自然と心と

科学、宗教、哲学、芸術、4つは同じことを求めているのだとウスペンスキーは言っている。あとキーワードとしてはグルジェフ、キングクリムゾン、最近は非二元なんて言葉がはやっているんすか?


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 エックハルトトールを中野真作さんから教えもらったのは、ずいぶんと昔
「さとりをひらくと人生はシンプルで楽になる」 という本からだった。その後、「ニューアース」も読み、中野さんの主宰するエックハルトトールの勉強会にも行ってみた。

 こないだ中野さんに、こういった勉強会を自分でも開きたいのだとメールしたところ、最近ではこういったことに興味をいだく人が前よりも増えているから、ぜひやったらどうですか、という。
 さりとて、僕はこういうことを主催するべきスキルもなければ肩書きもないもんですから、それは土台無理ですと決め込んでいる。ヨガの先生とかカウンセラーであれば、精神的な指導者を標榜する何某の主宰するエックハルトトール勉強会てのが開催できてPRも始められようものを、とりあえず、僕はただのエンジニアである。

 しようがないので、このブログにエックハルトトールという人について自分なりの印象をのこすことから始めてみよう。エックハルトール勉強会、アメブロ版である。参加者はひとまず僕(ひとり)です。もしもこのブログをお読みになった方で、僕といっしょにエックハルトトール読書会をしてみたいとお思いになる近隣(ここは西播磨:兵庫の西の端のほうでございます)のかたがおられたら、ぜひ下のコメント欄になんか書いてってください。連絡手段はどうにかいたします。

 さて、赤裸々にいうと、僕は人生ウン十年の間、ずっと苦しんでいるような人間だ。仕事はなんとか、この西播磨にあるさる研究機関での職にありついて、エンジニアのようなことをけっこう長く続けてこれたのだが、まあ僕のような欠陥人間がどうにかこうにかやってこれたのは、それこそ神のお導きだと思っている。

 そんなわけで、心は常に、なにかを渇望し、精神世界の癒しを求め続けてきた。そんなことをしながら、気が付いたらもう人生の黄昏時の現役のおじさんという悲劇である。人生これでよかったとは、どうにも言い切れない。さりとて、じゃあどうだったら、お前は満足だったんだね、と問われると、それも答えようがない。僕はたぶん、見失ってしまったんだと思う。なにをか?それが問題だ。見失ったものがなにかわかっている人は見つけることができる。見失ったなにかを忘れ去ったまま、人生全体がなにか間延びした山場のない映画のように色彩をどんどん失っていくような気がしている。

そういった僕でも、エックハルトトールは、もしかしたら見失っているそれを
 思い出せるのではないかという気にさせてくれるのである。

 エックハルトトールのニューアースという本は変わっている。それはエックハルトトール自身がサレンダー(降伏)した人だからかもしれない。自分の力でどうにか自分の精神をやりくりしようとして人はあがいている。他者を自分と引き比べてみじめになっている。ひとは自分を生きるしかないし、自分を自分で100パーセント生きるときには、他者の存在は気にかからない。それは全命が、今に集中しているからだ。クライマーズハイとかランナーズハイとかいうものもそういったところと関係があるのだろう。
 
 エックハルトの面白いところは、人生の目的はそういう他人と自分を比べて自分を傷つけている働き(ペインボディの働きと呼ぶ)よりも奥にある動じない生命の本源があって、その静寂の意識をこの世にもたらすことが人間の目的なんだといいきってしまうラジカルさにある。(ラジカルだなあ、まったく。)自分と他人を傷つけるペインボディは、実はこの世の悪の存在理由なのだ。こういう話は、分かる人にはビンビンとわかるのあろう。わからない人は、なにを胡散臭いことを言っているのだということになる。僕は胡散臭い人間なので、こういうのは、すごくよくわかるのです。自分に悪がある。その悪に苦しんでいる。自分はすっきりと明るくいられない病気なんだと自覚する。しかし客観的にみれば、だいたいの人は同じ病気なんだと思う。

 しかし、そういう病なのが人間なんだよ、で終わりだと、ちょっとまずいのちゃうかな、と人は考える。浅くも、深くも。浅く考えるとポジティブシンキングで成果をあげようという自己啓発セミナーの欺瞞の繰り返しになるし、深く考えると、人間はそう簡単にその地獄から抜け出せない。エックハルトはそういうことは言っていないのだけれど、実は人間は誰も、そこから抜け出せないのとちがうか、というのが結論のような気もしている。

 阿弥陀仏は、自分はみなが仏になれないならば、自分も仏にならないと言った。実のところ、この地球上に僕のような外道がいるということは、おそらく阿弥陀仏様も仏になっていないはずである。つまり苦しんでいるはずである。僕では具体性がないというなら、もと少年A氏とか。彼が今でも自分を認めて欲しくて叫べば、彼を憎む人々は彼をもっと憎むしかないだろう。当然のことである。そして、彼が生きたここちがする人生を手にいれてほしいなんて、誰も思わない。たぶん彼の両親以外は。その願いを抱いてはならないと定められた両親。彼は苦しまなければならない。それが結論だ。それはそこにまつわる人すべての苦しみだ。そんなときに、阿弥陀仏さまがぬくぬくと悟りを開いて楽園なんかに居てほしくない。

 エックハルトはその静寂の意識をもたらすのが人類共通の目的だと言った。けれど、その静寂をもたらすためには、その傷ついた人とか、憎しみの人とかを、幸せにできないならば、あたらしい精神世界のエゴ、それはオウムの事件がたどった道へつながるかもしれない。
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