太宰治を訪ねて(5)斜陽館・前編
テーマ:生誕100周年・太宰治【4 のつづき】
こうして僕は腹痛を乗り越え、
編集者の田畑さんは犬とたわむれながら、
ようやく「斜陽館」に到着した。
1907年6月、後に太宰治と名乗る
津島修治は、この家で生まれた。
つまり生家が今はそのまま
文学館となっているのだが、
津島家がどれほど富豪だったかは、
このどでかい家を見れば一目瞭然であろう。
1907年6月、約600坪の敷地に
新築で建てられたこの豪邸は、150坪にも及ぶ。
太宰の死後は、1950年より、
太宰治文学記念館を併設した旅館として
「斜陽館」は営業を開始する。
多くの太宰ファンが宿泊していたが、
次第に経営が悪化していき、
1996年、金木町が買い取って
現在のかたちとなった。
2004年には、近代和風住宅の代表として
国の重要文化財に指定されている。
知人の漫画家・としぼー さんは
旅館時代に斜陽館を訪れ、
宿泊したというのだから羨ましい限りだ。
今回の名言集の執筆にあたって、
思わぬ人から「実は太宰ファンで・・」と
明かされ驚くことがあったが、
としぼーさんもその一人である。
館内は自由に見学することができる。
入ってすぐに見えるのは、
津島家の人が小作人と対応した、
たたきと常居。
入って左手には畳の部屋が広がっており、
もともと旅館として作られたのでは、と
錯覚するほどの広さである。
上は火鉢の部屋だが、
通路を挟んで反対側の部屋では
パイプ椅子が立ち並んでいるのが見えるだろうか。
そこでは太宰治を紹介する、
ビデオ映像が流されている。
そこに学生服を着た若かりし日の太宰が
大アップで写されるのだが、
芥川の例のポーズをもろぱくりしていたため、
僕も田畑さんも思わず噴出してしまった。
太宰のいかにも作られた表情が
さらに笑いを誘うのだが、
それこそが彼一流の照れ隠しであろう。
実際のところ、
太宰は芥川龍之介に心底憧れており、
本当のところは冗談で真似するような
軽い思い入れでなかった。
それだけに芥川の自殺が
太宰に与えた影響は大きかった。
太宰がカルモチンを服用し、
第1回目の自殺未遂を図るのは、
芥川の自殺からまもなくしてのことだった。
田畑さんも同じことが脳裏によぎったのが
太宰に笑わされた後、2人は妙に黙った。
(CMを挟んで6 へつづく)
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1 ■懐かしい・・・
今でも宿泊した斜陽館の一室で、
一週間遅れの「新婚さんいらっしゃい」を見たのを思い出すよ・・・。
こんな自分も高校生の頃はナイーブな文学少年だったのですよん。