今まではスピリチュアルテレビ朝8時開始から夜8時に変わって録画になりました。

今回の動画は久しぶりに腑に落ちました。
スピリチュアルテレビでありながら、「スピリチュアルへの批判」をしたり、視聴者のコメントの質の低さを嘆いて「もう来なくていい!」と言われたりして媚びない姿には共感します。

自分が言われた時には「カチン」としますが、後から考えればなる程と自分を省みられます。

スピリチュアルテレビを誤った見方で試聴する位なら、「こんなの見てないで世のため人のため周囲の人の喜ぶことをしたら」は正に正論です。
が自分の試聴率を落としてまで辛口で言われるのに賢者テラさんの凄さを感じます。

自分の考えと逆の事を言われて炎上するスピリチュアル関係者もどうかと思います。

以下は録画を見て私が感じた主観を書きます。
スピリチュアルを極めて「悟り」をえても「特殊能力を持ったり」、「幸せ」に必ずしも繋がらない。

覚者になれば世界が滅亡を止めれる能力があっても敢えて、その能力を使わないは多いに共感しました。

この世界を良くしようとか思う感情があるのは覚者未満です、目先の幸せを求めるならスピリチュアル以外にもあります。

諸行無常を悟ったても心が揺れたり悲しみが無くなるのではなく、心の揺れや悲しみが受け入れられる。

難しい言葉で言えば「諦観」。
私は「万事塞翁が馬」の故事かと思っていたら、それは70点で故事は「悪い事の後には良いことがある」のポジション思考で、番組の中で伝えたかったのは「悪い事の後に良いことがあれば、良い事のあとに悪い事も起きる可能性がある」。

「その事を覚者は受け入れられる」と私は解釈しました。

真の覚者(悟り者)は自分が体験した真実の出来事を、自分の思いを無理しては伝えない。人それぞれなので覚者が自分の悟りを伝える事は問題ではない。

しかし「みかんを食べた」事のない人に、「みかん」を伝えようとしても無理なので「みかんを食べてもらう」しかない。
同じように覚者でない人(覚者でも色々なタイプがいる)が覚者の悟りの内容を理解するのは無理には納得です。

リアル社会では自分の思いが変わっても、明日も嫌な上司は職場にいるし、突然現実が変わる事はないので目の前を現実に取り組もうよでした。

チャット欄を見たかったですが今回は縁がなく録画です、テラさんの素晴らしい話しを聞いても夕方からの泊まり介助は変わりません(o^^o)

スピリチュアル世界で知ったり、気づいたり、時には悟った事をリアル社会でどう生かせるか。
周囲の人に幸せ感を味わってもらうにはどうすれば良いかを思考錯誤する事がこれからの私の方向性かと感じました。


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