FUJITA'S BAR
2016-07-29

大人の、落ち着いた時間

テーマ:酒&タバコ
気がついたら、1ヶ月も映画に行ってませんでした。


これは、ブログを始めてから、初めてのことかもしれません。

そのくらい、精神的なレベルが低下しているんですね。


療養中の時を思い出すなあ…


人間、何かしら、楽しみがあるからこそ、生きていけるものなんですよね。


悪いことは、全部自分のせい。

いいことは、全部誰かのおかげ。


そういう姿勢でいれば、確かに、波風は立ちません。

しかし、つけこまれると、どんどん立場が悪くなっていきます。


自分なりに、処世術を学んだつもりで、生きてきたんです。

でもそれは、大きな誤りでした。とんだ思い上がりでした。



10代の頃から心をやんだ男の、妄想に過ぎなかったのです。


50間近になって、初めてそのことに気がつきました。

読者の皆様は、俺みたいにならないように、反面教師として捉えて下さい。




さて、6月後半から崩れてしまって、

死の淵をさまよっている状態が続いていますが、

それでも、何かしらの、小さな喜びがあったから、死なずに済んでいます。


それは、運転中にたまたまいい曲がFMで流れたり、

仕事の最中に、面白いことが起きたり、

誰かに、あたたかい言葉をかけてもらったり…


ちょっとしたことで、救われる時があります。

深刻な思考状態を、一時だけ、忘れる時があります。



それは、いいことだろう…

(井上陽水の「傘がない」の歌詞にこんなフレーズがありました)





今月に入って、自分ルールを破っていることがあります。

それは、週イチの休肝日を、守らなくなったこと。



薬の力だけでは、治まらない感情があります。


肉体を酷使する仕事をしていると、

家に帰って、酒を飲むと、ようやくオフモードになります。


俺にとっては、何よりの、安定剤。


酒は、百薬の長と言われますが、

飲み過ぎれば、毒になります。



なまじ、休肝日を守っていると、その前後に飲み過ぎちゃう。

毎日飲んでいる方が、適量でやめられるような気もするんですね。




そんなわけで、映画館にも行かず、DVDさえレンタルしない日々が続きました。



心に栄養が行かなければ、衰弱してしまう。

このままの状態は、よくない。











ここからが、本題です。



2月に開拓したお店「CLUB-R」で、月イチのジャズライブがあります。

じつはこれ、ずっと行っていたんですよね。

毎月、第4水曜に開催されるスケジュールになっていて、覚えやすい。

今月はどうしようかと思ったんですが、やっぱり行って来ました。



バンドリーダーは、アルトサックスのAさん。

ギターのOさん、ドラムのUさん、オルガンのMさんで構成される、カルテット。



6回連続で聴きに行くと、もう「常連」扱いになっちゃうもんですね。


Aさんは、スコッチウイスキーがお好きで、毎回一緒に酌み交わします。

俺より5つ上なので、色々と教えてくれます。

彼もまた、俺に色々と聞いてくれます。


このお店での、俺の立ち位置は、「映画のサントラに詳しい男」。

マスターが、勝手にどんどん宣伝しちゃっているらしい。


だから、この店のカウンターで飲んでいると、

色んな人を紹介されます。



自分の好きな話題で楽しめるのは、幸せなこと。

自分の乏しい知識や経験が、人の役に立つのも、幸せなこと。



映画が好きな人は、基本、音楽が好きです。


俺にとっては、まだジャズは、ほんの初心者レベル。

知らないことがたくさんあるって、きっと、幸せなこと。

教わるのも、教えるのも、

一緒に考えて、新しい領域を開拓するのも、俺は好きです。



きっと、このジャズライブの夜が、

毎月の、俺の密かな楽しみになっているんだと思います。



1ヶ月、映画館に行きませんでした。

でも、ジャズライブは、行きました。

バチは、当たるでしょうか。

楽しんだために、残酷な仕打ちを受けるでしょうか。



楽しむのは、「権利」であると、俺は思います。

妻や娘を見ていると、人生をしっかり楽しんでいるなあ、と感じます。

俺なんかより、楽しむ「才能」があるんですね。



妻は、決して恵まれた境遇ではありませんでしたが、

自由に意見を言うことが許される環境で、たくましく育ちました。


娘が生まれて、まず考えたことは、

俺のような苦しみを、この子に味わせたくない…



俺は、父親としては、世の中的に失格ですが、

可能な限り、娘の心に、いいものを残してあげたいと思っています。

娘はもうすぐ、17歳になります。

俺が17歳だった頃に比べたら、ずっと大人です。

俺はもう、彼女に教えることは、何もありません。

ただ、好きな勉強をさせてあげて、好きな道に行かせてあげたいです。


その一心で、今を生きています。




毎日を、必死で生きて、くたくたになって、

命を削って、見えない恐怖に怯え、死の誘惑と戦って、

今日を生き抜いた褒美として、酒をあおる。



月に一度の、楽しいひととき。


アルトサックスの、メロウな響き。

ギターが冴える、サンタナの「哀愁のヨーロッパ」が絶品。


今月は、新しいレパートリーを演奏して下さいました。


『…桑ちゃんがいつも聴いてくれるから、やってみたよ。』

何て、嬉しいお言葉。



彼らの演奏を聴く時間。

演奏後に、アイラモルトを酌み交わして、語り合う時間。

今回は、ラガブーリンの16年モノ。

常連の、酒屋の店長Tさんが、俺らのために入れてくれたボトルです。



うめえ~




ずっと、

ずっと、

ずっと…


苦しい時間ばっかりだったから。





俺は、

きっと、

どこかで、




生きる理由を、探していたのかもしれない。





早く、命を終わらせてしまいたいという気持ちは変わらないけど、

もう少しだけ、生きるのも悪くないかな…って。



長く生きたいなんて、絶対に思わない。


だけど、

あと数日でいい。


できれば、来月のライブの日まで、

もし許されるなら、

生き残ってみるのも、悪くない。



そう思える、楽しいひとときでした。

もう、味わえないかもしれないけど、

来月まで生き延びたら、

また、彼らに会えるでしょう。




今夜の晩酌は、「フェイマスグラウス」をロックで。

娘さんが描いた雷鳥の絵が、何ともかわいいボトル。


バーボンの「ワイルドターキー」は七面鳥ですが、

個人的には、こっちの雷鳥の方が、俺の好み。



娘が、バイトで悪戦苦闘している話に耳を傾けながら、

静かに飲むのに、ちょうどいいウイスキーです。



熟成されて、味わいが深くなっていく。



音楽も、

映画も、

芸術も、


自分の感性が豊かになっていけば、感じ方が変わる。




がんばって、

もう少し生き延びれば、

新しい世界に、出会うことができる。



俺には、あとどのくらい、時間が残されているんだろうか。

きっと、わからないから、いいんでしょうね。



大人の時間は、至福のひととき。


深く、

静かに、

ゆっくりと、


味わうべし。











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2016-07-28

U-NOTE Ⅱ 「危険信号」

テーマ:ケガ・病気
人は誰でも、危険を察知する能力があります。


それは、明らかな理由がある場合もあれば、

ぼんやりした、何となく…といった場合もあります。



例えば、心霊スポット。

例えば、ヤクザが集まる場所。

例えば、通り魔殺人が多発するエリア。

例えば、熊が出没する山中。



ここに行くと「ヤバい」と思うから、近づかない。

どうしても行かないといけない時は、最新の注意を払う。


それが、人間として当たり前の感じ方だと思います。





今の俺にとっての「危険ゾーン」は、実家なんです。

今の俺にとっての「危険人物」は、父親なんです。



実家の周辺に近づくだけで、強烈な吐き気と、激しい動悸がします。

無理やり実家に行けば、たぶん、息が止まってしまうでしょう。

父親には、絶対会いたくありません。

この世で一番見たくない顔であり、聞きたくない声なんです。


だから、7月10日のあの6時間半は、地獄の業火に焼かれている気分でした。



俺という人間が、この世に生まれたことが、そんなに恨めしいのか。

自分の子供を死に追いやることが、そんなに楽しいのか。

そう疑いたくなるほど、残酷な言葉の波状攻撃…



俺はきっと、自殺することが、最大の親孝行なんだと思います。


父親が何を言っても、「早く死ね」と聞こえます。


もう少しで、死ねたのに。

工業用のカッターナイフで、頸動脈を切ろうと思ったのに。

空の浴槽に入って、ざっくり切ろうと思ったのに。

栓はしたまま。血が流れて排水溝から出たら、

誰かに見つかって通報されてしまう可能性があるから。


そこまで考えたのに、体が…動かなかった。

薬が効いていたせいもあったろう。

連日の激務で、体の機能が低下したせいもあったろう。



受話器を取ることが、できなかった。

留守番電話で怒鳴り散らす「あの忌まわしい声」を、無理やり聞かされ続ける…


はっきり言って、拷問でした。



耳を塞いで、わあわあ言って、のたうち回って、

夕方まで、ひたすら、耐えました。





昨年の11月のあの言葉もひどかったけど、

今回の言葉も、残酷極まりないものだった。


ダメージは、かなり深手…


この傷口が癒えることは、もうないでしょう。

何を言っても無駄だし、話し合いの余地は、もうない。



だから、無理矢理会えば、どうなるかわからない。

最悪の場合は、俺が失神するか、逆上して殺すか。



一番怖いのは、「自分が何をするかわからない」こと。

だから、できることなら、もう二度と会いたくないんですね。



心療内科の先生からは、

父親とは距離を取って、会わない方がいい、と言われています。

だから、極力、会いませんでした。

電話も、直接はしませんでした。


奴と会わないでいると、俺の心は次第に元気になっていきます。

つい最近までは、割といい感じで生活できていました。



ところが、

母の容体が悪化して入院、手術となり、

衰弱が激しいこともあり、たぶん、もう、長くありません。



先日、勇気を出して、2週連続でお見舞いに行ったのに、

父からは、感謝されるどころか、逆に怒鳴られる始末。


俺が何をしても、怒鳴り散らすだけの人。

俺という存在を、とことん憎むだけの人。



もう、奴とやり取りするだけの余力が、俺にはありません。



奴と会うことを、全身が拒否しています。

奴と話すことを、全身が拒否しています。



奴と関わると、危ない。

危険を察知すると、心の中で赤色灯が激しく回ります。




近づくな。

関わるな。


俺の命なんか、もうすでにどうでもいい段階にあるんですが、

それでも、娘の学費を稼ぐために、

もう少し、がんばって働きたい。

(借金もたいぶ減ったけど、まだそこそこ残っているし)




誰もが、いずれ死ぬ運命なんだけど、

もうしばらく、がんばって生きようと思うんです。



そのために、

俺は今、必死で「生きる理由」を探しているのです。




「痛みを感じる」のは、「危険を知らせる信号」なんです。

体の痛みも、心の痛みも。

それを無視したり、いいかげんに扱うと、致命傷になってしまう。




生命力は、著しく低下していますが、

まだ、ゼロになってはいません。



どこまで生きられるか、わかりませんが、

生き残るために、生き抜くために、

最大限の努力は、ちゃんとするつもりです。




危険信号。


それはきっと、命が生きようとしている証拠。





まだ、やれることが、あるはずだから。






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2016-07-25

U-NOTE Ⅱ 「がんじがらめ」

テーマ:ケガ・病気
休み明けというのは、健常者でも重苦しく感じるんでしょうが、

うつ持ちにとっては、鉄ゲタを履いて登山するようなもんです。



昨日の休みは、強い頓服薬と眠剤のおかげで、数時間は熟睡できました。

でも、次々に襲い掛かってくる悪夢に何度もうなされ、

変な汗をかいて、現実に戻って、着替えて、

コーヒー淹れて、ジョージ・ウィンストン聴いて、

少しだけ読書して、またウトウトして…



今の俺は、人間として、正しく機能していません。

だから、言うことも矛盾だらけで、まとまっていません。



でも、

でも、

でも、


それが、大事なんです。



普段だったら、言えないこと。

表立って、言えないこと。

心の中に、隠し持っていること。


それを、ちゃんと「出力」することが、大事なんです。

不器用でもいいから、何かしらの形で、「意思表示」することが、大切なんです。




言いたいことを、自由に言える。

子供の頃から、そういうことが許される環境で育った人には、

子供の頃から、過酷な状況と戦って打ち勝った人には、


どうってことないのかもしれません。



でも、

人には、それぞれ、色々な事情があるのです。



ある人には、たやすいことなのかもしれないけど、

ある人には、とてもしんどいことなのかもしれない。


ある人には、すごくがんばって手に入れた「武勇伝」かもしれないけど、

ある人には、命と引き換えにする覚悟で、やっと乗り越えたことかもしれない。



こうすればいいじゃん。

そう思うこと、感じることは、誰にでもできます。



でも、

それを、実行に移すことが、できる人と、できない人がいるのです。



できる人を、「勇気がある」と言うことは、簡単。

できない人を、「いくじなし」と言うことも、簡単。



1つのものさしで、全部を簡単に測れるほど、人の心は単純じゃないんです。






「がんじがらめ」という言葉は、もう死語でしょうか。



漢字で書くと、「雁字搦め」。

広辞苑では、「精神的な束縛を受けて、身動きのできないさま」と説明されています。

(この話を掘り下げると、飲み屋での下ネタトークになってしまうので、割愛)




うつ病は、自分で自分に、ブレーキをかけ過ぎることによって、発病します。


「いい人」であろうとする。

「優しい人」であろうとする。

「男らしい人」であろうとする。

「強い人」であろうとする。

「誠実な人」であろうとする。

「魅力的な人」であろうとする。

「物静かな人」であろうとする。

「控えめで、目立たない人」であろうとする。

「温厚で、決して怒らない人」であろうとする。




俺は、争いの耐えない環境で、育ちました。

自己主張は一切許されず、個性は叩き潰されました。


黙って従う。

それが、生き残るための、唯一の方法でした。



自由は、幻想。

口ごたえは、死を意味します。

黙って従うしか、生きていく選択肢がなかったのです。








(無意味な言葉を書いたので、35行ほどカットしました)






今の俺は、かろうじて、生きている状態です。


できれば、誰も傷付けたくない。

できれば、誰にも不快な思いをさせたくない。

できれば、誰にもわからないところで、ひとりで乗り越えたい。



今回は、かなり、ダメージが大きいです。

もし、うつがひどい状態だったら、確実に自殺していたでしょう。


このブログの更新は永遠に途絶え、

アメーバからも削除され、闇に埋もれたゴミのような文章になったでしょう。



でも、

残念なことに、俺はまだ、生きています。



だって、

まだ、生きる理由が、

ほんの少し、残っているんだもん。



中途半端は嫌なので、自分なりに納得した上で、この世を去りたいと思うんです。


人間、どうせいつかは死ぬんだから。

それが、唯一の「平等」なんだから。


金持ちでも、

貧乏でも、

死ぬ時は、あっという間なんです。



だから、いつ死んでも悔いがない生き方をするべきなんです。




俺は、今夜で、死んでもいい。

でも、

明日、生きて目覚めたら、また、仕事に行くと思います。



それはきっと


俺という存在に、まだ「使い道」があるということだから。





かつて、好きだったことに、全く興味を示さなくなる。

それが、うつ病。


自分を否定し過ぎて、

自分が楽しむことは、全て罪悪だと思い込んでしまう。




俺は今、

映画館に行きたいという気持ちが湧いてきません。





このままいったら、「映画熱」というブログは、消滅する運命でしょう。

だって、映画を語れなくなったら、俺が俺でなくなっちゃうから。




生まれた時から、不器用なんですよね。



だから俺は、

だから俺は、

だから俺は、

だから俺は、

だから俺は…




「弱い者いじめ」ができないんです。

いじめられる「弱い者」の気持ちが、わかるから。



わかるといっても、ほんの一部なんでしょうが…






俺は、「お調子者」ではありますが、

決して、「自惚れ屋」ではありません。



自分がダメな人間であることは、誰よりも、深く、自覚しています。




俺は、権力とは永遠に無縁な男です。

俺は、裕福とは永遠に無縁な男です。

俺は、成功とは永遠に無縁な男です。




今、

かろうじて、

生きています。





不思議ですね。


何故、神は、俺をさっさと抹殺しないんだろう。



俺を生かしていても、ロクなことがないのに。



ああ、がんじがらめ。

ああ、今夜も、全然まとまらない。



もう、薬を飲みました。



明日も、仕事があるから。

起きられたら、また、出勤するだろうから。



5時半に起きて、仕事に行く。



誰かの、役に立っている。


それだけが、

そのことだけが、


今の俺が、生きる理由です。




身動きできなくても、

少しは、動けるから。



ブレーキが解除できなくても、

それを上回る推進力があれば、少しは進めるから。




…今夜は、もう休みます。



ご縁があれば、またお会いしましょう。








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2016-07-24

U-NOTE Ⅱ 「楽しむことの罪悪感」

テーマ:ケガ・病気
少しだけ、


ほんの少しだけ、


回復してきました。





一日の大半は、不安と恐怖と焦燥の中にいます。

それでも、ちょっとした「いいこと」があると、

ちょっぴり、嬉しく感じるようになりました。


しかし、その反面、「悪いこと」が起こると、

途端に、ひどくすっかり落ち込んでしまうのです。



そんなことって、ずっと昔からあったような気がします。



基本、自分がダメな人間だと思いこんでいる男は、

うまくいかなくて当たり前、と考えます。

それがプラスに作用すれば、堂々としたキャラになれますが、

マイナスに作用すると、どこまでも、ネガティブになっていきます。



子供の頃は、まだ無邪気に笑っていた自分がいたように記憶していますが、

物心ついた頃からは、「自然に笑う」ことが、次第にできなくなっていきました。


俺が楽しそうにすると、機嫌が悪くなる存在がいつも身近にいたからです。






(20行ほどカットしました。見苦しい文章だったので)







いつしか俺は、物事を楽しむことが、怖くなりました。


楽しい時間の後は、必ず嫌なことが起こるからです。

これはきっと、楽しんだから、バチがあたったんだ…と思うようになりました。





だから、楽しみは、密かに、誰もいないところで、ひとりで味わう。

それなら、俺が楽しんだことを、誰も気づかないから。



映画館は、誰にも邪魔されずに、映画を楽しめる避難所でした。

図書館も、誰にも邪魔されずに、読書を楽しめる避難所でした。

(外で遊ばない子はダメだ、と言われていた時代だったけど)




楽しいひとときを過ごした後は、いつも、憂鬱になります。

きっと、今度は、嫌なことが起こるに違いない…


そんな法則はないはずなんですが、

長い年月をかけて、そういう思考が身に付いてしまったんだから、どうしようもない。


楽しい状況が台無しにされた時のショックって、耐え難いものなんです。

穏やかな雰囲気が豹変していく恐怖って、計り知れないものがあるんです。



いつも何かに怯え、ビクビクして過ごさないといけなかった。

だから、感情の振れ幅を小さくして、ダメージを受けにくい工夫をするようになった。



その結果、無表情で、暗いキャラができあがりました。



性格が暗いと、バカにされた時代です。

ネアカがもてはやされ、ネクラはオタクと同義語で、見下されました。



そういう状況の中だからこそ、作品を心でより深く味わう力が、ついていったのかも。


いい映画に出会うと、生きる意欲が湧きます。

いい本に出会うと、考える領域が広がります。



楽しんだぶんだけ、嫌な代償を払うことを差し引いても、

いい映画、いい音楽、いい本、いい絵画から得られる喜びが大きいのです。



そうやって、命をつないできた…


いい映画に出会うと、もういつ死んでもいい、と思う覚悟する反面、

生きていたら、また別のいい映画に出会えるかも、と思う。


心優しい人に出会えて、いい時間を過ごせた時は、

その人と時間を共有できてよかった、いう思いと、

生きていれば、また会えるかも、という思いも交錯する。


ほんの少しでも、「楽しい時間」「生きた時間」を過ごせれば。

はるかに長い「苦痛の時間」「死んだ時間」に耐えられる…



幸せなひとときは一瞬。

地獄の苦しみは一生。


安らぎは、あっという間に、消え去ってしまう。

ただ、その感覚だけ、余韻だけをしっかり覚えておきたい。




冒頭の話に戻りますが、

小さな「いいこと」を感じると、ほんの少し、元気が出るようになってきました。

それは、次の瞬間にはなくなってしまうものだけれど、

それを感じる部分が自分の中にあるということは、

生命力がまだ、残っているということ。



うつ病で、気をつけなければならないのは、

楽しみ過ぎないこと。


うっかり、ハイテンションになってしまうと、

その直後に、必ず、急激な落ち込みがやってきます。



うつの人を励まし過ぎて、元気そうだと安心して別れたら、

その直後に自殺したなんていう話はよくあります。

俺、そのメカニズムがわかる気がするんですよね。



いつも、感情にブレーキがかかっている状態。

いくらアクセルを踏んでも、進みません。

うっかりブレーキを緩めてしまうと、どこに行くかわからない。

ブレーキは、自己防衛本能なんだと思う。



楽しんではいけない。

幸せな気分を味わってはいけない。

目の前にいる人を、楽しませなければならない。

相手を喜ばせて、初めて、ここにいることが許される。

役に立たなければ、見捨てられる。

ありのままの自分は、決して受け入れてもらえない。

自分の意見を言おうものなら、場の雰囲気が崩壊する。

人を好きになってはいけない。

欲望を持ってはいけない。

夢を持ってはいけない。

人から、好かれてはいけない。

過剰な期待を、抱かせてはならない。

どうせすぐに、幻滅されるだけだってことがわかっているから。




毎日、少しずつ、死んでいく。


しかし時たま、もう少しだけ生きようと、もがいている自分がいる。


生きたって、苦痛がほとんどなのに。

人をがっかりさせてばっかりの人生なのに。



少しだけ、いいことがあって、

少しだけ、元気が出て、

少しだけ、微笑んで…



「楽しむ」という行為自体は、「悪い」ことではないのかもしれない。


ただ、人を貶めたり、残虐非道な行為をして楽しむのが悪いんだと思う。

自分の中にも、そういう血が流れていると思うと、悲しくなってしまうけど、

その愚かさに気づいた瞬間から、流れは変わっていくのかもしれない。



それなら、自分なりの、やり方があっていいはず。

俺の血は穢れているけれど、こんな苦悩は、俺の代で終わりにしたい。


娘は今のところ、明るくて社交的な方向に育っています。

俺が死んだら、妻と二人で、強く生きていけるでしょう。

(旧姓に戻れば、俺の父親とは縁が切れるはずだから)



家族というのは、本来、自由に意見が言える関係であって欲しい。

権力を振りかざして、弱い者いじめを公然と行う関係であってはならない。

発言が封印され、好きな道にも進めない、監獄のようにしてはならない。



もっと、俺が、強かったら。

もっと、俺が、しっかりしていたら。

家族の中で一番弱い立場だった俺は、

祖父にも、父親にも、意見を聞いてもらえなかった。


殴り合ってでも、主張すべきだったんだろうか。

怒りに対して怒りで応戦するのは、あまりにも悲しい行為だと思う。

俺はいつも、悔し泣きしかできない、無力な少年だった。



そんな俺が、家庭を持ってよかったんだろうか。


でも、娘が生まれて、希望も生まれて、

3歳くらいまでの間に、もう一生分の親孝行をしてもらって、

この子だけは、自由にのびのびと生きてもらいたい、と思って。



親父の魔の手が、娘に及ばないように、俺がもっともっと、しっかりしなくちゃ。



色んな思いが湧いて、打ち消して、また浮かんで…



ここ1ヶ月くらいの間で、すっかり老け込んでしまったように思う。

体重もたぶん、一段と落ちてしまった。(あばら骨が目立つようになった)




来週は、7日連続勤務の予定。

体がもつかどうかはわからないけど、

家は、安心して休める場所ではなくなったので、

毎日、5時半に起きて、逃げるように、農場に向かう。







疲れています。

でも、体が勝手に動いてしまうのです。



そこに行けば、俺を必要としてくれる人たちがいるから。


まだ、もう少し、やれそうだから。








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2016-07-18

U-NOTE Ⅱ 「もがく」

テーマ:ケガ・病気
もがいています。



この1週間、生きた心地がしませんでした。

でも何故か、不思議なことに、まだ生きております。


俺が早く死ぬことを望んでいる皆様には申し訳ないですが、

今も、のうのうと生き残って… ああ。




耳にこびりついて離れない、残酷な言葉。

いくら人に説明しても、絶対理解してもらえない、この気持ち。


決して癒えることのない、深い傷口…




先週、ひとりで耐えた、あの6時間半の記憶が、

いつまでも、心に突き刺さったままでした。



休日なのに、ほとんど休養にならない3週間を過ごし、

意識が朦朧としている中で、仕事をこなし、

ぼんやりしながら、心の痛みと戦いながら、この1週間を生きました。



土曜は、子豚の移動という大切な仕事があったので、

自ら申し出て、出勤。

幼稚園児を小学校に入学させる行事、と言えば、理解していただけるかと。


新入生たちが、ブヒブヒ言いながら、思い思いの方向に歩く。

そのお尻を追いかけて、誘導する作業は、神経を使います。


出荷も大変ですが、移動もまた、全身汗ビッショリになる、重労働。



肉体労働は、体を動かすことが基本なので、無心になれます。

五感をフルに使うので、バランスよく疲労します。




朝は、体が重い。

でも、条件反射的に、体を起こしてしまう。


7月から9月までの3ヶ月間は、朝7時からの出勤なので、

車の通行量も少なく、交通事故の危険性も少なくて済みます。


今日は休もうか、なんて思っても、

家にいたって、余計に不安になっちゃう。

いつ「襲撃」に遭うかわからないから、逃げるように職場に向かう。



気がついたら、1週間無欠勤でやり過ごせました。

(心療内科に行くのに、2時間ほど私用外出しましたが)



いつもの安定剤よりも、強めのものを頓服薬として、

それから、食欲が乏しいので、胃薬も処方してもらいました。



土曜に出勤したので、日月が2連休。


日曜は、朝から強い薬と睡眠導入剤を飲んで、ずっと横になっていました。

妻は仕事、娘はバイトで、またひとりになるので、

電話線を引っこ抜き、携帯はドライブモードにして、

TVもつけず、音楽もかけず、ひたすら、眠りました。



悪夢をたくさん見て、声を上げて目覚めては、また寝て…

とにかく体が重くて、金縛りになっているような状態でした。


3週間、心の休まる時間がなかったせいかもしれない。


全身が、動くことを拒否しているのに、

思考や感覚は、常に戦闘状態…


これが、うつ病の苦しい一面。



情けなくて、悔しくて、自分が恨めしい。

でも、どうすることもできない。

無力感と絶望感と、孤独と焦燥のなかで、

ただ、もがくだけ。



溺れた時は、もがくと、余計に沈んでしまう。

力を抜いた方が、自然に体が浮くんだとか。


でも、力を抜くことが、できない。

オンオフの切り替えスイッチが、故障してしまっている。


これが、自律神経失調症。



誰かに話すことができれば、いくらかは落ち着くんだろうけど、

話しても、まるで理解されなければ、かえって落ち込むことになる。

それがわかっているから、ひとりで抱え込んでしまう。


「いのちの電話」なんて、いつかけたって、話し中。

俺なんかより、もっと助けが必要な人たちが多いっていうこと。




逃げ場なんて、ない。

ただ、一時的な待避所でいいから、かりそめの駆け込み寺は必要。


最終的には、自分が強くなるしか、生き残る道はないのだから。



発病して、もうすぐ6年。


実に、多くのことを学びました。



今は、家族が協力してくれているから、こうして、生きていられます。

俺が生きていることが、いいことなのか、悪いことなのか、

自分では、よくわかりません。



今の俺の「商品価値」は、家族を養うこと…だけかな。

少なくとも、娘が成人して、自立できるようになるまでは、

がんばって、働かなきゃ。




この2連休は、基本、何もしませんでした。

というか、何もできませんでした。


映画館に行く気も、DVDを見る気も、音楽を聴く気もありませんでした。

少しだけ、本を読んだけど、数ページ読んで、閉じてしまう始末…



何もしたくないし、何もできない。

でも、「何かしなきゃ」という強迫観念だけは、常につきまとう。




そんな風に、もがいています。



ぼんやりと、思うのですが、

「もがく」ということは、

まだ、「生きようとしている」ことの証しなのかもしれません。



俺の命は、まだ、消えていません。


生命力は低下しているけど、まだ、なくなってはいません。



それが、いいことなのか、悪いことなのか、自分ではわかりません。



ただ、何となく、生き残っているだけ。




静かに、かすかに、息をしているだけ。








もう少しだけ、生きなくちゃ。

もうちょっとだけ、がんばらなくちゃ。


そんな「ぼんやりした思い」だけが、かろうじて、残っています。

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2016-07-14

U-NOTE Ⅱ 「地獄の入り口」

テーマ:ケガ・病気
7月10日(日)に、もうすぐで自殺するところでした。


引き金になったのは、例の「あの怒鳴り声」を聞いたから。

まさか、留守電に連続攻撃が入るとは予想していませんでした…




実は先月から、お袋が入院しています。


手術しないといけないんですが、衰弱がひどく、

このままでは体力がもたないので、回復した後に、手術だそうです。


だけど、1回の手術では、終わらない…



あまり細かく書くのは、心苦しいので、このくらいにしときます。




実家とは、すでに絶縁状態。

俺が望んだわけじゃなく、親父が勝手に決めたこと。


『…お前は頼りにならん!もういい!バカヤロー!』


それが、親父が言い放った、最後の言葉でした。

昨年の11月のあの時以来、俺はずっと連絡を取っていません。



会えば、99%の確率で、血の雨が降ります。

主治医にも、「父親とは距離を取った方がいい」と言われているし、

「あなたが倒れたら元も子もない」とも言われている身です。



妻と娘の連携プレーで、つい最近まで、奴と会うことも話すこともなく、

見かけ上は平穏な日々が続いていました。

少し、元気を取り戻しつつあった矢先に、お袋の容態が悪化。


親父には死んでも会いたくないけど、お袋は別。

2週連続で、妻に付き添ってもらって、見舞いに行きました。

(当然ながら、奴のいない時間帯を狙って)



さすがに疲労が重なったので、

唯一の日曜くらいは、薬を飲んで、夕方まで寝ていよう。

妻は仕事、娘はバイトで留守。

ひとりで横になって眠っている時に、静寂は破られました。


あの、独特の怒鳴り声…

残酷で情け容赦のない、凶暴で凶悪な毒舌…


地獄の入り口が、開きました。


修羅場が、始まります。



この戦いに敗れたら、俺は命を落とすでしょう。


親父には、もう、殺意しか感じません。

だから、奴を殺す前に、俺が自死すればいいのです。


殺人よりは、自殺の方がマシでしょ。



あの悪魔のような男の血が、俺の中に流れているかと思うと、

自分の身体を八つ裂きにしたい気分になります。


首吊りは、効率が悪いので、

頚動脈を切って死ぬ方がいいかな、と最近は思うようになりました。


悪い血を流し切って、息絶えるのが一番スッキリするような気がするのです。




まあ、いずれ死ぬ運命なんですが、

今死ぬと、色々と不都合も出てくる。


親父の性格からして、

妻を責めるでしょう。俺を死に追いやったとして。

会社を責めるでしょう。俺をこき使って死に追いやったとして。

損害賠償とか、訴えるかもしれない。



…冗談じゃない!


妻ががんばって防波堤になってくれているからこそ、俺は生きていられる。

娘と一緒に、明るい雰囲気を作ってくれているからこそ、

俺みたいな暗い性格な男が、団欒を味わうことができる。



そして、職場のありがたさ。

留守電攻撃があった以上、もうすでに、自宅は安心できる場所じゃなくなりました。

家にひとりでいて、横になってなんかいられない。

だから、月曜日は、無理矢理体を起こして、出勤しました。

ダメだったら、帰って来ればいい、と。


でも、不思議なことに、農場に行くと、少し、落ち着くんです。

朝イチで、社長と上司に事情を話しました。

動作はのろいけど、仕事させて下さい、と。


豚舎の仕事は、複雑で大変だけど、

体調が悪くても、それなりに、できる。

俺みたいに、気持ちにムラがある男でも、使ってもらえるんです。


『…みんなそれぞれ、色々あるんだよ。』

社長が、よく言われる言葉です。


俺は、調子のいい時と悪い時があるので、不安定な従業員…

でも、社長も上司も、俺の能力を買ってくれています。

俺なんかよりも優秀な人材が、いくらでもいるだろうに、

俺を、クビにしないんです。


仕事は厳しいけれど、ここは、俺の「居場所」なんです。


だから、ここに来ると、安心できる要素があるんです。



発病した頃は、職場がストレスの根源でした。

職場に行かずに休養を取ることが、最優先でした。



でも、今は、違う。



職場に行くことで、心のバランスが取れている。

そのことに、気づいたんです。



だから、会社には、感謝しかありません。


もし、俺が自殺してこの世から去ったら、このブログの文章を証拠にして下さい。



飲み屋の仲間、カフェの常連さんたち、行きつけの美容院の先生…

妻と娘、親友たち、飲み仲間のみなさん、数少ない読者の皆様…


俺がいなくなると、寂しがってくれる人は、たくさんいます。


その、大切な人たちに、黙っていなくなるわけにはいきません。



時間は、まだある。

思考は鈍いけれど、まだ、考える余地はある。

最悪な事態を避けるために、最大限の努力はします。


それでダメなら、しょうがない。潔く、死にます。

でもまだ、ダメじゃないから。


戦いは、これからだから。








休日に、安心して休める場所がないのは、つらい。

まずは、休息できる場所を、しっかり確保しないといけない。



精神科医と相談し、

警察や弁護士など、然るべき機関と連携できるかどうか。

いざとなった時に、協力してくれる人が、いるかもしれない。


まだ、生き残れる可能性はある。



日曜日は、一日中、何も口にできませんでした。

俺の全身が、「食べる」ことを拒否したから。

俺の全霊が、「生きる」ことを拒否したから。



妻と娘が、粘り強く行動してくれました。

本来なら、家族3人で買い物を楽しんでいるはずの予定を変更して、

俺のために、がんばってくれたんです。



日曜の夜、妻が、なめこを入れた味噌汁を作ってくれました。

…この味を、俺は忘れない。



生き残ることは、時として、死よりもつらい時がある。

たしか、「さらば宇宙戦艦ヤマト」の台詞だったかな。


俺は、今までに数十回、精神的に死んでいる男です。



…また、生き残ってしまった。

これは、「七人の侍」の台詞。



映画と共に、血と汗と涙を流し、

映画の中で、生きる意味を見い出してきた。



今は、コンディションが悪くて、映画館に行けません。


映画ブログなのに、病んだ記事しかアップしていないので、

「映画熱」の看板を下ろそうかと、何度も何度も考えました。



でも、俺の体験そのものが、「映画熱」の根源にある。

俺の生き様そのものが、すでに、ドキュメンタリーなんです。



映画の記事だけを書くのなら、誰にでもできる。

しかし、自分の内面をさらけ出して、本音で語れる人は、そう多くない。



俺は、いつ死ぬかわからない男。


『…早く死ねよ』とたまに言われますが、

そんなにせかされなくても、そのうち、死にますから、ご心配なく。






お袋は、少しずつ、死んでいきます。

俺も、少しずつ、死んでいきます。

誰もが、毎日、少しずつ、死んでいきます。


早いか、遅いか。ただ、それだけのこと。




言葉の暴力に苛まれ、苦しんで、苦しんで、苦しみ抜いて、

息絶え絶えになっている人に対して、

俺は、「がんばれ」なんて軽々しい言葉は、言えません。




お袋は、もう充分、がんばった。

彼女はきっと、天国に行けるでしょう。

寿命を全うしたら、あの世で、楽しいところに行って欲しい。



俺は、地獄行きがすでに決まっている男。

少なくとも、今生きているこの世よりは、ましだと思う。




苦しくて、苦しくて、耐えられない。

だけど、もう少しで終わる、と思えば、まだがんばれる。



今日も、精一杯、生きた。

今夜で、死んでもいい。

もし、明日が来るのなら、もう1日だけ、生きてみます。



そんな風に、毎日を生きています。



俺の命なんか、いつ終わってもいい。

49歳のおっさんがいつ死のうが、世の中にとっては、どうでもいいこと。




…疲れています。



ブログで書くようなことではないんだろうけど、

書くことで、思考が整理されていけば、道が開けるかもしれない。



そう思って、あえて、記事にしてみました。





ご縁があれば、また、映画館に行って映画を見て、何か書けるかもしれません。

今は、しばらく、行動不能な状態が続くと思われます。



生命力が低下した時は、無理をしない。


ジタバタしても、しょうがない。



もうすでに、地獄に突入しているんだから。









疲れました。

何もかも。









そろそろ、眠剤飲んで寝ます。


生きていたら、またお会いしましょう。




…また、死に損ねてしまった。次こそは、きっと。














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2016-07-02

映画 「クリーピー 偽りの隣人」

テーマ:邦画
平穏であるということは、いつ壊れるかわからないということでもある。



久々に、黒沢清監督の映画を、劇場で見ました。

相変わらず、五感に訴える演出の腕がお見事。


静かに風が吹く、ゆらめき。

画面の明るさや、粗さを自由自在に操り、“何か”を感じさせる。




「creepy」とは、

①ぞっとする。気味が悪い。 ②這い回る。ゆっくり動く。

という意味だそうです。(アドバンストフェイバリット英和辞典より)



隣人もののサスペンスといえば、

先日、TVドラマ「火の粉」を紹介しましたが、

あれは、後半がグダグダだったので、4話くらいで熱が冷めました。


やっぱり、ユースケサンタマリアは、中途半端に気持ち悪いので、

黒沢監督の「ドッペルゲンガー」とあんまり変わりませんでした。



で、本作の“隣人”は、香川照之!

「ゆれる」「東京シャッフル」の怪演が強烈な印象だったので、

これは嫌でも、期待してしまいます。


「火の粉」は前座で、こちらがメイン。



主演は、西島秀俊。真面目でクールなイメージ。

奥さん役に、竹内結子。清楚で優しいイメージ。



この“おしどり夫婦”が、ある家に引っ越して来ます。

引越しをした理由は、映画をご覧になって確認してみて下さい。


近所にあいさつに回ると、変な人ばっかり…

で、一際怪しいのが、香川照之の家。


西島秀俊は、嫌な奴に振り回される役が、うまいですねえ。

先日見た「女が眠る時」でも、たけし師匠に思いっきりブンブンされてました。


しかし… 香川はやっぱりすげえ!



彼らの演技のぶつかり合いが絶妙なので、観客はどんどん不安になっていく。




一見、穏やかに見える会話の中にも、ドロドロしたものがある。

優しそうな微笑みの向こう側に、憎悪の炎が垣間見える。


どこにでもあることだし、誰にでもあること。



気づかない方が、幸せなのかもしれない。

気づいてあげた方が、被害を最小限に抑えられるかもしれない。



不思議なんですが、

俺は、この映画を見て、「火の粉」という言葉を思い出しました。


香川モンスターは、怒りに満ちています。

それは、本人が自覚していないところで、増大していく。



放っておくと、ギラギラした怪物になってしまう危険性があるんですが、

そこは、黒沢演出。


相変わらず、隙だらけで間抜けなキャラに仕上げているところが、スゴイ。

反撃するチャンスはいくらでもあるのに、

それをためらってしまうのが、人間の脆さでもあるんですよね。



キャスティングで面白かったのは、藤野涼子。

彼女は、「ソロモンの偽証」の印象が強かったんですが、

本作の出演で、役柄の選択肢が広がり、深まったと思います。


真面目そうなあの子が、何故?

どうしてそうなっちゃうの?理由は?


見ている側としては、どうしても、そういうことを考えてしまう。



しかし、実際の人間の行動には、いちいち理由なんてない。

聞かれたら、ああこれは、こういう意味があるんだよ、と、後から言う。


いいことも、悪いことも、無意識でやっているのがほとんどなんです。



川上未映子の「ヘヴン」で読んだ言葉が、俺の中で反芻されていく。




火の粉は、ふりかかるもの。

しかし、“燃える要素”があるから、発火する。


酸素は、それ自体は、燃えない。

しかし、「助燃性」があるから、他が燃えるのを助ける働きがある。



いきなり、「激怒」する人は、まずいません。

少しずつ「怒り」をためていく。


我慢しなくちゃ。

これくらい、辛抱しなくちゃ。

いい大人なんだから、分別をわきまえなくちゃ。



「いい人」を演じるのは、疲れる。

「いい人」を演じ続けると、心が破綻する。



自分の実体験で、それは痛いほどわかります。




この映画には、「怒り」を抱えた人が、たくさん登場します。



くすぶっているものは、熱を持ち、いずれ、発火する。


その瞬間まで、誰にも気づいてもらえない人がいる。

そうなる前に、誰かの言葉で、救われる人もいる。


幸運なのか。

不運なのか。


自分で、そうなってしまったのか。

避けようのない、運命だったのか。



深読みすればするほど、この映画には、恐怖が充満している。



自覚のない暴力は、恐ろしい。

自分が正しいと思い込むことも、恐ろしい。




穏やかな日常に潜む「闇」を、五感で体験して下さい。ぜひ、劇場で。




…自分自身が「異常」であると自覚しているうちは、まだ大丈夫かな。


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2016-07-02

映画 「伽耶子 vs 貞子」

テーマ:アニメ・特撮
ほんとにあった、冗談みたいなコメディホラー誕生。



俺のブログでも、作ったら面白いじゃんってさんざん言っていた企画が、

まさかの、というか、当然の如く、実現してしまいました(笑)



名だたるJホラー監督陣の中で、一番脂がのっている男。

その名は、白石晃士(しらいしこうじ)。


やってくれちゃってますね~



彼の名前を初めて目にしたのは、「呪霊」(2004年)だったと思います。

そして、「ノロイ」(2005年)で、俺的に大ブレイク。


「リング」の中田秀夫監督、「呪怨」の清水監督も、

白石の兄ちゃんだったら、安心して任せられるでしょうな。



「モスラ対ゴジラ」とか、「ドラキュラ対フランケン」とか、

「フレディvsジェイソン」とか、「ウルトラマン対仮面ライダー」とか、

何だか、戦わせたら面白いかも…と考えるものです。



天井裏から、階段をなめるように降りて来る伽耶子。

井戸の底から、ロッククライミングで登って来る貞子。



…さて、どうやって戦わせる?




まさか、あの家に井戸を持って来るわけにはいかんし、

そもそも、あいつらが戦う理由を作らにゃならん。



こういうのは、予備知識なしで見た方がいい。

なるほど、そういうことですか~!


いやいや、それもかなり無理があるでしょーが!



しかし、そこは白石マジック。


彼のムチャクチャなノリで、一気にスクリーンが暴走します。


このテンションでぶっちぎれば、観客は考えるヒマがねえ!




「ほんとにあった呪いのビデオ」「オカルト」「日本のこわい夜」

数々の珍作を量産してきた彼にとって、この程度は朝飯前。



怖さのかけらもないので、安心して、ポップコーン食いながらお楽しみ下さい。




「伽耶」は、韓国の地名として存在します。

でも、日本人的には、「蚊帳」でいきたいですよね。


そこで、商品を提案。


デカい伽耶子と俊雄君がプリントされた、蚊帳を作ってはいかがでしょう?

ズバリ、「伽耶子の蚊帳」。

ブラックライトを当てると浮かび上がる仕掛けにしてもよし。

見てるだけで涼しくなるから、エコでしょ。


ついでに、「貞子すだれ」なんかも、面白い。

髪の毛で編んだ夏蒲団とか、首に巻くひんやり髪の毛とか…


ああ、こういうの考えると、飲み屋トークが盛り上がりますね。



肉食系女子と、超能力女子。

親子連れと、一匹狼。

ストーカー自縛霊と、水もしたたる夜這い女(「らせん」参照)。



…企画を考えるのが、一番楽しそうですね。


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