今回からはじめる「デザイナー列伝」は、自動車のデザインを手がけた人をピックアップして、代表作を踏まえて紹介してみたいと思う。


第一回目は、自分の趣味で申し訳ありませんが、崇拝するデザイナーの一人にして日本の車に影響を与え続けるマエストロ(巨匠)イタルデザイン・ジウジアーロのジョルジエット・ジウジアーロ氏である。


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ジョルジェット・ジウジアーロ氏(Giorgetto Giugiaro

イタルデザイン・ジウジアーロ社の代表にして巨匠

しかし既に氏も70歳のお年である


<実家はフレスコ画家>

ジョルジェット・ジウジアーロ氏は、1938年イタリア・ピエモンテ州、クーネオにフレスコ(漆喰画)画家の両親の元に生まれ、12歳にして父の影響か絵に非凡な才能を持っていることを祖父の友人に見出され、画家を志して美術高校に在学していたが、たまたま描いたフィアット・500のイラスト漫画がその設計者ダンテ・ジアコーサ氏に高く評価され、ジアコーサ氏の誘いから高校を中退して1955年・17歳でフィアットのデザイン部門(チェントロ・スティーレ)に入社、ここでデザイン造形についての基礎を学ぶこととなった。



<ベルトーネからギアに>
その後、デザインの更なる勉強のためフィアット・チェントロスティーレを円満退社し(現在もフィアットとの友好的な関係はここにある)学生とデザイナーの二足のわらじを履く生活となったのである。ジウジアーロは、夜間にデザインの仕事が出来る理由から、イタリアでも規模の大きなカロッツェリアであったベルトーネで仕事をすることとなった。


この時代に手がけたクルマは、アルファロメオジュリアスプリントGT、フィアット850クーペ、マツダのルーチェなどを手がけるも、ジウジアーロのデザインと言うことは伏せられ、ベルトーネ作として世に出てしまうことを不満に思うようになり、退社、ギア社に移籍することとなった。


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いすゞ117クーペ

ギア社は117と同じシャシーを利用したサルーン「フローリアン」のデザイン

も手がけるがそちらはジウジアーロの手によるものではない。そのおかげか

商業的にはフローリアンは失敗とされている。



そして、ギア時代に名車「117クーペ」を手がける。その時に板金工アルド・マントヴァーニ、そして日本人企業家、宮川秀行の二人と運命の出会いをすることなり、経営が悪化したギア社を退社し、1968年に「イタルデザイン」を創立することとなる。



<生み出される名車の数々>
独立したイタルデザインが製作した第一号のクルマは、ビッザリーニのレースカーシャシーを元にした「ビッザリーニ・マンタ」(マンタはエイという意味)をコンセプトカーとして世に送り出し、周囲の度肝を抜いた。


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イタルデザインとしての第一号車「ビッザリーニ・マンタ」

ビッザリーニのレースカーシャシーを流用したスポーツカーで、3人乗り。

数年前まで、車の所在がわからなかったのだが、何とか所在がわかりフルレストアをかけて

走れるコンディションにしたのだ。

それにしても、この当時ですでにワンモーションフォルムを完成させている所は流石である。


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スズキ・フロンテクーペ

イタルデザイン初期の作品、軽自動車の規格を聞いて可能なデザインを考え

デザインを提案したものの市販当時の生産レベルでは生産できないと言う事で

基礎デザインを元にスズキのデザイン部門がデザインしなおした。



その後、スーパーカーブームに乗って、まるで空気を切り裂くかのようなシャープなエッジを持つ、マセラティ・ブーメランや低価格なアルファロメオを利用したスタディ、アルファスッド・カイマーノなどを世に送り出す。


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マセラティ・ブーメランとアルファスッド・カイマーノ

当時の直線基調やキャノピー形状と言う未来的デザインをふんだんに採用したコンセプト

ブーメランは、ガンディーニのストラトス・ゼロやピニンファリーナのモデューロといった近

未来的スポーツカーのさきがけと言われている。

カイマーノは低価格車種「アルファスッド」のコンポーネントを使い、如何に格好イイクルマ

を作ることが出来るか?という提案である。ちなみに、カイマーノとはワニ(カイマン)である。


もちろん市販車のスポーツカーでもその手腕は遺憾なく発揮され、BMWとランボルギーニの共同開発プロジェクトであったシルエットフォーミュラのベースカー「M1」はデザインから生産(途中でランボルギーニが開発からを引いたため)までを手がけ、「おもえばM1はイタルデザインの生産スキルを上げる上で最高の経験になった」といわれている。


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BMW-M1

グループ4・5に殴り込みをかけ、レースに勝つ事を目的としてレースカーを少量生産する

その生産に当時経営が傾いていたランボルギーニが、シャシーの開発はランチアのラリー

スペシャル、ストラトスでその名を馳せたジャン・パオロ・ダラーラが、そしてデザインには

ジウジアーロが担当と、まさに勝つためそうそうたる布陣で生産計画がなされた・・・


だが、ランボルギーニの生産効率の悪さがBMWの怒りを買い、シャシーの生産をBMW

ゆかりのバウアー社に変更、デザイン担当のイタルデザインが生産までも受け持つことと

なったのである。

さらに不運なのは、生産が認可された年にグループ4・5が廃止となってしまい、M1はまさ

に悲運なクルマとなってしまった。

※この辺の詳細は改めて語りたいと思う


市販車では、FF2ボックスカーの定番ともいえるフォルクスワーゲン・ゴルフを世に送り込み、世界のFFコンパクトの定番として売れに売れまくったのはメカニズムだけではなく、このデザインの完成度も寄与していることは言うまでもない。


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フォルクスワーゲン・ゴルフ

いうまでもなく、FF2ボックスのコンパクトカーを語る上ですべての模範となる車。

当時、ビートルに続く車を出そうとして失敗が続いていたフォルクスワーゲンは、

新しい車を模索する上でデザインをジウジアーロに依頼、このデザインを提案し

て市場に投入するや、大ヒットをたたき出してしまった。

もちろんフォルクスワーゲンのメカニズムも素晴らしいのだが、そのメカを包む

コンパクトなこのデザインが完成されていなかったら、今日のコンパクトカーの

繁栄はなかったかもしれない。

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フィアット・パンダ

ジウジアーロ本人に聞いた、自分でデザインした車の中で一番気に入ったクルマ

それがこのフィアットパンダである。

クルマ自身は、ジアコーサ方式のFFコンポーネントを元にした、どうって事のない

コンパクトカーなのだが、シートの簡略や左右に動く灰皿など、コンパクトなクルマ

の中に氏が可能な限りのアイデアを投入したのがこの一台で、氏いわく「長く付き

合う上で、最高な相棒を作れた」と言っている。まさに「ブレッド・アンド・バター」な

クルマといえる。


80年代になると映画で有名になった悲劇のクルマ、デロリアンDMC12のデザインを手がけるほか、日本車のデザインにも氏の名前が多く見られ、特に117クーペで関係の強いいすゞとは、コンセプトカー「アッソ・ディ・フィオーリ」をほぼコンセプトカーと同じクオリティで市販した「ピアッツァ」や町の遊撃手「FFジェミニ」の基礎デザインなど、いすゞは氏のデザインに対しての理解が高かったとされている。

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デロリアンDMC12

1980年代に元GMの取締役だったジョン・ザッカリー・デロリアンが自身の理想と

なる車を作りたいと言う意欲からシャシーの開発をロータスに依頼し、未来的な姿

を持つデザインをジウジアーロに依頼した。その後、デロリアン氏のコカイン所持に

よる逮捕からデロリアン社は倒産、その後映画「バック・トウ・ザ・フューチャー」の

タイムマシン役で一躍有名になる。


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いすゞピアッツァとFFジェミニ

ピアッツァは空力研究用コンセプトカー「アッソ」シリーズの「アッソ・ディ・フィオーリ」

(クローバーのエース)という名前で発表されていたものの、Aピラーのガラス角度が

急なためドライバーの視界を圧迫するということから角度をゆるくしてバランスを取り

なおした。これにジウジアーロ氏は難色を示したと言う。


またFFジェミニもGMの意向によりデザインの変更を余儀なくされたため、氏の自尊

心を大きく傷つけ、いすゞとの付き合いを解消するまでになってしまう。


当時は氏も「ジウジアーロの名を出すな!」とデザインに関する関与を前面に出す事

なく販売(その後和解して、イタルデザインの作品リストに載る事になった)する事にな

ったといわれている。

だが、ピアッツァにもある一本引かれたラインなどジウジアーロの影響があることは、

一目瞭然である。


また、日本の市販車初でCD値0.27をたたき出したスバルの初代アルシオーネや初代レガシィ(内製デザインといわれているが基本コンセプトはジウジアーロといわれている)、アルシオーネSVXなど、トヨタも初代アリスト等で、ジウジアーロの仕事を見ることが出来る。


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スバル・アルシオーネSVX
いすゞとの関係を解消したジウジアーロはスバルと手を組み初代アルシオーネ
を発表。

しかし大まかなデザインがホンダプレリュードと酷似しており、ユーザーからは腰高な

プレリュードと揶揄され、巻き返しのため二代目としてデザインされたのがこれ。


当時デザインセンターに勤務していたパラダイス山本氏(東京パノラママンボボーイズ)

は、通訳を通してデザインの趣旨を聞いて生産にこぎつけたのだと言う。

そのほか韓国車のデザインでも氏の手腕はとどまることを知らず、大宇のコンパクトカー「マティス」などは制約の大きい中であれだけのデザインを行うことが出来るのはさすがである。


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大宇(DAEWOO/CHEVORET)マティス

800ccのエンジンを積み、サイズも制限のある中でデザインを振るった一台。

コストを削って生産できる車のデザイン提案を行い(アメリカではシボレーの名で)売りまくった

が、中国のチェリー99がマティスに酷似している事から、デザインの訴訟まで起こった。

最近ではフィアットのグランデプントやアルファロメオ159、ブレラなど、イタリア車のデザインを多く手がけており、かつてマエストロが学んだ古巣のフィアット(当時は経営悪化などもあり、チェントロ・スティーレの縮小による、外注に頼らざるを得ないことからジウジアーロに依頼した)に貢献していることはある意味、義理人情を感じてしまいます。



<デザインはクルマだけではない>
1981年には自動車デザイン以外のデザイン事業にも手を広げるために「ジウジアーロデザイン」社を設立(現在では2社が統合されて「イタルデザイン・ジウジアーロ」社となる)イタルデザインでは行われていなかった自動車以外のインダストリアルデザインにも手を広げるようになった。


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ニコンとジウジアーロの関係は80年代からでかなり長い。

最初はニコンのF3のデザイン依頼から始まり、ハイエンドのカメラデザインは

ほとんど氏の手によるものになる。



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セイコーとジウジアーロの付き合いも長い。しかも、一度デザイン契約が解消した後に

ジウジアーロ自らが手紙で「もう一度デザインさせてもらえないか」というほどで、氏の

セイコーに対する信頼は厚いようである。

ちなみに左上の文字盤が左に傾いているのは車に乗ったときに、文字盤が見易いよう

にと言う工夫である。


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ジウジアーロのデザインしたものにカセットテープと言うものもある。

太陽誘電(That's)のメタルテープ「SUONO」である。この立体的な造形は、カセットの

ボディ強度を増して、音のひずみを減少させるのが狙いとされていた。

その後、このボディデザインを利用した廉価版も発売された。



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オカムラの高級ビジネス椅子「コンテッサ」シリーズ
アーロンチェアなどで採用されている網目の背もたれと座面が
蒸れずに使えるの

が快適。いつかは所有してみたい椅子である。


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ジウジアーロのデザインでさらに驚かされるのがパスタである。

このマリーレ、お湯に茹でて効率よく茹で上がり、ソースが絡みやすい形状と言う

クライアントの依頼で作られ、突き詰めた形状が「β」のような形状。


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さらには、日本酒のとっくりとお猪口までデザインしていたとは・・・

恐るべし、ジウジアーロ!


もちろん日本でも多くのデザインに着手し、特に有名なのは今でも関係のあるニコンFシリーズのデザイン(現在ではコンセプト案に留まっているが)を手がけるほか、ブリヂストンの自転車「スニーカー」や、セイコーの腕時計「スピードマスターシリーズ」「クロノグラフ・ジウジアーロ」のほか、太陽誘電(That's)のカセットテープ「SUONO」シリーズ、フジテレビの「NEWSCOM」のスタジオセット、ソースが絡みやすいβ形パスタ「マリーレ」や、業務用大型印刷機「ネビオロ・コローレ」、さらには自身の名を持つ紳士服ブランド「ジウジアーロ・ウオモ」(一時期、小倉智明氏が好んで使っていた)、岡村の高機能椅子「コンテッサ」などのほか、なんとお酒の徳利とお猪口もデザインしていたと言うから驚く。



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イタリア国鉄の特急車両のデザインもジウジアーロの手によるものである。

車両の外装以外にも内装も氏の手によるものである。


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トリノ冬季五輪の事前プロモーション用に作られたのが「アトリウム・トリノ」

この建物、またの名を「パラ・ジウジアーロ(ジウジアーロ広場)」と呼ばれる

トリノ五輪後はトリノ五輪資料館とトリノ市の博物館として活用されている。



日本以外では海岸道路(歩道)のデザインやトリノオリンピックで使用した後、トリノ冬季五輪の事前プロモーション用施設とトリノ市の博物館として運営される「アトリウム・トリノ」のデザイン全般、イタリア国鉄の特急電車の内外装、ベレッタの銃器などまさに広範囲と言っていい働き振りである。


そんな氏も70歳を超えて、現在は息子さんのファブリツィオ氏との二人三脚でデザインに明け暮れているそうで、生涯現役を貫くマエストロに、無理をせずに末永いデザイン提案を望むばかりである。

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