせられると、


…突き刺さるんですよね。


ショックというほど、大げさではないけれど、

些細なことというほど、小規模じゃないんだけど、


…やっぱり、突き刺さってしまう。




傷口そのものは、小さいけど、奥が深い。

神経の奥の奥まで、破壊されている感じなんですね。


…これが、こたえてしまう。




ああ、この感覚、イヤなんです。

気持ち悪くて、居心地悪くて、落ち着かない。



こういう時、人は、誰かに感情を「丸投げ」してしまうのかも。

自分が感じたイライラを、そのまま誰かにぶつけることができれば、楽なのかも。


ついでに、自分が持っているドス黒いものも、相手に持って行ってもらう…



ああ、恐ろしい。

無意識に、そんなことをしてしまっているかもしれない自分が、恐ろしい。


気をつけていても、イライラしている時は、心の制御がユルくなってしまうのだ。








愚痴を言える相手がいる人は、幸いである。

八つ当たりする相手がいる人は、幸いである。

嫌味を言う相手がいる人は、幸いである。


だからこそ、ぜひ今度は、その人の話を、思いっきり聞いてあげて欲しい。



もらってばかりでは、気持ち悪いから。

奪ってばかりでは、気持ち悪いから。



よく考えれば、わかること。


「イライラ」は、伝染して、増幅されて、得体の知れない力に変わっていく。

「優しさ」は、誰かで止まってしまい、なかったことになってしまう。



わかって欲しい。

気づいて欲しい。


その思いが、誰かを追いつめてしまう。

「言いたいことを言う」って、すごく恐ろしいこと。



言葉って、いつまでも、突き刺さるから。

言葉って、いつまでも、心に残るから。


何気ない言葉の、殺傷能力を、ほんのちょっとでいいから、考えてみて欲しい。

自分が伝えたかった「本当の意味」は、相手に正しく伝わっていますか。


言いたいことを言った後は、よく考えましょう。

あなたの身近にいる大切な人の心を、失わないためにも…



どうせ「伝染」させるなら、もっといいものにしたいですよね。


生きる力って、誰かから奪い取るんじゃなくて、自分の中から湧いてくるものだから。


そういう「いいもの」を、誰かに伝えて、喜びを分かち合うべきものなんじゃないかと。



ああ、ひどく、疲れているようです。

でも、心は雲っていないし、死んでいない。


だから、大丈夫。

明日も、ちゃんとやれる。









…以上、オヤジの愚痴でした。戯言なので、読み捨てて下さい。



明日は早朝から出荷なので、今夜はもう寝ます。

読者の皆様が、いい夢を見られますように。

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2015-06-10

メンタルコラム 「家族しか話題のない人」

テーマ:メンタルコラム
世の中には、「家族思い」の人が、たくさんいます。

家族を大切にするのはいいことだし、家族を第一に考えるのは、素晴らしいこと。


しかしながら、閉口してしまうことも、しばしば。

おっさんになると、余計なことを考えてしまうんですな。



飲み屋のカウンターで、さほど親しくない若者に声をかけられる。

『…桑さん、オレ、最近映画よく行くんですよ~』

ほうほう、それはいいですね。で、話を聞くと…

仮面ライダー、プリキュア、妖怪ウォッチ、ドラえもん、クレしん…


ああ、親子連れで行く映画ですね。


普段映画に行かない人も、最愛の子供がいれば、重要なアイテムになる。

最新の人気映画は、絶対に見逃さない。前売り券も、来場者プレゼントも全部ゲット。

その「親心」、わかるなあ(笑)


でもね、俺、わかるんです。

子供が物心つくと、父親とは、心が離れていくことを。



一生懸命、映画のよさを語るその瞳には、哀愁が漂っている。

俺は、彼の言葉を、よく覚えていよう。

彼の「状況」が変わったら、ちゃんと話を聞いてあげよう。


今、彼は、「子供との幸福なひととき」を、心に刻んでいるのだから。






世の中には、「趣味」を持たない人たちがいます。

それは、いいことなのか悪いことなのか、俺にはわかりません。


ただ、共通して言えるのは、話題が乏しいということ。

そして、自分中心に語ってしまう傾向があること。


身内とか親友とかなら、家族の話をしても、さほど問題ないでしょう。

でも、「家族しか話題がない」のは、ちょっと困る。




俺は、飲み屋のカウンターというのは、「大人の会話」をする場所だと思っています。


家族のことが話題の発端になっても構わないけど、

そこから、グレードの高い方向に持って行きたいと思うんですよね。


現実という暗い話題から、夢や理想を語ってもいい。

遊び心に満ち溢れた、イマジネーションの世界を語ってもいい。


俺は、どんな会話からでも、わくわくするようなトークに膨らませることができます。

でもそれは、相手が「大人の感覚」をちゃんと持っている場合に限ります。




どこまでいっても、「愚痴」ばかり話し続ける人がいる。

どこまでいっても、「家族自慢」ばかり続ける人がいる。


こういう人は、周りにストレスを与えます。

こういう人は、人の話をちゃんと聞くことができません。

こういう人が、若いおねーちゃんに絡むと、始末が悪いのです。



飲み屋は、お互いが楽しい時間を過ごすところ。

家族の愚痴は、ママ友とか、身内の間だけにして下さい。


他人に、家族自慢や家族の愚痴を語るのは、愚の骨頂。

人のことを語る前に、自分自身を語れる技量を身に付けて欲しい。



自分の話は、誰もが無条件に聞いてくれる。

そう思っている輩は、カウンターに座る資格なし。


店の雰囲気を壊す奴。

ひとりよがりで、全部自分の話に持っていく奴。

そういう奴の周りには、気がつくと、誰もいなくなっているもの。



自分の気持ちには、敏感。

人の気持ちには、鈍感。


困った人は、どこにでもいるものですな。




俺は、飲み屋によって、自分の立ち位置が異なりますが、

基本、話をちゃんと聞く男として、認知されております。


面倒くさい客の相手をすることもあれば、

絡まれることも、しばしば。


それもまた、俺の重要なポジションなんだろうなって思います。




家族のことを語るのは、悪いことじゃない。

ただ、時と場所を、わきまえて欲しい。


ここで、そんな話をしなくてもいいでしょ。

家族の自慢話をしても、あんたの評価が上がるわけじゃないんだよ。


あんた自身の魅力で、横に座った人を楽しませて上げて下さいな。

自分に心があるように、相手にも心がある。

自分は楽しくても、相手が同じように楽しいとは限らない。




家族自慢は、自分自身に何も誇るものがないからなのかもしれない。

家族を引き合いに出さないと、語れるものが何もないことの証明なのかもしれない。

家族というキーワードから離れると、中身が空っぽの人間なのかもしれない。



俺は、家族のことは、聞かれない限り、あまり話題にしない。

それよりも、自分の生き方とか、考え方を語る。

その方が、何十倍も楽しいし、友達も増えていく。



自分の、好きなこと。

自分が、一生懸命やっていること。

自分が、大切にしていること。


家族は、もちろん大事だけど、それしかないというのは、やっぱり寂しい。

「やさしいパパ」でいられる時間は、ほんのひととき。

インスタントな人格は、時間とともに、簡単に崩壊する。



恋人自慢をする輩も、おんなじ。

彼のことしか話題がない女性は、同姓からドン引きされちゃう。

彼女自慢をする男性は、酒の肴にされ、下ネタの陰口を叩かれちゃう。



大切なことは、その話を聞いて、他者がどう感じるか。

そういう配慮ができない人は、調子にのって、人間関係を壊してしまう。


幸せな話題だから、みんなも喜んで聞いてくれるだろう。

自分が楽しいんだから、みんなも楽しんでくれるだろう。


それは、甘い。




人付き合いがもともと悪い人が、急に社交的になる。

友達がいない人が、急に活発になる。


元気に行動するのは、いいことだと思う。

だけど、自分中心で盛り上がって、周りの人を閉口させるのは、よくない。



気持ちはわかるけど、

もうちょっと、自重して下さいね。



見かけは大人だけど、飲み方が子供っぽい人がいる。

見かけは若造だけど、飲み方が大人っぽい人がいる。



男たちよ、見た目や年齢に関係なく、

「大人の飲み方」ができる男に学べ。



彼らの話は、ホントに面白いよ☆



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2015-06-08

メンタルコラム 「感じたことを、忘れない」

テーマ:メンタルコラム
人間には、喜怒哀楽があり、五感があり、個性というものが備わっています。


それは、長所とか短所とか、ひとくくりにできるものではなく、「機能」なんです。

「機能」は「特性」であり、磨けば「才能」として開花します。


最初から「ダメ」だと、安易に決められることじゃないんです。


「ダメ出し」されると、ひどく落ち込む人と、なにくそとがんばる人がいます。

何が、違うのでしょうか。




俺は、「愛情」というのは、「与える方が先」だと思うんです。

「愛」という字は、「受ける」の中に「心」が入っていますよね。

つまり、「相手を受け入れる心」があってこそ、湧いてくる感情なんじゃないかと。


ありのままに、その人そのものの存在を、あるがままに受け入れる。

これって、簡単なようで、なかなか難しいものかもしれません。

考えるときりがないんですが、本当は、ごく自然にできることのはずなんですよね。


対象に対して、自然に優しく接することができる人は、

「愛される喜び」や「認められる安心」を知っている人だと思います。


自分が気持ちいいと思うことは、人に対しても同じようにしたくなるもの。



反対に、自分がされて嫌なことは、人に対してしたくないもの。





何を言われても、マイナスにとらえる人がいます。

安易に人を信じると、痛い目に遭うことを、心の奥底で知っているからです。


信じて傷つくよりは、孤独の寂しさの方が、まだ耐えられる。

幸せを感じることは、ほんの一瞬で、次の瞬間には消し飛んでしまう。

「こんなことなら、人を信じなければよかった」と、心に刻まれる瞬間。

いいことよりも、悪いことの方が、記憶に鮮明に残ってしまう。


現実世界は、ドス黒く、裏切りと偽善に満ち溢れています。

そういう中で、自分をしっかり保つことは、至難の業と言えるでしょう。



幸せに育った人は、屈託なく、他者と交流することができる。

暗い環境で育った人は、人を簡単に信用しません。


どちらが、「得」だと思いますか?



俺は、この年になって思うんですが、

スタートラインがきれいな人ほど、後から大きな試練がやって来る。

最初がひどかった人ほど、晩年になって、いいことがある。


美しい世界に幻滅した後、本当の美しさに出会える。

醜い世界を知った上で、初めて美しさを知る。


両者には、同じものが見えても、「見え方」が違うんですね。



「みんなで幸せになる」ことは、基本、不可能なんです。

世の中は実に不平等にできていて、みんな、感じ方が違う。

だから、いいのかもしれませんね。


たくさん持っている者と、少ししか持っていない者では、価値観が違う。

それが、いいんだと思う。


同じ体験をしても、心に残るものは、それぞれ違う。

感情を共有して、同じ感動を味わえるって、ある意味「奇跡」なんです。


映画を見ていても、人によって感想はバラバラだし、違っていて当たり前。

人の話をちゃんと聞くことができる人。

人に伝わるように、ちゃんと話せる人。


いいことは、いつまでも覚えていたいし、

嫌なことは、早く忘れてしまいたいもの。


だけど、俺は、嫌なことをいつまでも覚えているんですね。

きれいな思い出は、すぐに忘れてしまいます。

人から言われて、あ~そんなこともあったなあ…なんて。

だから、完全に忘れたわけじゃなく、引き出し中にしまってあるだけなんですね。


普通の人は、自分にとって都合の悪いことは、忘れてしまうらしい。

大したことじゃないからなのかな…

いじめを受けた人は、いつまでも忘れられないけど、

いじめをした人は、すぐに忘れちゃっているんだろうなあ。

悲しいけど、これが現実なんです。


「怒り」を感じたら、できるだけ「怒る」べきなんだと思う。

「悲しみ」を感じたら、できるだけ「泣く」べきなんだと思う。


感情にフタをして、押さえ込んで、冷静を保つことを強いられた人は、

他の感情も、うまく出せなくなっていくものなんです。


俺は、小学校高学年の頃から、急激に痩せ始め、表情が乏しくなりました。

原因は、何度も言いましたが、まだ、肝心な部分が掴めていないように感じます。

「覚えている」ということ自体にも、きっと何か意味があるんですね。




「忘れられないこと」があるのは、それがまだ「昇華されていない」ということ。

「記憶」という機能には、何か「秘密」があるように感じるんです。


俺は、忘れっぽい性格なのに、女々しいことは、いつまでも覚えています。

でも、俺が覚えていることは、誰も覚えていなかったり、

俺が忘れていることは、みんながちゃんと覚えていたり…

「あの時はありがとう」なんて言われて、そんなことあったっけ…みたいな(汗)


ああ、自分だけ取り残されている~



人にはそれぞれ、「担当領域」というものがある。

知り合いや友達がだんだん増えていくと、実感としてわかることがあります。


それは、「みんな違う生き物」だということ。

「感じ方」が違うからこそ、「覚えていること」も違う。

そこには「正解」もなければ「間違い」もない。


むしろ、人に合わせて感覚を「偽る」ことが「間違い」なのだ。



自分の「感じ方」は、自分だけの「オリジナル」。

人の「感じ方」に同調する前に、よく考えて欲しい。


自分は本当に「そう思う」のか。

考えることが「面倒」だから、「人任せ」でいいのか。


俺は、「違うものは、違う」と感じる男であり、

「間違っているものは、間違っている」と感じる男であり、

「卑怯なものは、卑怯」と感じる男です。


その自分の「感覚」に、いささかの迷いもない。



「感じる」こと自体は、悪いことじゃない。

それをどう「捉え」て、どう「出力する」かは、その人の勝手であり、自由なんです。



そんな当たり前のことが、つい最近まで、わからなかった。

俺は、スタートラインが、いちいち遅い男なんですね。



みんなが当たり前に持っているものを、自分は持っていない。

そういう劣等感に、いつも苛まれていました。

でも、そうじゃないのかもしれない。


みんなが持っていないものを、自分は持っている。

優越感まではいかなくても、「まるっきりダメな人間というわけじゃない」程度で充分。

それが、そこそこの「自信」につながっていくものなんですね。


俺は、否定やダメ出しに敏感なので、アメーバでもずいぶん叩かれましたが、

最近では、中傷コメントもほとんど来なくなりました。

きっと、俺を攻撃しても面白くなくなったのかも。


人の意見は、内容に関わらず、真摯に受け止める方なので、いつでもどうぞ。




感情には、色んなものがある。


嬉しさ。

喜び。

怒り。

悲しみ。

笑い。

悔しさ。

もどかしさ。

愛しさ。

うしろめたさ。

恨み。

苛立ち。

懐かしさ。

感謝。

自戒。

やるせなさ。

虚しさ。

恥ずかしさ。

申し訳なさ。



…さあ、あなたは、いくつ挙げられますか。




「感じる」ことは、悪いことじゃない。

その後に、どういう行動を取るかが大事なんですね。


だから、「自分の感じ方」を、大切にして欲しいんです。


それは、俺が、俺であることの証しであり、

あなたが、あなたであることの証しなのですから。




「感じたこと」を、しっかり覚えておきましょう。

その体験が、きっと、生きてくる瞬間があるはずだと、俺は確信します。






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