子供の時はすごい泣き虫だったはずの私だが、大人になって泣くことはほとんどなくなった。その代わりよく怒って他の人を泣かすようにはなったが・・・。

今の家族は、私が泣いたところは見たことがないというが、そうかもしれない。
そんな私が、ここ一ヶ月にほろりと涙をこぼしそうになったことが二回ある。それは悲しかったからではなく、感激したからである。

その二回とも、職場で、それぞれ違う機会に起こったことである。
一回目は思わぬプレゼントに感激したときで、もう一回目はある人からもらったメールを読んだときだった。

クマノミ

スウェーデン人はやたらと人の平等を唱えるけれど、実際に人間はちっとも平等ではないことは誰でも知っていると思う。

一人で子供を抱えて働いて生活に四苦八苦しながら、なお収入アップを目指して勉強をしようとがんばっている人もいれば、

子供も作らず仕事もせず、夫に養われながら猫と日がなインターネットしていて全然OK牧場な人もいる

運命の分かれ目はどこにあるのか? それはただ運でしかない。なのに、後者が前者に対してすんごい暴言を吐いているのを見かけることがあって、その想像力の欠如には呆れを通り越して脳みそが腐りかけているのではないかと思った。

ウサギ

私が感激したメールは、今最も大変な状況にあるであろう人からもらった感謝状だった。
その人は、私と近々仕事上で別れなくてはいけないことを残念に思い、それを自分の不運のせいにしていた。

彼女は確かに、公私ともに大変な出来事が続いたし、今も続いている。
でも不運なんて長く続くものではない。だからそんなに嘆かないでほしいんだけど、それを私はどう伝えていいのかわからない。

彼女から貰った私に対する感謝のメールは、私の仕事に対する「やる気」を再び奮い起こさせてくれた。

仕事をしてお金を貰っている以上、いいことばかりはなく、嫌なこともいっぱいあるのだけれど、でもこんな感激に出会うこともある。これが薄給の私にとって最大のボーナスだ。

夏休みまであと少しだけど、がんばろう、っと。