ある生物が、その周辺環境において、
生存と生殖に有利に働くような形質(表現型)を"適応"といいます。
今までの進化の話からすると、あらゆる生物は巧みに進化し、環境に適応していると感じているかもしれません。
実際、そうです。
しかし生物は、実はそんなに完璧では無いのです。
夏場、キャンプファイヤーをしていると、
蛾(が)がやってきて、炎の中に身を投じる様子を見ることができます。
蛾は、光に向かう性質があり、炎に身を捧げるべく適応しているのです。
というのは嘘です。
この「光に向かう」という性質は、
実は、「光で方角を測る」という素晴らしい適応能力の"副産物"。
本人(蛾)には、光に向かっていくつもりなんて無いのです。
蛾は通常、月や星など遥か彼方の光源を利用して、自分が飛んだ方角を知ります。
例えばあなたが、走行中の車に乗りながら月を眺めても、月はいつまでも付いてくるように見えるでしょう。
直線的に進んでいれば、あなたから見た月の方角は、どこまで行っても変わりません。
なので帰り道では、それと反対の方角に月が見えるようにすれば、ちゃんと来た方角へ帰ることができるのです。
蛾は、そうやって帰路につく。
これが"適応"なのです。素晴らしい能力。
ではこの適応能力を、近くにある炎に使ってしまうとどうなるのでしょうか?
例えば、「右斜め前45度に月を見ながら真っ直ぐ進む」ということを、
近くにある炎でしてしまうと仮定します。
光源が近いため、蛾が直進すると、右斜め前45度にあった光源は、
蛾から見て46度47度48度…と開いていってしまいます。
蛾はそれを45度に見えるようにキープしようとしますから、
飛ぶ方向を光源の方向へと傾けます(光源に近づく)。
しかし、修正しても、直進するとまた角度が開いてしまうため、再び飛ぶ方向を光源へと傾ける…、ということを延々続けます。
この蛾の飛行軌跡を辿ると、
螺旋を描くように、徐々に光源へと近づいて、最後は炎に飛び込んでしまうのです。
これが、蛾が光源に集まり、光源に飛び込んでしまう理由です。
蛾にとっては、素晴らしい適応であるハズの能力により、誤って命を落としてしまうのです。
(今度、電灯に向かう虫を観察してみて下さい。螺旋を描いて突入していくサマが見えるでしょう)
こういった、本来の適応ではない形質や性質を"副産物"といいます。
もしも、蛾の周辺が「頻繁に火事が起こる」という環境であったなら、この副産物は大きな痛手となり、蛾は絶滅していたか、別の進化を遂げていたことでしょう。
しかし、自然環境においては、身近に炎(光源)があることは極まれです。
だからやはり、この適応能力は多少の犠牲を出しつつも、トータルしてプラスに働いているのでしょう。
この蛾の例は、「適応がそのまま命に関わる副産物になってしまう」というものでした。
が、そこまでのマイナス要素もなく、でも生存と生殖にはほとんど無意味な形質や性質が副産物として残っている。ということはよくあります。
もちろんヒトにおいても。
例えば、マスターベーション。
生殖行為を促すために、性行為には快感を伴うように進化してきました。
それは適応でしょう。
しかし、その快感を生殖行為以外でも得るべく、マスターベーションという副産物が生じたと思われます。
マスターベーションは、生殖を円滑に行うための適応だという説もありますが、そうなったのはあくまで後付けでしょう。
マスターベーションの役割に関しては、『性の科学』にて詳しく論じていきますが、
ヒト(哺乳類)が最初にマスターベーションをするようになった過程は、やはり副産物としてでしょう。
他にも、思考や感情における適応と副産物もあります。
危険予測をし、不安を感じて危険を回避するというのは適応ですが、
それが行き過ぎてしまい、副産物である鬱になってしまうのだと思います。
また、
異性を愛しく想うこと、
好きなヒトと性行為をしたくなること、
チャンスを逃さない為に、衝動的に反応することなど、これらは適応です。
しかし、それらが行き過ぎてしまい、レイプという副産物が生じてしまうのかもしれません。
こういった話をすると、
「副産物と言うなら、レイプは遺伝子に動かされているだけで、罪は無いというのか!?」
といった批判を受けます。
しかし、僕はそんな風には考えていません。
レイプも、殺人も、いじめも、自殺なんかも、
それが遺伝子によって誘発されるものだとしても、そういった行動を抑制できるかどうかは、そのヒトの意志や周りの環境にも関わっているのですから。
ただ、対策を考えていく上で、そういった根本的な原因を探り、
遺伝的な側面である、適応と副産物という概念を考慮する必要はあると思います。
ヒトは他の生物より、衝動を抑制する能力に長けています。
そしてそれを鍛えることもできる。
蛾で言うなれば、炎に向かいたくなる衝動を抑制することができるんです。
そして、どんなにマイナスにしか思えない事柄や感情でも、
その根底には"適応"な一面があるものです。
だから、副産物を無闇に否定するのは違うと思います。
蛾で言うなれば、
「何で炎に向かってしまうんだ!?」と自分を卑下するばかりでは、楽しくありません。
もとは適応なのですから、そういった衝動が生じてしまうのは仕方のないことです。
そのプラスな側面も認識して、少しずつコントロールできるように考えていく方が、人生も気楽になるのではないでしょうか。
さて、次回で進化の科学は一区切りにしようかと思います。
進化の科学、最後の投稿は、ヒトは更なる進化を遂げるのか否か?ということについて考察していきます。
つづき→『ヒトのこれからの進化』
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生存と生殖に有利に働くような形質(表現型)を"適応"といいます。
今までの進化の話からすると、あらゆる生物は巧みに進化し、環境に適応していると感じているかもしれません。
実際、そうです。
しかし生物は、実はそんなに完璧では無いのです。
夏場、キャンプファイヤーをしていると、
蛾(が)がやってきて、炎の中に身を投じる様子を見ることができます。
蛾は、光に向かう性質があり、炎に身を捧げるべく適応しているのです。
というのは嘘です。
この「光に向かう」という性質は、
実は、「光で方角を測る」という素晴らしい適応能力の"副産物"。
本人(蛾)には、光に向かっていくつもりなんて無いのです。
蛾は通常、月や星など遥か彼方の光源を利用して、自分が飛んだ方角を知ります。
例えばあなたが、走行中の車に乗りながら月を眺めても、月はいつまでも付いてくるように見えるでしょう。
直線的に進んでいれば、あなたから見た月の方角は、どこまで行っても変わりません。
なので帰り道では、それと反対の方角に月が見えるようにすれば、ちゃんと来た方角へ帰ることができるのです。
蛾は、そうやって帰路につく。
これが"適応"なのです。素晴らしい能力。
ではこの適応能力を、近くにある炎に使ってしまうとどうなるのでしょうか?
例えば、「右斜め前45度に月を見ながら真っ直ぐ進む」ということを、
近くにある炎でしてしまうと仮定します。
光源が近いため、蛾が直進すると、右斜め前45度にあった光源は、
蛾から見て46度47度48度…と開いていってしまいます。
蛾はそれを45度に見えるようにキープしようとしますから、
飛ぶ方向を光源の方向へと傾けます(光源に近づく)。
しかし、修正しても、直進するとまた角度が開いてしまうため、再び飛ぶ方向を光源へと傾ける…、ということを延々続けます。
この蛾の飛行軌跡を辿ると、
螺旋を描くように、徐々に光源へと近づいて、最後は炎に飛び込んでしまうのです。
これが、蛾が光源に集まり、光源に飛び込んでしまう理由です。
蛾にとっては、素晴らしい適応であるハズの能力により、誤って命を落としてしまうのです。
(今度、電灯に向かう虫を観察してみて下さい。螺旋を描いて突入していくサマが見えるでしょう)
こういった、本来の適応ではない形質や性質を"副産物"といいます。
もしも、蛾の周辺が「頻繁に火事が起こる」という環境であったなら、この副産物は大きな痛手となり、蛾は絶滅していたか、別の進化を遂げていたことでしょう。
しかし、自然環境においては、身近に炎(光源)があることは極まれです。
だからやはり、この適応能力は多少の犠牲を出しつつも、トータルしてプラスに働いているのでしょう。
この蛾の例は、「適応がそのまま命に関わる副産物になってしまう」というものでした。
が、そこまでのマイナス要素もなく、でも生存と生殖にはほとんど無意味な形質や性質が副産物として残っている。ということはよくあります。
もちろんヒトにおいても。
例えば、マスターベーション。
生殖行為を促すために、性行為には快感を伴うように進化してきました。
それは適応でしょう。
しかし、その快感を生殖行為以外でも得るべく、マスターベーションという副産物が生じたと思われます。
マスターベーションは、生殖を円滑に行うための適応だという説もありますが、そうなったのはあくまで後付けでしょう。
マスターベーションの役割に関しては、『性の科学』にて詳しく論じていきますが、
ヒト(哺乳類)が最初にマスターベーションをするようになった過程は、やはり副産物としてでしょう。
他にも、思考や感情における適応と副産物もあります。
危険予測をし、不安を感じて危険を回避するというのは適応ですが、
それが行き過ぎてしまい、副産物である鬱になってしまうのだと思います。
また、
異性を愛しく想うこと、
好きなヒトと性行為をしたくなること、
チャンスを逃さない為に、衝動的に反応することなど、これらは適応です。
しかし、それらが行き過ぎてしまい、レイプという副産物が生じてしまうのかもしれません。
こういった話をすると、
「副産物と言うなら、レイプは遺伝子に動かされているだけで、罪は無いというのか!?」
といった批判を受けます。
しかし、僕はそんな風には考えていません。
レイプも、殺人も、いじめも、自殺なんかも、
それが遺伝子によって誘発されるものだとしても、そういった行動を抑制できるかどうかは、そのヒトの意志や周りの環境にも関わっているのですから。
ただ、対策を考えていく上で、そういった根本的な原因を探り、
遺伝的な側面である、適応と副産物という概念を考慮する必要はあると思います。
ヒトは他の生物より、衝動を抑制する能力に長けています。
そしてそれを鍛えることもできる。
蛾で言うなれば、炎に向かいたくなる衝動を抑制することができるんです。
そして、どんなにマイナスにしか思えない事柄や感情でも、
その根底には"適応"な一面があるものです。
だから、副産物を無闇に否定するのは違うと思います。
蛾で言うなれば、
「何で炎に向かってしまうんだ!?」と自分を卑下するばかりでは、楽しくありません。
もとは適応なのですから、そういった衝動が生じてしまうのは仕方のないことです。
そのプラスな側面も認識して、少しずつコントロールできるように考えていく方が、人生も気楽になるのではないでしょうか。
さて、次回で進化の科学は一区切りにしようかと思います。
進化の科学、最後の投稿は、ヒトは更なる進化を遂げるのか否か?ということについて考察していきます。
つづき→『ヒトのこれからの進化』
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