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2005-07-30 14:11:17

シッタン・オラクル・カード

テーマ:クスクスサロン

いちばん星さん が、「シッタン・オラクル・カードリーディング」のことを書いてくれていたのでトラックバックします。


シッタンとは、サンスクリット語のことで、その文字一つ一つに宇宙を構成する波動が表されているというもので、その一文字一文字をカードにしたものが、「シッタン・オラクル・カード」です。


一人ずつひいたカードを意味が書いてある表をもとに意味を読み取っていくのですが、「静けさ」「智恵」といったカードを連続してひく人や「執着」「染まる」「離れる」といった意味のカードを連続してひく人がいたりして、興味深かったです。


そして、「このことから学ぶことはなんですか?」などと、知りたいことを質問にしてカードをひくのですが、

「答えがわかりやすくなるように、どう質問をするか? その問い方に答えがあるようなあ」といういちばん星さんの話が印象的でした。

2005-07-29 23:13:28

「葉フレディ -いのちってなあにっぱの?-」①

テーマ:ブログ

映画「葉っぱのフレディ」(松山善三監督)上映会とみらいなな講演会(絵本「葉っぱのフレディ」翻訳者)がありました(主催:アトリエ21℃)。

みらいななさんとお食事をごいっしょしたとき、印象深いおはなしをいくつかうかがったので書き残しておきたいと思います。

 

その1 世界中で「葉っぱのフレディ」を読む。

 松山善三監督は、「世界中で『葉っぱのフレディ』を読むといい。10読んだらいい。10年後に世界のどこで、だれが会っても『あの本読んだ?』と語り合うことができるから」というようなことを話されたそうです。こんなふうにいのちのつながりを考えられるんだなあと新鮮でした。

 

その2 いのちは直感の連続

 「ある絵本をさがしにアメリカに行ったんだけど、目当ての本はなくて、倉庫に眠っていた『葉っぱのフレディ』が目にとまったんです。これだと思った。それを読んだその夜のうちに翻訳してしまいました。そして、その翌日、手書きの原稿を夫がパソコンに打ち込んだので、1日で翻訳は出来上がっていたんです。それから3年後、ほかの絵本の出版ができなくなって、なにかないかと探したときに出てきたのが、『葉っぱのフレディ』だったんです。こんなふうにフレディは直感の連続で生まれたんです。こんなふうな直感の連続がいのちです」。

 このお話を聞いて、「直感ってなんだろう?」と思いました。直感って、浮かんでくるものです。思いつきという側面もあります。

「葉っぱのフレディ」も思いつきで上映会が決まりました。アトリエ21℃でやっていることは「思いついたことを実現しよう」ということだと言えるかもしれません。

大人と子どもの水彩画教室「3原色で絵を描こ!」、気ままなティータイム「ほっとカフェ」、ろうそくの灯りで過ごす「キャンドルナイト」など、構想をあたため、練りに練った企画ではなく、思いついたことを協力を得ながら実現していくというものばかりです。

かつては、「そんなしようもないことやっても・・・」とか「こんなことやってもだれも来てくれない」とあきらめていました。でも、「自分がやりたいことだから、だれも関心をもってくれなくてもやる」と決めてからは、反響が気にならなくなり、企画を素直に楽しめるようになりました。これは私にとっては大きな進歩です。

そんなことが一つずつ実現していくと、いのちが形になっているという気さえしてきて、「いのちは思いつくことの連続」と思ったりもします。(つづく) 

2005-07-28 23:19:58

「葉っぱのフレディ」②

テーマ:ブログ

その3 フレディには人格がある。

 みらいななさんは、しばしば「フレディはシャイだから、最初は倉庫に隠れていた。いつもそう。隠れていてあとから出てくる。それから、最初は失敗して後から幸せになる。つい最近もミュージカル化の話が進んでいたんだけど、スポンサーが見つからなくて、『中止』とみんなに電話した夜に、なんと2000万円を出してくれるスポンサーが見つかってできることになったんです。」と話していた。

絵本ができて、100万部を越えるという絵本としては驚異的な売れ行きを見せる「葉っぱのフレディ」のストーリーに人格を認め、「フレディは・・・」と話すななさんからは、「私がやったから私のもの」という驕りは感じられなかった。

フレディの翻訳をしたり、本にしたり、ミュージカルをつくったりするときには、「最初は隠れていて後から出てくる」というパターンがあって、それがフレディのキャラクターなんだという。

自分がこうするから、そうなるというのではなく、フレディに関するプロジェクトには、ある性格があって、その流れでできあがっていくという感じなんだと思う。

八百万の神々の性格が異なるように、なにごとにもいのちが宿り、それぞれに異なる性格が生まれるものなのかもしれない。性格に合わないことをしたら、むずかしいと感じるし、流れに乗れば順調に思えるだろう。なにごともそのキャラを知れば、軽いお付き合いができそうな気がした。

それにしても「あとで必ず幸せになる」という確信のあるお話は聞いていて楽しかった。

 

 こうして印象に残ったことを書きとめてみると、私は「いのち」について知りたかったんだなあと思う。

「その1」の松山監督の話からは、「いのちの横のつながり」を感じた。「その2」の「いのちは直感」というお話からは、「いのちの時系列(縦のつながり)」を感じた。「その3」の「シャイなフレディ」のお話からは、「なにごとにもいのちが宿っている」と感じた。

なにごとにも「いのち」があって、それがつながっているのなら、あれこれ自分だけで考えるより、耳を澄ませ、こころを澄ませて、いのちのささやきを聴いていきたいと思った。

 

アトリエ21℃のブログ オープンしました 。
2005-07-25 19:56:36

編みかけのぼうし

テーマ:アート

「3原色で絵を描こう!」で、「毛糸のぼうし」を描いたのだけれど、

最後に講師の方が「とちゅうで終わったら、『あみかけのぼうし』っていうタイトルにしてもいいよ」

と言われた。


うん、そこがいいところなんだ。


ぼうしを編むように絵も描き始めるから、

とちゅうなら編みかけのぼうしになる。


「いつでも完成!」だ。


なにごとも完成も途中もないのかもしれない。

完成も途中もただの思い込みなのかもしれない。


だから、「いつでも完成」がいいんじゃないかなあ。

2005-07-24 18:29:24

トントントン 絵の時間

テーマ:アート

今日は、「3原色で絵を描こう!」第1弾の最終日でした。


いっしょに机で描いた小学生の女の子二人のようすが印象的でした。


ぼうしを描いていた一人の女の子は、1枚の画用紙に入りきらず、

先生に画用紙を継ぎ足していってもらっていました。


合計4枚を足してもらったのですが、となりの女の子は、そのたびに

「あ~あ、入らなくなったあ。もっとちいちゃく描けば?」

などと言っています。

はみだしちゃいけないという先入観があったようです。


けれど、先生やまわりの大人は、「どんどん大きくなってるねえ」などと驚くばかりで、

怒る様子はまったくありません。

そのようすから、となりで口をはさんでいた女の子に少しばかりゆらぎがおきたのではないかと想像しながら描いていました。


一方、画用紙を継ぎ足してもらった女の子は、最後のほうは集中がとぎれてきたのか、

おおざっぱになってきました。

それをみた先生は、「トントントンって言いながら、筆を動かしてごらん」と手をとって指導していました。

筆の運びがトントントンとリズムをつけて描くやり方だったので、わかりやすかったようです。

その後もおおざっぱになりそうになると、「トントントン」と自分で声を出してやっていました。


これは描きつづけていれば、自分のくせがわかり、学びになるなあと実感したシーンでした。


それにしても子どもたちの絵は、ひとりひとりユニークです。

よく見れば、大人もユニークなんでしょうか?

それにして子どもの絵は大胆でおもしろい!

2005-07-24 09:54:02

いのちは直感

テーマ:今日の一言

★今日の一言 「いのちは直感」


「葉っぱのフレディ」上映会と絵本の翻訳者・みらいななさんの講演会(主催;アトリエ21℃)がありました。


みらいななさんのお話の「いのちは直感」というフレーズで、「直感って、どういうふうに感じているんだろう?」ということが気になっていました。


その後、「思いつくこと、気がつくことが直感で、その瞬間の連続がいのち」かと思いました。


今朝、散歩をしていて浮かんだのは次のフレーズです。


思いつく

気がつく

火がつく


つく(「着く」「付く」「点く」…)ことの連続がいのち。


思いがはなれる

気がそれる

火が消える


それらの連続もいのち。

2005-07-17 21:41:04

1週間

テーマ:ブログ

気がついたら、1週間以上ブログの更新をしていなかった。


と書いて、昨日、書き込もうとしたら拒否された。

 気を取り直して再び。


この1週間なにをやっていたんだろう?

なにを感じていたんだろう?


いろいろあったような気がする。

たいしたことなかったような気もする。


 蚊取り線香を炊き始めた。

部屋が線香くさくなった。


 塾の保護者の方から、お叱りと激励を受けた。

 「ここのやり方がいいと思ってきているんだから、 今まで以上にやり方を考えて、 広げる努力をしてほしい」と。


友人の手打ち蕎麦をいただいた。

 「蕎麦を腹いっぱい食いたい」という願望が叶った。

ありがとう。


 ゴーヤチャンプルー風のパスタが意外とおいしかった。


 夏至にやった「キャンドルナイト」をお盆過ぎに再びできることになった。

 なにをするでもない、 ゆったりした時間がうれしい。


 2回目の「ほっとカフェ」では、

久しぶりにお会いできた方や顔は見るけどなかなかじっくりお話する機会がない方など、

来てくださった方と子育て談義・近所付き合いなどのお話をした。


 最後はいただいたスイカの絵を描いた。

家ではつくれるようでつくれないこういう時間を持てたことが幸せだった。

 今年のはじめに「『まったり主夫の優柔不断な贅沢』と『色鉛筆画』をつづける」 というのがあったのだけれど、 できそうでできなかった絵を描く時間を確保することができてうれしかった。


そういえば、色鉛筆で描き始めたとき、 すいかの面積と完成するまでの色を重ねることの労力を考えると、 かなりめんどうくさいと思ったんだった。

(だから、家で一人でやるのがむずかしかったんだ)

 それでも、なにをやってもいい「ほっとカフェ」という場があったことで、

 めんどうくさいこともできてしまった。


 色を重ねるうちにおいしそうになったり、そうでもなくなったり、 色の使い方でスイカの甘さまで変わりそうな感じだった。

モデルを見て似せて描こうとすればするほど、 まずそうになってきたので、 最後はモデルから離れて、 実際にはない色も塗ってみた。

 それで、私のスイカになった。


こんな体験ができたことも貴重だった。

2005-07-07 23:23:49

音楽聴いて『ウー、イェイ』しか言わない日がありますね。

テーマ:今日の一言

フライ,ダディ,フライ の脚本と原作を書いた金城一紀 さんがラジオでしゃべっていた(「恵俊明のディアフレンズ」FM東京系)。

「1日ほとんどしゃべらないときがある。音楽聴いて『ウー、イェイ』しか言わない日がありますね。最高1ヶ月だれともしゃべらないときがあった。だから、人と会うとしゃべるんだけど」

「酒は飲まず、ギャンブルもやらず、毎日5時半には一人の家に帰って、小説読んだり、映画見たりしてます。学生の時は、小説家になれると決めていたので、就職活動はやらないで、小説を書くため、毎日、小説読んだり、映画見たりしていました」

「ボーダーを壊していきたい。文章でできることは、なんでもやってみたい」


 だれともしゃべらない日があるって安心した。映画も売れて、本も売れてる人が、しゃべらない日があるって安心した。

2005-07-05 23:26:42

「自分のテニスはこれしかない」と決めてしまっていた。

テーマ:テニス

2週間のウインブルドン・テニスが終わった。女子はヴィーナス・ウリアムスが4年ぶり、男子はフェデラーの3連覇で幕を閉じた。


たしか始まった頃は、サッカーのコンフェデ杯と世界ユースが重なって、毎晩夜更かしをしていた。暑くもあり、ビールやカンパリも飲んだ。


週末に体調を崩し、2週目に突入。お酒とコーヒーをたって、早寝する日が続いた。ところが、11時12時に寝ると、不思議と1時半とか4時ごろ目が醒めて、そこからチャンネルを合わせる日もあった。


それはともかく、ウインブルドンで感動したことがある。ベテランのうまさだ。


杉山愛は今シーズン不調で1回戦で負けてしまったが、劣勢からの建て直しがうまかった。自分のやるべきことを心得て、試合中に建て直しができる


準決勝のダベンポートもそう。得意のワイドへのサービスが入らないとなると、センターばかりに打ち込む。

決勝では、相手のヴィーナスは速い展開で準決勝を勝ち上がってきたので、あえてペースを落としたストローク戦に持ち込み、優位に運んでいく。


この辺の30歳前後のベテランのうまさは見ごたえがあった。でも、最後は調子の乗った若さに惜しいところで押し切られてしまったけど。


そんなことを書いていて、自分の若い時のことを思い出した。他社のテニスクラブの合宿に参加させてもらったときのこと。


県のチャンピオンと試合をしたときに、「良い線いってるのに頭が悪いんだよな」と言われた。たしかに歯が立たなかったのだから、どこかが悪いのはわかっていたが、頭が悪いと言われてもなんのことかさっぱりわからなかった。


でも、ウインブルドンを見ていたら、その意味がわかった気がした。トッププロになると、苦手なショットなどといってもそんなに大きな穴はない。作戦と精神面のコントロールが勝敗に大きく作用する。


相手が腰が不調だとわかれば、サーブをボディにぶつけてくる。ストロークが劣勢になってきたと思えば、ネットプレーに出る。ここぞというときに守るのではなく、集中力を高めてアグレッシブにいく。エースはとれなくてもいかにしたらプレッシャーがかかるかを考えプレーする。ミスジャッジで落ち込んだら、がまんせず、抗議することで気持ちを切り替える。・・・。


合宿の時の私は、ワンパターンだった。「自分のテニスはこれしかない」と決めてしまっていた。たとえ、ストロークが調子よくて、相手を押し込んでいても、「自分のテニスはこうじゃない。もっとゆっくり打つんだ」と流れにさからっていた。不調なときの建て直し方など考えるすべがなかった。相手の状態や局面によって、やり方を変えるような器用な真似はできなかった。


そこがうまい人との違いだった。いろんな引き出しからどれを出すのか、相手はやりやすそうなのか、やりにくそうなのか、そんなこと判断するのが頭を使うということだったんだ、きっと。


でも、なにも考えずがむしゃらにやったときのほうがいい結果になることもあるし、正解はないのかもしれない。考えても、考えなくてもスポーツはすぐに結果が出るから。そこのところがおもしろいところではある。

2005-07-04 23:39:44

雑木林のお話

テーマ:ブログ

「知るを楽しむ この人この世界」というNHK教育の番組を見ました。

「日本一多くの木を植えた男 宮脇昭」というタイトルでした。


宮崎さんは、 植物生態学者で「日本植生誌」という日本全国の植生を何年もかけて、自分の足で調べ上げ、それを何巻にも及ぶ本にまとめあげた人です。


番組を見て驚いたのは、里山と呼ばれる雑木林は本来の林や森ではないということです

そのことを1966年の学会で発表したとき、会場がどよめいたそうです。


もともとあったのは、シイ・カシ・ツバキなどの常緑樹だった。


いわゆる雑木林に生えているくぬぎやなら、または、さくらという落葉樹は少し高いところから降りてきた。

それは、ここ何百年かの間に人間が森に手を加えつづけた結果だ。

雑木林で25年に一度伐採したり、3年に一度下草を刈ったりしなければならないのは、もともと生えている木ではないからだそうだ。


もともと生えているものを潜在自然植生というそうだが、関東以西でそれが残っているのは、わずか0.06%なんだそうだ。

スギやヒノキはもちろん、マツも今ほど生えてはいなかった。

マツは、競争力が弱いので、環境のいいところでは競争力に負ける。しかし、粘り強いので、環境の悪いところ、すなわち、急斜面や水際などに生えていたらしい。


今でも、手入れされていない雑木林には冬になると、常緑樹が生えてきているのがわかるという。

宮崎さんは、木材のための植林やコンクリート地帯などの花いっぱい運動も大切、だけど、潜在自然植生との共存が一番と訴えていた。


私は、もともと生えていたのはt落葉樹が主だと思っていたので、驚いてしまった。そういえば、遊歩道には常緑樹があるなあ。


次回は、自然災害と潜在自然植生のお話。だれか、ビデオとってくれないかなあ・・・・・・・・・・。



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