30期 竹内 修
オレンジ色のにくい奴からの脱皮?
黒部会事務局からの依頼を受けいつの間にか本稿を執筆することとなったものの、20年以上も前であることに加え本来業務?のカッター自体のことではないため、面映い面もある中これもひとつの思い出と割り切って当時の経緯を書き留めたので御笑読されたい。
まず、当時のわが部のおかれた状況だが、私の期が入部した年は当時の4年生方の熱心な勧誘のおかげで20名ほどの者が入部したが、1年後には10名程度になり、その次の31期も7名という状態であった。今も変わらないと思うが、5月の連休前は全日本直前の総仕上げと新入生勧誘の両者をこなさなければならなかったが、時間的にも気持ちの上でも全日本に比重が傾きがちであった。入部当時は成績もしばらくの低迷期で、委員会から一般のクラブへの降格の危機に面していたこともあり、顧問である2大隊指導官(OB故野尻先輩)以下全日本優勝に全力を傾注していた時期で、ポンド合宿(ポンドに宿泊することにより早朝も練習しながら教務を受講)などを実施していたこともその傾向に拍車をかけていたかもしれない。一方、服装について揃いのユニフォームといえば青系3本線のジャージ上下の他は定められたものはなかった。そのため、練習時の服装といえば、試合の選手に選ばれた際支給されるオレンジ色のラグビーシャツやそのお古が定番という以外、皆思い思いのTシャツにラグビーパンツという格好であった。中には、今なら流行の先端かもしれない縫い目が切れて大きく穴が開いたラグビーシャツをいつも着ているK先輩のような方もおられた。
そうした状況について、自らのためにも、また、後輩獲得のためにも、いくらか見栄えのする格好にしたいと考えていた私が、政権移譲を前後して揃いのTシャツとトレーナーを作ろうと発案、起案し、似たような3~4の原画を作成し、当時の部員皆の人気投票を経て決定したのが現在使われている?ロゴである。色については、今も多種多様なようだが、当時も皆の好き好きでいいと考えていたところ、幸いにも知人の紹介で飛び込んだ弘明寺のTシャツ屋さんが,原画が同じであればTシャツもロゴも何色でも一枚から同一料金で作成してくれた。当時はプレゼンのソフトどころかパソコンでデザインなどする時代ではなかったことから、一部定規を使用したもののほとんどがフリーハンドで書いたものであり、胸のCutterと年次の文字まで手がきであった。当人はこんなに長く使用されるとは思ってもみず、数年前の全日本の応援に駆けつけた際現役諸君から未だあのロゴを使用していると聞き、よく見てみると当時そのままの手書きの絵柄がTシャツにプリントされているのを見て驚いた次第である。卒業して数年間は後輩がスタジアムジャンパーやら何やらと色々用途を広げてくれていたことを見聞きしていたので、引き継がれているとは思っていたものの、当然誰かが新たに手直したものであろうと思い込んでいたので、まさか25年も前のものがそのまま使用されているとは、気の利く後輩がいなかったのか、先輩の所作に手を付けられなかったのか、流石伝統を重んじる短艇委員会というところだろうか。誰かせめて手書きのものは作り直してほしい、我と思う現役諸君に期待したい。それにしてもあのTシャツ屋さんはお元気だろうか、初めていろいろお願いしたにもかかわらず快く引き受けていただいたが、まさかあの原画で数十年もお付き合いすることとなろうとは先方も期待していなかっただろう。
さて、私の知り得る短艇委員会公認?Tシャツの作成経緯は以上であり、これはこれで当時の思い出のひとつであるが、負け組みの私にとっても「顧みるときの微笑み」はあくまで獲得できなかった「全日本優勝」 を獲得すべく飽くなき努力をしたことである。最後に次年度全日本優勝に向け、現役諸君の奮闘を期待して筆をおく。