晴れ、ときどき、美学。 皆川公美子のクミシュラン~★★★ 

クミシュランは、あなたの人生を豊かにするイベントを開催しています。そう、シアワセは感性チャンネルの上に。
【美・アート・心・お仕事】それぞれのクミシュラン。

クミシュラン皆川公美子です。


3月1日まで渋谷西武でやっていた「NYマダムのおしゃれスナップ展ーAdvanced Style」
に行きました。

西武渋谷店では、アメリカで大絶賛された写真家のアリ・セス・コーエン氏が撮影したNYマダムたちの写真集「Advanced Style」(大和書房)の写真展を開催する。

好きなものを自由に着こなす60歳~100歳代までの女性を被写体にした写真集は、昨年日本でも評判を呼んで国内発行部数は3万8千部を記録した。会場ではアリ氏が撮影した写真約150点を展示する。

写真の芸術性に触れながら、自分スタイルを確立した女性たちを通して年を重ねることを“老い”ではなく“成熟”であると捉えて人生を重ねることに対し、ポジティブな見解を持ち、これからの自分にできることを考えさせられる。20代、30代から年配の方まで、ファッション観だけでなく、人生観が変わるかもしれない写真展だ。

    開催期間2015年02月17日(火)~2015年03月01日(日)

    (ホームページから画像をお借りしました)



    この会場で見た写真の数々は

    ファッション写真という位置づけであると共に、

    「生き方の展覧会」でした。


    その笑顔と

    発散している生き生きとした「気」に

    やられました。

    ただ単に洋服のとりあわせがいいというのをはるかにこえて、

    自分を生きているのだな!って。

    お顔に今までの人生が出ているの。


    この本は、アリ・セス・コーエン氏の写真がおさめられた写真集です。
{D9BB54BD-8BBE-4D3D-8269-127FE02F17EF:01}

展覧会とは若干ラインナップが違いますが、

どのマダムも輝いていて、

その呼吸が深く、生き生きしているのを感じます。

自分が発散する世界が

イコールこの世界!

写真の下についていたキャプションのひとつにこうありました。

「今この自分の身体の中にいるのが、一番居心地がいい」

今を生きるというのはこのこと



{3861F3BF-5C6F-4C7F-8032-8F58F7B44921:01}

{CF2FA0BB-5D47-412B-96D9-3502F2E40EAD:01}
この表情。

こういう表情で生きる60代、70代、80代に

なりたい!


夏には映画が来るそうです。

そちらも楽しみ!  映画のチラシはこちら➡★


いいね!した人  |  コメント(6)  |  リブログ(0)
クミシュラン皆川公美子です



この本おもしろかった。

世の中には

映像思考で生きている人と、

聴覚情報を頼りにして生きている人がいる、

というのが、この本の入口なんですけれど、


映像思考の顕著な人の代表としてガウディ、

聴覚思考の顕著な人の代表としてルイス・キャロルを取り上げています。



{A8FAB8B0-7714-4343-A4A9-3674C71FFD0F:01}


人は誰でもそうであるように、

自分が世界を捉えているのと、同じ方法で

他人も世界をとらえていると思っています。

要するに同じ場所にいれば同じものを見て、

同じものを聞いていると思っています、よね。



けれども、人が見ている(聞いている)世界と

自分が見ている(聞いている)世界は

全く違うのです。





{37477075-77D4-4BF2-B955-FBB77EFB2169:01}


この本では視覚的に絵や図を使ったほうが、
記憶や処理そして理解をしやすいタイプを「視覚優位」


聴覚的に言葉や文字(視覚も使いますが)での解説のほうが記憶や処理、
そして理解をしやすいタイプの「聴覚優位」

としています。





もちろん人はどちらの部分も持っていて、割合的にどちらが多いかということ
なのですが、

ガウディやルイス・キャロルは特に偏りが激しかったようです。

ガウディやルイス・キャロルのハナシはとてもおもしろかったのですが、
今日は一般的に視覚・聴覚というところのみ書きますね。


下記の【視覚優位の特徴】【聴覚優位の特徴】はいけだはやとさんのサイトが分かりやすかったので、引用させてください。http://www.ikedahayato.com/index.php/archives/25781


【視覚優位の特徴】
・空間認知が得意、何かを図で認知するのが得意
・人の顔を覚えるのが得意
・ざっと見ただけで、全体の関係性を理解できる
・フレーズや歌詞を覚えるのが苦手
・ごちゃごちゃしている部屋が苦手
・頭のなかで、言語ではなく映像を使って思考する(映像思考)
・識字障害(ディスレクシア)がある、記憶に問題がある


こういうことに、心あたりがありますか?

幼いころから積木で遊ぶのが好き、
学校では図形の問題が得意だった、
カエルを描こうと思ったら、カエルを斜め上から見ている画像が浮かぶのでそのとおりに描けばそれでよい、
色に強いこだわりがある、
人のハナシや本の内容も映像に転換してから理解するので、
本を読む速度が遅く、長すぎる話は途中で理解できなくなってしまうことがある。
イメージがわかないと一歩も前へ進めない。








【聴覚優位の特徴】
・人の顔を認知できない(相貌失認)、記憶するのが苦手
・人の顔を認知できないため、コミュニケーションが苦手
・時間を追って、段階的に理解するのが得意(継時処理)
陶器だ➡厚みがある➡外側がキレイ➡持ち手がある➡飲み物を入れられる
➡マグカップだ という順番での認識。
・全体よりも細かいことに関心を示す
・フレーズや歌詞を覚えるのが得意
・リスニングが得意
・BGMを思わず聴いてしまい、集中できない



以下に心当たりありますか?


小さい頃、幾何より代数が得意だった。
数値や順番、序列にこだわりがある。
手紙をやたらにたくさん書く。
局所優位(線優位)なことが多い。
  
また聴覚優位な人が書いた文章は、越えの表情や会話の内容、そして音や響きにまつわることが豊かに記されています。
しかし、色や人の表情などについての視覚情報が少ないので、視覚優位な人が読むと、
いつまでたっても描写されている花の色がわからないので、ストレスになる、ということもあります。




また、視覚優位と聴覚優位を判断する質問として「赤ちゃんが生まれたときを想像してみてください」というものがあるそうです。

このとき「おぎゃー!」という「声」を脳内に思い浮かべるのなら「聴覚優位」、「泣いている赤ちゃんの顔」「助産師が赤ちゃんを取り上げている姿」などのイメージを想像するのなら「視覚優位」といえるとか。わかりやすいですね。


{151D9F48-3952-4A41-9A57-3C1FA7F3E9C8:01}


この本の本流は、発達障害に関することなので

映像主体、聴覚主体はほんの入り口としての記述なのですが、

「おのおのの世界の入口」にとっても興味がある私としては、

その入り口のところをさらに追っかけたい気持ちでいます。




それで私は、といえば

言葉が大好きで、音をいつも拾っているので聴覚派かと思っていましたが、

読み進めていくうちに、本や人のハナシをいつも映像イメージに転換しているので

読むのが遅かったり、とか映像派の部分も結構ありました。





こういう認知の方法のハナシを読んでいくと、

身の周りの人の不可解な行動が、

突然立体的にナットクの行くものとなったりする

この人はどうしてこう、ひとつひとつ前提をふまえて話すんだろう~ふまえすぎだよっ
と思っていたのが、なるほど聴覚派の継時処理というやつね。と思ったり、


娘が画用紙の前で2時間もじっとしているのを見て、何をしているの~と分からなかったけど、
ああ、なるほどイメージを固めるのに時間がかかっているのね・・・と
その時はわからなかったけど、今合点がいったり。


学校の教育様式は聴覚派のこどもに有利にできているから、
映像でものごとを理解する子どもたちにとっては、
大変なことも多いのだなあ~。

とかね。




各々の、世界への進入角度がこれほどまでに違うということが、

この複雑怪奇でユカイな世界を創っているんだなあ~ということが、

立体的に分かります。

この本の中では、さらに視覚優位や聴覚優位が極端にすすんだときの
発達障害、と呼ばれる症状(ディスレクシア・吃音等)にも
多くの紙面をさいています。

それは、社会にとって手間がかかるという場合に「発達障害」などという呼び名がつけられますが、それは単にひとつの世界への進入角度、それ以上でも以下でもないなあ
とあらためて思うのでした。


いろいろすぎる建物があって、

いろいろすぎる音楽があって、

いろいろすぎる絵画があって、

いろいろすぎる料理があって、

いろいろすぎる服がある。


いろいろすぎ、バンザイ(笑)




ふくしまちぐささんのブログ21日間更新祭りに参加しています地球

こちらは参加者みなさまのブログ
山田亜希子さんの凄腕リンク集です。














いいね!した人  |  コメント(2)  |  リブログ(0)
クミシュラン~皆川公美子です。

今日は掃除をしよう!

と思っていたのですが、

本棚を整理しようとしたら、なつかしいこの~1冊が。

2005年「ほめ道をゆく。」 ポプラ社刊。
{4B418022-80E2-4D66-BCD7-213A342617DB:01}

この本、ほんとおもしろくて、ケラケラ笑いながら読んだのよ~

糸井重里さん「ほぼ日刊イトイ新聞」で
人気の連載だったのが本になったものです。

広島の専業主婦3児の母フランソワーズさん(生粋日本人)
のなんでもほめちゃうエッセイ。

ネグリジェをほめる。
近眼をほめる。
専業主婦をほめる。
松平健をほめる。
堀江社長をほめる。
餃子をほめる。・・・



うちは、当時子どもたちが5歳7歳だったのだけど、
フランソワーズさんのおうちも
3人のお子さんが元気に
いたづらしている感じで・・・


{277BA22B-C4E8-45B1-B161-D3134694534B:01}


【もちろん心で見るものはひとりひとり当然違うけど、

そうじゃなくて固体。

例えば、同じイカを見ても、実はひとりひとりイカの色も形も

微妙に違って見えてるってこと。

だから世の中はうまくいってるのよ!


そりゃ、ちゃんと見たい時期もあった。確かに。


でも今の私は
近眼っていいじゃん、って思うようになったの。

見えればいいってもんじゃないのよ!

「リアルに生きる」だけが人生じゃない!

大江千里さんの言ってることももちろん正しいけど、

どこかリアルに生きれない宿命の近眼さんがいてこそ、

世の中に「不思議ゾーン」というものが生まれるのです!

まさに「トワイライトゾーン!」これって、けっこう重要でしょ?

世界に深みが増すでしょ?】


フランソワーズさん、すばらしい。
本能的にこうやって生きてるのが、なおすばらしい。

人生を直視してないようで、直視してる。

人生ばかにしてるようで、真剣。

都合悪いことはなかったことにし、(←ここ重要)

明るいところだけを見て、今を生きる


その姿にいたく感動したものです。



すべての問題を解決しようとしないところが
すばらしい


「専業主婦をほめる」の項なんて、

もう爆笑しちゃって、電車の中ではキケンです。





あれ、もうこんな時間!

掃除はどこ行った



ちぐりすさんのブログ21日間更新祭りに参加していますモザイク
いいね!した人  |  コメント(0)  |  リブログ(0)
リンカラ ~ 皆川公美子です。


朝、掃除をしていたら本棚から

「横尾忠則ARTのパワースポット」
という本が出てきました。

image

1997年に出版された本なので、絶版になっています。
読んだ覚えがない・・・・でもきっと今、読むことになるために
保管されていたのに違いない
あまりに惹きつけるものがあるので、
その場に座って思わずページをめくりました。

今日は備忘録としてこの記事を書きます。



横尾忠則さんといえば、日本では知らない人はいない、

美術家です。  ➡Wikipediaの記載はこちら



{03BDFC88-3A24-4638-8E46-D2C62F1CC161:01}
これは2014年6月に瀬戸内の豊島にある、横尾館に行った時のもの。

{FD04F725-749D-4B7C-8B26-225031DF169B:01}


もう目次からおもしろそうで、掃除はやめっになりました(笑)
 (以下ランダムに拾ってます。)

「自分になる」こと

「私」のための絵を描く

「この世のもの」と「この世でないもの」の狭間で

感性と創造

ぼくの全人格にかかわる滝

キリコ=「どう描くか」

芸術の源は無意識にある=ポロック

もっと現代美術を

想像力と想像力のぶつかりあい

音楽はビジュアルメッセージだ

メッセージは「今ここに」

宇宙と通じる心=奈良原一高「ヴェネツィアの光」

というようなすぐにそのページをあけたくなる目次は100をこえています。

(横尾忠則現代美術館HPより)



横尾忠則さんの言動や作品は
ものすごく平たい言葉で言いますけど、
いつもとてもエキセントリックで
奇抜で攻撃的な感じがして
20代のころはとても近寄れない感じがしていました。

岡本太郎さんも同じです。
ピカソも。
ゴッホも。
他のたくさんのアーティストたちも。

商業的にどうか、とか
制約の中で仕事をするということ、
それ自体は何ら間違ったことではなくて
仕事というもののひとつの姿だと思うけれども、

自らそこを離れて、
(もちろん両立する作品もある)

自分の本質とつながることを
=芸術だと位置づけた人が創る作品は
エネルギーが強烈です。
受け取る側も同じように
自分とつながっていることを求められます。
だからその準備がないと、
「なんか自分勝手な人に見える」
とか
「奇抜で何がなんだかわからないアート」
というふうに理由をつけて
さも自分にはそのアートは必要ないんだ的な空気を作り、
そこから離れるのです(笑)

私もその一人でした
すみませんごめんなさい。

自分が外的条件のみを生きる指標としていたから
自分とつながって宇宙の本質とつながっている人は
怖かったんだわ。

今日、よくわかりました。


以下、すべての人が自分らしく生きるのに、
参考になる言葉なんじゃないかな。
すべての人はもともとアーティストだと思うから。



(横尾忠則さんは45歳のときNYのピカソ展の2時間で生き方を変えます。
そのときのこと。)
グラフィックデザインは一定の制約と条件の下に仕事をする。生き方と切り離しても職業として確立する。はたしてぼくは、自分に素直で忠実であるか。
かなり他人に妥協し、他人のご機嫌とりもやってきたようだ。考えたら、こんなつまらない生き方はない。ぼくは衷心からそう思った。


今ぼくが始めようとしている絵画(以下絵画と呼ぶ)はプリミティブアートではなく現代美術だ。

だけどこのことをイザ決意しようとすると思ったより難しいことに気が付いた。
まずなにより「コワイ」という意識が決意をにぶらした。


絵の描き方、そして見方には二つある。
ひとつは何を描くか、ふたつめはどう描くか、つまり何が描かれているか、どのようにかかれているかということである。
何を描くかということだけに関心がある画家より、どう描くかということに重点を置いている画家の方がより芸術的であると思う。

絵の制作は全身全霊でなしとげられるものである。
肉と霊がひとつになる瞬間に宇宙のエネルギーが作用して画面に封印されオーラとなってそれが鑑賞者のオーラと共鳴し、そして彼らの魂に呼びかけていくのである。
宇宙のエネルギーは画家の観念から与えられるものではない。
画家の衝動こそが宇宙のエネルギーを向井入れる回路を作ることが可能になる。

美しい作品には愛がある。
宇宙の本質は愛。
画家はこの宇宙の愛の顕在者でなければならない。
そのために画家は自らを愛し、
自らの人生と芸術を何よりも愛さなければならない。
したいことと、したくないことをはっきりしなければならず、
常に自由を愛する子どもの精神が不可欠である。
芸術家が他人と同じであっては、決してならない。


創作行為はつまるところぼく自身を知るためである。
つまりぼくという存在は謎に満ちた実にヤッカイな人間なのである。

絵は宇宙のエネルギーの顕在化である。
ぼくがキャンバスを、絵具を、筆を、オイルをどれだけ愛しているか、
僕自身の絵を、
そしてそれを描く自分をどれだけ愛しているかによって宇宙からのエネルギー、
つまり宇宙からの愛を画面に刷り込むことができるかということにすべてが
集約される。
宇宙の愛は狂気の愛だ。
画家が狂わずに宇宙の愛を表現することは不可能だ。

観念は本能の表出を押さえ、より人間が自由になることを拒む。

芸術が芸術のためのというモダニズムは今世紀で終わりで(1997現在)、
われわれはその次を準備しなきゃならないと思うよ。
神の意志に従うためにも、人間の観念(コンセプト)を捨てて、
「考える」ことから「想う」ことに一刻も早く切り換える必要が
あると思うね。


この本は、このような芸術家の立ち位置的なことからはじまり、

世界中のアート、絵画から音楽、映画、、、
たくさんの作品に対するエッセイを網羅しています。
読むということ書くということ、
世界中のアーティスト、

について真摯に語っていらっしゃいます。


彼は70年代から精神世界のほうへも分け入っていて、

宇宙人が首の後ろに交信器をつけていった

そうです。

これを「狂人だ」と笑い飛ばすのは簡単なことなんですが、

宇宙のエネルギーについて真剣に考えている横尾さんのハナシを
真剣に聞いてみたい。

宇宙人のハナシはこちらに書いてらっしゃるようです ➡★

あ~、一日この本を読んでしまって、

日が暮れました。

いいね!した人  |  コメント(3)  |  リブログ(0)
リンカラ ~ 皆川公美子です。


これはもうすご~~~~く前に読んだ本なのですが、

思い出して本棚から引っ張り出してきました。

この本、おもしろかった。


「火星の人類学者 ~ 脳神経科医と7人の奇妙な患者」

オリバー・サックス著 早川書房

1998年ごろに読んだ本だったと思います。



{361D7F90-5D76-4D4D-88D1-BBF61E082086:01}



Amazonで調べてみたら、まだ売ってました。

文庫版でこんな感じ。

Amazon 1,015円

(単行本、文庫本どちらも負けずに個性的なカバー


脳神経に障害を持ち、不可思議な症状に悩まされる7人の患者たち。

この本にはその7人のユニークな患者たちのハナシが

載っています。



その一人が、女性動物学者テンプルです。

彼女は自分を称して「火星の人類学者みたいだ」と言います。

人の感情のつながり方が分からなくて、

動物の感情は理解できる、いわゆる自閉症です。

けれどもその動物への理解を生かして、博士号を取り、

大学で教鞭をとり、事業も展開しています。




例えばインタビュアーの博士が道順を聞くと、

7分にわたり詳細かつ正確に道を教えるのですが、

え?今どこの角を曲がると言いました?

と些末なことを聞きなおすと、

7分に渡るその膨大な道順説明をもう1度

一句違わず繰り返す。

コーヒーをいかが?など、お気遣いは一切できない。

自分が決めたとおりのしきたりで

決めたとおりの説明をする、

これらは自閉症の典型です。




そして「ルームメイトが科学の教授に熱をあげたとき、

それがなんだか理解できなかった。」

テンプルは人間が人を愛しく思う感情が理解できません。

けれど、例えば牛が屠畜場で子牛と引き離された鳴き声は、

母牛の悲しみとうろたえだと理解できる。

彼女は屠畜場での最期の道、牛が連れていかれる道を

ゴールの見えないカーブにしたり、

「人口抱きしめ機」なるものを作って、

(ねじや板やばねやクッションを使って、

ちょうどよい圧力でくるまれる=抱きしめられる)

それを動物に応用したり、

事業を展開して立派に地上で生きています。




{082AD308-54E2-49F4-BEED-F78D5978D2FD:01}



テンプルの場合は自閉症という病名がつくので

極端な例ですが、

へ~~~人ってこういう風に行動するのか。。。

と「一般的な常識」とか「一般的な行動」に感心することがあります。


これはきっと誰しも少しずつ持っている感覚なのかな?と

思ったりして。


飲み会はこうやって誘うとうまく事が運ぶのか。。。。

こういうこと言うと場がぎくしゃくするのか。。。

等々、


現実に起こっていることなのに、

まるでどこかほかの星のできごとのように

そのモノゴトを観察することはありませんか?



人間の脳の不思議。

最近そのキーワードにひきよせられることが多い私です。



「人間の脳は10%しか機能していない。20%なら?50%なら?」

「奇跡の脳」。右脳は「今、私は満ち足りていて周りとの境目がない」という楽観的な人格だった。





それではまた~~~~


image


















いいね!した人  |  コメント(0)  |  リブログ(0)
リンカラ ~皆川公美子です。


こんにちは。

今日はリチャード・バック「イリュージョン」をご紹介します。


この本はワタシにとって

30年来の友であり、

とても若い頃から折に触れては読み返し、

周りの人がこの本の魅力を理解してくれる人かどうかを

踏絵のようにしていた時代もあった(笑) ←若気の至り


というぐらいのBIGな本なわけです。


おもしろかった~だけではとても語れない、LOVE




作者リチャード・バックは「かもめのジョナサン」で有名な作家さんです。

1936年生まれ。現在78歳。

飛行家と作家を名乗っていて、もともと空を飛ぶのが大好き。

空軍にいたこともある。

なんと、かの、バッハの直系の子孫だということです






{554C9BFA-C27A-408B-96AB-3AF43C5CEAC0:01}



このハナシ、裏表紙にのっている内容紹介にはこう書いてあります。

「本当に愛するものを見つける方法は?
真の自由を説き、複葉機で空と草原を駆けめぐるおかしな救世主と
心優しいヒコーキ野郎。次元を超越した不思議な二人の出会いと冒険が
悲喜劇をひきおこす。
世界ははたして幻影にすぎないのか?物質万能の現代文明への
皮肉をこめ、夢と自由を求める若者に贈る現代の英雄伝説。」



この作品ではストーリーのあらすじは重要でないと思うので、
以下にご紹介します。


ドン、という救世主がいました。
彼は救世主なので奇跡を起こしまくって生きていました。
でもある日、救世主であることをやめて群衆に交じり、
ヒコーキ乗りになりました。
ドンは同じヒコーキ乗りのリチャードに会います。
二人は草原と町を巡り巡って、ショート飛行機の旅を提供して
日銭を稼ぎ、その日暮らしをします。
そのなかでドンはリチャードに救世主になる訓練を施します。

・思い切って手を離しさえすればいいんだ、流れはすくい上げてくれるよ。自由にしてくれる、手を離すんだ、それしかない。
・あの娘は一度空から落ちて死んでるんだ、それを思い出させただけだ、だからもう落ちることないよって教えただけさ。
・いかなる種類の生や死を選ぼうとも自由だが、義務というものがあるとすれば、自分に忠実でなければならないということそれ一つだけである。
・この世は全てはイリュージョンだ、何から何まで光と影が組織されて、像を結んでるだけなんだ、わかるかい?
・限界、常にそれが問題である。君達自身の限界について議論せよ。そうすれば、君達は、限界そのものを手に入れることができる。
・俺たちはイリュージョンからいろいろ学べるし、楽しむこともできるってわけさ。


そういうことをひとつひとつ教え、スプーンの曲げ方みたいのも教え、

この世はすべて自分の意識が創っているものなんだ

と教えます。

そして自分は役目を終え、
いきなり人から銃で撃たれて死ぬ(ことを彼自身が選んだんだと私は読みました)。

ショッキングな終わりのように見えますが、

ドンは魂にもどって

肉体という物質の衣装を

脱ぎ捨てた、


それ以上でも以下でもない。




そういうストーリーです。



本のなかで救世主をやめた救世主ドンは

「この世はイリュージョンだってことを理解してたんじゃないのか?」

とリチャードに聞きます。



そういう角度の作品です。





最後にリチャード・バック本人の言葉を・・・





あっちこっち叩いているうちに、どこかのドアがポンと開くと思うんだね。

その開いたドアが、自分のいちばん求めている、愛するものへの道だと、とりあえず信じるんだよ。

そこへ入る、またドアが全部閉まっている。

必死になって叩くと、またひとつだけドアが開く。

そういうところをひとつずつ通過しているうちに、いつか、ものすごい光が自分の中に出てくるはずなんだよ。



ワタシにとって、

自分が今いる場所によって

必要な角度で読める物語。

少し時間がたって次にページを開くと

また別の角度でこの世界のイリュージョンが展開するのだろうな
いいね!した人  |  コメント(0)  |  リブログ(0)

リンカラ ~ 皆川公美子です。


右脳と左脳って実は全然違う人格を持って、
全く違う角度でこの世とかかわっているんだよ


って言われたら、

まあ、そうだろうよと思いますか?

それとも一人の中に違う人格って何?

と思いますか?



「奇跡の脳」

ジル・ボルト・テイラー というアメリカの女性は、著名な脳科学者でありながら、

37歳という若さで脳卒中に倒れました。

自分が脳卒中を発症して、

倒れるときから、回復するまでを

つぶさに観察して1冊の本にまとめたのがこの著書です。


この本すごかった。

脳科学者による、人生を賭けた壮大な人体実験。
(もちろん脳卒中は不幸な事故ですが)

{2B9636AC-FD26-44F1-AF5E-2ECC747B98B3:01}

彼女は左脳に脳卒中を起こしました。

ということは、世界を認識している能力の部分が失われ、

言語を司る部分が失われたということなので、

自分が誰で何をしている人なのか、相手が何を言っているのか、

自分が相手に何を伝えようとしているのか、

私たちが日常生活のなかで瞬時にやっている、論理的思考部分ができなくなってしまったのです。

けれど、それは同時に右脳が自分のなかでどういう働きをしているか

端的に感じることができる環境に置かれた、ということでもありました。

運動の機能のリハビリがどうのこうの、とかそういう次元じゃありません。(笑)





右脳と左脳は異なるユニークな性格でお互いのびのびと相手を補い合っているというのです。

右脳は自分を、世界の一部分=流体 として感じている。(!!)
脳卒中を起こしたとき、壁についた手を見て、そのふたつは溶けて一緒になっているように見えたと言います。どこからが壁で、どこからが自分かわからなかったと。

左脳は自分が、どこに住んでいる誰かを認識して、
世界と自分の境界線を作っている。



以下、14章の「私の右脳と左脳」の章から少し抜粋です。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

右脳と左脳はそれぞれユニークな特徴をもっており、違ったやり方で情報を処理するわけですから、それが別々の価値体系となってあらわれ、結果的に非常に異なる人格が生じるのは、あたりまえかもしれません。

(中略)

ほとんどの人は、どちらか一方に考え方が偏り、常に分析し、批判的になり、柔軟さに賭けるパターン(極端な左脳状態)を示すか、あるいは、周囲とほとんど現実を分かち合うことなく、ほとんどの時間を「うわのそら」(極端な右脳状態)で過ごしています。

(中略)

右脳はすべて「いま、ここで」に関係しています。それは歯止めなく熱狂し、はねまわり、どうなろうと知ったこっちゃありません。よく微笑みやたらとフレンドリーです。

それに比べて、左脳は細部で頭が一杯で、分刻みのスケジュールで人生を突っ走ります。左脳はクソ真面目なのです。歯ぎしりしながら、過去に学んだことに基づいて決断を下します。一線を越えることなく、あらゆることを「正しい・間違っている」、あるいは「良い・悪い」で判断します。

右脳はとにかく、現在の瞬間の豊かさしか気にしません。それは人生と、自分にかかわるすべての人たち、そしてあらゆることへの感謝の気持ちでいっぱい。右脳は満ち足りて 情け深く、慈しみ深い上、いつまでも楽天的。右脳の人格にとっては、良い・悪い・正しい・間違いといった判断はありません。

これを右脳マインドと呼ぶことにしましょう。

(中略)

境界線についての知覚が全くないので、右脳マインドはこんなふうに言います。
「わたしはすべての一部。わたしたちは、この惑星上の兄弟姉妹。わたしたちは、この世界をもっと平和で温かい場所にするのを手伝っている」。右脳マインドは、生きとし生けるものがひとつに調和することを思い描きます。
そして、自分自身の中のこうした性格を、あなたにもっと知ってほしいと願っているのです。

(中略)

左脳の仕事は、右脳がもっている全エネルギーを受け取り、右脳がもっている現在の全情報を受け取り、右脳が感じているすばらしい可能性のすべてを受け取る責任を担い、それを実行可能な形にすること。



・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

{94651B1C-AA76-4708-81F4-BD4712A0C264:01}


ものすごい短くエッセンスのみ抜粋してますので、多少乱暴で申し訳ないのですが、

ここまでが右脳の左脳の働きについてのことです。

じゃあ、日常的に左脳と右脳をどうコントロールしていけば幸せになれるの?

と思われた、アナタ!鋭い!


その部分について著者が触れていることをさらに私の乱暴な抜粋で、ご紹介します。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

左脳の言語中枢が回復してふたたび機能し始めたので、わたしは長い時間をかけて、最小限の情報をもとに、どのようにして私の中の物語作家(注:左脳のことです)がハナシを完結させるのか観察してみました。長い間、自分の物語作家が妙な事ばかりするので、ふざけているんじゃないかと思っていました。ですがとうとう、左脳マインドは脳の残りの部分に、完成しつつある物語を信じさせようと心から願っていることに気づいたのです!

(中略)

わたしがあえて回復しないようにしたのは、自分や他人に対して意地悪になったり、絶え間なく不安になったり、あるいは、口汚くののしってしまうような左脳の一部でした。

(中略)

回復するまでに、頑固で傲慢で皮肉屋で、嫉妬深い性格が、傷ついた左脳の自我の中枢に存在することを知りました。エゴの心の部分には、わたしが痛手を負った負け犬になり、恨みがましくなり、嘘をつき、復讐さえしようとする力が残っていました。

だから、努力して、意識的にそういう古い回路の一部を蘇らせずに、左脳マインドの自我の中枢を回復させる道を選んだのです。



15章 自分で手綱を握る

わあしは、反応能力を、「感覚系を通って入ってくるあらゆる刺激に対してどう反応するかを選ぶ能力」と定義します。自発的に引き起こされる(感情を司る)大脳辺縁系のプラグラムが存在しますが、このプログラムの一つが誘発されて、化学物質が体内に満ちわたり、そして血流からその物質の痕跡が消えるまで、すべてが90秒以内に終わります。

たとえば怒りの反応は、自発的に誘発されるプログラム。ひとたび怒りが誘発されると、脳から放出された化学物質がからだに満ち、生理的な反応が引き起こされます。最初の誘発から90秒以内に、怒りの化学的な成分は血液中からなくなり、自動的な反応は終わります。もし90秒を過ぎてもまだ怒りが続いているとしたら、それはその回路が機能し続けるようにわたしが選択をしたからです。

(中略)


ほとんどの人は、自分がどう反応するか、無意識のうちに選択していることに気づきません。

(中略)

そうした思考に飽きてきたら意識的に止められる、という能力をもっているんだと知ることが、解放感につながるのです。肉体や精神の環境がどうであれ、右脳の領域に踏み込んで、思考を現在の瞬間に引き戻し、平和と愛の心(右脳マインド)に戻れるということをを知っていれば、束縛から解放されます。
わたしはいつも、個人的判断を避けるという、右脳マインドの目を通して、周囲の状況を観察しています。そして、内なる喜びを大事にして、感情的な重荷を負わせる回路からなるべく離れるようにしています。

(中略)

いくら考えたって結果は同じなのです。(注:この前に著者がスピード違反で捕まったことが書かれています。)ぶっちゃけた話、左脳の物語作家がくれる、強迫観念なんて時間の無駄だし、感情面で人を消耗させるだけ。私は脳卒中のおかげで、自分で手綱を意義って、意識的に自分自身を現在に引き戻すことにより、過去の出来事を考えるのを止められると学んだのです。

第16章 細胞とさまざまな拡がりをもった回路

自分がおかれている状況に責任をとるため、わたしは自らを人生の運転席に座らせ、能力を思うままに操って人生の舵取りをします。危険なほど早く回転しているような世界の中で、自分の正気(平和な心)を保つために、右と左の心の関係を健全に保つよう、懸命な努力を続けています。(どちらの大脳半球で考えるかによって)わたしは宇宙と同じように大きくもあり、同時に、小さな星屑でもある。それがわかることが大好き。

(中略)

左脳マインドを回復させることは、わたしがふたたび、すべての細胞に発言権を与えることを意味していました。ですが健やかな精神を守るためには心の庭を育て、マイナス思考の細胞を見張っておく必要があるのです。物語作家には、わたしが望むこととゆるせないことについて、ちょっとしたしつけが必要です。(中略)望ましくなかったり、不適切な思考パターンんは、ほとんど付き合いませんでした。
そうは言っても、しつけに反応する物語作家の滑稽なふるまいには、思わず吹き出しそうになります。マイナス思考の細胞たちは幼い子供のようにわたしの言うことを聞かず、わたしがどれくらい本気なのか試そうとするのですから。(中略)そんな細胞の活動に対抗するため、意識を振り向けるべき三つのリストが必要に応じて用意してあります。
①魅惑的で、もっと深く考えを巡らせたいことを思い出す。
②ものすごく楽しいことを考える。
➂何かやりたいことを考える。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


このあと著者は、身体の調子が悪いときに限ってそういうマイナス思考の細胞たちが暴れだすと告白しています。

それは誰だって同じですね!

思い、はただの思いならず。
実は現実的なこの肉体が、引き起こしていることが多いです。

私も、たまにやってくる外的な攻撃(モノゴト)を引き金として、
マイナス思考の物語作家が生き生きと登場し、
90秒で終わるはずの怒りの物語に
半日以上を費やしてしまうことがあります

最後にこの本のなかで私が最も好きなところを。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

どんなときに、深い心の安らぎのループが働いているのかに気づくことができれば、その回路に意識的につなげることが容易になります。どんなときにこの回路が働いているのかわからず、悪戦苦闘している人もいるでしょう。その唯一の理由は、ほかの思考に心が向っているせいです。これは当然のことです。なぜなら、西洋の社会は左脳の「する」(doing)機能を、右脳の「ある」(being)機能よりずっと高く評価し、報酬を与えるものだから。あなたが右脳マインドの意識に近づくのが難しいのは、あなたが成長するあいだに「こうしなさい」と教えられたことを、実にうまく学んできたからに他なりません。細胞たちのこれまでの成功をほめてあげてください。そのうえで、わたしの仲のいい友人、カット・ドミンゴ博士が宣言しているように
「悟りは、学ぶことではなく、学んだことを忘れること」
だと知りましょう。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

今日も「ただある、シアワセな私」を感じることができますように!

いや、ワタシの右脳の中の回路がスムーズでありますように、かな(笑)


{13A29D1C-4C56-4787-BA87-0111D96D0A8F:01}


最後にジル・ボルト・テイラー博士が脳卒中になった朝のことを語る映像の
URLを付けておきますね。
この本の前半部分が語られています。

http://digitalcast.jp/v/18436/



いいね!した人  |  コメント(1)  |  リブログ(0)
リンカラ ~皆川公美子です。


この本おもしろかった。

今日は幸せ系天才の江戸の女房「おかつ」の日記をご紹介します


この本を読めば、もともと幸せ系の部分が多い方は、

ああ、なるほどね、と

ちりばめられた幸せのヒントに共感されることでしょう




「浮世女房洒落日記」着物    木内昇作(女性です

江戸時代の江戸に住む、

27歳のおかみさんの日記です。


{3950A995-CA24-4A3F-86E7-5BA9B0B3DE96:01}


27歳の女性といえば、今でこそ

若いねっ!イケイケじゃん


というお年頃ですが、

江戸時代の27歳はもう立派なおばさん、だったようです


彼女の名前は「お葛」(おかつ)。

おしろい、かんざし、紅などを扱う

今で言う、化粧品関係の雑貨屋さん、を夫婦で営んでいて、

(と言ってもダンナはふらふら遊んでいてほとんど店にいません

それは当時「小間物屋さん」と呼ばれていました。



家族は夫の辰三さん、二人の子どもたちです。

ある年のお正月に彼女は「これから、日記をつけてみよう

思い立ったのでした。





おかつさんは、毎日店番をしながら、

日がな一日を暮しています。

「今日はどこのおまんじゅうをたべようかなあ」と考えたり

「ああ、今月は家賃が払えるかしら」と心配したり、

「となりのさえちゃんの恋路はうまくいくだろうか」と気をもんだり、

そうしているうちに、お客さんがきたりして、

それがお坊さんのお囲いの女性で、
「ああ、お寺の近くでおしろいを買うと後ろ指さされるから、
こんなに遠くまで来てるんだね。
かわいそうに。でもお坊さんが大事にしているとわかって
安心したよ」と優しい一面を見せたりします。

そんな

「毎日いろいろ起こるんだよ~」

日々のことをつづっているのです。



江戸の人々は、のんびり~と日々を暮しています。

さあ、今日はお惣菜でも買ってきて、

みんなでつつこうか、と

ファストフードもうまく取り入れながら

自然や季節に寄り添って、

暮らしているわけです。





笑える箇所をちょっとだけ、どうぞ。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・



4月15日

昨日、お信の着物を出し入れしているときに「なにかがおかしい」と感じつつもそこでは気が付かなかったんだが、今朝、変に思った理由に行き着いて急いで長持ちの中をひっくり返す。あの、花見で着た小袖がなくなっている。真青になって家中ひっくり返して探しまくる。どこにもない。確かに長持ちにしまったのに。亭主に知られたら怒られるから、清さんにだけ打ち明けて心当たりを一緒に探してもらうが、どうやっても見つからない。櫛や簪じゃあるまいし、あんなに大きなものがなくなるはずもないのに。どうしよう。



4月18日

私は今、この帳面と幾ばくかのおあしだけ持って、扇子屋さんに転がり込んでいる。当面ここで世話になるつもり。お恒さんも、そうしていいと言ってくれたからご厚意に甘えるんだ。この数日に会ったことはもう、思い出したくもないけれど、今の怒りをこれから忘れないために書いておこう。

花見の小袖はあの後、いくら探しても出てこなかった。清さんが「もしかして盗人でも入っていたとなると事だから、辰三さん(夫)にもわけを話したほうがいいですよ」」と言い、確かにあんな大きなものが煙みたいに消えちまうわけないものね、と私も思って、蛮勇ふるって亭主に小袖がなくなったことを打ち明けた。と、亭主は至極淡々とそれを聞き、「そうかえ、そのうち出てくるだろう」とだけ答えた。

そこで私はピンと来たね!あの小袖がなくなったことに、亭主が一枚かんでいる、って。だって、もし小袖が本当になくなったんだとしたら、それを聞いて亭主はもっと驚くはずだし、そういう不始末をしでかした私を、鬼の首でも取ったように叱るはずだから。なのに亭主は驚きも怒りもせずに、安穏と煙管をのんでいる。絶対、怪しい。そこから逆捻を食わし、私は亭主を追及した。小袖のことをなにか知っているはずだ、怒らないから言ってごらん。
亭主は長いこと、空とぼけたり、「わっちに罪をなすりつけるたぁ何事だ」と怒って見せたりしていたが、二刻(4時間)後、とうとう白状した。

あー、もうこの先は本当に書くのも嫌だけど、簡単に言ってしまえば、亭主があの小袖を勝手に売り払っていた。ってこと。私に内緒で質に入れた挙句、そのお金とうちにあった蓄えを足して、初ガツオを買ったというんだから呆れてものも言えないよ。得意先の若旦那がボーンとかってくれたなんて、口から出任せだったんだ。
(中略)
そしたら亭主、「おまえだって嬉しそうに食ってたじゃねえか」だって。それとこれとは話が別だ。あの小袖が鰹に化けたんだと知っていたら、一口だって食べるもんか。いや・・・・とりあえず一口くらおは食べたかもしれないね。憮然としていたら亭主、言うに事欠いて、「女房、娘を質に置いても、っていうだろう。お前を質に入れなかっただけマシじゃねえか」。だからさ、どこまで古いネタで応酬してくりゃ気が済むんだよ!



・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

もし今大切にしていたドレスや着物をだんなが知らないうちに処分していたら、

どんなだろう、と想像するだけで、

怒り心頭ですね(笑)

でもカツオを一口くらい食べちゃったかも、という正直さも

可愛らしくって笑えます。


そのほかにも、

女性同士でどうやったらお肌がきれいになるか、

何と何を配合してみたら、

「もっちもちじゃん!」などという箇所もあり、

どの時代もどの女性も一緒だね!と思います。


ひとつ言えるのは、

主人公のおかつさんの日常を楽しむセンスが尋常じゃないってこと

はい、彼女はシアワセ系天才です。



どうあるべきか、状況はどうなのか、などの自分をとりまく世界の洞察や追求をせず、

どうならねば、どうあらねば、と自分の内部を探究することもせず、

今見えている現実をストレートに見て、

心と体が感じることを最短距離で表現し、

自分の感覚に正直に、

生きている。

そしてただタンタンと目の前の生活を楽しむ。

そのあり方が天才


                    

江戸に住む「普通の女性」だけど「天才な彼女」の日常を

ご覧になりたい方はぜひどうぞ。


幸せのタネがいっぱい転がっている、

宝箱のようなお話です。。


文庫版もあります。(中公文庫)




いいね!した人  |  コメント(0)  |  リブログ(0)
リンカラ ~皆川公美子です。


この本、おもしろかった。

まさに今のワタシにぴったりな本。
 
{81855829-5C87-4FFD-8C6A-9F4A49AB5791:01}
 
ネタバレは避けるとして、

あらすじちょっとのご紹介。



ある売れてる女流作家、そこへころがりこんできた奇妙な女の子、りん子。

帰るところがないらしく、作家の家に居座ることになる。

りん子は付き合ってる男の子を信じられず、

二股をかけています。


りん子を世話をすることになった女流作家は、

ああ、めんどくさい、何なのよっこの子と心の中では思いつつ、

でも大人の対応、

「ここに寝なさいな」。

でも彼女の闇に入ってしまったのは、自分の心の闇と

呼応してしまったのではないかと薄々思っています。


そうしているうちに、作家はアイリーンという座禅マスターを

迎えて講座をすることになりました。

70歳のアイリーンがいると、

なぜか二人の本当の姿があぶりだされてくるのでした。


りん子と

作家は心のなかに

大きな秘密をもっていた・・・・・。
 
 
{8DCB6F16-CABA-406C-A074-47C05CCAE227:01}


精神の静けさとは何か、

生きるとは何か、


私は田口ランディーさんの大ファンなのですが、

今回の本もおもしろかった。
 
そう、もうず〜〜〜〜っとランディさんのファンです。
コンセントのころから。
 
ランディさんは小説から
旅エッセイから
スピリチャル系の方々との出会いから
社会派の読み物から
 
いろいろなジャンルのものを書かれています。
 
そのどれもがす〜〜〜っと心にしみてくるの。
読んでいる、のでなくて沁みてくる、
この表現がしっくりきます。
水が砂にす〜〜っとしみるように、
ここからここへ入るとか
この範囲からこの範囲へ移動するとか
座標のうえにある思考をしなくて済む。
そう「感じるままに」そこにいられる、そういう文章を書かれる稀有な方だと思います。
 
ランディさんの文章は「体感」が強いのも感じます。
あれを共有できる人は、みんな「しみてくる」からトリコになっちゃうはず!
そうだ、この記事書いていてよくわかった。
「感じ取る」モードで読めるから、
すらすら入ってくるのだね。
 
読んだ本。
  • 癒しの森 ひかりのあめふるしま屋久島』ダイヤモンド社 1997 「ひかりのあめふるしま屋久島」幻冬舎文庫
  • 『もう消費すら快楽じゃない彼女へ』晶文社 1999 のち幻冬舎文庫
  • 『スカートの中の秘密の生活』洋泉社 1999 のち幻冬舎文庫
  • 『馬鹿な男ほど愛おしい』晶文社 2000 のち新潮文庫
  • 『ミッドナイト・コール』PHP研究所 2000 のち文庫
  • 『コンセント』幻冬舎 2000 のち文庫、新潮文庫
  • アンテナ』幻冬舎 2000 のち文庫、新潮文庫
  • 『できればムカつかずに生きたい』晶文社 2000 のち新潮文庫
  • 『昨晩お会いしましょう』幻冬舎 2001 のち文庫
  • 『根をもつこと、翼をもつこと』晶文社 2001 のち新潮文庫
  • 『モザイク』幻冬舎 2001 のち文庫、新潮文庫
  • 『縁切り神社』幻冬舎文庫 2001
  • 『ハーモニーの幸せ』角川書店 2002 のち文庫
  • 『神様はいますか? 田口ランディの人生相談』マガジンハウス 2002 のち新潮文庫
  • 『7days in Bali』筑摩書房 2002 「オクターヴ」文庫
  • 『いつか森で会う日まで』PHPエディターズ・グループ 2002
  • 『旅人の心得』角川書店 2003 のち文庫
  • 『聖地巡礼』メディアファクトリー 2003 「水の巡礼」角川文庫
  • 『富士山』文藝春秋 2004 のち文庫
  • 『ほつれとむすぼれ』角川書店 2004
  • 『ドリームタイム』文藝春秋 2005 のち文庫
  • 『鳥はみずからの力だけでは飛べない』晶文社 2005
  • 『被爆のマリア』文藝春秋 2006 のち文庫 
  • 『ソウルズ』角川文庫 2007
  • 『キュア』朝日新聞社 2008 のち文庫 
  • 『パピヨン』角川学芸出版、2008 のち文庫(副題「死と看取りへの旅」 
  • 『クレンズの魔法―母たちが娘に伝えてきた秘伝の幸福書』海竜社 2009
  • 『蛇と月と蛙』朝日新聞出版 2011
  • 『マアジナル』角川書店 2011 のち文庫
  • 『アルカナシカ 人はなぜ見えないものを見るのか』角川学芸出版 2011
  • 『ヒロシマ、ナガサキ、フクシマ 原子力を受け入れた日本』2011 ちくまプリマー新書
  • 『ゾーンにて』文藝春秋 2013 のち文庫
  • 『坐禅ガール』祥伝社 2014
  • 『いのちのエール 初女おかあさんから娘たちへ』中央公論新社 2015
 
特にね、「クレンズの魔法」はわたしにとって特別な本。
娘たちにひとり一冊用意してある。
わたしがいなくなっても、この本があればいいかな、くらい
大切にしたい言葉たちが並んでいます。
 
ランディさんの深い洞察と愛に冑を脱いだというのが、正確な言い方かな。


 
いいね!した人  |  コメント(1)  |  リブログ(0)