人のため 自分のため
テーマ:ブログ「人のために生きるのはやめよう」と散歩の途中にふと思った
「自分のため」もやめ
「神仏や宇宙のために」でもない
なぜそんなことを思ったのか
なにをしても「人のため、自分のために」なにかをするのだから
目標に掲げなくてもいいかって感じ
どこかで「人のために」という思いがあったんだなあ
そういえば昨日行ったワインの試飲会の会場のオーナーは
「ここは無目的のスペース。使う人がつくっていってくれればいい」と言っていた
どんな感じになっていくんだろう…
「人のために生きるのはやめよう」と散歩の途中にふと思った
「自分のため」もやめ
「神仏や宇宙のために」でもない
なぜそんなことを思ったのか
なにをしても「人のため、自分のために」なにかをするのだから
目標に掲げなくてもいいかって感じ
どこかで「人のために」という思いがあったんだなあ
そういえば昨日行ったワインの試飲会の会場のオーナーは
「ここは無目的のスペース。使う人がつくっていってくれればいい」と言っていた
どんな感じになっていくんだろう…
今日は「3原色で絵を描こう!」の第4弾1回目。
大人と子ども半々くらいだった。
応用コースの人たちは季節の花紫陽花を描いた。
いつも思うけど、モデル選びからこの描き方まで
だれでも描けるようによ~く考えられている。
だってガクアジサイだから
ちょんちょんと真中に点々で花を掻いて
そばにガクを描き
最後に葉っぱを描いたらできあがり。
ちゃ~とだれがどう見たってアジサイに見える。
でも、上達するにしたがって
あそこがだめ、ここがだめと
自分の絵の批評家が増えるのはしかたがないところ。
うまくなれば欲がふくらんでくるからね。
それにしても子どもたちの絵はおもしろい。
迷いがない。
描き方を教わったら
さ~っとそのとおりに描いているのが
絵を見てもわかる。
だから、出来上がりも早い。
だから2枚目を描く余力がある。
だれかが「2枚目は1枚目より上手になった」って言ってた。
月に一度のほっとカフェ。
朝、到着するといちばん星☆さんが「かぼちゃ」を水彩で描いていた。
いきなりすごいと思ったけど
こんなこともあろうかと色鉛筆とパステルを車に撮りに行き
「茄子」を描くことにした。
だんだんさんは色鉛筆のない色をチェックすることからはじめていた。
いつも描きはじめは、これが絵になるのかと少しばかり不安になる。
でも、先が見えなくても描きつづけていればたいていはなんとかなる。
最初はさぐりながらゆっくり
途中まったりしすぎてきたのでリズムのある音楽をかけてスピードアップ
最後は離れてみて一気に仕上げ
あとから思えば序破急のリズムだったのかも
久しぶりに描けてうれしかった。
いちばん星☆さんが「しつこく描いておいしそうな茄子になったね」と。
それでタイトルは「ひつこなす」にした。
テレビで津輕三味線の全国大会のドキュメンタリーをやっていた。
2年連続のチャンピオンの16歳高校生、その前のチャンピオンで2年連続準優勝の大学生、地元弘前の26歳の社会人。
それぞれに緊張の1ヶ月前を迎える。
ディフェンディング・チャンピオンは独自の奏法から生まれる春の蝶が舞うような繊細な高音が売り。
学生は2秒間に14の音を引くという超絶技法。
社会人は入賞経験がなく迷った末に流行りにとらわれないシンプルな伝統の音でいくことにした。
そうそう、それぞれの津輕じょんがらをつくって大会にのぞむ姿がすごかった。
決まった曲を決まったように弾くんじゃなくて
自分の特徴を出した曲作りをするのは
フィギアスケートのフリー演技みたいだった。
35人で争われた男子A級の結果は高校生の3連覇、大学生の入賞、社会人の初入賞で終わった。
3人とも大会当日の演奏で100%力を出し切ったと言っていたことに感動。
津輕三味線の集中が高まり音にはいっていく感覚が好きだ。
奄美の島唄を聞きたくてCD買いに行ったら見当たらなくて
帰ろうと出口に行ったら「なつかしのロック・・・」なんていうポップが見えて
この前は買うのをやめた名盤シリーズの1枚を思い切って買うことにした。
なんで思い切ってかというと
いつぞやレンタルショップで借りたら
全然よくなくて、なんで昔はあんなに感動してたんだろうと思った1枚だから。
でも、10代の後半にはあんなに聞いたアルバムなんだから
と1700円台という値段をチェックして安心して買うことにした。
この値段だったら外れてもおしくない。
(でも3000円近かったら外れるのはいやだ。と千円のこの違いはなんなんだろう。)
と迷いつつ買ったアルバム「キャラバンサライ」。
(サンタナって今のほうが脂ぎってる印象があるけどどうなの?)
30年ぶり、いやもっとだ。
なつかしさを通り過ぎて昔の感覚がよみがえって泣けてきた。
そうだ、10代のころも踊りながら泣いていたなあ。
今は踊らないけど。
買って三日目の今日も車の中では聞きっぱなし。
う~、胸きゅん
教室でのこと。
あまりのある割り算で苦戦しているH太さんがつぶやいた。
「今日は自分からやる気になった!」
そんなときの顔は輝いている。
しり込みしているときは私に押しつけられることもある。
でも、できないことはだれもやらない。
「できる!」と初めて思った瞬間、からだが求めるみたいだ。
「もっと、やりたい!」と。
退屈でもなく、重すぎる負荷でもない。
自分でやることを選ぶからわかる感覚がある。
【ほぼ日刊イトイ新聞8周年を迎えて】のなかで
3 「遊び」と「たのしみ」を、仕事にします。
「遊び」や「たのしみ」を、研究することではなく、
それ自体の渦の中で仕事にすることができないものか‥‥と、
と糸井さんは書いていた。
私は「仕事だから…」という表現で時間や感情を犠牲にしたくないと思ってきた
だから仕事そのものが「暮らし」であり 「遊び」や「たのしみ」であってほしかった
「仕事だから…」という表現が通用するのは 仕事ということばの中に
仕事はより多くの人に利益をもたらすもので第一優先事項になって当然という共通認識があるからだろう
その点、「遊び」や「たのしみ」には個人に近いもので自分勝手というのがなんとなくの共通認識だろうか?
私個人の第一優先事項は「よろこび」だ
「よろこび」こそは個々の感覚の違いが大きいものだろう
「遊び」にはもう少し他者との共通項がありそうだ
共通項をじっくりしっかり増やしていくことで
自分勝手が薄らいでいく または 自分勝手でよくなっていくんだろうと思う
「よろこび」の渦の中で仕事をしたいと思うけど
文字にすると ちょっといやらしい感じもしないではない
「遊び」や「たのしみ」という共通項を見つけることを
私のよろこびとしたい
今日の学習教室(創育舎)。
「中学入試をしたい」という小6の子。
「それなら今やっている計算と文章題に加えて、社会と理科もやらなきゃね」ということで
とりあえず歴史の問題集を見せたら、ずいぶん長いこと見ていた。
歴史上の人物に焦点を合わせている問題集だったこともあり
一人一人にコメントをつけていた。
「卑弥呼はよくわからない。中大兄皇子と中臣鎌足は大好き。だってかっこいいもん、名前からして。聖徳太子はまあまあかな。鑑真はガンジーと間違えてた。義経は好きだけど、頼朝は嫌い。だって義経をいじめたから。藤原道長は大好き。派手だから…」
「ひゃー、好き嫌いが激しいなあ。まあ特徴とらえてると言えなくもないけど…」
ってことで、その問題集をやることになったんだけど、だれのページをやるのか選んでる。
以前なら「好き嫌いで勉強するんじゃない。とりあえず一日何分やるか決めてみな」なんて言っていたと思うけど、今日はこの好き嫌いに付き合ったらどうなるかやってみたくなった。
まあ、社会はどこからやってもできないわけじゃないし・・・。
ふと最初から最後までこつこつやるってのは百点目指すやり方なのかなあと思った。
問題集を全問クリアする必要なんてない。
私自身は衝動に駆られて学ぶのが一番おもしろかったもんなあ。
そして、好きな人物からやって嫌いな人物が残った時どうクリアするのかにも興味があるし
たとえやらなくても好きな人物を徹底的にやったらどうなるのかにも興味がある。
そして、一番関心があるのはその子の気分と私がどう付き合うかだ。
テレビで水彩画の描き方をやっていた。
今日はアルプス、この前観たときは海だった。
昨日、本屋さんに行った時、デッサンの描き方シリーズを買おうと思ったんだけど、
一呼吸おこうと思って絵本を眺めてから、元の場所に戻ったら
「おれは描き方を学んじゃいねえ。独学はしんどい。でもおもしろい。とにかく写生、毎日写生だ」的
画家の本を見つけ、HOW TO シリーズを買うのはやめたのだった。
その画家の本は買わなかったんだけど、かなり刺激を受けた。
自分の絵を描く、好きなように描く
という刺激だった。
でも、今日は描き方をみた。
そして、おもしろかった。
描き方の見つけ方がおもしろかったんだ。
描き方って、どう見えるかを編集した結果だった。
「針葉樹の葉は横に広がりギザギザしている」
「残雪はトギレトギレに描く」
「山の中はV字に描くと谷が表現でき、それがアルプスのゴツゴツ感になる」
ギザギザ、トギレトギレ、ゴツゴツなんて音が自分で拾えたら
描き方を思いつきそうなそんな気がした。
近景と遠景の見え方の違いも強調されていた。
それは比較することでの編集結果が雰囲気を生むのだった。
描く前にモデルを言葉にしつくしてみるのもおもしろいのかもしれない。
なんかこうして書いていたら
今さら書くほどのこともないようなことかもしれないと思えてくる。
でも単に描き方を習うだけのときと
描き方を見つける時間があるのとでは
大きな違いがあるような気がしたんだ。
勉強でも解き方を自分で発見した時の喜びが大きいように。
瞑想セミナーの参加者から電話があった。
「CD教材の2枚目が回転しなくて聞けないんですけど…」
「ああ、そうですか~。それではすぐに代わりのものを持っていきます」
そして、待ち合わせ場所に行き、
「これなんですけど、最初がむずかしいですね」と渡されたCDを見て驚いた。
第1巻を渡したはずなのに第3巻を持ってらっしゃる。
「うわ~、申し訳ありません。3巻なので2ヵ月後に習うものなんです。むずかしいはずですよね」
「そうですか~。でも、気にしないでくださいね。これもなにか意味のあることでしょうから。楽しいじゃないですか」とすてきな笑顔でおっしゃる。
ふ~、癒された。ほんとに楽しそうで、私も思わずニコニコ顔に。
トホホな出来事だったけど、楽しみ方を学ばせてもらった。
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