【糸掛曼荼羅】

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私たち社会人は、

日ごろ、いかに、
世間体にとらわれているのだろうか。

その世間体って、いったい
何を基準にしてるのだろうか。


たとえば・・・。
わかりやすい例を1つあげてみよう。

私の主人は、長時間立たなければならないときは、
杖を持ち歩いている。

かしこまった場で、

杖をついている人が、
きれいな角度でお辞儀をするのは困難で
あることはみなさんも想像できるのだろうか。

「イスをお持ちしましょうか」、
「そのまま座っていただいても大丈夫ですよ」
とあたたかいお言葉を言ってくださる方がいれば、

「きちんとしろ」と
とがめる方もいる。

どうして、
ケース・バイ・ケース
考えていただけないのだろうか。

世知辛い世の中だなあ
ネガティブな感情になってしまう。


私の場合、耳が全く聞こえない。

どういうことが苦手なのか、
苦痛なのか、

いくら説明しても、
聞こえる方にはピンとこないのが現実。

私の場合、
1対1だと、会話が成立するがゆえに、
こちらが困ってることが伝わらないことが多いように感じられる。

大勢が集まった場所で、
いろんな声が飛び交う中、
会話の内容がさっぱりわからず、
大仏にならざるを得ない。

それでも、

ぶすっとしていて、
「感じが悪い」と思われないように、

笑顔で「相づち」を打て!
というふうにいわれて育った。

だから、
数時間、笑顔で「相づち」を打つのは慣れてる。

でも、
それを当たり前だと思わないでほしい。

忍耐力を必要とするのだから。
かなりストレスがたまる。

日本人であるみなさんが、
英語やフランス語など、
日本語以外の自分の知らない言語を話す場で、
大勢の人が楽しそうに雑談してる中、

数時間耐えられるのだろうか?

テレビや、映画など、音声を消して
流れてくる動画をおだやかな気持ちで
10分以上眺められるのだろうか。

退屈で寝てしまうか、
知りたくて知りたくてイライラするか
のどちらかになるのではないのだろうか。

誰だか、まったくわからない人との挨拶も苦手。

聞こえる人たちと同じように、
まわりの会話の中からいろんな情報を拾うことができないから、なおさら。

「挨拶もスマートにできないの?」
と白い目でみられるのも痛い。

その世間体にとらわれる生活は、
体に毒。

融通無碍に生きたい!
と思う今日この頃。


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今日のぬり絵
『山茶花(さざんか)』

冬空の下に、やわらかい笑みを浮かべる
山茶花。

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久々にブログ更新します。
みなさん、お元気でしたか。

10月14日から15日に、
日付けが変わって間もない頃に、

義父は、

義母に看取られながら、
静かに息を引き取りました。


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晩年の義父は、
入退院を繰り返しては、

「なるようになる」
「ケ・セラ・セラだ」

と蘇り、

「お前ら、騒ぎすぎだ」
「病院に入れやがって」

と暴言吐かれるのがお決まりで、
義父のすごい生命力に驚かされた。

肝臓を患っていたせいで、
もともと無口でおとなしい性格だったのが、
末期症状を迎えた頃に、
怒りっぽくなり、耳を疑いたくなるような暴言を吐くようになり、まあ、いろいろありました(笑)


最後に入院させたときの話。

夫が3度目の救急車を呼び、
搬送してもらった当時は、意思疎通も図れなくなり、意識が飛んでいたにもかかわらず、

翌朝、病室をのぞいてみると、
澄んだ目で反応がかえってきて、

「今回も蘇るかも!」と驚いたっけ。

「大宮へ帰るからね。またくるからね」
と声をかけたとき、

「なるようになる!バイバイ!」といわれた。

それが本当に最後の言葉になるとは。

実は、
義父が10年前に、
家の庭に植えたはずの彼岸花が、
ちっとも咲かなかった。

7年前の秋に、一輪の彼岸花がようやく咲いた。

しかし、義父母が実の息子のように可愛がってた従兄が若くして逝ってしまった。

それ以来、
7年間ずっと咲かないままでいたのに、
今年の秋、一輪の彼岸花がひょっこり咲いたそう。

2度目になる。

その一輪の彼岸花は、
天国からのお迎えだったのでしょうね。

義父の十八番(おはこ)だった
「なるようになる!ケ・セラ・セラだ!バイバイ」と
空の上から言われてる気がする。

こちらも、
ケ・セラ・セラだ!がんばるよ!
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