FUJITA'S BAR
2017-02-21

映画 「虐殺器官」

テーマ:アニメ・特撮

人を殺すのには、理由が必要。

 

 

ようやく勤務を終えたので、映画記事再開です。

 
伊藤計劃アニメ三部作の、一番メインな作品。(これがデビュー作だそうな)
 
はっきり言って、すごいです。今までの中で最高の出来でした。
 
 
人が人を殺すのは、古来からよくあることでした。
 
人は、いつか必ず死にます。
 
死ぬ人は死ぬし、生き残る人は生き残る。
 
ただ、それだけのこと。
 
 
映画の内容は、いたってシンプル。
 
ただ、テーマが深いので、台詞がやたら多いです。
 
会話の内容についていけない人は、眠くなっちゃうかもしれませんが、
 
俺は、常に考えていることの領域なので、楽しく見ることができました。
 
 
誰でも、殺したい相手の1人や2人は、いるでしょう。(いないか)
 
俺は、いっぱいいます。10人以上くらい、いますね。
 
筆頭は父親なので、もう会わないことにしました。
 
たぶん、今度顔を合わせたら、確実に血の雨が降るでしょう。
 
 
 
生物は、他者の命を奪って生きる。
 
奪わなければ、すぐに死んでしまうから。
 
食物を断てば、生きられない。
 
襲い掛かって来る者を倒さなければ、生きていけない。
 
 
殺すことは、実に、自然なことなのだ。
 
 
例えば、熊の親子が撃ち殺されたとしましょう。
 
ある人が言います。
 
『…かわいそうに。もっと他に方法はなかったのでしょうか?』
 
でも、その熊が、自分の子供を殺そうとしたら?
 
熊のために、子供の命を喜んで捧げますか?
 
代わりに、自分が進んで殺されますか?
 
逃げるでしょう?
 
逃げても逃げても追って来たら、誰かに助けを求めるでしょう?
 
そんな時に、熊を傷つけないで、自分を助けて欲しいって言う?
 
自分の大切な人が、殺人鬼に襲われたら、戦うでしょう?
 
力があろうがなかろうが、必死になって立ち向かうものだと思う。
 
 
病原体と戦うための免疫力だって、生命を守るための戦闘システムなんだから。
 
 
 
「殺す」という行為自体は、実に自然なこと。
 
肉を買う時の値段は、「殺し代」が含まれている。
 
野菜だって、果物だって、魚だって、みんな同じ。
 
命をもらうから、いただきます、って言うのです。
 
その命が、自分の生命力というエネルギーに変換されて、生き続けるのだから。
 
 
 
何故、殺すのか。
 
生きていくため。
 
家族を、養うため。
 
 
この映画の中で、印象的な台詞があります。
 
『…仕事だから、仕方がない。』
 
 
これは、便利な言葉だと思う。
 
約束を破った時とか、良心が痛む時とか、理不尽な結果になる時とか、
 
自分に対する言い訳として、実に万能な、魔法の言葉。
 
 
 
先日紹介した本「恋する寄生虫」では、
 
人に寄生する虫が、行動を左右させているという理屈でした。
 
それは、発想としては面白いけど、個人的には、どうも好きじゃない。
 
何もかも、虫のせいにしてしまうのではなく、
 
虫の影響を受けて、そうなってしまうというだけ。
 
そうなってしまう要素が、自分の中にあるから。
 
だから、「蟲師」の物語は好きなんですね。
 
 
俺は、殺したい願望というのは、誰にでもあると思う。
 
殺人犯が、「誰でもいいから殺したかった」というのは、正直な言葉だけど、
 
そういう理由で殺される側は、たまったもんじゃない。
 
人間を襲う熊だって、襲う相手は、誰でもいい。いちいち、選んでなんかいない。
 
ただ、目の前に現れた人間が、不運だったということになる。
 
 
殺される時は、誰でも殺されてしまうし、
 
殺す時は、誰でも殺してしまうのだ。
 
運よく、生き残る者。
 
運悪く、殺されてしまう者。
 
「もっと生きたい」と願う者と、「早く死にたい」と願う者でも、答えは違う。
 
 
 
 
 
映画は、殺す「機能」を持つ「器官」が、もともと人間に備わっているという。
 
それを刺激する「ある方法」を用いて、世界をコントロールできるという。
 
 
俺は、自分自身が、殺人を犯す可能性がある人間であることを、知っている。
 
いつ、どのような状況で、「その機能」が発動するのかは、わからない。
 
 
安全な場所で、安心して暮らせて、健康で長生きできる保証なんて、どこにもない。
 
逃げ場などないし、安住の地もないし、100%信頼できる人間も、皆無。
 
 
自分ですら、信用できないのだから。
 
 
 
この物語は、人類に対する「挑戦状」のように感じます。
 
そこが、面白い。
 
 
普段、こういう領域で思考を巡らせている人には、刺激的な教材となるでしょう。
 
答えは、ありませんから。
 
 
実際に人を殺しても、きっとわからない。
 
実際に殺される状況になっても、わからない。
 
 
ただ、答えに「近づく」ことは、できると思う。
 
生死の現場で働く人には、ぜひ見て欲しい作品です。
 
 
 
「殺したい」という願望は、
 
「助けたい」という願望と、紙一重。
 
 
殺したいから、殺す。
 
殺したいから、殺してもいい理由を探す。
 
殺したくないから、殺さなくてもすむ方法を考える。
 
殺しちゃいけないから、ひたすら我慢して、
 
心が崩壊して、いいように振り回されて、潰される。
 
 
黙って、やられっぱなしになるか。
 
勇気を出して、立ち向かうか。
 
 
 
生きるか、死ぬか。
 
殺すか、殺されるか。
 
 
それは、生き物としての、本能の領域であり、生命の根幹。
 
 
「理由」は、他者に説明するために、必要なだけ。
 
自分が納得したいから、何かのせいにしたいだけ。
 
仕方がなくて殺した、と言わないと、心が崩壊してしまうから。
 
 
野生動物は、腹が減ったら、獲物を襲って、貪る。
 
奴らには、それが自然なこと。
 
 
人間だけが、面倒くさい。
 
 
よほどの理由があって、人を殺す。
 
正当防衛で、人を殺す。
 
恨みをはらすために、人を殺す。
 
ただ、殺したくなったから、人を殺す。
 
 
本能だろうか。
 
能力なんだろうか。
 
反射的な行動プログラムなんだろうか。
 
 
何かで封印されていたものが、突然、動き出すことがある。
 
俺は、自分の中で、そういうことが起きることの怖さを知っている。
 
俺が自殺を考えるのは、
 
殺人をしてしまう自分にブレーキをかけるための、最後の手段だと思うから。
 
(そこの領域は、前作「ハーモニー」で語られています)
 
 
 
人間の能力は、未知数。
 
この映画が切り込んだテーマは、相当奥が深い。
 
だから、永遠に、答えは出ない。
 
 
これを見て、何も感じない人は、幸せなんだろうと思う。
 
でも俺は、この作品に出会えてよかったと思う。
 
得体の知れない、正体不明のモヤモヤが、少し解消された気分だから。
 
 
 
他人事だと思えば、思考は停止。
 
自分のことだと思えば、過剰に反応。
 
 
人間ってやつは、何て難しい生き物なんだろう。
 
 
 
 
殺したかったから、殺した。
 
生きたかったから、生きた。
 
 
…さあ、自分なりの「理由」を考えましょう。
AD
いいね!した人  |  リブログ(0)

桑畑 五十郎さんの読者になろう

ブログの更新情報が受け取れて、アクセスが簡単になります

AD

ブログをはじめる

たくさんの芸能人・有名人が
書いているAmebaブログを
無料で簡単にはじめることができます。

公式トップブロガーへ応募

多くの方にご紹介したいブログを
執筆する方を「公式トップブロガー」
として認定しております。

芸能人・有名人ブログを開設

Amebaブログでは、芸能人・有名人ブログを
ご希望される著名人の方/事務所様を
随時募集しております。