首輪
テーマ:フィクション気がつくと目の前にあの女の顔があった。
「どうしたの?」
よほど妙な顔でもしていたのだろうか。怪訝そうな表情で私の顔を覗きこみながら訊いてきた。
「い・・いや・・・」
20数年前から一瞬で現在に戻ってきた自分の意識と今の状態に戸惑いながら、そう答えるのがやっとだった。
曖昧な私の答えに業を煮やした彼女は、いつのまにか傍らに用意していた濃紺の紙袋の中から黒いベルト状のものを取り出した。
「なんだか心ここにあらずって感じね?そんな不躾なあなたにはこれがお似合いよ」
それは革製の大型犬用の首輪だった。背後に回った彼女が私の首に腕を回したかと思うと、ヒヤリとした感触が首筋のあたりに広がった。
犬用とはいえこのサイズになるとズッシリと重たい。バックルを締める作業に合わせ、小さく上下に動く首輪から革製品独特の匂いが立ち昇った。
普段嗅いだことのない匂いに私は妙な興奮を覚えた。
「これから人の言葉を話してはダメ。あなたは犬なんだから」
首輪を装着し終えた彼女は、悪戯っぽく微笑みながらそう言った。
「はい」
戸惑いながらそう答えた私は左の頬を彼女に掌で軽く叩かれた。
「はい、じゃないでしょ?犬はなんて鳴くの?」
「・・・ワンです」
ピシャリともう一度叩かれた。今度は右頬だ。
「です、はいらないの」
「・・・ワン」
「あはは・・・良く出来ました」
彼女に笑われ、情けなく犬の鳴き真似をしている自分を、もう1人の自分が見ている。
被虐感にさいなまれる。しかし、それとは裏腹に悦んでもいる。こんな状況を望んでいたのかもしれなかった。
「服を着ている犬ってなんか変じゃない?」
私の周りをゆっくりと歩きながら、彼女は値踏みするような表情を浮かべそう言った。
「着ているものを脱ぎなさい。犬は服なんて着ないの」
突然の申し出にまた喋りそうになってしまった。開きかけた口をぱくつかせる私を見て、また彼女は笑った。
「はは・・どう?いうことがきけないの?」
彼女は首輪に手を伸ばし、私の後方に向かって力を込めた。ベルトが喉仏を圧迫する。
無意識にうめき声をあげ、顔を歪める私に新たな選択が突きつけられた。
「できないのって訊いてるの。できるなら1回、できないなら2回鳴きなさい」
選択の余地はなかった。グイグイと力任せに引っ張られた首輪が気管に食い込み、気がつくとくぐもった声で1回「ワン」と言っていた。
「いい子ね~」
首輪を押しつける力が緩められ、喉をさすりながら咳き込んでいる私の頭を、まるで飼主が犬を褒めるように彼女は撫でた。
妙な冷汗と苦し涙を流しながら、私は膝に手を置き顔の血の気が引くのを待った。
Tシャツを脱ぎ、ジーンズを下ろしてパンツに手をかけた時、もう一度彼女の顔を見た。
「これもですか?」
「当たり前でしょ」
意を決して手を下げた。
「ははは・・・ほとんど初対面の相手に全部さらけ出すなんて、あなたも相当の変態よね」
そんな辛辣な言葉も今の私には褒め言葉に聞こえた。
「ワン」
私は彼女の言葉を認める意味で一つはっきりと力強く吠えた。
「そういえばさっきまた喋ったわよね?」
彼女の言葉に私は奥歯を噛み締め、目を閉じながらそっと左頬を差し出した。
ピシャリという肉と肉がぶつかる音が二人だけの空間に響き渡った。
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