以前のブログで、『恵まれている人とは』について述べさせていただきました。
このときは、「本気の夢を持っている人」と申しあげました。
夢があるとどんな時も支えになるからです。
詳細は、「恵まれた人とは」
をご覧ください。
わたしは、恵まれている人は自分の人生を充実させることができる要素を持っている人だと思います。
その一つが、『本気の夢を持っている』
そして、もう一つあると思います。
そのことを、先日の講演会の後の懇親会で質問されました。
A氏(46歳男性)
「人の人生は千差万別ですね。生まれながら恵まれている人もいれば、恵まれていない人もいます。家庭や国によって大きな違いがありますが、人間にとって恵まれていることとはどんなことなのでしょうか?」
「本当に人の人生は千差万別ですね。生まれながらお金や家族恵まれている人もいれば、生まれながら両方に恵まれていない人もいます。しかし、よくあるケースですが、“恵まれていることが逆に恵まれていない”ことになる場合もあります」
A氏 「恵まれていることが恵まれていない? どんなことですか」
「はじめから良い環境で育つことにより、苦労をしらず、ぬるま湯の環境に慣れてしまうということです。甘やかされて育った人は、社会に出てから苦労をすることの意味に似ています。人が成長するには厳しさや、足りない環境がよい場合があります」
A氏 「確かにそれは言えるかもしれませんね。やはり、最初に厳しい環境におかれたほうがよいのでしょうか?」
「いいえ、そう意味だけではありません。厳しい環境も必要なのですが、肝心なのは、どちらの環境にあっても、本当に恵まれている人とは、”気づける人”だと思います。恵まれた環境に育っても、恵まれない環境で育っても、気づかない人、気づく人がいます。わたしは本当に恵まれた人とは、育った環境や物質的環境ではなく、自分が成長できる人だと思います」
A氏 「気づくこととはどんなことですか?」
「豊かな環境に育った人は、豊かが当たり前でなく、自分は恵まれているということに感謝できること、また、恵まれた分だけ何かの使命があるとか…。逆に恵まれていない人は、恵まれている人妬むのではなく、苦労から世の中の厳しさを知ることや努力することなど…。自分の成長に繋げていく気づきです。成長できる人とは気づくことができる人、だから、わたしにとって“本当に恵まれている人”とは、環境ではなく、“気づける人”だと思っています」
今日の一言…
いくら生活環境や、物質的環境に恵まれていても、その人間自身が成長しなければ恵まれていることにはならないのではないでしょうか。




