わりきる。

テーマ:
わりきって考える。

それが大事

そうわりきっていても、できないんだなぁ。

なんで、そうなっちゃうんだろう?
なんで、こういうことするんだろう?
なんで?なんで?なんで???

の連発。

でもさらりと流せばいいことなんだろうなぁ。

いろいろなんだし、いろいろが社会だし。
みんな人生いろいろだし。

そう思える自分になれたら、きっともっと楽になれるのかなぁ。
AD
自分に自分の年齢を問いかけてみよう。

昔、自分が幼なかったころ、30歳の人。といえばそれはそれはとてもいい大人だった。とんでもないおじさん、おばさんにも思えた時期があった。
最近は見た目も若々しく、年齢不詳のような風体が多いけれども、そのせいなんだろうか?自覚のない大人が多い気がする。
まだまだ精神的には新入社員。もしくは入社したての若造。いや、大学生なのかもしれない。

それはそれでいい。でも、ふと振り返って欲しい。
後ろには、沢山の後輩たちが連なっている。
後輩なんて言い方はもうできない。
部下がぶら下がっていたりする。
自分は、そう思いたくない。なんていうかもしれない。
でも、自分以外の人は、自分のことを目上の人だ。と思ってみつめられていることを気がつかない。

自分は意識していないかもしれないが、意外と世の中は順をおって昇格させるものだ。
気がついてみると、マネジメントクラスになっていたりする。
とんでもなくいい大人になっている。

今沢山の犯罪や事件がおきているけれども、大人であるはずの人が、実は精神的にはまったくそれを意識していない。ということが一番の原因なのではないか?と思う。

大人になればなるほど責任の範囲も広がる。その広さも感じない。実感がないようだ。気持ち的にはまだまだ当時の自分のまま。

何が起きてもおかしくない現代だなぁ。と改めて思う。

子供時代の自分のまま、自分の得意分野だけをうろうろする。自分の守れる範囲だけで守られている当時のぬるい環境。そのある一定の環境の中を行き来しているから、突如壁にぶつかり、現実とその日常との差異に驚き、ある日突然突拍子もない行動を起こすことになるんだろうな。と思う。


とある人は私に電話でこういった。

「お前なんて死んじまえ」

とてもとても信頼している友だった。もちろん、それは私が悪いことをしてしまったことが原因ではあるけれども、その件については、申し訳けなかったと謝りもした。何度も何度も謝った。いいよ。と許されるものでもないか。とも思いながらも遠く離れていることもあり、常に相手を思いやる気持ちがあるとも勝手に思っていたのが思い違いだった。どんなにか頭にきたのだろう。でも、私として感じたのは、どんなに憎かろうがどんなに悔しかろうが、口にしてはならない一言があると思う。


これは一例。

30年も人間やっているわけであり、人間としてはかなり歴史をつんでいる。
いろんなシュミレーションもできるはず。
気持ちよく生活をするに必要なものはなんなのか?
人は一人だけで生きているわけでもなく、少なからずも人にかかわりあいながら生きているのが大前提。でも、それに気がつかない。
それでも異様に偏った行動を突発的に起こす、そんな数多くの大人たちからも異様な犯罪が起きる理由がわからなくもない。


大人になりきれない大人たち。

今ものすごく沢山いる。

今日、私は改めておかしな大人の事象を再確認した。
まがった大人になってしまった。
それをいかにして矯正するか。
それにどれだけ私が労力を使うべきか。
しかもそれは、私が労力を使うべきものか。
でも目の前にしたその大人は、まぎれもなく私の近いところにいる存在。
私としてはそれに気がついて欲しいと思う。間違っていることを間違っているんだよ。と伝えたいと思う。でも本人といくら話しをしても、「自分は間違っていない」としか答えは返ってこない。

そして、傾向としては、必ず「何か」のせいにする。
理由は沢山用意してあって、自分がだしている結論や行動を裏づけようとする理由(私からしたらいいわけ)を用意している。

いいわけに守られなくてもいい言動、行動。
それができれば、大人らしい大人になると思う。
人はとてつもなく弱いもの。
いいわけが整っていれば、それはそれで自分的には楽だ。

大人になりきれない大人。
それは言い訳けばかりに周りを固めた歳だけを経た子供だ。
AD

肛門周囲線癌

テーマ:
愛犬いちごうの、その後のレポートです。

実はいちごうは、ステロイド剤の投与のおかげか、とことこ歩くようにまで回復しています。たまーに、ごてっ。とずっこけはしますが、玄関までお迎えにもきますし、キッチンにいってはゴミあさりまでするように回復。

すごいことです。

昨日は手術の抜糸でした。

はじめて私がいちごうを東大病院に連れて行きました。
そこで、先日の手術の結果を聞かされました。

ヘルニアについては、このままステロイド剤の投与で様子をみましょう。とのこと。かなり回復してきているので、1日おきに薬をのませることで様子をみること
となりました。場所が場所だけに(首のつけね)大手術となることもあって、先生自身が乗り気ではないのでした。
私ももうこれ以上傷をつけたくないな。と思っていたので。

それよりもなによりも深刻な問題がある。
との告白。

今回手術をした検査結果。

それは「肛門周囲線癌」
ということでした。今回の手術でそれなりに摘出はしたものの、すべての癌細胞を摘出できているわけではないので、再発の可能性は高いとのことです。

そもそもお尻の脇にできたイボ。
これがいわゆる去勢手術をすれば解消されるレベルのもの。という判断自体が間違っていたということにもなります。
ただし、これ自体を発見した際にはすでに歳も歳だ。ということで手術自体を見送った私の判断も同じ間違いだったということでもあります。

イボが気になりだしたときに手術していれば、もう少しどうにかなったものでしょうか?という質問には、先生はなんとも答えようがないですね。とのコメント。

まあ、いずれにしても、今回立てなくなってしまった症状によって、いくつもの悩みやモロモロを解消でき、今回であえた東大病院の先生方との出会い、そして新たな目標にむかって毎日を過ごせるようになったことはとてもいいことだと思っています。

放射線治療、抗がん剤の投与...
という治療の選択もありますが、どうしてゆきますか?
という質問ももらいました。

今手術をしたばかりだし、今すぐに動くことは見送ります。
という答えをしました。

1か月後、癌の転移の検査をする予定です。
月に1度この検査を重ねつつ、様子をみていく。ということにしました。

もう17歳なんで...

昔実家で飼っていた柴犬は、毎日毎日ご飯に味噌汁をかけた食事をしていました。父は、それがいちばん栄養あるご飯なんだ。といってゆずらなかったのです。
子供ながらに、とてもとてもその毎日の食事を恐ろしくながめていた記憶があります。
自分の中には、犬は家族であるけれども、牛、馬、どの動物も牧草をたべたりして生きているんだよね。なんでうちの犬だけ炊いたごはんにお味噌汁をかけてたべるんだ?なんて思ってね。

医学は進歩し、本当に人間並みに小動物たちも生きながらえられるような時代になりました。
でもその反面、人間の食生活も多様化しているので、家庭内でペットとして飼っている小動物も人間のおこぼれをいただいたり、いろんな保存料を含んだ食事をしているのも事実です。

いちごうと、いちごうの体にくっついた病気とともにこれからいろんなことを感じながら体験しながら日々生活することとなる、そんなバレンタインデーでした。
AD
あまり体調がよろしくないけど、朝から娘は元気もりもり。
昨晩、

「あしたなにしよっか?」

という私の質問に、

「公園にゆく!」

だった。

起きてすかさず、

「ママ、いつ公園にいくの?」

との質問だったので、完全防備ででかけることに。
砂場でも遊ばせよう。とか思ってお砂場セットももって、大きな声をあげて二人で歌をうたって松涛公園へ。
ルームへいくようになってからすっかりいかなくなってしまったこの公園。前に一緒に遊んだおともだちいるかなぁ?なんてでかけたけど、アメリカ人のお子さん2人とパパ。イタリア人のお子さん1人とパパというとても寂しい公園だった。

まあ、遊具の順番待ちがないからいいか。

なんて思って遊び始めて10分くらい経過したら...

コンビニの袋をぶら下げてビニール傘をもった腰のまがったお婆さんがやけに大きな声でなにやら叫びながら公園にはいってきた。
そして、アメリカ人のお子さんに向かって傘をふりかざそうとしているではないの!パパはあわててその場に走りよる。
もちろん私もそのすぐそばで子供と遊んでいたので、びっくりして腰がぬけそうになった。

そのおばあさん、腰がまがっているから...と思っていたら、走るのが速いのなんの。ものすごいスピードで子供たちを追い掛け回しはじめようとした。
傘をぶんぶん振り回して。
遊ぼうとしているのではない。
なんだかわけのわからないことを叫びつつ、「ででいけ」みたいなことをいっていたような気がする。

子供たちは怯え、泣き始めた。
そしたらもっとそのお婆さんはエキサイトしてきた。

そんなところに双子のお子さんをつれた日本人のママがやってきて、二人を両手に抱きかかえ、「どうしよう」という始末。

さすがにこの私も、娘をだっこして、そのお婆さんから逃げるのに必死。
かなり体格のいいアメリカ人のパパがそのお婆さんを説き伏せようとしている。でも英語。

そのお婆さん公園内をひとしきり傘を振り回して何か叫びながら走り回ると公園をでていった。
怖かった。

世の中いろんな怖いことが多すぎる。
わりと、鍋島松涛公園は治安のいい公園で、常にキレイな公園だったのだけれども、今日もそれ以外に、浮浪者の人が数名ベンチを占領していて、うろうろしていてバギーから離れることさえも怖かった。

当分この公園にはいくのをよそう。
きっとあのお子さんたち、公園が嫌いになってしまったのではないかなぁ。
なんてとても心配する。

愛犬いちごう

テーマ:
うちの愛犬「いちごう」元々はズーという名前です。
私とかれこれ17年近くともに暮らしてきています。

今日、いちごうは、初めての麻酔、手術を受けました。

もう1年くらいになりますが、おしりの脇に大きな腫瘍ができていて、去勢手術をすればすっきり治るといわれていました。
でも爆発することもなく、単におしりの脇の見苦しい物体。
という感じだったので、そのまま放置しておきました。
もちろん、主治医の先生にも相談をしつつ。の判断です。
でも昨年夏くらいから、この腫瘍が頻繁に爆発するようになり、出血と膿に悩まされてきました。(本人もきっと気になってしかたがなかったでしょう)

娘が生まれてすぐに、いちごうの伴侶であったシー(別名;にごう)が他界した際に、いちごうも同様の心臓の病気(弁膜症)がある。と診断され、その度合いはレベル1~5までの中最高レベルの5であると診断されたのです。
それからかれこれ2年ちょっと。いちごうは毎晩心臓のお薬を飲んでここまできています。
にごうもいちごうと同い年。
彼女は1度出産し、4匹の子供ももうけた、ラブリーな二人でした。
にごうは、心臓病で他界。諸事情により、私はみとってあげることはできませんでした。そのかわり、いちごうがずーっとにごうのことを見守っていてくれました。

老犬であり、心臓に病気をもっているというリスクがあるため、おしりの手術は見送りに見送ってここまできたのですが、この写真を撮影した前日から、前足がたたない。
という症状に見舞われ、10日近い入院生活を経て、ようやく東京大学動物医療センターの予約がとれ、診察となったのです。
まったく歩けなくなってしまったいちごうですが、今日の診察の結果としては首の付け根のヘルニア。という診断。

これが腫瘍だった場合には、もうどうしようもないな。
という先生の診断もあったので、本当に安心しました。

歩くことができなくなって約半月。
この検査の結果と、去勢手術の成功で、本当に安心しました。
いちごうがこれまでお世話になってきている先生と、そして今回お世話になった東京大学動物医療センターの先生との連携プレーによってもいちごうは支えられました。

今日は電話でしか状況を確認できませんでしたが、ここ半月の私の心労を思いっきり解消してくれた夜でもあります。
まだまだ生きる力を強くもっているいちごう。

飼い主として、徹底して犬らしい幸せを考えサポートしていきたいと思っています。

賞味期限ぎれ

テーマ:
帰宅してすぐに、娘と自宅向かいの酒屋にいった。

目的は私の晩酌の調達なんだけど、
もちろん娘が欲しがるジュースやら、メロンパンやらを同時に購入。
いつも娘をつれだってそこにいくときには、

「今日はママ、ビールにしよっかなぁ~ワインにしよっかなぁ~」
なんていいながら、娘に
「ママ、今日はワインにしなよ」
などと生意気なコメントをもらいつつ買い物。

そんな中で、娘がチーズを買う。という。

チーズを選んで、そんでもってその脇に納豆があった。

「お、こりゃ便利。明日の朝のおかずになるわ。」

と思ってなんの気なしに、レジにもっていった。

ほぼ毎日顔をだす店なんで、うちの娘の名前もうちの部屋番号をも知っている酒屋さんだ。

「チーン。」

とレジうちが終わったと同時に、おかみさんが、こういう。

「この納豆。さしあげるわー。」

え?なんで納豆をくださるの???

と思っていると、すかさず

「これね、賞味期限すぎてたのよ。27日が賞味期限だったわ。でも納豆だから大丈夫。食べられるわよ」

「え?あれ?今日って何日でしたっけ?」

「今日?28日よ。明日の朝でも平気よ。」
と妙に強気のプレゼントに、私ときたら

「いいんですか~?」

「いいわよ。どうせ捨てちゃうんだから」

なんだかとっても得した気分と、おいおい、そんなんでいいんかなぁ?という思いとで不思議な気持ちなのだった。

そして、娘の手をひいてお店をでて数歩遠ざかってお店を振り返ると、もうひとつ残っていた納豆をひきあげ、パックをあけているおかみさんがいた。

人身事故

テーマ:
さきほど大阪から戻りました。

梅田から1時間ちょっとの場所へ移動する必要があり、それはそれは電車を乗り継いでの小旅行。
訪問した先では、とにかく今年、がんばりましょう。
ということを伝えたいだけの訪問だった。

先方に、それは伝わったのかどうか。
でも、やはり決断のスピードというものは、本当にビジネスにおいて重要なことだと改めて感じる。

リスクはどんなときにもつきまとう。
普通に生活していても、突然の災害に見舞われることもある(という極端な考えもある)
何か特殊なこと、新たなチャレンジをしようと思えば思うほど、想定される以上のリスクはあるものだ。

それをどこまで自分の中で想定して仮説をたてておくか。
それが「何か」がおきたときに納得いく行動にうつせるか。
ということにつながると思う。

帰途、新幹線が急に徐行したりしはじめた。
小田原を通過した時点で知らされた事実は、静岡駅で人身事故がおきたために徐行運転を断続的におこなっているということだった。
今改めてニュースをみると、事故自体は4時46分に事故以来運転再開するということになっていたらしい。
なぜJRはその事実をすぐさま乗客に伝えないのか?
不思議に思いながら、ユーザの立場である私の考えと、JRの立場にたった自分のあるべき考えを交差させていた。

そんな中で、昨日は六本木ヒルズの回転ドアの云々の報道が久しぶりにあった。
回転ドアの前に横たわる男の子と、そのお母さんのあの惨状を目の当たりにしていた私を思い出した。

時間が何事もかきけせるかというと、まったくそんなことはない。
当事者であるご両親はもちろんのこと、あの現場の記憶は私は一生忘れられないものだ。
うちのメールサーバの不調で、メールがみれないならお茶でも飲もうか。と思って、LL階のスタバにいった私は、この事件に吸い寄せられた。
もしも神様がいるのであれば、何かを私に知らしめるためにあの場所に呼び寄せられたのだろう。としか思えない。

近いところに立ち尽くしていた人々から発せられた「言葉」。
今でも、亡くなった男の子のお母さんが血まみれになった腕時計をぬぐう、そしてとめどなく泣きじゃくっていた、その光景が目にやきついて離れない。

これをいうと、

「黒坂さん、お子さんもったから他人事と思えなくて、そう思うようになったんでしょう?」

と、コメントする人が何人もある。

私は単に子供であろうが、老人であろうが、なんらかのアクシデントが起きた際にそれにむかってただの傍観者として立ちすくし、この先どうなっていくんだろう?というだけでいることができないだけであり、どんなときでも、何かがおきたときでも、自分に直接関係ないものであればあるほど、「当事者意識」が強くなる自分がいることを再確認するのみだ。

人を信じること

テーマ:
私はこれまでの人生、人に裏切られることが怖くて、常に斜に構えた人生を送ってきた。
素直に人をまっすぐになんて見たことがない。
斜めから、後ろから、いろんな方向から自分以外の人を見、そして自分でとことん納得してから人と接するようなことばかりだった。

なんでそんなことになったか?というと、冒頭にも書いたように、「裏切られるのが怖い」という思いからだけだった。

それがふっきれたのが、コンテンツを創出しているクリエイタの人たちとの出会いからだった。
創出されるコンテンツたちは、裏切ることはなかった。
もちろん、興味深いコンテンツを創出する人。というのはとても魅力的な人ばかりだったからだ。

それからの私。は、コンテンツに限らず、いいアウトプットをする人をそのまま信じるようになった。そのまま信じることができるようになった。
というのが正しいかな。

そうして、気がつくと、私は社長という立場になっていた。
自分の仲間として受け入れる人は、全て信じるもの。
そして信じるべきもの。と確信していた。
私は信じているよ。
それを個々に対しできる限りわかりやすい手法でできる限り個別に表現する。
でも、でも、それにいくら時間をかけても、実はわかってもらえておらず。
そして、私が必死になって、自分があなたを信じているんだよ。
と口にだそうが、相手には信じられない行動をもたらすことになるようだ。

人を信じること。
それで全てがはじまると思っている。
私は、自分の仲間になってくれた人を信じて、これまできている。
その思いは、必ずや、相手が私を信じている。ということにイコールなのではない。ということを感じる。

この衝撃的な顎はずれ事件は、私が社長になってから数回おきている。

ものすごくパワーを使うこの「信じる」という行為。
100万、500万の案件をまとめたり、こじれにこじれた案件を解消することなんて、痛くも痒くもない。さくっといけてしまう。
でも、人一人一人に対し信じてもらう。ということは、とんでもなく大変なパワーを使い、信じてもらえなかったときに、信じていない人が起こす行動というものは、これまでに私が使ったパワーの100倍以上を使って元に戻そうとももう戻れない。ということになっているものだ。

まわりくどいことを書きました。

私は意外とというか、まさしくアホなんだなぁと。
飼い犬にかまれる。とはこのことをいうんだなぁ。と思う今日なのです。

人を信じることにはとてもパワーを使う。
人を信じずに大きなものをまわすことなぞ、できやしない。
でも信じていたはずなのに、思いっきり信じられていなかった。
それを知ったときに感じる人への不信感。

私の心はどんどんとすさんでゆく。
そしてさらに裏を裏をと読む日々が深まり、必要以上の心労がかさみ、本来使うべきパワーをもっていかれてしまう。

もう、これ以上心が荒れるのはいやだな。
もっともっとピュアでいたい。
もっともっと素直に感情表現し、ウレシイ、楽しい、素敵だ。の日々にありたい。

あいさつ

テーマ:
これはとても不思議だ。

中途採用で入社してきた人たちは、入社1か月目は必ずすれ違うと、大きな声で挨拶をしてくる。
1か月の研修期間を終えて本配属になり、違った場所ですれ違うと、しらーんぷり。する。
おいおい、先月までの君の挨拶はなんだったの?

という具合だ。

うちのスタッフなんかもっとひどい。
すれ違っても、目があっても目をそらして無視をする。
ということもある。

おいおい。目をそらしてどーするの?
そういう場合、私は、相手が返事をするまでしっかりとこちらから声をかける。声をかけても聞こえないふりをする人までいる。
しっかりと視界にはいっているはずなのに。だ。

挨拶ってとてもおかしい。
私が挨拶にこだわっているのがおかしいかのように、表情にだすひとまでいるからもっとおかしい。

家族の間で挨拶ってなかったんだろうか?
就学してきた学校で、挨拶ってしなかったんだろうか?
ほんとうに不思議でならない。

ピンクレディ、すごいなぁ

テーマ:
mixiにも記したけれども、このひとがた、すごいなぁ。

一時は汚い中年女性。と見えたころもあったけれども、
今となって改めてみると、私と比べると10歳も上の彼女ら。

今50歳目前にして、足を高々とあげ、歌いながらダンスしている。

顔にはしわも気になるのは確かだけれども、がんばってます!って感じではなく、プロとしてここまでいきているんだ。ということを改めて感じさせられました。

私、10年後、あんなに躍動的に活動できているんだろうか?
歌って踊ってという具合に考えれば、プロのスポーツ選手と同じレベルではないかと思う。でも、プロのスポーツ選手は、これくらいになれば、もう引退しているか、当然のことながら現役になんかなれやしないよね。

とてもいいコメントもありました。

「同世代のかたがたが、自分と同じことを同じようにできるか?と比較してもらったときに、かなり難しい。とおもってもらえることが、自分がばんばっていることを認められたときだと思います。」

なんだか。来年のための力をもらえた気がしました。

でも、ピンクレディの曲も、振り付けも。なんでこんなに記憶しているんだろうか?クリスマスには妹と二人、ピンクレディの真似をしては両親や親戚たちを沸かせたことを思い出す。

こういう記憶って、現代の子供たちにはあるんだろうか?