FUJITA'S BAR
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2015-08-27

U-NOTE Ⅱ 「心を開く勇気」

テーマ:ケガ・病気
長渕剛の歌で、たしか「カモン・スタンドアップ・ボーイ」だったかな。

『閉ざした心を開けるのも、優しさだし、閉ざした扉を開くのも、勇気なんだ』

という歌詞があるんですよね。


深い。と思います。



土足で心に踏み込んでくる人が必要、なんてことをよく言いますが、

俺的には、それは逆効果だと思っています。


健常者の間で、感情的になってわあわあ言って喧嘩すれば、

お互いにすっきりして、理解し合うこともできるでしょうが、

病んだ心というのは、そんなに単純にいかないシロモノなんです。



無理矢理こじ開けて、強制的に外気に晒し、強い光に当てたら、

その途端に、生命力を失ってしまう命もあるのです。


全てを、自分独自のものさしでしか測れない人は、

すでに、脳細胞が死んでいるんだと俺は思います。


オマエの言ってることはさっぱりわからん、としか言えない人。

どうしてオレの言う通りにできないんだ、と、相手を責めてばかりいる人。

こういうウスラバカどもには、一生かかっても理解できないでしょう。


もちろん、理解してもらえるために、最大限の努力はします。

相手にわかりやすく、丁寧な言葉を使って必死に説明するんです。


でも、やっぱり、無理な人には、無理なんです。



話す、ということは、人間として、とても大切な行為。

人間が、人間らしく生きるための、第一歩なんです。


でも相手が、理解しようという気がなかったら…?

キャッチボールをするのに、全く受ける気がなかったら?

投げるばっかりで、取ろうという気がなかったら?

受けて、投げ返すんじゃなくて、打ち返してばっかりいたら?


そういう乱暴な人が、すごく多いんです。


強い人の前だとヘコヘコするのに、

自分より少しでも弱い人を見つけると、見下してしまう人…


そういう輩が身近にいると、

敏感な心を持っている人は、影響を受けてしまうんです。


それが、わからない人が、実に多い。


こんな世の中では、心を閉ざす人が増えても、不思議じゃない。




でも俺は、

どんな状況にあっても、

最後まで、心を開ける相手を探します。



100人に打ち明けて、99人に否定されても、

肯定してくれるたった1人を、いつまでも探します。



その理由は、

心を開くことが、気持ちいいから。


心を閉ざすことは、基本、気持ち悪いのです。


一時的に、自分を守るためには、それも重要かもしれない。

でも、ずっとずっと長い間それでは、心が疲れてしまう。

それは、楽なようでいて、実際、苦しいものなんです。



人は、飲食物を全く摂らないと、干からびて死んでしまいます。

それと同じように、心も全く栄養を摂らないと、弱ってしまいます。


心の栄養の源は、コミュニケーションです。




心が循環するためには、一方通行じゃ不充分なんです。

話をして、聞いてもらって、その上で、相手の話を聞く。

その場合、自分の話がちゃんと伝わっているか、

相手の話をちゃんと聞けているか、セルフチェックが必要となります。



俺が思う「基本」は、

いっぱいいっぱいな人の話を聞くのが、最優先。

俺は、自分が大変な状況にいる時でも、

自分より大変な人を目の前にしたら、とりあえず聞き役に回ります。

そうしないと、その人が、壊れてしまうから。

そんな人に、俺の話を聞かせるのは申し訳ないから。


だけど、自分が限界な時は、それもできなくなります。

そういう時は、ひとりになります。



会社で嫌なことがあって、ストレスで押し潰されそうな時、

俺は、まっすぐ家には帰りません。

家族にあたってしまうのが嫌だから。


どこかで時間をつぶして、落ち着いてから、帰宅します。

飲んで帰ってもいい。

映画館に行ってもいい。

レンタルショップにダラダラいてもいい。


俺は、弱い立場の者に八つ当たりするのが、たまらなく嫌なんです。

もし自分がそんなことをしたら、自己嫌悪になってしまう。

そういうストレスが、一番始末が悪いんですね。

それを知っているから、弱い者いじめができない。


だけど、「弱い者」のふりをして毒を吐く卑怯者は、拒絶します。

俺は、無抵抗の者には危害を加えないけど、

「攻撃」してくる者には、それなりの「反撃」をしますから。


俺は、そんなに優しくないんです。

むしろ、嫌な人間だと自分では思っています。



勝手に勘違いして、俺を見下してかかってくる奴らには、

そういう相手にふさわしい態度を取ります。

そうしないと、永遠にナメられたまま終わるから。




心というのは、簡単には開けない。

固く閉ざしていればいるほど、開くのには、苦痛がともなうもの。


それをわかっている人であれば、言葉をちゃんと選ぶはずだから。


俺は以前、多くの人と接する仕事をしていたことがあります。

その時に学んだことは、一生の宝物だと思っています。


コミュニケーション能力というのは、

最終的に、その人のスキルとして、いつまでも残るものなんです。



裏切られた経験。

騙された経験。

踏みにじられた経験。



悔しいこと。

切ないこと。

満たされないこと。


寂しい気持ち。

苦しい気持ち。

情けない気持ち。


やるせない。

もどかしい。

痛々しい。


さあ、感性豊かな読者の皆さん、ボキャブラリー全開で、

ネガティブな言葉を書き出してみましょう。


強引に封印するよりも、出力しちゃった方が、健全なんです。

これは経験上、間違いない。




心を閉ざす理由は、人それぞれ。

心を開くきっかも、人それぞれ。



何が、大事か。

それは、タイミングなんです。



開きたいと思った時に、タイムリーに出会ったもの。

それは、運命的な出会い。まさに、奇跡。


そういうことが、あるんです。



性別や年齢に関係なく、経験値も関係なく、訪れるものなんです。


そういうものに出会うために、

そういうものを感じ取れるように、

感性を磨いておいて欲しいんですね。



苦しい時こそ、感性が磨かれる。

切ない時こそ、精神世界の領域が広がる。

悔しい時こそ、這い上がる根性が育っていく。



心を閉ざした者たちよ。

開くタイミングを、見失うなかれ。

すべってもいい。

転んでもいい。

傷ついても、構わない。


感性が、生きていれば、

必ず、突破口は見つかるから。



世の中、ろくな奴がいないと思っても、

中には、ちゃんとした人がいるはずだから。


閉ざしてもいいけど、

閉ざし切っては、いけない。


半身で、半開きで、中途半端で、ちょうどいい。


死んだふりをしても、まだ、死んではいない。



心っていうのは、簡単には死なないんです。

死にかけても、なかなか死なないんです。


まだ、やり残したことがある、と思うなら。

まだ、やり切っていない、と思うなら。



もう少しだけ、生きてみましょうか。

あと、1日だけ。

あと、1時間だけ。

あと、1分だけ。


耐えられるだけでいい。

あと、ほんの少しでいい。




そういう気持ちを持つことで、新たな「出会い」が生まれるものだから。

ギリギリのところで、何かを掴んだりすることも、よくあるから。



俺が何かを書くことで、

俺が何かを伝えることで、

誰かが、少しでも元気になれるなら、

10年もブログをやってきた意味があるかもしれない。


俺はいつも、虫の息。

読者もいつも、虫の息。


じゃあ、俺ががんばって、もう1日生きれば、

誰かが、もう1日だけ、生きてくれるかもしれない。


そう思うと、これを書いている意味はあるのかな…って思う。



大丈夫。

桑畑は、まだ大丈夫。



仕事をして、

家族を可能な限り養って、

働けるだけ働いて、もうしばらく生き抜いてみせましょう。



誰かの役に立っている。


そう思えることが、俺の、アイデンティティなのかもしれない。




心を開く瞬間って、美しいものなんです。

心を開いてくれるって、ありがたいものなんです。


そういう場面に数多く立ち会っていると、

人の心の素晴らしさを、実感せずにはいられません。



その「気持ちよさ」を、

このブログで、少しずつ、伝えていけたら…と思います。





俺が伝え切れなかったことは、誰かが、継いでくれるでしょう。

感性豊かな人たちに、このブログは支えられているんだから。



文章を書くのが好きで、映画が好きで、始めたこのブログ…

誰かの役にたっているのなら、これ以上の喜びはありません。



桑畑は、幸せ者だと思います。

みんな、ありがとう。


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2015-08-26

U-NOTE Ⅱ 「少しだけ霧が晴れて」

テーマ:ケガ・病気
ようやく、心の中の霧が、晴れてきました。

辛抱していると、時間とともに、苦痛が緩和するのかも。


あまりにも心が苦しいので、もしかしてうつが再発したかと疑ったんですが、

どうやら、そうではないらしい。


俺の判断基準としては、

①夜、眠れなくなること。

②動悸が激しくなり、一日中止まらないこと。

この状態が2日以上続くと、危険シグナルだと思っています。


幸い、肉体の疲れがあるから夜の寝つきは比較的いいし、

一時的に動悸は激しくなるけれど、数時間以内に治まるみたい。

頓服の安定剤だけ少し飲んだけど、眠剤には頼っていません。

食欲もそれなりにあるし、お酒の味もちゃんとする。



心のもやもやがあると、頭もちゃんと働かず、思考がくもってしまうので、

精神状態をうまく出力できなくて、更新が滞っていました。

書けないのに無理に書くと、余計にストレスになってしまうから、面倒なんです。


今日の午後から、徐々にではありますが、思考がクリアになってきました。

憑き物がスルッと落ちたように、首筋が軽くなった感じ。

少しずつ、自分を取り戻しているような気がします。



不安や心配事やプレッシャーにも、色々と種類があって、

急性のもの、慢性のもの、自分の努力ではどうにもならないもの…

ストレスをゼロにすることは不可能なので、

生命維持に危険が迫るレベルの負荷が回避できれば、

人間は何とか生命活動が可能になるんです。


健常者にはなかなか理解できない領域だと思いますが、

嫌なことにうまく折り合いをつけて生きるという点では、同じです。



五感で感じることを素直に出力して、それを受け止めてもらえるって、

すごく幸せなことなんですよ。



この領域まで何とかたどり着ければ、後は何とかなる。

あと数日で、徐々に元気を取り戻していけると思います。



映画の記事は、もう少しあとで。




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2015-08-22

U-NOTE Ⅱ 「疲労」

テーマ:ケガ・病気
疲労。

疲弊。

疲労困憊。


心と体は、どちらが生命にとって優先されるのだろう。


ひどく、疲れている。

疲れているおかげで、余計なことを考える力がない。


それは、ありがたいことなのかもしれない。



疲れる、ということは、過負荷がかかっている状態…


体は、回復するだけで、精一杯。

朝6時に起きて、仕事に行って、

帰って来て、シャワー浴びて、ビール飲んで、いつの間にかウトウト…



ある意味、原始的な状態かもしれない。

「生きる」ということ自体が、生きる目的そのものになっている。



それで、いいのかもしれない。


余計なことを考えると、ろくなことがない。



思考停止。


ああ、何と、甘美な世界なんだろう。


ものを考えずに済むことができたら、どんなに楽だろう。

何も感じずに済むことができたら、どんなに救われるだろう。



しかし、

悲しいかな、それは、決して許されない世界。


死ぬ直前まで、きっと俺は、迷い続け、悩み続け、

答えが得られないまま、死んで行くんだと思う。



疲労は、福音である。

がんばらない人は、決して疲れない。

がんばらないようにとがんばる人は、やっぱり、疲れてしまう。



がんばった分だけ、寿命が縮まるなら、それもいい。

一生分のエネルギーを、さっさと使い切って、

気持ちよく、死にたいと願う。



願わくば、楽に死にたい。

自分の人生を、労って、褒めてあげて、

安らかに、逝きたい。




だから、がんばる。

早く寿命をまっとうして、

やるべきことを、やり尽くして、さっさと、逝ってしまいたい。



明日こそ、死ねますように。


そう願って、今夜も眠りにつきます。





おつかれさま。


俺の、好きな言葉です。




望まれずに、生まれた命。

それでも、生まれたからには、精一杯生きることを強要される。


簡単には、命を捨ててはならない。

命は、誰かの犠牲になってこそ、存在価値が認められる。


役に立たない人間は、捨てられる。

権力者を満足させられない人間は、ダメ出しを食らって、破棄される。



それはきっと、仕方のないことなんだと思う。





この世に生まれて、よかったと言えること。

確かに、ある。

決して、忘れたくないし、忘れてはいけない。



しかし、

喜びの絶対数よりも、悲しみの絶対数の方が多かったら?

生きててよかった、と感じた体験よりも、

生まれなきゃよかった、と感じた体験の方が強烈だったら?



人には、わかってもらえない。

説明しても、誤解されるだけ。

だから、聞かれても、基本、黙っている。

うまく、ごまかしてしまう。

下手に話して誤解されるよりも、表面的に軽蔑される方が、ずっと楽だから。


この気持ちは、「普通の人」には、一生かかっても理解できない。



ありきたりな「お説教」なんて、俺の心には決して響かない。

中途半端ななぐさめは、かえって俺の心を追いつめる。



人の心なんて、そんなに単純なものじゃない。

マニュアル的な、万能な言葉なんて、存在しない。



ああ、書けば書くほど、もっともっと誤解されていくのを実感する。


「ドン引きされる」のも、ある意味、救いである。


静かに、静かに、ひっそりと…

気持ちよく、生を終えたいと思う。



まだ、その時ではないみたいだから、

しばらくは、このまま、もがくことになるでしょう。


俺が生きている間は、このブログは続きます。



きっと、命は、自分の思い通りにはならない。

そう思うことで、今日も何とか、生き残りました。



がんばって、

がんばって、

がんばり抜いて、

寿命を生き抜いたら、

誰かが、褒めてくれるだろうか。



いや、それはないな。

最後の最後まで、俺は、罵倒され続ける存在なんだと思う。

それがきっと、俺らしい生き様なのかも。



けなされれば、その通りだって思うし、

褒められれば、これにはきっと裏がある、と感じ取ってしまう。



不器用な男の、不器用な物語。





俺の命が、誰かのために、ほんの少しでも役立つのなら、

もう少しだけ、がんばってみようと思う。


そんな、些細なことで、生きる力を得ることができるから。






長生きしようとは、死んでも思わない。

定年まで、生きるつもりはない。



死ぬまで働いて、働き続けて、ひっそりと人生を終える。


そういう、幸せな夢を、今夜も見られますように。




…早いとこ、終わらせちまおうぜ。




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2015-08-22

豚コラム 「続々々・生きようとする命」

テーマ:豚コラム
あの豚さん、どうなったんですか、と聞かれたので、また書きます。


奴は、ちゃんと生きています。

体重も、少しずつですが、増えています。

早ければ、来週あたりに出荷できる可能性が出てきました。



この間長岡花火を見たこともあったので、

俺は奴を「フェニックス」と命名しました。


フェニックスは、みるみる回復して行きます。

もう、他の豚たちと、ほとんど区別がつかなくなってきました。


今では、あの頃のように俺に寄って来ることはなくなりましたが、

奴が元気に餌を食べている姿を見るのが、とても誇らしい。



先ほど巡回した時は、すやすやと寝ていました。

たぶん、月曜日にまた会えるでしょう。


フェニックスを応援して下さる方々に、感謝申し上げます。


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2015-08-21

メンタルコラム 「土台」

テーマ:メンタルコラム
建物を建てる時は、しっかりとした土台が必要です。

基礎工事がちゃんとしていないと、崩れてしまう危険性があります。


豚を育成するのにも、骨が作られる時期があり、

筋肉が作られる時期があり、脂肪をつけて仕上げる時期があります。

それは、それが形成されるべき時期に、健全に育てることが重要になります。

大事な時期に、病気や環境トラブルがあると、育成に影響するのです。


人間にも、体の基礎ができあがる時期があるんだと思います。

いわゆる「育ち盛り」というものですね。

俺は、生まれた時の体重が3900グラムあり、

物心つくまで、食欲旺盛な男の子でした。


しかし、小学校高学年の頃から、食欲がなくなり、

中学生になる頃には、ガリガリにやせていました。


その理由は、「食卓が地獄」だったからです。

一家団欒という言葉を、どれほど恨めしく思ったことか。

我が家は、食事の時間は、争い事が日常茶飯事でした。


祖父が、祖母を罵倒する。

祖父が、父を罵倒する。

父が、反撃する。

食器が投げつけられ、破壊音とともに、取っ組み合いの醜い情景が展開する。

子供の意見なんて、絶対に聞いてもらえない。

お前に言われるようじゃおしまいだ!

火に油を注ぐ。焼け石に水。傍若無人。我田引水。

床に落ちたごはんを泣きながら拾って、嵐が過ぎ去るのを待つ。


食事なんか、できる環境じゃない。

食卓というものは、そういうものだと思ってきた。

だけど、よその家は、そうじゃなかった。


友達の家の食卓は、まるで違っていた。

先生の家の食卓は、まるで違っていた。

きっと、「よそいきモード」なんだろうと思っていたけど、そうじゃないらしい。


ご飯って、緊張して食べるものだと思っていた。

食卓って、争い事の温床だと思っていた。

父親は、独裁者であり、

母親は、奴隷であり、

子供は、囚人であった。

生まれた時に、すでに、身分が固定されていたのである。


身分が下の者は、上に立てつくことが許されない。

意見を言おうものなら、烈火のごとく怒る。

二度とものが言えないように、烙印を押されるのだ。

泣きながら向かっていけば、大人の力でねじ伏せられる。


少年はいつしか、ものが言えない子供になってしまった。


初対面の人に、うまく挨拶ができない。

質問をされても、うまく自分の意見が言えない。

正直に言うと、ひどい目に合わされる…

だから、相手の望む「正解」を探してしまう。

結果、心にもない「社交辞令」を言ってしまう。


そんなんだから、よく誤解されたし、勘違いで怒られもした。


怒るのが好きな人は、何を言っても、結局、怒るのだ。

いじめるのが好きな人は、相手の態度に関係なく、いじめるのだ。


俺はいつしか、ひとりを好む人間になっていった。

誰かと一緒にいると、その人を怒らせるのが嫌なので、距離を取った。

人と一緒にいる煩わしさに比べれば、ひとりぼっちの方が耐えられる。


中学3年まで、そういう思考だった。


高校に入ってからは、気さくな友達が増えて、

俺の「人間不信」は、ほんの少しだけ、緩んだ。

家庭内では、阿鼻叫喚の地獄絵図が展開されていたけど…



俺は、未だに、祖父を憎んでいる。

祖父を憎む父の姿を見て、親は憎しみの対象であるということを学んだ。

祖母は、奴隷のように、人間性を否定されていた。

母は、父の奴隷であり、家庭は、祖父と父の憎しみ合いの舞台だった。


父の口癖は、『…早く死ね!クソジジイ!』だった。

親に愛されなかった男は、親を憎むようになるのだろうか。

そのフラストレーションを、弱い者いじめで解消するのだろうか。


親の因果が子に報い…

俺は、家庭を持つのが、怖くなった。

俺の遺伝子を受け継ぐ子供は、確実に不幸になってしまう気がした。



しかしながら、俺は、いわゆる「デキ婚」で家庭を持った。

未だに、それがよかったのか悪かったのか、わからない。


だけど、これだけは、強く思う。


悲しい連鎖は、俺で終わりにしたい。

娘には、のびのびと、自分の人生を楽しんでもらいたい。

俺の暗い精神世界は、俺の中に封印して、祖父と父の怨霊とともに心中する。

兄はすでに精神が崩壊しているので、俺が父と刺し違えることになると思う。

お袋の命が、残り少なくなっていくにつれて、破滅のカウントダウンが始まっている。

父は、未だに母と兄をいじめ続けている。

俺は、実家にいると気が狂ってしまうので、18歳で家を出た。

逃げ続けて、30年。


最悪は、親父を殺して、刑務所行き。

そういう夢を、幾度となく見た。

祖父をバットで殴り殺す夢を、中学生の頃によく見た。

祖父が病死した後は、怨霊は父に宿った。

あんなに嫌っていた祖父に、今の父はそっくりである。


子供は、親の言うことは聞かないが、親の真似はする。

だから、俺は、娘の将来を考えて、服役するわけにはいかない。

人を殺すくらいなら、自殺した方がましだと考えてしまうのである。


殺意があっても、実際に殺さなければ、刑罰には問われない。

そういうギリギリのところで、今まで踏ん張ってきた。

でも、近い将来、その均衡が破れる時が来ると思う。


その時、俺は、どういう行動を取るのか。

それは、その時になってみないとわからない。




『…親子なんだから、納得いくまでちゃんと話し合えばいい。』


1万人に相談したら、たぶん9999人が同じことを言う。

それは、夢物語であり、幻想なのだから。


幼い頃に、話を聞いてもらった「土台」がある人は、そう言うと思う。

話をすれば、何とか解決できる。

ちゃんと話せば、何とかなる。

そういう思考ができる人は、心の中に、そういう「土台」があるから、そう言える。


信頼関係を築いてきたという「土台」があるからこそ、

人を信じることができ、自分を信じることができるのかもしれない。



でもね、それは単なる「前提」に過ぎないんです。

こう話せば大抵の人はわかってくれる、という幻想…


世の中には、自分が当たり前だと思っていることが通用しない人間がいる。

そういう想像力がない輩は、思い通りにいかないと、すぐに相手を否定する。


「常識」を振りかざす人ほど、「非常識」だったりするから。

思考力が乏しい人ほど、TVやネットの情報を、すぐ鵜呑みにしたりするから。



人は、自分のイメージだけで、何となく生きているもの。

俺は、そういう生き方をすると、心が窒息してしまうようで、気持ち悪くなっちゃう。





俺はよく、「お人よし」と言われる。

俺はよく、「癒やし系」と言われる。

俺はよく、「気配りのできる繊細な男」と呼ばれる。


そうなったのには、ちゃんと理由がある。

好きで、こんな性格になったんじゃない。


だから、その褒め言葉は、俺にとっては「虚構」である。

俺は、みんなが思うほど、いい人間じゃないし、そんなに優しくない。

勝手に勘違いされても困るのである。


むしろ、「あいつは嫌な奴だ」と言われた方が、よほど楽である。

それは、本当だから。




俺は、48年も生きてきたので、多少それなりの「スキル」はある。

だけどそれは、ちょっとしたことで崩れてしまう、脆いガラス細工に過ぎない。

経験上、あらゆることを想定した思考や行動はできる。

しかし、予想外の角度から攻撃を受けると、あっさり崩壊してしまう。

そういう危険性と隣り合わせで、いつも生きている。



「うまく立ち回れている」自分がいる。

その一方で、「次の瞬間には崩壊してしまう」自分がいる。


挫折は、今に始まったことじゃない。

昨日までの栄光は、今日であっさり崩壊してしまう。

そういう「危険性」を常にはらんでいるのが、俺という人間なのである。


俺が幸せになると、怒る人たちがいる。

俺が不幸になると、喜ぶ人たちがいる。


だから、俺が破滅することは、誰かを確実に幸せにすることでもある。

そう思ったら、不幸な人生もある意味、悪いことではないのかもしれない。



生きていることは、疲れることばかりである。

疲弊して、傷だらけになって、怒られてばかりの人生なんて、

早く終わってしまえばいいのに、と思う。


明日で寿命が来るなら、大歓迎である。

この世に、未練なんか、もともとない。

ただ、自殺はあとあと面倒になるので、仕方なく生きているだけである。

まだ、自殺するには、条件が揃っていないから。


とりあえずは、娘が成人するまでは、生きなくちゃ。

病気で療養した時に作った借金を完済するまでは、がんばって働かなくちゃ。



仕事なんて、いくらでも代わりがいる。

会社に骨を埋めるとか、忠誠を尽くすとか、

かつて俺が一生懸命にやっていたことは、死語になってしまった。

がんばってもがんばっても、いつかは不要な存在になるのである。



同じ仕事を続けていられる人は、幸いである。

彼は、その道のプロとして、歴史に名を刻むであろう。

信頼できる家族を得た人は、幸いである。

彼は、子々孫々まで、優れた人物として騙りつがれるであろう。

話を聞いてくれる相手を得た人は、幸いである。

彼は、そこで得た喜びを、他者に伝える使者となるであろう。


心にしっかりとした土台を築いた人は、幸いである。

彼は、優れた思考をもって、世の中に平和をもたらし、

自身が得た幸福を語り継ぐ、聖者となるであろう。




心の土台を築けなかった者は、一生をかけて、築いていくしかない。

挫折する度に、奈落の底に落ちる度に、何かを学んでいく。


それでも、何度でも、最初から、やり直していく。

作って、壊して、また作って、また壊して…



やられっ放しでは、殺されてしまう。

殺されるのは構わない。早く死ねるなら、それもいい。

だけど、我慢できないことは我慢できない。



俺だって、怒る時はある。

いつもいい顔ばかりしてはいられない時だってあるのだから。

それが、わからない人がいる。

俺が怒ると、『…いつものあんたらしくない。』と言って、

したり顔で責めてくるウスラバカどもがいる。


相手は、自分に優しくしてくれて、当たり前。

相手は、自分を理解してくれて、当たり前。

相手は、自分の話を親身に聞いてくれて、当たり前。

そんな幻想を信じているから、変な病名がついてしまうのだ。



人は、理由もなく、人に優しくしたりなんかしない。

人は、そう簡単に理解できるような、単純な生き物じゃない。

人は、相手の話を聞くふりをして、自分の話をしたいだけである。


優しくされた時は、見返りを求められている場合が多い。

俺は、幾度となく騙されて、そういうことを学んだ。



俺が怒ると、『…そんな奴だと思わなかった。』と捨て台詞を残して、いなくなる。

俺は、いつもニコニコして黙って、人の話を聞く男じゃないといけないらしい。

そんでもない誤解である。

そいつは、とんでもない馬鹿野郎である。


そんな、人の気持ちを考えない奴とは、早めに絶交することにしている。

そんな奴と無理して付き合うほど、俺は友達には不自由していない。

そんな奴に優しくできるほど、俺は人格者じゃない。


俺だって、生身なんだよ。

そういつもいつも、貴様の思い通りに行動してなんてやるものか。



人の気持ちがわからない奴ほど、無意識のうちに、相手に無理をさせる。

自分のことしか考えていない奴ほど、相手を逆撫ですることを言う。

「相手がどう感じるか」よりも、「自分が満足する」ことが優先だからである。


自分中心にしか会話できない人は、そういう「心の土台」を築いてしまった人である。

すでに固まった思考になっているから、柔軟性に乏しい。

会話が空回りする人は、相手のせいにばかりしないで、

一度くらい、自分の視点や思考パターンを疑ってみたらいい。

考えてもわからんという人は、思考する土台を築いていないんだと思う。


人と話せば話すほど、脳は活性化する。

年齢や立場や地位に関係なく話せる人は、脳も心も柔軟である。

俺の経験上、これは確かである。

飲み屋のカウンターで20年以上、人間ウォッチングをした俺のスキルだから。



俺は、自分が自信を持って言えることは、はっきり言う。

自信がないこと、はっきりしないことは、曖昧だから、うまく言えない。

考えてみれば、当たり前のことである。


俺は、知ったかぶりが苦手。

そんなことをしても、すぐにボロが出るから。

わからないことは、わからない。

それでいい、と思っている。



否定されるのには、慣れているし、

知らないことが、恥ずかしいことだとは思っていないから。




地に足の着いた会話は、大人の会話である。

それは、しっかりとした土台の上に、成り立っているから。

カッコつけている人と、真にカッコいい人は、雲泥の差。

それがはっきりするのが、大人の会話の特徴。



だけど、俺は思うんです。

相手をやっつけるのは、会話の質としてはまだ子供のレベル。


オレ、こんなこと知ってるよ~

オレなんか、もっとすごいこと知ってるぜ~


相手を否定して自分を高めようとする手法は、卑怯。

相手の個性を認めて、お互いにいい部分を褒め合うのが、成熟した大人の会話。



俺は、基本、穏やかに会話したい男。

だから、俺が怒る時は、よほどの時だと思ってもらいたい。

逆恨みされようが、罵倒されようが、構わない。

そうしないと、自分が崩壊してしまうから。

その言動を許すと、相手は味をしめて、他の誰かに同じことをする危険性があるから。

そんな奴になんか、憎まれてもいい。

気に食わなかったら、俺を刺し殺せばいい。



怯えてばかりいたら、何にもできない。

やられっぱなしで、人生が終わってしまう。


俺は、15年間築いた土台を、一瞬にして失った男です。

今の職場で、やっと勤続2年を過ぎたばかり。

いつまた、暗闇に放り出されるかもしれない身の上ですから。

まあ、体が動くうちは、がんばって社会に貢献しようと思いますが。





土台を築いて、

土台を壊されて、

反省して、また新しく土台を築いて、

また、あっという間に壊されて…


俺の人生は、その繰り返しです。

まるで、賽の河原ですね(笑)


きっと俺は、もともと罪深い魂なんでしょう。

償っても償い切れない、極悪非道の魂なんでしょう。



わからない人には、わかってもらえなくていい。

わかるという人がいたら、ほんの一部だけ理解してもらえるだけで充分。


人は、他者のことを100%は理解できませんから。

俺の感覚でいうと、理解できるのは、せいぜい2%くらいだと思う。

ちなみに、自分のことは、10%くらいだと思っています。


自分がわからない自分のことは、人に言われて初めてわかる。

でもそれは、あくまでも「部分的なこと」なんだから、

それが全てみたいに仰々しく言われると、ムカッとくるんですよね。



言う側は、愛情を込めて、しっかりと伝える。

聞く側は、愛情を込めて、しっかりと受け取る。


そういう「生きた会話」を経験すると、会話する「土台」ができていく。

「死んだ会話」ばかりでは、土台が骨粗しょう症になってしまう。


「奪う」ことが多い人は、いずれ、全てを奪われていく。

「与える」ことが多い人は、さあ、どうなっていくんでしょうね。




立派な土台は、一生かけても築けないけど、

今日壊れた土台は、残骸をきれいに掃除した後で、

明日から、また丁寧にゆっくりと、作り直していけばいい。


もちろん、「使える素材」は、しっかりとリサイクルしましょうね。



失敗は、成功のもと。

再利用できる素材は、自分が生み出した、「オリジナルな逸品」なのだから。
















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2015-08-19

映画 「日本のいちばん長い日」

テーマ:邦画
うまくいかない時こそ、人間の真価が問われるのだ。


今日はお休みをもらったので、18日ぶりに映画館に行きました。

どれを見ようかと迷いましたが、昼間しか上映していない本作をチョイス。

平日ということもあって、観客の年齢層が高かったですね。



原作は、半藤一利が発表したノンフィクション。

1967年(昭和42年)に、岡本喜八監督で映画化されて、今回は2度目。

前作は終戦前の4日間を中心に構成されていましたが、

本作では、4ヵ月前の組閣から、物語を進めていきます。



監督・脚本は、原田眞人。

「突入せよ!あさま山荘」がすごく面白かった印象があるので、

今回も、緊張感とユーモアが入り混じった演出が素晴らしかったです。



前作よりも尺は短いですが、それでも2時間以上あるので、

見ていて疲れる人もいるでしょうが、最後までがんばって、戦争を終わらせましょう。




戦いというのは、どこにでもある。

小さな小競り合いから、殺し合いまで、世の中は争い事に満ちている。

憎いあんちくしょうとの対立、自分の心の中の葛藤。


今年は戦後70年だそうですが、日本人は、色んな形で戦い続けています。

戦争をしないための戦いがあり、戦争を防ぐための戦いがあり、

平和を守るための戦いがあり、世の中をよくするための戦いがあります。



人が集まれば、そこには必ずといっていいほど、諍いが起きます。

それが、喧嘩や殺し合いに発展しないように、秩序やルールというものが生まれます。

その「決め事」というのは、話し合いによって制定されていきます。

飛鳥時代の十七条憲法の時代から、ずっと引き継がれてきた、日本人の伝統ですね。



残念ながら、みんなが納得できるような結論は、基本的に難しいもの。

最終的には多数決や、決定権のある人の裁量に委ねられることが多い。

それが納得できない少数派が、実力行使で反乱を起こしたりする。



ルールというのは、それが納得できないものであったとしても、

ルールである以上、守るべきだと俺は思います。


意見を言わない人に限って、決まってからこそこそ文句を言ったりする。

何でもいい、どうでもいいと言っておきながら、後からケチをつける。

俺は、そういう輩を「卑怯者」と呼ぶことにしています。


嫌がらせをするくせに、やたらに煽ってくるくせに、

こっちが本気で怒って向かっていくと、途端に逃げていく。


リアルでもネットでも、そういうやり取りが続くと、うんざりしてしまう。


だからこそ、この映画が、とても清々しく感じられたんですね。



「突入せよ!あさま山荘」もそうでしたが、

俺は、“現場の空気”を感じられる映画が好きです。


だらだらと芝居かかった長台詞が続くよりも、スパッと切った潔さがいい。

きっちり最後まで見せずに、いいところでぶった切る方が、余韻が残るんですね。


人によっては、物足りなさが残る場面もあるでしょうが、

俺にはとても刺激的で、ゾクゾクするような切り口でした。


文学でも、音楽でも、絵画でも、写真でも、

力の強弱や色彩の加減によって、呼吸やリズムが生まれるんですね。


出演者の呼吸が聞こえてくるような映画は、実に生き生きとしているもの。

わざとらしくならない程度に、体温が伝わってくるような雰囲気が、画面から漂う。



体調が万全だったら、もっと楽しめたんでしょうが、

しばしの時間、この世界に没頭できたので、

普段酷使している部分を、少し休めることができたと思います。




戦争映画というジャンルは、決してなくならないと思う。

戦争映画が増えた分だけ、実際の戦争が減っていけば、それに越したことはない。


万人に平等に訴えるような映画を作ることは不可能だし、

みんなが満足できるほど、映画は万能じゃない。


見る者が、それぞれの視点で、学ぶ姿勢で見ることが大切なのだ。



例えば、交通事故で家族を失った人にとっては、

カーアクション映画がタブーだったりすることもある。

病気で大切な人を失った人にとっては、

難病ものの映画を見るのがつらかったりする。


戦争を体験した世代と、体験していない世代とでは、感じるものがきっと違う。

語る言葉を持っている人と、語ることを拒否した人とでも、温度差があるのだ。




俺は、小学生の頃から、歴史を勉強するのが嫌だった。

だって、どの先生も、自分の国の悪口しか言わなかったから。


大人になってから、映画を見たり本を読んだりして、

今まで学校で学んだことが、いかに歪んでいるかがわかった。



だから、こういう映画、たくさん作って欲しいです。


古い時代の戦争映画は、いくら名作と言われても、

現代において、どれだけ説得力を持っているかは、はっきり言って怪しい。

今の時代に、今を生きる人たちに向けて発信力が、大切なんです。


戦争映画は、毎年どんどんリニューアルして生み出していって欲しい。

それが、俺の本音です。




本作で特に注目なのは、本木雅弘が演じた昭和天皇です。

過去の記事で紹介した「太陽」という映画では、イッセー尾形が演じていましたが、

本作では、実に生き生きと、天皇ご自身の人間性に触れていました。


(映画の中で、東條英機陸軍大将をたしなめる場面が秀逸なので、ご注目下さい)



鈴木総理を演じる山崎努の、いい感じのくたびれ感。

阿南陸軍大臣を演じる役所広司の、懐の広さ。

(やはりどうしても、山本五十六とキャラがかぶってしまいますが)


緊張と慌しさとイライラの中に、ほんのり香る、ユーモア感。

日本人だからこそ理解できる、精神世界がありますね。



「山本五十六」も、

「永遠の0」も、

「風立ちぬ」も、

「突入せよ!あさま山荘」も、日本国民にとって、いい教材だと思います。




勢いにのってうまくいっている時は、誰もがヒーローになれる。

しかし、うまくいかなくなった時にこそ、人間の真価が問われる。

問題解決能力こそが、大人力の第一歩だと思うから。



始めたものを、終わらせるのは、簡単じゃない。

色んな人の思いを、同時に着陸させることは、難しい。

抜いた刃を、元の鞘に収めるタイミングを合わせるのは、容易ではない。


困難であるからこそ、耐え難い苦しみであるからこそ、

膝を交えて、本気で語り合う必要があるのだ。



やるべきことをやり切ったら、結果は、多いなるものの存在に委ねるべし。

苦痛と屈辱に耐え、どん底から這い上がり、明日の勝利を掴め。

本気で必死にがんばって生き抜いた者たちの魂を、冒涜するなかれ。



…大きな痛みは、新しい世界が始まるための、産みの苦しみなのだから。








【作品データ】

監督・脚本:原田眞人 原作:半藤一利

撮影:柴主高秀 音楽:富貴晴美

出演:役所広司 本木雅弘 山崎努

   松坂桃李 堤真一 神野三鈴


 (2015年松竹 上映時間:136分)




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2015-08-18

第16回 のあのあシアター レポート & 次回のお知らせ

テーマ:酒&タバコ
ご報告が遅れましたが、8月2日にのあのあシアターを開催しました。

テーマは、「日本人の戦い方」。

3本の短編と1本の長編で、プログラムを組みました。


でも何だか、今回は失敗でしたね~


見終わった後に、長岡花火を見に行こうということになり、

俺は解説をする時間がなくて、見るだけ見てもらって、すぐに出発。


まあ、日本人の心をテーマにしたから、これもいいか…と。

長岡の花火を見るのは、20年ぶりくらいなので、

フェニックスを初めて見ました。


花火って、いいもんですね。




去年の8月に開催した「怪談映画」も、結果的にはスベッてしまったし、

どうも、力を入れ過ぎると、ウケが悪いようです。




マスターとも話したんですが、

のあのあシアターは、今シーズンをもって終了します。




理由は、3つ。

参加者が、だんだん減っていくこと。(すでに虫の息状態)

いまいち、盛り上がらないこと。(映画好きな人は、そんなにいなかった)

俺の情熱がさめてしまったこと。(張り合いがない、空振り感が大きい)



映画の話題をカウンターで話しているぶんにはいいんですが、

実際にみんなで一緒に見よう、となると、なかなか簡単にはいかないんです。


日曜の昼間なんて、みんな忙しいし、

よほどの物好きじゃないと、行きたいなんて誰も思わない。



俺だって、映画館に行く時間を削って、がんばってきたんだけどね…


でも、1年半も続いたんだから、まあまあ評価されてもいいのかもしれない。

実験的にやってみたという実績は、残るからね。





あとまだ、9月と10月の2回ありますので、

ご都合のよろしい方は、お越し下さい。





次回は、9月6日に開催します。

テーマは、「ザ・調教」

上映作品は、以下の2本。


①「4分間のピアニスト」(2006年ドイツ)

“ピアノ版あしたのジョー”と言われる、熱い映画です。

主人公は、女子刑務所で服役する女。

彼女を鍛えるのが、いぶし銀のバアさん。

この2人の掛け合いが、なかなか見事なんです。

どんなに腐っても、どんなに落ちぶれても、

光っているものは、誰かが見つけるもんなんですね。


ドイツ映画の、ストレートな表現をお楽しみ下さい。



②「ブラック・スネーク・モーン」(2007年アメリカ)

ピアノで楽しんでもらった後は、ブルースギターでキメましょう。

セックス依存症で死に掛けていた女を、おっさんが道端で見つけます。

女を演じるのは、クリスティーナ・リッチ。

おっさんを演じるのは、サミュエル・L・ジャクソン。

実はこのおっさん、引退したブルースギタリストだったのです。

彼は、神からの啓示だと判断。

女を鎖でつないで、がっつり調教していきます。


この映画、中盤までは、どういう話なのか、さっぱりわかりません。

でも、終盤になると、いい感じで盛り上がるんですね。



レンタルDVDでも入手できる作品なので、

シアターに来れない人は、お家でご覧下さい。



映画は、素晴らしく、素敵な世界。

その醍醐味を、ひとりでも多くの人に知ってもらえれば、それでOK。



ちなみに、10月は、ドキュメンタリーとファンタジーで締めたいと思っています。



常連の皆様方、よろしくね~








※第16回シアター「日本人の戦い方」で、俺が本当に伝えたかったことは、

 日を改めて、ブログで書こうと思いますので、それまでお待ち下さい。








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2015-08-17

U-NOTE Ⅱ 「お盆を終えて」

テーマ:ケガ・病気
読者の皆様、お久しぶりです。

桑畑は、何とか生きています。


一時はどうなることかと思うほど、思いつめましたが、

少しずつ、心が戻って来て降ります。



考えてみれば、ブログでプライベートなことを吐き出すなんて、

いい大人のやることじゃないですよね。

言う方もつらいし、聞かされる方だって、たまったもんじゃない。


だから、あまり具体的なことは書かずに、

俺の心象風景を中心に記録していく方向で、今考えております。


48歳のおっさんの家庭の事情なんて、読んでも面白くないもんね。



とりあえず、墓参りとか顔出しは、何とかこなせました。

大きなトラブルもなく、傍目には「うまくいっている」と思います。


でも、破滅に向かうカウントダウンは、確実に始まっています。

それがいつ来るのか、誰にもわかりません。


今はただ、「平穏な日常」があることを、ありがたく噛み締めています。

全てが崩壊するまで、今少しの猶予をもらった感じ…かな。



そんなわけですが、とりあえず何とか、ブログに戻って参りました。





俺はまだ、半端者なので、親子とか、家族を語れるレベルではありません。

娘が成人して、幸せに生きられるようになれた時に、

初めて俺も、親子というものを語れるようになれるのかなあって思います。


何事も、ただ知識や妄想の中だけでは、説得力を持ちません。

自分が心底味わったものだからこそ、リアルに語れるものなのです。



あなたの周りで、会話が楽しい人がいたら、よく観察してみて下さい。


その人は、どうしてそんなに周りの人の心を掴むのが上手いんだろう。

その人は、どうしてそんなにわかりやすい言葉で話せるのだろう。

その人は、どうしてそんなに相手の心を理解できるんだろう。


理由が、ちゃんとあるんです。



俺は、人一倍、感受性が強いので、

楽しそうに話している人の、心の悲しみを読み取ってしまうことがあります。


でも、そういうことは、あえて直接、その人に言いません。

懸命にがんばっている人に対して、野暮なことはしたくないからです。




世の中には、「暴く」ことが大好きな人種が確実に存在します。



俺は、

話したい人には、話させてあげたい。

話したくない人には、心にしまわせてあげたい。

聞きたがっている人には、できるだけ話してあげたい。

聞きたくない人には、できるだけ話さないようにしたい。


どうせ話すなら、気持ちよく話させてあげたいし、

聞いてくれるなら、ちゃんと話してあげたい。


その人の「苦しみ」とか、「願望」とか、「善意」とか、「悪意」とか、

そういう感情を感じ取った時に応じて、俺なりに行動しているんです。



俺は、生まれた時からすでに、「否定」され続けてきた男です。

だから、「肯定」されて育った人が、羨ましくてしょうがない。

話を聞いてくれる人がいつもそばにいたなら、

俺の人生は、もう少しましなものになったかもしれない。


色んな人に、色んなことを言われます。


尖った言葉って、心に突き刺さるんですよね。

言った側は気分爽快かもしれないけど、

その言葉は、確実に心を殺している。



世の中、「わかりやすく簡単に」説明できるほど、単純じゃない。

人の心は、「典型的な○○タイプ」で分類できるようなシロモノじゃない。



俺は、家族というものの有り方が、わからない。

俺は、友達というものの有り方が、わからない。

俺は、仕事というものの有り方が、わからない。

俺は、愛情というものの有り方が、わからない。


48年も生きてきて、わからないものばっかりです。

そして、わからないままに、死んで行くんだと思います。



人は、生まれたからには、必ず死を迎えます。

それがいつかは、誰にもわかりません。

今日かもしれないし、明日かもしれない。

一年後かもしれないし、十年後かもしれない。



今、あなたの目の前にいる人が、

次の瞬間に生きていられる保証なんて、どこにもないのです。


だから、目の前にいる大切な人を、大事にして欲しい。

その人の言うことを、よく聞いてあげて欲しい。



みんな、忙しい。

暇な人なんて、いない。


忙しいから、あとで。

今度ゆっくり聞いてあげるから。


その言葉は、相手をよく見てから言った方がいいです。



俺は、いっぱいいっぱいの人が、すぐにわかります。

でも、それを感じたからといって、何ができるわけじゃありません。


助けたいのに、助けられない。

そういう時に、自分の無力さを嘆きます。



今年のお盆も、やっと終わりました。


生と死の間を、行ったり来たりする、毎年恒例の精神修行です。

次の波は、たぶん、年末に来るでしょう。


その時まで、しばしの間、インターバル。

レースの途中の、ピットイン。





もう少ししたら、映画館に行こうと思います。



読んでくれた皆様、どうもありがとう。





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2015-08-07

しばらく、休みます。

テーマ:ごあいさつ
体調不良と精神的不調により、しばらくの間、更新を控えます。

皆様のご健勝をお祈りします。
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2015-08-06

U-NOTE Ⅱ 「お盆が近づくと」

テーマ:ケガ・病気
桑畑です。

何とか、生きております。


現在、とても不安定な精神状態にあります。

その理由は、お盆が近いから。



毎年、お正月とお盆とお祭りは、憂鬱なんです。

U-NOTEを読んで下さっている方にはわかるかと思いますが、

俺は、親との関係がよくありません。

というか、憎しみと恨みと殺意しかないですから。


できれば、実家には行きたくない。

近づきたくもないし、できることなら、永遠に忘れていたい。

絶縁できるものなら絶縁したいし、勘当してもらえるならありがたい。


そのくらい、深刻な問題なんです。

(たぶん、世の中の99%の人には、全く理解できないでしょうが)




俺は、幼少の頃から、お正月とお盆とお祭りが大嫌いでした。


必ず、争い事や喧嘩が起こるからです。

この世の終わりのような罵声、怒号、泣き叫ぶ声…

暴力と流血と、酒乱と濁った気持ち悪い瞳…



俺は、一家団欒というものを、味わったことがありません。

食事は緊張の時間であり、お酒の席は、弱い者いじめの処刑場なんです。


家族なんて、精神的拷問の世界でしかない。

親子なんて、精神的虐待の温床でしかない。



親を呪った子供は、親の言うことは聞きませんが、親のすることを真似します。

それが、俺の父親。

自分が反省することは皆無で、悪いことを全て人や家族のせいにする、毒親。


子供の全人格を否定し、発言を封じ、ことあるごとに、いじめ抜く卑怯者。

卑劣で愚劣で、ズル賢く、陰険で陰湿で、抜け目が無い。

うまくいったら、自分のおかげ。

悪くなったら、全て家族のせい。


そんな親に育てられた子供が、はたして、健全な精神を持てるだろうか。



子供が自分の思い通りに育たないからといって、

全てを子供本人のせいにする親って、正しいんだろうか。



俺の親は、自分の子供に対して、

『…お前なんか、生まれてこなきゃよかった!』と言い放つ人間です。



俺は本当は、とっくに自殺していた人間なんです。

だから、こうして生きているのが、不思議でしょうがない。



親に憎まれた子供の、子供。

それが、俺なんです。


俺は、未だに、自分がこの世に生まれた意味が、わからない。

人生なんて、寿命なんて、早いとこ、終わってしまえばいいのに。

明日死ねるとわかったら、俺は、喜んで死のうと思います。


でも、そう簡単には解放されそうもない。


娘が大人になるまでは。

療養中の借金を完済するまでは。


死ぬ気で、ひたすら、働かないといけない。


今、必死で、働いています。

明日は死ぬんじゃないか、明日こそ死ねるんじゃないか、という思いで。



本音としては、さっさと寿命を終わらせてしまいたい。


ただ、まだ、少しばかり、やることが残っている。

だから、仕方なく、生きています。



親から「死んで欲しい」と言われた子供は、

死ぬことで、親孝行できるのかもしれませんね。


でも、一方で、あんなクソ親の言いなりになんてなるもんか、という思いもあります。

その思いは、極めて弱いですが、いつも、心のどこかにあります。



お盆は、来週です。

俺の休みは、15日と16日なので、15日に墓参りして、

実家に立ち寄って、仏壇を参って来る予定。


その時、何が起こるか。


考えただけで、恐ろしい。


親父を殴り殺すくらいなら、自分で首吊って死んだ方がいい。

そうならないように、慎重に、丁寧に、立ち回るつもりです。



ああ、憂鬱。

ああ、絶望感。



先祖なんか、どうでもいい。

俺を呪いたいなら、さっさと呪い殺せばいいじゃん。



子供は、親の道具じゃない。

それだけは、永遠に、言い続けてやる。

地獄に堕ちても、拷問されても、言い続けてやる。




平和な家庭に生まれた人は、幸いである。

話を聞いてくれる親がいる人は、幸いである。

存在価値を認めてもらった人は、幸いである。

理解しようとしてくれる人がいるのは、幸いである。

困った時に、相談にのってもらえる人は、幸いである。



その幸せを、誰かに、分け与えて欲しい。

愛される心地よさを、

信頼される安心感を、

助け合う心の美しさを、

大切な人に、伝えて欲しい。



お盆は、死者が集まる時間。

生者と死者が、引き合うひととき。


この世に必要な者は、生命力が強まり、

この世から排除される者は、あちらの世界に誘われる。



生きていたいと思う人。

生きるのに、疲れた人。


色んな人がいるし、色んな人がいていい。




ただ、俺は、強く願う。



ほんの少しでいい。


つらい目に遭っている人たちが、

ほんの一時、

心の安らぎを得られますように。




そういう思いを経験することで、閉ざされた心の回路が復活するきっかけになるから。




俺は、逃げずに、自分の運命と向き合おうと思います。


そうしないと、先に進めないから。


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