FUJITA'S BAR
1 | 2 次ページ >> ▼ /
2015-07-31

豚コラム 「続・生きようとする命」

テーマ:豚コラム
陰ながら応援して下さる数名の皆様のおかげで、

桑畑は今週も、何とか生き残ることができました。


麦とホップの青缶で、ほうれん草のおひたしでやってます☆




さて、今日は、出荷していなくなった豚房の清掃を始めました。

出荷残りの豚たちを、詰めて移動させます。

いわゆる、お部屋の引越しですね。


しかし、奴は、自分で歩くことができないため、

その豚房で、1頭だけ、取り残されました。


そのまま回復しなければ、殺処分されます。


治療は、今朝も行いましたが、あまり効果がないみたい。

でも、水をあげると、喉を鳴らしてごっくんごっくん飲むんですよね。



午後から、粉砕機で作業を始めました。

豚舎内の温度は、34℃。

滝のように汗が、したたり落ちます。



奴のいる豚房だけを避けて、作業を続けます。

隣りの豚房で、ドガガガ~って音がすると、奴も、動揺します。



しかし、次の瞬間、奴の動きを、俺は見逃しませんでした。


…奴が、上体を起こした!



道路工事みたいな、すごい音がするので、

さすがの奴も、殺されると思ったのかもしれません。

命の危険を感じると、生き物は、何らかの反応を示します。



でも、しばらくすると、またべったりと寝てしまいました。

う~ん… 自分には関係ないやと思ったのかなあ。




そんなこんなで、夕方の巡回の時間となり、

若い豚から順番に、肥育舎を周って行きます。


で、奴のいる豚房にさしかかった時、俺は思わず、小躍りしました。




奴の居場所が、変わっていたんです。


これは、奴が自力で這い回っていたことの証明です。


自分で動き回れれば、給水器から水を飲むことができる。

餌箱から、餌を食べることもできる。


こうなると、もう容器で水をあげる必要はありません。

奴が自分で、欲しいものを求めて動けばいいのです。


豚房には、奴1頭のみ。

邪魔する豚も、いじめる豚もいません。


後は、奴の生命力に委ねましょう。


奴は、俺をじーっと見ていました。



もう、水はやんないよ。

飲みたかったら、自分で動いてゲットしろ。



俺は、明日と明後日が休みです。

俺が休んでいる間は、上司と社長が交代で肥育舎を巡回します。


奴は、処分されてしまうかもしれない。

もしかして、生き残るかもしれない。


それはもう、俺の力では、どうにもならない世界。


俺は今週、精一杯がんばりました。

だから、明日から、堂々と休みます。



週明けに出勤して、奴がどうなっているか。

また、その時に、お知らせしたいと思います。



豚たちよ、自分の生を、しっかり生きろ。

お前たちの命は、すごく価値のある贈り物なんだから。



…俺が、しっかりと見届けるから。
AD
いいね!した人  |  リブログ(0)
2015-07-30

豚コラム 「生きようとする命」

テーマ:豚コラム
今日も、猛暑の中、130頭の豚を出荷しました。


滝のように汗をかき、120キロの豚と相撲を取りながら、

体力の限界に挑戦して、何とか生きて帰って来れました。




生き物を扱う仕事は、色んなことを学べます。







3ヵ月ほど前に、ある豚が、具合悪くなりました。


その豚は、立ち上がる力を失い、這いずり回ることもできず、

ただ、横になって、死を待つだけのように見えました。


治療も効果がなく、どの薬を注射しても、改善しません。

上司は、言いました。

『…もう、そっとしておいて下さい。』


豚は、自分で動けないと、餌も食べられないし、水も飲めません。

このままでは、ただひからびて、死んでいくだけ。



俺は、この豚を何とかできないかと思い、

容器に水を汲んで、豚の口元に垂らしました。


すると、ぐったりしていた豚が、狂ったように首を動かすんですね。


…奴は、生きようとしている。


上司に報告すると、余計なことするなと言われそうだから、

黙って、3日ほど、1日に3回くらい、水を飲ませました。




すると、4日目の朝、豚の寝ている位置が変わっていたのです。


これは、奴が自力で這い回った証拠。



俺が巡回していると、奴は、俺を横目でチラッと見ます。

水くれ~ と言っているみたい。


俺が水を持って近づくと、首を起こして迎えてくれます。

首が起こせると、水を効率よく飲むことができます。


ゴクンゴクンと、いい音を立てて、豚が水を飲みます。



他の豚が俺に体当たりしてきますが、ミドルキックで蹴散らしてやります。


今、こいつが生きようとしてるんだ。邪魔すんじゃねえ!




奴は、みるみる回復して、一週間後には、立ち上がりました。

上司とは、不思議なこともあるもんだねえ、なんて話してたんですが、

俺は密かに、奴とアイコンタクトしてました(笑)



生き物は、時として、予想外の力を発揮する時がある。


その時の俺は、少しばかり、有頂天になっていました。





しかし…



その豚は結局、あと少しで出荷という段階で、肺炎にかかってしまい、

治療しても治らず、最終的に、殺処分となりました…




奴を殺す時は、切なかったです。






出荷すれば、その日か翌日には、屠殺されてしまいます。

遅かれ早かれ、豚は、長く生きることを許されません。


でも、俺の立場としては、いい状態で出荷して、おいしい豚肉になって、

世の中の人たちを、幸せにして欲しい。


そういう思いで、いつも送り出しているんです。





奴を生かしたのは、決して、無駄じゃない。

奴を殺したのも、決して、無駄じゃない。


奴が、俺に教えてくれたこと。


命ある限り、生きよ。


何でかは、わかりません。



でも、豚を見ていると、そう感じるのです。






実は、昨日、もう少しで出荷という豚が、具合悪くなりました。


昨日今日と、治療をしています。

明日まで治療して、効果がなければ、殺処分になる可能性が高いです。



今朝見に行った時、奴は昨日よりも、げっそりしていました。

やはり、餌も食べられず、水も飲めない。

このままでは、衰弱死してしまうでしょう。


俺は、またしても、容器に水を汲んで、奴の口元に垂らしました。



うんともすんとも言わなかった奴が、狂ったように首を動かします。

目は、見えていないみたい。

水の感覚を全身で受け止めようとしているかのように、感じます。


首がうまく動かせないので、ジタバタしながら、喉を鳴らすだけ。

でも、少しは、飲めているみたい。

今日も3回、飲ませてやりました。

夕方に行った時は、2杯あげました。



奴が、明日、どうなっているのか。

死んでいるかもしれない。

回復しているかもしれない。

あんまり、変わらないかもしれない。



俺は、余計なことをしているのかもしれません。

経済動物なんだから、出荷の可能性が低いものは、

どんどん淘汰するべきなのかもしれない。



それでも、俺は、奴に水をやります。



…奴が、生きている限り。











AD
いいね!した人  |  リブログ(0)
2015-07-27

映画 「野火」

テーマ:邦画
もはや、言葉は雑音である。 …血の痛みと匂いを思い出せ!


塚本晋也監督の最新作を、こんなに早く見られるのは、幸せなことです。

新潟も、やる時はやるじゃん!


「野火」とは、「春の初めに、野原の枯れ草を焼く火」のこと。

このタイトルが、映画を見た後、心に染みました。


原作は、1951年に発表された、大岡昇平の同名小説。

1959年に、大映で映画化されていますが、

塚本監督は、リメイクではなく、あくまでも原作に忠実に作ったそうです。


彼は、高校生の時にこの小説を読み、

『…本当の戦場にいるような恐ろしさがあり、頭から離れなかった。』らしい。


というわけで、本作は、ホラー映画のスタイルになっているかも。




太平洋戦争末期のフィリピン、レイテ島。

田村一等兵は、肺病を患ってしまい、戦力外通告を受ける。

野戦病院へ行けと言われ、わずかな食料を持たされる。

しかし、病院でも門前払いを食らい、食料は取り上げられてしまう。

仕方なく部隊に戻るが、また怒られて追い出され、病院でも追い出され…


孤独と飢えと乾きに苛まれながら、ひたすら、彷徨うのであった。



主演はもちろん、塚本晋也。

監督・製作・脚本・撮影・編集もやっちゃうので、やりたい放題。

だからこそ、自分が一番撮りたい映画を作れるんですね。



この映画を見て、俺は久々に、「血の味」を思い出しました。

鉄くさくて、ドロッとしていて、色が鮮やか…


刃物を扱う仕事を15年やっていたので、怪我は、日常茶飯事。

殴られて口の中を切った時や、前歯を折った時の、血の感触。

傷口から噴き出してくる、色鮮やかな赤色。

血ですべって、工具を落とした時の、ヌルッとした感覚…



ああ、この感覚は、トラウマを呼び起こしますね。

大怪我とか、死に掛けたとか、血なまぐさい経験をした人ほど、

映画を見た時に、感じるものが大きいかもしれない。





塚本作品は、「血の美学」の宝庫である。


俺的な表現で言うと、彼は、「変態映画の巨匠」。

カナダのデヴィッド・クローネンバーグに負けないくらい、スゴイと思う。

「ランボー4」や「ナチュラル・ボーン・キラーズ」とか、

徹底した人体破壊を見せ付けた映画よりも、何かが違うのだ。



ことわっておきますが、本作は、DVDで見ると、つまらないと思います。

塚本作品は、劇場で観賞するのが正しい。

理由は、いちいち説明するのが面倒くさいので、言いません。




本作は、「現場」の映画。

司令部とか、内地の人たちとか、華麗な戦闘シーンとか、一切出てきません。

画面に映るのは、ひたすら、不安と恐怖と、突然の殺戮。

カメラが揺れまくるのも、映像で見せる「情報」が最低限なのも、

みんな、理由があるように思います。


これは、「見る力」を要求する映画。


菓子食いながら、ドリンク飲みながら、のほほんと見る映画じゃありません。

できれば、空腹状態で、飲み物も買わずに見ましょう。

ほんの一時間半足らずだから、ガマンできるでしょ。




俺は、この映画を見て、

自分が今までくぐり抜けて来た「修羅場」を思い出しました。


それは決して、「きれいな思い出」なんかじゃない。

ずっと封印してきた「醜いトラウマ」なんだと思う。


恥ずかしいから、うしろめたいからと、心に押し込んでばかりでは、

何も解決しないし、何も見えてこない。


画面から目を反らさずに、凝視し続けることによって、

己のダークサイドと、しっかり向き合うこと。



それが、本作を楽しむポイントかもしれない。






世の中、きれいごとばかりじゃない。

むしろ、醜いことの方が、多いかもしれない。



映画は、教えてくれる。

ドス黒い、ドロドロした闇の中に、艶やかに彩られた、極彩色があることを。

醜いものの中に、美しいものが混在していることを。



血の色は、赤い。

どの部分が出血するかで、赤みが違う。

流れ方も、噴出し方も、まるで違う。


まるで、人の心のようだ。

まるで、感情がほとばしるようだ。


赤は、生命力の色。

燃え上がる炎の色。


熱があって、燃える媒体があれば、命の炎は燃え盛るのだ。




これは、「戦争を体感する映画」だそうです。






殺せ!殺せ!殺せ!

生きろ!生きろ!生きろ!

死ね!死ね!死ね!

死ぬな!死ぬな!死ぬな!

殺してやる!殺してやる!殺してやる!

殺さないで!殺さないで!殺さないで!



…いちいち、命令すんなよ、馬鹿野郎。


死ぬか生きるかを決めるのは、誰でもない。

殺すのも、死ぬのも、実際、しんどいものなんだ。



生死が交錯する瞬間にしか、見えないものが、きっとある。

だから、「修羅場」をくぐり抜けて来た自分を、否定すべからず。

暗黒の闇に堕ちた経験を、恥じるべからず。



地獄の苦しみこそが、新しい「何か」を掴むための、通過点なのだから。




俺は、この映画を見た後、強烈に腹が減りました。

吉野家で、牛丼大盛に生卵をトッピングして、紅ショウガをたっぷりのせて、

ひたすら、激しく食いまくりました。



…どうだ、俺は生きてるぞ、ざまあみろ!








【作品データ】

監督・製作・脚本・撮影・編集:塚本晋也

原作:大岡昇平 音楽:石川忠

出演:塚本晋也 森優作 中村達也 神高貴宏

   リリー・フランキー 中村優子 山本浩司



 (2014年怪獣シアター PG12 上映時間:87分)



☆リリー・フランキーは、いい味出してますね。

 顔はみんな真っ黒で誰だかよくわかんないので、声で見つけて下さい。


☆6月22日と23日、映画公開に先駆けて、塚本晋也監督が、

 新潟市のシネウインドに来館されました。(月刊ウインド最新号に掲載)

 「野火」キャンペーン日本劇場めぐりの旅を、新潟からスタートして下さったそうです☆











AD
いいね!した人  |  リブログ(0)
2015-07-25

メンタルコラム 「感覚というものさし」

テーマ:メンタルコラム
こんばんは。桑畑です。

何とか、生きております。


今週も、嵐のような出来事満載の日々でした。

その1つ1つを全部お話しすると、膨大な時間と労力を消費してしまうし、

そんな記事を書いたところで、オヤジの愚痴ブログかよと非難されてしまうから、

タイトルにある、「感覚」というキーワードでお話ししましょう。


映画は、明日行けたら行きますので、もうしばらくお待ちを。



さて、我々は、見たり聞いたり触ったりしたものを、「感覚」で判断します。

それは、全てにおいての「ものさし」になります。


人は、機嫌がいい時は、心が広い。

反対に、機嫌が悪い時は、許容範囲が極端に狭くなる。


これは、ホントなんです。




例えば、知らない人である「他人」の笑顔を、たまたま見たとしましょう。


「微笑ましい」と思いますか?

「わざとらしい」と思いますか?

「いかにも」と思いますか?

「腹立だしい」と思いますか?


「何も感じない」というのは、嘘です。

「どうでもいい」というのも、微妙に嘘なんです。


人の「感情」に関する情報に対しては、何らかの「心の反応」があるはずだから。


それを否定すればするほど、かえって怪しくなってしまうんですね。




何で、こんな話をしたのかと言いますと、

人は、言葉という「表面」では、絶えず「嘘」をついているからなんです。


「正しく伝えようとする気持ち」が、裏目に出てしまう。

そういうことって、ありませんか。


それには、ちゃんとした理由があるんですね。


ただ、それを、その人にわかるように説明するのは、難しいんです。



ストレートに言えば、角が立つ。

遠回しに言えば、相手がイラついてしまう。


無理をさせて怒らせるよりは、ある程度のレベルで、とりあえず納得してもらう。

そうやって、上からのプレッシャーに耐えている人、多いと思います。



今日のお話は、そういう「言い知れない苦しみ」に耐えている人たちへの、

レクイエム。




よかれと思ってしたことが、かえって事態を悪化させてしまう。

それは、自分と相手の「感覚」と「ものさし」が違うから。


それを考慮しきれなかった自分にも責任があるし、

それを感じ取れなかった相手の鈍さにも、責任の一端がある。


俺は、どちらかが100%がんばらなければならない関係は、

すでに破綻しているという考えです。


理解し合うということは、双方が歩み寄って、妥協点を探すことで、

一番心地いい「ラグランジェ・ポイント」が見つかると思うんですね。

ただ、そこからの求心力や、物理学的重力を考慮する計算能力こそが、

「風上に立つ者」の使命ではないかと思うんです。


有利な立場にいる者は、どうしても「驕り」がありますから。




俺は、色んなところで、「権力を握った者」と対話をします。

そういう人と「円滑」に話すのには、工夫と努力が必要なんですね。


普通に話していても、うまくいかない。

へり下り過ぎても、卑屈になってしまって、かえって逆効果になっちゃう。


こういうことで苦悩している若者は、多いんでしょうね。

おっさんになった俺でも、同じように悩んでいるんだから、

むしろ、若者の皆さんの方が、ずっとえらいですよ☆





俺は、リアルでも、ネットでも、友達がいます。

多いか少ないかはわかりませんが、身分相応の仲間たちが、支えてくれています。


だからこそ、俺って、倒れそうで倒れないんですね(笑)


普段は仲良しなんだけど、ここぞという時に、俺を追いつめる人がいる。

普段は辛口なんだけど、ここぞという時に、的確な助言をしてくれる人がいる。


俺には、変化球でも受け止める「技術」があるので、大抵の言葉は大丈夫。

でも、時たま、ひどいことを平気でぶつけてくる人がいる。

その人にとっては、それが「普通」なんだと思う。

そういうレベルの言葉で、今まで、うまく行っていたんだと思う。

これを言えば誰でも自分にひれ伏すような、キメ言葉なんでしょうな。


だれど、「誰にでも通用する便利な魔法の言葉」なんて、存在しない。

もし、存在すると信じているなら、はっきり言ってバカである。


言葉というのは、相手の数だけ千変万化であり、1つとして同じものなんかない。

そこは、「映画熱」の桑畑四十郎として、強く力説したい。





人は、自分なりの「感覚」を持っている。

それは、絶えず変化している、実に「不安定」なシロモノなのである。


人との交流は、ほんの「一瞬」である。

出会いと縁とタイミングが揃うのは、「奇跡」なのである。

その「一瞬」を的確に捉えることができるのは、「感覚」のおかげなのだ。




誰かと話した時、何かを見た時、聞いた時、触れた時、

「心地いい」と感じるか。

「気色悪い」と感じるか。

「どうでもいい」と感じるか。

「嫌だけど、すごく気になる」と感じるか。


ネットの流行語で言うと、「人それぞれ」。

これって、便利な言葉ですよね。

「ただし、イケメンに限る」とか、

「それって、釣りですか?」とか、

今どきは、絵文字とか、ラインのスタンプとか、色々あるんだろうけど、

そこに込められた「思い」は、ダイレクトに伝わるんですよね。


「悪気のない言葉」が、「悪意」と解釈され、

「心のこもった言葉」が、「誤解」される。


それは、双方の持つ「感性の違い」がもたらされる悲劇と言えましょう。


友達でも、恋人でも、家族でも、本質はおんなじ。



「感性が鈍い」のは、発信者と受信者のどちらなんでしょうね…?







会話というのは、無条件で伝わるほど、甘いもんじゃない。


それは、俺が48年間生きてきた「経験上」、断言できます。


創意工夫。

取捨選択。

切磋琢磨。

そして、一期一会。


どんなひどい人からも、必ず、学ぶべきものがある。

だから俺は、どんな人からも、何かを学び取る根性があります。


その結論が出ないうちは、その人との関係は終わっていないから。



俺に、つっかかってくる人。

俺を、罵倒する人。

俺を、やり込めようとする人。

俺を、踏み台にして、大きくジャンプする人。



同じことを言われても、聞く人によって、感じ方は違う。

同じことを言っても、誰が言ったかによって、印象はまるで違う。



有名人が言った言葉には、説得力がある。

だからこそ、言葉を放つ者には、責任がある。


一般人だからこそ、無責任に、何でも言える。

しかしながら、何らかの影響は受けるようになっている。

それがきっと、宇宙の法則なのかも。

感じない人のには、無縁の世界である。



感性の鈍い人の方が、得なんじゃないかって思う時がある。

俺は、ある方向には敏感だけど、別のある方向には鈍感だと思う。

それは、B型のせいかもしれないし、暗い性格のせいかもしれない。


基本、「人と違って当たり前」という考えの男である。

俺と全く同じ感覚の人がいたら、ウソつけって思うもん。


自分と他者が違うことを楽しむために、感性という機能があるんだから。





人は、対象を判断するのに、各々の「ものさし」を使う。

しかし、その「ものさし」は、時々「狂う」のである。


例えば、金属製の定規があったりします。

その定規は、真夏と真冬とでは、測定値が微妙に違うと思いませんか…?


俺は、前の仕事で、1000分の1ミリという単位で戦っていました。

測定器の状態、気温、湿度、計測者の心理状態も考慮して、

精密機械部品を15年間作り続けてきた人間が言う言葉です。




人によって、時と場合によって、「正解」は違う!




「正解」「真実」「真意」「本音」「誠意」…


「伝え方」「伝わり方」「伝える技術」「受け止める技術」


相手に伝わりやすいように、ボールを投げていますか。

相手が取りやすくなるように、ボールを投げていますか。

相手が思わず「取りたい!」と思えるような、魅力的なボールを投げていますか。



逆の立場で、もう一度。


相手の真意を捉えようとして、ボールを受けていますか。

相手が投げやすいように、フォームを研究していますか。

相手が「もっと投げたい!」と思えるような、魅力的な自分になれていますか。



何度も言っていることですが、

一方通行の関係は、長続きしないんです。



『…彼は、私のこと何でもわかってくれるし、

 ありのままの私を無条件で受け入れてくれる、素敵な人なの。』


そういう「自慢話」を聞かされる度に、深いため息をついてしまう自分がいます。


でも、彼女に何を言ったとしても、俺の言葉なんか、ただの「雑音」だから、

相手の機嫌を損ねないようにしながら、適当に付き合うしかない。



飲み屋のカウンターで、「大人の男」を演じるのも、疲れる時があるんですよね。





話が長くなってしまったので、そろそろ終わります。



感覚というのは、生き物なので、その時によって、違って当たり前なんです。

それがわかっている人と、わかっていない人とでは、

同じ結果が出ても、受け止め方がまるで違う。




自分は今、こういう状態だから、こういう思考になっているかもしれない。


そう思えた瞬間に、「会話のプロ」としての自分が育っていきます。



少ない情報で、瞬時に察知できる人もいれば、

情報が多いのに、さっぱりわからない人もいます。


多くを伝えているのに、全然伝わらない人もいれば、

数個のキーワードで、理解してもらえる人もいます。



話をする人。

話を聞く人。


基本、どちらかがしっかりしていれば、会話は成立します。


会話力の差はあっても、ゼロやマイナスでない限り、一方が補えます。


相手が、協力する姿勢ゼロなら、もう放っておけばいい。

いたずらに会話しても、パワーを吸い取られるだけだから。


でも、相手が少しでも「歩み寄りの姿勢」を見せるなら、

力を奪われない程度に、付き合ってあげてもいい。



感覚の鋭い人には、それなりの表現で。

感覚の鈍い人には、かなり強めの言葉で。


俺は、鈍い人たちが、羨ましい。

こんなに敏感でなかったら、こんなに苦悩な人生も送っていなかっただろうから。


伝わらない、苦しさ。

理解できない、もどかしさ。


さあ、どっちがつらいんでしょうね。




人間関係って、面倒くさい。

年を取る毎に、強く感じます。



簡単に伝わる人とだけ付き合っていると、確かに、楽。

でも、その状態では、脳は退化していく。


思考が凝り固まった人との会話は、ただひたすら、疲れるだけ。

その本人も、心の底では、面白くないはずなんだよね…


会話って、刺激があるからこそ、盛り上がるものなんだから。




思ったことを、すぐに口にする人は、甘やかされて育ったのかもしれない。

みんなが言いたいことをそのまま発言したら、この世は破綻してしまうから。


感じたことを、相手が理解しやすいようにアレンジして伝えるのが、大人の会話である。



ストレートな言葉でラリーしてケンカできるのは、30代まで。

大人になればなるほど、グレードの高い領域で楽しみたい。



年齢的にはかなり先輩でも、幼稚な飲み方をしているおっさんがいる。

若いのに、すごくしっかりした会話ができる、頼もしい飲み仲間がいる。


彼らの違いは、何だろうか。


知識だろうか。

経験だろうか。

金銭的に恵まれているからだろうか。

権力を持っているからだろうか。


それは、少し話せば、すぐに見えてくる。

苦労した人、苦悩した人は、乗り越え方によって、言葉の重みが違うのだ。



俺は、人と話すことを仕事にしていた時期もあったから、

色んな年齢の人と話す感覚が、それなりに備わっています。


それが、プラスに作用することもあるし、マイナスに働くこともある。


きっと、いつまで経っても、悩みは尽きないんだろうな。



伝えるのって、難しいし大変だけど、

手強い相手に、ちゃんとしっかりと伝わった時の喜びは大きい。



俺はきっと、豚に笑われていることでしょうな。



感覚が狂うと、ものさしも狂う。

そこに、いち早く気づくことができれば、まだ救いがある。

困るのは、狂った基準をスタンダードにしてしまうこと。

それは、恐ろしこと。


色んな職場で、傍若無人な輩をたくさん見てきました。

中には、やり合った人もいました。

その人が「権力者」だったせいで、風当たりが強くなり、

辞めざるを得なくなったこともしばしばありました。


ボロボロになっても、ボロ雑巾のように廃棄されても、

精神を病んでも、世捨て人になっても、

俺は、自分を見失いませんでした。


意外と、頑固なのかも。




冗談が、通じない人。

リップサービスや社交辞令を、まともに受ける人。

好意を、仇で返す人。

自分の中に渦巻いている悪意に、全く気づいていない人。

自己反省せず、悪いことを全部人のせいにする人。




脳が、止まっている人。

脳が、動いている人。


感性が、死んでいる人。

感性が、生きようとしている人。


数分間話すと、すぐにわかります。

わかりたくなくても、感じ取ってしまうんです。



この能力、早く退化しないかな。

そうすれば、生きるのが少しだけ、楽になるような気がします。



早くボケて、人生をさっさと終わらせてしまいたいなあ。








今週はずっと、そんなことを考えていました。


すいません、ダラダラと長くなってしまって。


明日は、休みなので、行けたら映画に行って来ようと思います。




最後まで読んで下さった「心の広い読者様」に感謝です。


いつ死んでもおかしくない桑畑ですが、しぶとくまだ生きております。


命ある限り、言葉を発信して参ります。



皆様、今週もおつかれさまでした。

ここまで生き抜いて下さって、感謝です。



生き残れるって、奇跡なんですよ。




見えないエールを送って下さる方々に、ありがとう。


このスコッチを飲み干したら、布団に入ります。




おやすみなさい。







いいね!した人  |  リブログ(0)
2015-07-22

豚コラム 「灼熱地獄」

テーマ:豚コラム
毎日、暑い日が続いております。


今日の肥育舎の温度は、37.5℃まで上昇しました。

仕事中に、何度も頭がふらふらしてしまいます。


水分補給をしても、全部汗で出て行くみたいで、

滝のように、全身から汗が吹き出てきます。


単独行動は、90分が限度かな…


6月から、新人くん(24歳男性)が入社したんですが、

昨日、熱中症でダウンしました(笑)


まあ、こんな暑さじゃあ、無理もないわな。

でも、この仕事をやりたいと応募してきた根性は買いましょう。

今、Cさんのもとで、修行中。

彼の呼称は、「D君」にします。

将来、この業界を背負って立つ若者に成長してくれるといいですね。




この仕事は、何といっても、体力勝負です。

体が動かなければ、何にもできない。

足腰の痛みは、一年中。

生傷や青アザも、絶えません。


獣と格闘しながら、時には触れ合いながら、じっくりと育てていくのです。



暑い日が続くと、豚が餌をあまり食べなくなります。

当然ながら、増体が悪くなっちゃう。

予定の日よりも、出荷日が遅れてしまうから、その分だけ経費がかかっちゃう。

次の豚を入れる場所が乏しくなるから、生産ラインが滞っちゃう。

豚の世話をする時間が長くなるから、洗浄や消毒をする時間を奪われちゃう。

具合が悪くなれば、治療も増えて、薬代もたくさんかかっちゃう。


工場で機械部品を生産するのとは、また違う問題があるんですよね。



で、こんなに暑いと、人間の脳も、まともに機能しなくなる。

ぼーっとしていると、危険が多くなる。

過酷な状況においても、状況を冷静に判断して、的確に処理せねばならない。


まさに、「灼熱地獄の戦場」なんですね。




俺は、この仕事に就いてまだ2年だけど、まだまだ慣れません。

毎日、新しい発見をして、目下勉強中の身です。


プレッシャーは多いけど、体中が痛いけど、

毎日、暑さで死にそうになるけど、

今日も、奇跡的に無事帰って参りました。



冷えたビールを喉に流し込むと、生きている実感がします。


あ~ 体中の力が抜ける~

48歳のおっさんは、悪戦苦闘しながら、毎日がんばっております☆

いいね!した人  |  リブログ(0)
2015-07-18

映画 「ターミネーター:新起動 ジェニシス」

テーマ:アニメ・特撮
人間以外の者の方が、かえって人間らしく見えたりすることがある。



大作を見るのは、久しぶりでした。

俺が見たい映画は、すぐに上映が終了してしまうのが多いので、

必然的に、大作は後回しになっちゃう。

で、行けるかな、と思った頃には、賞味期限が過ぎているんですな。


今週は、他に見たい映画があまりなかったのと、

灼熱地獄の職場で何度もぶっ倒れそうになったこともあって、

近くて便利な最寄りの映画館で、楽に見られそうなこれを選びました。




最近はずうっと「セッション」のドラム音が鳴り止まなかった俺の脳内ですが、

今日でようやく切り替わりました。


~だだんだん、だだん! だだんだん、だだん!



いいですねえ、ターミネーター。

もうすでに5作目になるんですね。(ちなみに全部劇場で見ています)

1を、新潟市の映画館「東宝スカラ座」で見た時は、まだ高校2年だったかな。

悪役のロボットがカッコいいなんて感じたのは、新鮮な衝撃でした。

古くは、ユル・ブリンナーの「ウエスト・ワールド」。

石森章太郎の「人造人間キカイダー」に登場するハカイダーなど。


勧善懲悪なんて、おめでたい夢物語であると気づかせてくれたのは、彼らのおかげ。

悪役が魅力的であればあるほど、SF映画は盛り上がっていくんです。


シュワちゃんは、毎度おなじみのセリフ「アイル・ビー・バック」を引っさげて登場。

一体何回戻って来たら気が済むのかわかりませんが、このセリフを聞く度に、

お約束の笑いと、またはじまったか、しょうがねえなあというため息が出ます。



今回は、サービス精神旺盛で、内容もなかなかてんこ盛りです。

何しろ、シュワが青年期、中年期、老年期と3タイプ登場。

コナー親子も、カイル兄ちゃんも、全くの別キャスティング。

シリーズを全く知らない人が見ると、ワケわかんないかも。


だけど、コアなファンにとっては、濃ゆいシーンの連続。

ターミネーターシリーズはもちろん、シュワの過去の映画へのオマージュも。

「コマンドー」「バットマン&ロビン」を思い出すシーンがありますよ☆




物語は、未来からスタートし、過去と現在をタイムトラベルしていきます。

それって、「バック・トゥ・ザ・なんとか」じゃん!とツッコミたくなりますが、

もともと、そういう要素もあっての素材なので、全く問題なし。


時間旅行する時は、衣服を身に付けていてはいけない。なんていうルールがあるから、

健全そうなヒロインのサラちゃんも、サラっと服を脱いじゃう。

お色気シーンはないけど、小学生の男の子諸君は、ちょっとムラムラして下さい。



今回のキャスティングは、イメージがどうのこうのと批判を浴びているようですが、

俺、最近のSF系俳優事情を全然知らないので、普通に楽しめました。

サラちゃんは、リンダ・ハミルトンのようなダークな印象はゼロで、

孤独でたくましい女戦士というよりは、引越し屋のバイトみたいなイメージ。

小柄だけど、重たい物は持てそうなので、酔っ払いをおんぶできそう。

設定ではウエイトレスだそうですが、彼女なら、居酒屋がいいよね♪



T-1000役で、イ・ビョンホンが登場。

細身で無表情の俳優という点で、ロバート・パトリック路線ですな。

分散した自分の「パーツ」をちゃんと回収するところが、マメで笑えます。



そして、俺が一番びっくりしたのが、またしてもJ・K・シモンズ!

このジジイが登場した途端に、また俺の脳内にドラムスコアが流れました(笑)

でも、今回は、ちょっとくたびれた感じの、初老刑事。

う~ん、あの精悍な顔つきの恐ろしいクソジジイとは、かなり違います。

彼って、「スパイダーマン」でも編集長の役かなんかで出ていたし、

やっぱり、実力のあるベテラン俳優なんですなあ。


色んな意味で、お腹いっぱいになってしまいますね☆






1作目は、得体の知れない強さを持つサイバーダインT-800が魅力でした。

2作目は、シャープな最新型T-1000と、旧型T-800のバトルがスリリング。

3作目は、ジョンが貧相だったのと、シュワの肉体が貧弱だったので、痛々しかった。

4作目は、クリスチャン・ベールとサム・ワーシントンの熱演が、男のドラマを盛り上げた。


5作目の本作は、シュワが楽しそうなのがいいですね。


第1作目の時は、無愛想で無表情な彼を見て、監督にダメ出しをされたらしい。

しかし、あえてその「不器用さ」がいいと判断し、キャラ作りが膨らんだそうな。

つまり、シュワという稀有な人物なしには、このシリーズは生まれなかったんですね。



今回のシュワターミネーターには、「笑顔になる」という機能が搭載されています。

この、わざとらしい笑顔が、何だか味があってなかなかよろしい。

やっぱり彼は、ずっと演技が下手なままの方がいいですね(笑)

ぜひアメリカは、世界中のマックに彼のロボットを置いて下さい。

(彼のスマイルは0円じゃなく、有料になるだろうけど)




俺は個人的には、ターミネーターよりはロボコップの方が好きです。

でも、ターミネーターも、やっぱり好き。

どちらかといえば、「ポンコツ感」のあるロボットに魅力を感じるんです。


洗練され過ぎて、あたたかみのないメカは、あんまり好きじゃない。

すぐに壊れそうな、手作り感のあるマシンがいいんですね。



機械VS人間、という構図は、なんだかつまんない。

機械って、もとは人間が作った物なんだから、どこかに「人間らしさ」がある。

機械に対して、脅威を感じる人間。

人間に対して、ある種の「苛立ち」を「感じる」機械。

そういう風な要素を取り入れると、物語の魅力が増していくんです。



俺は、工場で働くことが多い人間だったから、機械もたくさん扱いました。

機械といえども、毎回全く同じ仕事をするわけじゃない。

命令通りに動くこともあれば、勝手に誤動作する時もある。


『…このタイプの機械だと、この加工はできない。』とメーカーに言われても、

俺のオリジナルプログラムで、性能以上の仕事をしたことは何度もあります。

機械は、単独では、ちゃんとした仕事ができない。

面倒を見る人間の情熱と個性によって、少なからず「影響」を受けるのです。



俺が最後に会社をクビになる前に、旧式の機械で、最新型に負けない仕事をたくさんした。

俺が扱った機械たちは、俺のやり方を、どこかで「記憶」していたかもしれない。


機械が、「人間によって生み出されたもの」である以上、

奴らにとっても、人間は「特別な存在」であるはずなのだ。



新しいマシンと、古いマシンが格闘する姿は、見ていて、目頭が熱くなっちゃう。

俺もまた、新しいマシンたちの導入によって廃棄された、ポンコツなんですから。


自分が壊れても、最後まで役目を果たそうと、最善を尽くして戦う。

これぞ、ポンコツの美学。

ターミネーターにも、ロボコップにも、そういう「はかない魅力」があるんですね。



本作は、3部作の1つ目に当たるそうな。

タイトルの「ジェニシス」は、ネットのシステムの名前らしい。

「ジェネシス」(創世記)とは、スペルが違うんですね。

天才の「ジニアス」と「システム」を合体させた造語なのかも。

興味ある方は、調べてみて下さい。




映画というのは、生き物である。

進化もすれば、退化もする。

機械には、耐久年数というものがあり、人間には、寿命というものがある。

永遠に続くものなんて、この世にはない。



当たり前に太陽が昇り、夕日が沈んで夜になるのも、実は奇跡なのだ。

四季があったり、生命が誕生するのも、死別するのも、

意味があるようでないようで、実は、よくわからない。


人の心がいつも同じでないように、

機械の状態も、いつも同じではない。


過去を書き換えることによって、未来を変えようという作業は、

メリットもデメリットも、同時に生み出していく。



いつも、自分だけ「おいしい思い」をしようとする人は、いずれ破綻する。

機械は万能ではない。効率がいい面と、恐ろしく効率が悪い面が同居しているのである。

それを理解した上で、一番最善な方法を選択していくのが、人間の役目。


そういう使い方をすることで、機械自身もまた「幸せ」を感じるのかもしれない。



SFは、男のロマンである。

そんなバカな、ということを、大真面目でやるのが、男という生き物の面白いところ。



ペットに、愛着を感じるように、

植物に、愛情を注ぐように、

愛車を、大切に扱うように、

愛読書を、何度も読み返すように、

愛盤を、何度もしみじみと聴くように、


愛情を込めて接すれば、人も物も、生き生きとしていく。

そういう時、物たちは、より人間の心に近づいていけるのである。



殺人マシン、ターミネーター。

高度な知性を誇る人間が生み出した、素晴らしい映画シリーズ。


ぜひ、観客たちの心で、育てていきましょう。



では、皆さん、ご一緒に。

せ~の、


…だだんだん、だだん!








【作品データ】


監督:アラン・テイラー 脚本:レータ・カログリディス パトリック・ルシェ

撮影:クレイマー・モーゲンソー 音楽:ローン・バルフェ

出演:アーノルド・シュワルツェネッガー ジェイソン・クラーク

   エミリア・クラーク ジェイ・コートニー J・K・シモンズ

   マット・スミス イ・ビョンホン



 (2015年アメリカ 上映時間:125分)



☆エンドロールの途中で、オマケ映像が流れます。主題歌が流れたら、退席してOK。











いいね!した人  |  リブログ(0)
2015-07-16

U-NOTE Ⅱ 「ゆらぐ心」

テーマ:ケガ・病気
昨日はどうも、心の中で迷子になってしまったらしく、

変な文章を書いてしまった…と思い、

恥ずかしいから消そうかな…なんて考えて、改めて読んでみると、

さほどひどい文章でもないかな…と考え直して、残すことにしました。



考えてみれば、うつで苦しんでいる時って、

すごい長文の記事をアップした後で、嫌になって全部消したこともありました。

紙に書いては破いて捨てるように、

記事を公開しては、削除ばっかりしていました。


書いては消し、書いては消し…

でも、書かずにはいられませんでした。


誰にも読まれることがないてわかっているのに、

誰にも理解されることなどないってわかっているのに、

気がつくと、何かを書いていました。



今となっては、それが、うつを克服するのにプラスだったと思うのですが、

実際、苦しい作業なんですね。



俺は基本、どうせ書くなら、人を楽しませるような文章を書きたいと思っています。

どんなに苦しい時でも、サービス精神を忘れたくない。


長く読んで下さっている読者の方の中には、

俺が記事をアップして、数時間で消した「幻の記事」を読んだ人がいるかもしれない。

そう思うと、恥ずかしい気持ちになります。




今現在、うつの症状は鎮静化しています。

時たま、異変を感じることもありますが、

冷静に対処すれば、大事に至ることはないので、今のところ大丈夫。


この病気は、「治る」ことはないのかもしれないけど、

上手に付き合えば、色んな精神的体験ができるから、いいこともあるんですよ。


少なくとも、鈍感な人よりは、心の奥底で、深いお付き合いができます。

自分が苦しんだ分だけ、誰かに優しくできるようになります。


でも、「乗り越える」ことができなければ、無理です。

自分のことで精一杯の人は、ご自身のことを優先して下さい。

力が出ないのに、誰かを助けようとするのが、無理というもの。


人によって、乗り越え方は違うから、

慌てずに、自分なりのやり方を探せばよろしい。





最近強く感じるのは、「人の心は、ゆらぐ」ということ。

個人差はあるけれど、たしかに、ある。


昨日の自分と、今日の自分は、違う。

さっきの自分と、今の自分は、違う。


同じようでいて、何かが違うんです。

その違いがわかるのは、感性が鋭い人。



敏感であることは、プラスに作用する場合もあれば、マイナスに作用する場合もある。

鈍感だからこそ、救われている場合もある。


敏感な人には、敏感な人なりに。

鈍感な人には、鈍感な人なりに。

それぞれに適した「担当領域」があるんじゃないかな…と思うんですね。



その人にしかない「個性」は、何か大きな「役割」があるのかも。




人の心は、いつも同じじゃない。

それに気づいている人と、気づいていない人がいる。


絶えず、変化している。


生命というのは、そういうものなんじゃないかと思う。

生きているからこそ、常に変化している。


だから、新鮮なんです。





俺は、「お約束」とか「予定調和」が嫌いです。

「社交辞令」も、「模範解答」も、大っ嫌い!



心と心は、反応するもの。

いい反応もあれば、痛々しい反応もある。


音叉のように、共鳴して、伝播していく…



気持ちいい。

気持ち悪い。


心地いい。

心地悪い。


好きなパターン。

嫌いなパターン。



どうして、いつも、こうなっちゃうんだろう?

そう考える前に、少しだけ、違う視点で、考えてみましょう。



世の中、そんなに、悪いことばかりじゃない。

見方を変えれば、同じものでも、違うものに見えてくる。


ダメだと思っていたものが、少しだけ、よく思えてくる時がある。



揺らぐ心。

心は、いつも同じじゃない。

常に、揺れ動いている。


それがわかっているだけで、世界は、まるで違ったものに見えてくる。



変化を望む人。

変化を嫌う人。


望もうが、嫌おうが、人の心は、変わっていくんです。



「揺れ動く」というのは、無差別とか、無機質なものではないと、俺は思います。


それは、何かしらの「意思」と「方向性」を持っている。

それは、何かしらの「理由」「必然性」を秘めている。



心って、同じ場所にとどまっていないんですね。

だから、常に、揺れ動く。

だから、常に、新鮮な栄養を求めている。



…それは、心が、生きている証拠なんじゃないかな。




いいね!した人  |  リブログ(0)
2015-07-15

メンタルコラム 「イライラは伝染する」

テーマ:メンタルコラム
暑い日が続くせいか、イライラする人が増えているような気がします。



愚痴を言うって、よくあること。

八つ当たりって、よくあること。

嫌味を言うのも、よくあること。


サラッとしているのは、まだいいんですが、

どうも、粘着性のある言葉や、尖った言葉を浴びせられると、


…突き刺さるんですよね。


ショックというほど、大げさではないけれど、

些細なことというほど、小規模じゃないんだけど、


…やっぱり、突き刺さってしまう。




傷口そのものは、小さいけど、奥が深い。

神経の奥の奥まで、破壊されている感じなんですね。


…これが、こたえてしまう。




ああ、この感覚、イヤなんです。

気持ち悪くて、居心地悪くて、落ち着かない。



こういう時、人は、誰かに感情を「丸投げ」してしまうのかも。

自分が感じたイライラを、そのまま誰かにぶつけることができれば、楽なのかも。


ついでに、自分が持っているドス黒いものも、相手に持って行ってもらう…



ああ、恐ろしい。

無意識に、そんなことをしてしまっているかもしれない自分が、恐ろしい。


気をつけていても、イライラしている時は、心の制御がユルくなってしまうのだ。








愚痴を言える相手がいる人は、幸いである。

八つ当たりする相手がいる人は、幸いである。

嫌味を言う相手がいる人は、幸いである。


だからこそ、ぜひ今度は、その人の話を、思いっきり聞いてあげて欲しい。



もらってばかりでは、気持ち悪いから。

奪ってばかりでは、気持ち悪いから。



よく考えれば、わかること。


「イライラ」は、伝染して、増幅されて、得体の知れない力に変わっていく。

「優しさ」は、誰かで止まってしまい、なかったことになってしまう。



わかって欲しい。

気づいて欲しい。


その思いが、誰かを追いつめてしまう。

「言いたいことを言う」って、すごく恐ろしいこと。



言葉って、いつまでも、突き刺さるから。

言葉って、いつまでも、心に残るから。


何気ない言葉の、殺傷能力を、ほんのちょっとでいいから、考えてみて欲しい。

自分が伝えたかった「本当の意味」は、相手に正しく伝わっていますか。


言いたいことを言った後は、よく考えましょう。

あなたの身近にいる大切な人の心を、失わないためにも…



どうせ「伝染」させるなら、もっといいものにしたいですよね。


生きる力って、誰かから奪い取るんじゃなくて、自分の中から湧いてくるものだから。


そういう「いいもの」を、誰かに伝えて、喜びを分かち合うべきものなんじゃないかと。



ああ、ひどく、疲れているようです。

でも、心は雲っていないし、死んでいない。


だから、大丈夫。

明日も、ちゃんとやれる。









…以上、オヤジの愚痴でした。戯言なので、読み捨てて下さい。



明日は早朝から出荷なので、今夜はもう寝ます。

読者の皆様が、いい夢を見られますように。

いいね!した人  |  リブログ(0)
2015-07-13

のあのあジャズライブ、絶好調!

テーマ:ライブ
昨夜、久しぶりにのあのあジャズライブに行って参りました。

ピアニストの山本美恵さんと、ボーカリストの阿部真由美さんのデュオに、

2人のゲストが応援に駆け付け、豪華なカルテットになりました☆


今回の選曲が、映画音楽中心だったので、俺にとってはオイシかったです(笑)

中でも、映画「バグダッド・カフェ」の名曲「コーリング・ユー」は絶品でした。

真由美姉さんは、とっても色気のある、大人のシンガーだと思います。


大人の女性の、プロの表現力って、マジでスゴいです。

堂々とした凛々しいお姿に、すっかり魅了されてしまいました。



チャップリンの「ライムライト」で流れた「スマイル」もよかったですね。

マイケル・ジャクソンのカバーが有名ですが、誰が歌っても、いいものはいい。



飛び入りで登場した若い女性シンガーは、はっきり言って俺の好みじゃないけど、

歌はものすごく上手いので、きっとこれからブレイクする人なんだと思います。




ライブが終わった後に、たまたま近くの席にいらっしゃったので、

真由美お姉さんと、色々とお話しする時間が持てました。

映画の話で盛り上がったので、俺が一番愛する曲を伝えて、

彼女のレパートリーに加えてもらえたらいいな~なんて言っちゃいました(汗)



彼女は、石川県出身で、新潟にお嫁に来て、現在は、サンフランシスコ在住。

日本の女性は、現地ではすごくモテるそうです(笑)

きっと、男の扱い方も、あしらい方も上手なんだろうなあ。

そんな雰囲気のある、素敵な大人の女性でした。



ライブには、地元メディアの「県央ドットコム」が取材に来ていたので、

かなり、グレードの高いイベントだったんですね。


マスターが話を振ってくれたので、のあのあシアターのことも、少し聞かれました(笑)





老若男女を問わず、音楽を楽しめるイベントは、とても貴重だと思います。


ジャズって、奥が深くて、とても楽しい世界。

のあのあでは、月イチでライブをやっていますので、ぜひ一度お越し下さい。

店が狭いので、すごく近くで見られますよ☆

「のあのあジャズライブ」で検索すると、マスターのフェイスブックを観覧できます。

真由美お姉さんの写真も見られますので、興味のある方はぜひ。

昨夜のライブでは、CDを購入した人に、直筆サインのサービスもありましたよ☆



ここまでジャズライブが盛り上がるのも、マスターのバイタリティのなせる技ですね。

彼は、とても才能がある人なので、どんどん活躍して欲しいと思います。





で、ついでに、のあのあシアターも「おまけ的存在」で、静かに盛り上がってます(笑)

来月のシアターの日は、長岡花火とぶつかるから、誰も来ないかもしれないけど(汗)


常連の皆様、映画会も覚えていて下さいね~



いいね!した人  |  リブログ(0)
2015-07-12

映画コラム 「続々・嫌な奴」

テーマ:映画コラム
この話は、今日で終わりにします。

ここまで書かないと、前に進めないので。



自分でも思いますが、俺自身もまた、「嫌な奴」だと思うんです。


誰かにとって「いい人」というのは、他の誰かにとっては「悪い人」だったりするもの。

誰かに「愛される人」は、どこかで「憎まれる人」になってしまうもの。


みんなが「幸せ」になることは無理だし、みんなが「不幸」になることも、あり得ない。

世の中は、全てにおいて、「二面性」があるんですね。



何かを「肯定」すれば、何かを「否定」することにつながる。

何かを「比較」すれば、必ず「不平等」が生じる。


これは、仕方のないことなんです。




喜び合おうと思って言った言葉が、相手を怒らせることがある。

「冗談」は、「嫌味」と解釈され、

「褒め言葉」は、「馬鹿にされている」と受け取られてしまう。


気持ちというのは、なかなか正しく伝わらない。

相手の気分や目線によって、「基準」は大きく変化していく。

「世間の常識」も、「情報」と「イメージ」によって、常に揺れ動いている。



当たり前だ。人間という存在自体が、そもそもそういうもんなんだから。



人の気持ちは、コロコロ変わる。

人の記憶は、どんどん薄れていく。

誰かに言い放った言葉なんて、関心がないからすぐに忘れてしまう。

誰かが傷つくなんてことを考えないから、悪いのは自分じゃないと思い込む。


怒りを感じた時に、リアルタイム現行犯で言わなければ、意味がないのである。

後から文句を言うくらいなら、その場でできるだけ言った方がいい。

「我慢」は、「美徳」じゃない場合もあるのだ。

「沈黙」は、「容認」と受け取られるものだから。



長年蓄積された「恨み」を晴らす。

気に食わないから「いじめる」。

相手が反撃してこないから、味をしめて癖になっていく。

物陰に隠れて、大勢で1人を痛めつける。


最初は、心の中で「よくない」という感じがあっても、

誰にも文句を言われないと、「許される行為」だと勝手に解釈してしまうのだ。


それが、とてつもなく、怖い。



「当たり前のこと」ほど、疑ってみる価値はある。

情報が多ければ多いほど、思考や選択肢は混乱していく。

自分の心が置き去りになっていると、いとも簡単に、心にすりこまれてしまう。



俺は、マニュアル的な映画評論が、あまり好きじゃない。

というか、嫌いなんだと思う。

執筆している人の「心」が見えてこない文章は、気持ち悪いのである。

知識とか、定番とか、名作とか、基本がどうとか…


ああ、うぜえ。



これ見よがしに、博識ぶりを披露するだけの人間は、哀しい。

それで自分が満足しているなら、それもいい。

でも俺は、そういう人間になりたくない。



若い頃は、背伸びをして、どんな映画もベタ褒めしていた時期があった。

でもそれは、すごく気持ちの悪いことだった。

古くても新しくても、いいものは、いい。

名作であろうが、傑作であろうが、つまんないものはつまんない。

そう感じる自分の心を正直に打ち明ける勇気は、絶対あった方がいい。



俺が「いい」と感じる映画は、他の誰かにとっては「つまらない」映画かもしれない。

それは、構わない。よくあることだから。


映画そのものが「つまらない」のなら、それは問題ない。全然OK。

だけど、「俺が面白い」と言うから「つまらない」と思うのが、問題なのだ。


俺は、そういう人間にだけは、なりたくないんです。



映画は、「好き嫌いを判別する道具」じゃない。

映画は、どんな人でも、平等に楽しめる媒体であり、夢の芸術なんです。


映画好きには、色んなタイプがいます。

たくさん「知っている人」ほど、肝心なところを「知らない人」だったり。

たくさん「見ている人」ほど、重要なところを「見ていない人」だったり。


年間500本見ても、心に残る1本が見つからなかったら、

素晴らしい映画を1本だけ見て、その感動で一生を生きた方がいい。


見た本数ではなく、心を揺さぶられた「深さ」が、俺は大事だと思うんです。



俺は、「自分の感じ方」を、大切にする男です。

そして、「相手の感じ方」も、最大限尊重したい男です。


感想が正反対でも、話をすると楽しい人がいます。

映画を愛する心が通じ合っていると、飲み屋のカウンターが盛り上がるのです。

相手をやりこめてやろうとか、自分が優位に立ちたいと考えている人は、

言葉そのものが、どうしようもなく、薄汚ねえ。


映画を語る人でも、音楽を語る人でも、アートを語る人でも、

心が雲っていると、見えるべきものが見えなくなっていく。



俺は、どんな人からでも、色んなものを吸収したいと心掛けていますが、

やっぱり、ダメなものはダメなんです。

酔っ払って絡んでくる人、ネットで罵倒してくる人…


相手をすればするほど、ダメージが蓄積されていく。

そんな時は、拒絶してもいい。

そうしないと、自分が壊れてしまう。



前にいた会社のパワハラ上司は、性格の悪いクソババアだった。

そんな奴に15年も仕えた俺の精神力って、大したもんだと思う。



「セッション」のJ・K・シモンズは、「鬼教官」といえば聞こえはいいが、

生徒の精神を破壊する恐ろしさを持った男である。

彼は、自分の感覚こそ正しいと信じ、気に食わない奴は、罵倒する。

プロだからこその教育方法なのかもしれないが、このやり方は、破綻する。


何度も言っている言葉ですが、

人を動かす一番簡単な方法は、「脅迫」なんです。


「緊張」と「弛緩」のバランスは、とても大切。

どちらか一方が強すぎても、弱すぎても、うまくいかない。

そしてそれは、当事者の精神状態にも、大きく左右される。


「正しい言葉」は、人を追い詰め、怒らせる。

「正論」は、情け容赦がない。



世の中、何でも上手にこなせる人は、そうなかなかいない。

一時的に天才的な仕事ができる人は、たくさんいる。

でも、それを「やり続ける」のは、すごく大変なことなんです。



俺は、気づいたら、ブログを初めて10年経っていました。

最初から、10年もやろうなんて、考えたこともなかったです。

病気で苦しんだこともあったし、ネット上で罵倒されたこともあったし、

大喧嘩したこともあったし、いい仲間がたくさんいた時もあった。


俺の仲間たちは、ほとんどアメーバをやめてしまって、交流はなくなりましたが、

誰かがいなくなれば、新しい誰かとの出会いがあるものです。



自分を偽って、人に迎合しても、真の意味では、楽しくない。

いい関係というのは、一方通行では成り立たないんです。


自分のことを隠しながら付き合っても、永遠に理解されることはない。

相手のことを根掘り葉掘り聞く人ほど、自分のことは全く話さない。

それで、「話してくれない」と嘆いている。

相手は、「怖くて話せない」だけなのに。



人の心に、土足で踏み込むことは、俺にはできない。

鎧をまとって、武器を持っている人に、心なんて開けるはずがない。


俺は、「無防備」なようでいて、心のどこかで「身構えて」いる男です。

基本、「お人よし」だけど、「攻撃」を受ければ「反撃」します。


それは、生きていくために、必要なことだから。

48年も生きていれば、そういう「心の装備」が身に付くというもの。



人の機嫌ばかり伺っていたら、自分が破綻してしまう。

「重心」が大事なのは、武道から学んだこと。


自分があり過ぎても、なさ過ぎても、うまくいかない。

相手に合わせ過ぎても、合わせなさ過ぎても、うまくいかない。


人に合わせない人は、たぶん、そのまんま年を重ねていくんだと思う。

人に合わせ過ぎて苦しんでいる人は、だんだんと霧が晴れていくと思う。


ストレスを感じない人は、その分、誰かにストレスを与えている。

人の気持ちに鈍感だから、相手が苦しもうが、関係ない。

敏感な奴が悪いんだ、という考え。

そう思い込んでいる人を、どうにかするなんてことは、不可能なんです。



人にはそれぞれ、精神領域の担当範囲があると思う。

奴の担当範囲。

読者の皆さんの担当範囲。

そして、俺だけの担当範囲。


俺はたまたま、映画が好きな男だった。

だから、映画の話を通して、自分の心を表現していくんです。


読む側の人は、俺の記述にいちいち迎合しなくてよろしい。

へえ、桑畑ってこんなことを感じ取る男なんだ、という程度で充分。

別に、偉そうに語る気はありません。

ただ、今感じたことを、今の感覚で書き残しておきたいだけなんです。



俺は今まで、バカ正直に生き過ぎてきたように思う。

もっと、自分が本当に言いたいことを、ズバッと言ってもいいのかもしれない。

リアルでも。

ネットでも。



そういう意味で、これからは、進んで「嫌な奴」になろうと思います。

少なくとも、「自分にとって嫌な奴」にはなりたくないから。



…その方が、もっと映画を楽しめるかもしれない。




いいね!した人  |  リブログ(0)
1 | 2 次ページ >> ▼ /

AD

ブログをはじめる

たくさんの芸能人・有名人が
書いているAmebaブログを
無料で簡単にはじめることができます。

公式トップブロガーへ応募

多くの方にご紹介したいブログを
執筆する方を「公式トップブロガー」
として認定しております。

芸能人・有名人ブログを開設

Amebaブログでは、芸能人・有名人ブログを
ご希望される著名人の方/事務所様を
随時募集しております。