FUJITA'S BAR
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2016-02-20

映画コラム 「映画の鮮度」

テーマ:映画コラム
先日の記事の延長になりますが、

「色あせていく映画」もあれば、未だに「新鮮な魅力を放つ映画」もあります。


俺の場合、「タクシー・ドライバー」「ゴッドファーザー」「七人の侍」

「ブレードランナー」「べっぴんの町」とかが、それに当たります。


でも、少しずつ、色あせていっているのは事実なんですよー


前回の記事をちょっと補足しますと、

「数年前に製作された映画が遅れて公開された場合はどうなるんだ?」という疑問。


俺の感覚で言うと、「その映画の存在を知った時から経過した時間に比例する」

という結論になります。


つまり、そういう映画があることを知って、見たいと思った時に見ることが大事。

何年も経ってからようやく見たら、気分が乗らなかったりして、テンションが下がる…

それって、すごくもったいないことなんですね。


例えば、読みたい本を買ったのに、いつまでも読まなかったりすると、

読む気もだんだんなくなってきて、ただ、コレクションが増えていくだけ。

やっぱり、買った日にすぐ読むのが、一番面白いし、興奮するし、吸収も早い。


腹が減ってないのに食料をたくさん買い込んでも、とうてい食べ切れない。

だから、食べられるぶんだけ買って、その日のうちにおいしく完食したいもの。



そういう意味においても、映画の「鮮度」は重要なのです。


あなたがもし、10年前に製作された映画の存在を今知って、

レンタルDVDで借りて見たらすごくよかった、としましょう。

それは、OKなんです。


俺も、こんな映画があったなんて知らなかった、と思って借りることがよくあります。


そういう場合は、自分の中では「新作扱い」していいんですね。

小津安二郎監督の「東京物語」だって、40代になってから初めて見たんです。

たまたまユナイテッドシネマで上映してくれたから、見に行きました。

どうせ見るなら、DVDじゃなくて、劇場のスクリーンで見たい。

だから、あの映画は、俺にとって「新作」として楽しめました。

映画記事もちゃんと執筆しましたので、俺の中で矛盾はないです。



ただし、予告編とか宣伝とかチラシ等で、すでに存在を知っていた映画を、

劇場に行かずにスルーして、後からDVDで見たらすごく面白かった場合、

俺、すごく悔しいんです(涙)


やっぱりあの時、無理してでも見に行けばよかった。

劇場で見ていたら、きっと熱の入った記事を書いていただろう。


もはや、俺には、その映画記事を書く資格がない…

そのくらい、俺は、劇場に重点を置くのです。


今は、パソコンやスマホで、自由に見放題とか、いろんな媒体がある。

それに慣れた世代にとっては、映画館に行くこと自体が面倒くさいのかも。


だけど、俺という男は、どんな下らない映画であっても、映画館で見たいのです。




俺の記事は、青くさい。

文章の基本なんてまるでなってなくて、ただ、書きなぐっているだけ。

読み物としての面白さも価値もまるで皆無で、読むだけ、時間の無駄である。


しかし、ささやかな「取り柄」があるとすれば、

劇場で見たばかりの「新作」を、新鮮な感覚があるうちに文章化している、ということ。

しかも、極力ネタバレをさけて、これから劇場に行く人も安心して詠める、ということ。



俺がまだ30代後半くらいだった頃(桑畑三十郎だった頃)には、

『…映画を見ていないのに、映画を見た気分になれます。』

という、最上級のコメントをいただいた時は、すごく嬉しかった。


俺という男は、非常に偏った思考をしているので、

世間一般の見方とは、華々しく逸脱していることが多い。

そのせいで、多くの読者を怒らせてしまったことを、素直に反省しています。


しかし、反省はするけど、後悔はしていません。

全部、正直に書いたことだから。


人目を気にして、人の顔色を窺って、無難なところに小さく収まるスタイルは、

細く長く続けられて、それなりの読者も獲得できるでしょうが、

そんなの、ただ疲れるだけだもん。面白くも何ともないし。



大体、自分の心を偽って書いてばかりいたら、俺の脳が腐ってしまう。


同じ思考でグルグル回っていると、心や感性が淀んでしまう。


だから、常に新鮮な空気を入れて、風通しをよくしたいんですね。




人の心は、いつも同じところにいるとは限らない。

人の心は、いつも同じ方向を向いているとは限らない。

人の心は、いつも同じ状態であるとは限らない。


お約束なんて、クソくらえ。

お上品な文章なんて、ファック・ユー。

イカレた男で結構。それがどうした。SO WHAT?



面白いかどうかは、独断と偏見で、決めていい。

鮮度が高いかどうかは、自分の感覚で判断していい。


お行儀のいい「見方」しかできない人は、ここに来なくていい。


俺が「面白い」という映画には、理由がある。

俺が「つまらない」という映画にも、理由がちゃんとある。


自分が面白いからって、人に強制する方がおかしい。

自分がつまらなかったといって、人にも強制させる方がおかしい。


人と自分は、違う生き物なんだから。



みんなが、自分と同じ感覚を共有してくれないとイライラする人がいる。

10人が映画見たら、8人が感動しても、1人や2人くらいはつまらんと思っていい。

それが、健全な世の中であると俺は思う。


感動すると、一時的に人は、思考停止状態になる。

幸福感に浸って、しばらくの間、その状態に酔いしれる。

しかし、時間が経つと、色んなものが見えてくる。

自分が感動したことが、嘘っぽく感じられてくる。


そこからが、面白いのである。



俺が映画記事を書くタイミングは、褒め記事の場合、酔いしれた状態になってます。

後で読み返すと、俺ってバカだなあって苦笑します。

でも、そういう楽しみ方が、まず第一歩なんですね。


そこから、自分なりの展開をしていけばよろしい。

自分の心で感じ、自分の感性で噛み砕いて、消化吸収して、推進力に変えていく。


その過程で発生するのが、「映画熱」というものだと思うんです。


「熱」は「エネルギー」を生み出し、人を動かす原動力として循環する。




反対に、ダメだと思った映画には、それなりの理由があるもの。

何がいけなかったんだろう。見る視点が間違っていたんだろうか。

コンディションがよくなかったんだろうか。見方を変えて考えてみる。


考えているうちに、ここはよかったけど、ここは悪かった、と分類できるようになる。

そうして、思考が進むと、こういう角度で見たら楽しめるんじゃないか、と気づく。

その瞬間、この映画って意外と面白いかも!なんて感じられたりするんですよね(笑)


そのくらいの領域に到達できれば、もうプロの観客だと思います。


どんな映画を見ても、楽しめる能力ってすごいじゃないですか。


映画は、観客が楽しむことができて、初めて「完成」する生き物なんですから。






生き物には、寿命がある。

形あるものは、いつか崩壊する。


だから、それが一番美しかった時のことを、しっかり覚えておきたい。

それが一番魅力的だった時のことを胸に刻んで、語っていきたい。



…新鮮なうちに、おいしく召し上がれ。




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2016-02-18

映画コラム 「色あせていく映画」

テーマ:映画コラム
以前にも書きましたが、映画には「賞味期限」があると思っています。

そもそも、「不朽の名作」なんて、存在しませんから。


作品というものは、時間が経てば、古くなっちゃうんです。

それは、仕方のないことなんです。



俺は、若い人たちには、こう言います。


昔の映画を無理して見なくていい。

可能な限り、「今の映画」を見て欲しい。



映画を好きになると、あらゆるジャンルを見たくなるものです。

アクションだけじゃなく、社会派ドラマや、恋愛、芸術、ホラー、ドキュメント。

サスペンス、コメディ、特撮、アニメーション、ショートムービー、いっぱいある~


映画って、毎年、どんどん作られていくんですよ。


去年公開された話題作、見に行けなかったから、DVDレンタルで見よう。

あ、レンタルに出た。でも新作は高いから、旧作になったら借りよう。

で、旧作になった頃には、見る気がなくなってしまっている…


こういうことって、よくあるんです。



俺が、劇場にこだわるのは、新鮮なうちに、いい状態で見たいから。

いい状態で見た映画の面白さを伝えたいし、書き残しておきたいから。


世の中には、お金持ちの人がたくさんいて、

『…オレの家の方が、映画館よりシステムがいい。』と豪語する人は、

映画に対して感じている魅力が、俺なんかとは全く違うんですよね。


セレブの人には、セレブな楽しみ方があっていいでしょう。

俺みたいな貧乏人には、俺にしかない楽しみ方があっていいはず。





映画は、人によって感じ方がまるで違うのです。

だから、面白いんです。



予告編を見ていると、わざとらしいコピーがたくさん。

まるで、「この映画はこう感じなさい」と命令されているみたいに感じてしまう。


感動しようが、ムカつこうが、個人の自由だっつーの。



名作と呼ばれる映画だから、感動しなくちゃ。

みんながいいという映画だから、感動しなくちゃ。

彼氏とデートで見る映画だから、感動したフリをしなくちゃ。



そんな「偏った見方」をしていたら、感性が育たない。



自分がどう感じたか。

自分がどう思うか。


そこが、大事なんです。



フェデリコ・フェリー二。

ジャン・リュック・ゴダール。

黒澤明。

ジョン・フォード。

アンドレイ・タルコフスキー。

スティーヴン・スピルバーグ。

スタンリー・キューブリック。

リュック・ベッソン。

宮崎駿。

三池崇史。



みんな、当たりがあれば、ハズレもあるんです。


何を作っても面白い、なんていう人はいない。


作り手にも色々いるし、見る側にも、色々あるから。


面白いものは面白いし、つまらないものはつまらない。

それで、いいんです。


ただ、そこで、考えて欲しい。

何故、面白いのか。

何故、つまらないのか。


そこを追求する思考力がある人の感性は、磨かれていく。

そこを突き詰めていくと、「自分の見方」が生まれる。



クラシックの名作を見ると、

何となく、褒めなきゃいけない雰囲気がある。


でも、そこは自信を持って、ダメ出ししていい。

その変わり、いいと思ったら、全力で褒めて欲しい。

自分が感動した理由を、自分の言葉で表現してみて欲しい。



でも、いくら感動しても、

その映画を、リアルタイムで劇場で見た人には、かなわない。



だから、若者に言うんです。


今の映画を、今しか見られないタイミングで、見ておけ。



どんなにくだらない映画でもいい。

今公開されている映画を、今の感覚で、劇場で見るのが、最高にオイシイ。


俺は、そんな風に考えるんですね。



俺にとって、去年の映画は、すでに「クラシック」なんです。


新作を見ても、一ヶ月経てば、すでに「旧作」なんです。



だから、俺が映画記事をブログにアップするのは、「今の映画」だけにしたい。


旬の映画を、旬の時期に見た感覚を、記録しておきたいから。



昔の映画を見るヒマがあるなら、今の映画を1本でも多く見たい。


DVDで見る映画は、俺にとっては、レンジでチンの、冷凍食品ですから。



新鮮な食材を、お店で調理してもらって食べるのが、一番うまい。

お土産にもらって、家に帰って食うのは、何かが違うもんでしょ。



だから、若者たちよ、今の映画を遠慮しないでどんどん見なさい。

クラシック映画の評価は、ジジイたちにまかせておきなさい。

同じような映画ばかり見て、飽きたら、たまに昔の映画をつまみ食いする程度でいい。



今の自分が見たいと思う映画を、見たいだけ見よ。


それが、感性を磨くための、大切な第一歩だから。
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2015-07-12

映画コラム 「続々・嫌な奴」

テーマ:映画コラム
この話は、今日で終わりにします。

ここまで書かないと、前に進めないので。



自分でも思いますが、俺自身もまた、「嫌な奴」だと思うんです。


誰かにとって「いい人」というのは、他の誰かにとっては「悪い人」だったりするもの。

誰かに「愛される人」は、どこかで「憎まれる人」になってしまうもの。


みんなが「幸せ」になることは無理だし、みんなが「不幸」になることも、あり得ない。

世の中は、全てにおいて、「二面性」があるんですね。



何かを「肯定」すれば、何かを「否定」することにつながる。

何かを「比較」すれば、必ず「不平等」が生じる。


これは、仕方のないことなんです。




喜び合おうと思って言った言葉が、相手を怒らせることがある。

「冗談」は、「嫌味」と解釈され、

「褒め言葉」は、「馬鹿にされている」と受け取られてしまう。


気持ちというのは、なかなか正しく伝わらない。

相手の気分や目線によって、「基準」は大きく変化していく。

「世間の常識」も、「情報」と「イメージ」によって、常に揺れ動いている。



当たり前だ。人間という存在自体が、そもそもそういうもんなんだから。



人の気持ちは、コロコロ変わる。

人の記憶は、どんどん薄れていく。

誰かに言い放った言葉なんて、関心がないからすぐに忘れてしまう。

誰かが傷つくなんてことを考えないから、悪いのは自分じゃないと思い込む。


怒りを感じた時に、リアルタイム現行犯で言わなければ、意味がないのである。

後から文句を言うくらいなら、その場でできるだけ言った方がいい。

「我慢」は、「美徳」じゃない場合もあるのだ。

「沈黙」は、「容認」と受け取られるものだから。



長年蓄積された「恨み」を晴らす。

気に食わないから「いじめる」。

相手が反撃してこないから、味をしめて癖になっていく。

物陰に隠れて、大勢で1人を痛めつける。


最初は、心の中で「よくない」という感じがあっても、

誰にも文句を言われないと、「許される行為」だと勝手に解釈してしまうのだ。


それが、とてつもなく、怖い。



「当たり前のこと」ほど、疑ってみる価値はある。

情報が多ければ多いほど、思考や選択肢は混乱していく。

自分の心が置き去りになっていると、いとも簡単に、心にすりこまれてしまう。



俺は、マニュアル的な映画評論が、あまり好きじゃない。

というか、嫌いなんだと思う。

執筆している人の「心」が見えてこない文章は、気持ち悪いのである。

知識とか、定番とか、名作とか、基本がどうとか…


ああ、うぜえ。



これ見よがしに、博識ぶりを披露するだけの人間は、哀しい。

それで自分が満足しているなら、それもいい。

でも俺は、そういう人間になりたくない。



若い頃は、背伸びをして、どんな映画もベタ褒めしていた時期があった。

でもそれは、すごく気持ちの悪いことだった。

古くても新しくても、いいものは、いい。

名作であろうが、傑作であろうが、つまんないものはつまんない。

そう感じる自分の心を正直に打ち明ける勇気は、絶対あった方がいい。



俺が「いい」と感じる映画は、他の誰かにとっては「つまらない」映画かもしれない。

それは、構わない。よくあることだから。


映画そのものが「つまらない」のなら、それは問題ない。全然OK。

だけど、「俺が面白い」と言うから「つまらない」と思うのが、問題なのだ。


俺は、そういう人間にだけは、なりたくないんです。



映画は、「好き嫌いを判別する道具」じゃない。

映画は、どんな人でも、平等に楽しめる媒体であり、夢の芸術なんです。


映画好きには、色んなタイプがいます。

たくさん「知っている人」ほど、肝心なところを「知らない人」だったり。

たくさん「見ている人」ほど、重要なところを「見ていない人」だったり。


年間500本見ても、心に残る1本が見つからなかったら、

素晴らしい映画を1本だけ見て、その感動で一生を生きた方がいい。


見た本数ではなく、心を揺さぶられた「深さ」が、俺は大事だと思うんです。



俺は、「自分の感じ方」を、大切にする男です。

そして、「相手の感じ方」も、最大限尊重したい男です。


感想が正反対でも、話をすると楽しい人がいます。

映画を愛する心が通じ合っていると、飲み屋のカウンターが盛り上がるのです。

相手をやりこめてやろうとか、自分が優位に立ちたいと考えている人は、

言葉そのものが、どうしようもなく、薄汚ねえ。


映画を語る人でも、音楽を語る人でも、アートを語る人でも、

心が雲っていると、見えるべきものが見えなくなっていく。



俺は、どんな人からでも、色んなものを吸収したいと心掛けていますが、

やっぱり、ダメなものはダメなんです。

酔っ払って絡んでくる人、ネットで罵倒してくる人…


相手をすればするほど、ダメージが蓄積されていく。

そんな時は、拒絶してもいい。

そうしないと、自分が壊れてしまう。



前にいた会社のパワハラ上司は、性格の悪いクソババアだった。

そんな奴に15年も仕えた俺の精神力って、大したもんだと思う。



「セッション」のJ・K・シモンズは、「鬼教官」といえば聞こえはいいが、

生徒の精神を破壊する恐ろしさを持った男である。

彼は、自分の感覚こそ正しいと信じ、気に食わない奴は、罵倒する。

プロだからこその教育方法なのかもしれないが、このやり方は、破綻する。


何度も言っている言葉ですが、

人を動かす一番簡単な方法は、「脅迫」なんです。


「緊張」と「弛緩」のバランスは、とても大切。

どちらか一方が強すぎても、弱すぎても、うまくいかない。

そしてそれは、当事者の精神状態にも、大きく左右される。


「正しい言葉」は、人を追い詰め、怒らせる。

「正論」は、情け容赦がない。



世の中、何でも上手にこなせる人は、そうなかなかいない。

一時的に天才的な仕事ができる人は、たくさんいる。

でも、それを「やり続ける」のは、すごく大変なことなんです。



俺は、気づいたら、ブログを初めて10年経っていました。

最初から、10年もやろうなんて、考えたこともなかったです。

病気で苦しんだこともあったし、ネット上で罵倒されたこともあったし、

大喧嘩したこともあったし、いい仲間がたくさんいた時もあった。


俺の仲間たちは、ほとんどアメーバをやめてしまって、交流はなくなりましたが、

誰かがいなくなれば、新しい誰かとの出会いがあるものです。



自分を偽って、人に迎合しても、真の意味では、楽しくない。

いい関係というのは、一方通行では成り立たないんです。


自分のことを隠しながら付き合っても、永遠に理解されることはない。

相手のことを根掘り葉掘り聞く人ほど、自分のことは全く話さない。

それで、「話してくれない」と嘆いている。

相手は、「怖くて話せない」だけなのに。



人の心に、土足で踏み込むことは、俺にはできない。

鎧をまとって、武器を持っている人に、心なんて開けるはずがない。


俺は、「無防備」なようでいて、心のどこかで「身構えて」いる男です。

基本、「お人よし」だけど、「攻撃」を受ければ「反撃」します。


それは、生きていくために、必要なことだから。

48年も生きていれば、そういう「心の装備」が身に付くというもの。



人の機嫌ばかり伺っていたら、自分が破綻してしまう。

「重心」が大事なのは、武道から学んだこと。


自分があり過ぎても、なさ過ぎても、うまくいかない。

相手に合わせ過ぎても、合わせなさ過ぎても、うまくいかない。


人に合わせない人は、たぶん、そのまんま年を重ねていくんだと思う。

人に合わせ過ぎて苦しんでいる人は、だんだんと霧が晴れていくと思う。


ストレスを感じない人は、その分、誰かにストレスを与えている。

人の気持ちに鈍感だから、相手が苦しもうが、関係ない。

敏感な奴が悪いんだ、という考え。

そう思い込んでいる人を、どうにかするなんてことは、不可能なんです。



人にはそれぞれ、精神領域の担当範囲があると思う。

奴の担当範囲。

読者の皆さんの担当範囲。

そして、俺だけの担当範囲。


俺はたまたま、映画が好きな男だった。

だから、映画の話を通して、自分の心を表現していくんです。


読む側の人は、俺の記述にいちいち迎合しなくてよろしい。

へえ、桑畑ってこんなことを感じ取る男なんだ、という程度で充分。

別に、偉そうに語る気はありません。

ただ、今感じたことを、今の感覚で書き残しておきたいだけなんです。



俺は今まで、バカ正直に生き過ぎてきたように思う。

もっと、自分が本当に言いたいことを、ズバッと言ってもいいのかもしれない。

リアルでも。

ネットでも。



そういう意味で、これからは、進んで「嫌な奴」になろうと思います。

少なくとも、「自分にとって嫌な奴」にはなりたくないから。



…その方が、もっと映画を楽しめるかもしれない。




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2015-07-10

映画コラム 「続・嫌な奴」

テーマ:映画コラム
ようやく心のモヤモヤがスッキリしてきたので、

もう少しだけ、書き残しておきたいと思います。


そもそも、この話を何で「映画コラム」に書いたんだろう?

どうせ書くなら、「メンタルコラム」か「U-NOTE」にすればいいのにね。



あのサイトをやめた「理由」は、「百円の恋」をけなされたから。

でも、やめた「きっかけ」になったのは、「セッション」なんです。


彼は、東京在住の人なので、俺よりも数ヶ月前に、劇場で見ています。

俺が住んでいる新潟では、遅れて公開しました。

それは、「全国順次ロードショー」というシステムだから。


彼が書き込んで、『…この映画、すごい!』とベタ褒めしているのを読んで、

俺は『…新潟で公開されたら、すぐに見に行きますね。』とコメントしたんですが、

彼の言い草は、こうです。

『…何で新潟はそんなに遅いの?』


あのさあ、新潟で公開が遅れるのは、俺のせいじゃないんだよ。

俺も、東京で仕事していた時は、旬の映画がすぐに見られたけど、

新潟にいて、不便を感じたことはない。

そもそも、映画を見られるのも、「出会い」と「縁」だと思うから。



今まで、バカにされても否定されても、誠実に会話していたつもりですが、

何かが、俺の心に蓄積されていったんだと思います。



「セッション」を見て、それに気づいたんです。

この映画を見ると、自分の中の「怒りの正体」が見えてくるんです。

不思議だけど、ホント。


「セッション」は、気持ちのいい映画ではありません。

少なくとも、俺にとっては。


「賛否両論」と言えば、「くせはあるけどそこそこ面白い」と思うでしょう。

でも、この映画は、観客をことごとく振り回すんです。

これを見て、手放しで喜んでいられる人は、心が浅いんじゃないかと思う。


俺的には、「痛みを感じる映画」だから。


心にトラウマを抱えている人であればあるほど、とても苦しい。

もう忘れてしまっているような「つらい記憶」を呼び起こす。

そのくらい「ひどい映画」なんです。



喜怒哀楽の中で、一番面倒くさいのは、「怒り」の感情だと思う。

「哀しみ」と「怒り」は、表裏一体のようにも感じますが、

それぞれの「質」によっては、まるで違う領域に入るんじゃないかな。



「セッション」は、観客を怒らせる映画です。

怖がらせるんじゃなくて、怒らせるんです。


ショックを受け、

自尊心をズタズタにされ、

無能感に苛まれ、

それでも、

それでも、

捨て切れない「何か」がある。



その「何か」は、人によって違う。

だけど、本質は同じである。



「ハングリー精神」という言葉は、すでに死語かもしれない。

「がむしゃら」という言葉も、すでに死滅しているかもしれない。

今どきの、唯一通じる言葉で言うなら、「ストイック」といったところか。


人間、楽をしようと思えば、いくらでもできる。

好き好んで、地獄に足を踏み入れる者などいない。


だけど、好きなことを貫くためには、苦汁を味わうこともある。

何かを手に入れるためには、何かを捨てなければいけないこともある。


どこまで「本気」になれるかで、得られるものは変わってくるものだから。




「セッション」は、絶対に「文部省特選」にはならない。

だって、虐待だから。体罰だから。メンタルを破壊するから。


俺は、「セッション」の記事で、能天気な文章を書きましたが、

時間が経てば経つほど、色んな感情がこみ上げてくるんです。


それが、暴走していくのが、恐ろしい。


映画を見るのも、まさに命懸けですね~





「百円の恋」は、あまり見て欲しくない。

でも、「セッション」は、見られるものなら、見て欲しい。


あまりのひどさに怒りを感じるかもしれないけど、

とても、大事なことを教えてくれる映画なんです。



心が弱っている人は、見なくていい。

元気が出たら、挑戦してみればいい。


何も感じなかった人は、心が鈍感な人です。

そういう人に話すことは、ありません。さようなら。


だけど、気分が悪くなった人や、トラウマが甦って苦しむ人は、

きっと、俺が感じた世界を共有できるかもしれない。


無理に、見なくていい。

勇気がない人は、やめておけばいい。


しんどいことに挑戦する人は、常人には理解できない「何か」があるのだから。




というわけで、「嫌な奴」との出会いも、何か意味があったのかもしれない。

鬼教師は、本当に「育てようとして」行動したのかどうかも、わからない。

人が傷つこうが、自殺しようが、お構いなしの人間は、確実に存在するのである。


うまくいけば、自分のおかげ。

失敗したら、本人のせい。


そうやってのさばっている「悪魔のようなエゴイスト」は、

弱い者たちの生き血を吸って、傲慢の限りを尽くして、のうのうと生きている。



J・K・シモンズは、アカデミー助演男優賞に輝きました。

これが、何を意味するか。


よく、考えて欲しい。



映画は、大きく分けて、2種類ある。

見てよかったと思える映画。

見なきゃよかったと思える映画。


さあ、「セッション」は、どのポジションでしょうか。





俺は、「嫌な奴」と決別することができた。


それは、心の温度が上がって、封印された「怒り」がメルトダウンしたから。

毒を殺すには、「熱」が必要なのである。

そして、「発熱」こそが、生命力なのである。



「怒り」を、ごまかすな。

自分が、何に対してどう「怒って」いるのか、よく考えよ。



ストレスを、人にぶつけて「平気」な人がいる。

いじめを繁殖させていく要因は、そこにある。

自分が楽しければ、それでいい。

誰かが傷つこうが死のうが、関係ねえ。


恐ろしいことである。



俺は、J・K・シモンズを、殺してやりたいくらい、憎らしいと思った。

でもそれは、彼の計算の範疇なのであり、

デイミアン・チャゼル監督が意図したことなのである。


監督は、自身の実体験から、この物語を生み出した。

だから、すっげえリアルなのである。



殴られたことのない者は、人が殴られるのを見て、何も感じない。

罵倒されたことのない者は、人が罵倒されるのを見て、何も感じない。


ただ、「自分じゃなくてよかった」と思うだけである。



…馬鹿野郎。


世の中、そういう奴らがたくさんいる。


大人として、社会人として生きていくためには、

いちいちそんなことを気にしてなんかいられない。

でも、自分を殺し続けていると、いつか、心が死んでしまう。



もっと、怒ってもいいことって、あるのかもしれない。


俺は、怒りの感情を表すのが苦手なので、いつも失敗してしまう。

でも、この映画の主人公は、見事だ。


俺はかつて、こんな感じの青年だったかもしれない。

ただ、大きく違うのは、彼には「才能」があったこと。

それを見出してくれる人が、いたということ。

サイテーのおっさんだったけど(汗)



それでも、自分の好きな世界に付き合ってくれた人に出会えたことは、幸せだと思う。



何を喜んで、

何を憎めばいいのか。


この映画が、教えてくれます。


あるいは、「学び取る力」があればOK。




俺は、心の中にある毒の1つを、一週間かけて浄化しました。

そういう意味では、奴との出会いも、意味があったのかも。



「リトル・フォレスト」の中で、印象に残ったセリフがあって、

その言葉と、「セッション」の中のやり取りが、シンクロしているようです。


やっぱり、俺が劇場で見られた映画って、ちゃんとつながっているんだなあ。



「自分と向き合う」ということは、

「自分の中の、喜怒哀楽と向き合う」ことでもあるんです。


恥ずかしいし、しんどい作業だけど、

自分から「逃げなかった」分だけ、人からも「逃げなくなる」ものなんです。



「怒りの感情」を封印して、心の奥に閉じ込めておいても、いつか噴き出してしまう。

大人しい人が、爆発すると怖いのは、そういう理由からなんです。



「お人よし」の仮面を被って、「怒り」を我慢し続けることは、よくありません。

どんな形でもいいから、「出力」する手段を持った方がよろしい。


俺は、発散する方法がたくさんあるので、

ストレスの質に応じて、使い分けています。


今夜は、スコッチウイスキーで晩酌しながら、

少しずつ、少しずつ、心を解放していっています。



こういう時間は、とても大切。

おっさんは、簡単に疲れが取れないのだ。



でも、やっぱり、

俺は、映画が好きなんだと思う。




映画は、学ぶことの宝庫です。



「セッション」、状況が許せば、もう1回見たいですね。




あのウスラバカよりも、もっともっと、深い世界を感じたい。



何とでも言え。

俺は、あのバカが嫌いだ。


そして、「セッション」は好きだ。



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2015-07-06

映画コラム 「嫌な奴」

テーマ:映画コラム
今日はちょっと、愚痴らせてもらいます。


先日、参加していたある映画サイトを退会しました。

理由は、「嫌な奴」に耐えられなくなったからです。


彼は、たぶん、俺と同い年だと思います。

でも、好みと考え方は、まるで違います。

最初は、その違いを楽しもうと思い、社交辞令を交えて会話していました。


でも、ちょっと言動が気になるんですよね…


俺がコメントした映画は、ことごとく「つまらない」と否定します。

でも、女性がコメントした映画は、100%肯定します。

彼が知らない映画を俺が見ると、激しく嫉妬してきます。

『…時間がある人が羨ましい!』なんて言われたことも。


もちろん、露骨には言いませんが、どうも彼は、俺が邪魔らしい。

もうかれこれ1年くらい会話したから、大体わかります。


彼の好きなジャンルは、アメコミ系のアクション映画。

女性たちはイケメンの話題が好きなので、彼の情報は人気があるようです。

俺のコメントに好意的な言葉が寄せられると、

『その映画は知らないけど、オレはこんなスゴいのを知ってるぜ』と書き込みます。



ああ、やりにくい。





そこの管理人は、俺よりも少し上の女性でした。

どうも忙しいらしく、1ヵ月くらい放ったらかしもしばしば。

コメントを書く頻度は、奴と俺が一番多いので、

どうしても、2人で延々と会話することになるんですよね。



俺はもちろん、映画館で見た映画オンリー。

奴は、9割がレンタルDVD。



会員の大半は、忙しくて映画館に行けない人たちらしいので、

俺の言う映画よりも、奴の言う映画の方が、食いつきがいいんです。


で、奴は、俺の言った映画をDVDで見たらつまらんかった、と言います。

そりゃ、そうだ。



奴は、永遠に、俺と同じ土俵には上がって来ません。

全部自分の主観で物事を判断し、人の気持ちは全く理解しない。

というか、できない。



以前、ジムに通っていた時に、「嫌な奴」がいたことを覚えている読者はいるかな?

今回の奴も、そいつと同じジャンルの人間に分類されると思います。


人が楽しんでいるのを邪魔したり否定したりするのは、基本、よくないこと。

好みとか、苦手はあっても、最低限のマナーはあっていい。

ましてや、直接会話するなら、配慮は必要だと俺は思います。



遠回しに言っても、鈍感だから、気づかない。

ストレートに言えば、角が立つ。

大人気ないことを言って、年下の人たちに冷ややかな目で見られるのも、苦痛。



そんなわけで、スパッとやめました。

今頃は、奴が天下を取って、女性会員たちに語っていることでしょう。

邪魔者は、去るべきなのです。


他のサイトも覗いてみたら、そこにも「奴」がいる。いる。いる。

しかも、同じコメントをそこらじゅうに書き込んでいました。

何だか、ゾーッとしますね(汗)



俺はやっぱり、ブログ1本で行こうと思います。

リアルな会話なら、飲み屋のカウンターでできるし、

わざわざ人に合わせて、ネットで社交辞令を並べる必要なんてない。


俺はどうも、集団の中では浮いてしまう存在なんです。



俺がそこをやめようと思ったきっかけは、「百円の恋」を否定されたから。

それだけで、奴と絶交する理由は充分です。

あれほど言ったのに。

『…見るなと言われると見たくなる。でも、大したことなかったよ!』

こんな奴と、1年も会話していたのかと思うと、吐き気がする。




永遠に、わかり合えない人は、どうしてもいるものなんです。

無理に付き合って、命をすり減らすくらいなら、きっぱり決別した方がいい。


映画が好きな人にも、色んなタイプがいるってこと。

あそこを抜けて、ホント、スッキリしました。


愚痴は、以上です。

こんなつまらん文章に付き合ってくれた、心優しい読者様に感謝。



えっ、陰口叩くなって?

いいえ、陰口なんかじゃないですよ。

奴が、この文章を読むかどうかはわかりませんが、

少なくとも、奴に聞こえるように言っているつもりです。


サイト上でやり合ったら、彼の立場が悪くなるでしょ。

お互い大人同士なんだから、恥をかかせるようなやり方は、フェアじゃない。


この文章に腹を立てて、彼がやって来たら、思う存分やり合ってみてもいい。

もっとも、ここに書き込む度胸は、奴にはない。

きっと、俺の存在なんか忘れて、意気揚々と書き込みを続けていることでしょう。

それで、いい。



俺の文章は、人を楽しませることもあるけど、基本、嫌われています。

俺の言い方が気に食わずに、怒りを感じる人は多い。


寄せられるコメントの3分の2は、悪徳業者のバカ言葉が多いですが、

次に多いのが、罵倒するコメント。


好意的なコメントは、ごくわずかですが、これが心に染みるんですね。

相手が社交辞令で書いているか、本気で言ってくれているかは、読めばわかる。

10年もやっていると、傷ついて嫌になることも多いですが、

あたたかいほんの一言が、俺の命をつなげてくれたこともありました。



精神的な我慢は、可能な限り、しない。

これが、病気の再発を防ぐ、一番の方法。


そして、たまったストレスや心の毒は、速やかに吐き出す。



「セッション」で学んだように、

怒りで燃焼させ、その熱を推進力にしていくんです。



熱を発するのは、生命力の証しだから。



俺は、俺のやり方で、映画と付き合っていく。

誰にも、文句は言わせない。




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2015-06-27

映画コラム 「10年間の思い出」

テーマ:映画コラム
映画記事はどうした!

という声が聞こえてきそうですが、映画は明日行く予定なので、

今夜は、ブログの思い出話でもしてみましょう。



ブログを始めた頃は、まだ「公式ホームページ」というものがありませんでした。

あったのかもしれないけど、そんなに一般的ではなかったんじゃないかな。


だから、俺の情報源は、劇場で販売しているパンフレットでした。

映画館に行くと、必ずパンフを買っていたものです。

ブログ記事を書く時は、必需品でしたから。


ブログというのは、「お得感」があると、読者から喜ばれます。

裏話とか、製作秘話なんかを盛り込むと、記事も面白くなるんですね。


でも、いつの間にか、パンフレットを購入しなくなりました。

その理由は、「読みものとして面白くない」と感じたからです。


パンフの執筆者って、映画評論家とか、フリーラーターとか、

大学教授とか、軍事評論家とか、専門分野関係の人が多い。

でも、人によって、文章のセンスは違いますからね…

こんなクソつまらん文章でお金もらえるんだ、すげえ!と思ったものです。

たぶん、パンフが売れないから、予算を削って、安い原稿料で書いてくれる人を探して、

そこら辺の一般人と変わらんような、「自称評論家」を雇ったんでしょうな。

だから余計にパンフは売れなくなり、公式ホームページが多くなった。


ブロガーは、ホームページの情報をもとに、記事を書けばいいわけです。

映画ブログはどんどん増え、パンフはますます売れなくなっていきました。

俺が始めた当初は、「映画熱」というブログは、俺だけでした。

ですが、3年くらい経つと、同じ名前のブログが乱立して、紛らわしくなっちゃった。

それで一時期、「映画熱 since 2005」という名前に変更したこともありました。

覚えている人、いるかな~?


ヤフーの画面で「映画熱」を検索すると、すぐに俺のブログが出てきます。

「桑畑四十郎」で検索しても、すぐに見つかります。

これって、すごくないですか?(笑)



『…なんだ、テメエの自慢話かよ!』

はい、はっきり言って自慢話です。

いいじゃん、10周年なんだから。




では、もうひとつ、自慢話をしましょうか。


覚えている人、いるかなあ。

ネタバレDVD探検隊(通称ネタ探)で、あるDVD記事を書いたところ、

なんと、発売元からコメントが来たんです~


俺は、こんな映画見ちゃアカンよ、というシチュエーションで、

思いっきりコケおろしたんですが、担当者いわく、

『…正しいツッコミです。』(爆笑)


いやはや、恥ずかしいやら、申し訳ないやら…

よくも悪くも、忘れられない思い出です。


そのDVDが、レンタル屋で横置きになっていたのを見た時は、死ぬほど笑いました。



俺が、「みんな見てね」と言うと、誰も見ない。

俺が、「見ちゃいかんよ」と言うと、誰かが見る。


う~む、俺のブログの読者って、変な人が多いなあ。



そんなこんなで、色んな人と仲良くなったり、ケンカ別れしたりして、

今の俺が形成されていきました。


嫌なこともいっぱいあったけど、楽しい思い出の方が、多いかな。




だんだん、うっとうしい文章になりそうなので、今夜はこれくらいにしましょう。

最後までお付き合い下さった心優しいあなたに感謝です。



読者の皆様、くれぐれも、「百円の恋」を見ないで下さいね(笑)

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2015-06-24

映画コラム 「縁を大切に」

テーマ:映画コラム
人との出会いは、縁だと思います。

それと同様に、映画との出会いもまた、縁だと思います。


俺が、映画を愛する男だということは、みんなが知っていますが、

映画を見る頻度から言えば、俺は低いと思います。


だから、映画ブログをやっている者の中では、極端に映画記事が少ない(笑)

でも、別に気にしない~


俺は、映画を見るというのは、縁だと思うんですよね。



このブログにアップする映画記事は、劇場で見た映画が基本です。

DVDやTVで見たりした映画は、鮮度が落ちているから。


旬の時期に、いいタイミングで見られた映画こそが、映画熱の記事にふさわしい。

DVDをレンタルして見る映画は、すでに賞味期限が切れているんですね。


たまに、「メモリアル傑作選」というカテゴリーで、

映画記事を書く時もありますが、書いていて、あんまり楽しくないんです。


やっぱり、旬の映画を映画館で見た時の感動が、一番心に刻まれるんです。


その感激をおすそわけしたくて、映画ブログを始めたんですから。



世の中、映画ブロガーはたくさんいます。

俺なんかよりも、何倍も面白い文章で、バラエティ豊かな記事を書いている人がいっぱい。

彼らのエネルギッシュな文章を読むと、かなわないなあと思うこともしばしば。

俺のテキトーな文章よりも、何倍も参考になると思います。


でも、俺の感じ方は、俺だけのものであり、

俺が出会えた映画は、出会うべくして出会った感じがするんですね。



見ようと思っていたけど、仕事が忙しくて行けなかった。

あるいは、体調を壊したり、お金がなくて行けなかった。

見る気はなかったけど、たまたま時間があって、ついでに見た。

本命はつまらなかったけど、期待していなかった方が面白かった。

仕事が早く終わって、「行け」と言わんばかりの状況。

駐車場が奇跡的に空いて、ギリギリ間に合った映画。


40年以上も映画館に通っていると、色んなことがあるんです。



俺はきっと、世の中の人が見ている映画よりも、

誰も知らないような映画に、縁があるように思うんです。


『…お前が言う映画は、レンタルにないじゃん。』とよく言われますが、

そういう映画だからこそ、劇場で見る価値があると思いませんか?


どうせDVDで見たって、冷凍食品をチンして食べるようなもんなんだから、

俺は、「DVDで見て下さいね」なんて、一言も言いません。


映画館で公開しているうちに見て欲しいから、

ネタバレしないように、記事を書いているんだから。

ネタバレが許されるなら、誰だって面白い記事が書けるに決まってるじゃん!


俺が、映画記事を書く目的は、1人でも多くの人に、

映画館に足を運んでもらいたいから。

たった、それだけの理由なんです。



面白いか、つまらないか。感動するか、退屈かは、俺が決めます。


映画を年に10本見る人と、1000本見る人とでは、どっちが説得力があるか。

100本見る人と、50本見る人とでは、どっちが濃い内容を語れるか。

本数で判断するか、濃厚な文章量で判断するか。

わかりやすい文章を選ぶか、くどい文章に挑戦するか。



映画に出会うのも、縁。

どの映画ブロガーの記事を読むかも、縁。

人の意見よりも、自分の感じ方を大切にするのも、縁。

自分が見た映画のことを、様々な角度で分析するのも、縁。


全ては、映画との出会いがあるからこそ、前に進むのです。


昔の映画はよかった。今の映画はさっぱりわからん。

そんなことを言う化石人間の言うことなんか、無視してよろしい。


今の映画を、今の感覚で味わっている人の言葉を、大事にして欲しい。


クラシックな名作など、クソくらえ。

アメリカンニューシネマなんか、クソくらえ。

ヌーヴェルバーグなんか、クソくらえ。

映画検定の課題映画群なんか、クソくらえ。


古い映画を、我慢して見なくてもいい。

そういう映画は、気が向いた時だけでいい。


こうしている間にも、新作はどんどん公開されていく。

今を生きる者は、旬の映画をたくさん見ればよろしい。


これが、俺の美学です。



年寄りの説教を聞く余裕があるから、古い映画に挑戦するのもよし。

しかし、今、この瞬間に誕生する「新しい生命」の方が、ずっと価値がある。


映画は、人の数だけ、見方が存在する。

人の真似はしなくていい。

参考にはしても、決して鵜呑みにしてはならない。


最終的に判断するのは、自分自身。

人の意見は、自分と違って当たり前。


自分の感じ方を大切にする人は、人の意見に流されない。

すぐに言葉にできないから、時間をかけて、心の中で転がせばいい。


一番大切なのは、自分がどう感じたか、ということ。


そういう意味では、俺の文章なんか、聞き流せばよろしい。

俺は、「こう感じろ」とは命令しないから。


俺の稚拙な文章から、何かを読み取ればいい。

考えるための、材料にすればいい。



映画に出会うのも、縁。

映画好きな人に出会うのも、縁。

映画ブログに出会うのも、縁。


無数に存在するブログの中で、俺のところにアクセスしてくれたのも、縁。



面白いか、つまらないかは、自分で判断すればよろしい。

決して、人の話に無条件降伏してはならない。


俺なんかよりも、感受性豊かな人は、たくさんいるし、

俺なんかよりも、文章の才能がある人は、たくさんいる。


俺の文章を読んで、何かが違うと思った人は、ぜひ、文章を書いて欲しい。

きっと、俺なんかよりも、何倍も素晴らしい映画紹介文が書けると思う。


人の作ったものに文句ばかり言って、自分は何も生み出さない人よりは、

下手でも、自分の力で語る人の方が、ずっと素晴らしいから。




映画熱の読者は、大体、300人くらいだと思います。

その中でも、コアな人は、10人くらいだと思います。



コメント欄には出ないけど、メッセージで、励ましてくれる人。

コメント欄には出ないけど、メッセージで、中傷してくる人。

よくも悪くも、縁なんだと思います。


褒められたら、素直にお礼を言う。

批判されたら、真摯に反省する。

辛口のご意見は、今後の文章に生かしていく。

ファンレターは、明日を生きるエネルギーに変換する。



リアルでも、いい出会いがあり、

ネットでも、得がたい人との出会いがある。


だからやっぱり、ブログを続けて行こうと思うんです。



もう少ししたら、また映画館に行きます。

今は、仕事が立て込んでいるので、もうしばらく辛抱。


俺は、やっぱり、映画館で映画を見てナンボの男。


こんな男の文章を読むのに時間を割いてくれる、心優しい人たちに感謝です。


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2015-06-12

映画コラム 「たくさん見ればいいというものではない」

テーマ:映画コラム
映画好きにも、色んなタイプがいます。


あらゆるジャンルを、まんべんなく見る人。

自分の好きなジャンルに、こだわる人。

必要に、迫られて。

何となく、気になって。

人に、勧められて。

好きな人が、いいと言ったから。その人の気持ちに近づきたくて。



きっかけは、何でもよろしい。

映画を見て、楽しんでもらえたら、俺は嬉しいです。


俺は、映画館派ですが、個人的には、媒体は何でもいいと思います。

その人に合った、楽しみ方があればいい。


ただ、俺は、映画館にこだわる男なんだということを、わかってもらえたら充分。

読者の皆さんは、マネしなくていいんですよ~



年間に映画を何本見るかも、人それぞれ。

俺は今まで、映画館で見た1年の本数の最高は、128本でした。

ここ数年は、60~70本の間で落ち着いています。

(DVDで見たのも入れたら、年間500本は見ていると思いますが)



でもね、映画もピンキリなんですよ。

見てよかったと思えるものもあれば、

見なきゃよかったと思えるものもたくさんある。

損をしたくないと思う人は、当たりばかりを探す傾向にあるから、

ハズレを引くと、すっげえ悔しがるんですよね(笑)


そういう時は、こう思えばいいんです。

…こんな映画を、金払って見てるオレってすげえ!


スナックのカウンターで、変なDVD借りて見て損した~なんて言っている若者に、

…俺なんか、金払って劇場で見ましたよ!って言えば、

…マジですか~?すっげえなあ!と驚かれます。


フッ… まだまだ青いな。若造。


いい映画に出会うためには、その100倍くらいのゴミ映画を見なくちゃならん。


これは、俺の美学みたいなもんですね。




たくさん見れば、いいというものではないんです。


俺が知る限りでは、年間700本以上見たというツワモノがいましたが、

あえて言いましょう、「それが、どうした。」



数多く見れば、いいコメントができるかと聞かれれば、否である。

映画のいいところを感じ取るのは、感性の問題であって、

知識とか、頭の良さは、別モノ。


映画をネタにして、傲慢な自論を語るのは、傍目には見苦しいもの。


俺自身、そうならないように気をつけているつもりですが、

興奮して記事を書いた時は、そういう一面もあります(汗)



だって、ここで書く内容と、飲み屋のカウンターで語る内容は、まるで違いますから(笑)


リアルな俺を知っている人は、ブログを読みに来ません。

このブログを読みに来る人は、リアルな俺を知らない人が大半です。


だから、面白い。



両方の俺を知っている人は、ほんの一握りだから、別に気にしません。

知られて困るようなことは、何もないから。


一応、「映画ブログ」なんですが、はっきり言って、映画以外の記事の方が多い(笑)


いいんです。

俺の、個人的な記録なんだから。



俺は、そんなに映画に詳しいわけじゃない。

ただ、自分が好きな映画を、自分の言葉で語りたいだけなんです。


言葉として「出力」することで、世界観が広がる。

それが、気持ちいいことなんです。



たくさん見ている人が、偉いというわけじゃない。

年に数本でもいい。

一生に1本でもいい。

自分が心から感動した1本があれば、それだけで、俺と友達になれます。




映画によって、人と出会い、

映画を語ることによって、人との関係が深まります。


この楽しさは、一度味わったら、やめられない。



映画館に行くことは、俺の元気のバロメーター。


次は、日曜日の午前中に行く予定です。

午後からは、「のあのあシアター」を仕切る予定。



充実した時間を過ごすためにも、いい仕事をしなくちゃ。

明日もがんばって仕事して、いい週末を迎えたいと思います。





生涯忘れられない「1本」に出会うために。






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2015-04-12

映画コラム 「自分にとってのオリジナル」

テーマ:映画コラム
前回の映画コラム「先入観」の延長で、もう少しお話をします。


音楽業界では、「カバー曲」というジャンルがあります。

最近では「トリビュートアルバム」なんていうCDも増えてまいりました。

「カバー」に対して、「オリジナル」があります。

もちろん、理屈では「オリジナル」が音楽的に一番優れていると思います。


しかし、聴く側の立場で、どのアレンジが好みか、そこが大事なんですね。


すっとオリジナルだと思っていた曲が、実はカバーだったということもあります。

昨年見た映画「ジャージー・ボーイズ」を見るまでは、

「君の瞳に恋してる」は、ボーイズ・タウン・ギャングのオリジナルかと思っていました。

しかし、フランキー・ヴァリのオリジナルを聴いたら、ぶっ飛びました。

これは絶対、オリジナルの方がいい!


だけど、「スタンド・バイ・ミー」は、ベン・E・キングよりも、

ジョン・レノンがカバーしたアレンジが好きです。


セブン・イレブンのCMで使われた「デイドリーム・ビリーバー」は、

忌野清志郎のユニット、タイマーズのバージョンが有名ですが、

俺的にはやっぱり、モンキーズの方がカッコいいです。


そんな風に、その人の好みによって、「自分のオリジナル」を決めてよろしい。

自分が一番、そのメロディラインを楽しめるかが、大事なんですね。



映画でも、同様のことが言えます。


「スピード」の元ネタは、日本の「新幹線大爆破」ですが、

俺は個人的に「スピード」の方が面白いと思いました。


「ファイトクラブ」の元ネタは塚本監督の「東京フィスト」ですが、

俺は個人的に「東京フィスト」の方が好きです。


これは、どちらを先に見たかどうかということじゃなく、

どれを最初に気に入ったか、ということなんですね。



例えば、「昔話」とか「おとぎ話」というのは、人から人に伝わっていくもの。

「落語」も、師匠から受け継いだ「語る技術」によって、受け継がれていくもの。


まんまコピーしても、他の人が手がけると、全然違うものになっていくんですね。

その作品の「肝」をしっかり捉えていれば、その人だけのいい味になっていくんです。



だから、パクリ映画、便乗映画、パロディ映画は、すごく大事なジャンルと言えます。




恋人にも、元カレとか今カレとか、複数の男を経験した女性がいれば、

ひとりの男をずっと生涯愛し続ける女性もいます。

男は、みんな同じじゃない。

イケメン俳優に似ているからカッコいいとか、そういうことじゃなく、

その人そのものの心を愛することこそが、自分のオリジナルの恋愛になるんですね。




入り口やきっかけは、何でもいい。

自分が魅力を感じたものに対して、自分の心が正直に反応すればよろしい。


それが、「自分にとってのオリジナル」になります。


見方が正しいとか、間違っているとか、そういうことではないんですね。

その感じ方が「自分発」であれば、自由に評価していいんです。

自分の正直な感じ方というのは、絶対的な真実だから。


そういうものをしっかり持っている人は、少々のことでは揺るぎません。

土台がちゃんとしている分だけ、いざとなった時に強いんですね。


しっかりしていないということは、その領域がまだ未開拓だということです。

その部分を刺激してくれるものとの出会いを、ワクワクして待ちましょう。



俺は、今までに映画を何本見たのか、数えたことがありません。

でも、未だに言えるのは、これからも新しい映画をたくさん見たいということ。

「映画なんて所詮こんなもの」という発想が湧かないんですね。


人は、興味を失った時点で、思考をやめてしまうもの。

いつか俺にも、そういう時が来るのかもしれません。


でもまだ、俺の「映画熱」は生きています。



「自分にとってのオリジナル」は、俺の宝物。

その安定した土台の上で、新しい映画を楽しんでいます。


今年はすでに、21本の劇場映画を見ました。


これからも、見まくるぞ~



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2015-04-05

映画コラム 「先入観」

テーマ:映画コラム
映画を見る時に気をつけていることの1つとして、「先入観」があります。


例えば、リメイク作品を見ると、どうしても元ネタと比べてしまいますよね。

あるいは、続編を見ると、どうしても前作と比べてしまいますよね。

また、原作を知っている映画を見ると、どうしても比べてしまいますよね。


これは、仕方のないことなんです。

だって人間は、あらゆるものを「比べる」ことによって判断する生き物ですから。


俺も、5歳の頃から映画館で映画を見ている男として、見た本数はそれなりにあります。

だけど、できるだけ「先入観」を持たずに、作品を楽しみたいんですよね。


ブロガーとして駆け出しの頃は、気に食わんとぶうぶう文句を言ってました。

後で読み返すと、顔から火が出るくらい恥ずかしい文章を書いています。

でも、その時の感情を思い出す貴重な資料だから、そのままにしてありますが。

だから最近では、読むのが怖くて、過去記事は読まないことにしています。



パクリ映画や便乗映画はたくさんあるけれど、パクッた方が面白い場合があります。

2作目の方が、たまに前作よりも面白い場合もあります。

原作小説はつまらんけど、映画の方が面白かったりすることだってあります。


ここで一番大事なのは、「最初の情報がイメージ」を決めてしまう、ということ。


俺がよく失敗するのが、予告編が面白くて見に行ったら、本編がつまらない…とか。

予告編でネタバレし過ぎて、見に行く気がなくなってしまった…とか。


だから、予告編はできるだけ見たくないと思う時があるんです。いや、ホントの話。

劇場へ行けば否応なく見せられるから、わざとギリギリに入場したり、

予告編の間はできるだけ画面を見ないように努力したり…


昨日アップした「メビウス」も、予告編を見てなくてよかった~と思いました。

試食やつまみ食いをしない方が、料理のおいしさに感動できるもんね。



例を挙げると、リュック・ベッソン監督の「レオン」という映画。

この作品は、好きな人が多いですよね。

ベッソン監督の「ニキータ」に、掃除屋ヴィクトールという男が登場します。

演じていたのは、ジャン・レノ。

彼のキャラクターを膨らませて主役にした映画が「レオン」なんですね。

つまり、「レオン」は「ニキータ」のスピンオフ映画ということになります。


それに加えて、ジョン・カサベテス監督の「グロリア」が元ネタと言われています。

「レオン」が“おっさんと少女”なのに対して、「グロリア」は“おばちゃんと少年”。

そりゃあ、「レオン」好きな人にとっては、「グロリア」はつまんないかも。


でも俺は個人的に、「レオン」よりも「グロリア」の方が好きなんですね。

見た順番は、「レオン」の方が先だったんです。

「グロリア」は、レンタルDVDで見ました。

だけども、劇場で見た「レオン」よりも、「グロリア」がよかったんですね。


「レオン」のナタリー・ポートマンは、魅力的で愛くるしい。

「グロリア」の少年(名前わかんない)は、全然かわいくない。

「レオン」のジャン・レノは、ストイックでシブい男。

「グロリア」のジーナ・ローランズは、くたびれた中年女。


でもね、ジーナが拳銃を構えた姿は、すごくカッコいいんです。

かわいくない少年の、とっさの行動が愛しいのです。

どちらのコンビが魅力的かは、俺の中ではっきりしています。


俺は、「ニキータ」を見てから「レオン」を見ているので、

その先入観から「レオン」否定派になってんじゃないの、と言われたこともあります。

でも俺、「レオン」を劇場で見た時は、すごく興奮していたんですよ~

その気持ちは本当です。だけど、「グロリア」を見たら全部吹っ飛びました(笑)


そういう面白さが、映画にはあるんです。



普通の人は、感性豊かだった思春期の頃に見た映画や、

若い頃に見て感動した映画が一番だと感じるものです。

そして、年を取って感性が鈍ってくると、「今の映画はつまらない」と感じます。

それが暴走すると、「昔はよかった。今はダメだ。」と言い始めるんです。

いったん思考がそうなってしまうと、回路が閉ざされていきます。


これは、音楽や読書でも同じ。

「昔の歌はよかった。今はわけがわからん。ただうるさいだけだ。」

そう嘆く高齢者の人たちだって、プレスリーやビートルズを聴いていたはずなのに。

その時代の大人たちに「悪魔の音楽」と非難されても、がんばって聴いたはずなのに。


「こんな大人にはなりたくない」という思いが強い人ほど、

気がつくと、そういう大人の「仲間入り」をしていたりするんです。

そうして、「こんなはずじゃなかった」と言い、「誰かのせい」にするんです…


これは、人として、とても寂しいこと。

若い頃に味わった苦痛や悔しさを記憶しているなら、

今自分が向き合っている若者たちの話を、もっと聞いてあげていいと思う。


俺は、「古くても新しくても、いいものはいい」という考えなので、

新しい映画を常に見たいと思うし、いい主題歌があれば、カラオケで練習します。

(ちなみに今は、「百円の恋」の影響で、クリープハイプを3曲練習中です♪)



俺は、個性が強い男なので、自分の感じ方を大切にします。

そこには、どうしても「好み」という偏った見方が存在してしまうもの。

それをあえて承知の上で、できるだけ「先入観」を持ちたくない、と思うんです。


会ったことのない人の噂話は、その人に直接会うまでは、話半分に聞いておく。

その人に会った時に感じた印象を、ずっと心に焼き付けておく。


「いい映画」と言われている映画が、本当にいいとは限らない。

「感動作」と言われている映画で、本当に感動できるとは限らない。

「おいしい料理」と言われていても、本当においしいかは食べてみなけりゃわからない。



俺はいつも呪文のように、この言葉を若者に語ります。

『…人の話を鵜呑みにするような大人になっちゃいかん。』


あなたは、こう感じた。

俺は、こう感じた。

それを正直に言い会える関係こそが、真の映画友達だと俺は思うのです。


そうやってお互いの心の形を理解できてこそ、オススメしたい映画が浮かぶのです。

全く知らない人から『…何かオススメある?』と聞かれるのが、一番困る。

そんな魔法のような映画はありません。



ちなみに、シャロン・ストーンが出演した「グロリア」のリメイクはつまんないです。

だって、銃を構えた姿が素人くせえんだもん(汗)

ブリジット・フォンダが主演した「アサシン暗殺者」は、「ニキータ」のリメイク。

でも、彼女は可愛い過ぎて、映画がつまらなかったように記憶しています。

アンヌ・パリローの方が、ダサくてケバくて、カッコよかった(笑)



「色メガネ」という言葉がある。

「目からうろこ」という表現がある。

人は、気分次第で、物の見方が変わるのだ。


自分が満たされている時は、物事が輝いて見えるもの。

心が塞ぎ込んでいる時は、物事がモノトーンに見えるもの。


しかし、感受性が生きていれば、少ない光でも、闇を照らしてくれるはず。

か細い声だったとしても、ちゃんと聞き取ることができるはず。

些細な出来事も、心があたたかくなるはず。



映画の魅力を知れば知るほど、俺の感覚は鋭くなっていきます。

みんなと同じ感想を持つ必要はない。

みんなと同じじゃないと気がすまない人は、映画雑誌の記事を読めばよろしい。

俺は、そういう人を対象に文章を書いていませんから。



俺が「すごい」と言ったら、その映画がすごい、という意味じゃないんです。

その映画を見て、俺が「すごい」と感じた。ただ、それだけのことなんです。

俺は、映画の良し悪しを決められるほど、思い上がってはいません。

ただ、見た時に感じたことを、ありのままに正直に書く男として、

読者の皆様に記憶しておいていただきたいのです。


俺は、人と変わっている部分が多いので、今まで色んなことを言われました。

だけど、ここに書くことに、嘘や偽りはないんです。

長く読んで下さっている人たちは、もうおわかりですよね。


自分のスタイルをずっと維持していくということは、

常に、自分の感性を磨く努力が必要になります。


映画こそは、そのための最高の教材。

最近はバタバタしていて、今週は1本しか見られませんでしたが、

来週は、2本くらいは見に行きたいと思っています。



次に何の映画記事を書くかは、まだわかりません。

映画ブログでありながら、映画以外の記事が圧倒的に多い…

でもそれは、映画につながっていく言葉なんですから。

その時の俺の精神状態も含めて、これからも記録していこうと思うんですよね。


あなたが感じているイメージは、あなたの心発でしょうか。

それとも、誰かが言った言葉の受け売りでしょうか。

少し考えればすぐわかることなので、俺も含めてお互いに気をつけましょうね。



では、賢明なるプロの読者の皆様、ご自分のオリジナルな感性で、映画をお楽しみ下さい☆




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