めっきり減ってしまった カラ元気ですが、

今日は、なんとかひねり出せました(笑)。

 

とりあえず、ちょっとがんばって、2月に撮った写真をアップ。

 

子供からもらった骨董品なみの古い小さなデジカメは、

ボタンの意味が、まったくわかりません。

 

電源を入れると、毎回、「日時を設定しますか?」 と聞かれます・・・

 

もうボタンをいじってみるエネルギーはないので、

毎回 「いいえ」と入れ、

 

後は、シャッターボタンを、ただ押します。

 

だから、何時撮ったのかわからないし、覚えてもいません。  

 

とにかく、撮った順番に、並べておきます(笑)。

 

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ほんとに、久しぶりに、

大きな 大きな月 が見えた夜。

 

ベランダから月が見えると、ほっとして、すごく嬉しくなります。

 

こっちは同じ夜に撮ったものだと思うけれど、

上のと違ってますね。 

たまたま、フラッシュボタンをいじってみたのかな? 

もう何をしたのか、全然覚えていません。

 

 

 

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迫力のある雲です。

 

雲は、何百回見ても 飽きません。

 

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これはたぶん、日光浴していた時に、見上げて気づいた雲。

 

見とれている数分のあいだに、ぜんぶ、消えました。

 

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ここからは独り言です。

 

ひきこもり暮らしなので、結局、空の写真がほとんどになるのですが、

 

空を見ると、なんで、ほっとして嬉しくなるんだろう? と考えました。

 

以下、私の想像にすぎませんが、

 

口には出さないけれど、

 

あの 「3 ・ 11」 以降 

 

多くの大人たちの心の底に、

 

不安とか、 おびえとか、無力感 というような、

 

かすかなかげりの石が、 沈んでいるのではないでしょうか?

 

 

私の場合、「阪神」 のときには、まだ、驚きで済みました。

 

でも、「3 ・ 11」のときは、津波・倒壊 や 火事だけでなく、

 

今も ひっそりと覆われている、メルトダウンがあったのです。

 

スリーマイルも、チェルノブイリも、

 

いくつもの潜水艦事故や、隠されている不法投棄などは、

 

その時々に、対岸の火事を見る感じで 済みました。

 

でも、今回は、世界の人たちから、

 

対岸の火事として、見られる立場になり、

 

ある程度の見通しがつくまでは、

 

折につけ、これからも 意識されていくことでしょう。

 

 

うちは、孫もいないし、

子供たちだってあと、40年生きているかどうか・・・

 

そういう意味では、個人としては、あきらめがつきやすいのですが・・・

 

それでも、心の底がかげっているのに気づきます。

 

でも、おそらく、20年・30年に 

 

1回位は、 何かが起きるのが、普通なのかもしれません。

 

むしろ、敗戦後60年余り、起きなさすぎだったのかも・・・

 

自分の両親や両親のきょうだい ・ 祖父母 ・ その上の曽祖父母。

さらに、一代うえの親になると、

 

まさに、江戸時代を生きていました。

 

彼等が子や孫に

何かの折に、ふと一度だけもらした

 

ため息のエピソードを、最近 たまに、思い出します。

 

彼等は渦中にいて、

 

いったい、その時、
なにが起きたのか、わからなかったでしょう。

 

みんな、戸惑い、かげりの石をかかえたまま、

 

なんとかやり過ごし、生きたのでしょう。

 

はるか、後世の私だからこそ、

 

その時、何が起きていたのか、

彼等よりは、たぶん理解できます。

 

そう考えれば、後世を心配する必要もないのかもしれない・・・・

 

それでも・・・・

 

 

美しくみえる空は、

 

地上のゴタゴタ を、つかの間、忘れさせてくれます。

 

体の痛みも、心の痛みも、

 

たわいのない、雑念も。

 

だから、たぶん、ほっとして、嬉しくなるのかな。

 

 

 

 

 

 

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今日から3月が始まった。
夫は 先月76歳になり、私はこの月末で、72歳。

 

車椅子状態になって丸4年すぎ、
新しい5年目が始まった。

 

1月に少し張り切った反動か、
2月はずっと 低空飛行だった。

 

でも、気持ちをとりなおし、
古いメモ帳から言葉を拾い集め、

 

新しいメモを作り、今日ようやく 部屋のドアに貼ることができた。

 

以下、ブログに公開することもないのだけれど・・・(笑)
公開します。 長文です。m(_ _)m

 

あらら・・・
いつのまにか、投稿画面が変わり、ちょっと書きにくい。

 

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・ 生きようという意志  

 

・ 感情を解き放つ


・ 治療法は自分で決める。 ポイントは「スッキリ!」 感。


・ 自分で調べ、納得したものだけを実行する。


・ 必要なのは 少しの知識と多くの実践。


・ 治るか治らないか と考えない。 元気になろうとする。

 命を大事にし、自分に思いやりをもって行動する。


・ できるだけ 「私が心地よい言葉」 をさがす。


・ この方向で、習慣を変える


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必要なものは、あれこれ考えずに、無条件で、十分に与える。


気持ちがいい、心地いい 楽しい時間 をふやす。


☆ 調身 


・ 十分なよい睡眠


・ 十分な休息(積極的安静。アロマ。私は自分が健康であるのを手伝っている。) 


・  ペーシング


・ たべもの まごわやさしい


・ 必要な薬 & サプリ 


・ アレルギーまたは過敏症を引き起こす食物と物質を避ける。


・ 感覚過負荷(感覚に負担をかけ過ぎる)を最小限に。


・ 毎日30分の瞑想。

 

やっていることを すべてストップする。動作、話、思考も中断。

呼吸に注意を向け、体をリラックスして、呼吸を楽しむ。 

 

癒しの源泉とつながる。


・ 30分に一度は立ちあがり、

  静功。深呼吸。 首・肩・腰のストレッチ。 スワイショウ。 揺禅気功など。


・ 気楽なおしゃべり。 


・ 1日5分、頭を使わない、単純で純粋な笑い。


 笑顔は素晴らしい。 笑いは すべての人にとっていいこと。


・ 日光浴


・ Discover and Embrace Your Body's Natural Ability to Maintain and Heal Itself 


・ 脳を疲労させない。 


・ 情報は、シンプルに整理する。


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☆ 調心 と 自愛


・ なにも心配しない。 考えない。 かかわらない。 排除する。
 (有用な資料と、前向きなものを)


・ 落ち着き、安らぎ、希望、喜び を与えてくれるものを見る。 


・ 慈悲や平和 を促すものに意識を向ける。


・ 悩まない。 二の矢・三の矢を受けない。 面倒な努力はしない。


・ 悩む暇があるなら、ちょっとでも楽しいことをする。


・ 無理をしない。 頑張りすぎない。


・ 雑念に飲み込まれまない。


・ マインドフルネス

 

(高齢者でも脳の構造自体を変えることができる。海馬の一部である灰白質が5%ほど増える。慢性の炎症にかかわっている遺伝子の活動の変化。。肥満・老化・ガンなどの状態では、弱い炎症がずっと続いている。)


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・ これは苦しみだったのだ、と理解し、

 理解して、ようやく手放すことができる。 自由になれるのだ。 


・ 自分の努力と 成し遂げたことを認め、評価する。


進歩したら、どれほど小さくても その一歩を喜ぶことが、とても大事だ。 そうすれば、その一歩は 力強いものになる。 じぶんにできることを評価しなさい。 できないことについて、思い悩むのはやめなさい。


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・ 今 ここにある自分の命 ここにあるしあわせへ 感謝。


・ 雨や陽光、大地、空気、愛情 たくさんの要素が一緒になって食事 ・ じぶんの今を支えてくれているものに感謝。

 

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さてさて、 実行できるかな??? 笑

 

絵に描いた餅・・というけれど、

餅を描いて、眺めるだけでもよしとしよう。

 

 

 

 

 

 

 

 


 

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2013年2月、四肢麻痺の発作に始まって、

ワケのわからないことが、次々と身体に起きた。

7月には、血液検査で問題なしの状態に戻ったのに、

痩せる・しびれる・立てない・歩けない・あちこち痛い・微熱・頭もうろう・・・

今振り返ると、自分でも笑えるぐらい、次々に増えていった。

物理的な問題はないのだから、これは精神の病気?

そう考えた夫は、

「大げさに騒ぐな。 いいかげんにしろ。
人をこきつかって、あんたは自己中だ。
頭がおかしくなっている。
努力もしないし、根性もない。
あんたのめんどうなどもうみたくない。
自分のことは、自分でやれ。」 と、

毎日 ・ 毎日・ 怒るようになった。

バセドウで診てもらっていたクリニックの医師も、機嫌が悪くなり、
心療内科へ行くようにと言った。

「違う、大げさに騒いでるんじゃない。
 本当になにか、身体の中で起きてるんだ。
 身体の中で、 なにか暴走しているのだ。」

そう言い返したかったけれど、言い返せなかった。

「頭がおかしい」 と何度も言われるうちに、
しまいには、

ひょっとしたら、周りが正常で、
私がおかしいのか? と、
じぶんの 感覚 ・ 考えにさえ 自信が無くなって来た。

嘘も方便とはいうけれど、

子供のときから、
ほんの小さなことでも、ごまかしたり、
オーバーに言ったりが どうしてもできなかった。

子供心に、なぜか、そうしたくはなかった。
 
だって、他人は気づかなくても、
じぶんは 知っているのだから。

そんな私だったはずなのに、
いつのまにか、大げさに騒ぐようになった?
じぶんが、今までのじぶんでなくなった? 

誰にも、一度も、口に出さなかったが、

じぶんの身体と心が壊れつつあるようで、内心、怖かった。

11月から、私は、じぶんにムチを入れ、
歩かなきゃと、必死に努力した。

努力の甲斐あったのか、2014年1月には
片道500mまでなら 歩けるようになり、

一人で、バスに乗り、医者にも行った。

でも、そんな日々の 3週間後、クラッシュが起きた。

そして、2014年2月、
初めて病名 (線維筋痛症) がついて

「気のもちようや、気のせいではなく、
 頭がおかしいのでもなく、
 本当に具合が悪くなっているのだ」  と言われ、

やっと、自分が間違っていなかったことに安堵したが、
 
じぶんの身体への不安は消えなかった。

************************

その3ヶ月ぐらい後、たまたま
『癒す心、治る力―自発的治癒とはなにか』
( アンドルー・ワイル著 ) を知り、ほんの一部だけ 拾い読みした。

次の言葉に、とても心が慰められた。

この本の内容については、いろいろな意見があるが、

この言葉が、
じぶんの 「身体 ・ 感覚 と 心」 への信頼を 取り戻してくれた。

以下引用 ( 改行・大文字など変えています )。

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第7章 治癒の道(P189~190)から。
 

禅は修行者に 「凡の非凡を経験せよ」 と説き、

習慣化した知覚のフィルターをはずして、

奇跡ともいえる 日常経験の本然性を見ろとせまる。・・・・

師家は修行者に、

ただ座って、たとえば息の出入りのような、

存在のもっとも日常的な側面に

注意を向けつづけよと教えるのである。
 
 ・・・・・・
 
われわれは人体に備わった治癒系の不断の活動について、それに感謝するどころか、
ほとんど気もついてさえもいない。

 
潜在的にわれわれに病気やけがをもたらしうる外的因子のすべて、
内外の環境の堪えざる変化のすべてを考えるとき、
 
われわれがこうして生きていること自体が驚異なのだ。
 
間違いが起こる可能性について考えてみてほしい。
 
DNAを損傷しうる放射線の絶え間ない砲撃、
毎秒何百万という細胞の分裂、
 
そのどれひとつをとっても、
遺伝子異常が起こってもふしぎではない巨大な数である。
 
体表のあらゆる侵入孔から体内に入り込む
無数の毒性分子や刺激分子、
 
組織をすり減らす磨耗の力、加齢の力、
 
われわれを取りまくウイルスや細菌をはじめとする病原体の海、
 
神経に緊張を強い、
心身の平衡を脅かす感情の強襲など、
 
それは枚挙にいとまがない。
 
深刻な事故もなく
夜に日をついでいけることは  
奇跡の名に恥じるものではない。  
 
われわれがほぼ通常の健康を享受している

日々そのものが、
治癒系の活動を立証しているのだ。
 
そのはかり知れない価値は、
 
病気を軽減させる能力にではなく、
 
むしろ、日常生活の変転をかいくぐって
 
健康を維持する能力のほうにある。
 
凡に非凡を認める、真の機会がそこにある。

 
つまり、少し、暴走している部分はあるが、
私の身体の大半は、うまくいっているんだ。
 
ようやくその事に気づいた。
 
************************
 
 
原題のほうが、すてきです(笑)。
 
引用文は、自分で打ち込んだのではなく、
ネットからコピペさせて頂きました。ありがとうございます。
 
 
 
 
 

 
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試しに飲んでいた薬を止め、
1ヶ月ぐらい前から少し落ち着いてきました。

ブログ、書こうかなっ・・・と思う気持ちも出てきて、

本で読んだもの ・ 他の方のブログで読んだものから、
瞑想マスターの言葉や、
これは美しいと思ったものを、
 
書いておこうかなと思ったのですが、

その言葉を打ち込むエネルギーが無くなっています。

今までは、言葉を引用する時は、
たいてい事後にお相手の方にお知らせしたり、
前もって承諾を得たりしていたのですが、

それをするエネルギーも無く。

また、引用したものに、
少しは説明や感想を付け加えたい・・・と思っても、
それを書くエネルギーもなく、
 
4つほど、
タイトルと3行目ぐらいまで書いて、
そのまんまになっています(笑)。

このままでは、ずっと投稿できないでしょう(笑)。

公開でブログを書く理由というか、思いは
いろいろあるでしょうが、

私の場合は、たまたま知り合った方々と、
たまに言葉を交わすことができる大切な場所。

また、その時思った事を記録しておけば、
あとで、アルバムをめくるように
眺められる場所です。

できる範囲でブログはやはり続けたい。

そこで、これからは、
もう、ただ、わずかな言葉を投げ出して、

本のページも写真で撮って、
ただ貼り付けていくことにしました。

たぶん、これからは、

読んで下さった方に、

あまりに短かい、不親切な内容の記事になり、
なんだかわからん・・・という事が増えるかと思います。

もしも、これはわからんよという事について、
ちょっと聞いてみたい、
でも、公開のコメント欄に書き込むのは・・・とためらわれたら、
(私も何か思っても
 コメント欄に書き込む事はわずかですー笑)

アメーバブログの方ならメッセージを頂ければ、
少し遅れるかもしれませんが
返信メッセージを差し上げます。

そうでない方なら、以前のブログにある、
「メッセージを送る」という所から送ることが出来ます。
以前のブログはこちら。
どこにお返事を書けばよいかわからないので、

例えば、次の例のように、
返事の仕方を指定して頂けるとありがたいです。

例1 
このブログのコメント欄や、
記事の中へ追記として、お返事を書く
(返事そのものは、公開になります)

例2
その方もブログを書いていらっしゃるなら、
そちらのコメント欄にお返事を書く。

アクセス数 1桁・2桁というブログで、
わざわざこんなお知らせを書くこともないのですが、

ブログを読んで何か思い、
人と言葉を交わすことは、

本当に偶然の、稀少な出来事だと思います。
 
人と言葉を交わすことは、癒しです。

すべてものは変化していきます。

「その時・その時をつかみ、
 できることをする」

そう願っているので、ここに書いてみました。
 
今回から、画面の文字は「L」サイズにしました。

ブログを書くときも、
表示を確認する画面でも、
この方がずっと目にラクだとわかったので。

いつも使うメモ帳のフォントは、
今じゃ、18ポイントです(笑)。

********************

* あらためてのお願い

言葉を引用した場合は、
無断で勝手にリンクを貼っています。

もし、ご迷惑な場合は、リンクを削除いたしますので、
どうぞお知らせ下さいますようお願い致します。
 
 
 
 
 
 
 

 
ベッドの中にいるとき、

たまに見ている動画を いくつか紹介します。

今日は、睡蓮の花が開くようすを撮った映像。

微速度撮影(タイムラプス)の動画です。


Water Lilies Blooming (Timelapse) by Vincenzo Di Nuzzo




騒ぐこともなく、静かに ひっそりと 

花を咲かせています。