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2006-04-30 00:44:56

福来たる!

テーマ:アート

友人が二日間開くカフェでおいしいコーヒーとケーキ

それに好きな辛口ジンジャエールをいただき

近くの岡山県立博物館の「茶室のたたずまい」という看板にひかれていってみた。


順路に従い2階にあがると驚いたことに毘沙門天が迎えてくれた。

それから大きな曼荼羅。

胎蔵界と金剛界それに薬師如来を中心とした千仏の絵が。


なんで今目の前に密教の世界が?

空海の詩を読んだばかりだったのでびっくり!


しばらく曼荼羅の前にたたずんでいたらからだが熱くなってきた。

きっとパワーがあるんだ。


それから1階へ降り

長船の刀を見て

企画展の「伊木三猿斎」の部屋へ


ユニークな書が目を引いた。

いちばん好きだったのはお茶目な茶杓。


ぶさいくなので通り過ぎようと思ったら

その歌に思わず微笑んだ。


先がふっくらとした茶杓「福来」に合わせて

「この茶杓 見て笑へば 福きたる はや目のまへに 一二三ふく」という歌だった。


もう一つ古代の吉備の部屋で

銅鐸を鳴らせたのもよかったな。


明日も行きたい!

2006-04-28 17:04:48

即身成仏!

テーマ:書籍

「『次はどのように動こう? 間違えたら恥ずかしい。負けたら悔しい。勝ちたい』。こうした意識が入れば入るほど、強ければ強いほど身体は動かなくなり間違いを犯しやすい。茶道でも子供が楽しく自然にお茶を運ぶ。ところが大人が親切のつもりで『こぼさないように』と言った瞬間、子供の心の楽しく自然な調和が乱され、茶碗をひっくり返す。」と「空海の詩」(阿部龍樹著)にあった。


百足にどうやって百本の足を上手く動かすのかと聞いたところ、急に動けなくなったという喩えもある」とも。



そのようなことが「インナーテニス」にも書いてあったなあ。


テニスをやっていると、ほんと実感する。

「うまくやろう! 次はミスしないようにしよう」と思えば、思うほどミスする確率がふえる。

たまたま見事なショットが決まった次のポイントに

同じショットを打とうとするとこれまた力が入ってしまう。


「美しいショットが入ったのは偶然でいつもの私ではない」なんて思ってしまうんだ。


空海は即身成仏を唱えていた。

「死ぬときに仏になれる」とか「生きているうちに悟りを開ける」という意味だと思っていたけど

「空海の詩」を読みすすむうちに誤解だということがわかってきた。


生きているこの身がすでに仏だという意味らしい。

細胞一つひとつが宇宙のすべてを反映している、あるいは、含んでいるということなんだ

おそらくは。


身にまかせておけば、考えてじゃましなければ

うまくいくということなんだろう。

何度か似たような話を聞いたことがあるが

まかせるとか考えないというと手持ち無沙汰で暇な感じがしてしまう。


お茶を運ぶのも、百足が歩くのも、テニスのナイスショットも

宇宙のなにかがやってくれているのだろう。

私がやるんだと思わなければいいのかなあ?


それにしても

すばらしいパワーを内包した身体だと想像するだけでうれしくなる。

即身成仏!

2006-04-22 23:47:47

藍染め

テーマ:ブログ

藍染めをやっている方に藍の草を見せてもらった。

あんなに可愛い葉からあんなに深い藍の色が出てくるなんて

不思議な感じ。


藍


何度も何度も染めて模様をつける藍染めはおもしろいそうだが

やっぱり飽きることもあるそうだ。


今はわらびの季節。

食べようと思ってあく抜きしたら

その色があまりにも綺麗で

染色したんだそうだ。


あくで綺麗な色に染まるんですね。


でも、草花を積む時期や環境によって

毎年同じ色になるとはかぎらないそうで…

染色って奥深い。


2006-04-20 21:22:24

明日は「ほっとカフェ」

テーマ:ブログ

明日は、アトリエ21℃の「ほっとカフェ」。


前回の私は、パステルで絵を描いた。


その時間がとてもよくて、

「第3金曜日だけじゃなくて、第4もやって!」と

お願いした。


好きな音楽を聴きながら

しゃべったり、絵を描いたり、本を読んだり

思い思いに時を共有する。

そんなゆったりした時が好きだ。


明日はピザの予定。

楽しみだ。


色鉛筆やパステルも用意してます。

そうそう焙煎機能付のコーヒーマシンも新登場。

ご期待ください。

2006-04-20 00:26:27

遊べないやつ!

テーマ:ブログ

息子は修学旅行で不在、ごはんがなかったので買い物がてら、お昼を食べに母とショッピングセンターに。

お好み焼きを食べ、川柳とパステル画の本とシタールのCDを買った。それにジェイクシマブクロのウクレレのCDを買い夏の準備。


そうそう絵本コーナーに行ったら「Curious George」の英語シリーズがあったので、どっさり買い込んだ。これで当分「辞書を引かない、わからないところは飛ばす、いやになったらやめる」という読みっぱなし読書ができる。帰ってさっそく読んだ。Georgeはかわいくて、おもしろい!


いつもならすぐに疲れて帰ろうとする母の調子がよかったので、ブックカフェのパンプキンパイでお茶をした。母は「人は120歳まで生きられるそうよ。あんたは50だから人生の折り返しにもきていない」と言う。私が「40を過ぎたころはあせっていた」と話したからだ。


なんでも40歳と70歳は人生の見直し地点なんだそうだ。私も40歳で「残りは何年あるかわからない」と思い、やりたいことはやっておくことにした。そのころは自らの成長の遅さにかなりあせっていたと思う。近ごろはそれもちょっと疲れてきて、自分のペースをより意識するようになってきた。


…つもりだった。でも、私が「最近は遊びで忙しい」と言ったら、母は「ゆったりせんとだめよ」と。


帰ってから、DVDを見ながら初めてシタールに触った。未熟でもいい音がでる。そのあとは玄関の鉢植えの紫の花がきれいだったのでパステルで描いてみた。これも未熟だが「これは絵にならんなあ」と思いながらも描きつつけていると意外な展開になって、それなりにおもしろい。


朝は三味線の新曲の練習もし、遊び三昧の一日。楽器を弾いたり、絵を描くのにけっこうエネルギーを使う。なんとなく疲れた。「ゆったりせんとだめよ」という言葉の意味が少しわかったような。「できるようになりたい」と向上心が出てくるんだよなあ。そこに焦りの元がある。めんどうくさいやつだ。


う~ん、「あれもやりたい、これもできるようになりたい」と欲を出しているからなあ。そのときのその状態のままで楽しめたらなあ・・・。ハンドルの遊びのようないわゆる遊びが少ないのかなあ? まじめに遊ぼうとするからなあ…。あ~あ、遊びってむずかしいなあ…。

2006-04-14 17:57:39

ODA

テーマ:ブログ

法務副大臣・河野太郎さんのメルマガ「ごまめの歯ぎしり」(4月12日号)によると

日本のODAのいい加減なようすが伝わってくる。


東欧では

日本国民の血税で送られたODA機材がその後のメンテナンスがで
きない、あるいは消耗品がないために放置されている例が非常に多い

とのこと。

その具体例が列挙してある。


ポーランドのヤギウエオ大学では

: LL教室用のPCが納入時点で古かったため新
しいシステムを追加するとシステム全体が使えなくなる状態が続い
ている。ちなみにPCにはWindows93が入っていた。

てな具合でとても驚いてしまった。


また、4月13日号ではカンボジアの国道1号線修復作業の立ち退き補償の問題が書かれていた。


5月には国道一号線の修復のさらに大がかりな区間をODAで行う
ための閣議決定が予定されている。それなのに、外務省はこの問題
はひたすらに隠しているだけで何ら対処していない。
大臣をはじめ副大臣、政務官にも話は上がっていないし、JICA
では緒方貞子理事長にどこまで話が上がっているのだろうか。

血税を投入して、相手国の環境を破壊したり社会に悪影響を与えた
りしてはいけない。外務省がとっても忙しくてモニターができない
のならば、ODAを減額するべきだ。


12日号では

「この問題は長らく指摘されているのに外務省はいっこうに
改善する姿勢を見せない。
だったらODAはさらに削減するべきだ」

と書かれていた。

賛成だ。


2006-04-14 17:06:56

サイフォンコーヒーが好きだった

テーマ:ブログ

今日は父の命日。

あちらに行ってから、もう16年だか、17年だか。


まだ私は逝った年には間があるけれど

晩年はどんな気持ちだったのだろうと

時折気になる。


母が「今日は命日じゃ」と言うのを聞いて

出掛けに好きだったコーヒーを淹れてきた。


自分では何もしない父だったけど

毎朝コーヒーだけはサイフォンで淹れいていた。


そんなことを思いつつも

アトリエ21℃の瞑想で

魂とつながる復習をしたときの相手は祖母だったなあ。


その祖母は父の義母。

小さいころはおばあちゃんが3人いた。

私は父の義母といっしょに暮らしていた。


そのとなりには母の母がいて

田舎には父の実母がいた。

おじいちゃんは一人だったんだけど。


365日の一言が書いてある「美人の日本語」の

4月14日は「有頂天」だった。


仏教では、魂は欲界、色界(欲望のない清らかな世界)、無色界(物質から離れた精神的世界)の三界をさまよい、有頂天はその無色界の頂点だからたいていの人はたどりつけない世界なんだそうだ。


父や祖母たち、祖父は今ごろどんなところにいるんだろう。

「十三佛」では13年目に大日如来に会うというから

もう会ったのかな?

だったらいいなあ?

2006-04-13 00:43:45

ユキエ

テーマ:神社・お散歩

久しぶりに瀬戸内市の神社に行った。


森の中にあり、いつもきれいに掃除されているところだ。


にこやかにおじさんがお参りされていた。


「ぽんっ」と打つ拍手の音もかわいい。


「こんにちは」と声をかけてくださったので

「塀が壊れてますねえ」と挨拶すると

「秋の台風で壊れたんです」と。


それからしばらくお話を伺った。

そこは「ユキエ神社」というんだそうだ。

「靭負神社」と地面に書いて説明してくださった。


武神だそうだ。

藤原純友の乱や源平合戦の実戦で長船の刀は有名になり

かつては刀剣の街としてかなり栄えたらしいから

ぴったりの神様だったんだろう。


「ここのことを印刷して配りたいんだけど

戦いの度に祭られる神が替わって

支障が出るから書けないんですよ」と。


あちらをたてればこちらがたたずということらしい。


帰ってからインターネットで調べてみると

「蘇我氏と物部氏の争いあたりに端を発し、それは百済と新羅の争いとも関連し…」

みたいなことが書かれていたが、天皇家の系列の話になると

ややこしすぎてさっぱりわからない。


ここの神社の入り口には「め」という字が書かれた半紙が貼ってあって

「め組」の印かなんか?

と思っていたのだが、

それは足利尊氏が目をわずらったとき

ここで眼をかけて治ったので

目の神様として知られるようになったらしい。


それで近くに「慈眼院」というお寺もあったのか

今度行ってみよう。


ところでさっきのおじさんは「神官」なんだという。

天満宮が森に遷宮されたとき

拝殿だけが移され

自分は部落に残されたんだそうだ。


そこには新幹線の工事のために

遷座された二柱の神も祭られていて

神様のマンションのように合祀されていた。


それにしても

鳥のさえずる森はしっとりして気持ちよかったし

入り口の桜は満開だったし

木や草花も植えすぎず

センスよく迎えてくれていた。


幾世代も受け継がれてきたセンスなんだろうなあ。



2006-04-09 16:49:36

春爛漫

テーマ:ブログ

吉備路にある国分寺に行ってきました。

「去年の紅葉が見られなかったのが心残り。花見にはぜひ行きたい。去年みたいに絵を描きたい」という母の要望に応えて。


桜は華麗に満開。菜の花も壮大に満開。チュリーップもかわゆく満開。

春爛漫でした。


駐車場はいっぱいでしたが、身障者用のスペースが空いていたので、三つ目の駐車場でとめることができました。昨日行ったスーパーでは、数台あるスペースが全部うまっていて、遠くから車椅子を押していったので、今日のように身障者用が空いていると、乗り降りが楽でとても助かります。


そういえば、以前、トイレを借りるために入ったイトーヨーカ堂でも身障者用がいっぱいで困っていたら、係りの方が融通を利かせて一般の駐車スペースを車椅子が通れるようにしていただいたことがありました。このときも感謝でした。お弁当などを買ったので少しは売り上げにもなったかな。


意外と駐車に困ることが多いのでついつい長くなってしまいましたが、今日は有名な五重塔を「もてなしの館」でゆったりと食事をとりながら眺めることができました。体温調節のできにくい母にとってはあたたかいので気に入り、そこで景色のデッサンを描いていました。帰ってから水彩で色づけするそうです。


それから五重塔まで行き私も満足。ソメイヨシノがあまりにたくさん満開になると頭がチカチカしてくるので苦手なのですが、今日はほどほどの咲き加減で少しハイになってきました。、露天で売っていたやわらかそうなネギと切干大根を買ったので、今夜はネギ焼きとヌタにしようかな。


調子に乗って帰ってからは、庭先で気になっていた花にらを描きました。母の友人が植えてくれていたもので、とても可憐に咲いていたのです。今は少し咲きすぎた気はしますが、あたたかい日差しの中で絵が描けて大満足。(できはともかく)。


春の訪れでからだがだるく眠い日が多かったのですが、今日は春のうずうずするようなエネルギーを感じた一日でした。病院の付き添いで疲れきり、帰ってすぐに昼寝した昨日とは大違い。自分も楽しめると遊びの主人公になれますね。

2006-04-05 19:16:40

どうでもいいこと

テーマ:ブログ

「ヒーリング・ライティング」(つなぶちようじ著)という本を貸してもらった。


その中にあった「あなたにとってのどうでもいいことを三つ書け」(一つについて5分ずつ)というエクササイズをやってみた。


「山の向こうの人がどんな暮らしをしているか」

「今年は雪がどれくらい降るのか?」

「火星に氷はあるのか?」

の三つを書いたのだけれど、

最初は「どうでもいいこと」というと

どうしても「自殺問題」「飢餓問題」など苦しんでいる人のことが浮かんできた。


だからなにをするでもないんだけど

どうでもよくないような…。


そんなことを思っていたら

しりあがり寿さんが先見日記(3・25)に書いていた「死は悲しいか」を思い出した。

死は悲しいか?
仕事場にて

最新の研究によると長く連れ添った夫婦の間でも
伴侶の死は悲しいばかりではない、ということらしい。

確かにボクも父親に先立たれた時
もう30歳くらいなのに大泣きしたりしたが、
半年もたつと悲しいというより、申し訳ないとか
悔恨とかもう少し違った感情になっていった。
だいたい死んでホントに悲しい人は実はそう多くない。
ボクの場合思いめぐらしてみても、
妻子、親兄弟、友人、仲間、もしかして10人くらいかもしれない。
じゃあそれ以外の人が死んだら悲しくないか? と聞かれれば
鬼畜と思われるかもしれないが、
正直言ってそう悲しくないのではないかと思う。
いずれにしろ「死は悲しい」というのは
案外イイカゲンなものかもしれない。
だって僕たちってきっと多かれ少なかれ
何かを殺して生き残った末裔だもの。
「死は悲しい」とかナイーブなことばかりでは、
生き残れなかっただろう。
さて、今回ボクが言いたいのは
それでも「死は悲しい」と言い続けなければならない、ということだ。
実際の死に対する感情があいまいで人によって千差万別だったにしろ、
オフィシャルには「死は悲しい」と言い続けなければならないということ。なんかそうしないと社会が成り立たない気がするんだよね。
「人が死ぬのは悪いこと」「人を殺すのは悪いこと」。
その前提がゆらいだらヤバイでしょ。物理的にもヤバイし、
精神的にも「生」がバッチリ肯定されてるわけでもない世の中で
「死んでもいいかも」みたいにあやふやなことになると
いろいろヤバイ気がするんだよね。
だから人はその根底にある「人が死んだら悲しい」を確認するために
日夜お葬式で悲しい顔してるんだよね。
これって「お年寄りを大切に」とか「長寿はめでたい」も似てて、
年とるって別におめでたくないし、
お年寄りはけっこう厄介だったりするよね。
でもオフィシャルには「お年寄りを大切に」と言い続けなければならない。だって間違いなく年をとるって人間の未来に関することだからね。
「お年寄りは大切にしなくていい」になったらヤバイでしょ。
20歳すぎたらもう今日より明日がダメな人生になっちゃう。
だからそこらへんはウソでもなんでも
「お年寄りを大切に」を言い続けなければならない気がするのね。
なんかさー、最近自分も年とってくると
こーゆータテマエが好きになるってゆーか、
タテマエの知恵みたいの考えちゃうのね。

(後略)

ーーーー


「どうでもいいこと」って

思い浮かぶくらいだからほんとはどうでもいいとは思ってなくて

でも、「どうしようもない」とあきらめていたり

「意味がない」と無視していたりしていることなんだろうと思う。

 

だけど、「どうでもいい」と公言してはいけないことが多いのかもしれないな。

それは、だれにとってもどうでもいいことじゃないからなんだな。

当事者にとっては、どうでもいいわけがないから。

そこを思いやる気持ちがあるかどうか。

それを強制的にシステム化しているのが「タテマエ」なのか?


なんかこんがらがってきた。

こういうとき、どうでもよくなる。


「どうでもいい」は結論の先送りにも使えるんだな。

そういえば息子に「なに食べたい?」と聞くと

「なんでもいい」と答えるもんな、

どうでもよさそうに。


● あなたの「どうでもいいこと」はなんですか?

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