自分がポンコツに思えるとき | 英語ブロックを手放して人生をパラダイムシフト

英語ブロックを手放して人生をパラダイムシフト

英文科卒でもなく留学経験もない主婦だった私が、年間4冊を出版翻訳の依頼を得るようになった経験から、英語学習を通して夢をかなえる幸せな生き方のヒントをお伝えします。

私たちって
生きていくために
ご飯を食べるために
仕事を得るために
あるいは愛されるためにも
知識や技術というツールを
身につけていく。
 

 


たとえば就職するとき
たとえば結婚するとき
そういうツールをお店にならべて
私を買いませんかとアピールする。
 

 


でも、
専門性のズレだったり
男女の違いだったり
年齢だったり
経験のなさすぎ・ありすぎだったりとかの
いろんな要素が
ツール自体の性能には変わりがないのに
その価値を曇らせてしまう。
 

 


その曇ったように見えるツールが
ときに自分そのもののような気がして
自分が使い物にならない
ポンコツな気がしてしまうことがある。
 

 


そのツールを身につけ
磨いてきた時間や労力
人生そのものが
ものすごく馬鹿げたものに
感じたりもする。
 

 


でも本当は
ツールは私たちじゃない。
 

 


確かにツールなら
換えがきくかもしれない。
 

 


大きさが少しでも違えば
役に立たないドライバーのように
目的と違うツールだったら
使い物にならないかもしれない。
 

 


でも本当は
持っているツールで
私たちのことは計れない。
 

 


ツールは私たち自身でもなければ
私たちの表現ですらもない。
 

 


いい万年筆をもっている人が
いい作家とは限らない。
 

 


いい車を持っている人が
いいドライバーとは限らない。
 

 


いい楽器をもっている人が
いいミュージシャンとは限らない。
 

 


もしかしたら人生には
ツールを横に置いて
ときに一旦捨て置いて、
ただの自分だけで、
ツールの使い道に合わせるのではなく
自分の本当に欲することを
していくことに
向き合うときが来るのかもしれない。
 

 


たぶんそれは
まるで下の見えないぐらい高い崖から
飛び降りる自殺行為のように
感じるかもしれない。
 

 


でもそうすることで
背中にたたまれていた羽が
開くのかもしれない。
 

 


ツールを売っているだけでは
絶対に到達しないところへ
飛んでいきたい。
 

 


心を焦がすほどに
そう願ったとき
身のすくむような崖があらわれて
羽の重さを背中に感じる。
 

 


崖はただの崖かもしれないし
天空への踏み台かもしれない。
 

 


それは飛んでみないと分からない。