久しぶりに「ホリスティック・リーディング」に参加したのはいいのだけれど、駐車場についたとたんかばんを忘れたことに気づく。
今日、読む予定だった本は、かばんの中,あちゃー。
でも、会場のすくーるふたばでは50音別に整理されているくらいだから、本がたくさんある。
最近、なんとなく三輪明宏さんに関心があったので、美輪さんも登場する「色っぽい人々」(松岡正剛対談集)を借りて読むことにした。
今日の趣向は、30分でマインドマップというメモをとりながら読むというもの。
数ある対談の中で、美輪さんと山口小夜子さんを選ぶことにした。
マインドマップは、テーマを真中において、そこから枝葉のように単語を継ぎ足していくのだけれど、私が今日選んだのは、「危うさ」と「幻」。
山口さんと美輪さんからイメージされた言葉だった。
本を読みながらマップを描いていくうち、浮かび上がったのは、「間(あいだ)」ということだった。
美輪さんは恋人を家に招待するとき、「洋食」なら「テーブル」を中心に「ドビュッシー、ショパン、キャンドル、庭、シフォンのイブニングドレス、ピアノ、歌」などでもてなし、翌日は「濡れ縁」を中心に「風呂、浴衣、ぼんぼり、花御座、虫、月、江戸弁、耳かき、膝枕」などでもてなしたのだという。
演出家であり、役者であり、舞台美術も手がける多重な美輪さんならではのもてなしだった。
山口小夜子さんの「白と黒」の色をめぐっての対談もおもしろかったのだけれど、「高野山を着る」という松岡さんの書いた文章が刺激的だった。
あるとき松岡さんがスーパーモデルの山口さんに「クジラ着られる?」と聞くと「着られる」と答えた。「じゃあ、高野山は?」と聞くと、「むずかしいけど着たい」。「着てほしいな」ということで、後日、約束の根津身術感にあらわれた山口さんは、袈裟を着てあらわれた。袈裟は「前後左右が動かされ、折られ、解放されて、袈裟ではない小夜子の高野山になっていたのである」、ということだったそうだ。
お二人の話を読んで、「私(本人)」と「恋人」とか「観客」の「あいだ」に「演ずる」とか「演出」があるのだと思った。「自己表現」のおしつけではなく、「恋人」や「観客」に媚びるでもなく、その「あいだ」を表現することによって生まれるコラボレーションのように思った。自分と相手を知らなければ、あるいは、思いをはせることによってのみ可能なことではなかろうか。
それにしても「クジラ着られる?」とか「高野山着られる?」とか聞いてくれる人がどれくらいいるだろうか? そんな危うさに出会っただけでも、かばんを忘れた甲斐があったというものだ。