FUJITA'S BAR
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2016-12-18

映画「火 Hee」

テーマ:邦画

嘘の中にこそ、際立つ真実がある。

 

 

桃井かおり監督・脚本・主演という、やりたい放題感に興味を持っていて、

 

ようやく新潟でも一週間限定で公開されたので、劇場に行きました。

 

かおり姐さんは、もうすでに60を超えているはずですが、

 

いまだに妖艶な魅力がムンムンして、圧倒されっぱなしでした。

 

 

原作は、中村文則の短編小説「火」。

 

「Hee」って何だろうと、辞書をひいてみても、載ってない。

 

ははあ、これは、日本語の「ひ」を、アルファベットで表記するためなのかな。

 

 

最近また逮捕された「ASKA」が、「チャゲ&飛鳥」で活動している時の表記は

 

「ASUKA」でしたが、これだと欧米では「アス―カ」という間の抜けた読み方に

 

なってしまうので、「ASKA」という表記に変えたという話を聞いたことがあります。

 

これなら、「ASK」という単語があるから、読みやすいんでしょうね。

 

 

で、俺、勝手に想像したんですが、

 

「heel」という単語がありますよね。そうそう、ハイヒールのヒール。

 

冒頭の場面で、彼女が洗面台に脚をかけて洗っている時に、

 

男がぶつかってきて、靴が壊れてしまいます。

 

かかとがポキッと折れて、「Hee」。

 

ヒールには「悪役」という意味もあるので、何だか面白い。

 

 

 

かおり姐さんの役どころは、「容疑者」。

 

親切な説明などほとんど一切ない、俺好みのスタイルです。

 

彼女が、精神科医に独白していく様子が、画面の9割を占めます。

 

 

こいつ、デタラメばかり言ってんじゃないの、と思いたくなりますが、

 

そこは、彼女の真骨頂。

 

言ったことを忘れたり、あからさまな嘘をついたりする言葉のシャワーに、

 

時たま垣間見える、「彼女にしか感じ取るのできない真実」がギラリ、と。

 

 

5分に1回くらいの割合で、ゾクッときちゃいました。

 

 

力が抜けているようで、腰の据わった話し方。

 

身近にいるようで、雲の上にいるような、不思議な存在感。

 

人を見ていないようで、しっかり見ているような、するどい眼光。

 

包み込むように拒絶する、クールな肩透かし感。

 

 

これは、ヤラレました。

 

 

 

初めて彼女の演技をちゃんと覚えたのは、映画「噛む女」だったと記憶しています。

 

泉谷しげるの名曲とともに、彼女の気だるい横顔を覚えたんだっけなあ。

 

それから、「女がいちばん似合う職業」の、女刑事。

 

冒頭で、トイレに拳銃忘れる場面が、忘れられません。

 

 

「スワロウテイル」「大怪獣東京に現る」「スキヤキウエスタン・ジャンゴ」など、

 

この世を逸脱した世界でも、すうっと溶け込めるような柔軟さがあり、

 

イッセー尾形との2人芝居でも、本領を発揮しました。

 

(イッセーが昭和天皇を演じた「太陽」では、皇后様の役を演じてたっけ)

 

 

彼女は、3歳からバレエをやっていたこともあって、体が柔らかい。

 

CMでも、ひょいっと脚を上げる場面があったりすると、ゾクゾクしたものです。

 

タバコをガンガン吸っていて、お肌がきれいな女って、カッコいい。

 

いくつになっても、資生堂やエーザイのCMに出る女って、スゴい。

 

 

黒木メイサ主演のバレエ映画「昴」では、いい役を演じてましたね~

 

 

 

本作は、72分しかないので、あっという間に終わります。

 

撮影は、10日間しかかけていないらしい。

 

コンパクトですが、比重はなかなかのものがあります。

 

 

スタイル的には、ソダーバーグ監督の「セックスと嘘とビデオテープ」や、

 

東宝の特撮ホラー「マタンゴ」のような、静かな不気味さがあって、

 

画面から伝わってくる温度が、次第に上がっていくのを感じます。

 

 

 

「火」に取り憑かれた女、といえば、田中裕子の「火火」を思い出しますが、

 

あっちは結果的にいい話になっちゃっているので、こっちの方が狂気満載。

 

 

「火」を表現する言葉は、無数にあります。

 

「灯」は、ほんのりしたぬくもりがあるし、

 

「炎」は、燃え上がる恐ろしさを秘めている。

 

英語では、「fire」が一番ポピュラーですが、

 

「flame」だと、情熱的な意味が加わります。

 

(フラメンコの語源であり、ネットの炎上などもこれに当たるそうです)

 

 

 

 

人には、オーラというものが、たしかに、ある。

 

それは、光なのかもしれないし、

 

火のようなものなのかもしれない。

 

生命力が放つ輝きであるから、それははっきりとした「熱源」。

 

火のないところに煙は立たぬ。

 

燃える要素がなにもないところには、火は怒らない。

 

水素は、自らが燃える性質を持っているし、

 

酸素は、他者が燃えるのを手伝う「助燃性」という性質を持っている。

 

 

 

近づくと、火傷する女。

 

いつも、不完全燃焼の男。

 

饒舌だけど、わかりやすく表現するのが下手な女。

 

冷静だけど、何か燃えるきっかけを探している男。

 

 

いったん燃え上がると、何もかも焼き尽くしてしまう。

 

燃えるものがなくなるまで、ひたすら、燃え続ける、地獄の業火。

 

 

「風の谷のナウシカ」の老人たちは、言う。

 

火は、1日で森を焼き尽くしてしまう。

 

水と風は、百年かかって、森をきれいにする。

 

わしらもちょびっとは、火を使うがの。

 

でもわしらは、水と風の方が好きじゃ。

 

 

 

火を消すのは、水の役割。

 

しかし、冷たい水を温めるのは、火の役割。

 

多過ぎる火が、火災を生むように、

 

多すぎる水は、水害を生む。

 

 

一日に、水を2リットル飲みなさい、なんて、誰が決めたんだろう。

 

赤ん坊もじいさんも、2リットルなんですか?

 

デスクワークのイケメンと、ブルーカラーの肉体労働者でもおんなじ?

 

 

何でも、「適量」というものがあり、

 

その時、その場所によって、試行錯誤しなければならないのだ。

 

 

 

映画のかおり姐さんは、

 

常に、自分の心で感じ、自分の脳で考え、自分の言葉で話している。

 

それは、さっき言ったことと、矛盾しているかもしれない。

 

それは、昨日言ったことと、正反対かもしれない。

 

それは、一年前に言い切ったことと、まるで違うことなのかもしれない。

 

 

それは、しょうがない。

 

それが、人間という生き物だから。

 

 

常に、新しい細胞に生まれ変わっていくように、

 

思考や感覚も、新しい考え方や感じ方に、柔軟であるべきなのだ。

 

 

だから、あの頃はよかった、なんていう発想をしているヒマがない。

 

そんなものは、死に際にゆっくり思い出せばよろしい。

 

 

今年は、手強い映画にたくさん出会えて、刺激的だ。

 

 

 

いつも、何かを燃やしている。

 

熱くなれるものを、探している。

 

乾くからこそ、潤いが欲しくなる。

 

寒いからこそ、あたたかさが身にしみる。

 

 

 

今の自分は、どういう状態なんだろう。

 

感覚と思考は、モニタリングの最先端である。

 

そこから「意志」が生まれ、「行動」に発展していくのだ。

 

 

 

かおり姐さんの思考に、どこまでついていけるか。

 

精神科医の方が普通に見えるが、途中から、わからなくなっていく。

 

初老の娼婦から漂ってくる、妖艶なお色気。

 

加齢臭は、「華麗な香り」なのだ。

 

そして、タバコの煙が、誰よりも似合う女。

 

ニコチン、カフェイン、アルコール。

 

毒気を纏った、妖艶な猛毒に、心も体も痺れてしまうがよろしい。

 

 

 

かおりマシンガンの、乱れ撃ち。

 

銃口は、熱くなりっぱなし。

 

止まらない銃弾を、観客は、全身で浴びるのだ。

 

 

…どの一発が急所にヒットするか、覚悟して、いざ劇場へ!

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2016-12-09

映画 「聖の青春」

テーマ:邦画

選択して、実行に移すのは、あくまでも、自分自身である。

 

 

伝説の棋士、村山聖(さとし)の物語。

 

当初、松山ケンイチが演じると聞いて、ええ~っとなったんですが、

 

彼は、この役のために20キロ増量して、気迫の演技を披露しました。

 

 

俺は個人的に、“難病もの”というのは好きじゃないんですが、

 

将棋に挑むストイックな男の生き様を、この目で見たくなりました。

 

 

新潟ではすでにレイトショーがなく、家から車で1時間以上かかるところでしか

 

上映していないということもあって、一時は断念しかけたのですが、

 

奇跡的に仕事が早く終わって、夜7時の回、何とか間に合いました。

 

 

 

本作は、将棋がわからない人でも楽しめるようになっています。

 

その辺は、NHKで放映中のアニメ「三月のライオン」とおんなじですね。

 

(ちなみに、このアニメに登場する二階堂くんのモデルは、村山だそうな)

 

 

子供の頃から難病を抱えて生きて来た男にとって、

 

人生の“持ち時間”は、極めて少ない。

 

 

彼の、将棋にかける情熱と、命をかけて、体を張って指す姿を、よく見ておいて下さい。

 

 

 

以前にもお話ししたかもしれませんが、俺は、高校の時、将棋部の部長でした。

 

(まあ、だまされて部長にされてしまったので、棋力は中の下ですが)

 

俺にとって、将棋のイメージは、「真剣勝負」です。

 

単なるゲームではなく、一対一の、精神の格闘技。

 

 

かわりばんこに一手ずつ指していくのですが、

 

相手がどう指すのかを予測して、戦法を立てないといけないので、

 

無数の指し手から、たった一つを選び出すのが、非常に難しい。

 

俺みたいに、心がふらふらしている不安定な男には、

 

ものすごいプレッシャーになるんですね。

 

 

「自分の中で、迷子になってしまう」

 

これは、「B型自分の説明書」の名文ですが、まさにその通り。

 

俺はいつの間にか、将棋を指すのが怖くなってしまいました。

 

ずっと続けていれば、それなりの棋力がついたのかもしれませんが、

 

俺には、ハードルが高い領域だと思いました。

 

 

映画の村山は、「生きるか死ぬか」という領域で、戦っています。

 

もちろん、プロ棋士や、奨励会の会員は、そういう世界で生きています。

 

日々、指し手を研究し、強くなるための努力を惜しみません。

 

 

でも、根底にあるのは、面白いから、好きだから、というのが必ずあると思うんです。

 

好きな世界で、好きなことをやって、生きて行く。

 

これほど、素晴らしく、やりがいのあることはないでしょう。

 

だからこそ、つらいことがあっても、乗り越えていけるのではないかと。

 

 

俺がまず、注目したのは、駒さばきと、駒音。

 

これは、静かな劇場で見た方が、絶対にいいはずだ、と。

 

チェスクロックの音が、かなりうるさくて、おいおい、と思いましたが、

 

DVDで見たらきっと、ちょうどいいのかも。

 

(映画館で聴くと、そろばん学校みたいで笑えました)

 

 

 

最近は、機械が人間に勝ったとか、どうでもいいことが報じられていますが、

 

俺は、人同士の、ぬくもりが感じられる勝負の方が好きです。

 

棋譜(指し手の記録)をデータ化して、効率よく研究するのもいいですが、

 

相手がどんな心理状態で、どういう気持ちで指したのが、

 

そっちの方が、俺は興味深いと思うんですね。

 

 

指し方の微妙な変化、駒の持ち方、打ち方、打つ時の力、手の離し方など、

 

あらゆる要素が総合されてこその、一手であるからこそ、深いのです。

 

 

勝負手をビシッと指し、ジロリと相手を睨む時の、ゾクゾク感。

 

秒読みに追われて、慌てて指した時の、ドキドキ感。

 

何気なく指した、絶妙な一手を指した時、あるいは指された時の、ニヤリ感。

 

 

特に、中盤の、「7五飛」の場面での絶妙な指し方、いいですね~

 

将棋の醍醐味は、人同士の精神のぶつかり合いである、とつくづく思います。

 

 

「三手一組」は、将棋の考え方の基本。

 

①こう行く。 ②こう来る。 ③そこで、こう指す。

 

それって、普段の人とのやり取りで、自然にやっていることですよね。

 

今日は、彼とこういう話をしよう、なんて色々準備して臨んでも、

 

その時の相手の反応次第で、話す内容なんて、どんどん変わっちゃう。

 

人と話すことがストレスになるのには、実に深い理由があるものなんですよね。

 

 

 

映画の村山は、人とコミュニケーションを取るのが、どうも苦手のように見えます。

 

だからこそ、周りの人たちの個性が、際立ってくるんですね。

 

彼の師匠を演じるのは、リリー・フランキー。

 

いい師匠だなあ、と個人的に思いました。

 

将棋会館で出会う、脇役たちも、味があっていい。

 

“ニセ変態仮面”安田顕と、柄本時生の2人は、特によかったですね。

 

個人的には、古本屋の女の子とのやり取りが、とても微笑ましい。

 

(「変身」の、玉木宏と、文房具屋の蒼井優よりもぎこちなくて)

 

 

 

そして、羽生善治を演じるのは、東出昌大。

 

髪にほんのり寝ぐせがあったり、飄々と話すところが、実に面白い。

 

クールな羽生と、熱い村山との組み合わせは、人間的にも絶対面白い。

 

 

村山は、気難しい表情を見せることが多いですが、

 

基本、自分の気持ちに素直なんだと思います。

 

誰もが言えないことをズバッと言ったり、

 

相手を怒らせたとしても、自分が感じたことを、グサリと心に突き刺します。

 

 

彼には、時間がないから。

 

そのうちにあとで、なんていう余裕がないから。

 

自分の貴重な時間を割いても、誰かに本音をぶつけずにはいられないのは、

 

彼もまた、人恋しい、ひとりの人間であるから。

 

 

そんな村山も、敬愛する羽生に対してだけは、言葉遣いが違う。

 

勝負を離れた時の二人は、オンオフがきちんと切り替えられていて、

 

さすがは、プロ棋士だなあと思いました。

 

彼らのやり取りは、名場面がいっぱいです。

 

 

思い出すのは、映画「ピンポン」での、窪塚洋介と中村獅童。

 

天才同士でなければ、到達できない、神の領域。

 

ああ、きっと、この瞬間のために、今までの人生があったのかもしれない。

 

村山と羽生の熱戦も、きっと、二人にしかわからない、何かがあったのでしょう。

 

 

松山ケンイチという名前を覚えたのは、「デスノート」からでした。

 

その後、「神童」「人のセックスを笑うな」「デトロイト・メタルシティ」

 

「ノルウェイの森」など、人から振り回される方も、振り回す方も、

 

両方演じられる、面白い役者だなあと思うようになりました。

 

彼は、将棋が趣味だそうで、なるほど、村山とLは、共通点がありそう。

 

物事を深読みする眼光の鋭さは、彼の持ち味ですね。

 

 

そして、主題歌は、秦基博。

 

「アポロンの坂道」「言ノ葉の庭」に加えて、切ない青春映画にはピッタリですね。

 

本作は、やっぱり、青春映画だと俺は思うから。

 

持ち時間がもっとあれば、彼はきっと、素敵な恋ができたでしょう。

 

だって、“アレ”を読むのが好きだったんだから(笑)

 

 

 

 

 

生きることは、選択の連続である。

 

色んな手が浮かぶから、迷いが生じる。

 

時間内に、選んで決めていく。

 

常識だから、そうすることもあるし、直観で、決めることもある。

 

不幸な出来事をたくさん経験すればするほど、

 

物事を、より深く考えるようになるのだろうか。

 

 

あまり、考えない人。

 

できれば、考えたくない人。

 

考えるのが、好きな人。

 

考えずには、いられない人。

 

 

予想外の状況に出くわすと、心が混乱する。

 

頭の中で、心の奥で、過去の記憶と照合し、行動するための候補を探す。

 

三手一組で、綿密にシミュレートしていく。

 

成功しても、失敗しても、その「経験」を積んだことで、「人間力」はアップするのだ。

 

 

 

朝目が覚めて、起き上がる。 着替える。 ごはんを食べる。

 

どちらの足から動き出すか。 どちらの腕を先に、シャツに通すか。

 

味噌汁が先か。ごはんが先か。まず、梅干しを頬張るか。

 

車の運転。道順。買い物の内容。人との会話。休憩時間に何をするか。

 

 

毎日、誰もが、無意識のうちに、全部自分で選んで決めて、行動している。

 

誰かに言われてやったことでも、それを選択したのは、あくまでも自分なのである。

 

 

将棋は、待ったなし。

 

一度指してしまった手は、なかったことにはできない。

 

だからこそ、真剣に悩み、命をかけて勝負するのだ。

 

指した後は、すぐに次の手を考える。

 

いちいち、振り返って、後悔ばかりしていては、何も始まらない。

 

 

村山聖は、「寿命」という、「見えない制限時間」の中で、

 

常に、「秒読みの戦い」を強いられてきた。

 

そこに、彼の「強さ」の根源がある。

 

 

本気で戦うからこそ、

 

本気で悔しがるからこそ、

 

本気で人とぶつかるからこそ、

 

見えてくるものが、きっとある。

 

 

…自分にしかできない、オリジナルの生き方で、勝負せよ!

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2016-12-06

映画 「永い言い訳」

テーマ:邦画

心の中を吐き出せる相手がいる人は、幸いである。

 

 

退院しても、一週間は禁酒禁煙なので、飲み屋もカフェもしばらくお預け。

 

休みの前の夜に、飲みに行けないのは、ストレスになっちゃうので、

 

こういう時は、やっぱりレイトショーに行くのが一番ですな。

 

 

入院前に見たかったもう1つの映画が、どうやら人気がないらしく、

 

すでにレイトショーがなくなっていたので、この映画を選びました。

 

 

西川美和監督の映画を初めて見たのは、「ゆれる」でした。

 

その後、「夢売るふたり」を見たので、本作で俺は3本目になります。

 

 

 

仲良しの女性2人が、バス事故で急死してしまう。

 

遺族となった2つの家庭の、2人の男を中心とする物語です。

 

 

主人公は、作家でタレントの男。演じるのは、本木雅弘。

 

何ともいえない、くたびれ感がいいですなあ。

 

「226」の、苦悩する演技と、「GONIN」のナイーブな演技、

 

「べっぴんの町」の、中途半端なヤクザ役も、青くさくてよかった。

 

「おくりびと」はもちろん、最近演じた昭和天皇も、素晴らしかった。

 

 

でも、本作の彼は、一番、「彼らしさ」が出ているかもしれません。

 

 

以前に、インタビューで、確か、こう言っていたと記憶しています。

 

『…自分は、コンプレックスのかたまりなんです。』

 

それは、彼の演技の、繊細な部分に、しっかりと際立っていると思う。

 

 

苦悩する役柄が、とても板についている。

 

頭の中は、あらゆる思考で、常にグルグル回っており、

 

心の中は、あらゆる感情が、常に渦巻いている状態。

 

冒頭の、髪を切る場面から、それはすでに始まっている。

 

 

言葉を慎重に選んで、静かに、たんたんと、少しずつ、相手にぶつけていく。

 

イライラは伝染するので、相手に増幅して伝わり、うんざりさせてしまう。

 

それがわかっているのに、言ったところで、どうにもならないのに、

 

言わずにはいられないし、怒りを止められない。

 

小さな小競り合いは、一見、静かなようであるが、

 

スタンガンを突き付けられたように、鋭く熱い痛みが、瞬間的に襲う。

 

 

この夫婦は、ギリギリのところにいる。

 

 

そして、事故が起きた時、彼が何をしていたか。

 

まるで、三浦綾子の「氷点」である。

 

狙ったのかもしれないが、罪の意識というのは、根が深い性質のものであるから、

 

自分のせいじゃないのに、自分のせいに感じてしまう心理が、どうしても働く。

 

 

自殺ではない。

 

事故死である。

 

しかも、それらは、予期せぬ時に、ふいに起きてしまうのである。

 

 

主人公夫婦には、子供がいなかった。

 

何故いないのかは、映画を見ればわかるので、ここでは省略。

 

 

 

もう一方の家族は、両親と、2人の子供がいた。

 

トラック運転手の父親と、子育てに忙しい母親。

 

父親は、子供たちと、今までまともに向き合ってこなかった。

 

みかけは不愛想な感じがするけど、話し方は、実にやわらかい。

 

そのギャップに、話しやすさと話しにくさが同居している感じがする。

 

演じるのは、竹原ピストル。

 

この兄ちゃん、面白いですね。

 

 

彼もまた、ギリギリのところで、踏ん張っている男。

 

 

遺族の集まりで、もともと同級生だった2人は、急速に親しくなる。

 

主人公は、子供がいる生活に新鮮味を感じ、

 

トラック業務で家を留守にする父親のために、週2で、彼の家へ行く。

 

家事なんてまともにやったことがないような男が、

 

とまどいながらも、2人の子供たちと行動を共にする。

 

 

こう言うと、TVドラマでよくあるネタのように思えますが、

 

実は、ここからが、西川監督の真骨頂。

 

うまくおさまるようで、きれいにはいきません。

 

 

彼女の感性の深さは、素晴らしいと思う。

 

 

人同士というのは、親密になればなるほど、ぶつかりやすくなる。

 

お互いの気持ちいい距離感が、わからなくなるのである。

 

 

それは、大人でも、子供でも、男でも、女でも、同じこと。

 

理解してもらうと、もっと理解してもらいたくなる。

 

うまくいくと、もっとうまくいかないと気が済まなくなる。

 

 

人の心は、いつも同じじゃない。

 

昨日言ったことが、今日は180度変わることだってある。

 

 

それは、生きているという証拠。

 

 

いつも同じで、同じ環境で、同じことを繰り返していると、

 

自分の立ち位置が、ぼんやりとしていく。

 

 

不安な人ほど、安心を求めるが、それは、はっきり言って、不可能。

 

 

普段、我慢や辛抱をしているから、大事な席で、失態をしてしまう。

 

 

しかし、そうせずにはいられない「何か」があるのだ。

 

 

 

作家という仕事は、表現せずにはいられない人に向いていると思う。

 

才能というのは、心に湧き上がってくるイメージが常にあって、

 

それを、人に伝える形で出力していく技術を伴った能力。

 

 

だから、押し黙っているよりは、どんどん出力した方が、

 

新鮮な発想が、次々と浮かんでいくんだと思う。

 

 

トラック運転手の父親も、子供たちも、静かに、我慢をしている。

 

彼らなりの、ギリギリのところで、踏ん張っている。

 

 

それが、些細なきっかけで、ポロポロと出てくるのだ。

 

そこが、痛々しくもあり、親しみを感じるポイントでもある。

 

 

登場人物のひとりひとりが、いっぱいいっぱいのところで生きている。

 

 

まるで、自分を見ているようだった。

 

 

それは、「感情移入」と言ったチャラチャラした性質のものではなく、

 

あまりにも生々しくて、自分の弱さや怖さや醜さを、突き付けられた気分になる。

 

彼らが言い放った言葉に賛同する自分と、

 

それを言われてしまった方は、つらいだろうな、と思う自分。

 

 

傷つけたくないし、自分も傷つきたくないから、

 

人との距離は、どんどん遠くなっていく。

 

傷つかない代償として、ぬくもりも遠ざかっていく。

 

 

それで、よければ、それもよし。

 

でも、それでは、ダメな人もいるのだ。

 

 

甘え、だろうか。

 

思いやり、だろうか。

 

気遣い、だろうか。

 

 

図々しい、だろうか。

 

言い過ぎ、だろうか。

 

言わなくてもいいこと、だろうか。

 

 

 

父親たち2人のバランスが、とてもいい。

 

そして、子役たちの演技が、素晴らしい。

 

 

心を病んだ人たちは、

 

追い詰められた人たちは、

 

ギリギリで生きている人たちは、

 

危うい状態で、かろうじて正気を保っているだけなのである。

 

 

手嶌葵の歌が、絶妙なタイミングで流れます。

 

彼女の清楚な歌声は、聴く者の心を、素直にしていく力があると思う。

 

 

マシンガンのようにしゃべる人ほど、

 

自分が本当に言いたい言葉を、伝えていないのかもしれない。

 

黙ってニコニコして、親身に聞いてくれていると思った人ほど、

 

こちらの話を、ちゃんと聞いていないかもしれない。

 

 

一見、成立しているようで、すでに崩壊している関係。

 

一見、理解し合っているようで、何も通じ合っていない関係。

 

一見、伝わっているようで、全然かみ合っていない関係。

 

 

誤解と、偏見。

 

いたずらと、意地悪。

 

冗談と、憎悪。

 

褒め言葉と、嫉妬心。

 

あきらめと、無関心。

 

 

ああ、この映画には、ドス黒いものが、渦巻いています。

 

「淵に立つ」もすごかったけど、本作もすごい。

 

目に見えない、心の葛藤って、表現するのが難しい。

 

124分が、あっという間でした。

 

 

 

信頼を失うと、取り戻すのに時間がかかるというけど、

 

もともと信頼されていなかったら、崩壊するのは早い。

 

逆に、壊そうと思えば思うほど、驚異の修復力で再生する関係もある。

 

 

人同士の関係って、複雑で単純で、面白いもんですね。

 

 

何もかも失ったと思った時ほど、新たな出会いがあるもの。

 

普段は見えなかったものが、見えてくるもの。

 

その出会いを生かすか殺すかは、自分で決めていい。

 

 

「ブレない自分」を構築するなんて、もともと俺には無理だから。

 

「不安定で、どうしようもない自分」を肯定するところからしか、始まらないから。

 

 

悩んでいる人に、不安でどうしようもない人に、

 

追い詰められている人に、この映画を見て欲しい。

 

 

そして、話を聞いてくれる人たちの中に、

 

自分から離れないでいてくれる人の気持ちを、想像して欲しい。

 

 

 

 

…自分の心の中にある「淀んだもの」の正体が、見えてくるから。

 

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2016-11-21

映画 「眼球の夢」

テーマ:邦画

倒錯とエロス。 …暴走したら、もう止まらない!

 

 

久しぶりに映画館に行きました。

 

いやあ~ 強烈ですね~

 

これは、はっきり言って、一般の人には理解不能な映画ですね。

 

 

俺も、眼球フェチの人たちの、マニアックな映画かと思ったんですが、

 

途中から、視点を変えました。(眼球映画だけに)

 

 

これはもう、笑うしかないでしょう。

 

あまりにも露骨で、あまりにも変態チックで、

 

あまりにもバカ映画過ぎて、一時、嫌な現実を忘れました(笑)

 

 

この映画を、一般の人にわかりやすく説明できる人は、そういないでしょう。

 

 

 

だから、俺は、あえて、自分の言葉で書かせていただきます。

 

 

 

 

俺的には、「目」という器官は、個人的に好きです。

 

(もっと好きなのは、「口」という器官ですが)

 

 

眼球というのは、目の一部。

 

唇というのも、口の一部。

 

 

まつ毛があって、目蓋があって、涙があって、表情があってこその「目」。

 

唇があって、歯と舌があって、唾液があって、表情があってこその「口」。

 

 

ああ、何だかすでに、エロい文章になってますが…

 

 

 

その人の本質を現すのが、器官の「動き」であり、

 

そこから発せられる「出力」が、スピリチュアルなエロスなんですよね。

 

 

 

人は、人から得られる刺激に、一番興奮するもの。

 

好きな人から発せられる信号は、何でも愛したくなるもの。

 

反対に、嫌いな人から発せられる信号は、嫌悪感を抱くもの。

 

 

発信者の信号が強烈であればあるほど、

 

受信者の感度が鋭ければ鋭いほど、

 

深い領域で、コミュニケーションができるものなんです。

 

 

強烈な恋愛を経験した人。

 

生涯に一度の、気持ちいいセックスを経験した人。

 

一目惚れを経験した人。

 

一瞬でもいいから、燃え上がるような恋をした人…

 

 

傍から見たら、ただのバカにしか見えなかったとしても、

 

本人の本心の核心の領域においては、極めて正常な行為であり、

 

一生に一度の、至福のひとときなのである。

 

 

 

俺も、今までに、色んな体験があったから、

 

この映画で暴走していく主人公たちが、何だか、愛おしい。

 

 

それはきっと、

 

ある意味、幸せなことなのかもしれない。

 

 

 

映画「つやのよる」で、大竹しのぶが言ったセリフを思い出しますね。

 

 

 

 

人は、人のことを、全部は理解できない。

 

一部は、何とか理解できるかもしれない。

 

でもそれは、自分なりの、勝手な視点なのかもしれない。

 

 

だから、

 

一部でも、しっかりと理解できるなら、

 

その人の全てを理解することも、決して不可能ではない、ってこと。

 

 

 

好きな人が、もし、変態だったら?

 

愛する人が愛するものを、自分も愛することができるだろうか。

 

その辺が、愛の限界という領域なのかもしれない。

 

 

思いっきりバカ映画だけど、

 

本質的には、極めて真面目な変態倒錯映画である、と俺は思います。

 

 

 

さあ、この映画についてこれる人は、一体、何人いるだろうか。

 

 

俺的には、まだまだ手ぬるい、と思いましたが。

 

 

有名人がたくさんコメントを寄せているみたいですが、

 

俺の感じたこととは、やっぱり違う。

 

 

それで、いい。

 

 

変態映画は、自分の感性を中心にして、楽しむべきものなのだ。

 

 

 

眼球は、美しい。

 

外界からの情報の約80%は、眼から入ってくるそうな。

 

角膜の奥には、弾力性のある水晶体があり、

 

6本の筋肉と、毛様体によって、眼球を自由自在に動かせる。

 

(「美しい人体図鑑」の記述より引用)

 

 

 

球体だからこそ、あらゆる方向に動かせるのであって、

 

常に濡れているからこそ、円滑に動かすことができるのである。

 

 

ああ、何て美しく、完璧な機能を持った器官なんだろう。

 

 

俺は以前、何度か言いました。

 

人の目をずっと見ていると、何か得体の知れないものをもらってしまうから、

 

長い時間、直視できない…と。

 

 

その理由が、何となくわかった気がします。

 

 

…美しいものを見続けると、目がつぶれるから。

 

 

 

賢明な読者の皆様は、こんな映画、見ちゃいけませんよ。

 

もし間違って見てしまったら、誰にもおススメしてはいけませんよ。

 

 

…自分の心の中で、じっくりと、熟成して下さい。

 

 

 

(さあ、入院までに、もう1本くらい、見られるかな)

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2016-10-16

映画 「淵に立つ」

テーマ:邦画

人はいつも、何かの淵に立っている。 どう選択するかは、自分次第。

 

 

これは、最近見た中では、一番強烈かもしれない。

 

悪いけど、一般の人にはとてもおススメできないシロモノです。

 

 

でも俺は、楽しんで見ることができました。

 

日本もやっと、こういう映画を撮れる国に成熟したんだなあ、なんて。

 

 

 

自営業で金属加工をしている主人公のもとに、“古い友人”が現れる。

 

何の相談もなしに、住み込みで働かせることになって、

 

妻と、幼い娘は戸惑ってしまう。

 

自分のテリトリーに、見知らぬ他人が侵入してくる状況…

 

 

しかし、彼は、礼儀正しく、真面目な男だった。

 

家族の警戒心が解け、和やかムードになったのもつかの間、

 

だんだん、おかしなことになっていく…

 

 

 

誰もが、心に「闇」を抱えている。

 

それは、抑圧された「欲望」かもしれないし、

 

得体の知れない「不安」であるかもしれない。

 

 

こうなったら、どうしよう。

 

こうなったら、いいのに。

 

こうしてみたいけど、やるのが怖い。

 

今自分が我慢すれば、丸くおさまるから、言葉を飲み込む。

 

あんな言い方しなくてもいいのに。

 

もっと、こうしてくれたらいいのに。

 

言いたいけど、波風が立つと面倒くさいから、言わない。

 

 

言いたい時に言いたいことを言える関係って、

 

いいのか悪いのか、俺にはわからない。

 

 

ただ、この映画には、すごく「リアル」なものを感じるのです。

 

 

 

 

 

家族がいるから、がんばれる。

 

家族のためだったら、何でもできる。

 

この世で一番大切なのは、家族。

 

一番居心地のいい家庭と、あたたかい家族。

 

 

俺にとって家族は、拷問施設みたいなものだった。

 

子供の頃から俺はずっと囚人で、毎日のように痛ぶられる。

 

静かな時は、嵐の前の静けさでしかなく、

 

一度暴走が始まったら、たちまち業火に焼かれる緊張感が常にあった。

 

 

だから、ハッピーエンドの家族ものを見て感動しても、

 

それは、「羨ましさ」の裏返しでしかなかった。

 

 

俺は、現実には絶対手に入らないものを、映画に求めていたのかもしれない。

 

 

この映画には、妥協がほとんどありません。

 

あたたかく、優しい場面もあるけど、

 

そこがかえって、その奥に潜んでいる「闇」を際立たせる。

 

 

1つだけ、教えておきましょう。

 

この映画には、「赤」が効果的に使われています。

 

情熱の赤。

 

生命力の赤。

 

そして、血の色としての赤。

 

 

画面から感じ取ってみて下さい。

 

どんな人の心にも、宿っている「何か」を。

 

 

 

深田監督の作品は、「ほとりの朔子」しか見ていませんが、

 

あれはまだ、ソフトな方だと思います。

 

こっちは、かなりハードでヘビーなので、覚悟して見た方がよろしい。

 

 

 

人との関係って、実は常に「危ういもの」なんです。

 

長年連れ添った夫婦だからといって、仲がいいとは限らない。

 

幼馴染の親友だからといって、何でも知っているわけじゃない。

 

 

この人だから、言えること。

 

この人には、言えないこと。

 

大切な人だからこそ、言えないこともあるし、

 

嫌な奴だからこそ、平気で言えることもあるのです。

 

 

していいこと。

 

してはいけないこと。

 

やりたいこと。

 

やりたくないこと。

 

衝動的に、してしまうこと。

 

衝動買い。

 

衝動的な暴力。

 

 

魔がさす。

 

我にかえる。

 

 

怒り。

 

悲しみ。

 

後悔。

 

自己嫌悪。

 

 

相手に失望したのか。

 

自分に失望したのか。

 

世の中を恨むのか。

 

運命の残酷さを呪うのか。

 

 

人を拒絶する。

 

自分を拒絶する。

 

人のせいにする。

 

自分のせいにする。

 

 

安心感は、無防備な自分を形成する。

 

災難は、忘れた頃にやってくる。

 

 

この映画で起こることは、日常的にある。

 

人の気持ちがわかろうとわかるまいと、

 

言ってあげた方がいい言葉があり、

 

決して言ってはならない言葉があり、

 

してあげた方がいい行動があり、

 

絶対してはならない行動がある。

 

 

そんなこと、言われなくたって、みんなわかっている。

 

うまくいかなくていくら悩んでも、答えは見つからない。

 

 

 

俺は、この映画に、「奥行き」を感じます。

 

画面に映っていない部分を想像すればするほど、怖いのです。

 

何気ないあのシーンは、何を意味するのか。

 

さっきまで穏やかに会話していた人が、何故急に豹変するのか。

 

狂気を垣間見たと思ったら、「冗談」でもみ消したり…

 

 

 

ああ、冒頭からすでに、壊れている。

 

形は普通に見えても、何か、「異常な空気」を感じる。

 

 

あれはきっと、俺が子供の頃に感じていた感覚かもしれない。

 

「家族」というキーワードで、潜在的に突き刺さっているイメージ。

 

 

この映画は、ヤバイです。

 

気分が悪くなる人が、続出でしょう。

 

後味最悪かもしれないし、見方によっては救いがあると思う人もいるし、

 

その人の「家族観」というものが、露骨に出るでしょう。

 

 

目を背けたい人は、早く忘れた方がいい。

 

そして、平和な日常に、戻って行って欲しい。

 

 

しかし、映画としっかり向き合う心を持っている人は、

 

考えて欲しい。

 

答えは出ない。それはわかっている。

 

でも、ずっとずっと、考えて欲しいのです。

 

 

だって、他人事じゃないんだから。

 

 

「怒り」は、疑うということの本質を突いていた。

 

「少女」は、伝え方の難しさを教えてくれた。

 

そして本作は、境界線の大切さを教えてくれたように思います。

 

 

限界。

 

リミット。

 

耐えられなくなった時に、人の心は、破綻する。

 

明るく楽しかった関係も、簡単に崩壊する。

 

 

ここまでは、大丈夫。

 

でも、それ以上は、無理。

 

 

そこで踏みとどまるか、その先に行くかは、

 

自分で決めることなのです。

 

誰かに言われたからとかじゃなく、

 

最終的には、自分が決めたことなんだから。

 

 

それがわからない人は、悪いことを全部誰かのせいにしちゃう。

 

 

 

色んなことを、我慢し過ぎて、俺は病気になりました。

 

言いたい言葉を飲み込み過ぎて、心に毒がまわりました。

 

 

いつも、いっぱいいっぱい。

 

いつも、生と死の淵を、さまよっています。

 

 

生き残るのは、運がいいのか、悪いのか。

 

死ぬのは、運がいいのか、悪いのか。

 

 

 

この映画で、一番幸せなのは、誰?

 

この映画で、一番かわいそうなのは、誰?

 

この映画で、一番許せないのは、誰?

 

この映画で、一番自分に近いのは、誰?

 

 

 

俺は、個人的に、

 

この映画に出てくる、2人の人物から、「救い」を感じました。

 

それが誰かは、秘密。

 

 

でも、その2人のおかげで、

 

あ、俺って、生きることをそんなに否定しなくてもいいんだ、と思ったのです。

 

 

 

ギリギリのところで、必死にがんばっている人は、すごく印象に残る。

 

周りの人は気づかなくても、俺にはわかる。

 

 

…そういう人が、一番美しいから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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2016-10-16

映画 「少女」

テーマ:邦画

どうしても伝えたいものが、誰の心の中にも、ある。

 

 

湊かなえ原作の映画は、「告白」しか見ていないんですが、

 

これもまた、心の奥を揺さぶるような秀作でした。

 

 

「友情」という言葉は、もう死語のようになっているのかもしれませんが、

 

俺は、たまに使います。

 

男の友情と、女の友情は違う、なんてよく言うけど、

 

俺的には、根っこにあるものは、みんなおんなじだと思っています。

 

年齢差があったり、地域差があったり、性格に差があったり、

 

好みや考え方、行動パターンや趣味に至るまで、

 

「全く同じ人間」というのが存在しないからこそ、

 

組み合わせによって、無限の可能性があると言えるでしょう。

 

 

世の中は、広いようで狭いし、狭いようでいて、案外、広かったりするもの。

 

それを感じさせてくれるのが、「出会い」というものなんですね。

 

 

本作に登場する、2人の女子高生は、お互いに、「何か」を抱えて生きている。

 

それは、他の誰かが何かをしたから変わるというものでもなく、

 

生まれながらに背負った「宿命」のようなものなのかもしれない。

 

 

姿形が違うように、「心の形」もまた、千差万別。

 

ただ、複雑なリアス式海岸のような、フィヨルドのような断片が、

 

時たま、予期せぬ時に、他の誰かにピッタリはまってしまうことがある。

 

 

それは、自分に足りないものをお互いが補完し合うように、たぐり寄せられていく。

 

 

もちろん、完全にフィットするわけじゃないから、どうしても「隙間」ができる。

 

そこを、「風通しがいい」と感じることができれば、そういう関係になるし、

 

密着度を求めれば求めるほど、息苦しくなって、窮屈な関係になる。

 

 

相手がいるわけだから、いつも「同じ気持ち」でいるわけじゃないから、

 

こちらの都合のいい時に、いつも相手が気持ちよく応じてくれるわけもない。

 

 

その苛立ちが、そのもどかしさの度合いが、男女によって多少、違うんですね。

 

 

 

本作には、男性も登場しますが、ほとんど、女子目線の物語です。

 

男性である俺にとって、こういう作品は、大変勉強になります。

 

 

これは、仲のいい友達はもちろん。カップルにもぜひ見てもらって、

 

人の心という「不思議な生き物」について、語り合ってみて欲しい。

 

 

 

何でも思ったことをスラスラと自由に言える人。

 

思ったことがうまく言えなくて、いつも言葉を飲み込んでしまう人。

 

威圧的な人。受け身の人。クールで、人と距離をおく人。

 

その人がそうなったのには、ちゃんとした「原因」があり、「理由」がある。

 

「原因」は「起きた現象」であり、「理由」は、「本人が出した答え」である。

 

 

基本、人の本質は、昔も今も、変わらないと思う。

 

ただ、その時代によって、「出し方」のカラーが流行するだけである。

 

今どきはこうだから、こうすべき。

 

みんなに合わせようとすればするほど、弾かれていってしまう人が出る。

 

 

俺は、弾かれっぱなしの人生を生きてきたので、

 

アウトサイダー的な人に魅力を感じる。

 

「自称アウトサイダー」ではなく、「潜在的なアウトサイダー」に、である。

 

 

俺は、そういう人の本質を、自然に見抜いてしまう。

 

だから、個性豊かな友達が多い。

 

その友達から、色んなことを学んだし、俺も彼らに、何かを提供したかもしれない。

 

 

人は、バランスを取ろうとする生き物であるから、

 

借りは返したくなるし、恨めば仕返ししたくなるし、

 

憎まれれば、心が歪んでしまうし、無理に心を抑え込めば、濁ってしまう。

 

 

平気そうに見える人ほど、いっぱいいっぱいだったりする。

 

悩みなんかなさそうな人ほど、たくさんの苦悩を抱えていたりする。

 

そう感じさせる「何か」があるから、そう「見える」のだ。

 

 

感情移入という観点で言うなら、見ている側も、コロコロ変わるかもしれない。

 

俺は、終始一貫して、ある女の子を、ずっと凝視していました。

 

それが誰かは、秘密です。

 

彼女の演技、素晴らしかった。

 

 

 

アンジャッシュのコジマくんは、黒沢清監督の「トウキョウソナタ」とおんなじキャラ。

 

ああいう役柄が、ピッタリハマる、面白い役者になりましたね。

 

彼には、この路線でぜひ、がんばっていただきたい。

 

 

 

ドロドロ、というわけじゃない。

 

むしろ、ジメジメ…という印象かな。

 

しかしそこは、10代というエネルギッシュな柔軟性で、まっすぐぶち抜いている。

 

 

気持ちよさと、気持ち悪さが同居したような、リアルな虚構を、ぜひお楽しみ下さい。

 

 

 

一番伝えたいことを、一番大切な人に伝えたい。

 

でも、なかなかうまくいかないんですよねえ。

 

 

じゃあ、どうすればいいのか。

 

どうすれば、ちゃんと伝わるのか。

 

 

この映画を見て、あなたなりの答えを探してみて下さい。

 

 

 

…伝わった時は、最高に気持ちがいいものだから。

 

 

 

 

 

 

 

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2016-10-13

映画 「LISTEN」

テーマ:邦画

聞こえないからこそ、聴こえる音があるんだと思う。

 

 

聾唖の人たちが、音楽を楽しんでいる姿をひたすら映し出した、

 

珍しいドキュメンタリー映画です。

 

この作品は、音声が一切ありません。

 

 

劇場で、希望者に耳栓を提供してくれるサービスがありました。

 

せっかくだから、使ってみました。

 

そうしたら、かえってうるさいのなんの。

 

頭蓋骨を通って聞こえる呼吸音や、顔の筋肉が動く音、

 

心臓の鼓動とか、胃腸の動きまでが、大音響で聞こえるのです。

 

 

う~ん、これは個人差があるんだろうけど、俺的にはいらないですね。

 

空調の音とか、人が動く音なんて、全然気にならないし、

 

あるがままの状態で映画を楽しむ方が、気分的に楽です。

 

 

そんなわけで、開始5分で耐えられなくなり、耳栓を外しました(笑)

 

 

 

さて、映画ですが、すごく面白かったです。

 

そして、人間の機能というものの奥深さを学べる、いい教材だと思いました。

 

 

出ている人が、みんな楽しそう。

 

ダンスをしたり、ジェスチャーのような独特の動きで、「音楽」を表現していく。

 

見る人によって、浮かんでくるものが、感じ取れるものが、きっと違う。

 

「伝える」ことの楽しさや喜びを、全身を使って表現している。

 

 

「障害がある」ということは、「別の世界を開く可能性がある」ということ。

 

五感のうち、何かの機能を失うことによって、他の機能はレベルアップするもの。

 

視覚が弱い人は、聴覚と嗅覚と触覚が、鋭くなっていく。

 

聴覚が弱い人なら、人の動きや表情を読み取る能力が磨かれ、

 

周りの空気の動きを触覚で感知して、素早く反応できるようになると思う。

 

 

映画「暗いところでこんにちは」は、嗅覚が全く無視されていたのが笑えたし、

 

映画「ザ・トライブ」では、後ろから来たトラックに轢かれる場面が爆笑。

 

映画「あぜみちジャンピン」や、最近見た「FAKE」は、痛々しかった。

 

 

本作は、アートな映画であると思います。

 

自分の既成概念や、常識やこだわりを捨てて、感覚で楽しんで欲しい。

 

 

人の気持ちや感情なんて、簡単に理解できない。

 

言葉で聞いても、文章で読んでも、伝わらないものは伝わらない。

 

 

たしか、映画「三丁目の夕日」の主題歌を、バンプオブチキンが歌っていて、

 

その歌詞に、こんなフレーズがあったっけ。

 

 

簡単なことなのに どうして言えないんだろう

 

言えないことなのに どうして伝わるんだろう

 

 

 

意図しないことが伝わり、意図したことが伝わらない。

 

よくあることです。

 

「誤解」や「思い込み」が強いと、それが感覚の邪魔をして、

 

相手の気持ちを感じ取る能力が低下してしまう。

 

 

聞く気満々な時は、相手は話をしてくれない。

 

聞きたくない時に限って、相手がガンガン話してくる、なんてことありますよね。

 

 

大切なのは、「気持ちを合わせること」です。

 

これが、簡単なようで、なかなか難しい。

 

 

本作を楽しむポイントとしては、

 

視点を「下げる」のではなく、むしろ「背伸び」して欲しいということ。

 

聴覚を「カット」するのではなく、むしろ「広げて」欲しいということ。

 

 

未知の世界を味わう楽しさ。

 

新しい感覚を開発していく、ワクワク感。

 

 

1時間くらいしかないので、手軽に楽しめる映画です。

 

興味のある方は、ぜひご覧下さい。

 

 

 

「音」の正体って、何なんでしょうね。

 

ああ、俺の知らない不思議なことが、まだまだたくさんあるんですね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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2016-09-21

映画 「怒り」

テーマ:邦画

怒りの刃は、相手も自分も、切り裂いていく。

 

 

シンプルなタイトルであるだけに、深みを感じられる作品でした。

 

個人的には、「悪人」よりもグレードが高いように感じます。

 

ただ、好みが露骨に表れると思うので、万人受けはしないかも。

 

 

東京、千葉、沖縄の3か所で、それぞれの物語が展開します。

 

素性の知れない男と出会い、人生が変わっていく…

 

友達や恋人は、出会いがあるから生まれる関係。

 

お互いを知らないからこそ、もっと知りたいと思うし、知って欲しい。

 

しかし、知られたくないことも、ある。

 

 

誰もが、「何か」を抱えて、生きている。

 

聞かれて簡単に説明できるくらいなら、苦悩したりしない。

 

 

人の気持ちって、簡単には理解できない。

 

自分の気持ちだって、簡単には理解してもらえない。

 

人を信じるのって、簡単なようで、難しい。

 

自分を信じてもらうのも、なかなか難しい。

 

 

人は、わかりやすいものを理解し、信じたいものを信じる。

 

面倒くさいものや、見慣れないものは、とりあえず疑う。

 

信じるよりも、疑う方が楽だからかもしれない。

 

肯定するよりも、否定する方が楽だからかもしれない。

 

 

重たい荷物と、責任は、持ちたくないのが人情だから。

 

 

しかし、そこに愛情や友情が生じてくると、リスクを背負う気持ちが出てくる。

 

好きだから、わかってあげたい。

 

一緒にいたいから、助けてあげたいから、苦しみを減らしてあげたいから…

 

 

そういう相手の気持ちが、心にしみる。

 

相手を失望させたくなくて、どうしても言えないことがある。

 

 

人の話というのは、一気に根掘り葉掘り聞きだすものじゃない。

 

少しずつ、ゆっくりと、咀嚼しながら、理解し合うことが大切だと思う。

 

 

この映画には、実にさまざまな「事例」が出てきます。

 

優しくすること、親切にしてあげることが、

 

必ずしも、相手を喜ばせることにならない場合もある。

 

 

相手のためにと言いながら、実は、自己満足のためだったりもするから。

 

 

 

家族だって、普段からちゃんと話す習慣ができていないと、

 

いざとなった時に、協力し合えない。

 

都合のいい時だけ、命令して言うことを聞かせようというのは、無理。

 

 

所詮、土台がしっかりしていなければ、簡単に崩れてしまうのである。

 

 

言いようのない孤独を背負って生きている者は、感情に敏感である。

 

相手が機嫌悪かったり、イライラしていることを、すぐに察知する。

 

自分が「そこにいてもいい存在なのか」を、常に問うているからなのかも。

 

 

 

逃げ回るように、住所を転々とする人。

 

居場所を求めて、さまよい続ける人。

 

 

映画に出てくる3人の「謎の男」は、たしかに、「何か」を抱えている。

 

そこにたまたま、TVで殺人逃亡犯の指名手配のニュースが流れる。

 

誰かと誰かが似ているかどうかは、見る側の「印象」が大きく影響する。

 

アイドルがみんな同じ顔に見えたり、外国人がみんな同じ顔に見えたり…

 

 

ああ、思い込みって、恐ろしい。

 

差別や偏見も、イメージ操作や刷り込みによる「意図的なもの」が大きい。

 

 

いかにも悪そうな犯人なんて、「サザエさん」くらにししか出てこない。

 

誰が何をどういう風に考えているなんて、誰にもわからないのだ。

 

 

 

世の中は、理不尽に満ちている。

 

知らない人には、付いていかない。

 

危険な場所には、近づかない。

 

よそ者は、警戒されることが多い。

 

あいつが来てから、ろくなことがない、とか言われる。

 

 

成功すれば、妬まれ、失敗すれば、蔑まれる。

 

気に食わない者は、永遠に嫌われるのと同様、

 

本気で好きになった人は、やっぱり一生忘れられないのである。

 

 

冷静に考えることができれば、さほど問題にならないことも、

 

感情が先走ってしまうと、どんどん暴走してしまう。

 

 

だけど、胸を締め付けられるような衝動があるからこそ、推進力になるのだ。

 

本気で愛した人だからこそ、全てを賭けてでも、行動したくなるのだ。

 

「こうしなくちゃ」ではなく、「こうしたい」という気持ち。

 

むしろ、「こうせずにはいられない」というのが本音。

 

 

 

「怒り」の正体は、何でしょう。

 

「悲しみ」でしょうか。

 

「悔しさ」でしょうか。

 

「恨み」でしょうか。

 

「小さなイライラが積み重なった、我慢の限界」でしょうか。

 

 

それはきっと、人によって違うのでしょう。

 

すぐに、怒る人がいれば、

 

滅多に怒らない人もいる。

 

 

「怒り」は、何も生み出さないとかよく言われますが、

 

「怒り」を感じること自体は、悪いことじゃないと思うのです。

 

 

「感情」は、「行動」するための、「推進力」。

 

うまく取り扱えば、より絆が深まるための「きっかけ」になる。

 

 

この映画は、生きる上での、勉強になります。

 

自分が抱えている「怒り」と、しっかり向き合ってみることは、とても大切。

 

 

「怒り」から、目を背けるなかれ。

 

「怒り」の感情を、ごまかすなかれ。

 

 

だってそれは、人が生きていく上で、必要な要素なんだと思う。

 

自分の気持ちに無理矢理蓋をせずに、素直に向き合ってみましょう。

 

取り返しのつかない事態になるまえに、小出しにしていきましょう。

 

 

相手を理解するために、相手の「怒り」に寄り添ってあげる。

 

自分を理解してもらうために、「怒り」に寄り添ってもらう。

 

 

…「怒り」を感じること自体もまた、「生きている証拠」だから。

 

 

 

 

 

 

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2016-08-14

映画 「FAKE」

テーマ:邦画
何もかもなくしたからこそ、新しいものが生まれるのだ。



「シン・ゴジラ」が大ヒットしているようで、喜ばしい限りです。

あの後、休日になるとどうしても落ち着かなくて、

逃げるように、映画館を渡り歩いていました。



正直言って、今の俺は、まともな視点で映画が見られないんですが、

だからこそ余計に、心の奥底にしみてくるものがあるのです。



「fake」とは、「偽物、詐欺師」という意味。


佐村河内守氏は、聴覚障害を持ちながらも、名曲を次々と生み出し、

「現代のベートーベン」と称賛されていたそうな。

しかし、「週刊文春」で、音楽家の新垣隆氏が、彼のゴーストライターとして

18年にわたって作曲をしていたことを暴露。

さらに、佐村河内氏は楽譜を書けない、耳が聞こえると語ったことにより、

状況は一変してしまった…



音楽界のことには疎いので、俺は、彼の存在すら知らなかったんですが、

報道されるイメージで、“そういう人”と認識していました。



その彼を、森達也監督が、ドキュメンタリー映画の題材に選んだ。

これは何やら、すごいものが見れそうだという好奇心で、映画館に行きました。




どうせ空いているだろうと思って行ってみたら、超満員でびっくり。

聞けば、この回は、上映終了後に監督の舞台挨拶があるんだそうな。


うひゃ~ うつ持ちにとっては苦しい。

でも、せっかく見に来たんだから、ここは逃げるわけにいかんでしょう。

逃げるために映画館に来たのに、そこから逃げたくなるってのも変な話ですが。


(20代の頃に見た「ウルフ」で、女300人に立ち向かったことを思い出す)





この映画、かなりすごいです。

森監督にサインしてもらった時にも、直接お伝えしたんですが、

「シン・ゴジラ」と同様に、“痛みを感じる映画”でした。



佐村河内氏という人物を、どういうイメージで捉えるかは、

見る者の感じ方次第だと思います。


ドキュメンタリー映画というのは、素材をありのまま見せて、

強引な誘導やイメージ操作を極力しないのが良作だと、ずっと思っていました。


しかし、舞台挨拶で、森監督が仰るには、

『…ドキュメンタリーというのは、どうしても誘導が入るものなんです。』


なるほど、映画を見るとわかるけど、

途中から、森監督が進行の主導権を握ってしまったようにも感じられます。


でもそれは、映画を見ている観客たちの意識を代表しているのかもしれない。



佐村河内氏は、基本、物静かな男のようです。


それはまさに、大切な音を聞き逃さないように、いつも耳をすませているような…



彼は、全く音が聞こえないわけではなく、

聞こえる音と、聞こえない音があるようです。

もっと厳密に言えば、聞こえやすい音と、聞こえにくい音がある、といった感じ。


例えば、奥さんの声は、聞き取りやすい。

しかし、森監督の声や、来訪客たちの声は、聞き取りにくい。


でも、振動やリズムは、伝わるという。

誰かが何か言ったな、と気づく瞬間もあれば、

全く気づかなくて、返答が来ない時もある。


健常者だって、人の話なんかまるで聞いていない輩がいっぱいいる。

聞こうとして聞いているのか、

できれば聞きたくないのか、

そもそも、関心がなくて耳に入らないとか、

人間の脳は、音を選んで微調整しているのだから。



初対面のイメージというのは、いつまでも残ると思う。


疑いの目で見れば、そういう視点でしか、物事を見なくなる。

好きなものは好きだし、嫌いなものは嫌いなのである。


ここで問題なのは、「自分で考えない」人たち。


みんながいいと言っているから、いいに違いない。

TVでいいと言っていたから、いいものに違いない。

あの人が言うから、この人がおススメだと言うから…


それらはあくまでも、実際に出会うまでの「情報」に過ぎない。

自分で味わって、咀嚼して、感じたことを自分で考えてこそ、

初めて、感性が磨かれるというもの。



人生観が変わる映画というのは、たしかにある。

しかし、厳密には、映画の力を感じ取る能力が自分に備わっているからなんだと思う。


これを見れば、自動的にお手軽に感動できますよ。

そんなインスタントな感動なんて、いらない。



結論から言いますと、

俺は、佐村河内氏が、どんな人なのか、わかりません。

そもそも、本物と偽物の境界線が、わかりません。


ただ、普通の人にはない、何かを持っていること。

普通の人には感じられない、面白い感性を持っていること。

集中力があり、言葉を慎重に選んで発言していること。

人をだまして喜んでいるような、悪人には見えないこと。


それくらいは、わかります。



でも、新垣氏との意思の疎通は、うまくいっていなかったような…

もともとダメだったのか、途中からおかしくなってしまったのか…


映画だって、多くのスタッフがいてこそ、作れるもの。

マンガだって、原作者と絵描きがいる場合はあるし、

音楽の世界だって、レノン&マッカートニーのような共作がある。


どこまでが佐村河内ブランドで、どこからが新垣ブランドなのか。

その境界線が、もともと曖昧だったのか。



例えば、教師と生徒がいたとしましょう。

生徒は大人になって、有名になりました。

教師は、素直に喜ぶでしょうか。

生徒は、教師のおかげだと感謝するでしょうか。


そこを左右するのは、信頼関係だと俺は思うんです。


教師が、「オレのおかげで有名になれた」と言えば、台無しですよね。

生徒が、「もともとオレに才能があった」と言えば、台無しですよね。


だから、イチロー選手の、仰木監督に寄せたコメントが、美しいのです。

潤んだ瞳の向こうに、彼の人柄と、師匠との信頼関係が感じられます。




俺は、思うんです。


共同作業である以上、一緒に仕事をする人との信頼関係は大事。

ましてや、作曲などというデリケートな仕事なら、なおさらのこと。


最初から、うまくいってなかったのか。

途中から、すれ違いが起きてしまったのか。


もともと、連携がうまくいってなかったのか。



映画を見ていると、色んな情景が浮かんでくるんです。

ドキュメンタリーって、“考える時間”がたっぷりありますから。



佐村河内氏ばかりが表に出て、称賛されてばかりでは、

新垣氏が、くそう、面白くねえなあと思うかもしれない。


ゴーストライターという職業をしている友達が東京にいるので、

今度会った時に聞いてみようと思うんですが、

筆者として名前が世に出てる人の中にも、色んなタイプがいるみたいで。



俺が佐村河内氏の立場だったら、共同作業のパートナーとして、

2人で一緒に称賛された方が、気持ちいいように思うのですが、いかがでしょう。


彼の存在なくして、私は作曲活動はできなかった。

今回の曲は、彼のインスピレーションに助けられた部分が大きいので、

ほとんど新垣氏のオリジナルと言っていいと思います。


そのくらいの太っ腹な発言くらい、しちゃっても問題ないんじゃないのかな…なんて。



まあそこは、会社との契約とか、立場とかの都合があるんでしょう。



個人的には、佐村河内氏は、

人を騙すタイプではなく、騙されるタイプのようにも見えました。

(あくまでも、個人的な感想ですよ~)




終盤には、かなりすごいことになります。

内容はお教えできませんが、しっかりと確認して欲しいです。




俺のハンドルネームは、映画「用心棒」の主役から拝借しています。

(ちなみにアイコンの写真は、三船敏郎のフィギュア)


つまり、俺は、ニセモノの侍。

でも、映画の中で名乗ったシーンもまた、嘘の名前っぽかった。


名乗るほどの者じゃないから、適当な名前でごまかす。

名前なんて、そんなに大切なもんじゃないから。



人の名前を覚えるよりも、その人のキャラを覚える方が、俺は得意です。

スナックのおねーちゃんの名前や年齢よりも、

どんな話で盛り上がったかを覚えている方が、気持ちのいい会話ができるから。

(飲み屋では基本、にいさん、ねえさんで話が通じるから問題ない)




本物って、何だろう。

どこからが本物で、どこからが偽物なんだろう。

真実って、何だろう。

どこからが、嘘なんだろう。


小さな嘘をたくさんついて、大きな嘘をごまかす技術がある。

人の評判なんて、噂なんて、そうそうあてになるもんじゃない。



疑うのが好きな人は、一生、誰かを疑い続ける。

信じるのが好きな人は、一生、誰かを信じ続ける。


得をするとか、損をするとか、そういうことじゃない。

自分が感じたことに対して、嘘をついてごまかすのか。

自分の気持ちを素直に言って、ひんしゅくをかってスッキリするか。



俺は、“みんな”に合わせて、嘘の感想を言うのが苦手。

人の話も、反対意見もちゃんと聞くけど、

自分が感じたことを前面否定してまで、“みんな”に迎合することはない。



自分の好きな世界だから、そのスタイルでいい。



この映画でわかることは、そんなに多くない。

しかし、今まで考えてこなかったことを、考え始めるきっかけになる。



わかる人には、ちゃんとわかる。

わからない人は、一生かかってもわからない。

人の気持ちに関心がない人は、人の話なんかちゃんと聞いてないから。



彼は、聞こうとしている。

きっといつも、耳をすませている。


自分の心から響いてくる音を、聴こうとしているのだ。



余計な荷物は、思い切って捨てた方が、スッキリするもの。

何もかも失うと、新しい何かが見つかる。




…迷った時は、心の声に従うべし。








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2016-07-02

映画 「クリーピー 偽りの隣人」

テーマ:邦画
平穏であるということは、いつ壊れるかわからないということでもある。



久々に、黒沢清監督の映画を、劇場で見ました。

相変わらず、五感に訴える演出の腕がお見事。


静かに風が吹く、ゆらめき。

画面の明るさや、粗さを自由自在に操り、“何か”を感じさせる。




「creepy」とは、

①ぞっとする。気味が悪い。 ②這い回る。ゆっくり動く。

という意味だそうです。(アドバンストフェイバリット英和辞典より)



隣人もののサスペンスといえば、

先日、TVドラマ「火の粉」を紹介しましたが、

あれは、後半がグダグダだったので、4話くらいで熱が冷めました。


やっぱり、ユースケサンタマリアは、中途半端に気持ち悪いので、

黒沢監督の「ドッペルゲンガー」とあんまり変わりませんでした。



で、本作の“隣人”は、香川照之!

「ゆれる」「東京シャッフル」の怪演が強烈な印象だったので、

これは嫌でも、期待してしまいます。


「火の粉」は前座で、こちらがメイン。



主演は、西島秀俊。真面目でクールなイメージ。

奥さん役に、竹内結子。清楚で優しいイメージ。



この“おしどり夫婦”が、ある家に引っ越して来ます。

引越しをした理由は、映画をご覧になって確認してみて下さい。


近所にあいさつに回ると、変な人ばっかり…

で、一際怪しいのが、香川照之の家。


西島秀俊は、嫌な奴に振り回される役が、うまいですねえ。

先日見た「女が眠る時」でも、たけし師匠に思いっきりブンブンされてました。


しかし… 香川はやっぱりすげえ!



彼らの演技のぶつかり合いが絶妙なので、観客はどんどん不安になっていく。




一見、穏やかに見える会話の中にも、ドロドロしたものがある。

優しそうな微笑みの向こう側に、憎悪の炎が垣間見える。


どこにでもあることだし、誰にでもあること。



気づかない方が、幸せなのかもしれない。

気づいてあげた方が、被害を最小限に抑えられるかもしれない。



不思議なんですが、

俺は、この映画を見て、「火の粉」という言葉を思い出しました。


香川モンスターは、怒りに満ちています。

それは、本人が自覚していないところで、増大していく。



放っておくと、ギラギラした怪物になってしまう危険性があるんですが、

そこは、黒沢演出。


相変わらず、隙だらけで間抜けなキャラに仕上げているところが、スゴイ。

反撃するチャンスはいくらでもあるのに、

それをためらってしまうのが、人間の脆さでもあるんですよね。



キャスティングで面白かったのは、藤野涼子。

彼女は、「ソロモンの偽証」の印象が強かったんですが、

本作の出演で、役柄の選択肢が広がり、深まったと思います。


真面目そうなあの子が、何故?

どうしてそうなっちゃうの?理由は?


見ている側としては、どうしても、そういうことを考えてしまう。



しかし、実際の人間の行動には、いちいち理由なんてない。

聞かれたら、ああこれは、こういう意味があるんだよ、と、後から言う。


いいことも、悪いことも、無意識でやっているのがほとんどなんです。



川上未映子の「ヘヴン」で読んだ言葉が、俺の中で反芻されていく。




火の粉は、ふりかかるもの。

しかし、“燃える要素”があるから、発火する。


酸素は、それ自体は、燃えない。

しかし、「助燃性」があるから、他が燃えるのを助ける働きがある。



いきなり、「激怒」する人は、まずいません。

少しずつ「怒り」をためていく。


我慢しなくちゃ。

これくらい、辛抱しなくちゃ。

いい大人なんだから、分別をわきまえなくちゃ。



「いい人」を演じるのは、疲れる。

「いい人」を演じ続けると、心が破綻する。



自分の実体験で、それは痛いほどわかります。




この映画には、「怒り」を抱えた人が、たくさん登場します。



くすぶっているものは、熱を持ち、いずれ、発火する。


その瞬間まで、誰にも気づいてもらえない人がいる。

そうなる前に、誰かの言葉で、救われる人もいる。


幸運なのか。

不運なのか。


自分で、そうなってしまったのか。

避けようのない、運命だったのか。



深読みすればするほど、この映画には、恐怖が充満している。



自覚のない暴力は、恐ろしい。

自分が正しいと思い込むことも、恐ろしい。




穏やかな日常に潜む「闇」を、五感で体験して下さい。ぜひ、劇場で。




…自分自身が「異常」であると自覚しているうちは、まだ大丈夫かな。


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