労働市場のセーフティネット―雇用保険制度等の展開と課題
(JILPT統括研究員 濱口桂一郎)
近年、労働市場のセーフティネットに対する関心が高まっている。これまでは、労働法学では就業している間の雇用労働条件に関心が集中する一方、社会保障法学では年金や医療保険が主たる関心の対象で、失業時のセーフティネットにはあまり関心が寄せられてこなかった。
しかしながら、2008年のリーマンショック以来の不況の中で、とりわけ派遣労働者をはじめとする非正規労働者のためのセーフティネットの不備が大きく取り上げられるようになり、雇用保険制度と生活保護制度を労働市場のセーフティネットとして一体的に捉える観点の重要性が浮かび上がってきた。2008年末から雇用保険制度と生活保護制度の間に整備されるべきいわゆる「第二層のセーフティネット」が労使団体から提起され、短期間の間に政策として形成され、2011年度には恒常的な制度として確立することとされている。
本稿では、こういった領域の諸問題を考える上で有用と思われる諸制度の歴史的展開と最近の動向についての解説を行う。それらを踏まえて、今後の制度設計の議論が進められることを期待したい。
1.雇用保険制度の展開
・失業保険制度の性格
失業保険制度は、社会保険制度と雇用政策手段という二つの性格を併せ有する。社会保険制度としては、これは労働者の失業による所得の喪失を保険事故と捉え、再就職するまでのその所得の補償を行うことが制度の目的である。これに対し、雇用政策手段としては、完全雇用という政策目標を実現するために、失業者ができるだけ速やかに再就職できるよう援助することが制度の目的となる。失業保険給付は、この両者の機能を一体的に担うものとして設けられており、失業者が求職活動をする間の生活の安定を確保し、これを通じて求職活動を奨励しようとするものである。
しかしながら、失業保険制度の両性格は必ずしも常に整合的であるとは限らない。特に大きな問題となるのは、その生活保障のためのセーフティネットとしての性格がかえって再就職促進機能を阻害するモラルハザードとして逆機能しているのではないかという点である。これはまず何よりも、失業保険制度における保険事故たる「失業」が有する特殊性から生ずる。すなわち「失業」には、労働の意思と能力という主観的要件が含まれ、とりわけ「労働の意思」は外部から客観的に判断することが困難である。これは離職後の失業状態の認定が内心の意思に関わるということだけでなく、離職そのものを任意に創出しうるという面も含む。このような保険事故の主観性が、他の社会保険制度に比して濫用を容易にしている基本的原因である。つまり、失業保険制度は本質的にモラルハザードの危険性が高く、これを防止するために制度設計上の工夫が必要となってくる。
失業保険制度の歴史は、まさにモラルハザードとの戦いの歴史であったと言っても過言ではない。
・失業保険・雇用保険制度の成立と展開
戦前の日本では、野党から失業保険法案が提案されることはあったが、制度として成立するには至らなかった。それに代わる制度として1936年に退職積立金及退職手当法が成立したが、戦時中に年金制度に統合されている。
戦後、社会保険制度調査会の審議を経て失業保険法が1947年に成立するが、この時には技術的な理由から日雇労働者は含まれなかった。日雇失業保険制度は1949年に創設されている。
失業保険制度の歴史はモラルハザードとの戦いの歴史といえる。当初の制度は一律に6カ月の被保険者期間で180日間の給付であったが、季節的に半年ずつ就労と失業を繰り返す人々のモラルハザードに対処するため、1955年改正により、継続雇用期間に応じた270日から90日の段階制とされた。しかし、このように給付日数を継続雇用期間にリンクさせることは、逆に失業給付を失業という事故に対する給付というより、長期勤続して払い込んだ保険料の払い戻しと考える別のモラルハザードの源泉となりかねない。
1960年代には女子結婚退職者の退職金的受給が問題となり、1974年の雇用保険法によって制度が大きく変わった。それまでの被保険者期間に応じた仕組みから、被保険者期間1年以上の者については30歳未満の90日間から55歳以上の300日間に至るまで年齢階層別の給付日数に改めたのである。失業給付は失業という事故に対して再就職までの生活の安定を図るためのものなので、年齢による就職の難易度に応じて定めることが合理的だという考え方である。
この時に私保険的だとして排除された拠出期間と給付日数をリンクさせる仕組みが、1984年改正で再度導入された。高齢化が進展する中で、比較的短期間で離職する高齢者にも長期間の給付を保障するのは、比較的若年の長期勤続者と比べて公平を欠くという批判が出てきたからである。こうして、給付日数は年齢階層別と被保険者期間を組み合わせたマトリックスによって定められることとなった。
こういった改正は、失業保険制度をめぐるモラルハザードが、あちらを解消しようとすればこちらで増大するというなかなかに困難な性質があることを示している。被保険者期間で差をつければ就職の容易な長期勤続者にモラルハザードが発生し、年齢で差をつければ短期勤続の高齢者にモラルハザードが発生する。早期退職者に褒美をつければ就職の容易な者にモラルハザードは発生し、付けなければ満額受給するまで居座るという形でモラルハザードが発生する。すべてに対応しようとすれば制度は限りなく複雑化してゆくことになる。
1989年改正ではパート労働者について一般被保険者より最大90日短い給付日数のマトリックスが作られた。その理由は、パートタイマーは離職率が高く、求人倍率が高いからというのであるが、次第に疑問が呈されるようになり、2003年改正で統一された。
一方、この間解雇や倒産による離職か自己都合退職かで給付日数に差はつけられていなかったが(1984年改正で自己都合退職には3カ月の待機期間が設けられた)、2000年改正で両者に大きな差がつけられることになった。年齢、被保険者期間、パートか一般か、離職理由という4次元のマトリックスで大変複雑である。
また2002年には運用改善として、再就職の促進や失業認定の厳格化が行われた。月2回以上の求職活動実績を確認し、サンプリングで問い合わせを行い、虚偽であれば不正受給として処理するとか、安定所に紹介されたのに事業所の面接で故意に不採用になるような言動をした場合にも紹介拒否とみなして給付制限を行う、などである。これらは、制度が不可避的に生み出すモラルハザードを現場レベルで抑止しようとする試みといえよう。
近年の改正の論点の一つは財政運営である。2007年改正では、財政当局が原則4分の1の国庫負担の廃止を求めたことが論点となり、原則論として反発しつつも、当分の間本来の負担額の55%に引き下げることとされた。また2009年改正では、財政当局が国庫負担の廃止を目的に進言したため、追加経済政策で雇用保険料の0.4%引き下げが決定されてしまった。ちょうど2008年秋から、世界的に金融危機による景気後退が進んでおり、雇用情勢がこれから急速に悪化しようというときに、その対策の原資となるべき雇用保険料を引き下げるという顛倒した雇用政策が強制されてしまったわけである。これには審議会で労使双方から疑念が示されたが、政府中枢ですでに決定されてしまったこともあり、「本来これを行うべきでなく」と批判しつつ「やむを得ない」と認めた。
・非正規労働者への適用問題
2009年改正のもう一つの論点は非正規労働者への適用問題であった。失業保険法制定以来のその経緯は次の通りである。
もともと1947年に失業保険法が制定された時には、非正規労働者を適用除外する仕組みにはなっていなかった。技術的理由から日雇労働者は除外されたが1949年に日雇失業保険制度が設けられている。モラルハザードの観点から一定の季節労働者は適用除外されたが、当時臨時工とか社外工と呼ばれた通常の非正規労働者は当然適用されていたのである。そして、この点は今日に至るまで変わっていない。フルタイム直接有期雇用の非正規労働者は現在まで一貫して雇用保険の適用対象である。
今日の非正規労働者への適用問題の出発点は、1950年の「臨時内職的に雇用される者に対する失業保険法の適用に関する件」という通達である。ここでは「臨時内職的に雇用される者、例へば家庭の婦女子、アルバイト学生等であつて」「その者の受ける賃金を以て家計費或は学資の主たる部分を賄わない者、即ち家計補助的、又は学資の一部を賄うに過ぎないもの」「反復継続して就労しない者であつて、臨時内職的に就労するに過ぎないもの」は、「労働者と認めがたく、又失業者となるおそれがな」いので、「失業保険の被保険者としないこと」と指示していた。
これは法条文上に根拠があるわけでもなく、「労働者と認め難い」などという表現は労働法上ありえないものである。本来は季節労働者と同様、法律上明確に要件を定めて適用除外すべきであったはずであるが、今日に至るまで「臨時内職的」の適用除外は業務取扱要領上に維持されてきた。
その後、累次の通達や業務取扱要領の改正により、一定のパート労働者に適用されるようになったが、適用されるためには(フルタイム労働者には要求されない)1年以上の雇用見込みが要求され、事実上常用パートでなければ適用されないという状況が続いてきた。また、登録型派遣労働者についても1年以上の雇用見込み等が要求され、フルタイムであっても適用されないという状況が生み出された。
この扱いの源泉は上記通達の「反復継続して就労しない者であつて、臨時内職的に就労するに過ぎないもの」にあるが、「家庭の婦女子、アルバイト学生等」をもっぱら想定していた当時の状況とは、現在のパート労働者や派遣労働者の状況は大きく変わっている。彼らを家計補助的と片付けることはもはや困難になりつつある。
この状況下で2008年末に制度の見直しが審議されたが、その時には労働側から疑問が提示されながらも、「1年以上の雇用見込み」を「6カ月以上の雇用見込み」に改めるという改正案で一応決着し、2009年改正として成立した。一方、当時野党であった民主党等は対案を提出し、その中で国庫負担を本則の4分の1に戻すとともに、「セーフティネットに穴が空いてはならない」として、適用要件に雇用見込み期間を要求しないこととしていたが、まったく国会修正に盛り込まれることもなく廃案となった。
2009年夏の総選挙では、民主党の『マニフェスト』に「雇用保険をすべての労働者に適用する」という項目が掲げられ、民主党を中心とする連立政権が誕生したことにより、これが実現に向かい始めた。
・2010年改正
総選挙に前後して審議会で雇用保険法見直しの審議が始まり、非正規労働者の適用問題、未加入者への対応、財政運営の三点について、ほぼ『マニフェスト』の方向で議論が進み、年末に報告が出され、2010年1月に法案が国会に提出された。
ここでは、これまで業務運営要領で定めていた適用基準を可能な限り法律に規定すべきという原則が示され、①週所定労働時間20時間未満の者、②日雇労働被保険者にならない日雇労働者、③短期特例被保険者にならない季節労働者、④学生アルバイト(省令で夜間学生は除く予定)が適用除外と明示された。逆に言えば、これらに該当しない限り週所定労働時間20時間以上の非正規労働者は雇用保険の適用対象となるわけである。
その他、事業主が雇用保険料を天引きしながら届出をしなかったため未加入となってしまった労働者について、2年以上前に遡って適用できることとされている。また、財政運営については、保険料を元に戻すとともに、国庫負担を2011年度から4分の1に戻すことが明記された。


