知って死ぬのと、知らずに死ぬのとでは違う
テーマ:ブログ日本史の勉強をしようと本を開いたらまえがきに吉田松陰の言葉が紹介されていた。
「知って死ぬのと、知らずに死ぬのとでは違う」と。
ーー---
外敵をやっつけるために研究するためにアメリカに渡ろうとペリーの黒船にもぐりこんだ松陰は捕らえられ、250年の間だれも出獄したことのない野山の獄に入れられた。そこで、毎日毎日松陰はだれも聞かない儒学の講義を始めた。みかねた囚人が「俺たちは一生外に出られない終身刑なんだ。あんたからいくらいい話を聞いても、外で役立てることはできない」と言う。それに答えて松陰は言った「物事を知って死ぬのと知らずに死ぬのとでは違う」と。
その後、時代は変わり松陰と一緒にいた何人かの囚人たちは牢屋を出ることができた。松陰に感謝する囚人たちに松陰は「わたしのおかげではありません。私には権力はありません。お金もありません。腕力もありません。しかし、学問があります。学問さえあれば何事だって可能であると、それを信じて、私は牢獄の中で学問をしてきました。それが実を結んだだけです」と話したという。
ーー---
「知って死ぬのと、知らずに死ぬのとでは違う」という言葉に共感するものがあった。
そして、私が一番知りたいことはなんだろうと自問してみた。
いろんなことを知りたい、と思う。
音楽や絵画、世界のこと、地域のこと…。
いろんなことを経験したくて、物理を始めた。化学も始めた。歴史も、古文も、英語も、数学も…。
高校の勉強にはまっているのは、取り戻したいからだ。
物理や化学や生物を習いはじめたとき
なにをやろうとしているのか
何を取り扱ってるのか
がわからなくて混乱してしまった。
そのとき失った「わかった!」を取り戻したいんだ。
だから、物理の参考書のまえがきで
「力学は物体がいつどこにあるのかを予測するためにある」
なんて書かれているとそれだけで安心してやろうという気になってくる。
(予備校の講師が書いた参考書は、そのあたりのモチベーションの高め方がうまいなあと感心する。)
そう、「わかった!」を取り戻したい。
はじめからあきらめていたロックギターを取り戻したくて津軽三味線をやりたくなったように
(昔、高橋竹山を聞いたときとバッハを聞いたときロックだと思ったのを覚えている)
失った野球の「できる!」を取り戻したくてテニスをはじめたように
(野球が好きだったけど、からだが小さくて運動ができなかった中学時代までを取り戻したかった)
だから、子どもたちにも「わかった!」「できた!」をたくさん体験してほしい。
いろんなことを知りたいと思うけど
やっぱり一番知りたいのは、
奥深い喜び!
内側にある躍動感!
私が知っているだけでもすばらしいと思えるのだから
先人たちのようにもっと知ることができたらどんなにすばらしいことか。






