2006-04-04 03:28:19

踊りましょう。

テーマ:kokoro

チャネリングの練習で「健康」についてガイドにたずねてみた。


答えが意外だったので書きたくなった。


ガイド曰く


踊りましょう。

からだを動かし、笑い、踊り、人生を楽しみましょう。

すべて踊るように楽しむことです。


ワクワクし、穏やかになることが健康へと結びついていきます。

感情へも好影響を及ぼすことでしょう。

ワクワク、ウズウズするような感覚を楽しんでください。


足底から伝わってくる感覚

地面をけって飛び上がるような感覚

踊りだすような感覚を楽しんでください。


ちゅうちょすることはありません。

ワクワクすることを楽しめばよいのです。


花見もよいでしょう。

音楽もよいでしょう。

会話もよいでしょう。


目を合わし

ハイタッチし

ハグし

踊りましょう。


そして、季節を楽しみましょう。

季節はめぐってきます。


そのめぐりを迎え

お酒を飲み 料理を楽しみ

月をめで 星を眺め

花をめで 虫たちをめで 鳥たちを楽しみ

高次の存在を楽しみ

雪解けを楽しみましょう。


氷がとけるように

あなたにも春はやってきます。


夏を楽しみ

踊って過ごしましょう。


 いきなり「踊りましょう」と言われても…

という感じだったが聞いていて楽しく

なつかしい感じだった。


そんなふうに日々を過ごせたらいいと思う。


近ごろワクワクすることは

ブロッコリーやタワシの絵を描いたり

三味線を弾いたりすることだ。


そうそう、シタールをチューニングしたときもワクワクした。

息子のために買ったのだけれど

一度さわってみたかったんだ。


弾き方がわからないので

練習用DVDを注文した。

また、さわれるのが楽しみだ。

うずうず。


それにしても踊るように生活するって

できたらいいなあ…。

2005-12-27 00:26:05

光の宝石

テーマ:kokoro

「魂の愛」(サネヤ・ロウマン著)を読んでいたら、

「相手の中にある暗闇ではなく、光の宝石だけに意識を当て、可能性と偉大さ目を向ける」

という個所があった。


実際に今日、つい批判的に見てしまった人のことを思い浮かべてやってみた。


その人のハートが光り輝くところが想像できて楽しかった。


 この前、中島啓子さんがテレビで、

「子どものとき、いじめられていた。

転向するとき、母から、

【いじめていた人に『ありがとう』と言ってプレゼントをあげなさい】

と言われて、半信半疑ながら、クラス全員にプレゼントを用意して最後に

自分をいじめていた人に『ありがとう』と言ったら、

『ごめんね』と言ってくれて、

母が言っていたのはこういうことだったんだとわかった」

というような話をしていたことが思い出された。


きっと、すばらしい交流が生まれたんだと思う。


私には、そこまでのことはできないと思った。


 でも、その話を思い出しつつ、私一人でできることをやってみたかった。


それが宝石のワークだった。


やってみたら、おもしろくなって、家族にもやってみた。


そしたら、やみつきになって、町内の人たち、仕事関係の人…ととまらなくなって、

子どものころからかかわりのあった人々、親戚、学校関係、会社関係、ボランティア関係と

思い浮かぶ人すべての宝石をながめていた。


批判や後悔の奥に宝石を想像することは感動的だった。


もちろん、もともと好印象をもたらしてくれた人にはさらに感謝が増した。


たまにはこんな大掃除もいいもんだ。

2005-12-24 10:15:50

人生の棚卸し

テーマ:kokoro

アトリエ21℃主催の「31リーディング」特別企画として、

「棚卸し2005」~今年の出来事を棚卸しし、2006年のビジョンの種をみつける~

という会をやったのだけれど、

最初に「ふりかえるのは、今年一年でもいいし、半生でもいいし、期間は自分で設定してください」

と言ったら、それぞれ30年、40年…とふりかえっていて、おかしかった。


印象に残った出来事を30~50個書き出すことで、

半生をたった15分でふりかえるというのは心地いい作業だった。


さてさて、私の場合、書き出したものを編集して話していると、抽象的で薄っぺらい気がしてきた。


そこに「感情がそぎ落とされていて、いつものように伝わってこない」と言ってくれる人がいて、

そのほか質問を受けている間に

「体が小さかったこと、おとなしいと言われつづけてきたこと、自転車に乗れなかったこと、運動ができなかったこと、考えるということができなかったこと・・・などの劣等感を克服しようとして学んできたことが、今につながっている。これからは、喜びが増えるような仕事・ボランティア・趣味・料理などの表現していきたい」

と編集されてきた。


そして、「もちろん劣等感は今でもあるんだけど、この年になるとなんでも克服しようとは思わなくなってきて、『○○ができた』という結果より、喜びや光というような感覚に焦点を合わせた生活を送りたいという願望が強くなってきた。死ぬときもっていけるものはなにかと思うとね。愛や光といった感覚に関心が向かっていっている。感情をそぎ落としているというより、味わいたい感情に焦点を合わせようとしているんだと思う」とふりかえっていた。


どんな質問をしてくれたのか忘れるくらい冷や汗ものの発表だったんだけど、聞かれることで自分なりにまとまってくるもんだとあらためて思った。


 今回、休憩を忘れるくらい印象的だったのが、養護学校の先生をされている方のお話だった。


「トイレに行けなくて中庭ですませちゃう子がいて、その子がトイレに行けるようになるまでを論文に書いたんです。起こっていることを現象として客観的にとらえると、だれでもできるから。今、子ども本人がやったという実感がもてる取り込みが少ないんです」


「最初、中庭でトイレをすませていた子が徐々に教室でできるようになり、廊下で、トイレで、と進んでいったんですけど、『今日は30センチ進んだね』という感じでした。あるとき、だきかかえてトイレに連れて行こうとすると、『意地でも行かないぞ』という感じで腕をかきむしられるは、髪を引っ張れるはで、最後は抱かれたままおもらしをするので、休憩時間になると雨合羽を着たり。私が近づくと『トイレに行かされる』と思われてはいけないので、他の時間はその子がやりたいことをほとんど受け入れるようにしました。そうやって受容されると、少しずつ指示する量がふやせるんです。背中をちょっと押したりしてもだいじょうぶになったり。学校ではどうしても、子どもが受容する前に手順を踏むことが重要視されたりね。『○○が終わらないと、遊んではいけません』みたいにね」


こうしてふりかえっても濃い半日だった。


2005-09-19 23:24:17

行き詰まり

テーマ:kokoro

心とか自分の内側とかいうものに興味をもち始めてから、

今日までのことをふりかえってみた。


瞑想というものを知ったものの一人ではできず、

コツをつかんだと思ってもまたできなくなり、

そのたびに新たに人や方法に出会ったことを思い出していた。


一人ではできないという”行き詰まり”が、

新たなステージに運んでくれた。


これからどこに行くのか分からない。


今は、

静かに座り、

静かに語らう時間がいとおしい。

2005-08-28 21:11:11

十三仏

テーマ:kokoro

「十三仏:生と死を超える旅とは何かを知る」というセミナーに行ってきた。


死後に出会う仏を体験するという企画だ。


僧正も参加されていた。


初七日の不動明王から33年の虚空蔵菩薩まで、さまざまな仏に出会った。


といってもそのエネルギーについていけず、ほとんど起きていられなかったんだけど。


それでも、「いきなり深いエネルギーになるから、瞑想の前にできるかぎり宇宙にまで意識を広げておいたほうがいいよ」というアドバイスをいただいてからは、なんとかついていけるようになって(宇宙の端までというわけにはいかなかったけど)。


虚空蔵菩薩は、強烈で美しかったなあ。


教材が届いたら、あらためて仏様と出会うのが楽しみだ。


わからないことは知りたくなる、これが原動力だなあ。


 セミナーの合間には、玄米おにぎりとまんぷく汁をいただいたり、おいしいコーヒーをいただいたり、そのお店のシャンソン風のBGMがよかったり、楽しい二日間を過ごすことができた。感謝。

2005-08-21 23:45:36

しあわせかもしれない…

テーマ:kokoro

愛


いちばん星☆ さんが、『「今しあわせ?」、って聞かれたら、あなただったらどう答える?』と書いていた。


う~ん、どう答えるかなあ、このしあわせ問題?


しあわせっちゃあ、しあわせだし、不幸ではないし、

ふまんがあるっちゃあ、ふまんもあるし…。


「どんなときがしあわせか?」って考えると、

「しあわせ!」って思うとときだ。


それは、ふいにやってくる。


ケーキを一口食べたとき、

コーヒーを一口含んだとき、

ビールをグビッっとやったとき、

思いがけずほめられたとき、

冗談が通じたとき、

ほほえまれたとき、

田んぼの風が冷たかったとき、

つるせるようにしてたまねぎをもらったとき、

神様はいるんだと思ったとき、

子どもの笑顔がかわいかったとき、

からだがふいにスイングしたとき、

すごいことに気がついた錯覚したとき、

一日をふりかえっているとき、

思わず鼻歌がこぼれそうになったとき、

絵にいのちがあるように見えたとき、

ピザがこうばしかったとき、

・・・。


ふいにやってくるからしあわせの確約はされていない。

期待したときほど、トホホだもんね。


でも、ひとつだけって言われると、

「なにかやることがあるとき」って答えるかなあ。


やることがあると、「しあわせかどうか」って考えずにすむもんね。


こうして、書いているとしあわせだった。

なにかやっていると、しあわせな分泌物がでやすいのかもしれない。

もしかして、しあわせかもしれない・・・。


「なにか」のところにはなにが入るんだろう?


「好きなこと」?

「たいへんなこと」?

「決まりきっていること」?

「こうふんすること」?

2005-08-16 11:21:35

いい湯だな、いい世だな。

テーマ:kokoro

玄侑宗久


奥さんに勧められ読んだ雑誌「致知」の玄侑宗久(げんゆう・そうきゅう)氏(作家・臨済宗僧侶)のお話の印象に残ったところ(村上和雄氏との対談の中から)を抜粋する。


******


「玄侑仏教説話には、よく『無始以来の』、つまり『始めなき時からずっと』とあるんです。西洋の場合は、神がクリエイトしたという瞬間をつくってしまったわけです。しかし、科学的に考えるならば、ゼロから一は生まれないんですね。ですからビッグバンをすべての始まりと想定するのは、ちょっと無理がある。だって、ビッグバンのちょっと前はどうだったの? って疑問が出てくるじゃないですか?」


「命もそうです。始めはない。終わりについては、考えるなということでしょうね。われわれがロジカルに理解できる範囲を超えているという判断だと思うんです」


「カエルを熱湯の入った鍋の中に入れると、熱くてピョンと飛び出してしまうでしょう。ところが、水の時に入れて徐々に温めると、いい湯だなとくつろいでいるうちに煮えてしまう。適応しながら死んでいくんです。われわれに起こる死は、だんだん温かくなって煮えちゃったというのに似ていますよね。つまり、主体そのものが、温まっていくカエルと同じように、ものすごく変化していくわけです。しかし、われわれが考えようとしている死は、いきなり熱湯に入ることなんですね。だからいくら考えてもわからない自分でだんだん温まっていくお湯の中にいないと、分かるものではないですよね。ですからお釈迦様は、それ(『死んだらどうなるのか?』という問い)に一切答えなかったと思うんです。入ってみないと分かりませんから


******


わかったようなわからないような話だった。でも、いきなり死を考えてもわからないということはわかった。主体そのものが変化していっているんだ。私は変化している途中なんだ、日々死につつあるんだ、という気がしてきた。


「いい世だな」とこの世につかっていたら、いつのまにか「あの世」にいっていた、って想像すると楽しくなった。

2005-06-27 21:38:30

地蔵になった

テーマ:kokoro

毎月第4月曜日の午前中にやっている「瞑想体験ワーク」(すくーるふたば)で、「考えに名前を付けるエクササイズをやった。静かに座っているとき、とめどなくやってくる考えに「心配ちゃん」とか「計画さん」とか名前をつける試みだ。私の場合は、すぐに未来のことを考えるので、「未来ちゃん」がよくやってくる。


あとで一人の方がおもしろいことを言っていた。「瞑想中にお地蔵さんになった」という。


「やってくるものに名前を付けようと思ったら、風が吹き、からすが鳴きながら飛んでいって、それを聞いていたら、お地蔵さんになった。そうしたら、風やからすが尊いものに感じられてきた。お地蔵さんは動かないけど、いろんなことを感じているんだな」というようなお話だった。


暑いから、そのお地蔵さんには屋根もついていたそうだ。地蔵になる、木になる、薬師如来になるとか、なにかになるって使えるかもしれない。視点が変わる体験ができそう。

2005-06-09 23:40:53

もっと、知りたい。もっと貪欲に生きたい。

テーマ:kokoro

友人から「窓際でぼーっとしていたら、はじめての感覚がやってきた。なんと言ったらいいのかわからないけど、とても静かな感覚。おかしく聞こえるかもしれないけど、『愛って、もともとあったんだ』ってわかった。今まで使ってた『愛』は失う不安があったけど、そうじゃなくって、『なくならないんだ』っていう感覚。これもおかしいかもしれないけど、『時間はないんだ』って思った。でも、こういうの言葉にするのむずかしい。言ってしまうと正確じゃない気がしてね」という話を聞いた。


その話を聞いて、昔の体験を思い出していた。


アメリカでの瞑想キャンプで、瞑想が終わったあと、急に草木が輝いて見えたこと。


「いのちを知りたい」と熱烈に思っていたとき、エゴのない静かな感覚がやってきて、永遠は感覚なんだって思ったこと。でも、永遠を感じたのは数十秒だっただろうと思ったこと。


そんな体験をしたときは、フレッシュで興奮したものだった。


そのころは今より、苦が身近でそこから抜け出したいと切実に願っていた。


今は、そのころに比べれば、苦から抜け出すのはうまくなって、幸せが身近になったような気がする。


でも、切実さやなにかを「知りたい」という情熱は、かつての方があったのかもしれない。


「わかったつもりにならないこと」「知りたい」と願うこと、もっと貪欲に生きようではないか、私。


 今日、ほかの方からは、「ほかの人が幸せなのを見るのは幸せ」と聞いた。


私もそうだったらいいなあと思う。

2005-05-13 23:25:30

心ある仕事

テーマ:kokoro

さくらさんの「ほのぼの恋愛日記」http://ameblo.jp/blog/tbinterface.php/a56b1c4b4de5732e7cdb27a9689c8544 からトラックバックしました。


「LOVE&FREE」(写真・文 高橋 歩) という本のその中で特に好きな部分だそうです。

「心ある仕事

心ないボランティアよりも、心あるバーテンダーのほうが、

世の中の役に立っていることが多い。

心ない政治家よりも、心ある掃除のおばちゃんのほうが、

世の中の役に立っていることが多い。

「心ある仕事」をしている人は、みんな世の中の役に立っているんだ。


世界中の路地を歩きながら、たまにそんなことを考える。


自分が日々淡々と機械的に仕事をこなしていることにふと気付かせてくれる一節です。

なんとなくもやもやしているときに読むと、「心ある仕事」をしたくて今の仕事を選んだんじゃなかったかなって思い、やる気が沸いてきます」。


******


(ここからはまったり主夫)


 「心ある仕事」ってなんだろう? どんなだろう? と思います。今の仕事は、心ある仕事をしようと思ってはじめてわけではありません。(不純な動機ですが、時間に余裕がありそうではじめたので)


でも、子どもたちとかかわる仕事なので、心なしではできません。どうしても、役に立ちたいと思ってしまいます。だから、「心ある仕事」というフレーズにひかれてしまいます。


さくらさんの引用はつづきます。


*******


誰かの「ひとこと」で、急に幸せな気分になるときがある。

誰かの「ひとこと」で、完全に人生が変わる人もいる。

誰かの「ひとこと」を支えに、人生を生きていく人もいる。

ヒトツヒトツ ノ コトバ ニ アイヲ。

すっごく難しいけど、

それが一番シンプルで、一番大きな優しさの表現方法かもしれない。


********


 「ことば」かあ。


ことばに愛を。ことばにやさしさを。


でも、あまり重みをのせないでいたい。


★ あなたにとって「心ある仕事」ってどんなものですか?

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