FUJITA'S BAR
2017-02-25

映画 「愚行録」

テーマ:洋画

人はみな、自分独自の世界で生きている。

 

 

先日紹介した小説「微笑む人」が原作であると知って、

 

どうしても見たくなり、新潟で唯一上映している映画館まで行きました。

 

 

なるほど、これは、一般の人には絶対ウケませんなあ。

 

 

俺にとっては、ある意味、癒し効果がありました。

 

人間、きれいごとばかりでは、生き残っていけないから。

 

 

 

いじめも虐待も、嫌がらせも争い事も、決してなくなることはない。

 

そんなこと、みんな薄々わかっているんだけど、

 

それを認めてしまうと、殺伐とした世の中になっちゃう。

 

だから、正しい行いと、愚かな行いを、どこかで区別しないといけないのだ。

 

 

この映画で語られるのは、人の心の「闇」である。

 

 

誰もが、間違った生き方はしたくない、と思うもの。

 

誰も傷つけたくないし、誰からも傷つけられたくない。

 

人に優しくありたいと思うし、人からも優しくされたい。

 

 

「いい関係」は、自分を守ることにもつながっていくから。

 

 

 

さて、本作は、静かに、物語が進んでいきます。

 

淡々と、冷たい空気が、流れていきます。

 

 

おどろおどろしいホラー的な描写も、時折出ますが、

 

全体の空気からすれば、まだ手ぬるいと思えるほどです。

 

 

見る者の感性によって、ヒットする心の場所が、違う気がするんですよね。

 

 

 

はっきり言って、深いです。

 

深く考えれば考えるほど、暗い闇の領域。

 

光が届かない、屈折した、ブラックホールのような世界。

 

 

だから、簡単には表現できない。

 

 

俺の思考力と感性では、まだ探求が不充分ですが、

 

時間をかけて熟成させて、ずっと考え続けたいテーマです。

 

 

 

「愚行」を、広辞苑で調べると、

 

「おろかしい行為。ばかげた行為。」とあります。

 

じゃあ、どういう行為が「おろかしい」んでしょうね。

 

 

自分では「正しい」と思うことが、人によっては「間違い」だったりする。

 

「小さな親切」は、「大きなお世話」になり、

 

せっかくの「好意」は、あからさまな「嫌味」と受け取られる。

 

 

 

似たような言葉で、「愚痴」があります。ついでに調べましょうか。

 

「言っても仕方のないことを、言って嘆くこと。」だそうです。

 

 

なるほど、これは、「答え」がみつからない、エンドレスな憂鬱。

 

ただ、聞いて欲しいだけなのに、無理矢理「答え」を出そうとするから、

 

かえってこじれて、しまいには「説教タイム」になってしまうんですね。

 

 

「愚行」は、実際行っている時は、正しいと思っているんだろうか。

 

俺は、そうは思いません。

 

もし、本気で正しいと思って、それが裏目に出たら、

 

怒るなり、反省するなりの「感覚的な反応」があるでしょう。

 

 

しかし、この物語に出てくる彼らの「行い」は、

 

「無意識」「何となく」であるような印象が強いのです。

 

 

それは、「別にそんなに深く考えてやっていない」ということ。

 

だから、「軽い気持ちでやっただけ」。

 

そこには、「罪悪感」もなければ、「反省点」もない。

 

 

傷ついた相手が、「被害者意識が強い」だけ。

 

心をつぶされた相手が「ひ弱」なだけ。

 

冗談が通じない、面倒くさい人間。

 

 

「悪気がない」から、「自分は間違っていない」と思う。

 

いちいち気にしていたら、生き残っていけない世の中だから。

 

 

この映画を見ていると、だんだんと気分が暗くなっていくかもしれません。

 

見終わった後の印象も、あまりよくないでしょう。

 

 

でも俺は、こういうスタイル、ありだと思います。

 

 

大事なことだから、簡単にきれいに片づけて欲しくない。

 

肝心な部分に蓋をして、隠そうとして欲しくない。

 

 

だから、固唾を飲んで、最後まで、しっかりと見ました。

 

 

不思議なことなんですが、

 

気が滅入るような場面の奥に、

 

何か、心を熱くさせるものを感じるんです。

 

 

精神が冷えていくような描写の隙間から、

 

何かが、燃えたぎった塊りが吹き出てくるような、

 

火傷しそうな感覚にとらわれるのです。

 

 

その正体が、自分でも、よくわからない。

 

 

 

優位に立っている者は、いずれ、そこから転落する時が来る。

 

何をもって「勝ち」「負け」とするかは、ものさしが変われば、全部違う。

 

蹴落とす。足を引っ張る。自慢する。けなす。貶める。

 

人の不幸を笑い、自分が少しでも幸福だと思いたがる。

 

人を馬鹿にして、自分は優秀であると思いたがる。

 

「あの人よりはまし」と、自分に言い聞かせて、生きる力にしていく。

 

 

そうしないと、やっていられないのかもしれない。

 

 

俺の心は、醜いところだらけなので、

 

彼らが、実に自然に、「愚行」を重ねていくのが、何だかすごいと思いました。

 

俺だったら、きっと、耐えられない…

 

 

 

仕方のないこと。

 

他に、方法がなかった。

 

あの時は、そうするのが当たり前だった。

 

そういう雰囲気だった。

 

常識。

 

暗黙のルール。

 

仲間内の、掟。

 

 

思考、停止。

 

感覚、麻痺。

 

罪悪感、欠如。

 

 

 

無邪気に、

 

悪ふざけで、

 

面白がって、

 

遊び半分に、

 

人の心を、少しずつ、殺していく。

 

 

 

俺には、そういう生き方、できるだろうか。

 

もしかしたら、自分でも気がつかないうちに、

 

そういう生き方を、してしまっているんだろうか。

 

 

 

人はみな、

 

自分の見たいものを、見たいように見て、

 

自分の聞きたいことを、聞きたいように聞いて、

 

自分がそう思いたいことを、理由をつけて思い込む。

 

 

そういう「固定された考え」が変わるのは、

 

そうした方が、「自分に利益がある」と思った時だけ。

 

 

一度イメージができてしまったものは、簡単に変わらない。

 

自分のことで忙しいから、いちいち考えていられない。

 

 

 

 

それは、自分で作り上げた世界の中でしか、生きられないからだろうか?

 

いや、違う。

 

そういう生き方の方が、「楽で簡単」だからからじゃないのか。

 

 

 

 

人の話を、よく聞く。

 

人の気持ちを、理解する。

 

人の立場になって、考える。

 

 

子供の頃から教わってきたはずのことが、

 

今の自分に、どれだけできているだろうか。

 

 

「行い」で、人の価値が判断される。

 

「言動」は、その人の心がそのまま出る。

 

 

子供は、大人の真似をする。

 

大人の行為は、子供に反映する。

 

若者たちは、社会の鏡。

 

 

 

賢い者は、上手に生き残る。

 

愚か者は、押し潰されていく。

 

強い者が勝ち、弱い者は負ける。

 

 

しかし、生きていると、色んなことがある。

 

何事も「うまく」いっていた人ほど、いざとなった時に「脆弱」になる。

 

ひどい目にばかり遭っていた人ほど、ここ一番という時に強くなれる。

 

 

誰かの力を利用する能力と、

 

自分自身の底力で、人の心を動かす能力は、根本が違う。

 

 

 

この映画は、

 

人の「弱さ」と「強さ」を、同時並行で学ぶことができる教材です。

 

 

…色眼鏡を外して、心の目で、しっかりとご覧下さい。

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