一日中、ホスピスにいたため、朝から患者さんやボランティアさん、

教育実習に来た看護学生さんたちと話をする機会がある。


ある1人の看護学生さん。

彼女は望んで、実習が終ったあともボランティアで来ているのだそう。


「実習でこういうところは、きつくありませんか?」


疑問におもったことを率直に聞いてみる。


「はい、こちらには希望しないと来れないんです。

わたしも、祖父をA病院で亡くしているんです…

実はちがう学校を卒業して、看護大に入りなおしたんです」


そんな話をしながら夕方のひとときを過ごした。


その後、偶然、ペンペン先生に偶然会う。


「最後の電話について心残りがあるとおっしゃってましたが、

それについては、いまのお気持ち、どうですか?」


その後に交わしたやりとりについて、先生に話す。

最後の電話については、

そのときはすでに、わたしのなかでは決着がついていた。


「表情を見る限りではおだやかなので、

本人は苦痛を感じていないのだと思います。

苦しかったりすると、意識がなくても、眉間にシワを寄せたりして、

表情に出るのでわかります」


母の今の状態。

そして、これからについて、正直な意見を聞きたかった。


「お小水がまったく出ていないんです。

腎不全になっているので・・・

こればかりは血圧からは判断できない。

もし今日でなくても、明日、明日出なければ明後日、というところでしょう」


一瞬でも気が抜けない状態であることはたしかだ。

近づきつつある母の最期のときに、わたしは心のうちが震えるのを感じた。


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たまたま通りがかった、診療内科医のバンビ先生と話をした。


さきほど母と会話をしたことを伝える。

「会話できたことは、とても嬉しかったのですが、

痛いとか、苦しい、首を絞めて、などのネガティブなことしか、

言わないのです」


「現在、意識が低下している状態。

そういうときには、悪夢を見ているような感じなんです。

悪夢にうなされて、半分目が覚めて、

現実なのか夢なのかわからない状態で、

ほんとうのことではないことを口に出す。

それはよくあることです。

はっきりと意識を回復されたときに、

そんなこと覚えてないという方もたくさんいらっしゃいます」


つまり、母が本当に苦しんでいるとは限らないのか。

母の言葉に揺さぶられる自分がいる。


気になっていたことを、先生にぶつけてみる。

母の、いわゆる「心の病」は、病気から発症したのか、

それとももともと持っていたものなのか。

場合によっては、病気以前の母の発言まで揺らいでくる。

これは、わたしにとってとても大事なことだ。


「母の母、つまりわたしの祖母が同じような、

大腸がんですが・・・同じような病気になり、

亡くなる前に、母の悪口をあることないこと言ったことがあるんです。

その当時、母はとてもショックを受けていました。

そして、母も同じような状況で、やはり同じことが起きています。

病気になって2年、とくにひどくなったのがここ半年。

『自殺する』とか、『大声を出して近所に知らせてやる』とか、

『チャイ子に裏切られた』「餓死させられる』等々・・・

ひどかったんです」


祖母の話は蛇足だったような気がするが、

もし『遺伝』ということなら、わたしも…という考えが、

わたしの心を占めた。

「そうですね…

大体の人、80パーセントの人が末期の状態になると、

せん妄といいますが、認知症のような症状が出たりすることがあるんです。
それ以前のことはなんとも言えませんが、

すくなくとも入院してから1か月については、そういう状況だとおもいます。

大抵は、いちばん親しく身近な人間が、

攻撃の対象になることが多いんです。

『裏返し』の感情といいますが、

実際に起きて欲しくないことを

起きてしまったかのようにいうことがあります」


それから、まだ先生はわたしの疑問に答えてくださった。

先ほど母と交わした会話のことが気にかかったままだ。

「くびをしめてほしい」というメッセージ・・・

それが母の本当の気持ちだとしたら。


「痛いとか苦しいとかは、事実ではないと思ってください。

交わした会話の内容については、拡大解釈しない方がいいです。


とにかく、娘さんが倒れたりすることが、

お母さまにとっていちばん悲しいことですから、

からだには気をつけてください」


そうだ。

母は苦しみを感じていない。

もはや、そう割り切るしかない。

A病院とはちがい、わたしの心まで気を使ってくれること。

それだけがただ嬉しかった。



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夏バテなのか、疲れが出てきたのか、

ちょっといま、ブログを更新する元気が出ません。

今日の川村カオリさんの訃報。

こういうニュースを聞くと、なんだか気持ちがふさぎこんだり…



母は、日記をつけるようなタイプではありませんでした。

わたしに残した言葉もとくにありません。

しかし、2007年の最初の入院のときのメモが見つかりました。

母は放射線治療を受けたのですが、

抗がん剤を使わず根治を目指していたため、

その治療は過酷なものとなりました。

(膀胱に穴が開いていたため、尿量が測れなかったため、

抗がん剤はできなかったのです)

何回も病院から抜け出そうとしたり、自殺をほのめかしたり、

本当に大変でした。

そんな時期にこれを書いたことを考えると

まるで遺書だなあ、といまでは思います。

そして、

これから2年の間に、母の心はどうして変わってしまったんだろう、

その思いもわたしのなかにわだかまっています。



読みにくいかもしれませんが、

できるだけ原文をそのまま載せます。

意味がとりにくい部分は( )で補足させていただきました。



5/1


チャイ子ちゃん、今日はつらい思いをさせてごめんね。

よくわからないけど、

チャイ子ちゃんは、もっとはやく、あのとき、とか、

どうしてこんなに(放っておいたのか)とか

思っているかもしれないけど、

運命だからね。

どうしてもいきつかなければいけない、運命だから。

波乱にとんだ一生だったけど、

神さまはひとつ、わたしにすばらしい贈りものをしてくださったよ。

迷惑かもしれないけど、

チャイ子ちゃんは、宇宙から舞い降りてきた

素晴らしい贈り物、天使のような子だった。

わたしの生きがいだったよ。

チャイ子ちゃんがいたから、生きてこられた人生だったもの。

チャイ子ちゃんが育った、人の奥様になり母親になって・・・

わたしの用事は終ったの。

だからもう、生きてることも、なくなったんだよ。

ちっとも不思議なことじゃなく、当たり前の