新聞置き場に新聞を取りに行ったら、ばったりタカシに会った。
広い研究所内の部署の新聞は1箇所に配達され、各部署が取りに行くのだ。

タカシは新聞を自転車のかごに納めると、じーっと私を見た。
「何よ」

「お前さ、今日、メイク、途中?」

目ざとい。
悔しいけれど本当だった。今朝は工程を2つ、はしょった。

「そ、そんなことないよ。失礼な!」
手を滑らせて、棚から取り出そうとした4つの新聞を落としてしまった。

「けけけ。きょどってやんの」
ケラケラ笑いながらも、私の部署の新聞を拾ってくれた。

「いつもより遅く取りに来たら、朝からやな人に会っちゃったな。苛められるし」
ありがとうと新聞を受け取りながらも、口を尖らせた。
「いや、いつもは来ないよ。今日はいつも取りに来る人が休みだから」

部署の公用自転車にまたがりながら、すこし真面目な顔になった。
「どう?忙しいのか?」

「朝っぱらから忙しくて、新聞取りに来るのもチャイムの後になっちゃった」
何か言い出そうとしているタカシを遮って、すぐに続ける。
「うそ。ホントは今日、遅刻しそうだったの」

お得意の意地悪な笑顔を見せた。
「あー、それで、メイク途中なんだ」
また話を戻された。
「もー、違うもん。煩いことばかり言うと、お土産あげない」

「旅行行ってたんだっけな。相変わらず食ってばっかだったな」
リアルワールドに公表しているブログで、リアルタイムに旅日記をアップしていたが、それを見ていたらしい。
「グルメなの!」
私の反論など簡単にスルーされた。

「じゃあ、今日の夕方、本屋ね」
直訳すると、明日、晩ごはん食べに行きつつお土産をもらう、ということ。
本屋でなんとなく待ち合わせして、立ち読みしながら遅い方を待つのが定番だ。

「だめ。お土産、今日、持って来てない」
「ふーん。じゃあ、明日」
「約束できないな。突然デイトとかに誘われるかも知んないじゃん」

「どーせ、ねーだろー」
そう言いながら、自転車が漕ぎ出していった。

やはり目ざとい。
そしてやはり、悔しいけれど、急なデイトはありそうにない。


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「おう!また迷子 か?」

不意に後ろから声をかけてきたのは、自転車に乗ったタカシだった。所属部署のプレートが付いている。構内近場移動用の公用車なのだろう。
「違うよ。紅葉狩りだよ。この美しい街路樹に見とれないわけ?」

「紅葉狩りは、山行ってやれよ。こんな会社の敷地内の路上でぼんやりしてんな」
その通り。
私が色づく木々を見つめているのは、研究所内のメインストリートの街路樹。そして、私は2つ先の建物まで歩いてお使いの途中だ。

研究所の広大な敷地は小さな街のようになっていて、中央を走るメインストリートには街路樹が植えられている。その根元は芝生で覆われているが、少し枯れた黄色い芝生の上に降り積もる赤い葉がなんとも美しく、思わず歩を止め見つめていたのだ。

「つぅか、その木、モミジじゃないよな?」
そう。その木はカエデ。
「紅葉狩りのモミジは、モミジだけじゃなくて、秋色の葉っぱ全般を言うの!っていうかね、もういい加減、迷子になんかなんないもん」

自転車とタカシという組み合わせを見て、中学時代のタカシを思い出して笑いそうになった。
「あ?なに笑ってんの?なんか半笑いだけど」
なんでもないよ、と言いつつますます顔がほころんでしまった。
「いやね、自転車に乗ってるって、なんか見慣れなくて面白い。ねぇねぇ、中学の頃、変な改造ちゃりんこ乗ってたよね?」

「へ、へんなこと急に思い出すなよ。オレはもう行くからなー。じゃあな。ちゃんと働けよ」
意外と照れ屋なタカシは、明らかに動揺しながら行ってしまった。その辺が弱点か。
私も再び歩き出して、目的の建物に向かったのだった。


大丈夫。ちゃんと働いている。
お使いの途中の寄り道と、こうしてお話を打ち込む合間に。ちゃんと。


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「お、おい。な、なんだよ、急に泣くなよ。人の顔見てさー」
不覚にも、顔を見た途端に涙。

「ほら、クルマに行こう。こんなとこで泣くなよ。俺がなんかしたみたいだろ」
そう、ここは、本屋の駐車場。夕方とはいえ、まだまだ明るい。
涙が止まらない私の腕を引いて、クルマに連れて行く。


「何があったんだ?どした?話して気が済むなら言え。聞いてやるよ」
私は、思いつくままになんでも話した。
慣れない仕事や、うまくいかない恋愛や、その他にも小さなことから大きなことまで、ぶちまけていた。

誰にも言わないで、ずっと溜め込んでいたものが、一気に溢れた。
一度泣き出したら、止まらない私。
だから、泣いたりしないように、泣かないように悩みにも悲しみにも蓋をして、見えない振りをして暮らしている。
なのにどうして、今日はその蓋が壊れちゃったんだろう。


「もう止まったか?腹減ったろ?でも、これじゃ、メシ行けないな」
そう言いつつ、エンジンをかける。

「パンダみたいになっちゃった?」
大泣きして、メイクもすっかり台無しだ。

「うーん、そんなに可愛くないぞ。どっちかっつーと、タヌキだな」
いつもの意地悪も言わないで、ずっと話を聞いてくれていたけど、これが本当のペース。
「うぅぅ…、タヌキだって可愛いもん」

「あぁー、そうだな、可愛いな。冗談、冗談。もー、また泣くなって。まったく」
ずっと直線を走っていたクルマが右に曲がる。
入ったところは、ファーストフード店の駐車場。

「ちょっと待ってろ。何でも食うよな?」
クルマを停めると、さっと飛び出していった。
ひとりになったクルマの中で、鏡をみる。やっぱりタヌキみたいだ。全然可愛くないし。


「ほれ。文句言うなよ」
手渡されたホットコーヒーと、食欲をそそる香りを放つ暖かい袋。

「あー、フィレオフィッシュだー。これ、1番好き。あー、チキンナゲットも好き」

「あれ?もう笑ってるよ。誰だ?さっきまでピーピー言ってたのは?」

「もー、うるさいなー。そのポテトも全部食べちゃうからね!」

そんな風にして元気になった。
でも、暫く恥ずかしくて、会えなくなってしまった。
可愛くないタヌキだったから。



こんなことをふと思い出し、こんなことがあっても芽生えなかった私たちはやはり縁がないのだな、と眺める運転席の横顔。

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「迷子か?」

会社の敷地内で、敷地内案内図を片手に周りをきょろきょろしながら、立ち尽くしていたら声をかけられた。
タカシだった。
「見たことある車が立ち往生してんなーって思ったら、お前かよっ!」

「立ち往生はしてないもん。ちょっと停車してただけ。もう広くて分かんない。もうやんなっちゃう」
敷地内は信号機があるほどに広く、離れた建物に行くのは基本的に自分の車だ。
別な建屋までお使いに行く途中の出来事である。

「すごい方向音痴だもんな。この間さ、どこの帰りだっけ?帰り道と間逆に走るから、どこ行くのかと思ったよ」
そう言って、タカシはけらけらと笑った。
「もーうるさいなー。さっさと仕事戻んないと怒られるよ」

「どこ行きたいんだ?」
私の手の中の地図を覗き込みながら言った。
ここだよ、と言いながら、行きたい建屋を指先で示す。

「あーこれ、この建物の向こう側。惜しかったねー。1本向こうの道」
タカシは地図の読めない私に合わせて、地図を回して今の位置を教えてくれた。
「でもって、俺がいるのが、行こうとしている建物の隣。ってことで、乗せてけ」
そういい終わるが早いか、助手席に乗り込むタカシ。

「はい、出発進行。その信号を右ね」
運転席に乗り込むと、車に常備しているボトルガムを取って口に運びながら、タカシが言った。
「ガム、もうあんまりないでしょ。補充しなくちゃ」
「売店にも売ってたぞ」
「ありがと」
「買ってやるって言ってないし」
「楽しみにしてるね」
そんな中身のない話をしながら、タカシの指差す方向に車を進めると、目的の建物に着いた。

「着いたー!どうもありがとう。助かったよ」
車を空きスペースに停める。
「どうもな。そうだ、今日さ、久しぶりに、メシ行く?」
車から降りながら、タカシが言う。
「うーん、やめとく。まだ慣れなくて、毎日ぐったりなんだ」
なんとなく気晴らしに出かけたい気もしたが、明日の出勤を考えてやめることにした。
新しい仕事が始まってから、眠っても眠っても疲れが取れなくて、朝もなかなか起きられないからだ。

「そうか、じゃあ、またな。帰り道、迷うなよー」
お得意の意地悪な笑顔を見せるタカシ。
「もう迷わないよ。失礼しちゃう!」

そんな風に怒ってみせつつ、タカシの相変わらずの意地悪にほっとしてしまう私がいた。
がんばれよーと手を振りながら、振り返らずに歩いて行くタカシを見送る。

すっかり仕事に疲れ果てて、もう嫌になっていたけれど、いい気分転換になった。
悔しいけれど、タカシに救われた午後だった。


「よっ!マキさ、今、どこにいんの?」

帰宅して、ブログ記事を夢中で書いていたところに、タカシから電話が来た。
「え、家だけど」

「違うよ。会社」
そうだ。タカシと私は10月から同じ研究所 で働いているんだった。
私は、自分の居室のある建物の名を告げた。
「あー、食堂と売店の近く?」

「うん、そうだよ。売店っていうか、10月からコンビニになったらしいね。オープンで皿とか配ってなかった?」
私達はしばし、そのコンビニや食堂の話をした。

「っていうか、タカシはどこなのよ?」
タカシは建物の名前を教えてくれたが、まだ広い研究所内の建物が把握できていなくて、まったくわからなかった。
「ふーん、端っこの海沿いの方?コンビニも食堂も遠いね」

「あー、でもお昼はバスが出てんだよ。それに、近くにあってもそうしょっちゅう行くもんじゃないだろ」
そうだけどね、と言って笑った。
「そのうち食堂とかで会うかもな」

「どうかな?あたし、コンビニは行くけど、食堂はあんまし行きたくないな」
なんで?とタカシ。
「すごい混んでんじゃん。外まで並んでんの。激安だけど、やだな」
会社の食堂は200円から定食が食べられるらしい。

「あたし、基本的にはお弁当持ちなの」
そして、飲み物だけコンビニで買っている。
「毎朝作ってんのか?」

「うん、ママがね」
なんだよ、と言って、電話の向こうで笑っている。
「うるさいなぁ。もう切るよー」

「あー、待てよ。マキさ、マンガ喫茶行ってんの?」
どうやら、ブログを読んだらしい。
リアルワールドにオープンにしている別なブログでそんなことを書いた。
「うん、先月デヴューしたの。まだ2・3回しか行ってないよ。しかもマンガ読んでるっていうか、ネットしてる」
家のネットが壊れて、ネットができなくなった友人に付き合って行っていることを説明した。

「俺も行ってみたい」

「えー、行ったことないのー?」
私は大げさに驚いてみせた。
「うるせー、先月初めて行ったやつに言われたかねーよ」

今度、連れてけよー、じゃあな。
うん、そのうちね、と言って、お互いに電話を切った。


こんな世間話で電話をしてくるなんて、タカシも新しい仕事に疲れているのかなと思ったら、私も頑張ろうとちょっと思えた。

でも、すでに、弱音を吐きそうだ。