自然と心と

科学、宗教、哲学、芸術、4つは同じことを求めているのだとウスペンスキーは言っている。あとキーワードとしてはグルジェフ、キングクリムゾン、最近は非二元なんて言葉がはやっているんすか?


テーマ:

2017年の今日は、夏日で、昼間から、なにか春を通り越して、半袖のここちよさが

あたりに広がっていた。夏日、といっても、本当の夏がきたら、やっていられないものだし、

まだ 龍野のこのあたりの田んぼの田植えすら始まっていなくて、

水もひかれていないようなこの時期に、気温だけが調子よく夏の感じに

上がった。

 

  本当の夏が来たら、カエルがもっとにぎやかに鳴いているのだ。このあたりだと。

  そのにぎやかな ゲロゲーロのおかげで、僕は 不思議に夏が来ると

  どこか寂しさを忘れてしまえるようなとこがあって。それで、冬よりも 夏がずいぶんと好きだ。

 そういう感覚になって、久しくて、いつからそう思えるようになったか、一番古い記憶をたどれば

 それはもう20年以上も前に、筑波で働いていたころの、ある晩に、カエルのにぎやかな鳴き声の中に

命の合唱を感じて、それで、ああおれは一人じゃない とか 神がいるとか

 そういう感じを持ったような記憶がある。

 

 まあしかし 夜の闇の中 ほんとうに ゲロゲロと泣いているカエルさんたちが

 自分の友達で あれらの 両生類と抱擁して エクスタシーにひたるわけにもいかず

 カエルの合唱を遠巻きにきいて 生命じゃ なんつて 感じるのは 人の 詩情の 

 エゴイズムなのだが。 彼らは 彼らで なにも考えずに ただ 命のまま

 ♀♂の必死な事情で鳴いておる もはや 泣いておるのかもしれませぬ

 

   ともあれ 夏日の今日は 夕刻がきて 夜も それなりに夏日で

   夕方までは だいぶ暑かったが やがて ふつうにもどってきた

狂ったように ぽこんと 夏日 

  

 

   

AD
いいね!した人  |  コメント(0)  |  リブログ(0)
最近の画像つき記事  もっと見る >>

テーマ:

ジキルハイドのオールナイト日本で

ジキルさんだった人が北山修だったと、番組が終了するまで、またした後も名乗らなかったのだけれど、

あのジキルさんは北山修だったのだと、いろんなところでうわさされていたし、数年前に

なぜか嘉門達夫の野外コンサートで万博記念公園に行ったら、ゲストに来ていた白髪の

北山老人の声はやっぱりジキルさんだし、まあいずれにしても、僕が碇シンジ君のような14歳のころに

水曜日だったかの晩に クラシカルな音楽で ははははと笑いながら 足音を かんかんかんと

させながら 歩いてくる効果音で始まる ジキルハイドのオールナイト日本は大好きな番組だった

まあ 夜更かしの中学生で、学校まで5分でいける距離だからゆるされた それでも

授業中眠たくて死んだ

 

 北山修の 戦争を知らない子供たち という曲があり

 北山修が70歳なのだからまあ ロバートフリップくらいの人なのだけど

 もう、あの戦争を知らない子供たちと歌っていた青年たちは 70歳の老人になっているのだ

 森田健作でも67だし まあ 私も 52だし しかたない

 計算によると 僕が碇君のような14のときに ジキルをしながら 高らかに

 笑っていた 北山さんは 結局 32歳くらいの青年だったわけか (しかも精神科医ですって へえ)

 

 戦争を知らない子供たち とたからかに 宣言し 

  僕らは戦争を知らない ことが悪いのか? と問いかける

  戦争を知らないことは悪いことじゃない 僕らは戦争が終わって生まれ

  永遠にずっと戦争を知らないでいたい という願いがこめられている。

 

 けれども 人は戦争をし 戦闘兵器の開発に予算があり、業界が動き

 ビジネスになって もうかっていたりして つまり戦争をすることが 必要だと容認し

 さらに積極的にそれでもうけていこうという おおきが業界とビッグマネーが

 なにかをけん引している。 ミリタリー規格という高額な品物が流通し、ミリタリーだから

 性能がいいというひとつの基準があり。

 

  このところ時々 北朝鮮さんからミサイルが飛ぶ

  世界が騒ぐ 日本が 核廃絶の会議に参加しないので各国がなげく

  いや こうなったら アメリカを支持し続けるしかないので トランプによる

 シリアの攻撃に真っ先に支持表明した

 

  アメリカの戦争を支持します って言った総理は

  歴代何人もいまして とりあえず アメリカによる攻撃がはじまりました っていったら

  次の瞬間 さんせーい っていわなくてはならない ジャイアンとスネオの関係から

  抜けれないようになっている。。

 

そんなことを見せつけられながら 自分が働いている職場にも

こまかな権力構造があって 自分の意見を持たないで なんかにすがっていなくては

だめなヒトとか 状況とかいろいろあって

 

 戦争を知らない子供でいることはむずかしく

 生活の端々に 戦争ってなぜあるんだろうという 疑問と深いところで

 つながっている 邪悪な カルマのような 宿命のような 

 罪のような 恐怖のような 弱虫のような いやな面を たくさんみながら

 

 戦争はいやだな とか 北朝鮮のパレードは硬直して歩くんだなとか

思いながら とりあえず新年度がきて だんだん連休も近づいてきて 

 このまま平和でいられるのか どうか まったくわからない

 

AD
いいね!した人  |  コメント(0)  |  リブログ(0)

テーマ:

花村萬月の 旅を を半分くらいまで読んだら

東尋坊という場所に来た(主人公の青年がです)

 

描写を読んでいて、福井県で絶壁でというと

 Dの複合 を思い出し 西島秀俊がそこで 落とされるあの 絶壁のことなのだろうと

思い出し、検索したら それだった なるほど

日本の中にまだ行ったことがない場所があるんだなと 小さめの発見をした

 

 この旅の青年が愛してやまないかれの単車はカブというやつで

 中学校の先生をしていた僕の父が乗って学校に通っていたやつと同じで

 とにかく父の単車はださかったのだけれど この本を読んでいると

 カブもなかなかいいなと思えてくる。

 

父のカブを停めてある、自宅の脇の納屋は、昼間父の単車がいないときには

僕の工作センターで、 納屋のわきの扉をあけると

工具がいろいろ入っていて、ひたすらに 木をきって 釘をうって 僕は

なにかを作って 児童から少年になっていったのだった

 

 あのカブに彼はまたがって日本一周を企てている

 旅の間に様々な人にであう

 

旅を 続けられるといいね といって 彼の愛したひとが死んだ

から 彼は このたびで なにかを探しているのか

それは自分をさがしているという やつなのだけれど

旅を続ける という言葉のなかに

エントロピー的な 生命の謎にせまる 秘密があるんだなという感じが

この本の半分読み終わりくらいで じわりとやってくる

 

彼はこの本の始まりのころから

この本の真ん中へんまでで ずいぶんと成長している。

 

というこの野宿青年を読みながら 僕も ずいぶんと歳もとったけど

旅 しなくてはならないなと思った

旅とは 移り変わり 変化していく 状況への反射てきな対応と

そこから成長して 自分の中のニュータイプを発見する作業なのだから

チャレンジ 変化 新しい やったことない怖さに向かって 命は

ひらいていかにゃ と岡本太郎のことを思い出してしまう

 

太郎は旅をつづけ そして旅立ったのだな

AD
いいね!した人  |  コメント(0)  |  リブログ(0)

テーマ:

職場の自分の属する部署が4月から無くなるということで

みな 大騒ぎしたり 不安したりしているのだけれど 僕は、ここで勤めて

自分の部署がなくなるのは 初めてではないし そのたびに

なにか変わるわけでもなく ただ 自分の仕事だと思えることを

してお金をもらって 暮らしてこれただけの話なので あまり 不安はないのだけれど

 

そのうち、この職場自体が世の趨勢 世の流れに従い終焉をむかえることも

やはりあるだろうと思う。 永遠に続くものはない。

身体は朽ち果てて いずれ死がだれにも くるように 人が作った組織も

研究所にも 寿命はあるだろう  

 

ということで、 早期退職者を募り始めるなんてことも

そのうち始まりそうな気運である。

 

いたしかたない。

 

 風立ちぬ いざ生きめやも

 

 堀辰雄はヴァレリーて人の詩を誤訳したという話で

 

  生きめやも (生きようかな、いや死のう)

という古語の意味らしいのだが ヴァレリーのオリジナルの意味は

 

  生きよう

 

 だそうで、よく知らんけれど、僕は人生で何回か 風たちぬを 読み返したけど

 そのたびに 堀さんは 生きよう と言っているように読んでしまったし 

 堀さんもそのつもりで書いているのだと思うし、めやも という言葉の使い方を

 間違えたのだろうけれど 

 

   生きめやも

 

  という語感を 僕自身も誤解して 

 

   生きよう

 

 と言っているのだと確信していた。そのまま まちがえていようと思う。

 

  風は立ってしまった よし 生きよう

 でいいと思う。

  

   そんなわけで、やっぱり、仕事もいろいろと状況が変わっていやなことにもなるけれど

  生きよう。

    

    この10年手がけてきた装置が いい感じに仕上がってきている

    どういう部署にまわるか しらんが これを続けていいということは

    だいじょうぶそうなので それは何年できるかしらないが

 

 生めやもだ。

 

  

AD
いいね!した人  |  コメント(0)  |  リブログ(0)

テーマ:

4回も見に行った立場としては、いくらかうれしいもんがある。

ゴジラが米軍の爆撃に血を流して、いっぺん静まってから

光り始めて、そのあと光線をはなつあそこの なぜか物悲しい音楽と

絶望的に真っすぐなビームが好きだ。好きだ、というのは罰当たりかもしれない。

なにしろ、東京が焼き尽くされていくシーンであるのだから。紫のビームで。

それなのだけれど、あの絶望感は、人類がやってしまったことへの

罰のようなところからくる。なにに対する罰かは、わからないのだけれど、

どこかもう手おくれなくらい、僕らはなんかの罪を蓄積させているのではなかろうか、

という得体のしれないおぞましさがある。

 

庵野さんは、エヴァもそうだけれど、好きなように好きなもんを作って

それでバカ受けするというパタンで生きている。自由な人だなとつくづく思う。

どっかにあるようなものは作らない。自分はこう思うんだ、というのびのびとした

作り具合を感じます。そいつは、もしかしたら、ある人々からは醜悪だと

いわれるかもしれないのだけれど、そんなものはものともしない。

なにかがちがちに倫理的なものつくりをしたら、それが奇妙に息苦しくて

うそくさくて、ストレスフルなものに仕上がってしまって、作っている連中も

観ている連中も誰も幸せになれないかもしれないような、そういう教科書的な

ももつくりがあるとすれば、庵野さんのは、岡本太郎のように、ずいぶんと

挑戦的だなと思う。 そこが、好きだ。

 

なので、はやいとこエヴァの新しいのを作ってくれないんでしょうかね?

とみんな思うのだろう。 いつ観れるだろうか。

 

 

いいね!した人  |  コメント(0)  |  リブログ(0)

テーマ:

 金正男氏殺害のニュースが世界を騒がせている。北朝鮮は認めてないけれど、どうみても、国家的な犯罪にしか見えないので、奇妙なことになってしまったものだ。

 

 ある組織がある。そこはおかしな体制で運営されている。

 しかし誰も、そこにいる人は それに逆らえない。なんか みたことがあるような状態で、

 そんなものは、いろんなところにある。宗教団体にもあるかもしれないし、どっかの会社にもあるかもしれない。 みんな、なんかおかしい と言っているのに、なにも行動を起こせないでいることで、それはずっと続いていく。

 

  少しの努力をわずかにでも 続けていけば もしかしたら なんかかわるかもしれないというような そういう夢を そこは壁のように厚いもので打ち砕くパワーが半端ないのかもしれない。

 

  僕は、ピンクフロイドのThe Wallを思い出す。そのアルバムが発表されてから何年かのち、ベルリンの壁が崩壊するときに、The wallのコンサートが、ほんとうに "The Wall"で行われた。Pink floydの歌った、

 

  Another Brick in the wall

 

は、壁が立ちふさがって、自由を奪うが、実は 自分自身もその壁を構成している一人なのだという、おそろしくリアルなメッセージを伝えている。

 

 こういうときに、自分はどう生きるんだ? なんてことが、いつも問われているのだと思う。フランクルの「夜と霧」の中に、すべてが制限されているかにみえる状況の中ででも、人は意味を創造できたという。それは、どこの話だろう。実はここもそうなのだと、肝に銘じなくてはならないかもしれない。。我が国、日本、民主主義の国、いやそうではない、小さな集団、大きな集団、いろんなところに、北朝鮮的なもだったり、アウシュビッツ的なものだったり、人の生気をうばい、誰か権力者の与えた制限の中で、誰かをだましたり、自分が得するために人を攻撃し、差別する現象が、どこにでも見える。つまり、それはAnother Brick in the wallなんだよ、と僕は80年代のフロイドの詩を深読みする。

 

 僕らは、時々 北朝鮮の軍事パレードで、首脳部の前を通過するときの、軍隊のみなさんの、コミカルにしか見えない必死の足並みに笑いを禁じ得ず、しかし、彼らには、それは生死をかけた事情なのだということを、思い出さなくてはならないと思う。あそこで、まるで、れれれのおじさんのような足取りで、数百人の人間がぴったりと硬直して歩くありさまは、実は、僕自身がそこにいたら同じことしかできないのだということ、そういう恐怖に気が付いていなくてはならない。

 

 こないだ 沈黙 を観た。 お侍さんは、ずいぶんなことを 外国の神父さんと、日本の信者さんにしたものだ。あのときの世界情勢は、布教の仮面をかぶった侵略なのであって、幕府のとった策は正しい、という人けっこうがいた。どんな正しい策かしらんが、あのような残酷なことをやる幕府は どこかなにか おかしい。それは、黒人は、奴隷にしてもかまわないのだと、みんなが思っていて、お金で買えて、仕事をさせることができて、便利だなと思っていた人たちがいて、当然のことのようにそうしていたという奇妙があって、誰もなにも文句を言わないということのおかしさに、しかしいつかは気がつき、時代は変わっていく。

 

 21世紀がきて、北朝鮮が存在している奇妙に、首をかしげるとき、Another brick in the wallを思い出そう。あなたはだいじょうぶですか? と。

 

 

いいね!した人  |  コメント(0)  |  リブログ(0)

テーマ:

 なのだそうである。10年ぶりに、大幅に組織改編をするので

 僕のいまいる部署はなくなるらしいのだが、個人的には、やっている仕事はあまりかわらない、 というのが今までのパタンで、今度もそうだろう。

 

 僕はここにきて22年仕事をしたのだが、いつも、やっている仕事はかわらず、

 所属している部署だけどんどん変わった。そんな人間は、他にいず、

 リストラ、り、すとらくちゃ、組織改編、の先鋒、僕は常にリストラ対象のような人間だ。

 上からみたら、よくわからない扱いにくい人間なので、いつも組織のどこに

 おいとくか適当な場所があやふやになる、あんまり重視されないで

 適当に捨て置かれている、のだな。クビにならないで来れたのはよい。じゅうぶんです。

 

 それでもいくつもの装置を作って動かしてきたのだし、なぜか協力者もスポンサも

 いつもいてくれて いろんなことをやってこれた。そういう姿を、あんたは独立してますね、

 と言ってくれたN教授のような友達もいたのだが、いやあ独立じゃなくて これ孤立です

 とも思うわけで、彼はそのとき

 

  孤立 という言葉を避けて 独立 と言ってくれた その気遣いに

  感謝もします。奴は やさしい男だ。

 

 積み重ね。誠実に、一生懸命。たったそれだけ。せこく暗躍しないこと。

 らしからぬ。 組織がどうのポジションがどうのっていうのは、僕にはしょせん向いてないので ただ働くだけしか能がない。

 

 僕はあと8年 ここで働ける。その間に組織は、もう一回

 変わるかもしれないけれど、それはもう大したことではない、なにか面白いテーマを

 8年やって最後の一つを仕上げられればそれで、ここでも仕事としてはよかったし、

 そういうつもりで来たのだから十分だと思う。

 

 足りないことがあるかなというなら、物理だなと思う。もっとよく勉強をしていないと

 やっている仕事が浅いものになってしまうので、あとすこし頑張ろうと思う。そこは頑張りの部分で、暗躍は好きなやつにまかせとく。

 

  それにしても 今年は春が遠いような気がする。気のせいなのかしらぬ。まだ3月はこないからこんなもんなのだろうか?これで本当にビールのうまい夏なんて季節がやってくるのだろうか、というくらい冬は毎年長くて どんどん寒さがこたえるおやじになっていく。

 

  ああ 4月か。。。4月が来れば新体制、そして春も来る。 とりあえず坐って 呼吸をととのえて待つというとこか。

いいね!した人  |  コメント(0)  |  リブログ(0)

テーマ:
 前泊して新横浜で、今日は朝から会議して、さきほど帰宅した。
 
 4時間の新幹線て播磨は遠いなといつも思う。姫路についてもローカルの姫新線でたつのまで
来なくてはならず、しかも姫新線ぎゅうぎゅうに混んでいて、列車をホームで長めに待って
列の先頭で、席をゲットしたのだけれど、目の前に、うちの母よりはちょっと若いかもしれない
それでも十分に背が低くなってちっちゃくなってしまったお婆さんが立っていたので、
後ろから肩をとんとんして、こっちこっちをして 坐らせて 私は人ごみに消えてあげた
さようなら座席、どっちみち20分くらいしか乗らんので いいです。
 
 あれよあれよと言う間にどんどん人がのってきて 東京の朝のラッシュみたいに
 赤字ローカル線が、なった。本数少ないし姫路から帰る仕事がえりの人が集中してこれに
 乗るからこうなるのだな。
 
   4時間の新幹線の間 こんどはファミマで買ったワイヤレスゲートがつながったので、メールをチェックすると、基板のサイズを大きくしたいのだがどやねんという メーカーからのメールが来ていて、返事を書いたら 返事が来てなんてことを していたら あっという間に姫路についてしまった。
 
  そんなこんなで一週間が いともたやすく過ぎていき、あすは金曜で2月も後半にはいっていて、今年も10パーセントくらい終わっているというわけで、時間が流れていく。
 
   出張に出る前から 金正男氏の殺害がニュースになってて、今 ブラタモリの桑子さんが出ているニュース解説で話題にしている。北朝鮮ではまったく報じられなてないのだそうだ。総書記の兄がお亡くなりであっても何も報じないということか。
 
  人間の集まりが奇妙な原理で成り立っているときに、そこの人たちは異常だとわかっていてもそのルールを打ち破れないということを、僕は職場10年ほど経験し、それは僕が所属することになった部署の奇妙な前任ボスの奇妙な性格によるものであったのだが、やがてその仕組みは終焉を迎えるらしい、もっぱらのうわさで。いたしかたあるまい。あれは異常だった。僕はあと10年足らずここで働くわけで、最後くらいまともな状況で仕事したいものだなとつくづく思う。北朝鮮艇来な体制のものでではなく。まあもうあれには戻らないだろうけれど。学問はリベラルなものだから本来。
  
いいね!した人  |  コメント(0)  |  リブログ(0)

テーマ:
 年末以来の新横浜、明日 朝から会議だというので、前泊で入った。
 以前に比べて、今の仕事内容がらすこし出張が増えて、出張が入った週は、一週間が速く過ぎてしまう。播磨から新横浜まで、4時間新幹線、ファミマで買ったWi-Fiのチケットは、最近いっこもつながらないので、4時間移動時間の間に、メール見れないと仕事がちょっと遅れているのがわかる。昼間に移動するときは、仕事の時間なので、そういう感じがする。
 
 4時間はしかし、貴重な時間だ。久保亮吾の統計力学なんか持ってきて、せっかくだからこの時間にこれでも読んでようか、と思ってやっていたのだけれど、めっぽう難しい本だな、あいかわらず。今いっしょに仕事をしている人が、すばらしい賞を最近受賞したのだけれど、この人が久保亮吾の弟子だったということを最近知った。久保亮吾の統計力学は物理やっている奴はみんなもってる教科書だとも聞いたのだけれど、みんなよく理解できますねこれ。それでもなにか魅力的な本だと感じます。朝永の本とも通ずるものがあって、よく理解している人が書いた本だと思う。なんていいながら、寝ながら、新横浜に、10時半についた。夜の。播磨は仕事終わってから出たから移動は夜で、明日は朝から夕方までビジネスミーティングと研究の会議といったメニューで、なんかこれ俺普通に仕事している人みたくない? なんてことを違和感をとなえながら やりすごして とりあえず日々は過ぎていく。
 
  X線のセンサーについてやりはじめて、10年以上やっていることになる。10年もやればその道の人ということになるのか。あまりなにか立派なものになったという実感はなくて、いま手掛けているものを仕上げて使ってもらいたいという単純なことだけで、ただやっているということになってしまったけれど、それはそれでなにか純粋なものでもあるような気がしていい。
 
  明日はがんばろ。  
 
 
 
いいね!した人  |  コメント(0)  |  リブログ(0)

テーマ:
スコセッシの 「沈黙」(遠藤周作原作)を観た。スコセッシ監督が作ったキリスト教映画といえば、「最後の誘惑」 で、ピーターガブリエルが音楽をやっていて、それはそれは新しい、そしてどぎついイエス様であった。スコセッシは、キリスト教を愛し、そして愛するが故にその矛盾のようなものに苦しんできたのだろうな、と思う。「タクシードライバー」のラストで、デニーロが演じる主人公は、ジョディフォスターの演じる少女を救ってヒーローになっているけれど、あのあとあの青年はきっとうまくは生きれなかっただろうな、と想像させる気持ち悪さがあって、実際の世界にある残酷の前には、キリスト教は実は歯が立たない、というような感じをスコセッシは常に抱いているのだと思う。
 
  スコセッシは、「最後の誘惑」を撮り終えたころ、「沈黙」を読み、感銘をうけたという。うちはカトリックだから、実は「沈黙」という本は僕の実家の本棚に鎮座していたのだけれど、それを読んでみようという気持ちにはついぞなることもなく、こういう歳になってしまい、それを未読のまま人生を終えるよりは、原本の再現率が高いとうわさのこの映画を観てみようということになった。怠慢だ。
 
  なにしろPG12で、予告編も大変なもんで、白土三平のカムイとかサスケとかでキリシタンに対して武士がいじわる-な顔をして悪いことばっかりしている絵柄があったのだけど、それそのままこの映画も、貧しい農民に小ぎれいなかっこの武士が悪さばかりしているお話しであり、あのようなことを、武士は本当にしたのでしょうか?と考えると、そういう資料や絵図がずいぶんと存在しているというし、こないだなんかの歴史のテレビでもその絵を観ました。まるで地獄の閻魔様の仕打ちのごとき、あれは地獄絵図です。なんてこった。ひどい。
 
  さて実際 これを観てみて、転んだ神父さんの心の傷は大変深く、残りの人生を抑うつの中に生きていく最後のところが、やるせないものであった。(ネタばれだ。) 命をかけて、帰国なんてとうにあきらめてから日本に乗り込んだ西洋人の神父様たちは、本当に、ネットの上で発言している見識のある人のような人たちのいうように、植民地化の手先として、その職務を果たそうとしにきたのか? 人が命がけで故郷をすてて、こんなとこに何年もかけてくるのに、そういうビジネスのようなモチベーションは無意味なのではないかな。金もうけなら、もっと効率的で安全なのがある。神父は金もらっても養てわかちあって楽しむ家族がない。あのとき耶蘇の侵入を許せば日本は、植民地になっていた? という? 僕にはどうにもそう思えぬのである。この映画を観ていると、イッセー尾形に演じるエライ侍の見識に共感する声もきかれるのだが、まてよと。
 
  あのときに武家社会が恐れたのは、武家社会の成立の根本は暴力による恐怖の支配と、それの組織化によるマインドコントロールを根底からくつがえす理念を耶蘇はもっているのだということに武家が気づいたからなのではないか。それくらい、ヨーロッパからこんな辺鄙まで命をかけてたどりつく連中の信仰は分厚くて、すごみがあったのだった(んじゃなかろうか)。
 
  そういうことを考えるのは、職場に出勤して仕事していると、そういう武家社会的でずいぶんな状況に近いのにわりとよく直面するからで、それは、なにか差別的であったり、なにか虚栄心であったり、なにか自己保身であったり、なにか攻撃とかいじめとか、悪口とか、うわさばなしとか、そういうものがうずまいているのであって、それが当然のように、人は社会を生きているのだけれど、いやそういう差別身分差 家柄 武士という階級だからもってる特権 とか そういうのを正当化するのに必死なのだけど、そんなのは 本当は 幻想なのだというようなことをまじめに主張する外人さんが何人も何人もやってきて 本気で 教えていたら、お武家さん 困っただろうな。なにしろ本当にそうなのだから。暴力で支配しないと、人は勝手なことばかりやって、混乱し無政府になり、強姦 略奪 暴力 犯罪の横行、これ世の法則なのだと、そういうこと、これまた正論で、現代でもどっかで無政府状態が出来上がるか、あるいは馬鹿者の一族が国を運営しているとこの様子なんか、あほらしすぎて そして怖い、それも事実だということを、我々は現代よく知っている。
 
   しかしそれでも、沈黙を観て、最後に残るいやな感じは、耶蘇への迫害を決めた政府があると、それを粛々と あるいは楽し気に遂行する下っ端の武士たちのいやないじわるうな感じそれであって(この映画で青木崇高が演じていた感じで、まあしかし彼もそういう役が異常によく似合う俳優さんだな、本人うれしくないかもしれないけれど)、そのいじわるうは、いまの時代の学校のいじめとか なんかとか全部それ そのまんま日本人という民族の邪悪そのもののように思えた。
 
 っていう感想は、やっぱり、当時の社会情勢をかんがみると幕府は正しかったという人たちからたたかれそうなんだけど。
 
 
いいね!した人  |  コメント(0)  |  リブログ(0)

AD

Ameba人気のブログ

Amebaトピックス

      ランキング

      • 総合
      • 新登場
      • 急上昇
      • トレンド

      ブログをはじめる

      たくさんの芸能人・有名人が
      書いているAmebaブログを
      無料で簡単にはじめることができます。

      公式トップブロガーへ応募

      多くの方にご紹介したいブログを
      執筆する方を「公式トップブロガー」
      として認定しております。

      芸能人・有名人ブログを開設

      Amebaブログでは、芸能人・有名人ブログを
      ご希望される著名人の方/事務所様を
      随時募集しております。