親と子の訓読家庭教会

後天時代に於ける子女教育を考える


テーマ:

チャレンジ・リミテイションの意味

さて、「インサイド・アウト」の教育を通して子供達に物事を内的・原因的に見つめる「観点」を教えていくと、いかに目に見えない原因的な世界が、彼らの具体的・現象的な日常活動に繋がっているかを理解してきます。そしてさらに色々な事情・状況の中で、まず自分から変ろうとする「姿勢」を指導していきますと、どの様な自分の内的状態がどの様な外的結果をもたらすかと言う原理的パターンが体験的に解ってきます。


しかしながら、私達親でさえいつも内的に勝利し、たえず外的にも成功し続けることはありませんから、子供達に於いてはなおさらで、むしろ失敗することのほうが多いのが普通です。しかし失敗も勉強の一部です。大切なのは、失敗例も含めて、前述した様な正しい観点と姿勢を中心に上手く指導していくことで、彼らは自分達のどの様な内的限界が、どの様な外的結果の限界をもたらすかと言うパターンも解ってきます。


とは言っても内的な限界に挑戦させると言っても、幼い故に内的な事がピント来ないことや、内的な事になかなか真剣に成り切れないこともあります。それ故、精神的、霊的、心理的な挑戦だけでなく、時には肉体的にも挑戦させるような環境や機会を親の方から時々作ってあげることも必要です。もし事情がゆるせば、親子でスポーツ、山登り、魚釣り、奉仕活動等を一緒に挑戦出来ればそれに越したことはありません。


そのようにして、子供達が、自分達の幾つかの内的限界に気が付いて少しづつでもそれに挑戦して行く時、そして失敗と成功を繰り返しながらも、段々とその限界を乗り越えて行く時、彼らの観念的神の存在が、自分の生活と直結した生きた神の存在へと具体化していくのです。これが、「チャレンジ・リミテイション」(限界挑戦)の教育的意味です。


チャレンジ・リミテイションの実践

さて、私達が実際に教育指導するにおいてまず最初に大事なことは、子供達が何に対して乗り越えて行くべきかをよく把握しておくことです。闇雲になんでも挑戦させればいいと言う訳ではありません。子供達の生活の表面に出てくる派生的堕落性や色々な欠点をいちいち挙げて注意しても意味はあまりありません。特に、親の感情や好き嫌いでその場限りの注意をすることはむしろ逆効果です。(「訓読家庭週報」参照)。はそれよりも、原理的に見て、より根源的で本質的な子供達の課題を知っておくことが大切です。つまり、「この原理的根本課題が変れば他の派生的問題も次第に変ってくる」という様な鍵となるポイントを把握しておくことです。


次に大事なのは、タイミングと順番の問題です。親がいくら子供の課題がハッキリ解っていたとしても、子供がその様に思わなければ意味がありません。たとえ正しいことであったとしても、最初から親が全部教えてあげないで、子供達が自分自身で気が付くように、タイミングよく導いてあげるのが最高の教育です。子供達に自然に気がつかせる為には、最初は解りやすいより外的な課題から入っていって、次第に内的課題に目覚めさせるのもひとつの手段です。だいたい、私達親も含めて神様が我々にのり越えて欲しいと願っておられるような中心課題は、その時々に一つか二つ位ではないでしょうか。ただ神様はひとつの挑戦が終わると、また次の挑戦という様に、絶え間なく課題を投げかけて来られるものです。



最後に、「限界挑戦」をする時には、継続する事の重要性も教えなければなりません。たいていの子供達は一時的に頑張ることは出来るものです。もしうまく決意をさせて雰囲気さえ作ってあげれば、一時的に頑張ることはそんなに難しいことではありません。しかしながら、一般的に子供達に共通していえるのは、その決意が長続きしないし、努力の根気が続かないと言うことです。ご存知の様に、蕩減復帰に於いては必ず数理的期間性がありますし、創造原理に於いても全てに成長の期間性があります。ですから子供達にも勝利圏が具体化するまでは根気良く続けて行くことの大切さを教えなければなりません。



いくらがんばったとしても勝利の目前であきらめてしまっては奇跡は起こりません。私達もサタンがいつも内的勝利の目前に現れて妨害し、逆に神が内的勝利の直後に現れて奇跡を起こすのを見てきました。つまり、内的勝利が外的勝利に転化するまでには、いつも時間性があるのです。そして多くの一般の人々は、その様な神と原理を知らないが故に、内的条件や精誠が満ちる前にほとんどの場合あきらめてしまうのです。そうなってしまうと、私達の活動にも生活にも永遠に奇跡は起こりませんし、神体験も出来ません。顕進様も大きなイベントの前にまず精誠を尽くすことの大切さをよく我々に教えておられます。 

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