FUJITA'S BAR
2015-09-24

ブラウン管テレビ、ついに壊れる。

テーマ:日常コラム
12年間愛用したブラウン管テレビが、ついに壊れました。


地デジが始まった時点で、処分した家庭も多いと思いますが、

我が家ではずっと、モニターとして使っていたんですね。


DVDレコーダーとか、ハードディスクプレイヤーはありますが、

せっかく映るものを捨てる気にはなれなくて、ずっとそのまま使っていました。


俺、こう見えて、結構物持ちがいいんです。


冷蔵庫もガスレンジも炊飯器も洗濯機も、みんな10年以上経過しています。

エアコンは、23年使っていますが、未だに健在。

車は、新車で購入して、廃車になるまで乗りつぶします。

気に入った服は、ずっと使いまわして、10年以上着ている服もいっぱい。


貧乏性なのかどうかわかりませんが、使えるものは、捨てられないんですよね。

限界まで使い切らないと、手放す気にならないのかも…



朝、5時40分に起きて、いつものようにテレビのスイッチを入れ、

ボーッとしながら支度していると、

突然、ブツンと音がして、画面が真っ暗に。

数秒後にまた音がして、画面が回復。

しかし、いやに真っ赤な絵柄…


お~ 特撮番組みたいで面白いじゃん。

でもこれ、いやに目が疲れるなあ。


その映像は、10分くらいで、またブツンと音がして、再び真っ暗に。

その後、ボヤーッとした映像が時たま映るんですが、よくわからない。


ただ、音だけは、鮮明に聞こえるんですね。


ラジオだと思えば、それはそれでいいんだけど、

衝撃の映像は、CMの後すぐ!なんて言われちゃうと、困ってしまいますね。


ニュース番組ならいいけど、ドラマやバラエティは、余計にストレスがたまっちゃう。


面倒くさいので、消しました。



今夜の夕食は、静かでした。

ウチの家族はみんなよくしゃべるので、食卓の話題は尽きません。

う~む、これはもしかして、一家団欒のひとときなのかも…?

テレビのない生活も、悪くないかな~なんて思いました。


いやいや、でも、DVDが見れない生活は、やっぱりイヤだ。



明日は給料日なので、仕事が終わったら、家族で電気屋に行って来ようと思います。





SONYのトリニトロン28型横長テレビさん、長い間、ごくろうさまでした。

君の最後の力を振り絞った貴重な映像を、しかと見ましたよ。



寿命をまっとうしたテレビさんに、敬意を払って、合掌。

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2009-11-03

日常コラム その6 「言葉で伝える、ということ」

テーマ:日常コラム

もうすでに死んだようなコーナーだったんですが、ここにきて復活。映画コラムとは別のアプローチで書いてみたいことを残すための枠だったので、たまには利用しなきゃ。混沌としている頭を整理する意味で、ここしばらく雑多な記事が続いておりますので、劇場映画の記事を期待して来られた方は、もうしばらく経ってから、改めてお越し下さい。


言うまでもなく、ブロガーは言葉を操る存在であるから、言葉なくしては、成り立たちません。そこで今回は、言葉というものをテーマに、少し深いところまで書いてみたいと思います。


言葉には、話し言葉と、書き言葉の二種類があります。両者は明らかにスタイルが違いますが、どちらにも長所があります。その違いも含めて、色々考えてみましょう。


会話で使う言葉は、相手と直接のやり取り。手紙やメールで使う言葉は、メッセージとしての役割。メモや日記、そしてブログの文章は、記録として機能。同じ言葉であっても、意味合いが違うものなんです。


パソコンやケータイが普及して、文字による情報交換が手軽になったとしても、言葉の重みそのものは、あまり変化していないと俺は思うんです。ツールや選択肢が増えた分だけ、それに適した活用法があるってことで。




例えば、電話だと話せるけど、面と向かって話せないという人がいます。逆に、相手の顔が見えないから電話は苦手だという人もいます。俺が思うに、どちらのタイプも、話すことが好きな人であるという点では共通しているでしょう。要は、自分が一番話しやすいのは、どういう状態なのかという、スタイルの問題じゃないかと。


人の話を聞く、というのも、相手の顔が見えた方がいい人と、見えない方がいいという人がいます。しっかり目を見て話を聞く人もいれば、視線を外して聞くスタイルもあります。カウンセリングの時などは、座る向きで工夫したりしますよね。それも、相手が話しやすく、自分が聞きやすい精神的な距離を大切にする、という配慮だと思うんです。


『…話す、というのは、いいもんでな。苦しいことや悲しいことが、いくらか軽くなる。』 これは、映画「七人の侍」での、千秋実のセリフ(正確じゃないかもしれませんが、大体こんな内容)。 人に話す、人の話を聞く、というのは実際いいもんです。話し方、聞き方がちゃんとしていれば、精神衛生上の効果は絶大。感情をリアルタイムに共有できるという点でも優れていると言えるでしょう。




では、手紙や、電報、メールはどうでしょう。これらに共通するのは、文字で言葉を伝えるという点。話し言葉ではなく、書き言葉。話すのは苦手だけど、文章なら得意。人の肉声は苦手だけど、活字なら心を開く人もいっぱいいますから。


書き言葉の優れている点は、文章が完成してから伝えられるということ。話している途中でさえぎられる心配はありません。だから、思いつきの突発的な言葉よりは、熟考した言葉ということになるんじゃないかと。


相手が知っている人なら、普段とは違う一面を垣間見ることができるし、面と向かって言えないようなことも、手紙やメールなら言えるという利点もあるでしょう。チャットやスレなどでは、実際の会話に近いスピードで伝わりますが、声を媒介しないという点で、俺は書き言葉のグループに分類したいと思います。


ただ、書き言葉である以上、頭に浮かんでから相手に発信するまでに、どうしても時間差が生じてしまう。だから、俺はメールをすぐに返信できなくて、怒られることが多かったなあ。やっぱり、若い人たちのスピードにはかなわないもん。ずっとメールを待っているくらいなら電話すりゃいいのに、なんてヤボなこと言っちゃイカンのです。人というのは、それぞれに合った思考のスタイルがあるから。


俺自身は、どちらがいいかというと、話し言葉も書き言葉も両方好きです。双方とも、それぞれに魅力があるから。直接話す会話は、相手の感情やしぐさが身近に感じられるし、電話での会話も、微妙な息づかいで相手の表情が読み取れたりするし。“声色”っていう言葉は、エロい感じがして個人的に好きです…うっふっふ。


手紙のやりとりにいたっては、書く時のワクワク感と、返事が届くまでの間がいいんですね。待つ喜び、とでも言いましょうか。これって、大人の感覚かも。手書きであれば、字体の感じで相手の精神状態がわかっちゃう…ってやっぱりエロにいっちゃうよなあ。しょうがない筆者ですこと。


俺のブログは、人に読んでもらうためよりも、自分の思考をリアルタイムに確認したくて、忘れないうちに記録しておきたくて書いている部分が大きいです。でもそれは、やっぱり誰かに自分の考えを伝えたいって思っていたからなのかもしれない。どうせ書くなら、面白い文章にしたいし、後から自分で読んで笑える内容にしたかったから、いつの間にかこんなスタイルになってしまいました。


人にはそれぞれ個性というものがあるので、自分が一番得意な方法で、自分を表現すればいいと思う。話すのが苦手な人ほど、秘めたパワーを持っているもの。実際に相手に会って話すというのは、お互い自分の姿をさらすということにもなるから、プライバシーを尊重するという点でも、色んな選択肢があっていい。その時の気分によって、使い分ければいいんじゃないかと。


誰かに話したくてどうしようもない時、少しだけ話したい時、じっくり話したい時、答えるのに時間がかかる質問をする時、相手の反応が恐い時、恥ずかしい話をする時、思い切った告白をする時など、その状態に応じたスタイルで充分。要は、伝わればいいのです。そして何より一番大切なのは、相手のこともちゃんと考える、ということですね。




俺のブログは、ご承知の通り、文章が長い(笑)。普通の人なら途中で疲れて、読むのをやめるでしょう。実は、そこが狙いです。お行儀のいい文章は誰にでも書けるし、第一、俺が書いていて面白くない。


俺が書く以上、俺が感じたことが中心の文章になります。だから、色んな人を怒らせちゃう(笑)。実は、それもある意味狙ってます。俺は、人に媚びたいから書いているんじゃなく、自分が書きたいことを書いているだけですから。そういうわけで、俺の文章には当たりハズレがあるのだ。(ザ・開き直り)


まあ、ターゲットを絞って書いているわけでもないので、どうしても不特定多数を相手にすることになっちゃう。そこで、言葉は悪いですが、ふるいにかけちゃうワケです。だから、一般の人はだんだん来なくなっちゃう(笑)。生き残るのは、ごく一部の人だけ。


だから、俺のブログはほとんど読者がつかないと思ってました。でも、世の中には物好きな人がいるもんで、こんな幼稚な素人の文章をわざわざ読みに来てくれたりするからびっくり。世の中広いなあ、実にありがたいことです。というか、申し訳ありません。貴重なお時間を頂いちゃいまして。


昨日なんて、久しぶりに300アクセスを超えました。すげえ。映画の記事じゃなくてガッカリした人かもしれないけど。(…きっと、明日は思いっきり下がるでしょうな) しかし、自称不人気ブログなんですから、もっと少なくていいんです。みなさん、こんなものいつまでも読んでちゃいけませんよ。そして、コドモは早く寝ましょうね。


執筆者が生身の人間である以上、感情の浮き沈みは当然あります。エネルギッシュな言葉を書く時もあれば、寂しい表現になってしまうこともあります。でもそれは、その時の俺自身の、嘘偽りのない姿であることの証明だということで。何なら別企画で、あの時はこうだったという裏話コーナーでも設けましょうか…っておいおい、そこまでコアなファンはいないだろ。 (…ちなみに、ファンですと言ってくれたのは今のところスナックBTのSママ1人だけです、ご愛読ありがとう)


ただ、暗い方向に行ったとしても、できるだけ明るく楽しい文章にしようと心がけてはいますので、その辺はご理解を。表現する言葉も、一応厳選しているつもりです(笑)。難しい言葉は避けて(というかわからんし)、最低限の品性は保ちたいと思っていますので。(下ネタ多いけどね)




言葉って、誰がどういうタイミングで発するかで、まるで伝わり方が違うもの。言葉には、きっと魔物が棲んでいるのだ。たった一言が人を傷つけてしまうことがあれば、たった一言が人を幸せにすることもある。ある人の何気ない言葉が、本人の関係ないところで誰かの力になっていることだってあるんです。


人は皆、誰かに何かを伝えずにはいられない生き物なのかもしれない。その大切なことを伝えるために、言葉がある。誰もが持っている心の、一番美しい部分が相手に伝わるからこそ、感動が生まれる。


映画を見て感動するのは、自分の中に美しい心があるから。人からしてもらったことに、うれしくて泣いてしまうのは、相手の気持ちが伝わってくるから。痛いほどわかるのは、実際に心が痛いから。体には体の、心には心の五感というものがあるから。


伝えたいことが、いつも正しく伝わるとは限らない。人の心はどんどん変わっていくものだから、後で言おうと思っているうちに、言うべきタイミングを逃してしまうことがありませんか。俺は、いっぱいありました。だから、忘れないうちに、思ったこと、感じたことを書くんです。だから、いつも新鮮・映画熱。…すでに賞味期限が過ぎているかもしれないけど。まあ、熟成された珍味ってことで。俺のブログを肴に、晩酌でもいかが…あ、酒がまずくなる?じゃあ、言葉に出して言いましょう。 『…ふざけんな、チンコ野郎!』 おお、聞こえてきたぞ!200チンコくらい。




言葉って、生き物だと思う。文章というものには、書き手の品格が表れるもの。だから、軽薄な文章はすぐに見抜かれてしまう。だから面白い。自分の考えを文章に書く、というのは、精神的な冒険。話し言葉の世界では到達できない領域に、俺はブログで挑戦したいと考えています…なんてね。


まあ、そんな堅苦しい表現は柄じゃないので、俺が書く言葉の中に、何かのヒントでも見つけて頂ければ幸いです。俺が意識しない部分で、俺の言葉が何かの役に立てばいい。そうなれば、このブログを書いた意味があります。あなたがここに来た意味があります。そう思える人にこそ、読んで欲しい。そして、自分の本当の気持ちを、伝えるべき人に伝えましょう、あなたの言葉で。




人間の能力において最強なのは、思考力であると俺は思っています。妄想力こそは、想像力の源。映画をアイテムとして、ブログという剣を振りかざす、男一匹、浪人侍。寿命は短いかもしれないけど、まだ戦える。映画のチケット代を稼ぐ能力がある限り、映画館の階段を登る力がある限り、心の旅を続けたいと思います。


ああ、今回も長々と書きました。もう終わりますから。大変おつかれさまでした。ここまでちゃんと読んでくれる人って何人くらいいるんだろう?画面の前のあなたは、きっとかなりの腕前だと思いますよ、読み手のプロとして。その研ぎ澄まされた感性で、明日という日を生き残って下さい。桑畑があなたを応援しています。…ではまた、旅の途中でお会いしましょう。




 (…次回より、劇場映画の記事を再開します。くれぐれも、期待しないでお待ち下さい。)





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2008-07-16

日常コラム その5 「心の漂流」

テーマ:日常コラム

さて、そろそろ思い悩むのも飽きてきたので、こっちの世界に戻って来たいと思います。


ブルース・リー師匠の言葉の通り、人間の心は水のような性質を持っている。流れがあり、温度があり、波があり、圧力があり、そして自浄作用もある。


周囲の状況に応じて、状態は様々に変化します。興奮すれば沸騰し、冷え切れば凍る。よどんでいれば悪臭を放ち、清らかな水質になれば生命が宿る。


心も、水のように絶えず変化します。有頂天になって舞い上がれば蒸発してスカスカになり、落ち込めば沈んでいく。だけど、必ず本来の流れは戻ってくる。


暖かいものと冷たいものは、同じになろうとして互いに流れを作る。これが海流となり、生命の流れる道になる。いい空気が流れるところには、気持ちよい心の風が吹いているもの。


傷ついた心が回復するには、それなりの時間がかかる。それはきっと、傷の深さに比例するのかもしれない。他人から見れば何でもないことでも、本人にとっては重大問題。まずは自分自身がそれを受け入れて、体の力を抜くことが大切。後は、本心と対話しながらじっくり回復していく。


生きていると、色々なことがある。特に大人になると、つらい事の方が多くなっていく。どうしてなんだろう?41年間生きてきて思うのは、自分がまだまだ青いってこと。


環境を嘆いてばかりでは、何も解決しない。自分ができることはまだたくさんある。悲観的になると、状況はどこまでも暗くなる。落ちるところまで落ちたら、そこにしっかり足をついて、もう一度顔を上げてみよう。


無理はするなと言われても、無理しなきゃできないような仕事ばかり。ちょっとしたことで怒り狂う人たち。ささいなことで落ち込む人たち。あきらめて惰性で生きる人たち。…それで生きていられるならそれもいいじゃん。


だけど、俺の場合は、それじゃダなんです。燃やすものがないと、きっと生きていけない。生きがいややりがいがないと、心が流れていかない。ロボットのように生きるのはゴメンだ。人として、毎日をしっかり生きたい。


心は、絶えず流れている。大きな流れには逆らえないけれど、自分らしい流れ方がある。方向と現在地を見失うと、心が漂流していく。心の居場所をなくすと、どこまでもさまようことになる。


自分の居場所というのは、やっぱりあった方がいい。そこに行くと落ち着く場所。本来の自分を思い出させてくれる場所。安心して身を委ねられる場所。


俺の場合は、やっぱり映画館のイスかなあ。そこはまさに、母親の羊水に匹敵する。座った途端に余計なスイッチが切れて、元気パワーがONになる。イヤなことを忘れ、楽しいひとときがやって来る。


行き付けの飲み屋と美容院、そして…このブログもいつしか自分の居場所になっていました。漂流した心がたどり着く小さな港として、重要なポジションになっていたんですね。


何だかんだ言っても、俺は映画話をしているのが一番性に合っているのかもしれない。人を楽しませるようなうまい文章はなかなか書けないけれど、自分なりに精一杯綴っていきたいなって思います。


ここ数日、グチっぽい記事をたくさん書きかけましたが、ほとんどボツにして消去しました。書いていて落ち込むような文章は、読む方も疲れてしまうから。これじゃイカンのです。


「B型自分の説明書」 という本の中で確か、『…自分の中で迷子になる。』 という記述がありました。まさにその通り。悩む時は徹底的に悩む。そして、しっかり悩んだら、ちゃんと本来の場所に戻ってくる。それでいい。


自分の心の中を、人に説明するのは難しい。だけど、やりがいはある。好きな映画の話題を通して、どこまで伝えられるか試してみようじゃありませんか。きっと、俺にしかできない表現方法が…見つかるといいな。


そういうわけなので、落ち込むのはもうやめました。今夜はぐっすり寝て、明日は飲み屋に顔を出して、ちょっと発散してきます。そうそう、キマグレンの歌を練習しなきゃ。


では、次回より劇場映画の記事を復活させます。期待しないでお待ち下さい。





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2008-07-13

日常コラム その4 「短絡的思考」

テーマ:日常コラム

毎度のことながら、少し雑多な記事をいくつか書いておきたいと思います。最新映画の記事を期待した人には申し訳ありませんが、頭を整理してから再開したいと思いますので、とりあえず他の人のブログをご覧下さい。


さて、最近どうも気になるのが、短絡的思考。これは、モノをロクに考えずに結論を出してしまうこと、と解釈していただきたい。俺の実体験では、年令や性別にはあまり関係なく、人のタイプによるものという感じがします。誤解から生じる日常的な衝突の根っこは、“錯覚” “早とちり” “カン違い” といったものであることが圧倒的に多いと思う。


単純な結論でスパッと言われると、気持ちがいい。それが的を得たものであれば実感がこもるから、瞬時に納得してしまう。それ自体は素晴らしいことだと思うけど、重要なことは、少々時間をおいて考えるべきなんじゃないかって思うことがよくある。


個人的に恐いなあと思うのは、怒りの矛先。パワーハラスメントとか、モンスターペアレンツとか、バッシングとか、異常なまでに相手を憎んで攻撃するスタイルには、ゾッとすることもしばしば。子供の時から、みんなで力を合わせて悪者に立ち向かおうと教育を受けてきたけど、それが裏目に出た形かと。


科学的に不充分な推論でも、常識として浸透すればそれが既成事実となり、世の中のルールになる。地球温暖化とか、タバコとか、メタボリックシンドロームとか、うつ病とか…。


ああすればこうなる。こういうわけでこうなった。単純明快な理論ほど、1度は疑ってみることが必要。TVで言ってたから本当だ、なんて簡単に思える方が恐ろしい。人って、そんなにバカじゃないよ。


みんなが同じ方向へ向かうと、俺なんかは逆を見たくなる。常識なんて、時と場所が変われば全く役に立たなくなることもしばしば。俺も色んな職場を経験したけど、暗黙のルールってみんな違っていた。


ただし、いくら間違っていてもルールであれば従うのが道理。社会人として当たり前のこと。決まってから文句を言う人ほど、審議の段階でさっぱり意見を言わなかったりするもの。都合のいい時だけ強者側に回って攻撃し、都合が悪くなると、人の影に隠れて責任を転嫁する。それは、卑怯というもの。


俺自身、映画作品に対して批判することも多い。だけど、根拠のない否定はしない。自分が言い放った言葉にはちゃんと責任を取る。間違っていたら素直に認める。そういう潔さがなかったら、侍の名前を名乗る資格なんかありませんって。


批判するには、覚悟がいる。誉めたり認めたりすることだって、それなりの覚悟がいる。言葉の重みを知っている人は、安易に発言しなかったりする。無責任だからできること、責任感があるからこそ、できないことがある。


みんな同じじゃないと気がすまない人がいる。少しでも違うと不安なんでしょう。彼らは、1人だけやらない人がいると怒る。飲み会で酒を無理強いする。カラオケを強要する人の心理って、そんなものが根っこにある。


いいじゃないか。ちゃんと仕事してる人だったら、個人的な嗜好は自由にしてあげたらいい。飲まなくても会話を楽しむ人はいるし、歌うのがキライな人だっていていい。その場が楽しくなる方向は、いくらでもある。


俺なんか、みんなと同じことができなくて、よく仲間外れになりました。でも、それがつらいと思ったことはあまりありません。むしろ、1人の時間が増えて喜んだものです。誰かと共同作業をするということが大の苦手。1人で黙々とやることが性に合っているんですね。


だから、変わっているとか言われると、すごくうれしい。普通だって言われる方がくやしい。半で押したような優等生的な意見なんて、面白くもなんともないもん。平凡はイヤだ。イカレている男の方が、絶対魅力的だ。


即答を迫られる時って、直感を頼りにするもの。脳が瞬時に連絡を取る場所が、人によって違うんだと思う。だから、賢明な人と、短絡的な人とでは、同じ言葉でも解釈がまるで違うからご注意。


もちろん、日本人の協調性があるからこそ、ルールがうまく機能する事実は認めます。それは、みんなが正しいと思っていて、それを守る信頼性があるから。戦争が起きず、治安がいいからこそできること。他国が安易に真似できない長所であると思います。


だからこそ、考える力を育てたいって思うんです。ルールや常識は、時と場所が違えばコロコロ変わるもの。柔軟な思考ができるように、脳の筋肉を普段から鍛えておきたい、と俺は思います。


そういうわけでみなさん、くれぐれもこのブログを鵜呑みしないで下さい。こういう男の言う言葉は、まともに聞いちゃいけません。話半分で、半身に構えて下さい。オマエの言うことなんか信じるもんか、という姿勢でいてくれた方がかえってやりやすいから。


一時期、読者が増えましたが、また減ってきました。それでいい。読者は、少ない方が気楽です。現在、毎日来てくれる常連は、約100人になりました。3年前はほとんどゼロだったのに、不思議なもんですね。もの好きな皆様、ご愛読ありがとうございます。本気で書けば、本気で読んでくれる人がいるのかも。


映画熱は、自分の直感と記憶を頼りに執筆しています。41歳の男が、映画を食材にしてイカレたおもてなしをする変な空間。知る人ぞ知る、謎の秘密結社を目指します…って鵜呑みにするんじゃねえぞ、短絡野郎!





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2008-02-08

日常コラム その3 「インフルエンザと毒ギョーザと倖田來未」

テーマ:日常コラム

実は、ここ一週間ほど、インフルエンザの脅威にさらされていました。映画の記事を再開する前に、少しばかりオヤジの愚痴を聞いて下さい。


先週の土曜の夕方に、妻が高熱を出し、市販のカゼ薬を飲んでも熱が下がらないので、月曜に医者に行ったところ、インフルエンザという診断でした。うっひょー、我が家にもついに上陸。翌日には娘にも感染。2人の病原菌に挟み撃ちにされて、絶体絶命のピンチ!


今どきは、こういうのにかかると、学校からは来るなと言われます。職場に行っても迷惑がかかるので、休むことに。…おっ、そうか。かかっちゃえば、仕事休めるんだ。これは、たまったDVDを見るチャンス!ようし、ここはひとつ、ウィルス野郎に運を委ねようじゃないの。


そしたらね、2人ともすっかりよくなっちゃって、俺はそのまんまでした。くそう、せっかくのチャンスを。タミフルを飲めば、悪いことしても薬のせいにできるから、ちょっとワクワクしたのになあ。


てなわけで、自分の意志ではどうにもならないことに対しては、なるようになる、と考えるしかないということです。かからなければよし。万が一かかったとしても、それはそれでしょうがないので、その状況を楽しめる要素をさがしておく、というのが俺のやり方です。と言いながら、今夜あたりヤバかったりして。



で、毒ギョーザ事件。これは、起きるべくして起きたような気がするんですね。世の中、安ければいいってもんじゃない。安い製品には、安いだけの理由があるんです。俺自身、製造業の仕事をしているので、そういうことは肌で感じています。安くたたかれると、作り手側もいろいろ考えざるを得ない。


人件費、手間を省くなどいろいろありますが、やはり限界というものがある。中でも、材料費というものの比重はデカいんです。だから、格安の材料が手に入るなら、安い製品を作ることは可能。ただ、その材料は大丈夫なんでしょうか、という話。ワケわからん材料で作る、っていうのも不安なものなんですよ。


ましてや、人の口に入るような食材なら、危機感は余計に増すでしょう。お客様の安全を考える人だったら、平気じゃいられないはず。犯人が誰かということよりも、そういう食材がノーチェックで市場に出てしまうという事実そのものが、俺は恐ろしいと思うんです。人間の知恵というものは、何のためにあるのか。


肉と野菜と毒物がバランスよく入っている、ジューシーな毒ギョーザ。安すぎる食べ物には要注意。価格には、信頼というブランドが含まれています。心のこもった、よりよい製品を見極めることができる、プロのお客になりましょう。



そして、倖田來未事件。何だか、かわいそうだというのが正直な感想でした。彼女のことは、俺的には 「キューティーハニー」 の歌をカバーした歌手であり、「西遊記」 で三蔵法師のニセモノをやったおねーちゃんという認識しかありません。だから、彼女の資質をどうこう言う権利はありません。


聞けば、深夜ラジオの発言に問題があったとか。批判する人たちは、この放送をちゃんと全部聞いていたんでしょうか。この言葉だけ聞いて、けしからんと思ったとしたら、何だか底が浅いなあと思わざるを得ません。何だか、一人歩きで暴走しているような…。


弱い者をいたぶって喜ぶ輩は、いつの世にもいるもんです。指導や躾と言いながら、事実は嫌がらせであることもしばしば。テキトーな説教なんかしても、今どきのヤツらは言うこと聞きません。年上だから、自動的に尊敬される時代じゃない。若者は、いい加減な大人をちゃんと見抜いているもんです。


自分が悪いと思っても、気に食わんヤツには謝らない。彼らは、大人のマネしてるんです。だから、けしからんとお思いの方は、正しい謝り方のお手本を見せてやって下さいな。許したくない人にとっては、どう言おうがダメなんです。どういう風に言えば、相手が許したくなるか。これは、人の気持ちを理解する訓練になる。


“謝罪”って難しいと思います。俺も一時期、謝りに行く担当をやたらとやらされた時期があるので、謝り方の奥深さを身に染みて思うことがあります。自分の経験で言うと、謝罪する相手にちゃんと伝わるように謝る、というのがポイントであると思います。彼女の発言で傷ついたという人たちの代表を前にして、謝罪するのが一番効果的。関係ない人は黙ってろと言いたい。


朝青龍、亀田兄弟、沢尻エリカ、彼らも一応謝罪しています。やり方がイカンとかいろいろあるでしょうが、とりあえず謝罪した事実は認めてあげたらいい。怒りがおさまらないという人は、他に問題を抱えている可能性が強い。自分の問題を、彼らの問題にすり替えていませんか。人のせいにするのは、てっとり早くて楽だもんね。


人の振り見て我が振り直せ、と昔から言うじゃないですか。誰もが、失言をする可能性があるもの。大勢で1人を攻撃するのは、いじめです。戦うなら、1対1にしなさい。彼女の前に1人で立って、彼女の目を見ながら真剣に話す覚悟で言いなさい。人の影に隠れてわあわあ言うのは、卑怯者だと思いますよ。


高齢出産がどうの、不妊治療がどうのこうの言う人は、向井亜紀さんの子供が自分の子として認められなかった時に、同じように怒ったのか。本当に妊婦の気持ちになって言っているのか。自分の虚栄心だけで、軽々しく発言していないか、よく考えて欲しいんです。



さて、この3つの話題をとりあげたのは、世の中には、理不尽なことがいっぱいあるということを言いたかったから。がんばってもどうにもならないことは、どこかで折り合いをつける。努力してどうにかなることは、しっかりがんばる。違和感を感じたことは、真剣に考える。みんながやるから正しい、とは限らない。


安いものは、それだけの内容であることを覚悟する。正義の鉄拳か、あるいは弱い者いじめか。今日は正しくても、明日には逆転するかもしれないことは、たくさんある。もうダメだと思っても、次の瞬間に何かが開けることもある。…これは、全て映画で学んだこと。それを生活に取り入れているだけです。絶体絶命のピンチをどう切り抜けるか。主人公は、簡単にあきらめないのだ。



さて、倖田來未さんに、ひとつ提案をしましょう。謝罪CDを出したらどうでしょうか。曲は、「キューティーハニー」 のセルフカバー。本来言うはずのセリフを、あんた言わなかったでしょう。今度こそしっかり言ってくださいよ。あの伝説のセリフを。


『…変わるわよ。』


このセリフをセクシーに言ってくれたら、俺は許しちゃうなあ。前川陽子さんと一緒にコラボしましょう。コスプレしてプロモ作りましょう。「夜霧のハニー」 も入れちゃいましょう。その時こそ、あなたはいい意味で変われますよ、きっと。 …いざ、ハニー・フラッシュ!




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2007-12-23

日常コラム その2 「伝える能力と読み取る能力」

テーマ:日常コラム

新潟日報社と県教育委員会が主催する、第38回県ジュニア美術展覧会において、娘の絵が奨励賞をいただきました。特賞や優秀賞などとは違って、1839人ももらえる賞なので、そんなに大したもんではないのですが、それでも、評価されたということは、親として素直にうれしく思います。


県民会館ギャラリーには、たくさんの子供の絵が展示されていました。みんなすごいので、ウチの子の絵なんて大丈夫なんだろうか、と不安になったものです。そんなにうまいわけでもなかろうに。


でも、絵を見て、なるほどと納得しました。決してうまくないけど、何ともかわいらしい絵。楽しそうな雰囲気が伝わってくるような、ほのぼのした作品。どちらかというと、ちびまる子ちゃんのマンガに近い。


考えてみれば1年前は、娘が頭蓋骨を骨折して入院したりして、大騒ぎしてました。その苦悩を思えば、こんなに回復したんだ、と身にしみて、込み上げてくるものがあります。よかったなあ、ムスメ。


数年前、長岡の美術館にシャガール展を見に行ったとき、ある絵の前に立ったとたん、波動のようなものを受けて、後ろに倒れそうになったことがありました。これは、絵に込められたパワーを感じ取ったからか、なんて思ったもんですが、少なからず、作品というものにはそういう面があると思うのです。


俺は、人に何かを伝えることがうまくできない子供でした。余計なことを言って怒らせないように、いつもビクビクしていたもんです。娘が明るく活発なのは、母親に似たんだろうなと思っています。俺に似て運動オンチみたいだけど、友達がいっぱいいる。人に何かを伝える能力は、きっと俺よりある。


伝える側に対して、受け取る側というものが存在する。伝える側がうまくなくても、受け取る側がしっかりしていれば、ちゃんと伝わるもの。教える能力と、学び取る能力。話す能力と、聞き取る能力。文章を書く能力と、読み取る能力。表現する能力と、それを感じ取る能力。いろんな組み合わせがあるもんです。


子供たちの絵を見て、伝える方法は、無限にあるもんだと思いました。やり方は決まっていない。愛情を伝える方法だって、きっといくらでもある。自分にふさわしいスタイルを見つければ、それが生き方になる。大人になると、素直に言えなくなることは多い。わかってもらえなくても、わかってもらう努力は続けたいし、また、わかってあげたいと思う。それをやめたら、人は人でなくなってしまうと思うんです。


相手の気持ちを考えろ、と昔から言います。それができれば苦労しないけど、それができないと、正しく伝わらないことが多いのも事実。相手に賛同する必要はない。ただ、気持ちを察すればいい。怒っているのか、悲しいのか、苦しいのか。そんなに難しいことじゃない。大人になればなるほど、自分の本当の気持ちは、心の奥底に行ってしまうもの。そして…いつか爆発してしまう。恐ろしいことです。


聞き上手な人と話すと、気持ちがいい。だからこそ、伝える努力が必要。優しい人に甘えると、気持ちがいい。だからこそ、やさしくされるだけの資格がある人間になる努力をしなければならない。理想の恋人を探すのもいい。しかし、その相手にとって理想の人になる努力も、やっぱり必要だと思うんです。それは、相手の気持ちを考えなかったら絶対生まれてこない発想。


だから、自分を素直に表現できる手段を持つべし。何でもいい。得意なことで、自分の生きた証を残せ。その中にこそ、本来の自分が見え隠れするもの。そういう対象は、一生の宝物。それを通じて出会った仲間もまた、かけがえのないもの。


ブログを始めて2年半になりますが、自分の生きた証として、これからも本気で書きます。人気はできるだけない方がいい。読者も数人でいい。細く長く、続けていきたい。忘れっぽくなってきたし、記憶が混乱してしまうこともあるけど、素直に書くのをモットーにしているので、心ある方は、もうしばらくお付き合い下さい。


1本でも多く、映画のよさを伝えていきたい。娘に負けないように、これからもがんばります。




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2007-12-15

日常コラム その1 「飲み友達」

テーマ:日常コラム

どうも。ご無沙汰していました。ここ2週間は、忘年会の幹事を連続でやっていたせいで、仕事に追われるわ、モメ事は起きるわ、精神的にヘコむわで、実に大変な毎日でした。ようやく一段落したので、映画も3本ほど見ることができて、何とかブログを再開できそうです。…やれやれ。


で、映画の記事にいく前に、少し精神的に整理したいこともあって、雑多な記事をいくつか書くことにします。劇場映画の記事を読みたい人は、あと1~2日ほど待ってアクセスして下さい。


生きている以上、苦悩や考え事は当たり前。俺自身、オヤジ世代になったせいもあって、グチのひとつも言いたい時があるってもんです。そんなオヤジの独り言を吐き出すコーナーを、この度設けました。その名も 『日常コラム』。 記念すべき第1回のテーマは、“飲み友達”。まあ、「わたしの恐怖体験」 シリーズのスピンオフでもありますので、軽く聞き流してもらえれば幸いです。


去る12月1日の夜に、伝説のスナック “J” の飲み友達と忘年会をしました。あの店がなくなってもう8年くらいになりますか。懐かしい面子が集まって、にぎやかに行われました。


メンバーは、スキンヘッドKZ氏、まもなく子供が生まれるYD君、赤い夕日のライオン丸Sちゃん、無敵の女AK姉さん、サザン大好きAD夫婦、クセ者OD君、怪しい特撮男YJさん、そして俺と妻と娘の合計11人。


次々とやって来る、見覚えのある顔たち。修羅が1人、また1人と現れる度に、熱いものが込み上げてくる。うれしいもんです。店はなくなっても、友達は失っていなかったということですね。


今回は、YD君が新婚ホヤホヤだったこともあって、途中でケーキを登場させてささやかにお祝いしました。そこへ、娘がメイド服で登場!8歳のロリロリ攻撃に、みんなケータイでカメラ小僧になってしまって爆笑でした。


何を話すわけでもないんだけど、みんなと会えただけで充分心は満たされました。思えば24歳でこの地に移り住んで、初めて知り合った友達。年齢も性別もバラバラだけど、俺みたいなはみ出し者を受け入れ、仲間にしてくれた恩人。心の傷を抱えてのたうちまわっていた俺にとって、かけがえのない仲間でした。


飲み友達というのは、同級生とか、会社の同僚とか、趣味の友達とは明らかに違う。普段の人間関係を超えたこころに位置する、独特のポジション。だから、ある意味一番リラックスできる仲間なのかも。人は、そんなに強いもんじゃない。だから、時には人からパワーをもらう。それは、相手によって違うもの。


飲み屋は、いいもんです。そこで知り合う関係もまた、いいもんです。お互い、いろんなものを抱えているんだろうけど、関係なく付き合える。酒の前ではみんな平等です。上も下もない。ただ、一個の人間として対等に付き合うだけ。それは、素晴らしいこと。


俺は、酒は強くないけど、酒が好きです。そして、飲み屋の雰囲気が好きです。だから、これからも飲み屋に通います。そして、楽しい酒を飲みたい。酔っ払って、カラオケを歌いまくりたい。


映画で発散できること。ブログで発散できること。歌って発散できること。いろいろあるもんです。職場でも解決しなくて、家庭に持ち込みたくないことなんか、飲み屋で話をすることで何とかなることもあります。


精神のバランスを保つためにも、男には、そういう休息の場が必要なんですね。世の奥様方、ダンナのそういうデリケートな部分にどうかご理解を。



“J” のメンバーと、久しぶりにNビルの階段を昇りました。もうこんな日は来ないだろうと思っていただけに、感激もひとしおでした。スナック “J” で最後に歌った歌、H2Oの 「想い出がいっぱい」 をKZさんと一緒に歌いました。 (ちなみに、俺らのユニット名はCO2です)


この飲み会の翌日に、YD君の奥方は、元気な男の子を出産したそうです。おめでとう!また今度、一緒に飲みましょう。みんな、元気にがんばって下さい。俺もがんばります。



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