二世教育の将来を共に考える (2) | 親と子の訓読家庭教会

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後天時代に於ける子女教育を考える

 世教育の将来を共に考える

 

価値観教育とは何か?

先回、二世教育の中心はアイデンティティー教育であり、その教育をすすめる為には「原理」やその他の伝統的教育や活動だけでは不足であり、それと同時に、もしくはそれ以前に於いて「価値観教育」が必要であると言う事を述べました。

 

「価値観」と言いますと直ぐに、創造原理の第四節や統一思想の価値論を思い浮かべられる方も多いと思いますが、二世に於いてより必要なのは神を中心としあた「価値観」だけでなく むしろそれに入る前の神を知るための「価値観教育」です。その内容は何かと簡単に説明しますと、「内的価値」中心の人生と「外的価値」中心の人生の どちらが彼らの生き方においてより大切かといった問題を扱う教育です。例えば、「霊的価値と肉体的価値」、「精神的価値と物質的価値」、「永遠的価値とせつな的価値」、「絶対的価値と相対的価値」、「不変的価値と可変的価値」と言う様に比べながら 問いかけ 更に経験を通して教えていくプログラムです。

 

ですからこれはとても初歩的な教育で 先回言いました様に「原理」以前の内容であり 一世ならばむしろ「総序」の部分で取り扱ってきた内容であるともいえましょう。ただ「総序」との違いは「新しい真理」を紹介するのが目的ではなく、神を理解する為の「内的価値観」を目覚めさせ 確立させていくのが目的であります。

 

信仰生活の前段階としての価値観教育

何故その様な内的な「価値観教育」が子供達の「神」と「自分」との関係を理解させ、自らのアイデンティティーを理解するのに役立つかと言いますと、我々の「信仰」も「血統」も「祝福」も全て「霊的価値」と「永遠の価値」を中心としたものであり、いわゆる「内的価値観」の基盤の上に成り立っているからです。勿論「神」は内外両面を持たれた二性性相の神であられますが、あくまでその主体は内的なものです。

 

ですから、子供達の心が「物質的価値」や「せつな的価値」の方により傾いてしまって、 もし「自分」と「神」との「価値観」が あまりも違ってくるならば、彼らの人生の目的と 神の創造目的や復帰摂理との関係があまり意味のないものになってしまう訳です。それでは、「神」と「人間」は親子であるとはとても言えなくなってしまいます。

 

ですから、この部分の教育はたとえ初歩的であっても一番基礎的な部分であり、この様な教育なしには 将来の「神観」「人生観」「世界観」等を確立していくのにも限界がありますし、「信仰生活」すら本当の意味では出発出来ないのではないでしょうか。また逆を言うならば、この部分の内的価値観が立ってきている子は その後サポートさえしていけば、自ら進んで学び成長していく様になりますし、私自身もその様な子供達を沢山見てきました。

 

ところでこれは、我々の二世の問題だけでなく、全ての人間が理解しなければならない人生の根本問題でもあります。つまり、もし「神」と「人間」が親子であるならば同じ「価値観」を共有していなければならないし、それに基づいた同じ「目的」をも共有していなければならないと言う事です。皆さんはこの話を読むと、御父様が1973年にアメリカで国会議員達に語られた「人間に対する神の希望」のスピーチの中で人生の根本問題と神との関係について話された内容を思い出されるのではないでしょうか。そして、顕進様も自らが提唱されるコア・ヴァリューの一番目である「より高い善の為にに生きる」の最初の行動規範を「自らを神の理想と価値と目的にアラインする」と説明されています。 (次号につづく)
                      (2011年10月14日)