今朝の北海道新聞の一面や、ニュースを見てびっくりです。


イブキの小学校の教頭先生が逮捕されました。

女子高生にわいせつ行為や、雑誌への投稿を行っていたとか。


女の子の親は、不安に思っているだろうと思います。


イブキや奥様に聞いたら、普通にちゃんとした先生だと言ってるし、学校からは、私生活はわからんね。


そんなことより、今の校長先生は、いい先生なので、責任を取って辞めるとか言わないで欲しいです。

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イブキは、今日から冬休み。


そして、今日からサッカーの合宿だ。


子供が合宿なんかで家を空けるのは、もっと、ずっと先のことだと思ってたけど、意外と早かったな。
7歳で平気で行っちゃうんだな。
友達も居るし、そんなもんなのかな?

合宿に行くってことで、感傷に浸っている場合ではないのだけど。


そんなことより、未だにルールを覚えていないし、未だかつて一本のシュートも打ったことが無いってのが気になるね。

普段、2時間の練習の中で、「今日はかなり活躍した!」って時で、ボールタッチ1~2回だって、自慢げに言ってるからなあ。


今は本人も楽しそうなので良いけれど、学校も同じ普段から仲のいい友達はみな、積極的にどんどんボールにからんで行くような子達だからなあ。


サッカークラブの中では、そろそろ、パス練習とかでも、はぶきにされているようだし、転じて、ひどいいじめにあわなきゃいいけどということが心配だな。


この件に関しては、いろいろと思うところがあるけれど、いろいろと思いをめぐらせても、実際にそういう目にあうのも、思うのも、行動しなくてはならないのもイブキなので。


今のところ、良い友達に恵まれてきているし、取り越し苦労かもしれないので、今楽しいうちは、まず見守りたいね。


今日はハルトとシュンリといっぱい遊んでやれるかな?

親の価値観

テーマ:
dakoさんの「育児オトコ」への道。の親としての責任。から、トラックバックしてきました。

親としての責任、って、なんでしょうね?
子育てをしている人は、いつも考えていることの、1つでは無いでしょうか?

dakoさんは、
「子供が一人で生きていけるようにすること」
が、最低限の責任と考えているそうです。
自立して自分の足で人生を切り開いていけるようにね。

究極を言うと、そこに行き付きますかね。
基本的に、私も同感です。

これって、むしろ、最高の目標ではないでしょうか?

しかも、これって、とっても、漠然とした目標ですよね。
実際の子育ては、待ったなしで、どんどん進んでいきます。
具体的に、行動を起こしていかなければ、なりません。

しかし、親が、将来のビジョンをどのように描くかによって、
「1人で生きる」
ということの、内容が、まったく違ってきてしまいます。

例えば、
日本国政府が、破産したら?
例えば、地球規模の天変地異で、現在の環境が壊滅状態になったら?
または、コンピューターに、のっとられたら?
戦争に巻き込まれたら?
・・・・・・

まったく、違ったスキルの習得が必要になりそうです。
その状況に適した、性格や、思考、行動は、当然違ってくるだろうと、思います。
それを、予想する段階で、すでに親の意思が反映されるでしょう。

この子は、こういう子だから、将来こんな風になって欲しい。
そのとき、世界は、こうなっていて、そのためには・・・・
多かれ少なかれ、やっぱり、みんな、予想しているでしょう。
そうして、現状で最適と思うことを、していくでしょう。

親だもの、もちろん、そうします。
でも、それは、あくまで、おまけのオプションです。

親は、普通、子の最期まで、そばにいて、見守ることは出来ません。
直接的には、そういうことになります。

しかし、子にとって、たとえ親がいなくなったあとでも、(あるいは、そばにいれないときでも)
「親に見守られている」
「いつも一緒にいる」

と、いう気持ちを抱かせることは、出来ると思います。

それが、どういうことか?
私は、
「親の価値観を伝える」
ことだと、考えています。

つまり、親の価値観、判断基準などを、具体的に、みせていくことが、親の務めではないかと思います。
この世の中を生きるために、直接影響することから、ほんとに、どうでもよいような事も含めて、いろいろなことを。

そうした、具体的な価値観を、どれだけたくさん与えられるかが、私の役目だと思います。
その価値観が、

幼い子ども時代、初めて社会に出て行く段階では、「親の価値観」が、直接の助けとなり、

思春期を迎えるころには、確固たる反抗の対象として認識される、自分の中にある「親の価値観」となり、

大人になってからは(子供自身の価値観は別として)、懐かしんだり、ふとした瞬間に染み出してくる、身近に感じる「親の価値観」になっていくのではないかと、思っています。


つまり、親の役割って言うのは、時として、変化していくと思うんです。
父と母の得意分野で、役割を分担するのも良いと思います。

ただ、親の価値観というか、判断基準みたいなものを与えていくことが、親の責任なんじゃないかと考えています。

ちゃんとした、基礎さえ与えられれば、後は、自分で育っていくものですよ。
広く、しっかり根を張ってね。
親は、苗床みたいなものですかね。
肥料は、一度にやっても、少なくても、かれてしまうでしょう?
押し付けじゃなく、自然とね。
だから、いつも、一緒にいることが大事だと、考えています。

そう思うから、うちはいつも、子どもと一緒ネタです。
「育児オトコ」への道。より、トラバしてきました。

我家は、その時のニーズで、呼び名がかわってきています。

現在、5歳の息子は、「おとうさん、おかあさん」ですが、4歳までは、パパ・ママでした。

生まれた頃は、最初から、「父さん・母さん」で行こうと思っていました。
赤ん坊だからって、「~でちゅね」みたいな、馬鹿にしたような言葉を使っては、いけない!もっと真剣に行こうよ!などと、思っていたし。

そう思ってはいたのですが、いざ、しゃべりだすと、まず、なんごからでしょう?

ジジ・ババも含めて、呼ばれたもの合戦でした。
すると、呼ばれた人が、抱っこできるみたいなルールが出来ちゃって。
そうなると、パパ・ママの方が、早く出るんだよね。

まあ、そんなわけで、競争の原理が働いて、当初は、パパ・ママになりました。


そのまま、無事に来たのですが、イブキ4歳にして、待望の弟ハルト誕生。
直後に幼稚園入園と、一見、順調に見えましたが、ここで、トラブルが発生しました。

当初、元気に通っていた幼稚園ですが、一月半ほど過ぎ、運動会の練習が始まったころから、あんなに喜んで通っていた幼稚園に、行きたがらなくなり、毎日、泣いて来るようになりました。

先生の話しでは、下の子と年が離れている子には、時々あることなので、心配しないで出してください。ということでしたが、一進一退を繰り返し、結局、幼稚園の先生とも相談して、しばらく休ませる事にしました。

正直なところ、自分には、幼稚園から学生時代まで、休もうと思ったこと自体無かったので、とても不安で、心配でした。
いつになったら、回復するか、さっぱり予想もつかず、ずっと回復しないかも・・・

ただ、なるべく、息子に、添ってやりたいなと思い、
「行きたくない」
という、息子の主張を尊重することにしました。

幼稚園を休ませる事にして、わからないながらも、奥様と、息子と、いろいろ相談した結果、
「思い当たることは、何でもやろう!」
ということになりました。

考えたのは、以下の5つを、徹底して、
何度も、繰り返して、といていくことでした。

・自分から行きたがるまでは、行かせない
(息子の気持ちを尊重する)

・ハルトに手がかかる間は、家にいても、甘えたは、ちょっと我慢する
(赤ちゃんは、生かしておくことが、第一!というルールを、わかってね)

・イブキや奥様がハルトをかわいがる以上に、私がイブキをかわいがる
(愛情を注ぎつつ、添ってあげたい。なんていうか、下の子には、生かしておくだけで、母親の手がかかるけど、アニキへの愛情が薄れた訳じゃないということを、身をもって、感じてもらえるように)

・今まで以上に、家の手伝いをする
(休んでいても、好き勝手にはできないよ)

・早寝早起きする
(生活のリズムを整える。体を整えると、心も整えやすいはず)

それと、もう1つ、

・お父さん、お母さんと呼ぶ
(どうも、パパ・ママで呼んでいると、甘えた度が上がる、暗示がかかるような感触があったので、おまじない的に)

数日休んで、そのまま、夏休みに入り、その後、幼稚園復帰を果たしました。

全部、一度に行ったので、何が良かったのかは、はっきりしませんが、本人の気持ちの整理はついたようです。

その後も、紆余曲折ありましたが、今日まで、元気にやってきました。

そんな、こんながあるもので、いろいろな、普通のことでも、嬉しいし、余計に今のイブキが、頼もしく見えます。

ちなみに、呼びかたをかえるのは、ほんの3日ほどで、ほぼ定着しました。
ちんちんを触るのは、やっぱり、安心感を求めているのだと思います。
大人でも、不安なときや、緊張したときに、結構触っている人いますよね。

結論から言うと、ちんちんを触るのは、やめるようにしてあげるほうが良いと思います。
とはいっても、その不安を取り除いてあげないと、ストレスがたまってか、はたまた、単純に代わりにか、別なところを触り始めると思います。
頭や顔をかいたり、つめを噛んだり、唇や耳たぶをつまんだり、などなど。

実は、うちの5歳になる上の子も、3歳2ヶ月ごろ、よく、ちんちんを触っていました。
そのときは、単純に注意していたのですが、そのうち、ちんちんにばい菌が入って、尿の出が悪くなり、また、とても痛いらしく、泣きながらおしっこをしていました。

3歳ぐらいになってくると、いろんなことを理解してくれるし、会話ッぽいものも出来るので、つい、大人のルールを押し付けがちになりませんか?
大人と一緒ではないのは、分かりきっているんだけど、ついつい錯覚してしまうんですよね。

だって、言えば分かるし、子供自身も、何とかしようとするでしょう?
うちは、そこではまってしまいました。

きっと、何か、引っかかっているものがあると思いますよ。
賢く見えても、3歳の子供には、先の展開までは読めないし。
自転車のこぎ方、ボタンのとめかた、食事のマナー、トイレトレーニング・・・
何かあるはず。

ちなみに、うちは、「会話が出来る」ということに、完全にはまっていました。
例えば、
「一人でトイレのふた、開けてみようか」
「はい、終わったら、流してね」
「よーし、手を洗おう!」
で、ちゃんと通じるから、楽しいし、喜んでやってるんですよ。

ところが、これが、いけなかった。

大人なら、親切すぎるぐらいだけど、子供には、一緒にやったり、触ってあげたり、すでにできていても、自分がする時にみせてあげたりすることが大事みたいです。

それまでも、結構やってるつもりだったけど、「会話」が出てきて、濃厚になったつもりが、子供には、希薄で不安なんですね。きっとね。

もうちょっと、扱いを幼い頃のままにしてみてはどうですか?
会話は今までどおりで、扱いだけ6ヶ月前と同じくらいにしてみては?

すでに、一度出来るようになって、その時はいっぱい誉めた事でも、大人なら、普通、2回目からは誉めないじゃない?
子どもは、やっとたどり着いたところ、もしかしたら、ものすごく無理して、達成したかもしれないことなんだと思います。

だから、本当に普通に出来るようになるまで、付き合ってあげてはいかがですか?

もちろん、息子も頑張ったのでしょうが、うちは、これでよくなりましたよ。