FUJITA'S BAR
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2016-04-28

映画 「レヴェナント 蘇りし者」

テーマ:洋画
殺せ! 食らえ! …何のために? そんなの知るか!



レオナルド・ディカプリオが念願のオスカーを受賞。

「タイタニック」では、ノミネートすらされず、

スシバーでくだをまいていた彼の怨念が、スクリーンで爆発します。


「revenant」とは、「戻って来た者」「亡霊」という意味だそうな。

彼が演じるのは、実在の人物らしいです。


物語のスタイルは、西部劇ですね。

しかも、マカロニ・ウェスタンのような雰囲気がある。

(タランティーノ監督の「ジャンゴ」にも、ディカプリオが出ていましたね)


予告編ですでにネタバレしていますので、あえて言いますが、

①熊に襲われて瀕死の重傷を負う。

②仲間の裏切りで、息子を殺されてしまう。

③置き去りにされるが、強い復讐を抱いて、行動を開始する…

とまあ、こんなストーリーです。


この映画は、全編、自然光で撮影されています。

テレンス・マリック監督の“マジックアワー”というやつですね。

カメラワークもなかなか凝っていて、臨場感タップリ。

高畑勲監督の「太陽の王子ホルスの大冒険」の冒頭を思い出しました。



この映画には、正義も悪もありません。

あるのは、むき出しのエゴと、生き残る力があるかどうか、だけ。


人は、限界ギリギリで生きていると、感覚が鋭くなっていくものです。

理屈とか、大義名分とか、上官とか、雇い主とか、お金とか、

いざとなったら、追いつめられた人間は、いとも簡単に無視しちゃうんです。


平穏な生活をしている人にとっては、何て理不尽な…という感情が湧くでしょう。

しかし、世の中はもちろん、自然はそんなに甘くない。

今まで運よく生きてこられたからといって、ずっと無事ではいられない。

生まれたからには、絶対死ぬ時が来るんだし、

殺されるかもしれないし、自分が誰かを殺してしまうかもしれない。



アレハンドロ・ゴンザレス・イニャリトゥ監督のスタイルは、

理不尽な状況において、人間の本能がむき出しになる瞬間を描くこと。

悪気はなくても、人を追い詰めたり、見殺しにしたりすることって、あるんです。


普段、お行儀のいいことを言っている人ほど、いざとなると残酷なんですよ。

そして、その行動に都合のいい適当な理屈を、後でくっつけるのです。


あ~ なんて卑怯~

畜生~ なんてズル賢いんだ~


でも、それが現実なんですよね…

そういう意味でも、この映画はリアルだと思います。


俺が注目したのは、トム・ハーディの熱演。

彼は一応“悪役”なんですが、俺は何だか、彼を憎む気にならない。

(まあ、俺の娘が殺されたら、とりあえずぶっ殺すと思いますが)


彼の言うことって、一応、筋が通っていると思うんですね。

あの状況だったら、彼のような男こそ、生き残るんじゃないかな。


一応、ディカプリオが「善」で、ハーディが「悪」。

でも俺としては、どっちもどっちのような…


何となく途中から、悪役の方に感情移入してしまいました(笑)



普段はおとなしい人が、あることをきっかけに、悪の道に突っ走ってしまう。

よくあることです。


善良な人だった人が、不幸な出来事をきっかけに、意地悪な性格になってしまう。

よくあることです。


頼もしいと思っていた人が、いざという時に、全く役に立たない。

優しさの塊のような人が、ある瞬間から、疑心暗鬼になっていく。

いつも笑顔が魅力的だった人が、苦虫を噛んだ顔に変わっていく。


よくあることなんです。



だから、トム・ハーディのキャラが、すごく気になりました。

彼の言動から、彼の過去に何があったかを、想像できるんです。


彼は、根っからの悪党ではない。

それはきっと、全ての人に当てはまることだと思う。


わかりやすい善人などいないし、わかりやすい悪人もいない。



本作は、わかりやすい物語だからこそ、

登場人物一人一人を、掘り下げて考える時間がある。


自分がこれまで生きてきた時間を、画面に当てはめてみて下さい。



トム・ハーディのキャラは、「野火」のリリー・フランキーに似ていると思う。

最初から歪んだ心を持って生まれて来る者など、絶対にいないのだから。


人の心は、いくら取り繕っても、滲み出て来る「何か」がある。


ただ、表面的にだけ見ていれば、退屈な2時間半になるでしょう。

でも俺には、想像力を働かせて考える時間として、ちょうどよかった。



本作には、「教訓」がいっぱい。

精神的に刺激的なシーンもあれば、サバイバル的な面白さもある。


極めつけは、川で魚をつかまえて、生でかじって、むさぼり食う場面。

いいねえ~ スシバーを思い出すでしょうなあ(笑)


彼の悔しがる表情から、憎悪をあらわにした表情から、

うなり声を上げ、体を震わせる、満身創痍のディカプリオ。


たぶん彼は、「自分が背負った罪」に対しても、真摯に向き合っている。

一生拭えない悲しみや怒りを抱えて、ずっと生きて来たのだろう。



トム・ハーディは、出会うべくして出会った、意味深い男なんだと思う。

今村昌平監督の「うなぎ」を思い出しますね。

役所広司がディカプリオで、柄本明がトム・ハーディ(笑)


怒りを素直にぶつけられる相手って、ある意味、大事なんです。


穏やかな会話だけして生きられるほど、人生は優しくないから。






修羅場を生き抜いて、怒りと悲しみを乗り越えて、

一生降ろせない荷物を背負い、一生癒えない傷の苦痛に耐え、

悲鳴を上げている心と体に鞭打って、打ちのめされて、また倒れて…


何のために、生きるのか。

どうして、生きないといけないのか。

仇を討っても、息子は戻って来ないのはわかっているのに。


殺さずには、いられない。

あいつを殺さないと、前に進めない。


そんな「怨念」が、湧き上がってくるような、深い映画です。

まさに、「亡霊」ですね。


最愛の我が子を殺されてしまうのは、自分が殺されるよりも、つらいこと。



改めて、ディカプリオの演技力の凄さを、体感しました。

最優秀主演男優賞受賞、おめでとうございます。


「ブリッジ・オブ・スパイ」の彼が対抗馬でなかったら、

俺は、トム・ハーディに最優秀助演男優賞を獲得して欲しかった。

(そういえば彼って、マッドマックスを演じたんですよね)



男同士のガチなバトルは、昔からある、魅力的な映画の素材。



これは、本能に訴える映画です。


既成概念や、常識は、全て取っ払って見るのがよろしい。



殺したい奴は、容赦なくブチ殺せ!

食うために、生き物を殺して食らえ!


言いたいことを正直にストレートに言い、全部ぶちまけろ!

我慢して辛抱して忍耐しても、解決なんか絶対にしない!



…生き抜くことは、殺戮し続けることだから。





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2016-04-24

メンタルコラム 「光と闇」

テーマ:メンタルコラム
光が当たるものは、見えやすい。

光が当たらないものは、見えにくい。



最近、色の本を読んだり、眼鏡屋の友達と飲んだりして、

視覚に興味を持って考えているせいか、

日常の中で、色んなことを考えています。


NHKの「日曜美術館」は、可能な限り見るようにしているんですが、

今日のカラヴァッジョは、すごくよかった~


光の闇の描き方は、作者によってまるで違う。

フェルメールのタッチは、やわらかく、優しい。

ゴヤは、マッチョできな臭い方向で才能を爆発させました。


カラヴァッジョについては、一種独特のものを感じます。

彼は、ルーベンスとも親交が深かったようですが、

聖書の世界を、自分の感性で面白く捉えていたように思うんですね。




先日紹介した本で、視覚について学んだんですが、

人は、色彩感覚よりも、明暗に対しての感覚が優れているそうな。


明る過ぎたり、暗過ぎたりすると、人は、色が判別しにくいんですね。

夜中に起きた交通事故の目撃者証言なんかで、

車の色を錯覚で覚えていた…なんてことは、よくあることです。

それをトリックのネタにした2時間ドラマとか、ありましたよね(笑)



人は誰でも、見たいものは、もっとよりよく見たい、と思うもの。

反対に、見たくないものは、できるだけ見たくない、と思うもの。


見れば見るほど、もっと好きになって、イメージで「加工」してしまう。

見たくないから、勝手にイメージを増大させて、「加工」しちゃう。


一目惚れとか、忌み嫌って差別とか、この辺りに原因があるような気がするんですよね。



やっぱり、人は、見たいものを見たいし、見たくないものは、見たくない。

もっと言えば、興味あるかないか、好きか嫌いかで、必要度がまるで変わってくる。

好きなものは好きだし、嫌いなものは嫌い。


そこで、考えてみて欲しいんですね。



何故、好きなのか。

何故、嫌いなのか。


それが、自分の感性を客観的に観察するチャンスなんです。



「好み」というものは、誰にでもある。

それが、「情報によって、刷り込まれたもの」であるのか、

「自分の独自の感覚によって、引き起こされたもの」であるのか。


そこが、大事。


TVで言ってたから、とか。

尊敬する人が勧めてくれたから、とか、

親友が紹介してくれたから、とか、

きっかけは、どうでもいいのです。


もちろん、相手の顔を立てるための社交辞令を言うのは、しょうがないでしょう。

しかし、表向きの言葉と、自分が感じた真意は、しっかりと使い分けた方がいい。


そうしないと、そういうことを置き去りにしていると、

自分が持っている「人よりも優れている部分」を、忘れてしまうから。




俺は、今夜の番組を見ていて、解説者が言っていることと、

まるで違う感想を持ちました。


彼の絵は、そのくらい、無限の深さがあるように思うんですね。

番組ホストの井浦新は、言葉を選んで語っていましたが、

絶対、色気のある想像をしていたと思うんですよね。


何度も言いましたが、俺は若い頃に、

あるキリスト教の団体で数年間だけお世話になったことがあります。

聖書という書物は、中身がムチャクチャで、誤解を与えやすい。

だから、解釈が複雑になって、戦争が起こるんだと思うんです。

しょうがない。だって、実際書いた人は「人間」なんだから。


イメージというのは、事実を歪めます。

本当も嘘も、ごっちゃになってしまいます。



人の話を聞く時に、注意しなければならないことは、

第1に、話の「明暗度」を、見極めること。

第2に、話の「色彩」を、見極めること。


俺はまず、この2つをしっかり把握してから、発言します。


上級者なら、「温度」「奥行き」「緊急性」「重要度」を瞬時に判断できますが、

話す側も聞く側も、生き物なので、時間の経過とともに、変化していく。


だから、長時間にわたって人の話を聞くのは、難しいのです。

恋人同士が長く一緒にいると、だんだん面倒くさくなるでしょ(笑)


「いい自分」を見せようとするのは、タイムリミットがあるんですよね。




話が逸れましたが、要は、送信側と受信側の「微調整」が大切、ということです。


人は、相手の話を、100%正確に聞き取ることは不可能だし、

自分が言いたいことを、100%正確に伝えることもも不可能。



絵画は、一瞬の情景を視覚で残す、という観点では、写真と同じですが、

時間をかけて仕上げる、という点が大きく違うと思います。


描いているうちに、時間が経っていくうちに、

「伝えたいもの」が、変わっていくように、俺は感じるんですよね。



例えば、金持ちに依頼されて、肖像画を描いたとしましょう。

モデルが必ずしも、美しい人とは限りませんよね。

しかし、お客様に喜んで欲しいから、かわいらしく描きますよね。

まあ、私ってこんなにきれいかしら、なんて喜んでくれたら、大成功。

あまりにギャップがあり過ぎると、かえって嫌味になってしまうので、

相手の内面の美しさを強調するようなタッチで描けばOK。

ルノワールは、まさに「人を喜ばせる天才」だったんじゃないかと思います。



もちろん、俺の勝手な想像です。

しかし、想像力なしには、美術は楽しめないんじゃないかな。



映画も、そういう面があります。

見た人の気分とか、経験とか、年齢とか、暮らしている環境で、

同じ映画を見ても、感じ方はそれぞれ。


全く同じ感想を持つ人は、存在しない。

もしいたとしたら、それは「誰かに操作された感動」かもしれない。




俺が、口を酸っぱくしていつも言うのは、

「自分の感じ方」を大事にすることです。


感じ方だけは、オリジナルでいい。

ただ、「出力」する時は、相手をよく見て、ものを言えばよろしい。



つまんないものを、無理に褒める必要はないし、

自分が面白いと感じたものを、無理に否定することもない。


わかる人には、少ない言葉ですぐに伝わるし、

わからない人は、いくら説明したって、理解してもらえない。



人気があるのは、魅力があるから。

カルト的な人気を誇るのは、個性にインパクトがあるから。



「みんながいいと言うから」

「TVの人がいいと言っていたから」

「雑誌でイチオシだったから」

「友達がみんな夢中になっているから」


処世術としては、仕方がないけど、

「自分の感覚としては、どうなのか」を、どこかではっきりさせておかないと、

どこかで、精神的に迷子になってしまう恐れがあるんですね。



第一印象って、人ではなく、物にもあります。

それが正しいかどうかは、問題ない。

そう感じた自分を認識することが、何よりも大事なんです。



俺は、ブログを始めてもうすぐ11年になりますが、

悪口を言われたり、否定されることがすごく多かったです。

そのおかげで、「自分は、普通の人と違う」と強く思うようになりました。


それだからこそ、「自分の感覚」としっかり向き合うようになったんですね。



年を食って、若い頃には当たり前にできたことが、だんだんできなくなったけど、

その分、若い頃には感じられなかったことを、感じ取れるようになりました。


でもそれはたぶん、「感じていたけど、あまり深く考えなかった」ことなのかも。



突っ走るだけで精一杯な年頃もあれば、

立ち止まってじっくり考える年頃もあるでしょう。




今は、「味わう」ということを大切にしたい。

感動は、一瞬。

後悔や心残りは、一生。


ためらっているうちに、時間はどんどん過ぎて行く。


思ったこと。

言いたいこと。

伝えたいこと。


せっかく感じた「自分だけのオリジナルな感覚」を、

どうか、おろそかにしないで欲しい。



正直に生きるって、難しい。

素直に言うって、勇気がいる。



でも、自分を押し込めて、閉じ込めるのは、とても苦しいこと。


自分を光らせ続けることは、しんどい。

元気がない時は、暗い自分でいてもいい。

自分にそれを許すことができれば、きっと、人にも優しくなれる。



「光」の対義語は、「闇」。(反対語対象語辞典より)

「影」は、光の当たりが少ないだけで、ちゃんと見える世界。


「影」を「闇」と一緒にしちゃうと、人の心が見えなくなる。

同時に、自分の心も感覚も、埋もれてしまう。



何故、人の視力は、明暗を感じる力の方が優れているのか。

もちろん、生物学的な理由はあるでしょう。

それも含めて、それが「重要な感覚」だからなのではないでしょうか。



生きるために、必要なこと。

生き残るために、必要なこと。

よりよく生きるために、大切なこと。

自分が自分らしく生きるために、必要なこと。



成功に酔った時期もあったし、挫折に苦しんだ時期もあった。

それはきっと、いつか出会う「誰か」に「何か」を伝えるため。


失敗したからこそ、弱い立場で苦悩するからこそ、人の気持ちがわかる。

自分の「闇」と向き合う勇気があればこそ、人の「闇」も理解できる。



見たくないものは、見ない。

聞きたくないものは、聞かない。

考えたくないものは、考えない。

好きなものは好き。

嫌いなものは嫌い。



そういう生き方は、楽かもしれない。

でも、俺は、それだと寂しい。




「理由なんていらない」と言う人は、

「理由なんて、どうでもいい」のかもしれない。


理由は、ちゃんとあるんです。

考えたくない人には、絶対に見えてこない世界なんだろうけど。



俺は、命ある限り、考え続けたいと思います。

結論は、無理に出さなくていい。


今現在において、掴めるだけのものを、

感覚が新鮮なうちに、はっきりさせておきたい。



そのために、このブログは存在します。

それを書き残すために、このブログは続くのです。



…俺の五感が、生きている限り。











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2016-04-21

メンタルコラム 「騒音」

テーマ:メンタルコラム
今日、NHKのニュースを見ていて、悲しくなりました。


被災地を転々としている、ある親子の話。

「子供の声がうるさい」と文句を言われて、いたたまれなくなって移動…

中には理解のある人もいるそうなんですが、

「周囲に迷惑をかけている」と思うと、たまらなくなっちゃうんでしょうね。



俺は、避難所生活をしたことがないからわからないけど、

危険な状況にあればあるほど、幼い者を守ろうとするんじゃないのかな。


よっぽど、憎たらしいガキだったんでしょうか。



最近は、保育園を建設するのにも、周囲の住民から反対が出るらしい。

今どきは、「子供の騒ぐ声」が騒音なんだそうな。





俺が今の住居に引っ越して来た時、道路の向かい側に保育園がありました。

ひとり暮らしだったけど、子供たちの声がうるさいと感じたことはなかったと思う。

むしろ、元気があっていいなあ、と微笑ましい音だったと記憶しています。


お隣に若いご夫婦が引っ越して来て、まもなく出産。

長男の子は、毎晩のように、夜泣きをしていました。

お隣の奥さんとすれ違ってたまたま挨拶をすると、

『…いつもうるさくしてすみません。』と言われますが、俺は、

『…いえいえ、全然気にならないですよ。がんばって泣いてますねえ(笑)』

という感じで答えていたものです。


俺は、家族が言い争う声をさんざん聞かされて育ったので、

罵倒したり、虐待したりする声は嫌いですが、

楽しそうな声や、はしゃぐ声や、子供が騒ぐ声は、むしろ心地いいんです。


保育園の先生の声が、スピーカーから流れます。

『…は~い、みなさん、手を洗ってお部屋に入って下さい。』

ああ、たぶんそろそろ、おやつの時間かな~なんて思って、

よし、俺もおやつにしようか、なんて言ってコーヒーを淹れたり(笑)


夜勤明けで寝ていても、子供たちの声がうるさいとは感じなかったです。

がんばって、のびのび遊んじゃえ~って微笑んだものです。



やがて、俺も結婚して娘が生まれると、お隣には3人の子供がいました。

さらに、もうひとつ隣に新しい家族も引っ越して来て、にぎやかになりました。

娘はひとりっ子だったけど、回りにお兄さんやお姉さんがいたのです。

小学校に一緒に通ってくれて、我が家は大助かりでした。


子供が楽しそうにはしゃぐ声は、俺にとって、癒やしの音です。

迷惑なんて、感じたことない。むしろ、恩恵の方がずっと大きい。



小さい子供を持つお母さんが孤独になってしまうのは、よくない。

ただでさえ子育ては大変なのに、周囲から煙たがられるなんて、


悲しい。

切ない。

かわいそう。


小さい子供を持つお母さんが安心できる「避難所」が必要ですね。

そこへ、スキルを持ったボランティアの人が派遣されれば、最高ですね。



多くの人が集まる場所なら、色んな人がいるはず。

普段、家の中で威張り散らしている輩ほど、機嫌が悪くなっちゃうのかも。


そういう、わがままなクソ野郎どもは、無人島に捨ててしまえ!

静かな場所で、思う存分、ひとりでサバイバルしてみやがれってんだ。



「子供の声がうるさい」なんて言う奴ばっかりになったら、

日本では、子供が育てられなくなっちゃうぞ。



サイレントベイビーになるより、ずっといいじゃん。

ちゃんと会話ができて、遊ぶことができるって、素晴らしいことじゃん。

障害があってじっとしていられない子供もいるし、

声を出さずにいられない子供だっているじゃん。


そうやって、「色んなタイプの人」を身近に感じることによって、

人間としての大事な感性が、純粋に育っていくのだから。



俺が、避難所の責任者だったら、

同じような事情を抱えている人たちをグループ化し、

そこでしかできないコミュニティを作れるように、工夫したいな。


そして、「話を聞いてもらえる場所」を設置します。

大学卒とか、プロの資格なんて、いらない。

今、現場で役に立つ人材を、現地調達すればよろしい。


何か問題が起きた時に、誰が責任を取るのかって?

その時は、俺が辞めればいいだけのことだろ?

馬鹿野郎!今が「問題」なんだよっ!



こういう非常時にこそ、「現場のプロ」が育つのだ。

具合が悪い人は、休んでればいいけど、

少しでも動ける人は、可能な限り、誰かに何かをしてあげて欲しい。


1日に、3人以上、人の話を聞く。とか。

物資の運搬を手伝う。とか。

子育てで大変な親たちのお手伝いをする。とか。



俺だったら、絵のかける人を探して、「紙芝居」とか作って、

子供たちを集めて、俺のオリジナルな物語でも語ってみたい。

(その間、1時間くらいは、親たちが休めるでしょ)


中学生くらいまでの勉強なら見て上げられるから、プチ家庭教師とか。

思春期の奴らを集めて、演劇をやるとか、創作ダンスやるとか。

ただ、じーっとしているよりは、いいじゃん。



子供を持つお母さんには、癒やしと楽しみが必要です。

人は、そんなに強い生き物ではないので、

パワーを出し続けると、疲れてしまいます。


だから、チャージが必要なんですね。


非常事態においては、できる者が、できることをやればいいと思う。

自分より大変な思いをしている人に、ほんの少しだけ、優しくして欲しい。


みんな、疲れているからこそ、

みんな、いっぱいいっぱいだからこそ、


勇気ある「一言」が欲しい。

勇気ある「行動」が欲しい。



俺みたいなアウトサイダーには、何の発言権もありませんが、

もし、その場にいたら、自分のできることを探そうとすると思います。




以上、オヤジの愚痴でした。

いつものように、聞き流して下さい。
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2016-04-20

ハンドルネームが少し変わります。

テーマ:ごあいさつ
今日で、49歳になりました。


38歳でブログを始めた時は、「桑畑三十郎 (もうすぐ四十郎)」でした。

これから1年間、新しい名前で書き続けたいと思います。

(来年までこのブログが存在するかわからないけど)


これから、家族がお祝いしてくれます。

自分が生まれた日を肯定してもらえるのは、とてもありがたいこと。


これまで応援して下さった方々に、感謝申し上げます。


桑畑は、くたびれているけど、まだ何とか生きております。



映画館に通う力がある限り、映画熱はまだ終わりません。

映画の話と、心を病んだ話が並行して進みますが、

どちらも、俺の心から生み出たものなので、

嫌な記事は読み飛ばして、

気に入ったところだけ拾い読みして頂ければ、幸いに思います。


どこかで誰かが俺の文章を読んでくれて、

この映画を見てみたい、と思ってくれたら、それでOK。



今宵は、キリンハートランドビールで、乾杯。

BGMは、ビル・エヴァンスの「サンデイ・アト・ザ・ヴィレッジヴァンガード」で。



皆様も、いい夜を。



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2016-04-19

U-NOTE Ⅱ 「話を聞いてもらえる幸運」

テーマ:ケガ・病気
さっきまで、行きつけのカフェにいました。


いつもは、昼休みに来て、ランチを食ってコーヒー飲んで、

慌しく戻っているんですが、今日は休日なので、ゆっくりして来ました。


時間帯によって、様々な人が訪れます。

いつも陽気な人、寡黙な人、キャラの濃い人…


俺が、映画館と飲み屋が好きなことはみんな知っているので、

ついつい、話し込んでしまいます。

今日は映画には行かず、コーヒーをおかわりして、しばらく座っていました。



ストレスというものは、誰にでもある。

適度なストレスは、前に進むために必要不可欠なものかもしれないけれど、

過剰なストレスは、心も体も破壊してしまう。


若い頃のように、気力も体力もあれば、ダメージを受けても、回復が早い。

しかし、長く生きれば生きるほど、心も体もくたびれてきちゃう。



スポーツをして、発散するのもよし。

ゆっくり散歩して、気分転換するもよし。

おいしいものを食べて、至福のひとときを味わうのもよし。

好きなことに熱中して、嫌なことを一時忘れるのもよし。


しかし、疲れている時は、何もする気力がわかなかったりするもの。

好きなことが、何も手に付かない時もある。


そんな時は、できることなら体を休めて、眠りに落ちるのがよろしい。



でも、精神を病むと、それすらもできなくなります。

眠れなくて、眠ったとしても眠った気がしなくて、

ただ、無意味に時間だけが過ぎて行く…


そういう時は、人と話をするのが一番いい。



当然ながら、会話には、「話し手」と「聞き手」が必要。

「話し方」も「聞き方」も、それなりの技術があると、会話はスムーズになります。


言い方ひとつで、相手が気分よく聞いてくれるかどうかが変わります。

聞き方ひとつで、相手が気分よく話してくれるかどうかが変わります。



相手にちゃんと伝わるように話すって、なかなか難しい。

相手の言葉を正確に聞き取るって、なかなか難しい。


そこは、経験を積んで、学習していくものでしょう。



俺は、20歳になっても、自分の言いたいことがうまく言えなかった。

何を言っても否定される環境にいたこともあって、会話をするのが億劫だった。

しかし、最初の仕事を辞めてからの出会いが、非常に大きかったと思う。


会話のプロフェッショナルたちが、東京にはたくさんいたんですね。


俺は彼らから、たくさんのことを学びました。

話し方と聞き方の基本から、大勢の前でスピーチするレベルまで教えてもらいました。


彼らは、何もかも否定したりしませんでした。

親や学校の先生とは、全然違う生き物だと感じました。

そして、自分がいかに狭い世界で生きていたかを、思い知らされました。



俺は今でも、自分が「ダメな人間」の部類に入る男だと思っています。

それはもう、仕方がない。それが染み付いてしまったのだから。

拭えば拭うほど、どうしても落ちない汚れってあるでしょ。


自分の心がクリアになっていけばいくほど、強烈にそれを感じるのです。





「良質な会話」は、話せば話すほど、盛り上がるもの。

話が膨らんで、もっともっと話したくなって、いつの間にか時間が過ぎちゃう。

そういう話し相手がいる人は、幸運だと思います。


話というのは、誰でもいいというわけにはいかない。

話しやすい人もいれば、話にくい人もいる。

この人になら話せることもあるし、この人には話したくない、という場合も。


そういう意味では、俺の周りには、話を聞いてくれる人がいる。

それは、とってもありがたいこと。


「話す技術」というのは、「聞く技術」と連動していると思う。

一方的では、会話が成立しない。


聞く側が「もっと聞きたい」と思えるような話し方。

話す側が「もっと話したい」と思えるような聞き方。



呼吸は、吐く・吸うの両方の動作がうまく連動しないと、苦しい。

食事は、噛む・飲み込むの両方の動作がうまく連動しないと、苦しい。


味わう。

咀嚼する。

消化して、エネルギーに変換する。


それができないと、力は湧いてこない。



「疲れ」というのは、総合的な言い方だと思う。


エネルギーが足りないのか。

消化不良を起こしているのか。

潤滑油が足りないのか。

各部の連携が、うまくかみ合っていないのか。



「気分が悪い」

「違和感を覚える」

「気持ち悪い」

「苦しい」

「得体の知れない不安感」



勇気を出して、言葉に変換することで、その正体が見えてくる。

正体がわかれば、戦い方も検討できる。


話すことで、解放され、心に余裕ができれば、考える力が動き出す。

聞いてもらえたことで、少しだけ楽になり、荷物の一部を降ろすことができる。



俺は、飲み屋でもカフェでも、

話したい人には、気持ちよく話させてあげたいし、

聞きたがってくれる人には、聞きやすいように配慮したいと思う男です。


(ネットの世界だけは、こてんぱんにやられてしまいましたが)



心を病んで、できなくなったことも多いけど、

心を病んだからこそ、見えてきたことも多い。


この体験はきっといつか、何かの役に立つかもしれない。

そう思って、病と付き合っています。



出会いがあれば、きっとその中に、「気持ちよく話せる相手」がいるかもしれない。

無理して話すのではなく、話さずにはいられない人。


約束しなくても、友達という契約なんかしなくても、

縁があれば、必ずまた会える。


話したいことは、気持ちが新鮮なうちに、早く伝えた方がいい。

「あとで言おう」と思っていたら、時間はどんどん過ぎていく。

いざ話す時には、鮮度がすっかり落ちてしまっているかもしれない。

だからいつも、「今が最後」だと思って、しっかり会話しておく。


あの時、ちゃんと話しておけばよかった、とか、

あの時、ちゃんと聞いてあげればよかった、とか、絶対思いたくないから。


それだったら、話さなきゃよかった、の方がずっとましだもんね。


俺はいつも、「余計な一言」を言ってしまって、怒られます。

その数多くの経験が、俺の心を成長させてくれます。


失敗ばかりの人生ですが、同時に、多くのことを学びました。

だから俺は、人の失敗をこれみよがしに責めません。

弱い立場の人の気持ちが、痛いほどわかるから。




そういえば、今ふっと、思い出しました。


就職活動をしていて、面接の場で受けた質問。

『…あなたのセールスポイントは何ですか?』

俺は確か、毎回、こう答えたものです。


『…粘り強さです。』



限界を越えてしまったために、倒れた経験が2回あります。

1回目はまだ若かったけど、2回目は相当苦しかった。(まだ続いているけど)

家族を養わなくちゃ、という使命感がそうさせたんだと思います。


命を失ってまでやらなきゃいけないことは、そんなにない。

もっと早く引き返していれば、こんなにボロボロにならなかったんだろうな。


そういう経験をしたからこそ、いっぱいいっぱいの人のオーラは、すぐにわかる。

わかっても、どうにもならないことの方が多い。

人を助けられるほど、俺は強くない。



だけど、ほんの少し、話を聞くくらいは、できる。

がんばらずに、肩の力を抜いて、自然に耳を傾ける…


俺の発する言葉は、色んな人の話を聞いた経験から生まれたんだと思います。

人の話を聞くことは、基本的に、楽しい。

人を理解するということは、自分をより深く理解できるようになるということでもある。



一生懸命に言葉を選んで、話してくれる姿は、美しい。

閉ざされていた心が開く瞬間の表情は、とても美しい。

感極まって流す涙も、嬉し涙も、悔し涙も、それぞれに美しい。



人の心は、人の心によってこそ、癒やされる。


元気になれたら、その半分くらいの力で、今度は聞いてあげたらいい。

話をちゃんと聞いてもらえるだけで、人の自然治癒力は、確実にアップしていく。



会話は、生命力のキャッチボール。

会話は、お互いの優れた感受性を発見していく、楽しい作業。

会話は、未知の世界への、精神的な冒険。



…気持ちのいい会話、してみませんか。




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2016-04-19

U-NOTE Ⅱ 「自然治癒力」

テーマ:ケガ・病気
熊本地震で亡くなられた方々の、ご冥福をお祈りします。

被害に遭われた方々へ、お見舞い申し上げます。




日曜日に出荷があって出勤だったので、今日が代休。

勤務時間中の急激な温度変化が10℃以上あると、俺はヘトヘトになっちゃう。

だけど、世の中にはもっともっと大変な思いをしている人がたくさんいるから、

少々のことで、音を上げるわけにはいきませんね。



日常が安定していた人であればあるほど、非日常の不安感は増大。

日常が不安定だった人は、さらに不安が強くなり、恐怖感として増大。


俺の場合は、普段から心配症といいますか、神経過敏なところがあるけれど、

いざ修羅場に出くわすと、意外と冷静に行動することができちゃったりします。


だけど、「予期せぬ事態」が「突然」起こると、やっぱり衝撃は大きい。



そうなる要因としては、「経験値」というものが関係深いでしょう。

『…こんなこと、生まれて初めてだ。』

過去の経験よりインパクトが強ければ、そう感じる度合いも高まる。



越えられる試練があれば、越えるのがとても困難な状況がある。

小さな怪我なら、すぐに回復するし、ダメージも少なくて済む。

しかし、重症だと、回復に時間がかかるし、ダメージも計り知れない。


やっぱり、精神にダメージを受けるのが、一番生命力に影響するんじゃないかと思う。



「心が折れる」という表現がありますが、

心って、そんなに細長いイメージなんだろうか、っていつも疑問に感じます。

「話の腰を折る」という言葉もよく使われるけど、未だによくわからん。

「心がつぶれる」なら、何となくわかりますけどね。


「心が折れそう」だと言う人は、まだ折れていません。

「死にそう」だと言う人は、まだ死んでません。

自分で言葉に出して言えるのは、まだ生命力が残っている証拠。



生き物を相手に仕事をしていると、教わることが多いです。

一番驚くのは、自然回復力。

工場で機械部品を作っていた頃は、不良品は、ただのゴミでした。

しかし、生き物というのは、自分で自分を修復する力があるんですね。


すぐには治らないけど、時間をかければ治っていく。

完全には元に戻らないけど、元に戻ろうとしていく。


その「治りきらない」状態が、味があって、個性的で、面白い。





「元気な人」は、基本、回復が早い。

怪我をしても治りが早いし、瞬間的に落ち込んでも、立ち直りが早い。

前にお話しした「無敵」な状態にあるということです。

つまり、生命力が強い。



友達をたくさん作れるのは、こういう時。

恋人と楽しく過ごせるのは、こういう時。

子育てをがんばれるのも、こういう時。

仕事で大きな成果を上げられるのも、まさにこういう時。



『…こんなになってしまったら、もうお終いだ。』

そう思ったら、それを無理に否定しないで、思い切って肯定してあげる。


せっかく倒れたんだから、その視点でよく、周りを見つめてみることが大事。



パワーがある時に、困難な状況を乗り越えると、それが「自信」になります。

しかし、パワーダウンしている時に、追い討ちをかけるようにショックなことがあると、

人は、いとも簡単に、あっという間に崩壊してしまいます。


『…あきらめたら、そこで試合終了だよ。』

これは、「スラムダンク」の名台詞ですが、俺の場合は、ちょっと違う。


『…あきらめてからが、試合開始だよ。』

何かが終わるということは、何かが新しく始まるということでもある。


『…試合はまだ、終わっていない!』

『…試合はまだ、続いているんだぞ!だから、あきらめらたダメだ!』

それは、「元気が残っている人」の場合だけ。

「がんばれ」って言われて、力が湧いてくるのは、元気な人だけ。


ダメなものは、ダメでいい。

どうにもならないことは、どうにもならない。

俺は、それでいいと思うし、仕方のないことだと思うのです。



「ダメな状況」であることを認めて、そこから「新しい思考」を始める。


俺は、今まで生きてきて、数多くの挫折を味わいましたが、

視点や角度を変えて考えることで、危機を切り抜けてまいりました。



元気な人は、元気でいて欲しい。

がんばれる人は、がんばって欲しい。

疲れた人には、休んで欲しい。

淋しがっている人は、仲間を見つけて欲しい。


同じ目線で、心を開いて話せる人が、すぐそばにいるかもしれないから。

こんな時だからこそ、見えてくる景色が、絶対あるから。



「優しさ」や「ぬくもり」という能力は、こういう時のために備わっている。


無理に、元気にならなくていい。

カラ元気でも出せれば、それはそれでOK。


遠慮しないで、悲しい時は、泣きましょう。

その涙を分かち合える仲間が、きっとどこかにいてくれるはずだから。



好きなメロディを口ずさんで、

好きな言葉を思い出して、

好きな人のことを考えて、

枯れかけた心に、潤いを与えてあげましょう。


少しずつ、ゆっくり。



色んなものを失うと、

本当に大切なものが、ちゃんと見えてきますから。







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2016-04-16

映画 「無伴奏」

テーマ:邦画
くすぶっているところが熱を帯び、導火線が燃え上がる。


原作は、小池真理子の同名小説。

確か、産婦人科の病院で、娘が生まれるのを待っている時に、

「墓地を見おろす家」を読んでいたのを覚えてます(笑)

きっと、原作はもっと面白いんだろうなあ。



主演は、久々の成海璃子。

彼女を初めて見たのは、「雨の町」の幽霊少女でした。

この世の者ではない雰囲気が、すでに瞳の奥に宿っていたように記憶しています。

「神童」の天才ピアニストも魅力的だったし、

「武士道シックスティーン」の剣道少女もかわいらしかった。


彼女も20代半ばになり、大人の女性になってきたかな。

本作では、濡れ場もありますので、彼女のファンはお楽しみに☆



昭和の、学生運動真っ盛りの環境を舞台とした恋愛物語。

若い時って、何でもいいから、「自分をぶつける対象」が必要なんですよね。


主人公は、自己主張したいけど、何をどうしていいかわからない女子高生。

親友たちと一緒に行った喫茶店「無伴奏」で、ある男子大学生と出会います。



くすぶっている者同士が、何となく、惹かれ合っていく…


役者たちの、「目の演技」がとても印象的でした。

成海ちゃんは、真っ直ぐな目をしているので、とても健康的なイメージ。

お相手は… またしても池松壮亮!

こいつ~ オイシイ役柄ばっかりでんなあ。


成海ちゃんのプラスオーラと、池松君のマイナスオーラが、バランスぴったり。

ああ、これは間違いなく、恋に落ちるなあって気がします。


ところが、普通の恋愛映画ではないのです。

池松君の親友として登場するのが、“雷エース”斉藤工。

彼の持つ「怪しい雰囲気」が、画面に独特の匂いを漂わせます。


うは~ この2人は、確実にモテますねえ。


斉藤君は、「欲動」の演技が印象的だったので、

ちいっと嫌な奴…くらいの男の方が、キャラにぴったりハマるのかも。

男オーラがプンプンする斉藤に対して、繊細な池松…

うひゃあ、女性たちはたまりませんなあ、きっと。

(男の俺が見ても、双方魅力的だと思うくらいだから)


この2人の掛け合いが濃過ぎて、主役の成海ちゃんの影が薄くなりそうですが、

そこは大丈夫です。彼女は、落ち着いた存在感がある女優さんですから。


脇役では、成海ちゃんの親友の1人を演じた酒井波湖が面白いと思いました。

彼女の、無機物のような淡々とした話し方、なかなか新鮮でよかったです。

斉藤君の恋人を演じる遠藤新菜は、普通にキュートで、逆に痛々しい。

こんな野郎を彼氏に持つと、女は苦悩するだろうなあ、なんて。



先日紹介した「知らない、ふたり」よりも、もっとドロドロ系です。

R15で、2時間以上あるので、見るのに体力が必要です。


不思議なもので、ギスギスした空気をやわらげるのが、

成海ちゃんの「健全なお色気」でした。

彼女は、黒木華にも二階堂ふみにもない魅力がある。


いいなあ、俺、何だか、彼女を抱いている気分になりました。

成海ちゃんの演技には、「体温」を感じさせる何かがあるんですよね。


考えてみれば、「武士道シックスティーン」を見た時は、

彼女の「汗の匂い」を嗅いだ気分になったものです。

(俺は剣道歴8年だから、ということも関係しているだろうけど)



この映画は、恋愛を経験したことのない人は、わからない部分が多いかも。

人を好きになればなるほど、恋をすればするほど、苦しくなっていく。

そういう心の領域を味わったことがある人は、見て欲しいなと思います。


決して、目を逸らさずに。






「嫉妬」という感情は、複雑である。

男の嫉妬と、女の嫉妬は、やっぱり何かが違うような気がする。

根っこは同じかもしれないけど、現れ方が色々あるから。


好きになると、わざと意地悪したり、冷たくしたり。

本当は優しくしてあげたいのに。

優しく言ったつもりが、誤解されて、相手を不快にさせてしまって、

相手の気持ちがわからなくて、不安になって、もっと理解したくて、

近づけば近づくほど、相手との距離が遠くに感じてしまう。


一緒にいても、寄り添っていても、抱き合っていても、

好きな人の心は、100%自分には向いていない…


自分がこんなに愛しているのに、どうしてわかってくれないのだろう。

最初はあんなに優しくしてくれたのに、どうしてよそよそしいのだろう。


自分を、もっと見て欲しい。

見られるのは恥ずかしいけど、本当はしっかり見て欲しいという願望がある。



恋の、かけひき。


ああ、人間って、面倒くさい。

でも、そこがきっと、美しいんだと思う。



繊細な男は、複雑な感情を秘めているもの。

健全に見える女も、心にドロドロした塊を、抱えているもの。



大人しいからといって、優しいとは限らない。

明るいからといって、思考まで健康とは限らない。


人は誰でも、「心の闇」を抱えているもの。

それがわかっているからこそ、相手の心を大切にしたいと思うはず。


しかし、ある程度まで近づくと、怖くなってしまう。


くすぶっているから、引火して爆発してしまうかもしれない。

心の導火線が暴走し、止まらなくなってしまうかもしれない。


人の心というものは、奥が深くて、きりがない。

深く入り過ぎると、溺れて、身動きが取れなくなる危険性がある。




俺は、愛する人のことを、100%理解できなくていいと思っています。

理解し合えるのは、ほんの一部でいい。

相手の全てはわからないけど、これだけはよくわかる。

それで、充分。


喧嘩しても、そこで仲直りできるし、

そこをお互いに探求していければ、ずっといい関係でいられる。


誰にも、ちょうどいい距離感というものが、確かにある。

心のラグランジェポイントは、人同士の組み合わせによって、全部異なる。


だから、人との付き合い方は、人の数だけ存在するのだ。



「無伴奏」という言葉は、バッハの無伴奏チェロ組曲を思い出す。

ひとりになって、よく考え、自分としっかり向き合い、

ソロで、自分の心と体を奏でていくのだ。



本作のテーマ曲は、「パッヘルベルのカノン」。

俺もこの曲、永遠性があって好きです。

(オススメは、ジョージ・ウィンストンのピアノソロ)



誰かに、恋をしていたら、この映画で何かを学んで欲しい。



自分の「くすぶっている部分」をよく見つめ、

相手の「くすぶっている部分」も、よく見てあげて欲しい。


飢えているから、腹が減る。

乾いているから、潤いが欲しくなる。

寒いから、温まりたくなる。

淋しいから、ぬくもりが欲しくなる…



…くすぶっているのは、生きている証拠だから。




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2016-04-11

メンタルコラム 「夢中になる、ということ」

テーマ:メンタルコラム
昨日の記事で、「ハマる」という言葉を使いましたが、

もうこれって、死語に近いかもしれませんね。


言葉というものは「生き物」なので、時と場合によって、千変万化。

誰かに言ってウケた言葉が、他の誰かに言ったらシラケた、なんてことはよくある。

(う~ん、「シラケる」なんていう言葉も、死語だったりして)



昔の言い方だと、「流行に乗る」になるのかな。

「今、静かなブーム」とか、「マイブーム」とか、「巷で話題の…」とか。

最近だと、「今、これが旬です」「これが最先端」「○○女子が急増」とか。

娘に聞いたら、腐女子の間だと、「沼」という表現があるそうな。


まあ、「今、これにハマっています」という言い方が、自然な言い回しかも。

(これを書いている2016年4月11日の時点において)



どんぐりころころ、どんぐりこ。お池にはまって、さあ大変。

どんぐり君が、キャバクラの一番人気のお池さんにハマって、さあ大変!

金をむしり取られ、デートはすっぽかされ、いつのまにかお店から姿を消した。

そこへ、お嬢(どじょう)が出てきて、こんにちは。

今夜から入りました~新人で~す。坊ちゃん、一緒に遊びましょ☆


これは、飲み屋トークのネタの1つですが、

あんまりハマリ過ぎると暴走しちゃうから気をつけてね、という例え話。




「何かに夢中になれる」って、すごく素敵なことだと思います。

あまりに楽しいから、時間を忘れて熱中してしまう。


俺は、精神病を抱えているので、「楽しみ過ぎない」ように注意しています。

でも、何かに「ハマって」いる間は、嫌な現実を一時、忘れられるから。

それがないと、俺の精神はたちまち崩壊してしまうでしょう。


今日まで生きて来られたのは、感受性の強さがあったからだと思います。



人間は、同じものを見ても、「見え方」が違う。

人間は、同じ音を聞いても、「聞こえ方」が違う。

人間は、同じものを食べても、「おいしさ」が違う。

人間は、同じ人を好きになっても、「愛し方」が違う。

人間は、同じ金額のお金を手にしても、「使い方」が違う。



だから、同じ映画を見ても、感想が違うのは当たり前だし、

同じ景色を見ても、感動する人がいれば、何も感じない人もいる。


それが、当たり前だから。



お金を払ったんだから、楽しまなきゃ損。

せっかく遠くまで来たんだから、もとを取って帰りたい。

ここまでがんばったんだから、最後までやり抜きたい。



趣味とか、特技とか、習い事とかって、「興味を持つ」ことから始まります。

やってみて面白ければ続くし、面白くなければ、やめてしまう。


「ハマる」→「飽きる」

ざっくり言えば、人生は、この繰り返しかもしれない。



「ハマる」ことは、誰にでもできる。

しかし、「ハマり続ける」ことは、ある程度の「努力」や「工夫」が必要。

俺的には、「能動的」か「受動的」かの違いが大きいんじゃないかと思うんですね。



俺の趣味は、映画と音楽と読書です。

中でも映画は、5歳の頃から見続けているので、もう40年以上になります。

映画で使われる音楽で、最近の歌を聞いたり歌ったりしてるわけだし、

映画が面白かったので、原作や関連本を読んで勉強したりするのです。


つまり、自分の好きな世界を広げていくための「努力」と「工夫」なんですね。

映画をより楽しく味わうために、興味を持った情報を積極的に取り入れる。

映画の面白さを言葉で表現し、飲み屋で語ったり、ブログを書いたりする。



映画ブログを始めたのも、自分の世界を広げたかったからだし、

自分の内面を掘り下げて考えることによって、奥行きのある言葉を発掘したかった。

ブログを続けてきたおかげで、自分の好みや個性も明確になってきて、

飲み屋でのトークも、磨きがかかりました☆



人は、いつも、「夢中になれるもの」を探しています。

それは、誰かに強制されたりする類のものではないし、

「そうしなくちゃ」と思ってすることじゃない。


そうしたい。

そうせずには、いられない。

それをやらなくては、自分が先に進めない。


気がつくと、そのことばかり考えている…


その領域。

そこまで行けたら、もう「ハマっている」というレベルではない。


もう、その時点で、「筋に入っている」と言えるでしょう。


興味が湧く限り、続けてみて下さい。

「やんなきゃ」なんて、思わなくていい。

「やりたい」と思う時に、「やりたい度」に応じて、

思う存分、楽しんでみたらいい。



気がつくと、「達人」になっていたりして(笑)






「夢中になること」は、「夢の中」で生き続けること。

今宵、あなたの心が一番欲している方向へ、思いをめぐらせてみましょう。



…生きている限り、そのチャンスは無限にありますから。





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2016-04-10

ドラマ 「火の粉」がスゴい。

テーマ:TV
4月2日からスタートした、フジテレビの深夜ドラマが、昨夜で2回目でした。

これ、なかなか面白いですね~


最近は、TVドラマもあまり見なくなったんですが、

たまたま先週見たら、何だかハマってしまいました。

(きっかけは、木南晴夏が出演しているドラマがスタートすると聞いたから)





ユースケ・サンタマリアは、俳優としては俺的にはイマイチなんですが、

彼の怪しい風貌を最大限に生かして、“正しい使い方”をしていると思います。

(だって、いい人とか演じられると、嘘くせえんだもん)



劇場映画ではないし、これから見ようとする人のために、

今までのあらすじを、サラッとお教えいたしましょう。

(最初から見るつもりの人は、ネタバレがあるので読むのをご遠慮下さい)









隣りの家に、新しい住人が引っ越して来た。


幼い娘を育てている若い母親(優香)は、挨拶に来た彼に、最初は好印象を抱いた。

しかし、少しずつ、“何だか怪しい”と思うようになっていく。

彼は、ひとり暮らしで、庭にドーベルマンを放し飼いにしている。

その犬が、娘に襲い掛かろうとしてしまう。



母親の介護で疲弊している義母を見かねて、彼は家に上がりこみ、

義母の代わりに介護を手伝うようになる。

娘とも仲良くなり、次第に、家族に溶け込んでいく、謎の男…


実は彼は、殺人犯の容疑者として裁判にかけられ、無罪になった男だった。

その判決を言い渡したのは、義父だった…



『…いやあ、偶然ですねえ。まさか先生のお隣に住むことになるなんて。』

怪しい。確実にこいつ、怪しい。


毎晩のように、家でバームクーヘンを焼く男。

その炎が、パチパチと火の粉を飛ばす…


実は彼は、生活には困っていない。

世間での肩身は狭いが、裕福な暮らしぶりである。


優香のダンナは、無職で、ふらふらしている男…

演じるのは、大倉孝二!すげえ、全くそう見える!


このヘタレが、ユースケになつくんですなあ。

就職活動に役立つようにと、スーツをプレゼントしてもらったり、

支払いに困って、多額の金を借りたり…


う~む、もはや、ただの“隣人”ではありませんな。



優香は、自分のポジションをかき回されたような気分になり、イライラ。

彼女の仕事仲間を演じるのが、木南晴夏なんですね。

いいなあ、彼女。優香よりいい演技だと思います。



そして、ユースケの周囲を嗅ぎまわるジャーナリストに、佐藤隆太。

『…あの男に気を許すな。家族をメチャクチャにされるぞ!』

最初はしつこい、嫌な男だと思っていた優香も、何かに気づき始めるのであった。



昨夜は、あらかじめバームクーヘンを用意して(ヤマザキの安いやつ)、

家族で分け合って頬張りながら、楽しんで見ました。


くそう、土曜日の夜に、何でこんなドロドロなドラマを放映してんだ~

これじゃ、日曜の朝がさわやかにならねえじゃん~


今回から新しく始まった「オトナの土ドラ」という枠なんだそうです。

TVドラマと出会うのも、何かの縁ですからね。


しばらくは、土曜の夜に飲みに出るのは控えようと思います(笑)



ユースケ、君がこんなに画面で映えるのは、「ドッペルゲンガー」以来だ!




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2016-04-10

映画 「蜜のあわれ」

テーマ:邦画
恋をする力は、生命力そのものである。



詩人で小説家の室生犀星(むろうさいせい)が、1959年に執筆した小説が映画化。

“おっさんと少女”という組み合わせは、永遠のテーマですなあ。



主人公は、老齢にさしかかった作家。演じるのは、“地獄大使”大杉蓮。

彼の執筆部屋には、赤いドレスを着た「居候の女」二階堂ふみがいます。

実は彼女は、彼が飼っている金魚なんですね~


漫画家の松本零士先生の傍らには、愛猫ミーくんがいましたが、

こちらの先生には、愛魚赤子(あかこ)がいつも寄り添っているようです。


彼女は、自称17歳だそうで、事あるごとに、主人に生意気な口を聞きます。

金魚だけあって、ドレスの尾ひれが、なかなかセクシーでございます。

衣装そのものが、特殊効果みたいで素敵ですな。



セクシーな金魚といえば、ディズニーの「ピノキオ」と「ファンタジア」ですね。

大きなまつ毛と妖艶な流し目に、少年桑畑は魅了されたものです。


「崖の上のポニョ」は海水魚だし、全然かわいくなかったので、

俺にとってはただのホラー映画でした。(ブログ記事を参照)

「ファインディング・ニモ」は、リアル過ぎるデザインだったし、

「さくらん」の金魚も、何だか気持ち悪かったような…うーむ。



もともと金魚は、鮒が先祖で、色んな種を掛け合わせて生まれた、人口生命体。

俺の仕事の養豚だって、先祖は猪ですから。



『…あたしは、人間によって生み出された愛玩具なのよ。』

そんな自己主張が聞こえてきそうな魅力が、金魚にはあると思うのです。




作家という職業は、人一倍想像力が豊かで、感受性も優れている。

だからこれは、幻想の物語と言っていいでしょう。



彼は、女にモテまくりです。

元カノがいて、今カノがいて、家には金魚の赤子が彼の帰りを待ってます。


赤子は、好奇心旺盛な女の子。

オシャレをして出歩くようになり、先生の行動をチェックするようになります。



元カノを演じるのは、真木よう子。

今カノを演じるのは、韓英恵。

二人とも、線の細そうな、かわいらしい役柄です。


赤子は、あどけない健全なお色気を放つ、刺激的な女。

今回は、脱ぎっぷりもいいので、「私の男」より露出度が高いです。

しかし、肝心なところは見せませんので、そこだけ覚えておいて下さい。

考えてみれば、石井監督の「エンジェル・ダスト」に主演した南果歩も、

オールヌードはあったけど、要所は見せなかったなあ。それが彼のスタイルかも。



注目は、芥川を演じた高良健吾と、金魚屋を演じた永瀬正敏。

両者とも、楽しそうに演じていますねえ~



先生の心は、いつも彷徨っています。

繊細で過敏な神経は、柔らかい肌に癒やしを求めます。

女たちは、先生を気遣い、尽くします。

時には、その優しさが、彼を苛立たせることもあります。

それでも彼女たちは、彼のことを想い続けます。



赤子は、男と女の関係について、色々教わります。

彼女もまた、先生の恋人になりたい、と願います。


言葉も発想もストレートなので、しょっちゅうぶつかります。

攻守が目まぐるしく逆転し、言葉の火花がパチパチ。


そうやって、お互いの心を、知っていくんですね。




人は、長く生きると、どうしてもくたびれてくる。

すぐに疲れるし、休んでもなかなか回復しない。

たぶん、「元気」という状態には、もう戻れないのかもしれない。



そんな郷愁が、大杉蓮の表情によく出ている。

子供みたいにジタバタし、若い女につっかかり、甘えて、泣く。



井の中の蛙、大海を知らず。されど、空の青さを知る。

故郷は、遠くにありて思うもの。そして、悲しくうたうもの。



「あわれ」(あはれ)は、広辞苑で調べると、実に色んな意味がありますが、

「感慨、愛情、恋心、同情、人情、慈悲、哀愁」が全て当てはまると思うのです。


「わび、さび」とか、日本語には、奥の深い言葉がたくさんありますね。



年を取るということは、色んな悲しみを背負うとともに、己の業の深さも知り、

知りたくない真実に向き合い、愛を失うことを受け入れねばなりません。



人は、この世に生まれた以上、誰もが「死」に向かって進んでいます。

「死」が身近になればなるほど、人は「生」について考えるようになるもの。

俺は、ブログで「死」を語っていますが、これは、自然な発想なのかもしれない。

むしろ、「死」を遠ざけて、関係ないものとして避ける方が、ずっと不自然。


「出会い」があれば、必ず「お別れ」というものが訪れるのだから。



物語は、生き生きと、そして物悲しく、進んで行きます。

時にはコミカルに、時にはホラーチックに、そして、お色気シーンもたっぷり。


文学を映画化する作業は、なかなか難しいものがあると思いますが、

二階堂ふみは、「ヒミズ」で、流暢にまくしたてる女を演じていますので、

本作の彼女は、何だかわざとたどたどしく見せているようにも感じました。

舌ったらずが、背伸びをして、年上の男をからかって弄ぶような…



甘いひとときは、いつまでもは続かない。

だからこそ、その一瞬が、快感なのである。


火傷するってわかっていても、炎に惹かれて飛び込んでしまう気持ち。

胸が苦しくて、切なくて、気がついたら、好きになった人の腕の中にいた…



水を得た魚のように、美しい娘は、心地よい水音を立てながら、生を泳いでいく。

周りに水がなければ、自ら水を求めて、人の心の中にダイビングしていく。



心には、湿気があるものだから。

潤いがあればあるほど、スムーズに結合できるものだから。



金魚~ え~ 金魚~


…貴女の、居心地のいい水場は、どこですか。









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