2006-03-18 22:18:24

2週間

テーマ:ブログ

しばらく更新が滞っていた。


● 2週間前になるけど精神科医・高木氏のお話を聞いた。


統合失調症という名前をつけるときに尽力された方だ。


大病院をやめて今は訪問診療をしているそうだ。


一日60人から10人ほどの診療になって経営的には苦しいけど

クライアントの生活が見えるからいいって言っていた。


お話の中のおばあさんが印象的だった。


乳がんで皮膚がざくろのようになっても頑として病院に行こうとしない。


その理由というのが

「これは老人の怒りの表れだ。治したら老人の怒りを表現できなくなる。だから行かない」

というものだったそうだ。


なんかすごい。


高木氏はとても穏やかな語り口で聞くものを癒してくれた。


最後はギターまで聞かせてくれて得した気分の夜だった。


● この2週間、何度か感動したけど、そのひとつが「ALONE」という絵本。


友達が「一人になる」と書き残していなくなったかえるが

友達を心配したり、自分が捨てられるとあわてふためいたりする話だった。


その友達は

「朝日が昇るのがすばらしく

友達がいることにも

すべてに満足している。

そのことを考えるために一人になりに来た」

と、そのかえるに語っていた。


その友達とかえるは

再び出会ってから

ただいっしょにいた。


友情や愛情をたしかめたり

つくりあげたりする必要はないんだ

と思った。


● そのほか、サッチモの「What a wonderful world」を何度も聞いたり

ブロッコリーを描いたりした2週間だった。


2006-03-05 09:43:35

お好み焼きと缶拾い

テーマ:ブログ

「喰いタン」の広島出身の刑事がお好み焼きを焼くシーンを見ていて

息子が「うまそう!」とつぶやくのを聞いて

私もすごく食べたくなった。


今朝の瞑想で

お昼のお好み焼きに入れるしょうがと油を買いに行こう

と思いついた。


いわゆる雑念というやつだけど

思いついたとき

エネルギーがわいてくるのを感じた。


だからこそ買い物に行き、ホットプレートをセットし、焼けるわけなんだけど

こんなささいな思いつきで活力がわいてくるのなら

ふだんから活力のタネは誕生し続けているんだろうと思った。


ならばそれを阻害しているものはなんだろう?


私の場合、自己評価ではないか?


今朝は町内のお掃除の日。


町内会長として

「おつかれさまでした」 と

終わりの一言を言った。


もっとましなこと

労をねぎらうことを

言えないのかと少しばかり後悔した。


こういう自己評価の仕方が

わいてきたエネルギーを

しょんぼりさせているような気がした。


「昨夜、あわてて準備した飲み物が足りてよかったね」とか

「掃除に参加する人数の予測がぴったりでよかった」とか

「こんな行事に嫌がりもせず参加できるようになった」とか・・・。


まず、自分の労をねぎらう必要があるのかも。


今までは関心の薄かったところだけれど

人の情にも関心も持ちたいものだ。


そんなところに

生まれたエネルギーを増幅し

活用するやり方がひそんでいるような気がする。




2006-03-05 01:44:50

今日は献立の話題で

テーマ:今日の質問

この前キムチをつくる会で先生が「豚肉をごま油で炒めてから○○とキムチで煮たらおいしいよ」と言っていたのを思い出し、お昼につくることにした。


でも○○がなんだったか忘れたのでキムチの会でもらった水菜の残りと合わせて食べた。


キムチと豚の出しを水菜が吸いとってすごくおいしかった。

 

息子がパクパク食べていた。


キムチ、はやく次のをつくりたい。


先生、よろしく!



夜は、ねぎま鍋にした。


辰巳芳子さんのレシピによると、鮪を割り下で煮て、そこにネギと豆腐を加えていただくというものだったけど

ついつい家にあるものをいれたくなる。


今夜はごぼう・えのき・もやし・わかめが参加した。


中トロがおいしいらしい。


でも、とてもそれはかなわないので

ぶりと赤身の鮪と迷った末に

値段で鮪にしたのだった。


だから脂身が少なくとてもあっさりした鍋になり

スープがとてもおいしい鍋になった。


このあっさり感には、わかめはいけたな。


生魚はお医者さんから止められている母は鮪の鍋を喜んでいた。


 辰巳芳子さんのレシピを読んでから

少しばかり出しの取り方がていねいになった。

(といってもレシピ通りにはやっていないのだけれど・・・)


その出しでおからを炊いてみた。


これは自分に好評。


初めて切干大根も炊いてみた。


こちらは息子以外には好評だった。


上品な出しが取れたら、おでんを食べてみたいものだ。

2006-03-02 00:57:43

昔話から

テーマ:ブログ

車のCDデッキの調子が悪い。


DEPAPEPEのシュプールを聞きたくてCDを入れたら

聞ける確率は3分の1くらい。


そんなことをやっていたら高校のときのステレオを思い出した。

おじさんにもらったふるーいタイプで

けっして良い音とはいえなかったけれど

それでもレコードを聞くのは大好きだった。


とくにロックのギターには陶酔していた。

ちょっと重くて官能的なギターが好きだった。


成人してからアートイベントで海上に浮かべたスピーカーから流れる手作りギターの音にもしびれた。

からだに直接響いてきた。


思えば一番リアリティを感じるときだった。


今そのころのことを思い出したかのようにリアリティを感じたくって

一日を過ごしている。


鼓を聞き声を出し

パステルを握り

音楽を聴き

ラケットを振り

子どもたちに会う。


本物・純粋・素直なんて感じるものにはリアリティを感じるけど

ほんとは受け取り手しだいなんだと思う。


だってかつてはなんとも思わなかった英語の絵本を読んだりCDを聞くことにも

読みたい聞きたいと思っている今はリアリティを感じるから。


なんて書いてたらちょっと力が入ってきたみたい。


ほんとはめんどうくさいなと思いながら歩いている犬との散歩のときに

ふっと見上げた山がきっかけでリアリティを感じたりするから

油断した隙間にリアリティがひそんでいるのかも…。


そこにはウソやダマシが入り込む隙間はないんだ、きっと。

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